3月の震災後、真っ先に流されたデマは外国人に関するものでした。関東大震災の再来を夢見ていた人もいたのでしょう。ありもしない外国人犯罪の横行を訴え、外国人排斥を呼びかけるものでしたが、幸いにして現代人は大正期の日本人のような直接行動にまでは踏み切らなかったようです。しかるにレイシズム系のデマが概ね空振りに終わった一方、別種のデマが横行するようになったわけで、決して過去の過ちを繰り返していないとは言い難いようにも思います。外国人に対する偏見を煽り立て、差別を広める類のデマが目立って流行ることはなかったものの、その代わりに福島の居住者や産品に対する偏見を植え付け、排除を正当化するようなデマが盛んに繰り返されるようになったのですから。
世の中には、単に外国人に対するものだけをヘイトスピーチと呼ぶ、何とも暢気な人々もいます。ただ私が思うに、謂われなき偏見や嫌悪、憎悪を駆り立てるものであれば、その対象が外国人でなくとも当然のようにヘイトスピーチと呼ばれてしかるべきです。つまり、福島の居住者なり福島の産品なりに対するものであってもヘイトスピーチはヘイトスピーチではないでしょうか。そしてこの福島を対象としたヘイトスピーチの横行を「それもこれも原発(東京電力)が悪いのだ」とばかりに、差別の責任を他人になすりつけることで平然と受け入れている人も多いわけです。
アメリカで、ある女性が「オバマなんて信用しない。アラブ(のテロリスト)でしょう」と語ったとき、当時の大統領候補であったマケインは「いいえ、奥さん、彼は立派な家庭人、国民です。たまたま意見の相違があるだけです」とたしなめたそうです。案の定、集会に参加していた共和党支持者からはブーイングが起こったと伝えられていますが、日本における脱原発論も似たようなところがあるように思います。マトモなことを言った人は御用学者だの原発推進勢力だのレッテルを貼られて「脱原発/反原発」のサークルからは敵視される(あるいは反原発デモを取り上げる報道が小さいというだけで原発推進派と呼ばれたり等々、それはレイシストが自分たちに同調しない人を「反日」と呼ぶのと同様です)、こうしてカルト的な性格を日に日に強めていったのが昨今の脱原発運動と言えるでしょう。
福島の花火使用取りやめ 日進の大会、市民の抗議で(中日新聞)
東日本大震災の被災地復興を応援しようと福島県の花火の打ち上げを予定していた愛知県日進市の花火大会で、放射性物質を心配するクレームを受けて、実行委員会が直前に打ち上げを取りやめていたことが分かった。
花火大会は日進市役所周辺で18日夜あった「にっしん夢まつり・夢花火」。計2千発の花火が打ち上げられた。第2部のスターマインとして福島県川俣町の菅野煙火店の花火80発が打ち上げられる予定だったが、中止となり愛知県内の業者の花火に代えられた。
同様に計画していた岩手、宮城県の花火は予定通り打ち上げた。
実行委は市や市商工会の職員、市民有志らで構成。今年は東北の花火を打ち上げ、被災地復興を祈る予定だった。だが新聞折り込み広告などで計画を知った市民らから16~17日に、「放射能で汚染された花火を持ち込むな」「花火でまき散らすのか」といった抗議の電話やメールが20件以上市役所などに寄せられたという。
実行委は当初、「花火店のある場所は国の放射線許容量を下回っている。室内で保管され、まったく問題ない」として実施する考えだったが、直前の17日午後になって取りやめを決めた。
実行委事務局責任者の宮地勝志・市産業振興課長は「安全性に問題がなく、取りやめは苦渋の決断だ。一人でも多くの人に気持ちよく花火を見てもらいたいという考えで判断した」と理由を説明した。
さて、似たようなことは他でもありましたが、過ちは繰り返されるもののようです。「放射能で汚染された花火を持ち込むな」などという声に押されて福島で造られた花火を排除することになったとのこと。「一人でも多くの人に気持ちよく花火を見てもらいたいという考えで判断した」などと市の責任者は応えています。じゃぁ、外国人の脅威を本気で信じている人が「異国の汚れを持ち込むな」みたいにクレームを付けてきたなら、「一人でも多くの人に気持ちよく日本で暮らしてもらいたい」などと称して外国人排斥に走るのでしょうかね。外国人に対するものだけをヘイトスピーチとして問題視するような人にとっては違うのかも知れませんが……
