美少女キャラの“非処女発覚”にファン暴走! (ZAKZAK)
アニメファンに人気の美少女キャラクターが処女ではなかったことに怒ったファンが原作漫画の女性作者に抗議し、漫画の連載が無期限休止に追い込まれた可能性が高いことが分かった。今回の“非処女発覚”には多くのファンが衝撃を受けているが、中には「実力行使」で抗議する者もおり、ネットなどで騒ぎになっている。
(中略)
問題のシーンは先月9日発売の12月号に掲載。主人公の高校生に思わせぶりな態度を示してきた「ナギ」に、実はイケメンの恋人がいたことが発覚。不純な関係を思わせる劇中の描写から「非処女だった!」と騒ぎになった。
怒りが頂点に達したファンの1人は先月15日、巨大掲示板「2ちゃんねる」に、原作コミックス全5巻分をビリビリに破った写真をアップ。さらに今月5日夜、その実物を作者の実家に送りつけた、と書き込んだ。
男性と付き合ったらファンから非難が殺到してボイコット運動を起こされたり解雇されたアイドルもいました。最近では交際を報道された卓球の福原愛選手が謝罪に追い込まれました(参考)。フランスのイスラム教社会では、処女でなかったという理由で結婚の無効を申し立てられ、裁判所にも認められてしまったケースもあります。あるエロゲーのヒロインが処女ではなかったということで、叩き割ったゲームディスクと脅迫状をメーカーに送りつけた人を紹介しましたが、新たな事例が追加されました。アニメ/漫画のヒロインが処女でなかったというだけで抗議が殺到するのが日本文化です。
そんな奴はごく一部だけ、騒いでいるから大きく見えるかも知れないけれど、実際はごく一部の痛い子だけ、そう思う人もいるでしょう。しかし、昨今の国籍法改正を巡る言動を見てください。一部の被害妄想家が騒ぎ立てたネット上の妄言に過ぎないものを国会議員が本気で取り合おうとするに至ったわけです。田中康夫や川田龍平がそうですが、どうやら連日送りつけられるメールやFAXに恐れをなしてレイシストに迎合している模様、まぁ彼らの「商売」が人気取りを最優先するものであるなら、勢いのあるところに媚びるものなのかも知れませんが…… なにはともあれ、一部の痛い子の意見であっても、影響力を持ちうる、大きなものを動かすことがある、それを認めねばなりません。「○○が処女でないと認めない」という一部の狂信的な声が、現実に圧力をかける、作品に修正を強いることは今後も起こりうる話です。
ところで、こうした女性観をどう思いますか? (自分以外の)異性との付き合いを許さない、処女でないと認めない、イスラム社会の中でも閉鎖的な地域では当たり前のことなのかも知れませんが…… 日本より強姦の立件件数が少ない国は軒並みイスラム教国です。強姦は誘惑した女性の罪、と考える社会では強姦が刑事事件として記録される件数は極度に少なくなります。そして「女性にも落ち度があったのではないか」と公然と口にされる社会でも、強姦件数は著しく低い値が出てくるのですが、どうなんでしょう。日本の性道徳が乱れている云々と語られることも珍しくありませんが、むしろイスラム原理主義化している、ぐらいに言った方が適切にすら感じます。
とりわけ、新しいメディアの方が性的な閉鎖性は強いです。一口に性風俗、ポルノといっても、昔からあるものの方が開放的、新しいものの方が保守的な傾向が強いです(参考、AVとエロゲーの比較)。とりわけアニメやエロゲーがそう、極めて処女性が尊ばれます。特定の男性(=購買層が自分を重ね合わせられる対象)の管理下に、女性の性が置かれていることが多数派の支持を得るための絶対の条件であり、冒頭で述べたように、この決まり事を犯すと抗議が殺到する、そして声高な要求に日和った制作/販売元は路線転換に走るのが現状です。
で、「権力」はアニメやエロゲーに否定的です。センセーショナルな犯罪の容疑者がこうしたものを保有していた場合、必ずクローズアップされますし、規制の対象として槍玉に上げられがちなものでもあります。しかし、こうした「権力」――旧態依然とした性道徳観を持ち、夫唱婦随、昔ながらの家父長制モデルを美化してやまない人々――と、アニメ/エロゲー購買層の性道徳観(とりわけ、女性に対する)は、その閉鎖性という面では一致しているわけです。むしろ私のような極左開放路線の立場から、「保守的な性観念をまき散らすアニメ/エロゲーを規制せよ」と主張するなら目的に適っています。しかし、保守的な性道徳観を堅持させようと躍起になっているはずの人々が、(それが結果的なものかも知れないにせよ)超保守的な性道徳観を養う上で絶大な貢献をしているアニメ/エロゲーを規制しようと取り組む姿は、まぁ内ゲバみたいなものなのでしょうか。本人達に自覚はないと思いますけれど。
http://virgindb.g.ribbon.to/index.php?%A4%A2%B9%D4%2F%A4%A4%2F%C0%EF%BD%F7%BF%C0ZERO
おわった(いろんな意味で)…もはや何もいうことはない。
http://0dt.org/000447.html
という記事を先ほど見つけました。よかったら、ご感想をどうぞ。
ちなみにネタ元は以下のページ。
「本田透さんの黒歴史」
http://0dt.org/000069.html
それにしても、上記ネタ元にある、腐女子による侵出…もとい侵略という記事にはびっくりです(http://0dt.org/000107.html)。『とらのあな』も、よくよく運のない漢(おとこ)だ。
…いや、まだだ。たかが池袋支店をやられただけだ!
