山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

みんなが見るもの

2012-05-31 18:43:38 | 日記
珍しいものや新しいものには、見る価値があるってわけで、みんな殺到するのであります。
それを、横目で見ながら、めんどくさ~、私は人が多い所キラ~イ
みんなが夢中になるとイヤになるアマノジャクなのだ。
だから、全部出遅れるし、見逃す始末だ。

新しく出来たものは、これからもずっとあるけど、本当に見逃しちゃったものは「金環日食」だった。日食メガネが無く、その他の方法で見るという気合いもなかったのだ。
これについては、見逃した人は結構多い。
結局のところ、もとから天体にはそれほど興味がなかったってわけである。
村上龍氏も見なかったそうだ。
藤原智美氏も見なかった。これは、昨日書いたとおりだ。

今、人が殺到しているのは「スカイツリー」だ。
でも、職場の仲間などは、10年くらいしてから行けばいい、等と言っている人が多く、私と同じような人も少なくはない。
東京タワーも、つい3年くらい前に初めて登った。

どっちかというと、富士山と同じで、登るものではなく、見るものだと思っている。
確かに、「技術」はすごいと思う。
あんな、山よりも高いような物を作ってさ。
施工は大林組だって? 日本人のやることだから、間違いはないだろう。

雷は年に10回くらい落ちる計算らしいが、当然大丈夫に出来ている。
むしろ、雷が落ちるところを観測したいらしい。
雷っていうのは、どこに落ちるか予測ができないので、なかなか研究ができないのだそうだが、年に10回くらい落ちると、かなり高確率で、いい観察ができるらしい。
東京タワーには、年に1回くらいしか落ちないそうだ。

スカイツリーは、強風が吹いても、地震がきても、ぽっきり折れるようなことはあり得ない。
日本の技術を証明する。それが、日本人のプライド。

ライトはなかなかのものだと思う。
紫と青っぽいのしかないのかと思っていたが、赤やオレンジっぽい暖色系もあり、
しかも、どれもなかなかセンスの良い色合いである。
やっぱり、登るより見るものだろう。
でも、登るんだったら、冬がいいんじゃないかな?
春や夏は、東京から富士山が見える日は少ない。空気が濁っているのだ。
特に梅雨時なんて、雨が多くて、景色が見えない日が多いだろう。
冬だったら、晴天が多いから、上に登って遠くのほうまで見渡せる確率が高いのではないか。
スカイツリーの名前を募集した時には、1位は「大江戸タワー」だったそうだ。
いかにも・・・、という感じだが、あんまり品のいいものではない。
「スカイツリー」のほうが、すっきりとして新鮮な感じがする。

スカイツリーのほかに、新しいものというと、
ちょっと前には、
渋谷ヒカリエ とかいうショッピングビルや
新東名高速道路の開通もあった。
こういうところにも、みんな殺到したけど、もうちょっと落ち着いたころかな。

私はどれにも行ってない。

このあいだは、バラの見頃だってことで、神代植物公園に行ったけど、
当然のことながら、ここもすごい人だった。

人が集まるところは、集まるだけの価値があるところってわけだけど、
やっぱり疲れる。

桜見て
ツツジ見て
バラ見て
あじさい見て って

なかなか大変、一年中。


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心落ち着かず

2012-05-30 22:20:14 | 日記


大昔の日記を引っ張り出してきて、読むにつけ、ある意味客観的に自分の若かりしころのことを見つめ直すことはできるのだけど、自分の事であるゆえに、やはり真に「客観的」というわけにはいかない。若いころから今に至るまで、人生でやり残したこと、達成できないままのことを思いだし、悶々としてきてしまうこのごろだ。

どうも、心の整理がつかないし、日記なんか読みなおしていると、過去を振り返るばかりで、現実、この現在には何の進歩もなく、無為な毎日を過ごすだけだということに気がついた。いったい、今現在、何をすれば満足できるというのだろうか。

同じ振り返るにも、「若い時は奮闘してたな」と思うだけでなく、「金閣寺」や「仮面の告白」でも読んでみるかと思い、本棚を探してみた。
無い。
捨てたのだろうか?
漱石はあるけど、三島はない。あったところで、昔の文庫本は文字が小さいから読めそうもないが、買ってまで読むかなあ・・・

だいたい、今、本を読むことなんて、ただの気休めではないか。
現代の作家の作品を読むにしたって、人の書いたものから何かを感じたりして、その内容に満足したとして、それでどうなるっていうのだろう。

