非国民通信

ノーモア・コイズミ

本屋と人権意識

2014-08-27 22:52:39 | 社会

 人権教育、というと一般には学習者すなわち学校に通う生徒を対象にしたものを指す場合が多いようですが、企業研修のカリキュラムの中に含まれている場合もあります。テンプレ的なものを繰り返しているだけみたいなケースもあれば、担当者が露骨にやる気がなくて「やらなきゃいけないことになってるから一応やってます」という態度を隠せていない会社にも遭遇したことがありますけれど、まぁ世間体を重んじる企業として「人権を尊重しています」という題目を掲げている企業は珍しくありません。実態はさておき、従業員に向けて「差別はいけません」と伝えてはいるわけです。

 いわゆる大企業、要するに有名税的なものを支払わざるを得ない企業は総じて、悪い意味で目立ってしまうことを恐れるものです。だからこそ綺麗事を並べて上辺を取り繕うものですし、社員にもそれを求めると言えます。内実はともあれ、表向きだけであろうとも悪いことではありません。内心がどうあろうとも差別的な態度や言動を表に出さないことは、善良な市民であることの必須条件ですから。頭の中で何を考えようとも、表向きは差別に否定的な姿勢を取る、それは常識ある振る舞いと認められるべきものでしょう。

 一方で、それなりに名の知れている会社でも差別に否定的ではない、むしろヘイトスピーチに協力的であるとすら言える企業もまたあります。出版社や、書店がそうですね。今や大手出版社の多くはレイシストがお得意様、ヘイトスピーチ盛りだくさんの雑誌や書籍を盛んに出版していますし、大半の書店はそうした本を特設コーナーに平積みして積極的に売り出しているわけです。差別の拡大に積極的に関与しているとすら言える出版社や書店チェーンの人権教育はどうなっているのか、幾分か興味深いところでもあります。

 まぁ昔から売れ筋の本に良書はないと言いますか、似非科学や陰謀論のオカルト本、ゴーストライターの書いた芸能人やスポーツ選手の本、売る側がゴリ押しする作られたベストセラーこそが書店の棚を賑わしてきたものですけれど、本を作る、売る側にも最低限の良心は期待したいところです。悪趣味本もあってしかるべき、アングラ文化もまた無価値ではありませんが、ヘイトスピーチ本がメインストリームに躍り出て書店の最も目立つ場所に積み上げられる有様は、流石に問題があるのではないでしょうか。ポルノ本なんかよりも先に有害図書指定されるべきものがあるように思います。

 名のある出版社が自社の看板雑誌で当たり前のようにヘイトスピーチを連呼する、それが電車の中で大々的に広告され、書店も憚ることなく大売り出し、そういう状況がレイシストに自信を与えているところは少なくないでしょう。イジメの加害者は教師に黙認されることで、自分たちの行為は許されていると確信するものです。レイシスト達もまた、昨今の出版業界、書店業界の振る舞いによって大いに勇気づけられているのではないでしょうかね。自分たちの発言は、表に出してもよいものだと感じているわけです。

 出版業界も、色々な面で岐路に立っているのかも知れません。電子書籍が普及するには相当な時間がかかりそうに思われるところですけれど、電子書籍など存在せずとも書籍全体の市場規模は縮小が続く、amazonなどの海外資本とも争わなければならないとあっては「今まで」通りではいられないのでしょう。従来の再販制度にも功罪両面あって一概に無くすべきとも堅持すべきとも言いがたいわけですが、現状維持は救援の当てのない籠城のようなもの、生き残りのためには何らかの策を考えなければならないのかも知れません。そこで出てきた結論がレイシストへの迎合であったなら、悲しい限りですが。 

 

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コメント (3)
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