非国民通信

ノーモア・コイズミ

差別者の論理

2012-09-06 23:15:10 | 社会

生態系協会長 発言認める 「差別と思っていない」(福島民報)

 日本生態系協会の池谷奉文会長(70)が東京で開かれた講演会で、東京電力福島第一原発事故を受け「福島の人とは結婚しない方がいい」などと不適切な発言をしたとされる問題で、池谷会長は29日、報道機関に対して講演記録の一部を公表した。記録には不適切とされた発言内容が含まれていた。ただ、池谷会長は「福島の人を差別するようなことは思っていない」と反論した。一方、講演会に参加した福島市議は同日、記者会見を開き、講演時の発言の撤回を求めることを明らかにした。
 池谷奉文会長が公表したのは東京で7月9日に開いた日本生態系協会主催の「日本をリードする議員のための政策塾」で、池谷会長が講話した冒頭と中盤の一部。
 文書には「福島ばかりじゃございませんで栃木だとか、埼玉、東京、神奈川あたり、あそこにいた方々はこれから極力、結婚をしない方がいいだろう」「結婚をして子どもを産むとですね、奇形発生率がどーんと上がることになる」とある。
 協会によると、録音を書き起こした内容で、県内の各報道機関に送った。
 福島民報社の取材に対し、池谷会長は発言内容を認めた上で「福島の人を差別するようなことは思っていない」と反論。これまでの取材に一貫して「発言していない」としていたことについては「差別発言ではないという意味だ」と答えた。

 

 地方紙の報道ではありますが、ネット上ではそれなりの話題を攫ったので既にご存じの方も多いでしょうか。今さら私が何か言うまでもないかとも思うところですけれど、まぁ酷い発言です。広島と長崎の被爆者に対しても同様の偏見が向けられてきたことは、大きく性質の異なる原因ではあれども放射線の存在が意識される今こそ、改めて自省の対象として意識されるべきものでしょう。東日本大震災の直後、真っ先に流されたデマは外国人に関するものでした。関東大震災時の朝鮮人虐殺の再来を夢見たのか、ありもしない外国人犯罪の横行を訴え、外国人排斥を呼びかけるエピソードを創作しては拡散に努める人もいたわけです。幸か不幸か、その手のデマは原発/放射線に関するデマによって押し流されてしまった感がありますが、しかるに広島と長崎の被爆者差別の再来を夢見ている人が今なお表舞台に居座ろうとしていると言えます。

 もちろん、あったのは差別だけで広島と長崎の「奇形発生率がどーんと上がる」ような事態は起こりませんでした。まぁ、これもある種の歴史修正主義と呼ぶべきでしょうか、日本生態系協会会長の頭の中では、そのような歴史が存在しているのかも知れません。ともあれ、広島や長崎に比べて格段に被曝量の少ない福島で「奇形発生率がどーんと上がる」事態があるとしたら、それは福島周辺地域の住民が地球人とは異なる特別に放射線の影響を受けやすいミュータントだった場合だけでしょうね。人間がこのレベルの放射線から受ける影響、ましてや生まれてくる子供への影響は測定できる範囲ではないのですから。端的に言って生態系協会長の発言は全くの偏見に基づく、福島周辺地域の住民に対する誹謗中傷であり、差別と排除を煽ろうとするヘイトスピーチに他ならないものです。

 しかし、差別的な言動を繰り返す人が自らの差別的態度を認めることは極めて希です。区別であって差別ではないとか、本当のことを言っているだけだ云々とか、まぁ何かしら正当化する理由を作っては「差別ではない」と言い張るわけです。この生態系協会長の場合も然り、「福島の人を差別するようなことは思っていない」と語っています。もしかしたら、本当にそう「思っていない」のかも知れません。何一つとして自覚を持つことすらできないまま、ナチュラルに差別を煽っている、そういう人なのでしょう。自分の頭の中の世界設定と現実の区別も付けられない、このような人を会長に選んだ挙げ句に当該発言に関しても組織として何の対応姿勢も見せない日本生態系協会、並びに講演会に招いた人の良識もまた問われるレベルです。

  主としてネット上を中心とする各種の俗説を寄せ集めたサイトに、上のような記述があります。この俗説集に掲載された詭弁は、まさに差別する人の論理を体現していると言えます。確かに、放射線量の基準値を上回る牛肉が市場に出たことはありました(自動車の放射「能」汚染の方は鼻で笑って問題ないですが)。ではこれを足がかりとして福島や東北/北関東地域の飲食物を「汚染された」と言い募っては、それが社会的に忌避される風潮を作り出すこと、これを「デマによるものではない」と称して「風評被害ではない」と扱うことに問題はないのでしょうか。

