──Omnium rerum finis erit vitiorum abolitio.
『すべての終わりに すべての罪は忘れられるだろう』
- オリゲネス
□ Carl Orff / "De Temporum Fine Comoedia"
(Karajan / Kölner Rundfunk-Sonfonie-Orchester)
♪ 神よ、我々に占いと予言と夢見の力を与え給え
♪ 我々はどこへさまよい出て、見失い、捨てられるのか
♪ 目が見えず、足がなえ、心乱れた悪霊の数もみな
♪ ああ、地獄の門の暗い闇の瞳が我らを見つめる
♪ 父よ、我罪を犯せり (Pater peccavi)
♪ 至高の精神性をもって (Con sublima spiritualita)
Release Date; 03/ 6/2006
Label;Deutsche Grammophon
Cat.No.; PROA-38
Format:1xCD
・カール・オルフ(1895-1982) / 『時の終わりの劇』
I. Die Sibyllen (シュビラ)
II. Die Anachoreten (隠者)
III.Dies Illa (その日)
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ケルン放送交響楽団
:ケルン放送合唱団
:RIAS室内合唱団
:テルツ少年合唱団
(録音: 1973年7月16-21日 レーヴァークーゼン)
※…レビューにあたって、スリーブ中のカール・シューマン氏の文章を多く引用した。当該文は本文中では段落下げにて表記することをお断りしておく。
カール・オルフが生涯を通して表現しようとした気宇壮大な構想"Theatrum Mundi"おいて、「宇宙の最期」を描く最大にして最後の劇作品が、この『時の終わりの劇』である。尚、カラヤン唯一のオルフ演奏となるこの録音は、ザルツブルク音楽祭での世界初演の前に行われたもの。その演奏にはあまりにも巨大な編成を伴うため、1979年のミュンヘン公演以降再演されていない。
演奏は打楽器が中心的な役割を担い、その鋭角的なリズムがカオティックとレゾナンスに満ちた合唱の重量感を引きたてている。また、テープや風車の音など、ミュージック・コンクレートの手法が見受けられるのに加え、グレゴリオ聖歌といった古典的書法だけでなく、日本の仏具やお経を模した様式も取り入れられた。
「時の終わりの劇」のスクリプトは、3世紀初期キリスト教神学者オリゲネスの『原理論』にあるテーゼを軸に、ローマで紀元前2世紀に遺された予言『Oracula Sibyllina』、古代ギリシア・オルフェウス教の讃歌、グノーシス、そしてベネディクト修道院で発見された写本『カルミナ・ブラーナ』のテクストから断片的に多くの要素に基づいている。その中心的な理念によると、「時の終わり」においては世界のすべてが霊化し、「神と同化」する。最後の審判で地上に一人残ったルシファー(サタン、あるいはメフィストフェレス)は父なる神に許しを請い、再び光の担い手である大天使ルシファーへと回帰を遂げ、地上と天、そして宇宙の声の響きに導かれる。そこにもはや裁かれるべき罪は存在せず、全てが必然のもとに永遠のカノンへと帰依する。
「あらゆるものの復興」という理念は、ルシファーを登場させる。彼は、もともとそうであった役割、すなわち光の担い手に再びなっている。それ以前にはアフェクトと緊張を孕んでいた音楽は、最後の場面で「原音程」に戻る。そして声のポリフォニーの宇宙に「宇宙の声」と「天の声」が聞えるのである。徐々に「宇宙の声」すなわち地上の音楽は消え去っていき、「原音程」完全5度に象徴される天国の音楽に吸収されていく。半音階と調号はスコアから消える。5度が、すべては霊魂である、という究極の認識を担っている。
この霊化は、最終場面では和声からオーケストレーションにいたるまですべてを支配している。弦楽器の中でも最も目立たない4台のヴィオラが、オルゲルプンクトの上で4声からなる楽節を演奏し始めるのだが、これは中世のオルガヌムを思い起こさせる。メロディはバッハのコラール『汝の御座の前に今ぞ進み出で』から取られている。4声からなるカノンはそれ自身を軸として転回し、逆行形で象徴的に開始点に戻ってくる。こうして円環は閉じられるのだが、円は、一般的に最も象徴的な形とされている。
カノンやリチェルカーレが『永遠』の表現手法とされるのは、実はかなり昔からの書法で用いられてきた。代表的なのがやはりJ.S.バッハの一連の作品、特に『音楽の捧げもの』に散りばめられた符号性は長年研究の対象となっている。
ルシファーが登場する第3部では、かのペーター・シュライヤーの珠玉のテノールが堪能できる他、怒涛に畳みかける苦痛と絶望、そして混沌に満ちた混声合唱の不協和共鳴に圧倒される。それ故にルシファーの言葉"Pater Peccavi"で開かれる巨視的、大局的な安らぎに、作品の精神性が一度に収束を迎える瞬間を実感できる。
カール・オルフの『時の終わりの劇』は象徴に満ちた作品である。テクストの詩行と音楽上のfigureは、それぞれ象徴的な意味を持っている。スコアからは、オルフの生涯を通じての志向の総体を引き出すことができる。それは、古代ギリシャ・ローマ文化とキリスト教という、西欧におけるふたつの精神的土台を、ひとつの『"Theatrum Mundi"(宇宙の劇場)』において明らかにしようとするものであった。ふたつの世界は互いに浸透しあい、すべては霊魂であり、それ故に神聖である、という認識に導かれている。「すべては霊なり」(Ta Pantanus)ということが、最終的に包括的な原理なのである。
そして時が終わり、カノンに象徴され、収束した『永遠なるもの』の光芒は虚空の彼方へと響き続ける。今も。。