絶対に安全だと確認されたわけではない(キリッ、と大真面目に語る人も多くて失笑させられるのですが、じゃぁ外出することの安全性は確認されているのでしょうか。家の外に出れば車に轢かれて死ぬことだってあり得ます。焼き肉店で食事をすれば、食中毒菌に当たって死ぬかも知れません。絶対に安全であることが確認されたものなど、むしろどこに存在するのか、その辺を考えてみるべきでしょう。絶対に安全ではないからダメ、というのであれば地球上のありとあらゆるものが否定の対象になります。とかく放射「能」が唯一にして絶対の危険であるかのごとく語られますけれど、今までに健康への影響が確認されたことがなく、しばしば検出限界を下回るレベルの放射線量を差別や排除の理由に持ち出すのは、愚劣と言うほかありません。
そうでなくとも、花火は危険ですよね。花火が撒き散らす火薬と金属の灰は、当然ながら人体に有害です。ただ影響の出るほど多量に吸い込むという想定が現実的ではないというだけであり、それは福島における放射性物質の場合と同様です。ただし、花火の製造過程で爆発事故が起こり、死人が出るなんてことは多々あります。花火大会に殺到した群衆の混乱により死傷者が200名を超える大惨事なんてこともあれば、落下した花火の破片が直撃して観客が死亡したなんてこともありました。本当に安全であることが保証されているのか、それを疑うならまずは花火の方から考えた方がいいでしょう。今回の原発事故から来る放射線で死んだ人はいなくとも(これから死ぬんだ、と福島在住者に脅しをかけている人や、死人が出たと日夜デマを流している人はいますが)、花火大会で死んだ人は今世紀に入っても存在するのですから。
まぁ、今回の花火大会に抗議した人は安全性云々への憂慮ではなく、ある種の歪んだ正義感から行動に出たものではないかとも推測されます。その筋の人が外国人の脅威を信じるのと同じような勢いで放射「能」の脅威を信じ、その害を防ぐべく行動したつもり、地域なり子供なりを守っているつもりで、福島で作られたものを「持ち込むな」と訴えたのではないでしょうか(抗議を呼びかけた人もいたのではないかと思います)。そうであればこそ、主催側には毅然とした対応が望まれたところです。ヘイトスピーチに屈せず、偏見に基づく排除を行わない姿勢をきっぱりと取らないと、差別や排除を勢いづかせるばかりですから。市が主催する行事なのに、偏見にまみれた抗議に応える形で福島製の花火が排除されてしまう、これでは市がヘイトスピーチを公認しているようなものです。
京都から岩手の松が送り返されたときにも書いたことですが、ヘイトスピーチに毅然とした対応を取ること、そして行政や各種の団体にも毅然とした対応を求める意思を平素から明らかにしていくことが必要なのかも知れません。排除が行われてから、こんな場末のブログでグダグダ文句を言ったところで、後の祭りですから。こういう事態を二度と起こさないために、先んじて出来ることを考えてみましょう。例えばカウンターアクションとして、偏見や差別を広めている側に抗議してみるというのもあるでしょうか。例えば「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」などと宣う武田邦彦を招いてセミナーを開催するという中日新聞に(参考)、おまえは新聞社としてヘイトスピーチに協賛するのかと抗議してみる等々。もうちょっと穏当なものとしては、抗議ではなく支持の意見を送ってみるのも手です。一般に反対の声は寄せられても賛成の声は少ないもの、それだけに担当者(主催者)側は反対の声の方ばかりを多数派と取り違えてしまいがちです。そんな担当者に、偏見にまみれた意見ばかりではないことを伝えることもまた必要でしょう。まぁ、やり過ぎは迷惑がられますし、往々にして我々が問題の所在に気づくのは、事が終わってからだったりするので難しいですが。
仰るように100%の安全などあり得ないのですが、あたかも原発事故以前(or原発が出来るまで)は100%安全であったかのごとく語られることが多いのですよね。そういう事実認識の面で思い違いがあるからこそ、ただただ声を荒げて反対するばかりで建設的なことは何も出てこなくなってしまうのでしょう。
原発ということでいえば、脱原発です。しかしそのことと、日進市、福岡市などで起きたことは首肯できません。なぜ出来ないかといえば、反対の理由の根底に100%の安全を求めるからです。そのようなことはありえないのです。
日本は社会主義、もっと言えば朝鮮民主主義共和国以上の共産主義(あれを共産主義というと、理念を唱えた先人に失礼ですが)国家です。