……はっ!
貝枝「いま、読者が言った。ブログはオタクがあおりあう道具ではないって」
鱶町「いまという時代では、ひとはブログをネタをうpする道具にしか使えん。ブログは炎上する運命なのだ」
貝枝「きさまだって、ネタだろうに!」
ちなみにネタ元は以下の4:45~5:00参照。
「あおりあい宇宙」
http://www.youtube.com/watch?v=4EWeJ7OQGCM&feature=related
その結論部は以下のとおり。
処女かビッチ、どちらかを選べと迫る世界では、筆者のような凡庸な嗜好の持ち主は生きにくくなりつつあすようだ。さて、相手もいないし、オナニーでもして寝るか!
要するに、『サイゾー』の記事で「処女厨」とよばれているひとびとは、『一騎当千』でいうところの呂蒙さんはみとめるが呂布さんはみとめない、という精神構造ですな。それでは描写できる物語の幅がせますぎるってば。
上記の『一騎当千』論について、賛否をとわずご意見をかいてくださるかたがいらしたらさいわいです。
出版社にしてみれば、事を荒立てたくない、問題のあるファンであっても「お客様」である以上は「お前らのせいだ!」などとは口が裂けても言えない、スキャンダルのイメージをつけたくない、嘘を吐く動機はいくらでもあります。真偽はさておき、第三者の見解よりも主催者発表の方を信用しようとするところには、都合の良い方を信じたいという欲望が感じられますし、仮に主催者発表が正しいとしても、ファンの暴走、ファンの質の低さを誤魔化すことは出来ないでしょう?
さて、「疑われている本人がやっていないと言ってもそれを信じられない」ことが多いのはそのとおりです。
ですが今回の場合、問題があったとされるのはファン(?)の方であって、出版社側にはそれを否定しなければならない強い理由(庇ってやる義理)があるようには思えません。
よって今のところ「私」は出版社の言い分を信用しています。
#貼ったつもりのURLが無いので、さらに間抜けコメントになってますね。前のやつ。
なんですか、痛い子たちの仕業ではないと、そう見せかけたいんですかね? そりゃアイドル事務所も出版社も大人ですから、本当のことは口にしませんよ。痛い子の側からすれば、主催者発表を楯に「俺たちのせいじゃない」と強弁したいのかも知れませんが。
<http://www.ichijinsha.co.jp/information/index.html>
ちょっと不案内だったかも知れません。まぁパッケージに明記してあるケースも数例ありますが、私が念頭に置いていたのは開発元の製品紹介ページの方でした。開発者ブログなんかで宣言されているケースが多いかな、と。
そこは中古専門のお店であったようで、そのせいか管理人様の言うような「主人公以外とのHシーンはありません」といった表示は見つけることができませんでしたが、主人公以外の男性が出ていそうなものはほとんどなかったですね。何か自分と「選択肢」としての女子だけないように感じました。やってない私がそこまで言うとあれですが。
あと、色々チェックして思ったのは、数多くあるエロゲーから自分で好みの女子やシチュエーションを選ぶという行為そのものが「主体的に管理されたがる女子を管理下におく」行為が好きなユーザーにはたまらないのかなぁと。「男と結ばれるために存在する女子を男が選ぶ」と考えると、なるほど確かに保守的なものとの相性は完璧だなと思います。
ほぼチラシの裏の長文失礼しました。
以前、批判的にとりあげたマンガ(http://harana.blog21.fc2.com/?mode=m&no=235&m2=res)の『天上天下』(大暮維人・集英社)には、ヒロイン(?)の女性が、はだかをみられた相手と結婚しなければならない、という家訓をせおわされた一族である、というネタがありました。ただ、拙文や管理人さんの評価にある様に、マンガ→アニメ→ゲームという風に、あたらしいメディアほど保守的であるという傾向は多分ただしいとおもいます。あくまで、マンガにおいて特に保守的な作者の作品である、という事例として、マンガの一般的な傾向とは合致しないであろうことをふまえつつ、ご紹介いたします。(もっとも、逆に『一騎当千』(塩崎雄二・ワニブックス)が革新的すぎることもみとめますが…)