実際には、満足できるもの、私を夢中にさせてくれる作品には、まだ出合ったことがないのだ。

とにかく、することもないので、新聞を開いてみた。

讀賣新聞 本日の夕刊
作家 藤原智美 スパイス“金環日食 見逃した”というエッセイがあった。
なかなか、面白い。
著者が金環日食を見逃したこと。まれなものは特にきれいだと感じる事。
どんなにきれいなものも見慣れてくると感動がなくなること。
「しかし本当に幸せなのは、慣れ親しんだものにも美しさを感じるときだ。」
「珍しいこと、まれなことばかりを追いかけ続けるのも疲れる。」
最後は、
「金環日食を見逃した悔しさからか、へそ曲がりな思いにとらわれた1日だった。」と結ばれていて、笑った。

1955年生まれ。福岡県出身。明治大学政治経済学部卒業。
1990年に「運転士」で芥川賞受賞。

この人の作品でも読んでみるか。
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万人向けの話題なんてない

2012-05-30 01:32:09 | 日記


日ごろ、自分はどうも、好みや関心事が普通の人と違っているのではないかと思う。
でも、ふと思ったけど、それは誰しも同じなのかもしれない。
世の中に、一般的な人が、絶対多数いるわけではなく、みんなそれぞれの好みや関心事を持っていて、たまたまそういうものが合う人同士が友だちになったり、夫婦になったりしているのだろう。

だから、仕事場が一緒ということで、同じ場にいるからと言っても、趣味や関心事が一致するとは限らない。ある話題にはついていけるけど、他の話題はチンプンカンプンというのは、私に限らず、別の人にもあるのだろう。

個人的なことを話したり聞いたりして、楽しいと思う人もいれば、つまらないとか面倒臭いとか思う人もいる。
すべての人が楽しめる話題なんてありえないのであり、それを探そうとすると、何にもない。

共通の話題なんて、天気がどうのっていう話くらいだ。

だから、やっぱ、自分が好きなことを聞いたり、話したりしないかぎり、何もなくなってしまうんじゃないかな。

ブログだってそうだけど、結局のところ、みんな書きたいこと書いてるし、それぞれに関心事は違うし、万人向けの内容で書いている人なんかいないし、不可能だ。
自分が好きな内容のブログを選んで、いくつかは毎日読んでるけど、それでも、関心が持てる記事と持てない記事はある。あまり関心のなかったことでも、読むことで関心が起きたりすることもあるし、相変わらず自分には無縁の内容であることもある。

まあ、何事も適当にやっていきましょう。
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コミュニケーションの難しさ

2012-05-30 00:39:56 | 日記
今朝、テレビで気に入らない上司の行動、部下の行動というのをインタビューしていた。
それによると、若者が上司からされていやなことの1つに、「休日はどこに行ったの」などと、仕事とは関係のない個人生活について、聞かれることというのがあった。私生活に立ちいられたくないし、答えるのが面倒臭いのだそうだ。

そういうもんか、とちょっと驚いた。確かに、私の会社でも、後から転任してきた上司などが、朝の仕事前などに、「ゴールデンウィークはどこか行くんですか」などと、唐突に声をかけてきたりして、驚くことがあるが、なるべくコミュニケーションを図ろうとしているのだろうと感じ、普通に話している。その上司は、新人の人にも「仕事は慣れましたか」などと、声をかけている様子だ。最初は、ぎこちない感じでも、そういうことのやり取りで、人間関係がいくらか出来ていくようにも思う。しかし、確かに若者というのは、若者同士ならばよいのだろうが、上司には話したくないのかなと、テレビをみて思った。

私も上司ではないが、年代的には上司と同じ世代であり、お茶などを入れに行って、若い社員に会ったりすると、「お子さんは大きくなったでしょう。」などと、聞いてしまうことがある。以前に社内の誕生報告などで知らされていると、あれからどれだけ経ったかな?もう歩くころか?などと思ったりするからだ。
しかし、もしかしたらそういうのも、答えるの面倒臭いな~と思っているのかもしれないと思った。個人的なことは聞かないほうがいいのかな?

