非国民通信

ノーモア・コイズミ

携帯の価値

2008-12-11 23:10:05 | ニュース

小中学校内へのケータイ持ち込み、大阪府の約7割の保護者が「禁止」支持 (マイコミジャーナル)

モバイルリサーチを展開するネットエイジアは10日、小中学生の子どもを持つ大阪府の保護者を対象に行った『「小中学生のケータイ所有」に関する保護者の意識調査』の結果を発表した。これによると、小中学校へのケータイの持ち込みの原則禁止について、72.2%の保護者が「賛成」と回答。約7割の保護者が禁止を支持していることことが分かった。

調査は、大阪府在住で公立の小学校・中学校に通う子供を持つ22歳~59歳の保護者を対象に、携帯電話によるインターネットリサーチで12月5日~7日に実施。270人から回答を得た。

大阪府では、橋下徹知事が、政令市を除く公立の小中学校へのケータイの持ち込みを原則禁止する方針を打ち出したが、調査では「このことについてどう思うか? 」と単一回答形式で質問。

全体で72.2%の保護者が原則禁止の方針に「賛成」と回答した。

また、この回答に関して子どもの携帯電話所有別に詳しく見ると、携帯電話を所有している子供を持つ保護者は60.7%が「賛成」と回答。これに対し、非所有の子供を持つ保護者では81.0%が「賛成」と回答し、子どもが携帯電話を所有しているか否かで、20.3ポイントもの開きがみられた。

 携帯禁止は政府与党筋の長年の取り組みでもあって決して橋下知事のオリジナルではありませんが、人気者が煽ったせいか議論が再燃しつつあるようです。それに対する世論調査も多々あるようですが、一番アテにならないのはこれです。携帯電話に関する意識調査を、携帯電話上で行ったという代物、まるでインターネットの利用率をインターネット上で調べるようなマヌケぶりです。

 さて、もうちょっとアテになりそうなのはこちら。

小中生携帯不所持に9割賛成(新潟日報)

 妙高市内の小中学生に原則として携帯電話を持たせないよう求める提言を検討している「児童生徒の携帯電話所持・使用に関する検討委員会」は9日、全保護者を対象に行ったアンケートの結果をまとめた。提言内容に「賛成」と答えた保護者は94%に上った。検討委は今月中に、市教委だよりを通じて保護者に原則不所持を提言する方針。

 検討委は市教育委員会、同市の校長会、PTA代表らで構成。アンケートは今月、市内の小学校12校、中学校4校の全保護者2464人を対象に実施し、2085人が回答した(回収率84・6%)。

 提言に「賛成」が1959人、「反対」が126人だった。市教委の調査では、市内の小学生の5・3%、中学生の21・5%が携帯電話を所持している。

(中略)

 濁川明男同市教育長は「携帯電話の利便性に潜む危険性について、保護者が真剣に考えてもらった結果だと思う」と話している。

 基本的に、親は子供の自由を嫌います。自分の目の届かないところで、子供が「子供らしくない」行動に出ることを恐れます。子供のためなら金に糸目をつけないような両親でも、子供にお小遣いを与えるとなれば話は別でしょう? 子供のために使う金は惜しくないけれど、そのお金が子供の自由になることは好ましくないと考える、そういうものです。だから携帯電話の所持には反対派が圧倒的多数であるにもかかわらず、「子供の安全のため」「居場所を把握するため」という理由では携帯電話の所持が肯定されるわけです。 たとえば、河村官房長官の発言を見てください。携帯の禁止に賛意を示しつつ「居場所を確認できる」と携帯電話の価値を評価しています。

携帯の小中校持ち込み禁止 河村・鳩山氏が賛意(産経新聞)

 河村建夫官房長官は5日午前の記者会見で、大阪府の橋下徹知事が公立小中学校の携帯電話持ち込みを原則禁止とする方針を示したことについて「携帯電話を持っていると気が散るし、子供が勉強に集中する上でもいいことだ。橋下知事の判断に賛意を示したい」と述べ、支持を表明した。

