非国民通信

ノーモア・コイズミ

じゃぁ一銭も渡さなければいいのか

2011-09-19 22:47:21 | 社会

東電、原発立地自治体に寄付400億円 予算化20年余(朝日新聞)

 東京電力が20年以上にわたり年平均で約20億円の予算を組み、東電の原発などがある3県の関係自治体に総額四百数十億円の寄付をしたことが分かった。原発の発電量などに応じて「地元対策資金」を配分する予算システムになっており、自治体側がこれに頼ってきた構図だ。


東電に苦情・寄付要求の連鎖 「Jヴィレッジ」契機(朝日新聞)

 東京電力が大規模サッカー施設を福島県に寄贈したことをきっかけに苦情や多額の寄付要求が相次いだため、東電が同県郡山市、新潟県柏崎市、刈羽村に計130億円分の寄付をしたことが分かった。そのうち郡山市には寄付の名目がたたないため、県所管の財団をトンネルに使って渡していた。原発マネーへの依存が連鎖し、不明朗な手法も使われた実態が明らかになった。

 東電は1997年6月、福島第二原発がある福島県楢葉町などに130億円でサッカー施設「Jヴィレッジ」を建設し、同県に寄贈。その後、郡山市に30億円、柏崎刈羽原発がある柏崎市と刈羽村にそれぞれ60億円分と40億円分の寄付をした。

 郡山市元幹部によると、東電は93年ごろ、同市に屋根付きのサッカースタジアムを造るという計画を持ちかけてきたという。だが東電はその後、計画の中止を市に通告。楢葉町などにJヴィレッジを建設する構想を発表した。

 市側はこれを受け、「約束を反故(ほご)にした。おかしいじゃないか」と東電に苦情を言った。スタジアム建設のために、市は都市計画を変更することを検討していたという。やりとりする中で、東電は寄付の意向を市へ伝えたという。

 東電は市への直接寄付を拒否し、県全体への寄付の意味合いになることを希望した。東電関係者は「原発の立地自治体ではない郡山市に寄付する根拠に乏しいという事情があった」と話す。市側はこのため、県所管の財団法人「福島県青少年教育振興会」経由で寄付を受け取ることを提案したという。同振興会は市役所内にあり、市内での活動が中心だ。東電が同意したため、30億円の寄付が99年に実行された。寄付金は、市の「ふれあい科学館」の施設整備費にあてられた。

 当時の郡山市長の藤森英二氏は「寄付は市へのおわびの意味合いがあったのかもしれない。財団を通したのは、郡山市への直接寄付を避けたい東電の意向と合致した」と話している。

 「普通の」企業がスポーツ施設を自治体に寄贈したりする分には「社会貢献」とか「企業の社会的責任」とか自画自賛付きで語られるものなのでしょうけれど、坊主にくけりゃ何とやら、東京電力がやれば何かと否定的に捉えられるものなのかも知れません。そして建設予定地が変転した絡みで、元々の候補地だった自治体から寄付要求もあったそうで、まぁ意外に自治体の側も頑張っているようです。この頃は形振り構わない優遇措置や膨大な補助金を費やして企業を誘致しておきながら、むしり取られるだけむしり取られて肝心の企業には短期間で去られてしまう間抜けな自治体も少なからずあるわけですが、「物言う株主」ならぬ「(企業に対して)物言う自治体」もあるのですね。

 しかしまぁ、東京電力が自治体に結構な額の寄付をしてきた、それが批判的なニュアンスで語られてしまうと「じゃぁ、どうしたらいいのか」と思わないでもありません。逆に一銭も渡さないようにしておけば良かったのでしょうか。どっちに転んでも公務員と同様に非難されるのが原発事故以降の電力会社でもありますけれど、やはり金を「渡さない」ことよりも「渡す」ことの方が、より強い反発を買うような気がします。何しろ先日も書いたように、従業員の給与を回復させようとすれば政府の介入で禁じられ、逆に給与カットを迫られるような世の中です。誰かに得をさせるような決定は、囂々たる非難を巻き起こすものです。

