山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

備忘:ウォーターポンプ修理

2018-06-29 02:06:59 | 車・運転・道路・駐車場2018
先週、車のウォーターポンプの修理=交換をしてもらった。

2カ月前の点検の時に、エンジンを切る瞬間にキュツキュルっと一瞬音が鳴ることを教えてもらった。
それは、いつから鳴っていたのか?自分では全然気づかなかったのだが、言われてみると、その後いつもそうだった。

その時の説明では、その音は、だんだん長くなり、いつも鳴るようになり、大きくなっていくのだそうである。
今すぐ直す必要はないが、近い将来直さなくてはならないものらしい。
それは、エンジンを冷やすための冷却水を循環させるためのポンプが悪くなっていて出る音なのだそうだ。
ほっておくと、エンジンをちゃんと冷やせなくなり、エンジンが過熱して煙が出てきたりして、エンジンが焼けてダメになってしまうのだ。

じゃあ、秋くらいに直すことになるかな?と思っていたら、10日くらい前には、駐車場に車を入れたときに、エンジンを止めるまでずっとキュルキュルキュルキュル鳴り続けていることに気がついたのだった。

こうなると、自然に直るなんてこともあり得ないし、悪くなるばかりだから、ディーラーに連絡してウォーターポンプを交換してもらうことにした。

ウォーターポンプと、その周辺に使われている部品(ベルト等)を交換してもらうことになり、結局、約33800円くらいの修理費だった。

このウォーターポンプは、普通は10年くらい持つものらしく、走行距離も10万kmくらい走れるものらしいが、私の車はまだ9年経っていないし、走行距離も2万kmも走っていないので、ずいぶん早くダメになっちゃったものである。
ネットによれば、これが7年以前だと無料で保障してもらえるとかであり、どうやら、この車種はこの部分が弱い傾向にあるらしい。
きつく締めつけているとダメになるとか書いてあり、その調節がむずかしいのかな?

まあ、とにかく新しいものに交換したので、一安心だ。エンジンは、元々調子が良いし、他になんら不具合はない。まだまだこの車に乗り続けるつもりである。

ディーラーでは、おそらく、新車を買わせたほうが良いのだろう。新車を売って、中古を買い取り、中古を売れば、2台売れることになるもんね。

でも、こちらとしては、まだまだこの車に乗っていたいのだ。

修理後は、当然ながら、あの音も全く鳴らなくなったので、よかった。

車も私も年を取ったけど、メンテナンスをしっかりして健康を保とうね。


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自分の居場所

2018-06-28 07:07:11 | 日記2018
自分が肩身の狭い思いをせず、正々堂々として居られる場所っていうのは、同類がたくさん居る所なんだろうと思う。

色々な人が、それぞれに違っていたからって、そんなことは関係なくなかよくできるはず、それが望ましいとは思うものの、実際にはそうはいかない。

まず、年齢。
若い人は、年輩者を嫌う。敬遠する。
一緒にいてもつまらないと思うだろう。
考え方が古臭い。見苦しい。先がない。新しいことを身につけない。

それから、学歴や知識や資格、教養。
高学歴の人は、低学歴の人と一緒にいることが好きではない。
くだらないと思うのだろう。低能な人とは付き合いたくないのだろう。
大卒同士でも、大学の銘柄・偏差値などで住みわけがされている。

経済力。
お金持ちの人は、貧乏人の金銭感覚はわからない。
同じような経済意識の人同士が合うに決まっている。

そうなると、同じような属性を持ち、同じようなレベルの人の中にいれば、除外されることもなく、平穏に居られるってことだ。

正社員の中に非正規社員が混じっていたり、高学歴の中に学歴のないものが混じっていたり、高収入の中に低収入の人が混じっていたり、美人の中にブスが混じっていたり、若者の中にババアが混じっていたりしたらいけない居心地が悪くなるのは当たり前だ。

自分に似た人たちが居る場所を探して、そこに居ることが幸せになれることかな。

そこはどこかな?

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孤独に気づく

2018-06-28 00:21:46 | 日記2018
この頃、私は次第に職場に対して、不信感を募らせている。
そんなことを書くわけにはいかないのだが、これまで溜めてきたストレスは爆発しそうだ。

すでに会社を辞めた同僚に連絡を取り、愚痴をこぼしたいと思うが、それはやめておく。
なぜなら、もうその人たちは、関係ないのだもの。
この職場に見切りをつけて新しい世界に飛び立って行ったんだから、今さら残った人間が、ああだこうだと訴えたところで、その人たちには、何の意味もないのだった。
いやなことを聞かされてもちっとも面白くも楽しくもないだろう。それに、今や外部の人になった元同僚に、職場の内部事情を話すわけにはいかないよね。

