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第24回<東京の夏>音楽祭2008森の響き・砂漠の声。その特別公演<アマゾンのインディオ、サハラ砂漠の遊牧民~世界の果ての音を聴く>と題された『アマゾン・カラジャ族の儀礼音楽&サハラ・トゥアレグ族の歌』を武蔵野文化会館で聴く。
曲目:サハラ砂漠の遊牧民、トゥアレグの音楽家たちによる伝統音楽、アマゾンのインディオ、カラジャ族の人々による伝統の音楽と儀式
出演:アルジェリア・サハラ砂漠のトゥアレグ族の音楽家たち、アマゾンのインディオ、カラジャ族の人々
これは、何というか・・・音楽会というよりは、音楽が重要な要素であることは間違いないのだが、でもそれは一つの要素である、といった感じ。音楽会を聴くというよりは、文化人類学の音楽・踊り付きの公演を聴いた、とでも言ったら一番近いだろうか。
そういえば、バスを降りたらその広場が提灯に輝き、賑やかに♪~月が出た出た、月がぁ、出た~♪と「炭坑節」が流れ、多くの人が盆踊りに興じているのが妙に気になって会場に入ったのだった。
そして、始まったこの公演で、その盆踊りとのその底の底で共通しているように感じた過去そして現在、未来への「祈り」「感謝」をひしひしと感じていた。突き詰めていったその向こうに残るもの、もし残る何かがあるとしたなら、それは色々なものがすっかりそぎ落とされ、この上なく単純なものなのではなかろうかとカラジャ族の踊りと音楽とを聴きながら考えていた。そして、翻って音楽そのものについて、自分の中に内包し続けているある一点についても、改めて突きつけられ、考えさせられていた私。いやぁ~、濃い一夜だった!
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