 その上で「親にしてみれば子供が携帯電話を持っていることで、居場所を確認できるなどの安心感もある。子供の登下校の安全対策は必要だ」と述べ、別途安全対策を検討すべきだとの考えを示した。

 「居場所が把握できる」=「子供を監視できる」という点で、携帯は価値を認められているようです。では逆に、携帯の何が非難に晒されているのでしょうか。

 鳩山邦夫総務相も記者会見で「教育現場から携帯電話を追放するのは実に正しい。遅きに失したと言っていい」と賛意を示した。さらに「言うべきでないこともメールだと書ける。会話能力がおかしくなる。携帯電話は便利だが、人間性を失わせる側面を強く持っていることは疑いようのない事実だ」と述べた。総務省は携帯電話の関係する法令を所管している。

 この人の言う「疑いようのない事実」とは往々にして根拠のない妄想を指します。「言うべきでないこともメールだと書ける」と述べてはいますが、メールなど使わずとも「言うべきでないこと」を堂々と発信できることは、鳩山氏を始めとする麻生内閣の閣僚達が証明しています。どう見ても携帯電話以前の問題です。

 それはさておき新潟の教育長は「利便性に潜む危険性」と、ハトは「便利だが、人間性を失わせる」と語ります。便利なことは危険なこと、便利さは人間性を失わせると、そう言いたいのでしょうね。そうした思いこみは、監視し支配しようとする側だけではなく、国民の側にもありますから、受け容れられやすいものでもあります。便利さや物質的な豊かさが、人間性や精神的な豊かさを損ねる、そうした信仰は幅広く共有されていますよね。

 この辺は、例えば育児なら紙オムツより布オムツが、粉ミルクより母乳が奨励されるのと同じ発想です。できるだけ負担の重い方、不便な方を美化するのが通例であり、負担の軽い方、便利な方を選択するのは悪しき行為として糾弾されてきました。携帯電話もそうでしょうか、監視のツールとしては存在意義を認められつつも「便利」であることが非難の旗印として掲げられているわけです。便利は悪、不便は善、人間性だの精神的な豊かさだの、そうした美名の元に不合理と不便、できるだけ人間に負荷が掛かる方向性を追い求めてきたのが現代の日本社会です。ならばその対極を志向すること、徹底して楽な道を選ぶこと、便利なものは躊躇なく利用することがカウンターアクションとして有効になるような気がしますね。

 

 ←楽な方を選びましょう


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17 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-12-11 23:42:45
あるいは分からない物に対する恐れのようなものもあるのでしょうね。映画やラジオが普及するときも同じようなことがあったのでしょうか。ただ、新技術に対する道徳のようなものは時間をかけて少しずつ作っていくしかないのではないかという気もします。携帯電話使用者は道徳が退廃しているのではなくまだ発展途上なだけなのではないでしょうか。例えば昔は「交通戦争」などと言われて交通事故の死者数がやたらと多かったですが今は大分減っているわけですし。

後は…他人を規制するのが好きであるとか。1980年代は「校則がきつすぎる!」という主張が一部でなされていたことを思い出します。他人を自分勝手なことばかりするろくでなし、と思うのなら他人に対する「禁止」に喝采を送れますし、携帯電話を「禁止対象」「監視ツール」という観点で規定できるのかな、と。ただしいざ自分が「禁止」される段になると…。

それから、苦しい道を選びたがるのは「後でいい結果を得る、楽をするため」という理由が付くのならまだわかる気がしますです。しかし苦しい思いをするのはあくまで果実を得るためで、苦しい思いをするために苦しい思いをするのではないはずですが。
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論理なんてくそくらえ (観潮楼)
2008-12-11 23:42:55
ま、河村・鳩山両氏は文教族ですが、
この集団の特徴は『精神論偏重』の体質です。
発言はもろに特徴が出てますね。
仮にも議員であるなら、もっとデータを示して論理的にやるべき問題ですが、
これじゃムードに流されて、杓子定規な規制論に押し切られてしまいますね。
いくら小学生から取り上げても、その先はどこかで携帯に触れる機会に遭遇するわけですし、
その前提でどう使うかを教えるのが賢明では。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-12-11 23:55:59
>ノエルザブレイヴさん