いまだに「愛ちゃん」あって「福原選手」ではないですからね。大人として自分達に肩を並べられるよりも、あくまで「可愛がる側/可愛がられる側」というような関係の継続が求められているような気もします。その人の意思を尊重するより、思い通りにコントロールしたがる欲望が、とりわけ女性のアイドルに対しては強いようです。
福原愛もいい年なんだし、恋の話があるほうが自然だと思うのですが、それで謝罪をするとは恐れ入ります。
エロゲーなどの話はよく分からないのですが、姿を見られてしまったことさえも女性の落ち度になるなど、千年前に書かれた源氏物語の時代から何も変わっていないということでしょう。
そう考えると、価値観が似ているからなのか、イスラム国は親日的な国が多いように感じますが、逆は成立していないというところが不思議ですね。
いや、相反するものを支持してしまうのがトレンドならば、むしろ自然なんでしょうか。
まあ、全部創作というのはたいへんなので、実は見かけだけは、お気に入りのアニメキャラから引っ張ってくるということもありました。名前も変えて、自分なりの設定を勝手に付け加え、自分だけのキャラに仕立てて行くのです。
でもそんな遊びも、ある時、現実の恋人が出来てからは馬鹿馬鹿しくて二度とやる気が起こらなくなりました。そしてわかったのは、現実の相手はけして自分の思い通りになどならないということ。裏切られて辛い思いもしましたが、今となれば、そんなこともあってこその人生かと。
ただ、やはり競争を勝ち抜いたプロの農家の作る野菜のほうが品質は上なわけです。それはどうしようもないです。それに私の場合は与えられた課題というか世界観(例えば「学園物に出てくるキャラを作れ」とか)がないとキャラが作れない、つまり無から有を生めないという弱点もあるわけで、それがプロと所詮はアマチュア(しかも底辺)である私との差です。
実はエロゲー業界では、既にその傾向は見られるのですよ。「主人公(男)以外とのHシーンは一切ありません」と、予め明言しておくケースが多いですね。ユーザーが自分を重ね合わせる対象の男以外のセックスはタブー視される世界ですから、あらかじめ「安全宣言」を出しておくことがファンへのアピールになる業界なのです。昔は前衛的なエロを創り出していた制作会社も、ファンの声に恐れをなして徐々に保守的なエロに走るなど、失望させられることの多い世界でもあります。
>あぐりこらさん
「どう見ても片思い」のエントリでも書きましたが、ウヨとオタを両立している人にとって規制を推進しているのは麻生らではなく、フェミニストだったり、仮想敵と戦うことにしか関心がないのですよね。フィクションと現実の区別が付いてないぞ?と。
>ふみたけさん
ただ初めはネタであったものが、次第に「常識」のごときもノにすり替わっていく危険性があるような気もします。今ネット上で蔓延っている中国や韓国に対するヘイトスピーチも、元は「ネタ」として笑いの対象だった、しかるに、その「ネタ」が繰り返される内に「習慣」となり、いつのまにか「常識」として定着してしまったようにも思われるのです。
>貝枝五郎さん
そうなんですよね、媒体が新しくなるほど保守的な傾向が強まる。小説がゲーム化されるとシチュエーションがおとなしくなったり、ゲームがアニメ化されるとやや過激化したりと、この理由はよくわからないのですが、色々と残念でもありますね、漫画なら受け容れられるシチュエーションを、ゲームでもやって欲しいと思うことが多いですので。
>BR-Sさん
概ね、男主人公にとっての「都合の良さ」がポイントですよね。特に「主人公一人のもの」となるためには、「内向的=主人公以外との関わりが薄い」ことの重要性は増しているでしょうか。ファンの理想を体現、といえば聞こえはいいですが、創作としてはおもしろみがない。ただ仰るように「自分の好みを作者側に押し付けたがる傾向」が強くて、作家側もそれに対応しようとする傾向が高まっているのかもしれません。
