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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

Peteris Vasks / "Symphony No.3 / Cello Concerts"

2006-09-16 03:52:57 | art music
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□ Peteris Vasks / "Symphony No.3 / Cello Concerts"

Release Date; 25/10/2006
Label; Ondine
Cat.No; ODE1086
Format; 1x Hybrid SACD

ラトヴィア現代音楽の旗手、ペテリス・ヴァスクスの『交響曲第三番』と『チェロ協奏曲』。彼の音源は決して多くはなく、これも貴重なリリースとなりそう。旧政権下の悲劇や苦難に根ざした社会性・人間性に基づく強いメッセージを訴える作風で、民族音楽を基型とした扇情的・暗く悲壮な旋律を得意とするヴァスクスの最新録音。


□ 法と良識。

あらゆるルールは『力の趨勢』、万人の利害関係を統べるパワーバランスの反映である。それは人間社会における法律に留まらず、人間としての良識、あるいは生物的優位性といったあらゆるパースペクティブにおいて、劣性を悪性とする抗い難い傾斜が存在する。しかし、その全ては常に「過去の写像」に過ぎない。人々の常識も法律も移ろい行く。

私たちは、人間性において最も枢要と思われるところにおいてまでも(例えば人命の尊厳、しかし自殺するのは人間だけではない)、メタ-パラダイムによって反転されうる限り、「絶対的なルール表に照らして裁断している」のではない。ただし普遍的な振る舞いがあるとすれば、この良識の敵とするものは、主に「コミュニケーションを阻害するもの」である。この点において、実に人間は、その法則に従うところの結果に感応する生命である。そして全く同じ理由から、法に遡行する力が生まれるのであって、そこで起こっていることは、パワーバランスの描く境界の絶え間ない書き換えなのである。


□ ひとり○○○

たとえば、結婚もせずに一人身で可処分所得を贅沢な趣味に費やしたり、自らの楽しみの為だけに消費するということの空虚さ。とは言うものの、そうして積み上げたものって、最終的には外へと向かっていく指向性があると思うのです。ファッションやグルメに関してはもちろん、音楽鑑賞だったり旅行だったり、「趣味」や「快楽」って、善し悪しこそあれ、その度合いに関係なく、他者とのコミュニケーションの為に経験する価値があるんじゃないかな。究極的な目的は「情報の伝達」で、お金はその為の手段の一形態。でもそうだとして、仮に世界に一人だけ残されたら。。それでもやっぱり快楽は必要だろう。生にエネルギーと時間を費やし、従って自ら死に行く存在。人間は誰といようとも、いつも孤独な存在なのだから。


□ 日記

珍しいレストランに行ってきました。実は二回目なんですけども、そこはどっからどーみてもフツーの民家。玄関から中に入っても、まるで他人の自宅に上がり込むような感覚で、居間まで通されます。そして出てくるのが、本場プロヴァンス風のフランス料理。座布団で食べるミスマッチが何とも言えない隠し味か。それと妹がおごってくれるというので、深夜にまた焼き肉とラーメン食べてきました。まだちょっと苦しいです。満腹感を覚えたのはすごい久しぶり。あと帰り道にネコがいたので、つねに持ち歩いているチーズ(笑)を投げたら、ぶつかりました。ごめんよう(T-T

前回からMacBookで書き込んでるのですが、寝転んでインターネットって本当に気持ちいいですねー。気付いたら寝てるし。(書き始めたのが1:00。今は4:00)

(↓の記事のSleepthief / "Eurydice (Sensory Gate Mix)"の試聴リンクを追加しました)