 その昔には「野球害悪論」とか、読書の危険性を説く有識者なんかもいたそうですから、新しいものに対する偏見、普及度の差でしょうかね。餅と蒟蒻ゼリー、煙草と大麻の関係のように、新しいものは排除されがちです。

 そして手段が目的化していると言いますか、結果のために労を厭わない、のではなく、苦労することそのものが重視され、苦労したからには結果が出たはずだ、結果が出ていないからには苦労が足りなかったからだ、とばかりの結論ありきの論調もありますよね。

>観潮楼さん

 何ともスピリチュアルな時代と呼ぶべきか、データを示すよりも印象論が幅を利かせている訳ですよね。何となく携帯は悪いもの、そんなイメージがある中で、そのイメージに流されるまま、あるいは流れを利用する形で規制が進められているようです。
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徹の夢よ散れ (慎太郎の夢は終わった)
2008-12-12 03:28:28
ぼくの父は長距離のトラック運転手をしています。ぼくの母は、父が仕事に出ると居場所を把握(監視)するために いつも携帯電話と、にらめっこしています。そして毎晩、携帯で出先の父と長電話をしています。そんな母も ぼくが女の子と携帯で話をしているのは お気に召さないようで、ぼくの口から女の子の話がでるたびに「携帯なんて持たせるんじゃなかった」とため息をつきます。 そしてそこから携帯の利便性にひそむ闇の部分を説きはじめます。しかし携帯の持つ便利さという光を思いっきり享受している母が何をいったところで これっぽちも説得力を持ちません。そこで母の監視グセを問いただすと「お父さんだって見守られているようで安心するっていってるよ」と言います。 ほんとかなぁ。
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てもとにないんですが、月刊誌『サイゾー』の (貝枝五郎)
2008-12-12 10:37:51
12月号だったとおもいます。ケータイは数年後にはパソコンにとってかわるであろう、という予測がかかれています。ちょうどパソコンがワープロにとってかわった様に。
そうした時代の変化をかんがえると、ケータイ批判のおろかさ・非論理性・夜郎自大な心性は、さながら外性器モロ描き(のみではないが)を芸風(?)とするNEO GNTLE氏のマンガの様に、「かくそうとする意図自体が存在しないのではないか?」とおもえるほどにまるみえで、イタすぎです。
で、その『サイゾー』で、パソコンにとってかわるであろうことを予測しているケータイとは、機能を過剰に付加することで負荷価値もとい付加価値をつけようとしているとおぼしき日本製ではなく、北欧製であろうことも予測されていたと記憶しています。
『サイゾー』がみつからないので記憶をたよりにかいていますので、まちがっていたらすみません。
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ようわからん (TX)
2008-12-12 19:11:04
各々の思惑や論点がバラバラで、「子供の携帯はよくない」という点で一致しているだけで、団結している感じで肝心な部分がボケボケで困る。

まあ、親としては「まわりが皆持っている」と「自分だけ持っていないとイジメに遭う」という”殺し文句”で買わざる得ないところで考えると、全員一致で賛成というのは思惑の一致ですかね。

