非国民通信

ノーモア・コイズミ

特集:ロシアとウクライナを巡る基礎知識、現在に至るまでの経緯

2024-09-11 23:40:38 | 非国民通信社社説

序文

 折に触れ言及してきたことですが、ガザで起こっていることを日本国内の主要メディアは軒並み「イスラム組織ハマスによる奇襲攻撃を受け~」と伝えてきました。これでは戦端を開いたのがパレスチナ側であるかのように見えてしまいます。ただ、それも報道の狙いではあるのでしょう。現実にはイスラエル建国以来の度重なる侵略の中でハマスによる反撃がたまたま成功しただけに過ぎないのですが、こうした過去からの経緯を「敢えて伝えない」ことで我が国の世論はコントロールされてきたと言えます。

 他にもイランとアメリカの対立について、やはり主だったメディアはイラン革命から説明を始めることが一般的です。しかしイラン革命に先立って海外資本による収奪があり、それを転換しようとしたモサデク政権に対するアメリカ主導のクーデターがあった、革命による親米傀儡政権の打倒は理由なく起こったものでは決してなく、そこに至るまでは当然の経緯があったと言えます。他にキューバ、ニカラグア、ベネズエラ等々、「反米」とされる政権も然り、今に至るまでの歴史が我が国で語られることは稀ですが、決して故なくして現在があるものではありません。

 そしてウクライナではロシアとNATOの勢力争いが続いていますが、これも2022年から始まったかのごとくに語られるのが専らです。しかし当然ながらこの戦争にも前史はあるわけで、ただ一方の側に不都合であるために黙殺されているだけ、と言えます。ロシア軍の直接介入に至るまでの事情を知れば、一概にロシア側を批判できない、むしろ大義が認められかねない、そんな背景があるが故に敢えて無視されてきた、そうしてNATOの代理人として戦うウクライナを盲目的に応援する世論が作り上げられてきたのが実態でしょう。

 そこでロシアと現在ウクライナと呼ばれている地域に関わるところを軸に、これから数回に分け歴史を少しばかり振り返ってみようと思います。

第一章:キエフ・ルーシの時代からソヴィエト連邦の時代まで
第二章:
第三章:
第四章:

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第一章:キエフ・ルーシの時代からソヴィエト連邦の時代まで

2024-09-11 23:36:43 | 非国民通信社社説

序文はこちら

 現在のロシアに至る「ルーシ」国家の始まりは、9世紀のノヴゴロド建設に遡るとされます。建国者「リューリク」については半ば伝説の入り交じるところではあるものの、その次世代の頃には勢力を南へと広げ、やがては現在のウクライナの首都であるキエフが中心となりました。この時代の国家は「キエフ・ルーシ」や「キエフ大公国」等と呼ばれるもので、大まかな版図は以下の通りです。


出典:世界の歴史まっぷ - 東スラヴ人の動向

 ここで覚えておくべきは、キエフ・ルーシの支配域が現代で言うウクライナの中央部としか重なっていない、東部や南部、クリミア半島はキエフ大公国の版図からは外れていることでしょうか。当時の黒海沿岸部は希少なユダヤ教の国家としても知られるハザール汗国の影響力が強く、東ローマ帝国とクリミア半島を巡って争ったとも伝えられています。このハザール汗国はキエフ大公国によって崩壊に追い込まれるのですが、いずれの周辺国家にとっても黒海沿岸部は、まだまだ辺境の地でした。

 大きく勢力図が変わったのは13世紀で、タタール(モンゴル人)の遠征が始まります。この頃には分裂の進んでいたキエフ・ルーシは為す術なく敗北、後のロシア・ウクライナのほぼ全域がタタールの支配を受けることになりました。このモンゴル人の帝国による支配はおよそ200年余り続いたものの次第に衰え、15世紀にはモスクワを中心にルーシ勢力が再興を果たし、現代のロシアに至る流れが始まります。


出典:世界の歴史まっぷ - 東スラヴ人の動向

 しかしながらモスクワが勢力を盛り返した頃には、かつてルーシの中心だったキエフ周辺域はタタールに代わってリトアニアの支配を受けていました。リトアニアは後にポーランドと同君連合を結成し、現代のウクライナ西部と中央部は長らくポーランドの統治下に置かれるのですが、この結果としてかつては同族であった「ルーシ」にもモスクワを中心とした国家=後のロシアと、ポーランドの領土の一部であった後のウクライナで文化的な隔たりが広がっていったと言えます。

