鳩山由紀夫首相は26日夜、日本の安全保障に関し「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と危機感を示した。同時に「それが自然かどうかという発想は国民一人一人が持ち続けるべきではないか」と指摘した。
記者団が米軍普天間飛行場移設問題に絡めて「(常時)駐留なき安保という考え方は変わったのか」と質問したのに対し、「その考え方はいま封印している」とした上で根底の考え方として言及した。官邸で記者団の質問に答えた。
ここでも自ら語っているように、鳩山は「駐留なき安保」論を「封印」しているわけですが、彼にとってはいわば黒歴史みたいなものなのかも知れません。野党として政権獲得の見込みが全くなかった当時、つまり主張しても実現される見込みがなかった当時に掲げていた政策を政権交代と同時に「封印」宣言するに至ったのは、今の姿こそが鳩山の基本姿勢だからではないでしょうか(参考)。政権交代前は「最低でも県外」と明言していた沖縄の基地問題にしても結局は実質的な現行案受け入れがほぼ確実になったわけで、その辺の「転向」を、やれ官僚のせいだ、やれ族議員のせいだと言い出すノータリンには事欠かないですけれど、鳩山なんですからそれくらいは当たり前です。極右化した自民党の対抗軸であった手前あらぬ誤解を受けていただけで、基本的にはタカ派であり、「右」に属する政治家ですから。
「(県外移設は)党の考え方ではなく、私自身の代表としての発言だ」と、想像を絶する無責任な言葉で県外移設の断念を語った鳩山ですが、そこで「断念」の理由として挙げられたのは「抑止力」でした(参考)。米軍海兵隊の「抑止力」が必要だから基地は沖縄県外に出せないと、そう語ったわけです。しかるに結果的には県外移設断念であったとしても、「米軍の同意が得られず」断念するのと、「抑止力が必要だから」断念するのとでは、やはり決定的な違いがあるはずです。前者であればまだ将来的な望みはありますが、後者はどうでしょう?
「抑止力」を理由とした基地存続となりますと、仮に米軍基地を撤去させたとしても、今度はそれに代わる新たな「抑止力」が必要ということになります。つまり米軍基地を減らした分だけ日本の軍事力を増強することが求められるわけで、米軍が日本軍に変わるだけのことにしかなりません。実際に「米軍基地ははいらない」とする論者の中にもその類は存在するもので、米軍ではなく日本軍が日本を守る、米軍がいなくなれば自主防衛の名の下に日本が軍拡する、そうした未来を夢見ている人もいます。鳩山も、そんな路線に近いのではないでしょうか。だからこそ県外移設断念の理由は「抑止力」であり、そして冒頭に引用した「この国はこの国の人々で守る」にも繋がるわけです。
国旗/国歌を巡る言説がそうであるように、右よりの連中が言う「すべての国にとって当たり前」が現実に符合するものであるかは極めて疑わしいものですが、今回の鳩山発言はどうでしょう。自助努力/自己責任論を拡大させたような印象も受けます。それだけに日本人の目には「当たり前」に映るような気もしますが、自国だけの孤独な防衛精神を振りかざすよりも、他国との関係の中で物事を考える必要があるはずです。まずは「自分たちは脅かされている(だから軍隊による抑止力が必要だ)」という被害妄想を克服することの方が大事でしょう。
それから鳩山発言では「国」を「国民」が守ることになっていますが、この辺の順序もどうかと。「国民」のために「国」という概念があるのか、それとも「国」のために「国民」が存在しているのか、どうも鳩山発言から窺われる現職総理の世界観は後者であるように見えます。公務員に対しては一方的な奉仕を求めるのがこの国の「国民性」と言えますが、国に対してはどうでしょうか? 国家公務員は国民の奉仕者だけれど、「国」は国民のご主人様だとでも思っているのはないかと、そう考えさせられる言説が巷に満ちあふれています。
>「国民」のために「国」という概念がある
私はこの考え方に大賛成なのですが、どうもほとんどの政治家が順序を逆に考えている気がします。もっと言うなら、そんな政治家は「自分=国」と変換している気がしてなりません。例えば石原都知事とか。
以上、乱長文にて失礼しました。
15000歩くらい譲って、沖縄に抑止力が必要だとしても、じゃあ、海兵隊じゃ駄目だよね、って言うことで。
「国」がなければ国民も存在できない、国あっての国民だみたいな論調を取る人も多いですよね。「国」の権力を握っている側から見れば好ましい考え方なのでしょうけれど、たぶんそれこそ、日本でしか通用しない「当たり前」のような気がします。
>貝枝五郎さん
でもその給与返上論は色々と危ういところがあって、実際に給与を返上した安倍晋三や各地のポピュリズム首長が模範であるということにも繋がるところがある、その辺は注意が必要だと思います。
>Momoppuさん
そもそも抑止力=軍事力という発想からも抜け出すべきだと思うんですよね。軍事力に頼らぬ抑止力を考えて欲しいところですが、どうも鳩山にはその発想がなさそうです。
権利として、しっかりと受け取って欲しい
そして、金持ちでなくても、首相が出来るように道を残しておいて欲しい
自衛隊に賛成かは置いておいて、軍事的な抑止力としては、十分すぎるかと。
経済活動や、外交活動で、どう振舞うかが、本当に抑止力になると思います
…そもそも何をそんなに恐れているか、理解出来ないままなんですよね。
1 憲法擁護尊重義務違反
2 福島瑞穂の罷免
3 田母神論文に絡んでいたこと
今回は、2番目のことに特化して書きます。
福島(社民党と置き換えても良いかもしれません)にも落ち度がないと言う気はありません。
それでも、鳩山の安全保障に対する意識に瑕疵があることは真っ先に糾弾されてしかるべきです。
日米同盟を見直そうとするなら、その為に誰が耳の痛いことを言ってくれるかを考えるべきでした。
さりとて、「重武装中立」というハイリスクを言い出す人間は論外ですが。
まぁ結局は、鳩山も前政権の姿勢を引き継いでいるんですよね。自民の対抗馬として『左』からも誤解を受けてきたわけですが、彼の本来の政治的な立場を考えれば、この結果は必然でしょう。
そうなると「国」とは何なのか考えると分からなくなってしまいますね。「国威発揚」への願望を持った人は一定数はいるとは思いますけども。
一口に「国」と言っても、指し示す範囲はその時々の都合で広くなったり狭くなったりするんですよね。時には政府と一体化したり、逆に対立したり。そういう曖昧なものよりも、より具体的な存在である国民の方が大事だと思うのですが、「国」が信仰の対象になっている部分もあるような気がしますね。
あと、某所では未だに「日本をだめにする首相」で通っているようですが(ある意味正しいかもしれませんが…。(苦笑))、むしろその手の人たちが理想とする政治家だと思うんですがね。なぜそうなるのか不思議です。(だからと言って実際に応援されても困るわけですが…。)