さて、世界が粛々と変わり始めている。時期、堂々と変わることが分かる。今年の末頃と見る。悪から善に、つまり、乱れが正されると言う事である。
「秩序正しく」は、元通りに戻ると言う事である。エネルギーの法則は、秩序正しく回るのが本筋である。人間という浅ましいエネルギーが、故意に乱れを作っていったために、エネルギーの波調は起伏が激しく動き大きく乱れたが、必然正されて元通りのスムーズな流れになる。そのため、いまが、拮抗した事象となっている。だが、必然「最後に愛は勝つ、正義は勝つ」と言われるように、善の正義は勝つのである。
正義とは、それが存在するための正しいい義(意味)であるために、ゆえに、
悪なる正義も成り立つ。それが悪魔の世界、いわゆる地獄の形相である。
エネルギーの法則は存在の法則でもある。そこに正しいとか悪いとかの善悪は無い。善悪は人の思いである。法則には無い。ただ回るだけである。
故に、法則は絶対善の動き(円運動)となっているのである。分かりますか?
ここのところが要です。善悪が無いというのは、これと言って善いことは無いが悪い事も無い。悪い事が無ければ、それはすべて善い事である、として、
法則は動いている。だから、善運動の回りが正しい秩序、絶対善となっているのである。この法則がすべての存在の法則であるために、「是諸法」と説かれて、法則であるために「絶対」世界となっているのである。だから、
是が非となることは無い。絶対であるためである。その絶対世界が、
魂の世界、人間の肉体の消滅後の世界である。魂は意識生命エネルギーであるために、無くなることの無いエネルギーとなっているのである。
この存在の法則のエネルギーによって作られているためである。
エネルギーの法則が、円運動の自由にあるために、常に繋がっていく運動となって、無くなる事が無いためである。それを「永遠」という。
永遠という言葉があるのは、そのためである。私達は永遠に存在する。
それも、ただ形を変えながら、だから、どこへ行ったでもなく、どこにも行かなかったでもないのである。つまり、変化しているだけである。ゆえに、
不増不減と説かれている。物理にあるものはすべて変化して、久しく留まる試し無しと言われるのである。一旦という『間』を置きながら、リセットされているが、もと(記憶)は連綿である。
私たち人間という動物を動かしているのは意識(心)つまり「魂」という。
物理にある感覚を通してのみ、魂は磨かれていく。それを精げるという。
だから「精神」として、肉体に神経が張り巡らされているのである。
心は自由にある。自身の思いに、いくらでも過去と未来を行き来する。何の隔たりも無いために、精げることによって、ルーツ(祖)を知ることができる。
どれほどの間輪廻したのかが分かってくるのである。
実に「精神」というのは不思議である。
私達動物は精神的に生きる、つまり、
傲慢にならず、謙虚に生き、質素に生きてこそ、自然体となり神がかりとなれるのである。
生は死を絶対条件として生まれる。それは、死後の世界こそ生命エネルギーの真実の世界であるためである。
物理に執着して生きても何の意味もない。ただ苦しみの世を輪廻するだけである。精神的に生きてこそ輪廻を離れられる。それは、分かりやすくすれば、
『愛』に生きると言う事である。愛は無償にてこそ『本物の愛』である。
それが精神を鍛える、精げる、浄化すると言う事である。