あとは、学級崩壊の原因の一部として携帯電話があるかも知れません。が、もちろんそれがどの程度の比率で占めているのでしょうか。携帯「電話」とはいっても、今は電話機能が付いている端末のような感じですし。映画館や美術館で電波をシャットアウトする装置をつければいいかなとも思いましたが、そもそも「電話機能」以外には意味がありませんね。
いずれにしても、禁止よりもTPOの教育の方が重要だと思うのですがね、学校も親も。
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いかにも日本らしい (怪人20面相)
2008-12-12 21:56:27
小中学校への携帯持ち込み禁止。
いかにも極右の橋下府知事がやりそうなことです。
権力が自分達に従順な人間を育てあげるには、こういった監視教育は好都合でしょう。
類を持って集う、鳩ぽっぽが、いち早く賛意を表明しました。
国民がこういった権力の締め付けに反対するどころか、拍手喝采するのですから、いかにも現代の日本社会を象徴しているように思います。
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追加して思うこと (ノエルザブレイヴ)
2008-12-12 22:00:48
実は正直なところ、もし私が子持ちで己の子供に携帯電話を持たせるか、ということに関しましては両手を挙げて賛成できないのではないか私は、とも思うわけなのですよ。「まだ使いこなせないんじゃないの?(「高価なおもちゃ」で終わってしまいそうな)」とか「外で電話したいならテレホンカードで充分?」とか「実は携帯電話会社もその辺分かっていてだから監視ツールとしても使えまっせ、とアピールしているんじゃないの?」とか色々と考えてしまいます。まあおもちゃ買い与える時に親が悩むのと一緒のような気がしてその辺の葛藤は別に今の時代とか携帯電話に特異的な話ではないとも思うのですが。それにどうせいつかは触れなくてはならない機械ですから子供が大きくなったら付き合い方その他を考えねばならないでしょうし。
しかし、そういうことを「権力者様のありがたいお言葉」とか「決まり、禁止事項」として聞かされるとなるとちょっと話が変わってくるのですよ。禁止禁止の高圧的な態度やいちいち決まり作って対応しようとする態度を取られると「貴様は民を信用していないのか!」となってプライドが傷つくのです。高圧的の一手しか使えない政治家は下手な政治家だと思います。

>TXさん
>「まわりが皆持っている」と「自分だけ持っていないとイジメに遭う」という”殺し文句”
そのあたりの親と子の攻防戦も結構昔からある気がします。対象がおもちゃか携帯電話かという違いはありますが。
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Unknown (GX)
2008-12-12 22:10:24
 これは何かを禁止し、さらにそれを守らせることで「規律を守れる立派な子」を育てるといった思惑があるのではないでしょうか。まあ、そういうのはたいてい教育者側の自己満足であり、禁止により逆に悪化するなんてことはよくある事例ですが・・・。

 携帯電話は将来使うものでしょうし、TXさんのおっしゃるようなTPOも含めて、使い方を教育してみてはと思うんですよね。私も携帯電話を持っていますが、お世辞にも使いこなしているとは言えない状況なので、そうしてくれるとありがたいと思います。(笑)

 さて、保護者の方々の意見は出ましたが、当の子どもたちの意見はどうなんでしょうね。私がこの子達と同じ立場なら、「まあ、どうせあんまり使わないし、私はいいや。」と思いますが、同時にいい感じはしませんね。ところが、なぜか彼らを叩いているはずの有名人などを若い人々が支持しているという現象を見ると、この禁止令を出された子達も「支持する」と答える子が多そうな気がしてなりません。それを思うと「何で私はこういう『何でも規制』という風潮に待ったをかけているんだろう?」と考えてしまいます。
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携帯=肥後守 (ふみたけ)
2008-12-12 22:50:28
肥後守知ってる人がどれだけいるか不安ですが。(苦笑)
簡単に言うと、携帯ナイフのようなもので丁度私の父の世代だったはずですが、子供が当然のように持っていたものです。
個人的に携帯に限らず、パソコン含め情報を享受出来る機械について大切なのは、『適切な使い方』にかかっていると思います。肥後守が誤った使い方をすると自他共に怪我を負う危険性を有すように、情報を受発信出来る携帯は身体ではなく心を傷つける危険性を有す事実を重視すべきでしょう。
アメリカだと一部の差別的ヘイトサイトをあえて閲覧させ、何故こうしたサイトが問題なのかを議論させ、情報の精査力を高める教育を施しているようですが、日本の場合は道具を与えて、使い方をきちんと教えてないからパソコンにせよ携帯にせよ、誤った使い方が横行している気がしてなりません。
かつての肥後守がそうであったように、利便性の高い道具は与える際は、道具の誤用がもたらす危険性を教育した上、活用させるのが適切だと思います。
有害な情報によって傷つく心の怪我って、体の怪我より治癒しづらい訳ですし、そう言った危険性はもっと社会全体で認識されて欲しいと痛感します。
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