つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

我にかえる

2012-06-11 | Weblog
変な天候を感ずる。
これをただ単に「変だね」として社交辞令的思いで
感じていれば、損じる。何がといえば、自身について。
耳を澄まして、まなこ凝らして自然を注視。
後先は後が先で、先が後である。
これを知る者、我にかえるを覚える。
かしこまる。
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今を生きる

2012-06-10 | Weblog
私たちは何も知らないで生きている。
生きていけば何かを知り得る。
生きているということは貴重な時間なんだと認識して、
大切に、大事に生きることであると知る。
人生も50年をすぎれば、肉体の存在も約半分に満たないもの。
その中で、大切を知り、大事を生きて無知を破ることは
はなはだ焦る。憂えることが優れたことであるなら、
何ものにも優り、無知を破ることもできるでしょう。
般若心経という盾を持ってこの世を渡れば、叶うことであると知る。
道理の理を教えているものであるために、とても安易である。
難解にしてみるのもわが心であるために、わが心をよく制御する。
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御蔭が動く

2012-06-07 | Weblog
太陽が語りかける。
そこにいれば危ないよと。
長い長い人の歴史に、ひとまず終止符が打たれるとして語りかける。

地球に棲むものたちのなかで、高度に発達した者たちは、最小の影響とするために、
あれこれ技術をめぐらす。その中で、最も多く存在する微小動物(バクテリア)は、
単純にして、また未知であり高度な生命を持ち、感をもち、勘が働き、観じる。
最大限能力を発揮して、不思議を楯ににして守りを固める。その守りは強力であり、
被害を最小にとどめられる。起こるべきして起こるであろう変革に対応するために、
あれこれ激しく動き回っている。
時がすぎて、ひとつの事件として振り返ることができれば、
高度なものたちの御蔭様である。
ただ、悪しき者達、邪悪はことごとく消し去られてしまう。浄化されてしまうのである。

宇宙はバランスで存在しているのではなく、単独での存在となっている。
巨大な巨大な星がなくなっても、その周辺のバランスが崩れて破壊してしまうことは無い。
バランスで成り立っているものではない。
微細なもので作られ、広大になっている。持ちつ持たれつとして。

是が浄化の法となっているために、邪悪なエネルギーが満たされてくれば、
是との摩擦となって歪みが生じ、あれこれ異常が現れてくる。そして、はじかれてしまう。
取り除かれるのである。
宇宙というのは自然である。自然は人が何もしなくても美しいものだ。
それは、是が浄化の動きとなっているためである。夜空はきらめき、
地球も景色はとてもきれいである。自然と浄化されてしまうために、
あらゆるものが整然となっていくのである。
短い肉体の存在の目では、常に混沌となっていくように見えるものであるが、
魂のまなこで見れば、汚れたものは無くなっていくのである。
ひとつとして汚れたものは無い。
自然というのは美しい。
人もまた、自然に作られたものであるために、
本来、美しいものなのである。
あらゆるものが止まることなく動いているのは、
未完のためである。
動くことによって完成に向かい、正しく動くことによって完成されたものは、動く必要が無くなっていく。
そこには時間も空間も無い。
完全浄化の姿である。

生命が輪廻するのも、浄化されてしまえば輪廻することは無くなる。
人が生きていく、動くということ、その行為はすべて浄化のためである。
生きるということは、生命の完成、浄化のためである。
正しい浄化の動きとなっていなければ、何度も苦しみの世に生まれ変わって已まない。
是によって作られたものであるために。

人の歴史は、宇宙から見ればほんのわずかである。五分ほどのものである。
その短い間にも、人の邪悪が満ちてきて、そのエネルギーによって起こるべき事件が起こされてくる。
是、法は非情である。善悪など無いゆえに善である。慈悲の慈もある。
邪な心を排して、どうか自然の悲を受けないように・・。
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自己中

2012-06-06 | Weblog
除菌、滅菌、殺菌と菌との共生を禁じ、
細菌を黴菌と決め付けて忌み嫌い、駆除の対象とする。
それは誤りであり、自己中的思いである。

すべてにおいて、善玉と悪玉と日和見がある。
共生であることを思い、ただ悪をなさない、させないことである。
共存共生は相対であり、相反するものである。この世において道理である。
天国と地獄はあの世のことである。

特別悪さをするわけでもないのに、おぞましい姿?であるとして害虫と名づけられ、
すぐさま殺される的となる昆虫や爬虫類、他不細工な類たち。
彼らはただ生きていくために懸命なだけである。それは、あなたも私も同じであるように、
本能として生きているだけである。誰も悪さをして生きようとは思わない、迷惑をかけながら生きていたいとは思わないように、
生きるために生きている懸命だけである。
まして、心あるものであるならば、特にそうである。

生きるための本能に、心の多少があるために優劣が分けられる。
心少ないものであるとて、憎悪というものは無い。
人のように、心あるものでありながら
心無いものがいる。それには、憎悪が宿す。
それこそ、忌み嫌っていい対象、害人である。
駆除されるべき対象である。

自然に裁かれる人、自己中という思いの人。
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自由の獲得

2012-06-04 | Weblog
ばあさんになったなと思う。
爺さんになったなと思う。
お互いに年老いても、それなりに美しく年老いて、
互いに綺麗であり逞しくある。
若い頃は、実に美しく、実に誠に勇ましくあった人だったと
振り返って思う。
時は、だれかれかまわずにただ過ぎ去るのみである。
肉体は、昔を惜しんで朽ち果てるだけであるが、
その使い方(気づき)によって、心は磨かれて美しく輝き、
永遠の時間の中で生きていく。自由として。
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永遠の生命

2012-06-03 | Weblog
生命は死なない。生命には死が無い。
肉体が生命ではない。
生命が生命である所以は法に因る。
法に由るものであるために、死が無い。
肉体は、生命の進化のための媒体に過ぎないもので、
間違った進化、または、進化が認められないと知れれば、
肉体は放棄される。
放棄されてしまえば、進化向上はできなくなる。すれば、
放棄されたままの状態が長い間続く。それは、時間の無い世界での出来事となるために、
実質、死んだ時と生まれてきた時の時間の差、距離は無い。ゼロである。
苦しくして死んだものは、苦しい世界が長い間(再び生まれてくるまでの間)続く。
それは十年間かもしれないし、一万年間かもしれないし、十万年間かもしれない。
いや、百万年間かもしれない。その人の気づきにより、再びの変化が与えられる。
人生経験の無い、あるいは浅い子供の死は、すぐ(一年以内頃)に再び生まれる変化を与えられる。
報いがゼロ、リセットされたためである。早いうちの死というのは、それだけ
輪廻も早い。輪廻は苦しみである。
その苦しみをもって悟ることができれば、生命の目的本来に適うものである。
なぜ生きるかを知れ。それが、輪廻より離れられる方便である。
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リセット

2012-06-01 | Weblog
過去、高度に発達した文明があった。
栄えていたころ、誰も滅んでしまうとは思わなかったろう。
その文明の血筋を受け継いでいるものはいない。
どこへ行ったのであろうか?
過去は途絶えて、
今に至る。
未来、過去に高度に発達した文明があったと、その時の人は知る。
遥か長いときを過ぎて、
繰り返されて、今を生きる人は探る。
過去は途絶えながら、今に繋がる。
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