さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
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拳闘見聞の日々。

「強さ」こそが絶対的な価値だった 帝王マービン・ハグラー死す

2021-03-18 04:42:58 | 海外ボクシング



日曜日、DAZNの中継を見ている途中、ネットで訃報を知りました。
元世界ミドル級チャンピオン、マービン・ハグラー死す。享年66歳。
今の常識で言えば、早過ぎる、と惜しまれる年齢でしょうね。

この選手については、昨年、マガジンのオールタイムベスト企画に便乗して、各階級のグレートについて書いたとき、ミドル級のところで、それこそ拳聖シュガー・レイそっちのけで、思うところはほぼ全て書きました。参照くだされば幸いです。
まあしかし、ちょっとだけ付け足しというか、手短に。




昔、高齢の友人に「昔の世界チャンピオンは、挑戦するまでが大変だった。良い選手でも、そこに辿り着く前に全盛期を過ぎていたこともよくあった」と言われたことがあります。
例えば小林弘は、世界獲ったときはもう「落ちていた」。日本チャンピオンだった頃の方が強かった。世界王座6度防衛は、あくまで巧さと経験で勝ち取ったものだ、とその友人は言いました。


昔日の世界タイトルとは、概ね、そのようなものだったのかもしれません。
それこそシュガー・レイ・ロビンソンなど、ウェルターで1度、ミドル級で5度、世界王座に就いていますが(州認定、とかいうのは除いて)、確か最初の戴冠までに75戦ほど要しています。
時代が違うとはいえ、軽量級のアルファベット・タイトルで最短記録を追い回すどこやらの国からすれば、その天空高き世界を仰ぎ見るしかないですが、それはさておき、当然のこと、そのような高みに片手をかけるまでの道程自体が、想像を絶する困難であったのは確かでしょう。


しかし、そういう時代もやがて変わります。
アリの後継を期待された金メダリストであり、メディア映えする風貌とキャラクター設定を持ち、TVネットワークの後援を受け、その背景からキャリア構築の全てを、自ら主導権を握って行い、世界王座に駆け上がった新時代のスターボクサー、シュガー・レイ・レナードによって。

ジョー・フレイジャーがモハメド・アリに憎しみを抱いたのと、似たところも違ったところもありますが、ハグラーは長年に渡り、レナードに対し、或いはレナードの「有り様」に対し、心中に怒りを貯め込んでいた、といいます。
しかし、そのレナードに敗れた試合を最後に、ハグラーはグローブを壁に吊しました。
そして、ボクシング界は、ハグラー的な「最強」を尊ぶ価値観を捨て、レナード的な「ビジネス最優先」の価値観に靡きました。
それが増幅され続けた「結果」が、我々が見ている、今日のボクシングである。乱暴に、大まかにですが、そう言って差し支えないでしょう。


「強さ」が絶対的な価値として通じた時代の最後を生き、その時代と共に去ったハグラーの姿は、しかし今なお、失われることのない尊厳と共に、ファンの記憶に鮮やかです。
人々がボクシングに求める「最強」を争う崇高さ、そしてそれに附随する、美しくも残酷な宿命を、かなう限り回避せんとする、スター選手とプロモーターの「専横」が目に余る時代にあって、ハグラーの名は、それそのものが強烈なアンチテーゼである、と思うほどに。


その名は、その姿は、死してなお、改めて、ボクシングの尊厳を示すものとして、語り継がれる。そう信じます。
帝王マービン・ハグラーのご冥福を。



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ということで、一曲。
thee michelle gun elephant「世界の終わり」。
奥田民生によるカバーです。






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