山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

寄り道

2009-05-31 12:33:31 | 運転・車・道路の事
今週のトラックバック練習板のお題は「寄り道・道草・遠回り」ですね。

昨日は、自動車学校の帰りに、ふと思いついて「検定コース」の自転車巡りをしてきました。
これは、暇な日をみつけて、検定までにしておこうと思っていたことですが、急遽実行することにしました。
検定コースは、自宅とはちょっと外れた方向ですが、全く逆方向というわけでもないので、前の時間に教習車で走った道順を自転車で同じように走っていきました。

道路を走っていると次の時間の路上教習の自動車学校の車が通ったりします。
狭い道路を走っている場合、今度はこっちが自転車走行のじゃまなおばさんになってしまいます。「あれ、うちの教習生だよ、じゃまだなあ」なんてことにならないように結構気を遣います。

幹線道路に出て、車で進む道順で左側の歩道を走り、交差点では止まってしばらくの間、信号の状況や右折の仕方などを観察。自転車で立ち止まっていると、また同じ学校の教習車が交差点を右左折などしていきます。けっこういるなあと思います。そういえば、教習中も連なったり、すれ違ったりすることが多いです。自転車でうろうろしているところをみつからないように街路樹の陰に隠れたりしていました。
横断歩道のそばに立ち止まっていると、教習車に限らず、渡るのかと思って、右左折車が止まってくれたりするので、観察の場所を選ぶのにも気を遣います。交差点が良く見渡せる場所ってそういうところが多いですが、それでは運転者に迷惑ですね。

自分が曲がる可能性のあるいくつかの大きな交差点を観察し、それから今度は停車位置の確認にも行きました。ガードレールよりも縁石のほうが出っ張っているので、ガードレールすれすれに合わせると車体をこすってしまうかもしれません。30cm弱というところで、あんまり近づけすぎないほうがいいようです。

ある小さな交差点で右折する場合、進路を譲ってくれる対向車が多いようです。よく見ていると、それほど交通量が多くはありませんが、右折車が進まないと後ろの直進車も進めないような狭い道路です。そして、対向車の直進車両は、その信号のすぐ先にもうひとつの信号があって、それが赤の場合は、急いで進んだところで意味がないため、その対向車は信号で停止していた場合、信号が青になってもそのまま止まった状態で先に右折車を行かせてくれる状況が多いようでした。

道路とは、いろんな状況があるんだなあと思いますが、なかなかそういうことを理解し対応していくのは難しいです。
その交差点では、譲ってくれたからとあわてて右折し、直進してきた二輪車と衝突してしまうというサンキュー事故のおそれがあるので、要注意とのことです。

先日は、そこで道を譲ってもらったのですが、対向車が譲ってくれているのにも気がつかない有様で、教官に「譲ってくれてるから行きましょう」と言われて、言われるがままに進んで行ってしまいました。私はどこを見てたんでしょうね。教習中、「譲ってくれてるよ」といわれることが結構ありますが、譲ってくれてる状況をほとんど把握していません。

その後、そのまま教習コースを進むと時間がかかりすぎるので中断し、通りがかりのスーパーでお昼の買物をして、自宅に向かいました。
帰宅すると、夫は待ちあぐねてカップラーメンにお湯を注いでいるところでした。

検定コースでは、さらに別の停車位置などの研究も必要です。
また近日中に続きをやらなくては。



コメント

アンポンタン

2009-05-31 11:38:40 | 運転・車・道路の事
複数教習になって、最後に運転をしていた場合、みんなの荷物を入れていたトランクを開けるという場面が出てきます。
このあいだ、それにあたったのですが、「あれっ、トランクってどうやって開けるんでしたっけ?」ということになってしまい、教官に「トランクの開け方くらい知らないと困るなあ」と怒られてしまいました。
そうですよ、確かに路上教習に最初に出る日の教習で、車のライトのつけ方とかエンジンルームを開いての点検とか、トランクの開け方とかを教わった記憶があります。
それで、運転席の椅子のわきあたりに操作するところがあって、実際に開けてみるという体験をたしかにした記憶があります。しかし、実際に今になって見てみると、これだったという確証がもてません。関係ないところをいじくって、ボンネットなんかが開いてしまったり、何か別のことが起こってしまったりしたら困るので、「どうやってあけるんですか?」というバカな質問に至ってしまいました。そうしたら、他の教習生が教えてくれました。
わあ、恥ずかしい~~。
やっぱりオバサンは物覚えが悪すぎる、記憶力なさすぎ。

そういえば、窓も開け閉めも踏み切りの練習のときに何度もやっていたのに、しばらくぶりに車庫入れで窓を開けようとしたらわからなくなってしまいました。
レバーを引くのだと思ってやっても動かないのでパニクッていると、押すのだと、これまた先生があきれつつ教えてくれました。引くのは閉めるときでした。そんなことも数日で忘れちゃってるのでした。

こういうのって、車種によっても違うんでしょうけど、自宅に車がある人はわかる場合が多いんじゃないでしょうか。自動車学校で習ってきたら、ちょっと自宅の車を観察してみたりもできそうです。
いくら自宅に車があるとはいっても、自分が運転しているわけじゃなくて、いつもお父さんなんかがしているのだから、車のことを知らないのはどの教習生も同じ、ともいえるけど、お父さんがトランクを開けるときは、どの辺を操作している、みたいな記憶はあるのかもしれません。
なんか、私が子供のころ田舎で父が乗っていた車は、トランクを開けるときはハンドルの右下のほうに操作するものがあったような気がします。そんなふうに何気なく記憶していると、全く知らないところから知識を得るのとは違うようにも思います。