 お互いに損をしないような関係を維持できればいいのではないかと思うわけですけれど、たぶん世間が「正しい」と考えている関係は、その正反対なのではと思えるフシがあります。企業は立地を提供してもらい、自治体側は寄付という形で対価を受け取る、これもまたwin-winの関係と言えそうですが、嫌う人は「癒着」とでも呼ぶのでしょうか。では反対に、金銭のやりとりなど一切ない、そういう関係は好ましいのでしょうか? 北朝鮮外交や北方領土交渉なんかが典型ですけれど、「お互いに利益を得る」ことを厭い、「相手に得をさせない/自説を押し通す」ことを重視するかのごとき考え方が、この頃は開発事業と自治体の関係にまで当てはめられているように見受けられます。

 結局のところ、利害調整的なものが嫌われ、自説の「正しさ」を押し通す、それがあるべき姿として信奉されている結果として寄付行為への怪訝なまなざしも現れているのかも知れません。寄付金なり交付金なりの「旨み」で相手に妥協してもらうよりも、自説の「正しさ」によって相手をねじ伏せるようなやり方が好まれているとすれば、たぶん東京電力なり昔年の開発事業で採られたやり方の多くは「悪」ということになりそうです。でも、それが正しいエネルギー政策なのだと巨大風車なり太陽光発電設備なり、あるいは温泉地付近に地熱発電設備なりが有無を言わさず建設されるとなったらどうでしょう。自然エネルギー推進は正しいのだから、その建設に反対する人に譲渡する必要などないとばかりに対価(つまり交付金や寄付金)すら示されることがないとしたら、やはり横暴な話ではないかと思います。実際のところ再生可能エネルギーは補助金漬けの世界じゃないか、というのはさておき。

 それから蛇足ですけれど、経済的に貧しいことの不幸を軽く見ないで欲しいな、とも思います。とかく経済的な豊かさが否定的に捉えられ、経済への影響を懸念する声があらば脱原発に棹さすものだと非難が殺到する有様ですけれど、経済的な困窮のために自ら死を選ぶ人だって万単位でいるわけです。どうあっても富は都市部に集中する中で、原発を誘致した自治体に原発が立つ前には何があったのか、それを考えれば寄付金なり交付金なりで手を打つのも尊重されるべき判断ではなかったでしょうか。補償金の受け取りを拒否して開発事業への協力を拒んだ人の(本当かどうか疑わしい)話を涙ながらに伝えるブログ記事なんかを時に見かける昨今ですが、いずれ高齢化と過疎化で滅び行く寒村を放置して「故郷を守った」などと美談にできるのは、それこそ「持てるもの」の幻想でしかありません。

 

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10 コメント

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Unknown (amanojaku20)
2011-09-19 23:28:40
過疎の進んで経済的に苦しい自治体に札束ばら撒いて危ないもの(原発)を押し付けて、と批判するのはいいですが、その人達が原発事故が起きる前から、日頃から過疎の進む市町村にいかに若い人を留めさせるか頭を使ってきたのか、真剣に考えていたのかどうかで説得力が変わってきそうですね。

若い人で地元に残ってくれる人にはマイホーム補助金を出そうとか、地方じゃ民間の雇用は少ないから公務員を増やそうとか、そう言ったアイディアを原発事故の前から常々出してきた人が言うならまだ分かります。

しかしながら若い人を地元に留まらせる為のアイディアをバラマキだの、無駄だのと批判してきた人が
言うのでは何の説得力もありませんね。

電気が無いなら無いでそんな生活もいいじゃない、みたいな事を坂本竜一が言ってましたが、こう言う事を言う人も同様です。電力の不足する不自由な日本に耐えかねたら、海外で移住する選択肢がある持てる者の傲慢にしか思えません。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-09-19 23:52:17
>amanojaku20さん