なぜか?昔20年ほど前にベトナムに行きました。政府の方に「エイズの危険は帰国には無いのか?」と聞きました。「わが国は社会主義なので、売春婦はいない。したがってエイズは入っても来ないし。広がりもしない。」とのたまわられたのです。誰でも建前だとわかることなのに。
わが国の原発もそうです。100%安全だと言わなければ、設置できない。だからそう言う。そう言えば、万一どころか一億分の一の危険すら言えなくなる。だから対策は建前だけになる。社会主義の建前国家と同じと言う所以はここにある。
これは国民にも責任があるし、我々専門家にも責任はある。
アメリカ、フランスが今回の福島でなぜ迅速に動けたか?彼らは原発が事故を起こさないなど考えてもいない。アメリカのマンハッタン計画以来の原子力関連の大きな事故は原子炉およびその他で10指に余る。別にスリーマイルだけではない。それを踏まえているから、体制も出来ている。フランスも似たようなもの。
ブログ主さんが書いているように、日常生活で言えば、車のリスクなんてとんでもなく高い。そのことを受け入れて、車の保有者、運転者はリスク回避(安全対策等)やリスク転嫁(保険加入)を行っている。それと同じことを原発にも敷衍すればよいこと。それが出来ないのはリスク認識が出来てないこと。
最後になりますが、放射線や物質による発がん性についての基準の考えは、発ガンは確率的に起きる、ある濃度以上では発ガンの確率は検証されている。ところが低いほうは検証できない。従って、安全サイドで考えると、低い濃度でも高い濃度から推定したように同程度のリスクがあると考えて決めよう。ということです。
どんなに低くても確率的だから発ガンがある、と確認されているのではないのです。あくまでも安全サイドに立って対策しましょうということで決められているのです。以前ダイオキシン問題が大きく取り上げられたときに、庭の落ち葉焚きでもダイオキシンが出るからダメだと言う論調が強くなり、以来落ち葉焚きすらできない、歪な社会になりました。
プロメテウスがせっかく太陽から火を入手して人が人になったのに、わが国国民は何を考えているのでしょうね。小生は断固落ち葉焚きをしていますけどね。
全くもってダブスタを厭わない、あるいは無自覚な人たちですからね。あるとしたらせいぜい、そうなった原因を東電なり原発に求めるだけで、やはり自分たちの行動を省みることはないでしょう。
>ノエルザブレイヴさん
ある種の逃げ道を作っている分、正当化のロジックとしては悪質とも言えますね。そういう「逃げ道」に惑わされることなく、ヘイトスピーチに対してNOを突きつけていくことが求められるところです。
>ricoさん
「区別」であって「差別」ではない、典型的な差別主義者の理屈ですね。「原発推進派」とレッテル張りから初めておられるようですが、それは順序が違います。風評被害や差別を憂慮している人を、「原発推進派」とあなた方が呼び始めただけです。マスコミのセンセーショナルな報道? さんざん放射「能」の影響を過大に煽り立てて来たことを無視して、たまたま差別や排除が取り上げられたときだけ「不要な地域対立を煽る」? ひたすら放射「能」の恐怖を煽り、差別を焚きつけることを黙認しておけばricoさんはご満悦なのでしょうか。中立を装いつつ差別に荷担する、ricoさんの振る舞いは典型的な差別主義者のそれです。
脱原発に傾いている人達を非難している人達、いわゆる「原発推進派」の人達が、ある時期から、「風評被害」「差別」という言葉を振り回し始めたように思うのです。
マスコミのセンセーショナルな報道然り。
今の日本に必要な事は、声の大きな一部の声を殊更に取り上げ報道し、糾弾し、不要な地域対立を煽る事ではないと思うのです。
東京の一部のお店では、品種ごとにきちんと測定し、ウクライナの基準値以下である、と証明された農作物が、堂々と販売されていますよね。
誠実に公表されたデータに基づく「区別」と、情報の不足からなる不安に基づく「差別」をないまぜにしたままでは、被災地や、被災された農家の皆様の現実的な救済も進まないと思います。
福島にお住いの「農家の婿」さんのブログです。
【 ふくしま新発売。笑わせるな 】
http://ameblo.jp/noukanomuko/entry-10992569626.html
そしてその憎悪の対象は差別する側もされる側もおおむね共有していると考えていいと思われ、それで「憎悪することで差別される対象を思いやっているのだ」という勘違いが生み出されるとするとより問題がこじれるのではないかと思われます。
