つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

縦横無尽

2014-11-15 | Weblog
優しいという文字、優れるとも読む。
故に、
優しい人になりなさい。それは、誰よりも優れる人という事であり、
何ものにも敗れることの無い人である。

上辺だけで物事を捉えずに、虚飾に彩られた現実という現象に惑わされないで、
過去と現在と未来とを、どれも形にしてありながら、跡形も無く消え失せていく一瞬という
とめどなく移り行くものに心囚われていてはならない。ただ今にしてあるものの刺激を、
今にして消化していくだけである。
受の世界である今を正しく浄化するのは、後ろめたいことを起こさないという事にある。
ある意味、嘘も方便という技を使うが、その術は完成されたものとして使わなければ、
自らをことごとく害うものである。嘘も方便は、下心というものに非ず、もってして満円とするための一心による。

月がものの見事に満月となれば、その美しさに感動するように、そしてまた、つくづくと見入る様に、
つけ入るスキの無さに感嘆するからである。
その輝きは日の光のように激しくは無く、しっかりと見つめられるものである。して、
眩くもありことごとくあたりを照らすものである。
それこそ、正しく育むものであり癒すものである。
優しい光である。見つめられる光である。
憂いの持つ光である為に、その漢字に人を添えて、優しいとなり優れるとなるものである。

激しくてまた破壊に導くものとはならない輝きである。

闇を照らすのは光だけであり、だから、闇で闇を打ち砕くことはできない。
光の軍勢は闇を破壊する。だから、輝きという。光だけが闇を打ち砕けるのである。


夜空(宇宙)は常に闇であり、星々が輝いている。それは、人の世と同じ様。
太陽が青空を作るように、夜には星々の輝きが見られるように、
闇には一つ一つ光が輝いている。それは、光明があるためにある闇である。
闇の中に光明があるのではない。
光明に照らされて活きるという。生命はそういう存在である。
それを知らずに、傲慢になり、闇に従ってはならない。
腐りきっていることすら見えなくなってしまう。

光がある。それがエネルギーである。
エネルギーあってのすべての物語であるのが世である。
光があるゆえの闇である為に、常に光に照らされ輝いて生きることである。
光があって闇があるのであり、闇があって光があるのではないという順番を間違えてはならない。
もし、その順番を間違えてしまうと、
すべての順番を間違えてしまう。道理について誤った思いをしてしまう。
たとえば、縦と横、その関係を理解することである。物事は縦を先にして横を後にとする。それを理解しなければ何事もぎくしゃくとなってしまう。
智慧もって理解していけば、事は滑らかになる。スムーズにすぎていくのである。それこそ、
縦横無尽としていけるのである。
縦横無尽=活動が自由自在であり、妨げるものが無いこと、と辞書にある。

愛もまた同じである。
愛してもらいたいと思うのであれば、愛することである。
先ず自分が愛する者にならなければいけない。
正しく道理に従って円満となるのである。

闇の円満となってしまえば、何もかも見えなくなって、
苦に従うことになる。
コメント
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