 往々にして活動家は建設計画が持ち上がったときだけやってきては、すぐに去ってしまうとも言われますね。原発という「敵」と戦うことには熱心でも、誘致しようとする自治体のために原発に代わる「利」を引っ張ってこようとはしない、むしろ利益を誘導しようとする政治家を罵倒していたりもするのではないでしょうか。坂本竜一みたいな金持ちが道楽で、貧しかったり不便だったりする生活を賛美するケースも多々ありますけれど、こういう「持てるもの」にだけ可能な傲慢が幅を利かせてしまう辺り、貧しさというものが理解されていないなぁとつくづく思います。
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なんかね (たーん)
2011-09-20 02:48:52
原発利権とか原子力ムラとかまぁいわゆる脱原発派の人は悪魔の所業のように言うわけだけど、逆に脱原発利権とか脱原子力ムラを作り出すっていう脱原発のやり方も考えてみてもいいんじゃないのかなーとか最近よく考える。
なんか脱原発派の一部の人には政府や企業が脱原発にお金出すのが当然と思っているような節さえあったり…
理想や理屈を唱えるのは綺麗で気持ちのいい事で自分の中の正義感も充足するだろうけど、やっぱそれだけじゃ企業も人も動かないわけで、もっと地に足のついた議論が盛り上がってけばいいんだけどね。
よくある失言辞任ごときで陰謀論ぶってるようじゃ全然話にならないよな…。

後、いわゆる脱原発派と言われる人達の一番の問題としては低所得層とか社会的弱者層への意識が低くちゃんとした目配りが出来てないのが…
少々不便になっても良いとか多少電気料金あがっても良いとか、余裕ある層ならそれでいいのかもだけど、低所得層とかからしたらそれがすぐさま生活に直結してくるわけで、安易にそういう事言われたらたまらないって気持ちになると思う。
それにこれは本来左派が真っ先に目を向けてた層をないがしろにする行為になるわけで、結果票数減らして自分の首を絞める事になりかねないんじゃ…。
脱原発左派系はそういうとこちゃんと理解してるんだろうか?
原発パニックで自分の足下を見失ってる左派が多い気がするのは気のせい?
ほんとどうなんだろね?
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そもそも (頭痛の種)
2011-09-20 08:31:40
補助金の話って誰でも知ってる話だと、思ってましたが、ニュースになるんですね。
むしろ、そっちの方が不思議でした。
急に騒ぐのはもう止めたら良いのに……
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さもしい (ヘタレ一代)
2011-09-20 14:10:37
先日のハンドルネーム「堕落輪廻」は私です。名前の欄にタイトルを打ち込んでしまい、大変失礼致しました。
寄付や障害者への補助金に対する反応を見ると、とにかく目に付いた(関心がない人に対する補助金には何も言わない一方で)他人がお金をもらうのは許せないという動機だけみたいですね。

管理人様は
>「自説を押し通す」ことを重視するかのごとき考え方
と表現されていますが、ここまでくると説も考え方もなく、ただその日その場で自分を気持ち良くしてくれるものを求めているだけのような気がします。まだ何か全体的な計画や民主主義に則った思考体系があってそれに元づいて主張しているならば、まだ調整という事も出来そうですが、ただの感情任せでは零か百かでまさに話になりませんし。

自然エネルギーに対する補助だって、原発騒ぎがなければその巨額さに「利権にまみれている。自然エネルギーは贅沢だ。原発で我慢しろ」などと言われていたような気がします。国民が今日批判していたことを明日になったらその逆の対象を批判しているなどという事をしていては誰がやってもどうにもできなくなってしまうでしょう。
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このご意見には賛同します (Arima)
2011-09-20 15:25:44
特に管理人氏のamanojaku20さんへの返信には深くうなずかされます。
清貧という言葉が生み出されて以来、まるで都会の人が不自由な田舎暮らしにあこがれるかのように、持てる人が持てない人の質素な暮らしを賛美する意見がよくみられるようになりましたね。「上見て暮らすな、下見て暮らせ」と言わんばかりの。小生は大嫌いなんですが(笑)
では失礼をいたします。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-09-20 22:35:39
>たーんさん