>GXさん
同人誌は読んだことがあるのに原作は未読、未プレイ作品が続くなぁ、というのはさておき、場合によっては「被処女疑惑」も受け容れられるのでしょうか。ファン層の違いなどでしょうかね? ちなみに国籍法改正、最初は少数派だったと思うのですが、随分と勢力を増してしまったようです。大手メディアや政治家、有識者がデマを無視していれば話は違ったのでしょうけれど、デマにも迎合する人が相継いだ結果が、このザマです。
>焚火派GALゲー戦線さん
私の好きな同人作家でもそうなのですが、ファンが増えてくるとどうしても「痛い子」も増えてきて、自由にモノが描けなくなっていく傾向が見られますね。今まで前衛的なエロを描いてきたのに、新しく増えたファンはそれを望まない人ばかりで、次第に大人しいシチュエーションに縛られていくような……
>kurosukeさん
気に入らないなら自分で作る、そう奮い立てるような創造性があればいいのですけれどねー。何でもコピペで済ませちゃうような人には、自分の世界観にそぐうものが与えられていないと気が済まないのかも知れません。
「ヒロインの1人である松原葵」の格闘技のライバルにして先輩である坂下女史をいじって(彼女は葵に同性愛的欲望を強く持ち、主人公に彼女を渡したくないという心理が抑えられなくなったという設定)の作品が印象に残っています。 「勝った方が葵をものにする」として、主人公に勝負を挑みます。 「格闘技は素人だ。」という主人公に「公平に口げんか」でということでお互いが「自分が抱く葵への性的欲望の純粋さと、相手が葵に抱いている性的欲望の不純さ」を訴えあい、2人して葵に嫌われるのだが、戦い終わった2人の間には友情が芽生えたというバカ話でなかなか秀逸でした。
一迅社に育てられてようやく、稼げるようになったのに、こんなことが原因で消えてしまうのは何とも残念。
「テイルズオブファンタジア」というRPG作品のキャラクターの一人である「アーチェ・クライン」も今回のような「彼氏がいた」という理由で「非処女疑惑」が浮上していますが、同作品のヒロインよりも人気投票の順位は上でした。他にも「魔法先生ネギま!」の「柿崎美砂」というキャラクターは「彼氏持ち」が発覚してから、写真が貼られた掲示板で大人気となったはずなんですが、この違いはどこから来るのでしょうね。
あと、国籍改正に反対しているような人々って少数派なんですかね。というのも、YAHOOのニュースのコメントとか、保守的な方々のブログとか、私が世間で会う人とかの多さを見ると我々の方が少数派に思えてしまいまして・・・。これらは大勢に見せかけているだけという噂もありますし、少数派であって欲しいのですが・・・。まあ、大人数=正しいというわけでは必ずしもありませんし、そうであっても私は非国民さんたち側でいたいと思います。
という話は別に漫画でも珍しくないと思うのですが、今回問題になった漫画のヒロインは人間ではなく、神社の御神木から生まれた「女神様」ある事が理由の一つであるのは間違いないでしょうね。
こういうニッチな妄想を埋め合わせるために二次創作活動があるんじゃないのか、と言いたくなるのですが、とかく最近は自分の好みを作者側に押し付けたがる傾向が強くなってきている気がします。
そんな風潮に媚びたのか、最近のこの手の漫画の主人公はどいつもこいつも同一人物みたいに画一的になりました。
具体的には
・黒髪である
・眼鏡をかけている事が多い
・内向的な性格である
・アニメやゲームに造詣が深い
・かわいい妹、もしくは幼なじみがいる
・とにかく「心優しい、いい人」ではある
・自分から行動を起こすことが無い。常に受け身
といった具合です。
その点、この手の漫画の始祖である「きまぐれオレンジロード」は主人公が超能力者、ヒロインが不良だけどただの女子高生である事が独創的かつ妄想の余地が大きい名作でした(古い話を持ち出して失礼しました)。