コミュニケーションの方法を観察してみると、個人的なことは聞かず、個人的なことは、話したい人が話すというのが、よいのだろうか?
私は、とかく「徹子の部屋」みたいにインタビューしてしまうのだが、どうも間違っているのかもしれない。数人集まっても、次々に「あなたはどう?」のように聞いてしまったりするのだが、後になると、みんなは話したけど、誰も私のことは聞いてくれなかったな、と思うことが多い。そもそも、その人たちも、聞かれたからしかたなく答えたのかもしれないし、人にものを聞くのは難しいことだ。
親しい仲間うちでは自分のことを聞かれもしないのに話したりするけど、それはそれで、「あなたの個人的なことなんか関心ないから」と思われているかもしれない。

ということは、ちょっとした休憩中などには、個人的なことを言ったり聞いたりはせず、世の中で話題になっていることなどを話すのがよさそうだ。ちょっと前だと、ダルビッシュがどうしたとか、最近では、スカイツリーがどうしたとか。

私の場合、世事に疎いので、そういう話題は苦手であるため、ついつい個人的なことを話題にしてしまうが、20代前半の次女なども、私の会話にはいら立つらしく、「そんなことは聞きたくない」などと言われるし、何かを聞けば「そんなこと、いちいち返事したくない」などと不快をしめす。いったい、なんだったら話題にしていいものか、わからなくなる。次女の場合、どうも思考回路が我が家の人間とは違い、世間の若者的である。日ごろ、店でお客や同僚と会話をしているからかもしれない。

他人が興味のあるものとは、いったい何なのだろう?
他の人たちは、いったいどういうことを話題にしているのであろうか?
どういう話題が、無難であり、楽しめるものなのだろうか?

これから、研究しなくてはいけないなあ。
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ユリノキ(神代植物公園)

2012-05-28 23:26:37 | 植物・花・木
神代植物公園のバラはありふれているので、今年は別のものを載せてみようと思います。
今、見ごろになっている花ということで、「ユリノキ」の花が、園入口の掲示板に紹介されていました。どんな花かと見てみました。



それは、大きな木に咲いているこんな花です。



モクレンの仲間だそうです。学名は“Liriodendron tulipifera”といって、“tulipifera”は、「チューリップのような花をつける」という意味だそうです。たしかに、春先にみるモクレンもチューリップの花に似ているなと思うのですが、それがなぜ「ユリの木」というのか、不思議ですね。その他に「ハンテンボク」とも言われているそうで、それは葉っぱが「半纏」に似ているからだそうです。また、「レンゲボク」や「チューリップツリー」ともいわれるそうです。原産は北米で、冬には葉が落ちる落葉樹であり、高さはかなり高い木になります。



神代植物公園のこの木もすごく高くて、いったい樹齢はどのくらいなのでしょうか、かなりのものと思えますが、花もすごい高いところに咲いているので、写真に撮るのも大変でした。

遠くてあんまりよく見えませんけど、やはりここ以外では、見かけたことがない木だと思います。

Wikiによると、日本には明治8~9年頃渡来したそうで、上野の国立博物館前に巨木があるようです。
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自転車の車道走行について

2012-05-27 23:21:20 | 運転・車・道路の事
今日、神代植物公園に行く時に、東八道路より南側の武蔵境通りを走っていた。神代植物公園は、その通りを曲がったところにある。
そのあたりの武蔵境通りは、片側2車線できれいに整備されていて、歩道も広く、歩道は歩行者用と、自転車用に区分けされている素晴らしい道路だ。

ところが、ここでなぜか車道の第一車線を自転車が走っており、広い歩道に自転車道があるのに、なぜゆえか???と思ってしまった。

その後左折するので、こちらも第一車線を走らなくてはならないから、自転車に走られると、結構じゃまなのである。

で、ふと思ったことは、もしかしてこの自転車の人は、歩道上に自転車用のレーンがあることを知らないのでは?ということだった。

道路と歩道の境には、樹木が植わっており、自転車道があることが見えないのではなかろうか?自転車は車道を走るという交通ルールとなっているために、どこか遠くからずっと車道を走ってきた人が、いきなりこの道路にきて気がつかないのも不思議ではなかった。
自転車道があることを知っていれば、車道を走るわけがない。

となると、自転車用の道路が、車道上に作られるところもあれば、歩道上に作られるところもあり、わけがわからないのではなかろうか?そういうこともはっきりさせなくてはならないだろう。標識などを作って、自転車の人にわかるようにしなくてはいけないだろう。

また、本日恐ろしいと思ったのは、片側2車線もある広い車道に、交差道路から車と一緒に右折で出てきた自転車である。自転車は車道を走ることになったと聞いて、右折するときまで車と同じになったと勘違いしているらしい。
自転車に乗っている人は、運転免許を持っていない人も多く、そもそも交通ルールを知らないし、起こりうる事故の危険性なども教わる機会がない。そのうえ、ヘルメットもかぶらない。
車道を自動車と一緒に走る限りは、最低限のルール知る義務があるだろうし、バイクにヘルメットが義務付けられているのに、自転車にないというのもおかしいと思う。