車とは私にとっては本当に未知の物体だ・・・
とりあえず、トランクの開け方は覚えました。
コメント

飲酒と運転

2009-05-31 09:14:17 | 運転・車・道路の事
早いものでもう今日で5月も終りです。
私は、自動車学校に入学してから2ヶ月がたとうとしています。
明日、6月1日から、道路交通法が新しくなり、飲酒運転に対する措置が厳しくなるようです。一回の酒気帯び運転でも免許取り消しになる場合があるとかいうことです。
これは、当然ですね。飲酒運転ほど危険なものはないと思うので厳しければ厳しいほど良いと思います。

そういう私も、実は、自動車学校に入る前は、ビールを飲んで自転車に乗るのは日常茶飯事でした。ビールを少し飲んだくらいでは、なんら変化はないと思っていたのです。
また、自転車というのは車輪はついていても、歩いているのと変わりはないと思っていました。
しかし、自動車学校で、自転車は「軽車両」であることを習い、車の信号に従って進むこともできるし、車道を走るものでもあり、歩行者と同じではないという感覚がはっきりしてきました。自転車も飲酒して乗ったり、携帯電話をしながら走ったりしてはいけないし、実際危険です。自分が直接に歩行者にぶつかるとかではなくとも、一瞬の判断遅れが、他の自動車の動きに影響を及ぼし、交通事故を招く可能性も大きいです。

そうなると、お酒を飲みに行くときは自転車では行かず、自転車で行ったときはお酒を飲まなくなりました。これは、なかなか健康にいいようです。
車の運転と飲酒のどちらかを選ぶとすると、お酒をやめて運転をしたほうがいいという選択をする人も多いと思います。実際、私の友人はお酒を飲む人でしたが、電車よりも愛車に乗って移動したいがために、最近はいっさいお酒を飲まなくなりました。お酒は飲まなければ飲まないでも、会話や食事を楽しめるものですね。

うちではだいたい夕飯の前にビールをコップ1杯くらい飲むのが習慣です。自動車学校が遅い時間にある場合、一旦会社から家に帰って夕飯を食べてでかけます。授業が学科だけの場合は、運転するわけではないので、自動車学校の送迎バスを使うならばビールを飲めないことはありません。しかし、いくらなんでも、少量とはいえアルコールを飲んで授業に出るというのはまずいだろうと思います。これが、なにか別の一般の文化講座なんかを受講しに行くなら、食前のワインやビールくらい飲んだところで、問題ないかと思いますが、自動車学校の授業じゃ、さすがに思いとどまります。だから、そんな日は夫は1人でビールを飲みます。

そんなわけで私は、今までお酒を飲んでいたはずの時間に、お酒を飲まなくなったということが言えます。
そして、今後も、自転車であっても飲酒運転はけっしてしないつもりです。

車の運転というのは、「しらふ」であっても危険を伴うものなので、飲酒なんかとんでもない話ですね。




コメント

高齢者講習

2009-05-31 01:11:26 | 運転・車・道路の事
自動車学校で「高齢者講習」というのをやっている。
これは、70歳以上の人が、免許を更新する時に、近くの自動車学校に赴き、3時間ほどの講習を受けて、その証明書を持っていくと、免許が更新できるというものらしい。
どのような講習をするのかはよくわからないが、年をとってもなお運転能力が鈍っていないということを認めてもらえるというものなのだろう。

自分が免許を取ろうなどと考える前は、こういうものについてもまるで関心がなかったし、自分が教習所に通わなければ、こういう人たちを見かけることもなかったので、そのことを意識することもなかっただろう。

教習所は普通、若い人ばかりなのだが、妙にお年寄りが多いと思うと、この高齢者講習の人たちである。おじいさんばかりで、おばあさんはほとんどいない。この年代の人で車を運転するのは男性が圧倒的に多い時代だったのだろう。

私の夫は現在50代後半で普通車の運転免許は持っていない。そこで、夫も免許を取ったらどうかと少しは考えたりもした。そんなとき、自動車学校で、頭に白髪まじりの男性などがいるのを見て、最初は定年退職後に免許を取りに来た人ではないかと思い、夫に、年のいったひともいるようだと話たこともあったが、どうやら、高齢者講習の人だったらしいのだ。
ということは、もう、何十年も車を運転しているベテラン中のベテランということだろう。しかし、やはり年をとると、動作が緩慢になってきたりするから、年には勝てない限界というものがある。悲しいことだが仕方が無い。

実際には、60歳過ぎで、本当に免許を取りに来る人も、たまにはいるらしいが、70を過ぎたらベテランでさえ、運転が怪しくなってくる人もいる状況の中、新たに免許を取るというのは、いかに大変なことであろうかと思う。

