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つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

拉致問題の進展

2025-05-16 | Weblog
拉致被害者家族会のメンバー日米大使と大使公邸にて面会と報道にあった。
米大使側からの働きかけで実現したとある。
日本国政府のだらしなさに、米国の外圧に頼らなければならないのは、なんとも情けない国となってしまった日本。
菅、岸田、石破と続いて我が国の政権、ボロボロのめちゃくちゃになった。
もう言うまでもなく、現実に崩壊していく様が現れてきている。来月より,7,8月と顕著に分かるようになる。まず、6月は拉致問題大きく進展を見る。人道上ようやく常識に適う。現トランプ大統領の力は大きい。まして、神の加護にあるために、やる気のない我が国とは違って、いち早く進展する。待ったなしの状態は誰もが知る所であるために。
次に、赤沢氏来週にも三度目の訪米とあった。
何度行ったところで交渉の事態は変わらない。日本国にだけ虫のいい話とはならないのである。高い飛行機代も税金である。まさに無駄遣いとはこのこと。
最初から、答えは決まっているのである。政府、ただ国民へのしっかりやっているのアピールである。我が国の国会審議、その放送を見てても分かる通り「しっかりやっているふり」をしているだけである。そのように思いたくなくとも、そのように思わざるを得ない事象が多々あるためである。
まぁ、放送されていても、しっかり居眠りしている厚かましさは、厚顔無恥のなにものでもない。
他国の力に頼らねばならないほど、無策、無能の指導者達は、よって、
必然替わるのである。替えられると言った方が当てはまる。

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ブーメラン

2025-05-15 | Weblog
日を追うごとに自民党消滅の危機高まる。100%存続は無理と思われる。
これほどまであからさまに国民を虐める政策は、70超えた私には記憶は無い。
前代未聞の悪政である。来月がその審判が下りる。自民党議員の悪態ぶりは目に余る。政治が悪ければ世も乱れる。本日のニュースにも警察官の悪事が報道されてあった。また、皇室のお世話をする職員の悪事もあった。まさにあってはならないところの不祥事が、あからさまになってきている。もう日本国無法地帯となってきていると思われる。それでも、海外からしてみれば、治安が良いとされるのは、地球規模で危機的状況下にあると思われる。
地球外生命体のテレパシーでは、地球は狂人、犯罪者の投獄の場とされている。
あらゆる人種が入り乱れるのは、宇宙広しと言えども、とても稀な所とされる。
高度に進化した知的生命体は、地盤の不安定な所を住処とはしない。
そのため、侵略など想像もしないとする。彼らは高度に進化しているために、
「自由」ということを侵すことは無い。なぜなら、もし自由を侵したとするなら、その自由にして不自由となるためである。それは、
「すべてが返る」道理を心得ているからである。故に「知的」は平和主義である。
彼らが地球に降りてくることは無い。なぜなら、狂人ばかりの所に降り立てば、何をされるか分からないためである。

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得たものと失うものの格差

2025-05-14 | Weblog
自民党総裁である石破氏、首相となって男を下げた。総理になっていなければ、
まだ見込みはあっただろうに、総理の椅子に座った途端、男気だだ下がり。
以前にもまして、目つき顔つきが悪くなった。まさに悪代官そのものと言う感じを受ける。先日の森山幹事長との夜の会食に、奥さんまで呼ばれての会食は、
「消費税減税は駄目よ」の忠告、その言った言わないの証人に奥さんが立ち会ったと言われている。彼は一人ではなにも判断できない哀しい傀儡の人。だから、
二転三転コロコロ心が変わる。総理になって失ったものの方が大きいのではないのか、それも「人格」という人としてのあるべき姿を。
奥様の目も曇る。
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格差社会の歪み

