山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

教習車の後で

2015-05-31 13:20:40 | 車・運転・道路・駐車場2015
(昨日書いたもの)
今日は、2週間ぶりに運転したので、初心者のように緊張しました。特に、道を間違えやすいです。何度も走っている道なのに、数か月経つと忘れちゃうもんですね。
最初からナビを設定していけばよかったのに、横着をしてしまったら、どこで曲がるんだっけ?とおぼつかないことがありました。曲がるべき交差点の1つ前の路地に曲がりそうになったりとか・・・。

ところで、今日は教習車にいっぱい遭遇しました。自分の母校のもありますが、他校の車も数台いました。

そこで、「やっぱり教習車ってのは遅いよね~」と思った次第です。
私の通ってた学校は、とろとろ走っていると結構怒られちゃって、流れに乗れ~と指導されたものです。周囲から自動車学校に苦情が来るのかもしれません。

しかし、やはり路上にでたばかりの人は、そんなにきびきびと走れるわけがありませんよね。
幹線道路をまっすぐ走るんだったら、60キロで走れるけど、やはり交差点っていうのは教習車はすごく遅いな~と思いました。

左折でも、蒔き込み確認とかしているからなんでしょうか、横断歩道の安全確認をしているのでしょうか、斜めになってブレーキ踏んで止まったまま。しかし歩行者も全くいないし、早く曲がっておくれよ~と思うわけですが、ちっとも進んでくれません。教習車に続いて左折しようと、私もすでに停止線を超えているんですが、全然進んでくれないので、ああ信号が変わってしまったよ~、交差道路が青になって車が来ちゃうぞ~と、もうハラハラなこともありました。
こっちが死活問題みたいな感じになってしまうわけで・・・。

自分が教習中、後ろからクラクションを鳴らされたこともありますが、そういうことなんですね。自分もそうだったから、仕方がないですけどね。

そうかと思ったら、前を走る教習車が、いきなりセンターラインを越えて右にはみ出て斜めに進み始めたので、ありゃりゃどうしたの?と思ったら、歩行者が2人、ガードレールの外側の車道にいたのであります。その人たちは、車が来たのに気づき、ガードレールの切れ目から歩道の中に入って行きました。それで、教習車は左ウィンカーを出して戻ってきましたが、センターラインをはみ出るときには右ウィンカーを出していなかったし、急激に進行方向を斜めに変えたのでちょっと驚きました。

おそらく、私だったら、ブレーキを踏んで、速度を落とし、歩行者が避難する時間をつくり、歩行者の様子を見つつ、避けるか止まるかしたと思います。

そういえば、今日は、認知症みたいなおばあさんが、信号も無い場所を右からひょこひょこ渡ってきたので、停止して渡りきるのを待つ場面もありました。ばあさんは、渡りきるとそこにあった美容院に入っていきましたが、自分の都合のよい場所で、安全確認もせず、あたりかまわずに渡ってしまうようでした。

教習車の後を走っていると、交差点のずいぶん手前で、右ウィンカーを出しながら、今にもセンターラインの上に右車輪が乗るほどに右に寄っていったので、また焦りました。路地でもあって右折するのかと思ったくらいですが、右にそんな道はありませんでした。
そこは、あまり広い道路ではありません。ちょうど大型車両の対向車がやってきました。

結局、その先の交差点を右折するわけだったのですが、あまりにも右によりすぎだろ~~と思わずつぶやきました。
あっ、そういえば、右折するときは、あらかじめ右に寄るんだったなあ、と思い出しました。教わったことを守っているのか・・・。しかし、やはり寄りすぎだろうなあ。

実際に日常運転していると、狭い道路を右折する時に、交差点の手前でセンターラインに寄るってことはほとんどありません。
対向車が窮屈な思いをするからな~。中には曲がりきれない対向車などがいるし、大型車とはすれ違えないので、なるべく左によって、停止線のはるか手前で止まっていたりするよね。

