非国民通信

ノーモア・コイズミ

AVとエロゲーを比べてみると

2007-11-24 23:14:17 | 編集雑記・小ネタ

 休日はだいたいそうなのですが、アクセス数が適度に落ち込んでいますので、今日はこの隙にエロ話でもしましょうか。エロ話と言っても、何のことはないアダルトメディアについての話なので中身は全く色気のない代物になりますが、ちょっと書いてみたいこともありましたので。

 さて私は万能の両刀使いを目指して自らを調教中なのですが、なかなか以て生来の志向を克服できず、かつ面倒くさがりでもありますのでどうしても守備範囲が偏りがちです。しかし、他の人もこと性的志向に関しては割と偏りがちですよね? 男性専門だったり女性専門だったり、受け専だったりペドフィリアだったり、あるいは二次元専門だったり三次元専門だったり…… やはりそれだけの違いがあるのでしょう。そこで今回は、エロメディアの代表格であるアダルトビデオと、とかくオタク向けと目されがちなエロゲー、ギャルゲーの類を比べてみようと思います。

 さてAVとエロゲーは何が違うのでしょうか? AVは生身の女性を使って撮影したもので、エロゲーは生身の女性が登場しないCGの世界? AVは動画で、エロゲーは概ね静止画の世界? まぁ色々とあると思います。しかるに私が注目したいのは、それが男性中心か女性中心か?という点なのです。

 AVにしろエロゲーにしろ山とあるわけで、一緒くたに語ってしまうと必ず例外はあるわけですが、そこは敢えて目を瞑って、そのジャンルで主流となっているスタイルを考えてみましょう。AVとエロゲー、男性中心か女性中心か、その辺はどうなのでしょうか? 女性向けのエロメディアもありますが、市場を席巻しているのはあくまで男性向け、その辺が頭にある人は、AVにしろエロゲーにしろ、どっちも男性中心の構図なんじゃないの?と、そう思うかも知れません。でも、実際に画面を見てみるとどうでしょうか?

 AVの画面を思い浮かべてください、絶えず画面の中心に映っているのは誰でしょうか? いつでも画面の中央に映っているのは女優であって、男優は端から顔を覗かせる存在に過ぎません。そして女優が最初から最後まで世界の中心に居続けるのに対し、男優の方は場面によっていたりいなかったり、時には別の男優に取って代わられるわけです。性の商品化云々の意見もあるかも知れませんが、それでもAVの中では世界の中心はあくまで女優であって、女優は世界の始まりから終わりまで存在し続けるけれども男優は容易く入れ替えられる、すなわち作品自体は女性によって連続性が保たれている女系世界なのです。

 ではエロゲー、ギャルゲーはどうなのかと言いますと、こちらはAV以上に幅が大きく例外も多いわけですが、それでも売り上げランキングでトップを争うような主流派を対象に見てみますと、実はAVとは全く反対の傾向が見られるのです。そもそもAVが基本的にエロを追求しているのに対し、購買層の違いもあってかエロゲーはいわゆる「萌え」を追求するタイプの方が多いわけでして、その「萌え」とエロがしばしば対立することもあります。なにしろエロゲー購買層の中にはイスラム原理主義者みたいな貞操観念の持ち主も多いですから、色っぽいヒロインが歓迎されるとは限らなかったりもするのです。

 それはさておき、AVでは世界の中心軸である女性一人とその他大勢である男性複数が登場しますが、このような構成はエロゲーではまず見ることが出来ません。そうではなく、複数のヒロイン達と、主人公である男性一人、これが基本的なエロゲーの人物構成です。少なくとも、AVのように女性が単独で主人公、なんてことはまずありません。

 エロゲーの最もよくあるパターンはAVの正反対で、まず主人公は男、この男主人公が世界の最初から最後まで登場し、ヒロインは複数、選択肢によってヒロインは登場したり退場したり、あるいは全く出番がなかったりするなど、その物語の連続性を保つのはあくまで男性という男系世界です。それでも一応、画面の中心に居座るのは女性であるヒロインの場合が多いわけですが、しばしば中心は男性で、その周囲をヒロイン達が取り囲む構図も見られます。この世界の主人公が誰なのか? 少なくとも複数いるヒロインの一人ではないことは明らかでしょう。

 一口にエロゲーと言っても、中には過激な性描写を売りにした、ちゃんとエロを追求したタイトルもあるわけで、そうしたタイトルの場合は女性が主人公でヒロインによって物語の連続性が保たれており、画面の中心はヒロインで男たちは周辺というケースも増えます。しかし、それでもヒロインが一人で主演する代物となると、内容を削った低価格商品を別にすれば皆無に近いわけでもあります。そして圧倒的に売れているのはエロではなく「萌え」を追求した代物、臆面もなく純愛だの何だのと語られがちな代物でもあったりします。そしてそういうタイトルにおいては、世界の中心はあくまで男性主人公であってヒロインは周辺領域の存在に過ぎなかったりもするわけです。

 もしかしたら、AVを見なかったりエロゲーをやったことがなかったり、そういう人にはわかりにくい話なのかも知れません。ただ個人的には、エロ=反体制のイメージがあって、性的な表現の解放と不当な支配からの解放は少なくとも私の中ではイメージの重なりやすいものでもあります。アメリカでもポルノ業界で作る組合は先陣を切ってイラク戦争に反対してしましたし、日本の週刊誌でもプレイボーイなどは比較的リベラル色が強いわけで、エロは解放だ!と。

 そこでエロゲーなりギャルゲーなりの購買層とされる人々が保守的というより国家主義的、権威主義的なのはなぜかというと、実はそれがエロくないからではないかと、そうも思うわけです。なんと言っても売れているエロゲーは基本的にハーレム型で、男性主人公一人が複数のヒロイン達に取り巻かれている代物であり、そこで要求されているのはエロではなく、主人公すなわちプレイヤーによる支配や独占に見えます。たぶん、色っぽい女の子の淫らな振る舞いにに興奮するよりも、美女達に次々と傅かれる自分に興奮している、そんな気もします。そこにあるのはエロ魂=解放ではなく、支配欲なのかもしれません。

 

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2 コメント

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疑問 (うぺぽ)
2007-11-25 18:24:00
私もちょくちょくエロゲはやりますが、困ったことにプレイ中にムラムラして集中できなくなってしまいます。なのでエロ無しの移植作をよくやりますねえ。エロゲ好きの人はそこらへんどう折り合いをつけているのでしょうねぇ?気になります。

あと観鈴ちんは俺の嫁(笑)

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Unknown (非国民通信管理人)
2007-11-25 21:31:20
>うぺぽさん

 まぁ、うぺぽさんはエロゲーマーとしては多数派に属する方なのではないでしょうか。求めているのがエロというよりも女の子にちやほやされる自分、と言うことで。ちなみに私の場合はプレイ中に萎えてしまうのでエロシーン以外はすっ飛ばしていますね。
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