2025-05-14 | Weblog
全国農業協同組合中央会で、13日山野徹会長「コメ高くないと」と発言、批判浴びまくる、それは当然と思われる。
〇〇長とつく各トップにある人達は、庶民、国民との常識的感覚が「超」ズレていると思われる。まさに上から目線。一度どん底(最低生活)に落ちてみる必要があると思われる。本来頭がいい人というのは、経験しなくとも想像で理解できていくのであるが、頭が悪いと想像すらできない。それは「馬鹿」だから。
また、その集会上で、自民党の森山裕幹事長、「日米交渉」にコメ対象外と明言したが、高額な関税がかけられている「コメ」に譲歩することになる。
なぜなら、日本国は敗戦国、して属国となっているためである。表向き、
抗う姿勢は見せても、結局は言いなりになる。過ぎ去りし動向を見てもそう思はざるを得ない。まして日本国、長いものには巻かれろ主義にある社会、権力には非常に弱い。オールドマスメディアを見ても知れてくる。悪い意味での忖度にある社会となっている。権力にあるものに媚びるのは、、現状況ではいささか仕方ない事である、と擁護するわけではないが、そう思う。
「死」の恐怖を克服できるほどの勇気があるなら別だが。まぁっ、世の中には
優れた人も大勢いるもので、悪には抗うものである。
拮抗は相対にして同等の力にあるが、存在は終には善が勝つ。だから、永続にある。性善質で巡るのが存在の法則である。紆余曲折、右往左往しながら結局最後に愛は克。この世である。


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大量逮捕への現実味帯びる

2025-05-13 | Weblog
石破政権もう時間の問題、政権維持は無理。
石破茂政経懇話会元代表の下根貴弘氏曰く、石破氏の「闇献金疑惑」について、
彼は「全部ウソ」をついている。
石破総理、もうその座を退くしかない。時間の問題だ。実にお金に汚い人が政治をしているのだから、国民が豊かになるはずがない。今の日本社会を見て確信する。6月まで持つ事も無い即刻首である。国民はそう思っている。
脱税に繋がり逮捕、法治国家であると言うのなら、そうなって当然の成り行き事、自業自得であると見る。今までの裏金問題にしても、逃げ切れると思っている議員達、そうはいかない。つい先日、米国大統領、大統領令にて閉鎖されていた監獄島再開と報道されていた。日本もさることながら、世界には悪人たちが化粧をして蔓延っている。世界の偽善者達の逮捕、留置所と思われる。
再開しなければならないほど、「悪人」が多いのである。
羊の皮を被った狼達である。そこは過去に二人の脱獄者がいたが、途中で溺れ死んだとあった。だから、未だ逃げた者は皆無とあった。
何にしても、嘘は「地知る天知る神知る吾知る」である。これは真実である。
他人は騙せても、自分に嘘はつけないのである。
嘘は泥棒の始まりと子供の時から聞いていた日本国。
まさに、総理からそうであっては、解体消滅と言われる所以である。
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善と言う本物は克

2025-05-13 | Weblog
さて、米国大統領の暗殺に失敗しての果が、これからのすべてを表している。
現米国大統領は、神の御加護にある。この加護に異論を唱える者達が、これこそが、オオカミの仮面を被った羊たちである。修羅の界隈に住む輩達であるため、 
ただ残忍である。畜生にも劣る。
世界が大きく揺るがされ、右往左往する様は、紆余曲折を表しながら、結局、
秩序正しく、整然となる。
自然はただ整然である。
人の生命は、およそ100年未満が多数を占める。どんなに科学が進化しても、
その寿命は120∼150年止まり、それ以上は無理となっている。しかしながら、
心いわゆる魂には死と言うのは無い。永遠である。そのため、意識の進化によって想像と言う姿を生成する。それは自然が作り出すものであるために、消滅すると言うことは無い。意識は物理にないためである。およそ50億年後の地球は、物理的道理によって消滅する。
現太陽の「死」と言う現象によって、飲み込まれるためである。巨大赤色矮星となって破壊、消えてしまう。星々の最後である。
私達と言う人の生命エネルギーは、その時点に出会うが、すでに物理には無く、完全たる意識生命体エネルギーとなって存在しているために恐怖などない。ただ自然の摂理の中で、映像として存在、様々な現象に出会う。
[今]と言う時の間に於いては、想像すらできないことである。
進化と言う事はそういう事である。

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化粧にいる者

2025-05-11 | Weblog
粛々と進んでいる変革。
「粛々」=(緊張)して静かに行動する様子、と辞書にある。
100%、世の中が変わる。日本国はこの6月より大きく変化が現れてくる。
新旧の入れ替え、いままでの政権はがらりと変えられる。
7月・8月と善悪転倒した社会が正される。これは、金融支配社会の終焉に繋がっている。故意に「美」の追求に勤しんだ者達の行き過ぎた行為は、自然のままに返される。元々の姿に。それが美しかろうがなかろうが、ありのままになる。
因みに、自然は、人の手を加えなくとも整然として在り、美しいものである。
人工的に(無理に)手を加えたものを「化粧」と言う。ある意味「粉飾」となり、化けの皮が剥がされる。それも自然にである。自然の驚異は人知の及ぶところではない。瞬く間ににしての変化の在り様。自然の変化は劫にして、
人工的は瞬時にして破壊と創造を受ける。
さて、栄枯盛衰の道理は、浄化の法則にして、すべてをきれいにしていく。
人の溢れた世にしての汚れの蓄積極まって、変化の兆候、地球の異常気象、天変地異で濯がれる。



