寡黙であれ、多弁雄弁であれ、
器用不器用として捉えるのは浅はかなものである。
器用にして貧乏ともなり、不器用にして好かれるものでもある。
ただひとえにして心の善し悪しにてある。
本物というに、そのもの不備にしてあり、迷い惑いながらの道標である。
ただ善にしてあれば、不思議と真っ直ぐに導かれるものである。
それはまた、真円ということであり、円満ということである。
プロフェッショナルとするも
なりわいにしてあり、好き嫌いさて置きにして、この道一筋とならば、
心通うものここにあり、精通自ずとなるものである。然るに、更なる思い起こされ、
一にして戻り、長けるもの優れてくる。
人にして憂色にあるものでありながら、悠然として超然である。
孤高にあり威厳色合いあれども、寄って実に親しみ深いものである。
真実に孤独というものにあり、切なくして哀愁に包まれている。
手探りで生きているだけである。
一人にして産み落とされ、一人にして死に逝くものでありながら、
誰彼に交じり合う色合いである。そう知って、感慨深くも真摯に、
謙虚この上なく思うものである。
して、
道半ばに散り行く者たちとして、
ただ、
ありがとう
と
口にする。