などと、いろいろ思った運転でした。

私もまだまだ未熟だけど、いろんな経験積んできたなあと思いました。

ハイエクさん

2015-05-29 23:43:57 | 放送大学
今日は、なんとか「現代経済学」の3章を勉強した。インターネット配信の放送を見て、同時に教科書を読んだ。
1974年にノーベル経済学賞を取ったのは、ミュルダールとハイエクであり~~~~。
以下略。

教科書を見ないと、自分の力ではなにも書けない。つまり、何にも自分のものにはなってないってことだ。

ハイエクさんの顔写真だけが、印象に残ってる。いい人そうだ。

この人は「第一次世界大戦と第二次世界大戦という業火に翻弄され、晩年に祖国の地を再び踏むまで亡国の悲哀をなめ続けた」という人生を送っているそうで、そういう人生経験が、経済を捉える視点にも影響しているらしい。

イギリスのサッチャーさんはこの人のファンだったそうだし、今でも、世間で人気のある人のようだ。本もたくさん出版されている。

そういう本を読んだら、少しはいろいろなことが理解できるのかもしれない。
教科書を読んだだけじゃ、経済学上の意味は、私にはほとんどわからない。

とりあえず、ハイエクさんの名前と顔を記憶しました。←意味ない?

ほとんど重要な部分はスルー。

学習のヒント
1ミュルダールとハイエクは今までのノーベル経済学賞受賞者とどう違うのか?

ミュルダールやハイエクは、通常の大学教授の枠を大きく超えて、“八面六臂の活躍”をした、学者以上の学者である。

「八面六臂(はちめんろっぴ)」!!!?←初めて見る言葉だ!

他方面の目覚ましい活躍をしたり、1人で何人分もの仕事をすること。
「面」は顔、「臂」は肘や腕の意味。仏像では「三面六臂」の阿修羅像などがあるが、それよりも多い。八面とは、あらゆる方向を示す。あらゆる方面に活躍する意味。

2 ミュルダール=累積的因果関係論
3 ハイエク=自生的秩序論

どのようなものであろうか?
教科書に書いてあるけど、読んでもよくわからない(自分のものとして理解できない)から保留にしとく。

今頃、なんで3章なんかやってんのかと言わないでください。
B型はマイペースなんで。

勉強の仕方がわからない

2015-05-29 00:24:26 | 放送大学
何をいまさら、そんなことを言っているのかと思いますが、
どうも、自主的に勉強をすることができない性分なのです。

放送大学の放送授業を3科目取っています。
前学期に試験を受けないで、今学期に持ち越したものです。
前学期に、通信課題は提出してあるので、今学期は学期末に試験を受ければよいのです。

しかし・・・
前学期に通信課題をやった時は、問題を解くために教科書の該当部分を探し出して、泥縄式に解答を探しただけなので、全く頭に入っていません。

それから、放送授業もいくらか聴きましたが、どうも全く記憶することができないのです。

まるでザルです。

定着しないのです。
勉強をする習慣も定着しないし、記憶も定着しません。

まるで関心がありません。

1 現代経済学
2 社会と銀行
3 都市・建築の環境とエネルギー

自然の理解コースで、物理や化学が全然できなかったので、産業のコースに入り直しましたが、実は社会って、大嫌いな科目だったのでした。まだ理科のほうが好きだったんですよ。やはり、自然系のコースで、生物でもやればよかったかな~。
仕事で、物理・化学ばかりなので、生物に関係する科目は全然取りませんでしたが、実は動物と植物のほうが好きなんです。

経済なんて、お金のことなんて、一番自分に縁のないものなのだ。

「都市・建築の環境とエネルギー」って、これは逆にわかりきっているような気がして、気が向かない。(わかってないけどね。)

何を、ぶつぶつ文句を垂れているんだろう。

要するに、勉強する気がない。単なる怠けものですよ。

それにしても、いいかげん、ちゃんと計画を立てなくちゃと、1日1科目1章を勉強しようと6月1日からの予定を立てた。(土日は除外。予備)

あれ?足りないじゃん。15章=15日×3科目で、45日必要なわけなんですが、45日はありませんでした。まあ、現代経済学は先日2章くらい勉強したんですが、すっかり忘れましたけど、やったことにしておこう。