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縁起の法則

2025-05-11 | Weblog
結局米国産コメ輸入拡大、日本国100%罠にはまる。その招来、自給自足を絶たれ、兵法の術に倒れる。更なる属国化と言うより、植民地化となる。
人間社会、どの国とってもいまだに「有事」となっている。争いが止むことの無い世界である。「修羅」を表す。
修羅=激しい戦闘や争乱の行われる場所、
修羅の妄執=やむことの無い、恨み・そねみなどの執念、と辞書にある。
さて、我が国、政治ビジネスセンス皆無と見て取れる。
日本国の未来、このままいけば大国の奴隷となる。サラリーマン的大臣では国は滅ぶ。
「国破れて山河在り 城春にして草木深し・」「杜甫」
自然と言うのは非情である。生命などに関心は無い。ただ回る法則にして動いているだけである。そこに人間の「勝手な意識」にて、あーでもないこーでもないと曰く。やはり、「人間万事塞翁が馬」と識して、喜怒哀楽に揺れることは無い。周りを気にして見てもどうにもならない。不意になるだけである。
ただ「為るように成る」だけである。その「為るように成る」は「縁」にしてあるために、ブーメランのように返ってくる。これが正しい識別である。
思うようにならないとするのは、自身の意識の識別の誤りである。
自然は人の意識とは無関心に動いているものである。
道理に学び、学習してこそ法則の具足となり、的確な識別ができていく。
それも瞬時の判断となる。実に不思議なことである。
因みに、「不思議」とは、「思議することの不要」の意、
あれこれ議論する必要のない事。
おかしな事、分からない事と言う事ではない。つまり、考える必要なく即正しく判断できること。
考えている間に時は過ぎるために、決して的を射ることができなくなってしまうため、「感じろ!」と達人たちは諭す。


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後悔先に立たず

2025-05-10 | Weblog
本日の読売新聞に元自民党幹事長古賀誠氏(84)の長男(52)経営会社、利益供与にあたると認定された。不適切な取引が確認されたと報道された。
元とは言え自民党に関係する大物政治家、その長男の不祥事に関係は無いとは言えない。政治家と言うのは、ある意味「先生、先生」と敬われ、利権に与る者だ。こんな言葉もある「先生先生と言われるほどの阿保じゃない」。
自民党、少数与党になったとしても政権党にあり、権力を行使する。
そんな自民に纏いつくのは欲絡みと見て取れる。国民の為にならない政策で、はっきりと「今だけ金だけ自分だけ」の姿勢が現れている。それでも、自民党を支持する人は救いようがない。地に落ちていく自業自得となる。今夏の選挙で分かる。後悔先に立たず、は道理である。
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性質のランク

2025-05-10 | Weblog
地に唾を吐いても自然は何も返さない。
天に唾を吐けば自分に即返ってくる。
地に足をつけ生きている自分は、やがて地に返る。自然である。
この遅かれ早かれは錯覚にして、すでに決定している。
自分に宿る魂に時空は存在しないためである。
魂の裁かれた行き先は、悪行悪果、善行善果、となって決定した。
この世に自分がいなくなったとしても、行為の報いは消えることは無い。
必ず、本人の魂が受け取るまで消えたりはしない。
あの世に於いてか、未来世に於いてかは定かではない。自由である。ただ報いるまで無くなりはしない。いつの世か、どうしてこんな目に遭うの、と思うのは、連綿である魂の悪業悪果善業善果の差し引きにより感じるが、
だからといって、現世での幸不幸には関係しない。
今と言う存在の「質」にある。
「質」には「格」がある。連綿である魂に格段の性(差が)ができる。
肉体に宿る魂は時間に縛られて、その時の行為による善悪の違いが、性質の差となって表れる。やがて肉体が消滅して、自由になった魂は、エネルギーの法則である円運動の自由たる質に沿い回る。質に善悪は無い。無いが故に善の質となっている。この質に沿って回る存在であるなら幸福となる。格段に上の存在魂となって、よく道理に守られ徳となる。


                                                       
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