goo blog サービス終了のお知らせ 

漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

Always The Sun

2005年07月14日 | 記憶の扉
 今聞くと、やや音が軽く聞こえるけれども、初めて
 The Stranglers の 「Always The Sun」
 を聴いた時は、しばらく頭からそのメロディが離れなかった。アルバムのタイトルトラックである「Dreamtime」も、最後の「Too Precious」も、忘れ難かった。僕が「サイケデリック」という世界に触れたのは、もしかしたらこのアルバムが最初かもしれない。
 何より、ジャケットが印象的だった。鮮やかな夕焼けを背にして、頭に十字架のようなものを生やした四人のシルエットが映っている。何を表現しているのかは知らないが、初めて見たときは、
 「あ、蝉茸」
 と思った。
 蝉茸とは、蝉の幼虫に寄生する茸で、蝉の幼虫から養分を吸い取り、成長する。「冬虫夏草」とも呼ばれ、漢方薬にもなっているようだ。だが、その姿は余りにグロテスクだったから、子供の頃図鑑で見てから、ずっと強烈に印象に残っている。僕の好きな作家、ホジスンの「夜の声」もそうだが、菌類に対する嫌悪にも似た恐怖は、人間には普遍的にあるのかもしれない。
 音楽の話のつもりが、セミタケの話になってしまった。

夢の丘

2005年07月10日 | 記憶の扉
 「夢の丘」
 アーサー・マッケン著

 アーサー・マッケンの「夢の丘」は、ひらたく言えば、田舎の文学青年が都会に出て、次第に狂って行くという小説である。
 この小説は、ヘンリー・ミラーの「わが百冊」にも選ばれているという。
 何がそんなに魅力的なのか。
 それは、冒頭の、「溶鉱炉の蓋を開けたときのような」真っ赤に焼けた空の色彩から、ラストの主人公の目の奥に映る蝋燭の真っ赤な色彩へと、円環を描くような作品の構造の中に、異様な高揚感が漂っているという点だろう。熱に浮かされたような小説というのは、こういう作品のことを言うのではないか。
 さらに言えばこの作品は、感受性が強くて他人と上手く交わる事が苦手という、むしろ現代によく見られる一つの典型的なタイプの青年が、自分自身の思い込みによって追い詰められ、次第に幻想の現実に生きるようになり、自滅して行くという過程を見事に書ききっているという点でも、同時代のデカダンス文学とは似ているようで一線を画している。デカダンス文学は、今ではほとんど有効ではないが、「夢の丘」は、最近の青少年による奇妙な犯罪を思い出す部分もあって、今なお有効な部分が多い。  
 
 「赤に沁みる」というカテゴリーを作った。
 赤という色彩は青と対になる色だが、僕には、実は似ている部分がある色彩だと思う。
 どちらの色彩も、じっと見詰めていると、吸い込まれてゆくような気持ちになる。そうした意味で。
 「赤に沁みる」は赤色コレクションだ。
 その最初に、「夢の丘」から、「溶鉱炉の扉を開けたときのような、凄まじい赤光」を選びたい。

ビビンバ

2005年06月29日 | 記憶の扉
 「ビビンバ」というのは、言うまでも無く韓国風丼物のことだが、僕にとっては別の意味も持っている。かなり特殊な意味だから、共感を得るということは、僕の小学校の同級生で無い限り、ありえないだろう。

 そう、小学校の時の話である。
 「口裂け女」という都市伝説が、昭和54年当時には日本中を席巻していた。
 そろそろ知らないという人も増えているだろうから、簡単に説明すると、
 道を歩いていると向こうから大きなマスクをした綺麗な女の人が歩いてくる。綺麗な人だと思っていると、その女性はふと立ち止まり、「わたしきれい?」と聞いていてくるというのだ。「綺麗だよ」と答えると、やにわに彼女はマスクを外して、「これでも?」と言う。マスクの下の彼女の口は、真っ赤に、耳まで裂けている。
 そういう話だ。
 後になって、口裂け女は100メートルを3秒で走るとか、鼈甲飴が好物で、三本あげると助けてくれるとか、左肩を叩かれた時は右からゆっくりと振り向くといいとか、そういう様々な尾ひれがついた。
 そうした流れから、「ビビンバ」の話が出てきたのだと記憶している。