この科目は、ノーベル経済学賞を取った人のことがまとめてあるのですよ。ノーベル経済学賞なんてあるんですね。日本では全然話題にならないです。ノーベル経済学賞を取る日本人はいないのだろう。

経済学なんかわけわかんない。どうも肌に合わないなあ~。

しかし、とにかく文句を言っているどころではない。
3科目、3万3千円をパーにするかどうかの問題だ。

だけどな~、勉強計画表は、6月から7月末の試験日まで、1日1科目ずつをエクセル表に記入しただけで、終わってしまった。
これをどうする?って話。
教科書を読むの?ネット配信授業を視聴するの?どうやって勉強しようかな~。
どっちも寝てしまうし、記憶にのこらない。
ノートにまとめる?

勉強って、どうやるんだっけ?勉強の仕方わすれちゃった、というか、子供のころから勉強をしたことがなかった。

なんかおかしい

2015-05-28 22:18:27 | 日記
会社の売り上げが悪いと聞いているのだが、仕事があまりにも忙しすぎるのだ。
いつもは、4~6月くらいは、時間に余裕があるのが普通なのだが、全然余裕がないので、毎日サービス残業をしている。有給休暇も取るどころではない。
従業員が減ったわけでもないので、労働力が減ったというわけでもない。

仕事が増えている。しかし、売り上げが伸びない。
それはどういうことなんだ・・・。

繁忙期でもないので、残業をするわけにはいかない。
お茶を飲む時間が5分くらいあったとか、パソコンが固まっちゃって仕事が中断していたとか、そういう時間を差し引いて、サービス残業をした時間をそこにあてはめれば、きっちり労働時間を働いたことになる。
さらには、ちょっと効率が悪かったとか、時間配分が悪かった分は自分に責任があるから、時間が伸びたのは自分のせいだ。というわけで、だいたい30分くらい超過して働いている。

それでも、仕事が溜まってしまうのだ。

それに・・・他の人たちも、どうもおかしい。
疲れているのか、変なミスが目立つ。
どうしちゃったのかな? みんな五月病かな?

物価が上がっている。
円が安くなっている。

そんなことが影響しているのだろうか?

働けど働けど、売上上がらず、収入増えず、
ただただ疲れるばかりなり。

アンネのバラ

2015-05-27 22:49:31 | 植物・花・木
バラの季節です。



「無国籍」(陳天璽)の中に、アンネ・フランクのことが載っていましたが、アンネ・フランクも無国籍だったそうです。

アンネが収容所に連れて行かれる前にかくまわれていた隠れ家がオランダであり、後世になって、「アンネ・フランクにオランダ国籍を」という運動があったそうです。アンネは生前、オランダ人になりたいと願っていたそうです。
しかし、死者に国籍を与えるということは法律上できないし、アンネ1人にそういうことをしたら、同様の思いをした他のユダヤ人たちはどうなるのかということで、過去にさかのぼって国籍を認めることはできないと決定されたそうです。
また、アンネはオランダのものではなく、世界のものだという考えに行き着いたようです。



アンネの父、オットー・フランクの国籍は何だろう?と思い、調べてみました。
生まれはドイツですが、ユダヤ人です。
ドイツから国外に出たユダヤ人は、亡命したとされ、ドイツ国籍ではなくなり、無国籍となったようです。アンネ一家もそれにあたるようです。
その後、オットーは、1948年にオランダ国籍を取得したそうですが、後にスイスに移住したと書かれています。

「アンネの日記」は、生き残った父親が出版したものであり、アンネのバラも、アンネの父が日本などに送ったようです。
バラ自体は、ベルギーのバラの育種家が改良して作ったものだそうですが、その人がスイスに行ったときに、アンネの父に出会い、「アンネの日記」の愛読者だったことから、自分のバラの中で一番美しいものに「アンネのバラ」と名づけて、アンネの形見とすることを提案したそうです。

