漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

終わりの感覚

2017年04月09日 | 読書録
「終わりの感覚」 ジュリアン・バーンズ著 土屋政雄訳
新潮クレスト・ブックス 新潮社刊

を読む。

 「フローベールの鸚鵡」や「10 1/2章で書かれた世界の歴史」で有名なバーンズの、ブッカー賞受賞作品。
 ストーリーは、シンプル。これは本のあらすじ紹介がわかりやすい。

 
穏やかな引退生活を送る男のもとに、見知らぬ弁護士から手紙が届く。日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると。記憶をたどるうち、その人が学生時代の恋人ベロニカの母親だったことを思い出す。託されたのは、高校時代の親友でケンブリッジ在学中に自殺したエイドリアンの日記。別れたあとベロニカは、彼の恋人となっていた。だがなぜ、その日記が母親のところに?―


 これだけでは不足かもしれないので、追記する。

 
物語の中で、主人公がベロニカの母親から託されたはずの日記は、彼の手に渡らない。主人公は、ベロニカが日記を持って行ってしまっているらしい、ということを知る。主人公はベロニカに連絡をとり、なんとかその日記を渡してもらおうとするが、頑なに拒否される。ベロニカが、どうやら自分に深い恨みを持っているらしいということに気づいた主人公は、その原因を知ろうとする。やがて明らかになったその理由は……。


 二段構えのどんでんがえしのせいか、ミステリーとしても評価されたようだが、それはちょっと違うだろう。あくまでも文学の枠組みの中の、意外な真実の発現であり、この同じシリーズから出ていてベストセラーにもなった、ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」とか、そんな感じである。かつての、主人公はすっかり忘れてしまっているような、過ちとさえ言えないような些細なことが、自分の知らないところで、びっくりするような悲劇として現在に至ってしまっているという事実は、それなりに平穏な人生を送ってきた主人公が晩年になって初めて知らされる、あまりにも重い現実である。ただまあ、実際のところ、別にこの主人公がやったことは、軽率であったとはいえ、余りにも一方的に酷いというわけでもなく、人によっては、「そんなの、俺が知るかよ」と言って済ませてしまいそうなことでもあり、実際、責任は皆にある。だからベロニカの怒りの矛先は、どこにむけるべきなのかさえわからなくなってしまっている。すべてを知った主人公は、しかしその原因をつくったのが自分であると認める。そして「知らなければよかった現実」として、自分の肩に重くのしかかってくることを受け入れる。
 
 人生の中で犯してきたさまざまな小さな過ち。そのひとつひとつに責任をとることなんてできないし、もしかしたら自分が何の気なしに行った些細なことが誰かの人生を決定的に歪めてしまったかもしれないなんて、考えても仕方がない。それに、普通はそうしたことがどういう結果を招いているのか、知ることなんてない。ただ、この作品の主人公はたまたまそれを知ってしまった。だから、途方に暮れてしまう。自分があんな手紙さえ書かなければこんなことにはならなかったかもしれないと考えるそばから、いや、普通はそんな結果になるなんてことはないだろうともちょっと考えてしまうだろう。それは、ベロニカにもわかっている。起こってしまったことは、事実として目の前にあるが、本当に間違ったことをしたのは、主人公ではない。だから憤り、誰もが途方に暮れるしかない。
 面白かったのかといえば、さほど、としか答えられない。取り返しのつかないことについての小説だったから、読む方にとっても、思うところは、どこにも行き着きようがないのである。