いま福島を差別している連中は、自分達が世界から同じ理屈で差別されたら、
単純に「差別だ!」とか抜かすんだろうな(嘲笑)
山本太郎も本人は善意で行動しているのかも知れませんが、結果としては差別や排除を煽っているわけですからタチが悪いんですよね。もちろん粘り強く説得していかなければなりませんが、まずはカルト的な人の言うことを真に受けないような社会を作ることでしょうか。脅威を煽るのに協力しなかった福島県立医科大学副学長を刑事告訴した人々すらもいて、なんだか橋下に乗せられて光市母子殺人事件の弁護団を攻撃していた人々を思い出しますが、それに怯まず発信を続けるしかないのでしょう。
>YOSHIさん
世界レベルで見れば、日本社会が福島を排除しようとするのと同じように、世界市場が日本を排除しようとする可能性だってあるわけですよね。その愚かさに気づいてほしいと思うのですが、100%安全でなければダメだと福島のものを排除してしまう、それでは世界から排除されても何も言えなくなってしまいます。
海外にいると、Made in JAPAN は放射能汚染されている、という日本近隣国の商売敵との戦いがたいへんです。
インドなどから見れば、日本など一つの州の大きさしかありませんから、福島原発の放射能で日本全部が汚染されている、と普通の人々は信じています。日進市で福島の花火使用中止を求めた市民は、遠く離れたインドの人々と同じレベルですね。
日進市で中止を求めた方々が輸出品の、もっとありていに言えば、トヨタの車を造ることに従事していて、トヨタの車は放射能汚染されているからインドには輸入するな、と言われたら、それは当然だよなと思うのでしょうかね。
広く考えれば判ることなのにそれば出来ないというのは何でしょうか?
物事への反応はマスで考えると正規分布、あるいは対数正規分布をするでしょうから、1万人の人がいるとして、10σくらいのところで放射能と聞いただけで全く落ち着かない人もいるのでしょうね。
結局わが国国民のリスクへの意識はこの程度でしかないということですよ。100%安全でないとダメだとなれば、生を得た瞬間から不可能なことですけどね。
それがその後の政府・東電の対応で、評価がどんどん下がっていったのは衆知のとおりですが、これが今回のような根拠のないヒステリックな〝福島排除運動″でさらに下がり、今度は嘲笑の声を持って報道されるのではないかと思うと、情けないやら腹立たしいやら。
日進の花火の件でも、くだんの決定の引金となった抗議の声が20件程度だったのに対し、その後の中止決定に対する苦情が全国から3500件に上ったことからも、その数はここのコメントに皆さんが書かれているように、圧倒的に少ないものと思われます。
私はその少ない声の中でも、まったく聞く耳を持たずにカルト的に妄信している〝学習を拒絶″してしまった人と、何かよくわからないけど放射能って怖そうだから反対と叫んでいる人、に分けられるような気がしています。
山本太郎さんなんかは、福島に対する偏見を持っているかどうかは明らかではありませんが、その行動を見る限り、上述の後者から前者に足を踏み入れてしまった一人であるような気がしています。
ただ、後者の人たちの中にも、その不安感から東日本から例えば福岡に引越した人もいると思われ、その人にとっては、せっかく避難したのにまた福島が追いかけてきた、と思ってしまうのも分からないではないかな、とも思います。
ですがそういった人たちでも、きちんとした情報を根気よく発信していけば大きな効果があるのではないかと思います。
〝冷静で思いやりのある日本人″を思い出してもらうためにも原子力の専門家といわれる方たちには、妙なレッテルを貼られることに恐れず、正しい情報の発信を続けて行ってもらいたいものです。
レッテルを貼っているのは〝カルト教団″の連中なのですから。
付け加えるなら引っ越すことのリスクというものも無視されていて、実際にチェルノブイリでは強制退去による共同体の破壊が深刻な二次被害を巻き起こしていたりするのですが、とかく放射「能」の脅威を煽る人ほど、心配する風を装って、その実は福島周辺住民に仇をなすばかり何ですよね……
>シトラスさん
そうですよね、ヘイトスピーチに反対するのなら、昨今の脱原発デモにも反対すべきではないかと思います。差別の対象が外国人であるものだけが悪い、なんてことはないのですから。
>たまきさん
ご挨拶ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
>しばさん