車が左折するときに、自転車が左端を直進してくるというのもかなり怖い。横断歩道を渡る人がいるために一時停止などしている車がいるときに、その後ろをすり抜けて走ったりすることになる。以前だったら、人と同じに横断歩道に沿って渡っていたものだが、今度は大きく右側に飛び出てきたりする。

だいたい自転車は待つということをせず、T字路や押しボタン信号では、赤信号を無視して進んでしまうものが多い。それは、車道を走っているにも関わらず、車両だと言う意識がないからだろう。

また、道路の進行方向右側に目的地があった場合、渡りやすいところであらかじめ渡ってから、右側を逆走していくことも多い。
目的地前を行き過ぎてから右に渡り、左側通行で戻って来るということをしない。車では、ルールにのっとって当たり前に遠回りをすることを、自転車の人はしない。

自転車のルールの徹底がなんとしても必要である。
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神代植物公園(駐車場にて)

2012-05-27 22:27:45 | 運転・車・道路の事
5月はなんとなく疲れ気味で、ゴールデンウィーク後の休日は家にいることが多く、気がつくともうあと4日で終わろうとしている。
今年もバラの季節だなあと思って、結局、夫といっしょに昨年と同じ神代植物公園へ行った。バラフェスタが今日まで行われていて、すごい人だった。11時前に到着したと思うが、普通の駐車場は満車で、臨時駐車場に向かった。臨時は対向車線側にあると思っていたら、自分の進行方向左側にもあって、対向車線を越えないで入ることができた。次々に連なって入って行く。そして、出口に近い端から順に詰めて駐車していくようになっていた。

ここで、困るのが車庫入れのへたくそなことだ。自宅の駐車場と同じように進行方向右側に入れることになったのは良かったが、隣の車に接近して置くのがおそろしい。特に、人が車からまだ出る途中で、ドアを開けたりしていたので、右隣とかなり間隔を開けて左の区切り目の線にまたがってバックしていき、後で補正しようとして、いいかげんな位置からバックしようとした。そうしたら、とたんに駐車場のオジサンに、「そんなところからバックしたらだめ、もっと前に出てから下がらないと」と注意されてしまった。

指示通りに前に出て、そのあとも、オジサンの言う通りにほぼ従って、とりあえず入れた。次に入ってきた大きなミニバンが、1つ空けたところに置いたので、どうしたことかと思って、車から出てみると、うちの車の助手席側はラインまで20センチくらいしかなかった。もう少し右に寄せなくてはと思っていると、そこに日産マーチが入ってきた。マーチの幅だったら大丈夫ってことなのだが、私の車が左に寄りすぎているのは恥ずかしいので位置を補正した。

ああ、まったく迷惑なオバサンである。普段から、2台分以上空いているところに、いい加減にラインを跨って下がっていき、補正すればいいと思っているのがいけないのだ。こういうところでは、一発で入れるのがあたりまえらしい。次々に入って来る車もみんな一発で入れて、位置の補正などは全くする必要のない精密さである。
たしかに、自宅の駐車場では、隣のラインにまたがって入れたりはしていないので、やろうと思えばできるはずであった。これからは、一発で入れるように心がけよう。

ところで、右側は運転席から後輪が目視できるのでいいが、左側にバックして入れるということは、ほとんどなく、よりいっそう難しく感じる。
しかし、道路の左側から左へバックするということは、結構あることなのかもしれず、なんとかできるようにならなくてはいけないだろうと思う。免許を取って以来、方向転換などしたこともないので、いざという時に困ったことになりそうだ。
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昔の日記を読んだ日

2012-05-27 00:43:18 | 日記
今日は、短大のころの日記を読んでいた。古い新聞紙にまとめて包んで、ガムテープで封印してあったのをやぶいて出してみた。どれも大学ノートに書いていて、順番に並んでいないから、探すのが大変だった。あのころは、故郷から東京に出てきて、4畳半のアパートで独り暮らしを始めたばかりだった。1人だから時間もいっぱいあって、集中して日記を書いていたらしい。
それにしても、1回の分量が長いし、内容もわけのわからないようなめちゃくちゃなものなので、今となっては驚くが、当時は今以上に混沌としていたなあ、若かったなあと思う。それでも、一生懸命生きていたんだなあと思った。

ここ7年くらいは、ブログばかり書いていて、個人的な日記はノートなどには書いていない。ブログとなると一応他人が読むことを想定しているので、いくら匿名とはいっても、そんなにドロドロしたことは書けないから、本音丸出しというわけではない。そして、一応他人が読んでもわかるように書いている。