ヨーロッパのほうにいくと、国籍は日本なんかより、ずっと複雑になりそうですね。



アンネのバラの出身地はベルギーのようですが、これも世界のものですね~





「無国籍」(陳天璽)を読みました

2015-05-27 20:51:48 | 読書


気合いを入れると、どうもうまくかけないので、ざっくりと感想を書くことにしました。

両親は中国大陸出身ですが、共産主義ではないので、台湾に移住し、その後日本の横浜で華僑として生活。天璽さんは、1971年に日本で生まれました。
日本政府は、1972年に、中華人民共和国と国交を回復、それと同時に台湾(中華民国)とは国交が無くなるということが起きました。
天璽さんは、台湾の護照(身分証明書のようなもの)を持ち、海外に行く時にはそれを使用しますが、台湾に住んだこともなく、戸籍があるわけではありません。日本では、外国人として「外国人登録証」を常に持ち歩かなければいけませんが、国籍は「無国籍」と記載されています。

戦時中、日本の侵略に遭い、両親は日本人には絶対になりたくないと思っています。また、日本政府が中華人民共和国と国交を正常化したと言っても、共産国である中華人民共和国の国籍を持つ気持ちにもなれず、無国籍を選択していました。

日本に現在暮らしている「在日」と言われる人たちは、中国と言っても、台湾なのか中華人民共和国なのか微妙な場合があり、朝鮮といっても、日本に移住したあとで、朝鮮半島が韓国と北朝鮮に分かれたために、どちらともいえず、そのどちらにも戸籍があるわけではない人も多いそうです。祖国には戻れず、日本人にもならないという選択をしている人々がたくさんいることがわかりました。

そこで不便になるのが、無国籍の人が外国に行く時です。天璽さんは、無国籍であるがゆえに、世界中の無国籍の人々に目を向けて、研究や活動をしようとしました。しかし、自分が無国籍であることで、様々な国に容易に出入国できず、行動を規制されるという皮肉な状況を生んでいました。あらゆる国に中立に役立つための機関であるはずの国連さえもが、そこで仕事をしたいと思う天璽さんに「国籍」を要求するものでした。

ここで、私などは、自分のことを思うと、生まれながらにして自動的に日本国民の資格を与えられていますが、井の中の蛙で、海外に出て活躍することもないので、自分が日本人であることを証明してもらう必要性がほとんどない人生を送っています。

私は、陳天璽さんは、国籍がなくて気の毒だと思うと同時に、この人たちが優秀であることに妬ましさのようなものを感じもしました。きっと両親も優秀であるからこそ中国から海を渡って移住してきたのだろうと思いました。そして、優秀であるからこそ、大学に進学し、海外に留学し、逆境の中でも世界に羽ばたいてしまう人なのです。

日本は、血統主義をとっていて、戦後までは父親の血筋で国籍を決めていたそうです。だから、日本人女性が外国人男性との子供を生んだ場合、その子供は日本国籍を取ることができなかったそうです。
国には、血統にかかわらず、出生地を国籍とする国があります。例えば、アメリカでは、そこで生まれた子供はアメリカ国籍を持つことができます。すると、日本人の血筋でアメリカで生まれた人間は2つの国籍を持ち、どちらかを選択することができます。
ブラジルでは出生地が国籍となります。ブラジル人夫婦が日本で子供を生んだ場合は、ブラジル国籍が持てず、かといって日本人の血統ではないので、日本国籍も取れないそうです。外国で産んだというだけで、無国籍となってしまうそうです。
そのように、国によって方針が違うので、国籍を取得するのに様々な問題が発生しているそうです。

陳天璽さんが、世界中の色々な国に出入国するのに、あまりにも不便なため、日本に帰化し、日本国籍を取ろうとしましたが、日本に職業があって収入を得ていることや、日本に5年以上定住していることなど、様々な厳しい条件があり、気分を害したこともあって、最初は断念したそうです。
それから数年後、さらに仕事や研究に活躍するようになって、再び日本国籍を取る決意をし、書類や状況を整えて日本国籍を取得しました。

「私は、法律を守り、善良な国民となることを誓います。」という宣誓書にサインをして、日本国民となったそうです。

この部分を読んだ時、私たちは、日本人の親を持ち、日本で生まれ、そのような誓いをしなくとも、自動的に日本国民として認められていることに、驚きさえも感じました。
もしかしたら、普通の日本人も自動的にではなく、成人したらそのような「誓い」をする必要があるのではないかとさえ思いました。