 そして後のウクライナ中央部であるキエフ周辺域はロシア側から「小ロシア」と呼ばれるようになります。これは古代ギリシャが本土を「小ヘラス」、拡張した後の地域を「大ヘラス」と呼んだことに因むとされ、すなわち小ロシア地域はルーシの発祥の地であり、ルーシの発展した姿であるロシアの故地と主張するものでした。必然的に小ロシア地域を支配するポーランドと、その回復を狙うロシアとの間で駆け引きが生まれることになるわけです。

 当初はポーランドの方が優勢だったものの、徐々にロシアは強大化して両国のパワーバランスも変わっていきます。そして17世紀にはウクライナの在地武装勢力(コサック)を率いるボグダン・フメリニツキーがロシアの支援を受けてポーランドに反乱を起こし、勝利を収めました。結果として小ロシア地域にはコサック棟梁による一定の自治を認められた国家が形成され、これがウクライナ国家の始まりとも見なされています。ただ後代にはポーランドによる巻き返しとロシアによる再征服、ポーランドから送り込まれたコサック棟梁によるロシアへの反乱もあって次第に自治権は縮小され、18世紀にはロシアの行政区の一つに落ち着きました。


出典:Wikipedia - ボグダン・フメリニツキー

 現代のウクライナ中央部についてはポーランド支配からロシアの支配へと移り変わっていったのですが、では東部・南部はというとタタールの支配下に置かれた状態が長く続き、これが衰退した後はオスマン帝国の庇護下に入ります。そして18世紀にはロシアが南下政策を開始、オスマン帝国と争い黒海沿岸部やクリミア半島を奪取し、ロシア人による植民が行われるようになりました。このタタールとオスマン帝国を追い出してロシアが植民していった地域は「ノヴォロシア(新ロシア)」と呼ばれています。

 そして時は流れて20世紀、帝政が崩壊すると革命の混乱に乗じてロシア帝国内では反乱や独立運動が相次ぎます。キエフを中心とする小ロシア地域では民族派の勢力が割拠、ドイツの支援を受けてロシアからの離反を目指すようになるわけです。これに対抗したのが上述のノヴォロシアを地盤とするボリシェヴィキの勢力で、ハリコフやオデッサを拠点にキエフの分離派と争います。当初はキエフ側が優位であったものの後ろ盾となっていたドイツが第一次世界大戦に敗北すると形勢は逆転、最後はボリシェヴィキが勝利しました。

 この結果として、キエフを中心とした小ロシア地域と、東部・南部のノヴォロシア地域を合わせた広大な「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」が成立します。そして第二次世界大戦の後の国境策定でポーランドやハンガリー、スロヴァキアの国境をスライドさせる形でウクライナの国境は西部に拡張、さらにロシア内の自治共和国であったクリミアは「基幹民族」と位置づけられていたタタール人が戦時下の対独協力を問われて追放⇒自治共和国から州に格下げされた挙句、1954年にはフルシチョフの半ば独断でウクライナへの移管が強行されました。こうして現代に至るウクライナが完成したわけです。

 まとめとして、現代のウクライナは以下の4つの由来を持つ地域に分類することが出来ます。

①小ロシア:ウクライナの中央部、キエフ周辺域
後のロシアである「ルーシ」の始まりの地
一方でポーランド支配やコサックによる自治など、ロシアとは異なる歴史も併せ持つ地域

②ノヴォロシア:ウクライナの東部・南部(ドネツクやオデッサなど)
ロシアがタタールやオスマン帝国を斥けて入植した地域、ロシア側に帰属意識を持つ住民も多い地域

③ウクライナ西部(リヴォフ、ザカルパッチャなど)
第二次大戦の結果として、ポーランドなど東欧諸国の国境をスライドさせてウクライナ領に組み込んだもの

④クリミア
ノヴォロシアと同様にロシアがタタールやオスマン帝国を斥けて入植した地域
当時のソ連書記長であったフルシチョフが反対を押し切ってウクライナに移管させたもの

 「領土」という観点においてウクライナはソヴィエト体制の最大の受益者ということができますが、それだけに国内に多様な住民を抱え込む形になりました。ソ連時代に広大な領土を獲得した、その分だけ国内をまとめ上げるには労力も必要になるのは当然の帰結です。しかしながらソ連崩壊後の独立したウクライナは経済の低迷と人口流出に何ら有効な手を打つことが出来ず、衰退の一途にありました。そんな中で為政者は内政の問題から国民の目を反らすべくナショナリズムに訴えるようになりますが、上述の通りウクライナは異なる成り立ちを持った地域の集合体であり、単一民族神話による統合には全く適していません。結果はご覧の有様でロシアとNATOの争いに自国を戦場として提供する状態に陥っているところ、この「独立後」の詳細については別の章にて改めて解説していきたいと思います。

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2024-09-11 00:00:00 | 目次


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特集:ロシアとウクライナを巡る基礎知識、現在に至るまでの経緯

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