そして、かなり高齢な教習生である私の場合、高齢者講習というのも、他人事じゃないのでは?とふと気がついてしまった。
20年なんてあっという間だ。今後は高齢者講習は75歳になるとかいうことだが、そのとき、私はどうなっているのだろうか?私は、またこの自動車学校に高齢者講習に来るのかな?そのとき、今20代の教官が50代の超ベテラン教官になっていたりして・・・。
何か、驚くべきことだ。私は早くもペーパードライバーになって、免許証は無用の長物になっているかもしれない。それとも年を取っても車を運転しているのか、まるで予測できないなあ。

コメント

父と車

2009-05-30 23:36:15 | 運転・車・道路の事
母のことを書いたので、父のことも書こう。
前記事で、母のことをあまりよく書かなかったけど、実際は母は全く普通の人間です。
でも、どちらかというと、母よりも父のほうが温厚で優しい人物だと世間の人から思われていたようです。

父は42か43歳くらいで、自動車の運転免許を取ったようです。それまではスクーターに乗って会社に通勤していました。
車を買ったのは、自分の家を建てて、駐車スペースが確保できるようになってからでした。
当時は、昭和40年代で、世の中は高度成長、車社会に突入していました。
家族でどこかに行くには、実際、車が必要にもなりました。

親戚が中古車販売業をしていたので、そこで車を選びました。最初に買おうとしたのは、グリーン系のライトバンでした。ところが、これに乗って坂道を登っていると、全然スピードがでません。歩くよりも遅いという感じで、どんどん他の車に追い越されていきました。
そこで、その車ではしょうがないということで、やめて、キャロルを買いました。キャロルは小さいけど元気でした。当時は、自分の手で車にペンキを塗ったりしていて、キャロルは最初水色の車体に青い屋根でしたが、次に屋根をエンジに塗ったりしていました。
この車で、家族そろってよくドライブにでかけました。

その後、私たち子どもも大きくなり、多少の経済的余裕もできてきて、今度はクリーム色のカローラを買いました。そのころは私が中学生くらいでした。
それから、私が高校生のころか、青いカリーナを買いました。すべて親戚の中古車販売店から買った中古車でしたが、不足はありませんでした。
中学や高校はバス通学で、部活帰りにバスに遅れたときや、大雨が降って傘がないときなどは、迎えにきてもらったこともありました。東名高速を走って家族で遠出することもありました。

姉は就職すると、白いスプリンターを買いましたが、崖から落ちたときに、クレーン車で吊り上げ、屋根から地面におろす状況となり、屋根がへこんでしまったので、廃車になってしまいました。下に落ちた時点では屋根はつぶれていなかったそうで、残念がっていました。その後、姉は別の車は買わず、程なく結婚したので、夫の車に乗るようになりました。

その後、父は病気になりました。入院している最中に車検の時期がやってきましたが、父の病気は治る見込みがなかったので、車検は見送りました。
そして、免許の書き換えの時期も来ましたが、父は入院していたのでできませんでした。
そして、父はそのまま逝ってしまったので、車は廃車になりました。
父は元気な頃、次には新車を買いたいと言っていたようですが、それは実現しませんでした。

私が父の運転する車に最後に乗ったのは、父が入院する3ヶ月くらい前で、私が東京の友人を連れて実家に帰ったときに、一緒に行楽地に車で乗せていってくれました。

父が車を運転していたのは、免許を取った43歳くらいから、亡くなる前の58歳くらいまで。今になってみると15年間くらいでした。
父は慎重な人で、無事故・無違反でした。

私はその後、自分の家に車の運転をする人がいない環境の人間となりました。

私も、父のように安全運転を通したいと思います。




コメント

無縁坂

2009-05-30 19:50:05 | 日記
姉と話をしていると、母が若いころは、他の母親と比べて、自分の子どもに対してあまり優しい母親ではなかったという情報が出てくる。
私は、母にしか育てられたことがないので、母親とはそんなもんだと思っていたが、姉は私が生まれたときに数日間、親戚の叔母のところに預けられ、そのとき、叔母がとても優しかったのだそうだ。それは、よその子供を預かっているのだから、優しくするのは当然だろうと思うものの、姉に言わせると、絶対にうちの母より他人のほうが心根が優しいのだそうである。

また、姉が言うには、姉が小さいころは、母が作るおかずは、いつもキャベツの千切りに醤油をかけたものだったそうだ。
そう言われてみると、私は母と姉がキャベツの千切りに醤油をかけて食べていたという記憶があり、私はそんなものはまずくて食べられないので、いつも「のりたま」のふりかけかなんかをかけてご飯をたべていたように記憶している。そのころ、私は、母と姉はキャベツが好きなのだと思っていた。

私は、なぜか物心ついたときから、生野菜というものが大嫌いだった。味もキライだし歯ごたえもキライだし、私にとってはどんなことをしてもノドを通らないようなしろものだった。それは野菜炒めなどでも、野菜の生の香りと硬さが残っているものはまったく食べ物としてうけつけられなかった。

最近、姉から聞いたことに、母は、私の離乳に失敗したのだそうだ。だから、私は野菜などを食べず、特定のものしか食べない子どもになって、体も小さかったようである。私は、いつも野菜を前にして、食べるものがなく、おなかをすかせていたという記憶がある。
焼きそばは好きでも、そこにキャベツが混じっているので、そばも食べられないから、結局食べるものがないのだった。そのような偏食の私は、小学校の給食では苦労した。キライなものを食べるくらいならお腹を空かせているほうがよかった。
そのような野菜嫌いが、母の離乳食に由来するということは、事実かどうかはわからないものの、最近初めて知ったことだ。