しかし、短大時代に書いていた日記は、自分以外の人間が読むことなどは想定していないので、とにかくめちゃくちゃだ。それにしても、いろんな本を読んでいて(読まされていて)かなり苦しんで生活をしていたようである。

今や、当時読んだ本は全く記憶にないので、あれはやはり自分の肥やしにはなっていなかったのかもしれない。もう一回読んでみようかなと思う。

日記をざっと飛ばし読みしていると、庄司薫の講演を聴きに行ったなんていうのがあって、驚いた。
えっ?庄司薫の本物を見たことがあったのか。この記憶喪失は全くショックであった。

日記を読み返して、その時に読んだ本をもう一度読み、その時に行ったところにもう一度行けば、人生を復習することができるかもしれないけれど、そうすると、復習ばかりしていて、新しいことができないままになってしまうかもしれない。

当時読んでいたような小説は、今はもう半分古典みたいなものになって、図書館の保存書庫に眠っているであろう。今は今で、別のやることがあるのだろう。

あのころに比べると、今はもうただ毎日同じ仕事を繰り返すばかり。ずいぶんと単純な毎日を過ごしている。服装も他人も意識することなく、何にも悩まなくなった。
それに、昔の日記に書いてあったように、文学なんて嫌いで、自然科学が好きだと書いてあるから、今はその通りに自然科学に関連した文献ばかり扱っているのだ。

だから、平穏だ。

単純にして、平穏な日々。
昔の日記を読んでると、本当に毒されてきそうである。
そこにいくと、今はあっさりしすぎかもしれないな~などと思った。



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言問団子(ことといだんご)

2012-05-26 01:27:06 | 日記
東京に住んでても、スカイツリーがどこにあるのかよくわからないのだが、東武線の「スカイツリー駅」だそうで、その駅はつい最近まで「業平橋」という名前だったそうだ。

・・・業平橋・・・
その名前を聞いて、アタマに思い浮かんだのが「言問団子」だ。
「ことといだんご」とは、あの和菓子の団子である。

そして、業平とは他でもない「在原業平」のはずであり、そして30年以上前に、そのあたりに行って「言問いだんご」を食べたことがあったはずだ。

スカイツリーはあのあたりに出来たってことなのかな?

名にし負はば
今こそ問はむ都鳥
我が思う人はありやなしやと

短大の時に、「古典演習」という科目があり、変体仮名で書かれた「伊勢物語」を読んでいた。そして、そのメンバーで、東下りの段にちなんで、文学散歩をした。

その、都鳥に問うたという場面から「言問だんご」という名物菓子があった。茶屋のようなところで、食べた記憶がある。たしか黒いあんこをまぶした団子で、串にはささっていなかった。今もあるのかな?
先生は、なんとしても「言問いだんご」を食べないと意味がないという感じで、いわば、言問いだんごを食べるのが目的のような文学散歩だった。というか、今となっては団子を食べたことしか記憶にない。隅田川下りもしたかもしれない。

今思うと、なんと懐かしいことか・・・。

あのとき、どのあたりを歩いたのか、まるでわからないけれど、スカイツリーのそばに行くようなことがあったら、私は「業平橋」や、それにちなんだものを探してみたい。

★ ★ ★

検索したら、向島に「言問団子」のお店がありました。このお店だったかどうかはわかりませんが、たしかにこういうお団子だったと思います。創業は江戸末期と書いてあります。たぶんここです。やはりスカイツリーに近いようです。スカイツリーに登りたいとは思わないけれど、昔歩いたところを歩いてみたいです。 
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利根川水系汚染元判明

2012-05-25 19:18:47 | 環境
今日の午後のニュースによると、水道水の水源に基準を超えるホルムアルデヒドが含まれていた事件で、その原因物質であるヘキサメチレンテトラミンを排出した業者が特定できたとのことだ。

ヘキサメチレンテトラミンを廃棄物として出していた会社は、埼玉本庄市の金属加工会社「DOWAハイテック」というところだが、その会社が廃液処理を委託していたのは、群馬県高崎市の中間処理業者であり、その業者が、きちんと処理をしないまま、利根川水系の烏川に廃液を放流してしまっていたとみられる。業者は、「ヘキサメチレンテトラミン」が含まれていたことは知らなかったと言っており、それを処理する設備などはなかったそうだ。