別に反対していない人、気にしていない人の方が本当は多数派のはずなのですが、それが見えなくなってしまう人が主催者側に多かったと言うことなのでしょうね。これは非常に危うい兆しでもあります。ただ、この辺は主催者側の問題でもありますけれど、どうしても声を上げるのは反対派に偏りがちなだけに、寄せられた声だけに接している人は思い違いをしてしまうものなのかも知れません、そうであるならば対抗策として、賛成の声を寄せてみる必要があるのかとも考えたわけです。
声高に主張する人々の声は行政なり主催者の耳に届きやすいです。それに対して賛成もしくは問題なしと考える人たちはいちいち賛成の声はあげずに当日イベントに参加することを当たり前だと思っています。
自分は京都の送り火にしろ日進の花火にしろ仮に全住民にアンケートを取れば賛成もしくは反対しないが大多数になると見ています。
一部の声高な主張におもねり後日の批判を恐れ声なき市民に考えを及ばすことなく一も二もなく中止に走る行政側の態度は無責任極まりなく、管理人さんのいうヘイトスピーチを横行させる重大な要因のひとつだと思います。
またその行政体は他の事象、例えば戦争や人種差別、でも同じように声高な主張に屈する可能性大だということも別の大問題です。
一人でも多くの人に読んでいただきたく、Facebookにリンク貼らせていただきました。
事後報告にて失礼します。
ブログを読みましたが、武田教授もこの一人で、福島の人の安全が第一とか綺麗事をいいながら、ほとんどの人たちが他の地域に引っ越すことも出来ずに現地に残らなきゃいけない、お金の問題というのを全く判ってないですよね。ほんとに福島の心配をしているのであれば、自分が現地にいって検査機関でもつくって少しでも安全なものを食べさせてあげればいいのに。それとも、金持ちだけは逃げなさいと露骨にいう人でしょうか?
その対象が何であれ、ヘイトスピーチは悪意ではなく、むしろその人なりの「正義」から来ていると思うんですよね。だからこそカルト的なものでもあり、厳しく見ていく必要があるはずなのですが。
しかるに、放射線や放射性物質について事実に沿った説明をすれば、即座に原発推進派だの御用学者だのと言われてしまう有様ですから頭の痛いところです。そうして、ちょっと教祖じみた人の煽りの方を盲信して偏見を強めるばかり。学習で相当軽減できる部分があるとは思うのですが、一方で学ぶことを頑なに拒絶している人も目立つわけです。この辺はもう、学習よりも先にカルトからの社会復帰を支援するみたいな類の対策が必要なのではないかという気がしています。
当方のコメントの「ハンセン病患者さん」は「元ハンセン病患者さん」がより正しいですね。失礼しました。
こういう感情を持っているから、花火や岩手の松や車の汚染や福島の野菜を気にすることになる。この感情は容易に「福島に住む人も穢れている」という感情に転嫁するのではないか、いや既にしているのではないか、というのが管理人さんらの懸念なんだと思うんですよね。かつて(というか今現在も続く)ハンセン病へのいわれなき差別と何が違うのかということです。ハンセン病患者さんへの差別をなくす為には病気の現状や彼らのおかれた現状を学習しないと克服できません。放射性物質の恐怖によるこうした問題も学習で相当軽減できる部分があると思うんですよ。
本当にもう、物事を総合的に捉えられないと言いますか、放射線の影響は何万倍にも肥大化させて考える一方で、放射線「以外」のリスクについては存在しないかのごとく語られるのですよね。こういう人々の意見は状況判断を誤らせる要因以外の何者でもないと思うのですが……
>yasuさん
子供を産むな、子供はもう産めない云々とか、その手の擦り込みも深刻なんですよね。この辺は福島居住者への脅しでもあり、優生思想の表れでもある等々、批判されてしかるべきものだと思うのですけれど見事にスルーされている辺り何とも。
松岡子規についての文章で諦めることについての論題だったわけですが、だから脱原発問題でも来るかなーとは思ってたんですけどね。
何より安全神話こそ克服できればそれでいいんじゃないか、本当に被爆体験(墓名碑)からに基づいた悲願で反核の理念をダイナミックに主張していくならばあんな被災者はこともを生むななどというヘイトスピーチには断固たる措置をとらねばならないわけでこれは許しがたいことなんですよと。
大江さんや澤地さんにこそ、いってもらいたかったなっていうのがあります。
残念です本当に。
結局、ムーブメントでおわってしまうのかと・・・ね
