唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変 所依門 (127) 開導依 その(32) 護法の正義を述べる (6)

2011-07-11 21:52:24 | 心の構造について

 諸識の倶起を認め、そして諸識が互いに等無間縁となるのであれば、安慧や難陀等の説は心法と色法とに相違がなくなる、と護法は論破し、その証拠を引く。

    「若し彼れいい復色を心等の如く是れ無間縁なりと許す

     と言はば、」(『述記』)

(もし、安慧・難陀等が、色法にも心法のように等無間縁があると認めるのであれば、)

 「便ち聖の、等無間縁は唯心・心所のみと説けるに違しぬ。」(『論』第四・二十四左)

 (すなわち、聖教に「等無間縁はただ心・心所のみである」と説かれるのに相違することになる。違は相違という意味ですが、間違って正義に背いているということですから違背という訳のほうが現代語訳としては近いと思います。)

 「述して曰く、心・心所法は四縁定まるが故なり。(『瑜伽論』)菩薩地の第三十八の十因の中に、唯心・心所にのみ是れ等無間縁なりと云うが如し。亦『瑜伽』第三等に四縁いい能く識を生ずと云うが如し。『摂論』第一に心・心所法は四縁定まるが故にと云へり。故に色には等無間縁有るには非ず。」(『述記』第五本・十三左)

 安慧・難陀等の説を破斥するのに『瑜伽論』等の証を引く。

 『瑜伽論』巻第三十八(大正30・501b)

 「復有四縁。一因縁。二等無間縁。三所縁縁。四増上縁。當知此中若能生因是名因縁。若方便因是増上縁。等無間縁及所縁縁。唯望一切心心法説。由彼一切心及心法前生開導所攝受故。所縁境界所攝受故。方生方轉。是故當知等無間縁及所縁縁。攝受因攝。」(「復た四縁あり、一には因縁、二には等無間縁、三には所縁縁、四には増上縁なり。まさに知るべし此の中若しくは能生因をば是れを因縁と名づけ、若しくは方便因は是れ増上縁なりと。等無間縁及び所縁縁は唯だ一切の心心所に望みて説くのみ。彼の一切の心及び心法は前生の開導に摂受せらるるが故に、所縁の境界に摂受せらるるが故に方に生じ方に転ず、是の故にまさに知るべし等無間縁及び所縁縁は摂受因の摂なりと。」)

 また『無性摂論』巻第一(大正31・384c)

 「心及心法四縁定故。」(心及び心法は四縁定まるが故に。」)

 と。これらの証拠によって、等無間縁はただすべての心・心所に対してのみ説くのであって、これによって色等はすべて等無間縁として立ててはならない、と述べられています。