「無国籍」から「日本国籍」を得たときに、これまで常に持参していた「外国人登録証」を手放すことになった、その喪失感。「国籍」を得たということよりも「無国籍」というものを「喪失」することへの抵抗。そんな感覚がわかるような気がしました。

自分の名前はどうするのか?親からもらったルーツや名前は、そう簡単に変える気持ちにはなれません。私も戸籍の名前の文字が旧字体だったのを、運転免許を取得したときに新字体に変更しましたが、本当に変えていいのかと、変えたあとも少し落ち着かないような気分になりました。それだけのことでもそうなのですから、これまでの自分に変更を加えることは、誰でも強い決断を要します。

アイデンティティとは何か?自分は何者なのか?
天璽さんは、自分を中国人だと思っていたけれど、実際には中国に住んだこともなく、日本生まれ日本育ちの中国人であることに気づきました。
日本の社会の中では、華僑としてマイノリティであったけど、結局は日本人になることを選びました。
彼女は、自分が無国籍でマイノリティであるがゆえに、日本政府(役所など)が、彼女を肯定的に受け入れていないような印象を持っていたようです。

それは、私の感覚では、日本人であっても感じるところではあります。役所に関係する色々な手続きは日本人であってもすごく面倒臭くて、なかなかいろいろなことを認めてはくれません。役所ってところは、親切なんだか意地悪なんだか、よくわからないところです。融通は聴かないし、ほんとうに不便です。
日本人でもそう感じるのですから、無国籍だともっと大変だろうとも思います。

私自身は、数年前、外国人と接する環境にありました。それは、日本語を教えていたからですが、そのときに、日本で暮らす外国人のアイデンティティについて考えさせられるとともに、逆に、自分の立ち位置についても考えさせられました。
日本に来てマイノリティとされている人々は、自国と日本という複数の国を知り、2つ以上の文化に接し、2つ以上の言語を使います。
そういう人々がたくさんあつまる日本語教室というものでは、日本語を教えている私自身のほうが、マイノリティになります。

日本語教師は外国生活をしたことのある人も多く、外国語に長けている人も多いです。そんな中で、日本からほとんど出国したこともなく、日本語だけしか使えないし、日本文化しか知らない私は、かなり肩身の狭いものでもありました。

文化の違いに苦しんでいる人や、努力している人々、外国である日本に来ても、自分の存在をアピールし、生き生きと生活する外国人。

そういう人たちと肩を並べることができない。肩を並べる必要はないのかもしれない。
日本から一歩も外に出たことがない純粋な日本人として、外国人のお役に立てればいいのかもしれない。オリンピックではないけれど、「おもてなし」をすればいいのかもしれない。
あるいはもてなさなくてもいいのかもしれない。客扱いなんかしなくていいのかもしれない。友達になればいいのかもしれない。

本音を言えば、優秀な外国人は自分には苦手な面があります。それは日本人でもそうです。人間というものは、国籍(たとえば日本人と外国人)という分類ではなく、高学歴と低学歴とか、金持ちと貧乏とか、そういう分類で人間が分かれているのかもしれないと感じます。優秀な人間と、無能な人間です。

外国人は、マイノリティーだから苦労しています。ありふれた人々には見えないものが見えます。だから貴重です。

(支離滅裂ですが、思ったことを整理しないで書いています。)
(私は過去に、優秀な外国人とそれを取り巻く日本人たちの世界に接したことで、トラウマがあります。)

この本を読んで、いろんなことを知ることができました。
それは良かったです。こういう一人称の現実の本が好きです。
フィクションの小説は、なかなか興味が持てません。

こういう類の本を、これから読んで行きたいと思いました。

(この本は、2年くらい前に、ブックオフで見かけて買ってあったものですが、そのまま読まずに置いてありました。当時、戸籍のない日本人のテレビドラマが放送されていて、そのドラマは見ていなかったのですが、それに関連して興味をひかれました。最近、ふと思いついて読む気になったものです。)


まとまらない

2015-05-27 00:33:07 | 日記
今日は、いくつかの記事の下書きを書いてみたりしたのだけど、結局全部「没」にしてしまいました。どうも、しっくりこないので・・・。