 この俗説集の記述の誤りの一つは、程度を無視していることにあります。つまり「汚染された」とされる飲食物の放射線量は、「摂取する食品の全てが同等に高い放射線量を持っている場合」「生涯にわたって摂取が続いた場合」に健康への影響が統計上は出てくるかも知れないというものであって、食中毒菌が付着した食品のように単独で健康被害をもたらし得るものではありませんでした。そして、放射線量の基準値を超えた食品だけを選りすぐって食べ続けることは、それこそ福島第一原発周辺の野山にこもって野草ばかりの食生活を送りでもしない限り不可能であったわけです。それは福島周辺地域での「奇形発生率」と同じこと、放射性物質の検出の有無だけを挙げて、その程度を無視するのは甚だしいミスリードと言えます。

 より大きな誤りは、特異な事例を全体に当てはめようとしている点です。牛肉という狭いカテゴリの中ですら例外的にしか発生しなかった放射線量の基準値越えを根拠に、基準値以下であることが検査済の圧倒的多数の食品までを忌避する風潮の是非はどうなのでしょう。世の中には犯罪を犯す外国人もいます。そしてこの法に触れる外国人の存在を根拠として、外国人の排除を訴える人もいます。こうした排外主義者にしてみれば、その主張の根拠は「事実ではないデマによるものではない」のであって、自らの言動は差別ではないということになるわけです。確かに外国人の犯罪は「実際に」存在する、探せばいくらでも見つかるものですけれど、これを外国人全体に適用しようとする発想がどれほど乱暴で飛躍に満ちたことはご理解いただけるでしょうか。そして「放射能汚染」と「風評被害」の場合もまた同様なのです。何かを排除する口実に、一部の事例を都合良く持ち出しては、さも全体がそうであるかのように見せかける、こうした手口は誤っています。

 

「放射能地域の人 結婚しない方が」で波紋(TBS)

「正確な情報をまず知るということが先で、そのうえでどう対応するかということを考えていくことが必要だと思う」(日本生態系協会 池谷奉文会長)

 

 「正しい情報を元に」と俗説集には記されています。しかし、「正しい情報」とは何なのでしょうか。冒頭の生態系協会長の発言だって、本人の頭の中では「正確な情報」を元にして語られていたわけです。一昔前は「ネットで真実」に目覚めた人が外国人差別に目覚めたりもしていたものですが、昨今はそれに加えて、原発/放射線カテゴリでも色々と目覚めてしまった人がいるようです。ただ少なくとも、それが誇張に満ちている時点で「正しい情報」とは言えません。確かに原発事故もあって一部地域の放射線量は微増した、大気中の核実験が盛んだった時代に比べれば少量ながらも尿中から放射性セシウムなどが検出されることもありました。しかし、その影響を何万倍にまで誇張したり、既存の研究を無視した独自研究や創作に沿って尾ひれをつけるようであれば、それはもう「正しい情報」からはほど遠いものです。誇張された脅威に基づいた警戒論など、それは差別や風評被害を広めようとするもの以外の何者でもありません。専ら差別を広める人の自分ルールに基づいた「正しい情報」には諸々の歪曲がつきまとっています。この自分ルールによって「差別ではない」「風評被害ではない」と自らを正当化する輩には事欠きませんけれど、それが社会的に容認されるようなことがあってはならないでしょう。

 

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2 コメント

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Unknown ()
2012-09-08 00:51:04
「差別しているつもりはない」は差別主義者の常套句ですが、果たして「差別しているつもり」の差別主義者なんているのでしょうかね。もし自分の行為が根拠薄弱な差別であると自覚しているなら、そもそもそのような行動に踏み出さないのが普通です。言い換えれば、自分の行為が不当な差別ではないと信じているからこそそういった行動に平気で踏み出せるのですよね。これはほぼ全ての差別主義者に当てはまると言っていいはずです。

差別主義者はよく他の差別を持ち出して、「こういった根拠のない差別をする奴等とは違う」、「自分の行為には理由がある」とも言います。しかし、他の差別主義者もまた「自分の行為には理由がある」と思っているわけです。なぜ差別をするのかと白人至上主義者に聞いても、ネトウヨに聞いても、その他世界各国の様々な差別主義者に聞いても、みな真剣に(ロクでもない)理由を雄弁に語ることでしょう。

結局のところ、差別主義者が語る「自分の行為が差別でない理由」は、「自分とは違う」と否定する他の差別主義者の行動と瓜二つであり、結果として自らが差別主義者であると告白することにしかなっていない皮肉がありますね。
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-09-08 23:37:04
>毛さん

 差別ではない、と理由らしきものを色々と持ち出しては来るものですが、どれも無理のあるものばかりですよね。傍目には完全な差別発言でも、ある種の世界観を共有している人の中では差別ではなくなってしまう、その世界観を現実世界に起こっていることよりも優先してしまうという点では、何を差別の対象とするかに関わらず共通するところでもあるでしょうか。
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