地に唾を吐いても自然は何も返さない。
天に唾を吐けば自分に即返ってくる。
地に足をつけ生きている自分は、やがて地に返る。自然である。
この遅かれ早かれは錯覚にして、すでに決定している。
自分に宿る魂に時空は存在しないためである。
魂の裁かれた行き先は、悪行悪果、善行善果、となって決定した。
この世に自分がいなくなったとしても、行為の報いは消えることは無い。
必ず、本人の魂が受け取るまで消えたりはしない。
あの世に於いてか、未来世に於いてかは定かではない。自由である。ただ報いるまで無くなりはしない。いつの世か、どうしてこんな目に遭うの、と思うのは、連綿である魂の悪業悪果善業善果の差し引きにより感じるが、
だからといって、現世での幸不幸には関係しない。
今と言う存在の「質」にある。
「質」には「格」がある。連綿である魂に格段の性(差が)ができる。
肉体に宿る魂は時間に縛られて、その時の行為による善悪の違いが、性質の差となって表れる。やがて肉体が消滅して、自由になった魂は、エネルギーの法則である円運動の自由たる質に沿い回る。質に善悪は無い。無いが故に善の質となっている。この質に沿って回る存在であるなら幸福となる。格段に上の存在魂となって、よく道理に守られ徳となる。