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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

Karl Jenkins / "Stabat Mater"

2008-04-23 00:59:32 | art music
Stabatmater


□ Karl Jenkins / "Stabat Mater"

Cantus Lacrimosus
Paradisi Gloria

Release Date; 10/03/2008
Label; EMI Classics
Cat. No.; 50999 5 00283 2 0
Format: 1xCD

>> http://www.emiclassics.com/karljenkins2008/
>> http://www.karljenkins.com/

>> tracklisting.

01. Cantus Lacrimosus
02. Incantation
03. Vidit Jesum in Tormentis
04. Lament
05. Sancta Mater
06. Now My Life Is Only Weeping
07. And the Mother Did Weep
08. Virgo Virginum
09. Are You Lost Out In Darkness?
10. Ave Verum
11. Fac, ut Portem Christi Mortem
12. Paradisi Gloria


Jurgita Adamonyte Mezzo-Soprano
Belinda Sykes Ethnic Vocals
Jody K Jenkins Percussion

Royal Liverpool Philharmonic Chorus
Royal LiverpoolPhilharmonic Orchestra



?悲しみの聖母はたたずみ給へり
 御子の懸かり給える十字架の傍に
 涙に暮れながら

      -Jacopone da Todi / "Stabat Mater dolorosa" (13c.)


私にとって『スターバト・マーテル』といえば、悲痛な旋律が胸を貫くドヴォルザークや、寒々しく暗れ塞がるペンデレツキのそれの印象を強く抱いている。あるいはクラシックの熱心なリスナー達には、カール・ジェンキンスがこの主題において詩作した楽曲を、宗教曲としての"Stabat Mater"の系譜に含めることを認めない向きもあるかもしれない。


それほどまでにKarl Jenkinsの"Stabat Mater"は煽情的で、聴く者の感傷を強く揺さぶり過ぎる。各声部において独唱及び重唱部の旋律は明快な題意に随伴せず、Belinda Sykesのエスノ・シャントに至るまで、ひたすら響きの美しさを突き詰めたモチーフの連結と反復を繰り返すミニマルなスコアリングに偏重したものだ。そして渇仰する信仰心が荘厳なコヒーレントを描く合唱のダイナミズムが、全楽曲において何よりも先立っている。


テキストは主に英語とラテン語で歌われるが、扱う題材によりギリシャ語、アラム語、ヘブライ語を要所で使い分けている。それらは古くは『ギルガメッシュ叙事詩』、『ルーミー語録』といった考古学上重要な神話・詩文の引用であり、唱法から中東風のパーカッションに至るまで、太古の息吹を感じられる演出上の配慮が為されている。


また、恒例ながらAdiemusを始めとした自作曲の引用も目立つ。導入曲"Cantus Lacrimosus (涙の歌)"は、Adiemusの元曲のタイトルを、そのままラテン語に置き換えた"Cantus: Song of Tears"の再解釈であり、Graham Davisによって韻を整えられている。

"And the Mother Did Weep"もアディエマスの"Amate Adea"を一般手法にリデュースしたものであり、これらが始めから伝統的唱法を想定して書かれたものではないかという邪推を禁じ得ない。カールの頭には宗教曲を書き上げることへの憧憬が一貫してあったのかもしれない。尚、"Ave Vernum"は同郷ウェールズ出身のオペラ歌手Bryn Terfelに作曲したものとある。


Karl Jenkinsのルーツに言及する場合、Soft Machineを経由したジャズロック的バック・グラウンドが第一に挙げられることが多いが、彼はイギリスのRAMにおいて根っからクラシックを学んだオーボエ奏者である。良くクラシックとジャズの対比において、「クラシックは形式的、ジャズは即興的」と言われる。しかし実のところ作曲過程における統語論的意味においては「クラシックは自在的、ジャズは決定論的」と、立場が逆転する。

この両者の対立が、アディエマスにおいては実に巧く折衷されていた。Mike Ratledgeが初期アディエマスにおいて確立したパーカッションワークは、実はジャズにおけるハイハットシンバルの息づかいにそのまま置き換えられることに鮮やかな感動を覚えたものだ。無論この"Stabat Mater"においても同様である。


ところで、純正オーケストラにエスノシャントを絡める"Incantation"の書法は"Vocalise"から顕著となったが、これは90年代既にJonathan Eliasが独自に完成しており、ここでも非常に酷似して聴こえる。もっと遡れば4ADに好まれた音色に大きく被る所があるのだが、それが意図的な追随なのか否かは判断しかねる。

アルバムを壮大に締めくくる"Paradisi Gloria"にしても、Philip Glassの交響曲第五番に似た強いデジャヴュを覚えてしまう。彼の作風は、ここ数年のコンテンポラリーミュージックの趨向からそれほど外れたものではないのかもしれない。


しかし近現代音楽のクリティシズムに照らしても、Karl Jenkinsの方法論には異質と認めざるを得ない味がある。それは明らかに前衛手法、あるいは古典的書法を目指す定方向のトランジションを逸しており、うんざりするほど使い古され、耳に染み込んだ消費音楽の陳腐さも、そうとは切り捨て難いほどの芸術性豊かな純正律の響きも兼ね備えた渾然たる、「魂の琴線」を弾く音に他ならない。だからこそ、Karl Jenkinsの"Stabat Mater"は、模範芸術としての面では受容されなくとも、間違いなく多くの現代人の胸を震わせること出来、そこに存在意義があるのだ。




□ Miriam Stockley / "Eternal"

Fantasy - Sicut Cervus

Adiemusの立ち上げに大きく関わった『分身』ミリアム・ストックリーの、昨年リリースされたソロアルバムから。実に神聖な雰囲気の曲だが、彼女のスタンスはスタジオ・レコーディングを主としたヴォーカル作品に傾倒している。(Adiemusのカヴァーも収録)

この曲に限ったことではないが、一聴したぐらいでは彼女の曲とアディエマスの作風との明確な違いがわからないという方も多いかもしれない。しかし両者は、表現法として蓄積された既知のバンクから「宗教的雰囲気」を技巧的に抽出するか、あるいは自作のカラーの上に露呈するかの点において決定的な差異がある。前者はミリアムで、後者がアディエマスだ。




□ あとがき

アディエマスは個人的にも思い入れのとっても強い音楽なんですよね。出会いは高校生の頃に見た科学ドキュメンタリーに使用された"Zarabanda"でしたが、最初に買ったCDは"Cantata Mundi"なので、「アディエマス」だと始めに意識して腰を据えて聴いたのは"Song of Tears"だということになります。だから"Stabat Mater"の導入には心が打ち震えるほどの感動を覚えました。