いや、わたしもエロゲーをプレーしなくもないですし、アニメをみなくもないんですが、紙媒体のマンガに親近感を感じるので、ヲタとしてはオールドタイプな方だとおもうのですが、その貝枝からみると、たとえばわたしがこれまで好意的にとりあげた作品である『一騎当千』(塩崎雄二・ワニブックス)など、性に対する開放度では対極的な呂布と呂蒙をお約束キャラの両極として、天然ボケという点においてお約束キャラの孫策、それ以外の分類にあたるであろう関羽・陳宮・劉備といった、キャラがたっている人物が登場するおかげで物語としての広さや深さが生じているように感じるのですが…
特に『一騎当千オフィシャルアンソロジー』のなかでも貝枝的には一番おもしろいと感じる「秘孔?」(110ページ)と、二番目におもしろいと感じる「捨てられない女」(109ページ)をはじめ、キャラがたっていないと成立しない展開があってこそ物語としておもしろいのだとおもうんですよ。そして、その「キャラがたっている」という状態を構成する一要素として「処女か非処女か」という対立があるのであって「登場キャラが全員処女でないとならない」という制約条件でえがける物語など、必然的にはばがせばまりすぎる様な直感があります。
なので「そんな制約条件下の物語しかうけつけない」という心性は、よくわからないのですよ、おなじヲタであっても。なぜなんでしょうね?やはり、紙媒体のマンガ→アニメ→ゲームという風に、あとからできたメディアほど保守的である、という管理人さんの指摘に尽きるのでしょうか。いずれにしても、よくわからない心性です。
騒ぎの中にいる連中から言わせれば、ネタ=本気でないと称して、あくまで『笑い』やウケを取ってるだけというのが連中の言い分だったかと思います。
もっとも、狂信に走ってる頭の可哀想な人もいたりはするのですが。
事情は何にせよ、正直ナチス政権下であった『退廃芸術』運動のそれに近いなと思いますし、ネタであれ本気であれ正直ウザいという印象しかありません。
ネットゲームによくいる手合いで、ゲーム内外で不満や文句を四六時中言い放つけど、実際にはゲーム依存してるのがいますが、動機は好きが高じて道を違えたにせよ、連中の行動は純粋に愛着のある人間から言わせると邪魔だしウザい印象しかないです。
今回のお話に関しては騒ぎを起こした連中の『幼稚性』、ネタと称してもそれで笑いや関心が持てると考える発想含め、いい加減にしろとしか言いようがないです。
お話の『かんなぎ』については、一部ファンの威圧行動は関係無いと言う関係筋の話もあるようですが、実際のとこどうでしょうね。
一方のオタクの方はというと、表現規制に反対なのに麻生みたいな規制推進派の権力者を支持してやまないのですから、何とも度し難いことです。
>一部の痛い子の意見であっても、影響力を持ちうる、大きなものを動かすことがある、それを認めねばなりません。
それどころか痛い意見がその痛さゆえにありふれた意見より「ネタ」の体裁で広まっていくような気がします。20世紀のノストラダムスの大予言のように。そして最初は「ネタ」だったものがある点を境に「ガチ」に変わることがあり得る気がするのです。今回の国籍法のデマのように。
田母神元幕僚長の発言がそのようなことにならないといいのですが…
私は原作は読んだことがありませんが、該当作のエロ同人誌なら何冊か……というのはさておき、「声がでかいやつ」が勝利したかのごとき結果になってしまいました。国籍法改正の件を例に挙げましたが、最初に騒いでいるのは一部であっても、それが波及するケースも少なくないですし、それが波及するのは、それを受け容れる素地があるからこそ、という気もします。むしろファンが自由な表現を抑え込もうとする傾向も、色々と目立ってくるような気がします。
しかしこれに限らず「結局声がでかいやつが勝つ」というのは何だかなあ、という気がします。真相はどうあれ「声がでかいやつ」がいたからこうしてマスコミ(いわゆる保守系なのが何とも)にも取り上げられたわけですからね。