駐留なき安保は「封印」=米軍不要論は長期課題-鳩山首相(時事通信)
鳩山由紀夫首相は16日夕、自身がかつて掲げた「常時駐留なき日米安保」構想について、「現実の、総理という立場に立ち、その考え方はやはり今、封印しなければならない」と述べ、日本防衛のため米軍に基地を提供する現行の日米安保体制を基本的には堅持する考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
同構想は、首相が旧民主党代表時代の1996年に発表したもので、平時には米軍は日本に駐留せず、有事の際に限って出動を求めるとの内容。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、国外・県外移設を求める沖縄県民や社民党に配慮して鳩山政権が結論先送りを決めた経緯から、米政府内の一部には、首相が日米同盟を縮小の方向で根本から見直すのではないかとの警戒感が生じているとされる。首相発言は、米側のこうした懸念をひとまず払しょくするのが狙いとみられる。
日頃の政治姿勢からは似つかわしくないように思われるのですが、鳩山にもそんな構想があったんですね。とはいえ「封印」だそうです。アメリカ側への配慮云々であろうと引用元の記事は随分と好意的に解釈していますが、実際のところはどうなんでしょう、本当にそれが持論だったのか、というあたりから問われる必要が出てくるようにすら思われます。
ただ、首相は「かつてそういう思いを持っていた」と認めた上で、「相当長期的な、50年、100年という発想の中で、他国の軍隊が居続けることが果たして適当かどうかという議論は当然ある」とも指摘。持論の撤回はしない考えを示すとともに、長期的課題として在日米軍の撤退も排除せず、同盟の在り方を議論すべきだとの認識を示した。
「持論の撤回はしない考え」とされていますが、さりとて「封印」を宣言したわけです。撤回ではなく封印だとして、ではいつまで「封印」するつもりなのでしょうか。状況により自説を修正することは認められるとしてもそのタイミング次第では意味合いも変わってきます。柔軟な対応なのか、それとも日和っただけなのか、あるいは初めから支持層を欺いてきただけなのか……
記事には「長期的課題として在日米軍の撤退も排除せず、同盟の在り方を議論すべきだとの認識を示した」とあります。それは大筋で同意しますが、同時にこの「認識」は短期的な解決の放棄をも示しているはずです。なんと言っても「常時駐留なき~」は「封印」されてしまったのですから。要するに米軍基地の県外移設や撤去を求める人々に対して「いつか」実現してみせるからと良い顔をする一方で、「今は」妥協してくれと暗に求めているのではないでしょうか。まぁ基地問題の即時解決が難しいのは理解できますが、どうにも本気が疑われるフシがあります。元より「いつかどうにかする」と約束するだけなら素人にも務まる話です。素人では乗り越えられない難局を巧みに切り盛りして見せてこそ政治家の役目が果たされるものだと思うのですが。
ともあれ、決定権が自分の手にはなかった野党時代には「持論」であったはずのものを、政権獲得という自らの政策を実行に移す機会を得た途端に「封印」してしまったわけです。これでは、初めから実行する気がなかったのではないかと疑われても仕方がないでしょう。夫婦別姓制度を巡ってマニフェストからの削除が取りざたされた際には「これまでは野党だから(否決前提に)提出できた」と語った党幹部もいたそうです(参考)。政権交代が現実味を帯びた途端に靖国参拝の憲法解釈に関する記述を政策集から削除したなんてこともありました(参考)。野党時代には公開を要求していた官房機密費の扱いはどうなったでしょうか?(参考) 全ては野党でいるからこその主張であって、与党になるなら持論を封印する、すなわち実現はさせない、それが党の基本方針なのかも知れません。
結局のところ、当時の与党であった自民党政権に対抗する都合上、自民党とは反対のことを言ってみただけのことだったとも推測されます。「私たち(民主党)は自民党とは違う」、そう言って有権者を欺くために、自民党政権が受け入れられないであろう主張を掲げてきたのでしょう。それは本心からの主張でなかったかも知れませんが、何しろ野党の主張です、自民党が否決してくれるから実現の可能性は無い、だからこそ「心にもない」構想を「心おきなく」展開できたのではないかと。しかるに自らが与党となってしまえば話は違ってきます。何しろ「与党」ですから自分たちが国会に提出すれば、それは実現に向けて動き出してしまうわけです。その事態は避けたい――となると何か理由を付けて「封印」するのが得策という結論に至るのではないでしょうか。自分以外の誰かが確実に否決してくれるであろう状況になるまで、すなわち下野するまで、ですね。