となると、今後は、委託した「DOWAハイテック」と請け負った中間処理業者(名称不明)の責任問題となるのだろう。

さて、そこで「DOWAハイテック」とはどういう会社か検索してみたところ、ホームページを開くと皮肉にもまず「環境にやさしい技術で社会貢献する」という文字が現れ「DOWAハイテックのものづくりは、地球環境や社会地域との調和の中で」と記載されているのだった。当社のサイトによると、環境への取りくみ、特に川の流域における環境の整備に力を注いでいることがピーアールされており、
「2006年に設置された排水サイクル推進室を中心に、工場排水基準にとどまらず環境基準を念頭に置き、総排水量の低減、排水リサイクルの推進の取り組みを3か年計画で開始しました。」
「排水浄化設備(名称「ピオパレット」(登録商標))を導入し、工場排水の浄化に一層努めています。」などと記載されている。

このような記載を見ると、この会社が独自に廃液処理を完璧にしているように思いこんでしまうが、実際には、中間処理業者に委託している部分もあるということで、会社案内サイトを見たからといって、その会社の全てが分かるわけではないものだと思った。

さて、この会社の技術・製品はどういうところに使われているのであろうか。
・テレビ プラズマテレビの銀ペースト
・携帯  電気を通す部分のめっき加工
・自動車   〃
・腕時計 ボタン電池の酸化銀
・パソコン 液晶画面のITO薄膜
このような製品は、現代人のほぼ全ての人々が使っているものであり、生活に必要不可欠とも言えるものである。
しかし、こういう製品を作るためには、環境に悪影響を与える化学物質が必ず出てきてしまう。

化学物質は、益にもなり、毒にもなるものであり、その管理や処理はきちんとしなくてはいけないということを改めて考えさせられた。
ヘキサメチレンテトラミンは、それ自体は有害なものではないため、規制の対象になっていないそうだ。また、処理を委託した会社では、処理業者が勝手に成分を把握して処理するものと思い込み、記載もしていなかったというし、委託されたほうも、成分については調べることもなく廃棄しているという。すべてが、他者かませの精神であり、問題だと思う。
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ホルムアルデヒドの原因究明

2012-05-25 02:21:16 | 環境
ホルムアルデヒド 続報

24日夜の記事によると、利根川水系の汚染物質は、厚生労働省・環境省の調査により、ヘキサメチレンテトラミンであると推定されたそうだ。
水道水を取っている川の上流には、埼玉で2事業所、群馬で3事業所、計5施設の、ゴムやプラスチックの工場があり、そこで硬化剤としてヘキサメチレンテトラミンが使われているそうだ。
これらのうちのどこかから、0.6~4トンが流出したと推定され、さらに流出もとを特定するため、立ち入り調査などが行われるらしい。

ヘキサメチレンテトラミンとは、4個の窒素原子がメチレンによってつながったものだそうで、水中で塩素と反応しアンモニアとホルムアルデヒドに分解されるそうだ。


残念ながら、私には、化学反応式がわかりません・・・。
とにかく、どの施設からどういう経緯で、大量のヘキサメチレンテトラミンが流出したのか、早く判明させてほしいです。
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今日の日記

2012-05-24 21:18:57 | 日記
今日は、仕事を休んで遊んでた。5~6月は、比較的仕事が暇なのである。
とはいっても、実は仕事がたまっている。
先週いつもの仕事にちょっと切れ目ができたので、今週1日休みを取ることにしていた。
そうしたら、昨日の午後になって、いきなりいっぱい仕事が入ってきたので、困ったことになったが、まあ、なんとかなるので、予定通り休むことにした。明日はがんばらなくては。

今日、近所の川を見ると、黒い鳥が羽を広げたまま固まっていたので、いったい何かと近づいてみた。それは、この川で最近よく見かける「カワウ」である。
黒いので、羽を広げた姿は、ちょっと恐ろしげだった。何かを威嚇しているのかな?と思ったが、威嚇する相手もないようで、羽を太陽に当てて、日光浴をしていたのかもしれない。
その姿を写真におさめようと近づいていくと、やめてしまった。水の中をのこのこと歩き始めた。このへんの川は浅いので潜るほどの深さはない。



今日のカワウは、以前見たものよりきれいで、ちょっとかわいいかもしれない。写真に写った姿をよく見ると、目の下のところが黄色くて、愛嬌のある顔をしている。

桜が咲いていたころ、川を眺めていたら、やっぱりカワウを見かけた。その潜水能力たるはすごいもので、一旦潜ったら容易に出てこないし、水中でいったいどこに行ってしまったのかもわからない。水面に出てくるのを待っていたが、結局見つからないままあきらめたこともある。
この辺りでは、一度も魚が泳いでいるのを見たことがないから、魚はいないと思う。虫でも食べているのだろう。
最近、まとまった雨が降らず、暖かくなってきたので、川の水はにごり気味だ。カルガモもいたけど、藻か苔のカスみたいなものが流れていて、川が汚いので、写真を撮るのはやめた。

