漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

《ミッドナイトランド》/ エンドレスサマー/ 19

2009年11月27日 | ミッドナイトランド
 海へと向かう道は細く、なだらかな起伏があって、進むにつれて視界に海が見え隠れする。街から海へは別の道があるため、ここは歩く人などほとんどいないが、不思議と植物に道が埋もれてしまうということはない。時折、思い出したように人が通るせいだろう。僕たちがそうであるように。
 やがて、海に臨む岬に辿り着いた。岬とはいっても、小さな、海抜の低い岬だ。見下ろすと、海は青白く光っていた。その光は、波打ち際が特に鮮やかで、ほとんど白色と言っていいくらいに強い光を発し、ざわざわと揺れていた。僕たちは岬の脇から海岸へと降りていった。海辺には沢山の赤い花が咲いており、海の中にまでその複雑な細い根を這わせていた。これらの花は《網藻花》と呼ばれる種類の草で、海水と、海中のプランクトンの発光する光を利用する。波間にちらちらと見える黒く平たいものが受光器で、時には波打ち際をびっしりと覆うこともある。
 穏やかな海岸を、《網藻花》を踏みながら歩いた。プランクトンの発する光で、辺りがぼんやりと明るかった。波が砕けると、光も束の間、弾けるように舞った。波の音が聞こえていた。それは、誰かが僕たちを呼んでいるかのようにも聞こえた。だが僕たちは、注意深く海からは離れて進んだ。海が怖かったためだ。海の中には、僕たちの窺い知れない様々な生物がいる。その恐ろしさは、漁師たちの話として幾つも伝わっている。一説には、海の中は僕たちが想像するよりも、ずっと光に満ちた、カラフルな世界だという。様々な光を発する生物が、深い海の底に存在するというのだ。だが、そのことについては単なる噂の範囲を超えず、信頼できるだけの証拠も存在しない。だから、ただそういう話がどこからともなく伝わっているというだけなのだ。
 海辺には、どこか生臭い潮の香りが満ちていた。そしてその香りは、肌に深くまとわりついて、僕には少し不快だった。だが、カムリルにはあまり気にならないようだった。
 「この海の色彩は、いつ見てもとても不思議だわ。輝きの中にも波があるみたい」
 「水の中だから、そう見えるんだろう」
 「そうかもしれないけれど、そう見えるというのが大切なのよ」そう言ってカムリルは少し波打ち際に近づいた。
 「危ないよ。突然《銛魚》が飛び出してきて、体を貫くこともあるんだよ」
 「平気よ。あなた、ひとりで《青の丘》には行く癖に。そんな危険な魚は、こんなに浅いところにまでやって来ないわ。触手に毒を持った生物だって、きっとこんな砂浜にはいないわ」
 カムリルはバックから小さな壜を取り出し、それを前にかざしながら、そろそろと波に近づき、腰をかがめた。そして、さっと水を掬うと後ろに下がり、壜の中を見詰めた。どうやらプランクトンを採集しようとしているらしい。それを数回繰り返した後、満足したのか、壜の蓋を閉めた。それから、それを僕に見せた。覗き込むと、ほんの微かだが、確かに青い輝きが壜の中で揺れている。
 「光絵に使うつもり?」僕が訊くと、彼女は頷いた。「まあね。でも、量も少ないし、とりあえずちょっとだけ持って帰って、考えるの。使うとしても、もっと沢山必要ね」
 「じゃあ、また採りに来るのかい?」
 「必要ならね。……あら……?」
 ふとカムリルは足元を見た。僕も彼女につられて足元を見た。すると、薄暗さのせいでそれまで気がつかなかったが、砂の上に誰かが歩いた跡のようなものがあった。自然に出来たとはとても思えない。僕たちは顔を見合わせ、辺りを見回した。すぐにずっと先の方の砂浜の上に、何か人のような影が横たわっていることに気がついた。一瞬体を固くして身構えたが、その影は全く動く気配を見せなかった。死んでいるのかもしれないと推測したが、もしかしたらまだ生きていて、動くこともできないほどに衰弱しているという可能性もあったから、放っておくわけにも行かないと思った。それで、多少用心しながら、ぼくたちはその影に近づいていった。
 近づくにつれて、それが人であることははっきりと分かるようになった。最初は漁師だろうかとも思ったが、遠目にもそんなにしっかりとした体格には見えない。どちらかと言うと、子供に近いように見えた。さらに近づいたところ、どうやらその印象は間違ってはいなかったということがはっきりとした。砂浜に仰向けになって倒れているのは、しっかりと黒い外套を着込んだ、十代の半ばから後半くらいの少年だった