そんな日もあるでしょう。

しかし、毎日何やってるんだろう・・・。

最近、本を1冊読みました。
それについて書こうと思ってますが、なんかうまくまとまらないのです。

困ったなあ。

とりあえず、もう寝ます。

この頃、何かというと「疲れた」という独り言と、ため息が出てしまう。

やっぱり、本当に疲れているからなんでしょうね。

休みを取らないで少しずつ片付けていきたい仕事。

実際、休みを取らなければだんだん消化していけそうです。

明日も頑張る。

ロマンスカー

2015-05-25 01:18:07 | 日記


週末でかけており、今夜、戻ってきました。
車窓の風景です。
富士山が映っています。
富士山の右前にあるげんこつのような山はなんでしょうか?金時山かな?

ロマンスカー、乗り心地が良いので、ついつい乗ってしまいます。
小田原=新宿間、特急料金890円です。普通乗車券は880円。計1770円です。
(ちなみにJRでは、普通乗車券1490円で、横浜で乗りかえです。)
断然ロマンスカーです。

今日の夕飯は、小田原の鯛めし弁当。



といっても、東京に着いてから近所のスーパーで買ったものです。
閉店間際で半額でした。
定価1300円が650円でした。(定価じゃ買わないよね)
しかし、半額はお買い得でした。

さて、また明日から仕事です。

いつものクロスワードはタテだけ書きました。
(ご覧になりたい方は、左のカテゴリー「クロスワード」から開いてください。)
時間が遅くなってしまったので、ヨコは明日書く予定です。

「コノテガシワ」かな?

2015-05-22 00:06:06 | 植物・花・木


クリスマスツリーみたいに見える、こんな木をみつけました。

最初に目をひかれたのは、この実です。



そういえば、これと同じ種類の木をちょっと前に見たことがあり、その時は花のようなものがついていました。
(この実が小さい時のものだったのかな?)

こんな木に花が咲いているのを見たのは初めてでした。

そのまま、忘れていましたが、今日は実のようなものがいっぱいついているので驚きました。

金平糖のような形の実です。

この木は、「ヒノキ」の仲間だと思い、
「カイヅカイブキ」って言う木にも似ているのですが、カイヅカは、枝葉がねじれるように伸びて、全体が炎みたいな形になるのに対して、この木は、枝葉が縦に平たく重なるようになっていて、木全体はもっと落ちついた感じです。
緑青々としてとてもきれいですね。

調べてみたら、おそらく「コノテガシワ」っていうものかなと思いました。
この縦に直立して重なっているような枝葉が、子供が手をあげるような形だからなんだそうです。



よく見ると、茶色くなった古い実もついていました。
外の殻がはじけて、中の実が飛び散ったあとのようです。


プラズマ

2015-05-20 22:10:43 | 日記
「プラズマ」って何だっけ?連想するのは「雷」かな?
「電気が、空間をあっちからこっちへ飛ぶ」というようなイメージを私は持っている。
あっ、そうそう「放電」かな?

あとは、電化製品だったら「プラズマクラスター」とか「プラズマディスプレイパネル」とかを思い出す。
プラズマクラスターはシャープの製品に使われているようだけど、マイナスイオンとプラスイオンになって、空気がきれいになるとかいうもんで、原理はあんまりよくわからない。うちの加湿空気清浄機はこれ。
プラズマディスプレイパネルっていうのはPDPというけど、テレビの画面などの話。
パネルの中にガスを入れて密封してあり、その中を放電して色が映るってもんかな?これもよくわからない。
実家のテレビは、パナソニックのプラズマテレビだけど、結構電気料がかかるようだ。一時話題になったけど、今では液晶が主流である。プラズマのディスプレイは動きの激しいスポーツなどを映すのに適しているそうだが、液晶の動きがそんなに遅いとも思えない。実家の母がなんでプラズマテレビを買ったかといえば、田舎の電機屋で、たまたまそれが1台だけ、お店にあったからという単純な理由だ。電気屋が勝手に持ってきた。田舎では、なんでも適当に電機屋さんが選んで持ってきてくれる(しまう)のだ。