かといって代替電力のソースも怪しいですから頼らざるをえないのが現状としては・・・なのかなぁと
花火大会ならタバコ吸ってる人がいるから、全面禁煙にしろ。
とは言わず、なんと禁煙反対派までいる始末。
放射能は超微量でもダメで、タバコは超高濃度でもOK。
全く理解できません。一から十まで何一つ信用できません。
まぁ、政治家でもこの手のヘイトスピーチを有権者の声と勘違いしている感じの人もいますが、とにかく良識が問われる場面ですよね。色々と騒がしい連中ではあるのでしょうけれど、こういう声に屈してしまう人に公務を任せなければならないとしたら甚だ不幸なことです。
>スイスイさん
露骨な恐喝と違って、あたかも「心配している」かの如き良心的な装いを見せた抗議ですと、扱いに困るところもあるのかも知れませんね。中身はどうなんだよと思わないでもありませんが……
>yasuさん
専ら情熱は、復興ではなく「(電力会社や原発を)打倒」することの方に向けられているとしか言いようがないですからね。福島はもうダメだ、と真顔で言う人も脱原発を唱える人の中には少なからずいるほどですし(小出ノストラダムス等々)。自分の生活基盤が盤石な人は電力会社に向けて拳を振り上げておけば済むのかも知れませんが、その分だけ復興は遠のくばかりです。
>三井貴也さん
車が被曝とかw そういう脳内妄想をあたかも現実の脅威であるかのごとく垂れ流し、人々の間に嫌悪感や忌避感を広める、三井貴也さんが実践しているのは紛れもないヘイトスピーチですよ。
そういう意味での郷土愛を持った人がいないのか・・・・どうかなんですがw
ところでtwitterにこんな書き込みが。
これだとますますひどくなりそうですね・・・。
↓以下引用↓
>この手の「左翼の中での逆張り」言説吐いている奴は、大抵、右翼にからめとられて転落していくよ。
>真面目に運動してるやつにキバ向いて「欺瞞だ欺瞞だ」って言うのは、桜あたりとどこが違う?
>「アメリカばかりで、中国の核開発に文句言わない」と「福島に押し付けておいて文句言うな」変わんないよね
真面目に代替電力についてもっと現実的な発想をしてほしいものですが・・・。
新エネルギーなんてたかが知れてますよ、原子力に勝てるわけがない。
安全神話こそが問題なわけであって、それを克服しないで別のエネルギーというのもなんだか変な気がします。
何のために作業員の人たちが命を懸けてやってるのか真面目に考える時が来ていていると思います。
暴力的なテロや誘拐・脅迫なら建前だけでも「テロに屈しない」姿勢を見せるでしょうに。
乱暴な例えですが、悪い意味で「ペンは剣より強し」といいましょうか、
「要望」と「言いがかり」の区別がつかなくなりつあるのでしょうか。
だって、そう。
結局、強者の目線でしか「主張」できてないんですから。
「私たちは抵抗する意思」を持っていても電気を使うなとは言えないわけで。(経済団体連合会に対しても、そうでしょう?。
だったら暫定的にも容認すべきですよ。
問題になってるのは新たなレイシズムです、被災地への。
何が何でも政府憎し・東電憎しの感情じゃあ、理性的な解決への、情念に基づいたビジョンある復興への道筋なんて、到底立てられないでしょうね。
政府内にもしかしたら「あそこはもう駄目だ、諦めよう」と半分でも思ってる人っているんじゃないですか。
そうだとしたらなおさら無理です。最悪です。
だからサンライズプロジェクトっていうのを聞いたことがああるんですが、どうなってるのかさっぱり分からない
瓦礫さえまともに片付けられない、除染も進まないのでは、そうなるのも仕方がないのかもしれません。
だからこそ専門家なわけですね。
で、それを毛嫌いする人がいくつかいる。
こんなのを相手にするだけ無駄なのですが、どうもそこに対して断固たる措置を取れないのがなんとも悔しいなという印象です。
諦めてるから駄目なんですよ。
おそらくこういう事を言う人たちの相手は相当疲れるだろうとは思いますし、その点は確かに大変だろうとは思いますが、住民のほんの少数しか実際には言っていないのに、それをまるで多数いるかのようにして面倒事を避けるなら、結局は差別に加担したことになりますよね。
これは口に出さない住民の空気を読んで、こうせざるを得ないのか、それともそういう空気に共感する、もしくは読むことのできる、差別を推進することをためらわない人しか公務員は勤められないし、そもそもそういう人しか採用されないからなのでしょうか。後者だとしたら、日本はかなり危険な国ですよね。