また、姉が言うには、母は、私が手をつなごうとすると、私の手を振り払っていたという。
手をつなぐとぶら下がってきて重いからだそうだ。そういえば、私は母と手をつないだ記憶がない。また、なぜか友人と手をつないだりするのにも抵抗があるのだった。どちらかというと、私自身が人と手をつなぐのが嫌いな人間だった。

そんなことをふと、考えるうちに、私の頭に「無縁坂」の歌が急に浮かび上がってきた。

母がまだ、若い頃、僕の手をひいて
この坂を上るたびいつもためいきをついた
ためいきつけばそれですむ
うしろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手はとてもやわらかだった

私は、あまり歌の詞を覚えるほうではない。
でも、この歌は子どものときに、自宅に弾き語りの本があったので、
それで、歌詞を覚えてよく歌っていた。
子どもの頃は歌詞の内容までよく考えなかったが、
今思うに、この母親は、あまりにも私の母とは違っていると思う。

だいたい、私の母は、私が「ためいき」をつくと怒る人間だった。
だから、私は、「ためいき」をつくことは、悪いことだと思っている。
母は、ため息をつくことを許さない。当然のことながら自分もためいきをつかない。
ため息をつくようないやなことなら、さっさとやめちまえというのだった。
私の場合、やめちまえば済むようなことに、「ためいき」をついていたのも事実だったし、
「ためいき」をつくということは単にヤル気がないだけであり、ヤル気さえあればため息なんかつかないで、やり遂げられることばかりだったのも事実だった。

それに比べると、この無縁坂の歌詞の母は、ずいぶんと苦労のあった人だったことがわかる。
後ろをみたら、生きていくことさえままならないような心境になってしまうような辛い人生だったんだろう。
だが、母の手は白くやわらかだったというのは意外だ。この母親は精神的には苦労していたようだが、手は荒れていなかったのだろう。

私は母と手をつないだ記憶は無いが、母の手は白くはなく、やわらかでもない。
母の手はどちらかというとしっとりとはしておらず、乾燥ぎみだということを私はなぜか知っている。それは私が母と手をつないだことがあるからに違いない。

運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど
そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う。
しのぶしのばず・・・

ここまできて、急に胸がぐっときた。
この母親、かわいそうな人だ。

無縁坂・・・

運が悪い、縁がない、人だったんだ。

かみしめるような
ささやかな僕の母の人生

きっと悲しい境遇の人は優しくなるんだろう。

ためいきをついて怒ったり怒られたりしているような人たちは幸せである。
手を引かれた記憶がなくても、何の不足も感じないで育った私は幸福であるってことだ。

コメント (2)

十人十色

2009-05-30 15:40:29 | 運転・車・道路の事
複数教習をするようになって、他の教習生の方の運転する車に乗ることが増えてきました。
それで、人の運転のいいところや悪いところ、それに比べて自分の運転のいいところや悪いところなど、いろいろわかってきます。

きっと、自分の欠点ってあんまり気がつかないもので、自分にできていて他人にできないところには気がつくのは簡単ですが、逆は指摘されて初めてわかるということもあります。
その中には、無意識にやっていたり、単に無知で違う判断をしていたということもあり、それに気づいたのは前進です。また、他人が合図確認などすごくちゃんとやっているなと思う部分もあり、自分もそのようにやらなくちゃと思って、意識が覚醒されるので、複数教習というのは、いいことだと思います。

それにしても、ニンゲンというのは、ほんとうに人それぞれで、加速の仕方やブレーキのかけ方、合図を出すタイミング、丁寧さ、慎重さ、思い切りのよさ、など、その人の個性がよく出ます。
同じルールに従っていても、誰ひとり同じ運転をする人はいないでしょう。

それは、すごく面白いなあと思いました。

コメント

短いズボンやスカート

2009-05-30 14:58:05 | 運転・車・道路の事
自動車学校の教習時の規則に、「短いズボンやスカートの禁止」というのがあります。

この言葉は、よくわからない。
この「短い」は、ズボンだけにかかっているのかスカートにもかかっているのだろうか?
そこで、もし「短いズボン」と「スカート」という意味だとすると、長いスカートでも禁止ということになる。わからないときは、「長いズボン」を穿いていれば、とりあえずは問題ない。
4月頃、周囲を見渡すと、スカートを穿いている人は皆無だったので、私もスカートは穿かないで、長いズボンに徹していた。
しかし、日ごろ運転している人が、スカートで運転しないということはありえないし、スカートだからといって運転の障害になるとは思えない。靴に関しては、たしかにハイヒールやぞうりでは適さないが、半ズボンやミニスカートが物理的に運転の障害になることはないだろう。
してみると、短いズボンや短いスカートは、運転の障害になるというより、教官の目の前に太ももを露出することが問題なのではないかと思う。
となると、やはり「短い」はズボンとスカートの両方を修飾しているのだろう。しかし、むしろロングスカートは足にまつわりついて運転がしにくいようにも思うから、やっぱりスカートは長すぎても短すぎてもよくなさそうである。だったら、普通にひざがかくれるくらいのスカートなら問題はなさそうだ。私はだいだい普通の長さのスカートで通勤しているので、そのままズボンに穿き替えずに教習を受けたことがあるが、スカートはいけないとは言われなかった。しかしながら、やはり運転はズボンが基本だろうと思うので、だいたいズボンに穿き替えている。

