非国民通信

ノーモア・コイズミ

自浄能力がないのは学校界隈に限りませんが――

2019-10-27 21:40:19 | 社会

奈良の小学校教諭4人がいじめ・パワハラ証言 「秘書」とあだ名 学校側は否定(産経新聞)

 奈良県大和郡山市の市立郡山南小学校で、2、3年の学級担任を務める教諭4人が同僚によるいじめとパワハラを訴え、9月の2学期始業式から休んでいることが24日、分かった。4人は産経新聞の取材に「他の教諭や管理職によるいじめとパワハラで体調を崩した」と主張。問題の解決を求め、市公平委員会に申し立てたことを明らかにした。一方、学校側と市教育委員会は「いじめやパワハラはなかったと考えている」としている。

(中略)

 鍵本校長は「受け取り方の問題ではないか」と話し、市教委の担当者は「もし4人が主張するような言動があったとしても、パワハラには当たらない」と述べた。

 

 先に話題になった神戸市の東須磨小学校の前校長によると「まさか(教諭が)いじめられているとは思っていなかった。仲良くやってくれているようには見えていた」とのことですが、諸々の犯罪行為を「いじめ」と呼び習わすことを別にすれば、職場の上長が問題を把握できていないことは、普通の会社でも珍しくないとは思います。そして引用したケースもまた、学校特有の要素もあれば、悪い意味で普遍的な要素も多いのではないでしょうか。

 子供同士の暴行や窃盗、恐喝などの「いじめ」は、教員による容認が大きく関わっているものです。教師が制止しない、「いじめられる側の問題ではないか」と加害者と被害者を等価に扱うなど、そうした振る舞いから加害者サイドに「許されている、認められている」という自信を与え、行為をエスカレートさせていくと言えます。この辺りは児童だけではなく教員間も似たようなものであることが、昨今は次々と報道されているわけですが――

 むしろ問題のある人、周囲の足を引っ張る人を高く評価してしまうのは、学校界隈に限らず民間企業でも頻繁に見られる光景です。パワハラ気質が、上司や人事担当者から「リーダーシップがある」と評価されるのは、ある種の定番ですらあるでしょう。そうした「上」からの信頼の厚さがある故にこそ、被害の訴えがいかに積み重なろうとも「受け取り方の問題」「パワハラには当たらない」という結論が出てくるものと考えられます。

 パワハラで名前の挙がった教諭は「そんなつもりじゃなかった」と弁明し、校長は「受け取り方の問題ではないか」と宣うわけです。このように「受け手側の問題」として処理することもまた、パワハラの定番と言えます。パワハラの意図はなかった、あくまで受け止める側の問題である――よくある話です。だからこそ、そうした弁明の余地を常につくっているタイプには、常に警戒が必要なのです。

 たとえば、いつも物事を冗談めかして言う人には注意すべきと言えます。このタイプは冗談を隠れ蓑にするのが習慣化しており、パワハラに該当する言動も、あくまで冗談である、結果として誰かが傷ついたとしても、それは受け取る側の誤解であり、パワハラの意図はなかった――逃げ道を常に用意している、そんな人は皆様の職場にもいるのではないでしょうか? そして、上からの覚えは悪くなかったりもしないでしょうか?

 一方で市教育委員会もまた「もし4人が主張するような言動があったとしても、パワハラには当たらない」と断言しています。引用元で伝えられている言動は十分にパワハラに該当すると言えますが、学校という閉鎖空間では独自の常識が働くものなのかも知れません。ただそれ以前に、報道されている言動が全てなのかという疑いもあります。

 総じて新聞報道には自主規制がある、政治家や芸能人など諸々の問題発言が取り沙汰されるときも「新聞に載せられる範囲」の言葉だけが伝えられ、より汚い言葉はカットされがちです。結果として「そんなに問題か?」と思われるレベルのマイルドな部分しか紙面に載らなかったりもするものですが、実際は「新聞に載せられないような」酷い言葉も多かったのではと推測されます。今回も「掲載できない言葉」は、あったのではないでしょうかね。

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