★ ★ ★

昼前に、スーパーに行ったら、ものすごい人だった。主婦が多くて、しかもカゴいっぱいに買っている人が多いので、レジで結構待った。いつも買う店とは違う店だったが、いつもの店では昼休みにお弁当を買いに行くと、そんなに大量買いをしている人はあまりいない。主婦は午前中に行くのかと驚いた。



沖縄のカップめんとカップ焼きそばを見かけたので買ってみた。パッケージはなかなか良いデザインだと思う。焼そばのほうを食べてみた。
お湯は注いでから1分でいいそうだ。麺が細いからだろうか。
具が少なくて容器の内側に貼りついてしまい、あまりにお粗末な感じなので、皿に移して写真を撮った。



食べると、あれッ?という感じ。単なる塩味か?味も素っ気も香りも何にもない感じだ。
どうもおいしいとは言えない。自宅のコショーをかけてみたが、それでもピンとこない。
もうちょっと、アクセントが必要なのでは?普通のカップ焼きそばでも最後に青のりとか何か振りかけなかったかな?チャンプルーと言えば、鰹節ってのはどうかと、自宅の鰹節をかけてみたけど、ヤッパリピンとこない。紅ショウガなんかどうかと、冷蔵庫を探すがあいにくなかった。カップ焼きそばでは、やはりショウガとゴマとノリなどの「ふりかけ」が普通ついているんじゃないかな?
悪いけど、2度と買う気にはならない。期間限定でよかったねと思う。マルちゃんって、最近がっかりさせられている。電子レンジで温める五目御飯もおいしくなかったなあ。モニターとかに試食させて新製品についての意見聞いてないのかな?これで、よく商品化したもんだと驚いた。まあ、人によって好みも違うだろうけど、私の好みではなかった。カップラーメンのほうはどうだろう?

★ ★ ★



夜、静岡から新茶が15袋届いた。今年はセシウムの問題はなさそうだ。
あれから、もう1年だなあと思う。

★ ★ ★

夜は、“おみやさん”を見た。渡瀬恒彦は好きだ。久々に見た石田えりが、年を取っていて驚いた。色白だけど、肌の衰えは否めない、役柄か髪の毛も染めた白髪が混じってぼさぼさにしていて、おばさんになったなあと思った。着物姿に変身したときは、ちょっと見違えたので、そのあたりが見せどころだったのかもしれない。
渡瀬恒彦はこのあいだ“半落ち”の再放送を見た。普段、渡哲也に似ていると思ったことは無かったが、このドラマでは一瞬渡哲也かと思えるように写った場面があり、やはり兄弟だなと思う。しかし、私は渡哲也より恒彦の方が好きだ。“おみやさん”は、毎週見たい。



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ベランダの植物

2012-05-24 00:11:26 | 植物・花・木


今日は、とっても良い天気だった。
初夏の新緑と、青い空に浮かぶ白い雲。なんか楽しくなってしまう。
湿度がないからか、気温が高いといっても、全然暑さは感じなかった。



一昨日と同じ朝顔の芽の生えたところを写してみた。
やはりゴーヤが2つ、葉っぱを広げてきているけど、さらにそのそばに新しい芽が2つ出始めている。
これは、プランターの一部分なので、朝顔の芽はもっとある。
あんまり出てきても間引くのはかわいそうだ。



今、ベランダに咲いているのは、チェリーセージ。
夫が好きな花で、わざわざ花屋に注文して買ったものだけど、世話は全部私がしている。
どんどん高さが高くなってくるので、切り戻したほうがいいのかな?
赤と白のツートンカラーで形も面白い花だ。
6株買ってきたが、赤白の割合が、株に寄って違い、真っ赤な花も咲く。



ちょっと前まで、満開だったのが、羽衣ジャスミン。
毎年、冬に水を切らしがちで、葉を枯らしてしまうことが多く、今年も根元のほうの葉を茶色くしてしまったので、全体像を写すことができない。
肥料をやった効果か、花はよく咲いてくれた。とても良い匂いがするが、もうそろそろ花の時期は終わりだ。

シクラメンも終わってしまった。
ナスタチウムは少し咲いているけど、去年ほどではない。

これからは、夏の花を成長させる時期だな。
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ゴーヤも出ていた

2012-05-22 23:24:23 | 日記


昨日の写真をよく見てみると、あれっ?なんか朝顔の二葉とは違う形のものがあります。
今日みたら、ギザギザした葉っぱができていました。どうやらゴーヤのようですね。
昨年の裏なりの実を確かに埋めてあったんです。これで、ゴーヤの苗も買わなくて済みそうです。そういえば、ヘチマはまだまるのまま転がしてあります。輪切りにしないと中から種が出て来ないから、切ってみようかな。ひょうたんなんかも、実がなったら面白いだろうな~。