ところで、最近、かなりの頻度で「超・短いスカート」を見かけることが多くなった。
おいおいそこまで短いスカートで教習を受けるのかい?と驚くばかりだ。まっすぐ立っていても、もうぎりぎりの長さである。教習に向かう女の子の姿を見ると、薄いミニスカートが風になびいてまくれあがったりしているではないか。これはまずいんじゃない?と思うが、そういう人が減らないところを見るとあまり注意されることもないのだろう。ものすごく短いホットパンツみたいなのを穿いている人もいる。

このような人を最近よく見かけるようになったのには、気候が暑くなってきたからでもあるが、最近の教習生たちが、高校を卒業したくらいの学生ではなく、もう少し年齢が上がってきていることもあるようだ。以前は圧倒的にGパンが多く、顔も素顔か薄化粧だったが、最近はおしゃれな格好をしている人が多く、化粧などもうまくなっている。ものすごい美人も複数見かける。スタイルのよいモデルさんのような人もいる。
こういう人を教える教官は嬉しいのかなあ?美しすぎて緊張するかも。
また、逆に長髪でひげをはやしたムサイ男や暴走族のにいちゃんみたいな人もいるので、ほんとうに様々だ。
以前は全然顔を覚えられなかった教習生の人たちだったが、このごろは個性の強い人が多いため、待合所でも記憶にとどめる人が多くなってきた。
年齢が上がってくると、個人的な主張も強くなってくるのか、服装ひとつにしても、できうる限り勝手気ままな格好をしているようである。
ルールや原則はあるものの、それから外れても大した問題ではないという判断なのだろう。

また、教習時刻になると、教習生に対して教習開始のアナウンスが入り、普通はそれを聞いてから外に出て行くのだが、勝手気ままに早々と出て行き、早々と車に乗り込んでいる人も見かける。みんなと同じ行動をしていないのがおかしいことだと本人が気付いていないのか、それとも故意にしているのかわからない。

いろんな人がいるなあ、と思うこのごろです。


コメント (2)

みきわめ

2009-05-30 01:43:01 | 運転・車・道路の事
まだ、第二段階の「みきわめ」ではないけれど、第一段階の「みきわめ」のときのことを思い出しました。
「みきわめ」の前には、「みきわめ」を受けられるか受けられないかの「みきわめ」をするわけです。
そこで、「じゃあ みきわめ を受けてみますか?」と、20回ちかくも教習を受けたあと、ある教官が言ってくれたので、「みきわめ」を受けることになったのでした。

以前書いたことがありますが、それで受けた一度目の「みきわめ」はさんたんたるもので、「みきわめ不良」でした。
今、思うに、「みきわめ」にすすめましょうと判断してくれた先生には非常に申し訳なかったなあと思います。
そのころのことを思い出すと、私の運転にはミスがあったけど「全体的には悪くはない」とその先生は言っており、それでOKを出してくれたと記憶しています。
しかしながら、次の時間に別の教官が「みきわめ」をしたとき、しょっぱなの、スタートして即左折のときに、いきなり巻き込み確認をしなかったことから泥沼にはまってしまったのでした。

なんで、こんなことを書いているかというと、なぜかこのごろ日本語教師をしていたころのことを思い出すのです。
「全体的には悪くはない」
これは、たぶん、私の授業です。
しかし、「完璧ではない」「不完全である」。「今日のこの部分の教え方はちょっと・・・」ということもある。
学生からはクレームは出ないけれど、「すごくわかりやすく授業がうまい先生」ではない。

それで、気合をいれて授業をすると、ああ、今日はいい授業ができたと思えることもあるけれど、「ちょっと失敗だった」とか「わかりにくかった」とか「学生が退屈していた」ということもあるのでした。

いつもいつも気合をいれて準備をし、気合を入れて授業をすることに、だんだん疲れていってしまった。それは、年をとってから日本語教師になったからでもあり、自分に向いていないからなのかもしれなかった。もし、自分に向いているものなら、疲れ果てたりはしないのではないだろうか。気合をいれることが苦痛ではなく楽しいはずではないか。

日本語学校では、教師に対する学生の授業評価もあるし、教務主任による授業チェックもある。教務主任が実際に教室に入って授業を見てするチェックは、一種の「みきわめ」でもある。そのときの私の授業は、あんまりよくなかったのかもしれない。
あるとき、私は非常勤講師の契約更新がされなかったが、授業見学のみならず総合的に見て契約更新に適さないと判断したとのことで、実際の理由はよくわからない。
しかし、私がすばらしい授業をしていなかったのは確かであり、すばらしい教師でなかったのも確かだったから、思い残すことはなく足を洗った。

完成度が低い。
それは、自動車の運転も同じで、うまく行くときとうまく行かないときの差が大きい。
失敗の後は気合を入れていい運転ができるが、ちょっとうまく行くと、次にはいい気になって大切なことをごそっと忘れてしまったりする。
そういうことではダメなわけだ。

いついかなるときも、ほほ完璧な授業をしなければ日本語教師の資格はない。
いついかなるときも、ほぼ完璧な運転をしなければドライバーとしての資格はない。

私の場合、
いっぱい授業経験を積んだらいい日本語教師になったのかといえば、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
いっぱい運転をすれば、いいドライバーになれるかといえば、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

とりあえず、気合をいれてみよう。



コメント

アクセス絶好調?