なんで、プラズマの話をしているかといえば、riceのPlasma という歌があって、今日は、仕事中もそれが頭の中に巡っていたのだ。

♪痛い痛い痛い痛い助けてねえ胸が痛いの~
なんて歌詞があるのだ

去年の今頃、私は五十肩で、そりゃあ痛かった。
もし、私の肩が今、去年の状態だったら、

♪痛い痛い痛い痛い助けてねえ腕が痛いの~
♪Astelisk Shining Loving Darlng
♪米が持てない~ 


なんて歌ってただろうな~~

いやあ、plasma はかっこいい歌なのに、五十肩の歌になっちゃうところだったね。

1年後 治ってよかった 五十肩 

少し充実感

2015-05-20 20:58:31 | 日記
放送大学の面接授業には行けなかったけど、仕事をしっかりやってよかった。

今朝行ったら、また机の上に書類が増えていて、日中にも持ってくる人がいて、仕事は全く減る気配なしだ。
今日、休んだら、本当に大変なことになっていた。
6時間の作業量はバカにできない。
もともと、休まないでちょうどやり切れる程度に設定されている仕事だ。
けっして、フルタイムにはしてくれない。
フルタイムだったら、有休休暇を取っても、やりきれるんだろうけど、そういう余裕はないのだ。

私の仕事は忙しいのに、売り上げはまた最低になっているそうだ。
それは、年度末に売り上げをあげるべく、前倒しで仕事をやってしまったからだろう。

つまり、早く収穫しちゃったってわけだ。
それで、4月5月に収穫するものがないから、収益もないのだ。
今は、みんな働いていても、まだ苗を育てているような時期だから、収穫できるのはまだ先の話だ。

でも、経営者や経理は、「最低です 最低です 最低です」と、そりゃあもう・・・

うるさ~い

ストレス溜まるよ・・・

あ~あ・・・・

年度末に、みんな残業して売上を上げたんだけど、
そうなると、残業手当だって必要になったさ。

それで、新年度になって仕事が無くなったらバカみたいな話だわ。

でも、年度内に売り上げをあげて、黒字決算にしないと、企業ってもんは困るんでしょう。

だから、悪循環っていうか、どうしようもないよね。

私は忙しいけど、暇な人もいるようで、結構休みを取ってる人も多いような気がする。

まあ、暇な時期に休みを取っておかないと休めなくなっちゃうからね。

今、世間は5月病が流行しているらしい。私もいろいろなことが面倒くさい。
筋トレ教室でも、出席者が減っているようだ。同じ時間帯でよく顔を合わせていた人も、先日やめたと言っていた。

季節的にも、急に暑くなったり蒸したりして、体調が崩れるようだ。
そうこうするうちに5月も下旬になってしまった。
6月は祝日が1日もないもんね。

私は、自分の仕事に区切りがつくまで、つまりやるべきことが全部終わるまでは、有休休暇を消化しないことにした。
とにかく、任務を全うしてから休むことにしよう。

「有休休暇は消化しないともったいない」という考えはやめることにする。

有休は、あくまでも、業務に差し支えない範囲で取れるものだということだ。



面接授業断念

2015-05-19 23:59:35 | 放送大学
仕事があまりにも忙しくて、休むことができません。

平日の面接授業は、申し込むんじゃなかったです。

今後は、土日だけにします。

今期は、土日と平日の2つの面接授業を申し込んでいたのですが、

身内のアクシデントや、仕事のために、

どっちも半分しか出席できませんでした。

なんか、落ち込んじゃう。

ここまで、仕事が溜まってしまったのは、

身内のアクシデントで仕事を休み、
今度は自分が病気になり、欠勤し、

そのときにやらなかった仕事を今やらなくてはならず、

有休休暇を消化しようと取っていたのも祟ってしまい、

仕事がどんどん溜まるばかり。

先週面接授業中も、みんなが仕事をしていると思うと、落ち着きません。

こんなことをしていて良いのだろうかと。

実際、それほど意義のある授業でもなかった。

いらつく。

暢気な人にイラつく。

授業と仕事とどっちが大切なのか?