 まぁ再生可能エネルギーなんてのも補助金漬けの世界で、それこそ利権の温床としての素質は十分、孫正義なんかは虎視眈々と狙っていますし、スマートグリッドなんてのも巨大なビジネスチャンスですから、まぁ企業が手を出してくることはあるのではないでしょうか。無責任に撤退することもまたありそうですが。

 一方で、脱原発をうたう「左派」が弱者への視点を欠落させていることは、大いに失望させられたところでもあります。原発なり東京電力なりの「悪」を倒せば世界が救われると、そういう意識で行動している感じがしますね。

>頭痛の種さん

 そんなの当たり前だろうが、としか思えない話が、こと原発に関しては「隠されてきた事実」であるかのごとく報道されることは多いですよね。そういうネタ作りが受けるのでしょうけれど……

>ヘタレ一代さん

 謂わば「好き嫌い」で口を出す感じの人も多いと言ったところでしょうか。とにかく目に付いたモノで、気に入らないものは叩くばかり、と。仰るように自然エネルギーも多額の税金が投球される世界、現に地熱発電がらみのプロジェクトは事業仕分けの対象にされたりもしているのですから、それが今さら持ち上げられるというのも何だかなぁ、と思います。

>Arimaさん

 清貧というのも、ある種の金持ちの道楽みたいなもののはずなのですが、いつの間にか貧乏人に「貧乏に満足しろ」と説くような代物になってしまったフシがあります。それは豊かであって初めて楽しめるファッションのようなものであり、本当に経済的に苦しい人が望むものではないはずなのですが。
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細かいことで恐縮ですが (フロレスタン)
2011-09-21 01:08:21
「棹さす」の意味が逆ですね。
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Unknown (amanojaku20)
2011-09-21 19:30:07
大江健三郎が原発の再稼働を許すななどと言っていましたが、代替発電手段はどうするんでしょうね?太陽光にしても火力にしても原発の代替になれるレベルまで持っていくのに1年や2年で出来るとでも言うんでしょうか?私とて原発が倫理的に問題がある発電手段だと思いますし、火力発電の技術が発展してきた今なら脱原発はできるかもしれないとは思っていますが、それにしたって今すぐは出来ないでしょう。

今夏大がかりな停電をせずに済んだのは経済的ダメージを覚悟して節電したからであって
「何だ、意外に原発が無くても何とかなるじゃないか」と勘違いしてはいけない。生産調整の理由に切られる労働者は必ず出てきます。

経済的弱者の味方でありたいと思うのなら原発事故による弱者は当然のこと、電力不足によって生まれる弱者のケアも考えるべきでしょう。
そのあたりも考えて脱原発を訴えている人に私は味方しますが(まぁそういう人達は今すぐ全ての原発を廃炉しろなんて言わないと思いますが)、どうもあのデモを主催してきた人物達に関しては「原発と言う悪を倒そうとしている俺達カッコイイ」と思ってやっているようにしか私には見えんのですよ。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-09-22 00:50:49
>フロレスタンさん

 辞書的な正しさよりも、読者に通じることの方を重視しております。日本語話者の9割近くが用いている意味なら使いますし、むしろ1割程度にしか用いられていない意味は辞書的には正しくとも読者に通じない可能性がありますので避けます。他のエントリでも書きましたけれど、「正しい」と言っても通じなければ自己満足になってしまいますから。

>amanojaku20さん

 大江健三郎も、生産調整とか労働時間のシフトとかのしわ寄せを受けるはずもない社会的強者ですからね。金持ちの道楽を語るにぴったりの人ですが、やはり弱者が見えているとは思えないところがあります。仰るように、「悪」に立ち向かう自分たちのヒロイズムに酔いしれているばかりで、現実的な解決策を持っているかと言えば、何かと疑わしく思えるばかりです。
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