2009-05-30 00:48:23 | 運転・車・道路の事
最近、意外にもアクセスが以前より上がっている。
今日は、訪問者179、閲覧761ということだ。自分のブログとしては多い。
最近多く書いているのは運転教習のことばかりであり、しかも個人的なことなので、それによってアクセスが上がるというのはちょっと意外だ。
芸能人の名前を書いているわけでもないのにね。
バカなことばかり書いているのがかえっていいのかもしれないし、ことによったら、最近はあんまり不服とか人の悪口とか陰気臭いことを書いていないことがいいのかもしれない。
いや、結構不服も不満も書いてはいるのだが、やっぱり自動車学校は仕事に比べたらまったく不服なんか生まれない。
そりゃあ、そうだ。仕事をしている会社からはお金をもらっているけれど、自動車学校にはお金を払ってるんだからさ。つらい思いをしてお金をもらい、お金を払って楽しい思いをするのは、あたりまえだね。

でも、今日、ちょっと嬉しかったことがあった。
今日は、自動車教習は夜の7時40分という遅い時間だった。
教習所に行くときに、自転車で会社の前の道を通る。ちょうどそのとき会社の人の姿を見かけた。そのひとは後ろ向きに立っていて、私は急いでいたので、そのまま通り過ぎようとしたら、その人の周囲に3人くらい会社の人がいることに気がついた。みんなで仕事帰りに飲みにでも行こうとしているのか。
あっと、思ったが、ちょっと面倒くさいから気づかぬふりをして通り過ぎようと思い、視線をそらして自転車を通過させていたところ、「あっ!」と誰かが気付き「お疲れ様ですっ!」と声をかけられた。早く走っていたので、「お疲れ様ですっ!」と返しながら通過したときは、かなり進んでしまっていた。
それでも、社員の人が私に声をかけてくれたことが、なんだかすごく嬉しかった。
4時に帰ったはずのパートのオバサンがなぜか会社の前をママチャリで走っていく。それを見て「お疲れ様です」と何のためらいもなく声をかけてくれたのだ。
実際、その人は私が入社した当初は、どこかよそよそしく、他人行儀なかんじだった。
しかし、最近はずいぶんと感触が違う。それは、同じ職場の仲間だという意識が生まれているからに他ならない。
となると、私は正社員ではないけれど、やっぱりその職場の一員であり、それはこの4年半の月日が築き上げたものに他ならないのだ。自分の居場所はやっぱりこの会社なのかもしれない、と思う。

私は教習所では一過性の教習生である。
会社では、コリドラスではあるものの、苦労を共にする同士であるということだ。

あっ、アクセスの話でした。
今後も、アクセスをあげるよう、頑張ります。

コメント

先が見えてきた

2009-05-29 23:54:06 | 運転・車・道路の事
来週の教習は、週に1回しか予約が入っていなかったのですが、ここにきて「空き」が発生し、そこに予約を入れていったら、結構効率よく進むことがわかりました。
「空き」はどうして発生するのか、システムがよくわからなのですが、どうも個人がキャンセルするとかではなく、3日前くらいになると開放されるまとまったコマ数があるようです。それは、優先的に予約を取るひとたちのためにストックされていたものが、予約が入らないとわかった時点で、他の人たちに開放されるのかもしれません。
それで、今日は夜になって予約画面を開いてみたところ、月曜日のところが一日中予約可能のようになっていたため、ここぞとばかり、2コマを入れました。
そのおかげで、その後に続く教習も前倒しで予約しなおすことができたのです。
このぶんだと、うまく行けば6月13日ころ試験が受けられるかと思います。20・21日に放送大学の面接授業があるので、なんとかその前に試験を受けたいです。

今現在、来週までに5コマの予約があり、そのあと3コマ予約を入れると、順調に行けばそれで教習は終了ということになります。
なんだか、実際に先が見えてくると、ちょっとさびしい気がします。自動車学校通いの生活が終わったら、私は何を目標に生きていったらいいのでしょうか。絶対に腑抜けになりそうです。
今から、そんなことを考えるのも早すぎますけど・・・。

そういえば、宅建の通信講座から、申し込み後一度も課題が提出されていないが、大丈夫かというような手紙が届きました。確かに、そうなのです。3月の末に開始したはずですが、宅建の勉強はぜんぜん進んでいません。
保佐人・被保佐人、成年後見人・成年被後見人、とか、わけのわからないあたりを読んだりしていましたが、なんだか面白くないなあ、という感じ。
そんなことは言っていられませんので、やるしかありませんが、とにかく運転免許を片付けなくちゃ、どうにも始まらないわけです。
一度にいくつものことができないタチなので・・・。

だから、やっぱり、早く運転免許を取ることだ。
教習を加速しよう。


コメント

50の手習い

2009-05-29 01:55:14 | 運転・車・道路の事
ふと、この言葉が浮かんできた。
私は、まだ50じゃないけど、50が近いことは確かだ。
だから、今頃自動車の運転を習うのは「50の手習い」と同じことだろう。