頼まれたら、それに答えたいと思うのが人間だ。

仕事を、やり遂げなくてはならない。

授業は、受けなくても良い。

気が滅入る。

でも、仕事が達成されれば、それで満足が得られるだろう。

単位は得られない。

しかたがない。

知識を得るには、自分で本を読めばいい。


気心の知れた友

2015-05-19 20:21:39 | 日記
気心の知れた仲間の会話は疲れない。

先日、久々に4人で食事をした。そこで私が新しい老眼鏡を出したとき、
私「このケース、変でしょ?本当はこんなのいやなんだけど、メガネ屋で好きなのを選ぶことができなかったのよ」と話した。
A「あら、普通は選べるわよ」
私「選べると思ってたのに、もうこれに決まってるんだって。変でしょ」
B「変よ、その店」
私「こんな、おばあさんみたいな色、絶対いやなんだけど」
C「本当、ちょっと、その色はねえ」
私「このデザインも変だしさ」
B「他のに変えてもらえばよかったのに」
私「他の色はないんですか?って聞いたんだけど、無いんだって」
C[ひどいわねえ]
A「余ってるのを押しつけられたんじゃない?」

という具合で、「そのメガネケースは変だ、おばあさんみたいだ」「私もきらいだ」という意見は全員一致しているのだった。

これが、別の知人との会話になるとそうはいかない。
私「このメガネケース、気に入らないんですよ。」
M「あら、ステキな色じゃないですか?」
私「ステキじゃないですよ。おばあさんみたいでしょ」
N「そんなことないですよ。きれいな色じゃないですか」
L「飛鳥さんにお似合いですよ」
私「私はこんな色は嫌いなんですよ。自分で選べると思ったのに、選べなかったんですから。こんな色のもの、自分では絶対に買いませんよ」
M「あら、じゃあ、これを機会に、そういう色の服とかを買ってみたらどうですか?」
L「その色で、いろいろ合わせれば違和感がないんじゃないですか?」

だからさあ、その色は嫌いだっつ~の。変な色だろうが。
私が嫌いだっていってるのに、なんでいい色だとか似合うだとか言うんだろうか。
本当にストレスが溜まるのです。

「ほんと、変ですね~、飛鳥さんには全然似合わないよ~」と言ってくれる人が嬉しい。


何これ?

2015-05-19 00:09:11 | 旅行・街歩き


楽しくもあり、微妙に不気味でもある空間。





サラリーマンにしては、派手すぎるネクタイ。





風になびく。 まさしく七夕飾りの短冊のよう。




神社があるような錯覚にとらわれるが、神社はない。




御神木???



ネクタイで願い事@いけぶくろ

Rain

2015-05-18 22:43:36 | 日記
rice - Rain (Live @ Shibuya O-WEST) [Re:birth it Coolsounds Evolution 2008.07.30]


雨が降ると、この歌が聴きたくなる。

さっき、ザーっと降ってきたのだ。

以前PVを載せたことがあるのだが、Liveのが見つかった。
これは感動する。

雨は解毒だ。

・・・・・・・・・・・

最近は仕事が忙しく、そのほかにもいろいろあって、気がまわらないというか、
気持にも余裕がない。

やるべきことに、追いついていけない気分なのだ。

それで、お腹もすいてないし、疲れたし、
夕飯も作る気になれず、寝ていた。

夫がいるから、早く起きなくてはと思ってた。

でも、「起きない」という選択肢もあるのかもしれない。

そう思ったら、このまま朝まで寝てしまうのも有りだ、と思った。

なんだって、いつもいつも私が作らなきゃならなんだろうか・・・。

もう、いやになっちゃうよ。

学校にはいかない。どんどん時間が経つ。すでに授業は始まってる。そして登校拒否になる。

それと同じ、家事拒否だ。

でも、いずれは自分も起き上がらなきゃならない。
いつまでも眠いわけではない。いつかは目が覚めるし、お腹もすく。

そうしたら、雨がザーーーッと降ってきたのだ。
気持ちがいいくらいに。

しばらくしたら、普通に起き上がれた。

何事もなかったように、かなり遅い時間になったけど、うどんを作って食べた。