今日は、冷たい雨の日。昨日は、九州や四国は天気が悪かったけど、その他は晴れて良かったですね。みんな、金環日食フィーバーでしたね。

残念なのは、金環日食の最中に小さな子供が窓から落ちてしまったり、低年齢の子の日食網膜症が出てしまったりしたことです。親が夢中になって日食グラスで太陽を見ているあいだに、子どもが裸眼で太陽を見てしまったのかもしれません。日食網膜症がそんなに怖いものだとは知りませんでした。私は、子どもの時に、太陽ってどうなってるんだろうと思って、眩しいのを我慢してみたことがあります。あぶなかった。
昨日も、一瞬裸眼でみてしまったので、大丈夫かな~と心配になりました。なんとなく目の奥の方が痛いよう気がして、仕事中に目が疲れるような気もしました。でも、子どもの時に太陽を見ても大丈夫だったから、あのくらいなら平気だろうなどと気を紛らしていました。会社の同僚も、日食グラスをかけていると、真っ黒でどこに太陽があるのかわからないので、太陽の場所を知るために裸眼で見てしまったといいます。焦点が合うのと合わないのとでは違うかもしれません。ルーペで太陽の光を集めると必ず焦げますから、やはりおそろしいことです。それに、グラスの性能によっては、あまり効果のないものもあり、小さい子どもは大人以上に影響を受けやすいそうですから、親が気をつけてあげなくてはいけません。
放射能から子どもを守るのに躍起になっている親がいますが、放射能ゼロのものなんてなく、放射能は自然界にもあるものです。イタリアのローマなどは自然石の建物が多いので、かなり放射線量が多いそうです。それでも健康に暮らしているわけで、原発事故以来、避難地域でない場所で、排水溝にたまった泥の放射線が多少強くとも、特に危険はないそうです。
世の中にはもっと危ないものがある。例えば、煙草の煙のほうが、よほど発がん物質が多いそうです。あるいは、電磁波なども体に悪影響を与える可能性があるそうです。

今日も、オナガガモはやっぱり全然いません。北に飛んで行ったようです。代わりに、カルガモが4羽いました。今までオナガガモが棲んでいた場所です。今日は川の水かさが多くなっていますが、楽しそうに泳いでいます。

(中断)

土日は、身体を休めたので、疲労が溜まっているわけではありませんが、夜更かし癖のせいか、帰宅すると眠くなってしまって、夕飯の前に一旦寝てしまいました。起きたらもう8時だったので、手抜きで夕飯を作り食べていると、次女が仕事帰りによるというので、急遽中止にしていた餃子を作ることにしました。フライパンにはりついてしまって、あんまりうまく焼けませんでしたが、次女が来てからもう1回夕飯を食べ、もう1回ビールを飲みました。家族が多いと、食事も手抜きではなくなり、楽しくなるのでしょうね。
東京も地方も1人暮らしが多いようです。やっぱり、3人以上で食べるとおいしいでしょう。
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金環日食のしゅうへん

2012-05-21 08:07:25 | 日記
実は、日食グラスを買いそびれ、ひたすら、曇って見えないことを願っておりました。

でも、見えちゃう空模様だった。

一応、7時半直前に起きて外に出てみると、周辺の公園やベランダには、いつになくさんの人々の姿があった。公園には、望遠鏡を設置して待機している人もいた。

空は、曇り気味だけど、太陽を見上げると、かなりまぶしい。
肉眼で太陽を見てはいけないとは聞いていたが、ついつい見てしまう。
テレビでリングになったというときに、一瞬肉眼で見た太陽は、確かにリングになっていた。
それ以上見たら、目を傷めてしまうので、見ることはやめた。

それにしても、何かを記念に撮っておきたいと思うので、
普通のカメラで太陽のない部分の空を撮影することにした。



つまり、東京では、この程度の雲のある空でした。
金環日食の太陽は、ちょうど建物の屋根のところに隠れています。

周囲の雲は、とてもきれいでしたよ。

それから、日食グラスを持って観測している人々の姿も撮影したけど、それは載せません。

日食グラスがあったらよかったけど、ま、その朝の様子が眺められてよかったかな。

人々の平和な光景でした。

ついでに、日食の日の朝顔の芽です。



昨年とれた種を1週間前くらいに撒いたものが、やっと出てきました。
今年も楽しみです。

さて、これから出勤します。


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