だいたい、「50の手習い」とはどういう意味か?
何がいいたいのかな?
つまり、年を取ってから初めて習うことであって、その様子はなかなかおぼつかないようなものだろうと思う。
しかし、それが「必ずうまくいかない」という意味はないし、「うまくいく」という意味もない。
とにかく、あまりにも年を取ってから、何かを1から習い始めるってことだけだ。
この「50」っていうのは、昔の感覚だから、今になったら「65歳」くらいかもしれないな、そう思いたいな、と思う。

「遅きに失した挑戦」という意味には取りたくないよね。

以前から書いているんだけど、私の姉はいやなやつで、私が運転免許を取ることに否定的なのである。50に近くなって免許を取ったからって運転なんかそうそうできるようになるもんじゃないと言いたいらしい。
そりゃあそうだろう。何でも経験が重要だから、20代で免許を取って30年間も経験のある人に比べたら、恐ろしく稚拙な運転しかできないのはあたりまえだ。
でも、だからって絶望的って決め付けるのもどうかと思うよ。

確かに50の手習いは50の手習いだから、20歳で身につけたこととは違うし、その年で身につけるのには苦労があるのは当然だ。それを承知でやろうとしているだけのことだよ。

私はちょうど10年前くらいに日本語教師になりたいと思って養成講座に通い始め、40歳で日本語教師の職に就いたけど、やっぱりこれも「遅きに失した」感があった。経験を積むというのは、やっぱり若いときからやったに越したことはないよ。年齢の割りに経験不足で、やっぱりうまくいかないこともあったのだ。仕事っていうのは、人の成長を待ってはくれない。人材を育てないし、育つのを待つこともない。完成された人材を雇うというのが現実だ。

私は、今の仕事では、そんなに苦労しないで働いているが、求められるものが自分の能力を上回っていないからだ。なんでやっていけるかというと、やっぱり新卒で就職して叩き込まれた仕事だったからだろう。やはり若い時に身につけたものは違うと思う。

日本語教師というのは人気があって、日本語教師になりたい人はたくさんいる。しかし、誰もが適するものでもないし、ある程度適していて教師になったところで、私のように長続きしない人が大部分であることも知っている。総合的に見て、中高年になってから日本語教師を職業とすることは、自分の経験からあんまりお薦めできないと思う。でも、日本語教師の楽しさも知ってはいるから、なりたいと情熱を持っている人に反対をしようとは思わない。

それは、いったん運転免許を持って、しばらく車に乗ったけどやっぱりあんまり運転はしたくなくて、だいたいは夫の運転する車に乗るばかり、というような人と同じことかもしれない。
運転免許持っているけど運転は何年もしていないぺーパードライバー。
日本語教育能力試験に受かり、日本語教師を数年したけど、今じゃ全く教えていないので、もうすっかり教え方さえ忘れてしまった元日本語教師。
似たようなもんだよね。

40で始めたこともダメだったのなら、50ではじめたことはもっとだめかもしれない。

だけど、一度日本語教師になってみたことは自分にとってよかったと思うから、やっぱり運転もしてみればいいと思う。それで、向いてないと思ったらそのときやめればいいさ。

そして、60歳になるときも、70歳になるときも、その後も、自分にとって何か大きなことに挑戦したいなと思っている。


コメント (2)

複数教習

2009-05-28 23:57:59 | 運転・車・道路の事
このごろ、自動車学校では、複数教習というのになっています。
最高3人でいっしょに教習を受けるものです。
1時間を3人で受けるとなると、どんなに多くても1人あたり20分ですが、正味1時間はないので、もっと少なくなります。
昨日は、「路上駐停車」、今日は「車庫入れ」でした。幸いどちらも3人ではなく2人だったので、3人よりは長く練習できたわけですが、それでも短いな~と思います。複数でやったほうが効果的とかいう理由でもあるのでしょうか?

自分以外の人の運転の様子を見る機会はあまりないので、確かに参考にはなります。
昨日と今日で、どっちみち私は人と比べて出来が悪いな~と感じるばかりでした。

今日はとっても美人の20代の女の子と一緒の教習でした。私はじゃんけんで勝ち、最初か後かを選ぶことができたので、まずは人のを観察したほうが自分にとって効果的なのではないかと思い、後を選びました。
女の子は最初からけっこういい場所にバックしていき、後は微調整にちょっと手間取っていましたが、数回車庫入れをやりました。
次に、私の番ですが、最初からとんでもない位置にバックして行き、その後もなかなかコツがつかめず、先生があきれているようでした。
なんか、若い子のほうにはこまめにちゃんと説明していたようですが、私になると、途中で放置しているじゃないかい?と思ったりもし、わけもわからない操作をしそうになりつつ、やっと1回だけバックして入れることができました。それで、時間がいっぱいになってしまいました。
実際には、同じだけの時間を使っていたし、先生が若い子だけに親切に教えたわけではなく、私があまりにも飲み込みが悪すぎたようですが、とかくおばさんというのはこういう感じになってしまうものだなあ、と思いました。
それで、世の中のおばさんというのは、「お手数かけて申しわけありませんねえ」「いろいろお世話になります」「恐れ入りますが、もう一度教えてくださいますか」などと、お礼を言ったりお願いしたりする言葉がいろいろと複雑丁寧で巧妙なことが見受けられますが、こういう経験を通して、なんとかへんてこりんな自分のためにも人が力になってくれるようにと、そういう習性を身につけていくのだろうと思いました。

私の場合、ただ「ありがとうございます」「すみません」くらいの単純な言葉しか発する能力がないのですが、「こんなおばさんですが、これからも見捨てず、何卒よろしくおたのもうします」みたいな意味のことを発しなくてはいけないなあと感じました。

いやいや、そんな言葉を発するまえに、ちゃんとやらなくちゃね。

複数教習も緊張するなあ。
コメント

私はオヤジか?