 「ビビンバ」とは何か。
 当時僕が通っていた学校の近くに「舞子ビラ」というホテルがあったのだが、そこの敷地に凶暴な半裸の男が出るというのだ。それが「ビビンバ」である。名前の由来は、はっきりとわからない。当時「俺たちひょうきん族」という番組があったが、その中に「ビビンバ」というキャラクターがいた。どちらが先だったのか、憶えていないのだが、多分そのあたりだろうと思う。
 「ビビンバ」の話は、後に尾ひれがついて、「カカンバ」とか「チビンバ」とかもいるということになった。今普通に考えれば、これは多分、ホームレスがいたということだと思う。尾ひれの部分は、家族がいたということか。
 あるとき、探検隊を作って、「ビビンバ」を捜しに行こうということになった。
 結局見つからなかったのだが、これは後で問題になった。教室で一列に並ばされて、先生から往復ビンタを頂いた。

 「ビビンバ」の話はそれだけなのだが、後日談がある。
 この話を妻にすると、「こっちでは『シュウゴ』というものがあった」という。内容は、ほぼ同じである。ということは、この時期、多分日本中で同じようなことがあったのではないかと推測される。子供は敏感である。当時の子供達がこうした話をリアルに感じてしまうというのは、それなりの下地があったと考えるべきだろう。
 さらに2004年、「口裂け女」の話が隣の韓国で流行したという。
 財政破綻を乗り越えた後の成長期である。
 当時の日本と、どこか似た空気が韓国を覆っていたのだろうか。

学校の教科書を

2005年06月28日 | 記憶の扉
 学校の教科書を、きちんと取っておけばよかったと思うことがある。
 あれほど退屈だった授業の記憶が、時には懐かしくなるから。
 そして、その退屈の友だったのは、教科書だったと思うから。

 考えてみれば、教科書ほど記憶が染み付いている本も無いのではないか。
 内容もさることながら、暇にあかせて書いていた落書きや、鞄の中でひしゃげたバターがこびりついてしまった背表紙も、めまぐるしく動いていた子供の頃の時間を、しっかりと記憶しているのだ。

 かつては国語の教科書に収録されていて、強く印象に残っている「どろんこ祭り」や「太郎こうろぎ」は、今ではジェンダーの問題で外されてしまっているという。ジェンダーの問題を軽く考えるつもりはないが、残念だと思うのは、僕が間違っているのか。

床の間の船

2005年03月04日 | 記憶の扉
「床の間の船」のことを思い出す。
そうたいした話ではない。子供の頃、床の間を船に見立てて遊んでいた。それだけのことだ。

小学校の四年生の頃、一時期、僕は海岸通りの古い借家に住んでいた。本当に古い家で、家の中には井戸もあった。トイレは勿論水洗ではなく、台所は土間だった。家自体は広いし、海までは歩いて一分だったから、僕は楽しかったのだが、母にしてみれば楽しいとは程遠い場所だったにちがいない。水回りは最悪だし、心配事は山のようにあった。母にとって、よい思い出とは程遠い場所だろう。
その家は、海のすぐ側だったから、夜には波の音が聞こえた。星も、よく見えたように思う。
その家の二階には、広い床の間があった。僕はそこを船に見立てて、本とかお菓子とかを持ち込んで遊んでいた。部屋は、勿論海である。時には磁石を使った釣りなどもした。「スターウォーズ」のシーンが印刷されたコカコーラの王冠を魚に見立てたりもした。
今、部屋の中で雨の音を聞きながら、ふとそのことを思い出した。