2009-05-28 23:19:22 | 運転・車・道路の事
このごろ、どんどんオヤジ化している。
今日は、スーパーで焼き鳥と缶ビールをと天丼を買って帰ってきた。
こんなものを夜遅く買って帰るニンゲンは、男の1人暮らしってところだろう。
昨日は、やはりスーパーでハンバーグ弁当を買って帰ってきた。
そして、1人でビールを飲み、夕飯を食べた。
昨日は、夫は自分で夕飯を食べ終わっていた。
今日は夫は夜勤である。
私は今週は夜間の教習続きなので、夫の夕飯を作る暇などはないのだ。

それにしても、こんなできあいのものを夜遅く買って帰るオバサンは、店の人に、絶対に独り者だと思われているはずだ。

ちなみに私は結婚指輪をしていない。結婚指輪は、指が太ってとうにはまらなくなっているが、その後に買った大きな指輪も苦しくなっているからである。
以前、めずらしく指輪をはめていったところ、そのせいかどうかはわからないが、仕事中にめまいがしてきたことがある。指を圧迫しているからではないかと思い、その後ははめるのをやめた。

教習所に夜間に通うおばさんというのもほとんどいない。だから、私は「もともと独身」か「やもめ」だと思われているかもしれない。
個人的なことを聞く教官などはあんまりいないが、一度聞かれたことがあるので、昼間は仕事をしており、子どもはすでに成人しているので、家にいる必要もなく、夜間と休日の教習に来ているのだと答えたことがある。そうしたら、ずいぶん若いうちに子供を産んだんですね、と言われたが、昔は30歳前に子どもを2人くらい産むのは普通だった。

自分が外からみて、どんな風に見えるのかは、ちょっと気になるが、どうしてもオヤジっぽい行動になってしまう。

会社の近くに牛丼屋ができたので、さっそくお昼に買ってきたのだが、他の女性社員が利用する気配はまるでない。
牛丼屋・ラーメン屋・蕎麦屋は、男性社員ばかりが行くところのようである。
こんなところに平気で入れるようになったのは、オヤジのようなオバサンだからだろう。

色気ないなあ。
コメント

違法駐車

2009-05-28 22:36:19 | 運転・車・道路の事
「駐車違反はそれほど悪質ではないほう」とは書いたものの、重大な交通事故を巻き起こす可能性もあるので、軽視できないようだ。

交通違反に関するニュースを読んでいたら、交差点で違法駐車をしていた車のかげになって見えなかったミニバイクと乗用車が衝突して、バイクの人が重体になるという事故があったそうだ。この事故では、乗用車の運転をしていた人は、ちゃんと安全確認をしていたものの、違法駐車車両のせいで走ってくるバイクが見えなかったのと、そのバイクがスピードを出しすぎていたということで、乗用車の人の過失責任はなく無罪になったそうだ。
罪のない人が無罪になったのはよかったが、それにしても事故がおきてしまったことは事実であり、無罪になれば気が晴れるというものでもないだろう。この場合、違法駐車していた人は、この事故の原因を起こした罪に問われないのだろうか。

習ったばかりの知識では、「交差点の中と、交差点の端から5mのところまでは、駐停車禁止」とのことだった。

そのほかには、「横断歩道から5メートルは禁止」というのもあるが、今日通りかかったところでは、横断歩道のまん前で「人待ち」をしている車があった。駅のそばなので送り迎えの車が停車することが多いようだ。特に、今日のような雨の日はよく見かける。これも本当はダメなんだろうね。それに、客待ちは運転手が乗っていても駐車ってことですよね。
広い一方通行の道路で、両側に停車したりしているから、バスが通れなくて困っていたりする。それでもなかなか動こうとしなかったりして、ずいぶんとマナーが悪い。移動している間に待っている人が来るかもしれないので、極力動きたくないらしい。
どっちかの車が、移動すれば通れるわけだけど、どっちも動こうとしない。
こういう人たちは、いつからこんなにずうずうしくなってしまったのだろうか。

運転技術はあるはずなのに、残念なことである。

ついでに、復習しておこう。
駐停車してはいけないところ。
・駐停車禁止の標識があるところ。
・交差点と交差点の端から5メートル以内。
・道路の曲がり角から5メートル以内。
・横断歩道・自転車横断帯とその前後5メートル以内。
・バス・路面電車の停留所の標示柱から10メートル以内(運行時間中)。
・踏切と踏み切りの端から10メートル以内。
・坂の頂上付近と急勾配の坂。
・トンネル
・安全地帯の左側と前後10メートル以内。
・軌道敷内

以上。


コメント