また、元同僚たちは、職場の中では親しくしていたものの、個人的に職場の外でつきあっていたことなど一度もないんだから、今さら私生活の友になるわけでもないよね。

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明日も仕事か

2018-06-26 23:51:04 | 日記2018
なんか、最近憂鬱だなあ

鈍感力が必要だなあ

割り切りが必要だなあ

会社は正直、段々つまらなくなるなあ

張り合いがないなあ

・・・・・・・・・・
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連想

2018-06-26 23:29:56 | テレビドラマ・映画
昨日、映画の「昼顔」から、なぜriceのNeverのMVに至ったかといえば、
その間に「熊谷守一」のことがある。

「昼顔」の中で、私が1番印象的で、かつ、一番嫌いな場面は、踏切のところで、上戸彩が朦朧としているところだ。

しかし、あのシーンはすごい。
恋人が、元妻の運転する車で事故死した後、彼女はいつもの駅の踏切を渡る。そして、線路の溝にハイヒールのかかとを挟み、抜けなくなって、過去の踏切の場面を思い出す。ハイヒールをそのままにして、線路のほうに歩いていく。
すると、緑の信号機が2つ光っていて、その丸い緑の光が蛍のように見え、それに惹かれてホームの間の線路に歩いて行ってしまう。
そのまま近づいていくと、いきなり信号が赤に変わり、それが蛍ではないことにはっとする。そして、線路にひっくり返る。仰向けになる。

その姿は、そのままでは電車に轢かれて死んでしまうであろう、と思わせられる。

そうだ、その姿こそ、熊谷守一が、ある時期、何度も描き続けた、踏切で轢死した女性の絵と同じものになるのだ。

熊谷守一は、ある時、実際に踏切で轢死した女性の姿を見てしまい、その絵を描き続けていたのだった。私は、それがモチーフとなっている絵を、何枚も美術館で見た。

上戸彩が線路にひっくり返っている・・・
あの絵のようになるのは嫌だ、と思って、恐怖におののきつつ映画のシーンを見ていた。

主人公は、近づいてくる電車に気付き、なんとかホームに這い上がり、命を失わずに済んだのだった。

そのシーンで、私はきっと熊谷守一を思い出し、映画「モリの居る場所」を思い出し、そして、文化勲章の場面を思い出し、鞘堂ホールを思い出し、riceのneverを思い出したんだろう。

そういえば、これらの映画に共通するのは、「虫」でもあるかもしれない。
それに、「モリの居る場所」では、ホタルみたいなへんなライトのついた人も登場したっけ。水もあった。

全然違う映画だし、何の関連性もないし、テーマも全く違うのだけどね。
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気分直し

2018-06-26 00:08:06 | 音楽
rice / Never (MV)


何度も載せているのだけど、これが好きです!

さっき、見ていた映画(昼顔)があまりにも気持ち悪かったので、気分直しです。

ああ~~~

早く、イヤな気分を浄化してください。

・・・・・・・・・・・・・・

ところで、このあいだ「モリのいる場所」を見たんだけど、

文化勲章だかなんだかを授与することがきまりました、というような場面で、

お役人みたいな人が、立派な建物から熊谷守一の家に電話をかけてくる映像があったんですね。

その場所、私は一瞬、「鞘堂だ!」って思ったのです。

このMVの撮影された建物にとても似ていたんですよ。

この柱の部分が。

モリの家では奥さん役の樹木希林が「要らないそうです」って答える場面です。

鞘堂のところは、ほんの一瞬しか映らないんだけどね。

鞘堂ホール

旧川崎銀行千葉支店の建物が、そっくり新しい建物の中に入っちゃってる。
鞘の中に入ってるみたいなものかな。

これ書いてるうちに、やっとイヤなこと忘れられそうだな~

映画「モリのいる場所」はよかったな。

もしかしたら違うかもしれないけれど、たぶん鞘堂だと思ったんだ~~


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昼顔

2018-06-25 23:47:27 | テレビドラマ・映画
以前、テレビで紹介されていて、映画館では見なかった映画なので、見ようと思って見たのだけど・・・

なんか、後味の悪い映画だった。

なんか、気持ち悪い。

特に、最後のほうは気味が悪い。

車の事故死や、線路の場面等。

言いたいことはわかるけど、なにもこんな結末にしなくたってよかろう。

さっさと別れて、新しい相手とくっついて、取られたほうはあきらめろよ。

執着はいやだ。

そんなことで、人が命を落とすなんていやだ。

ああ、気分悪い。

最初から、面倒くさい映画だなあと思って見ていたけど、見始めたのだから最後まで見ようと思った。

でも、最後の方はもっと気持ち悪くなっていった。

2人の女に好感なんか持てないし、髪の毛も気持ち悪いし、顔も気持ち悪いし、

なんで、1人の男を取りあうのだろう。

やだやだやだ。
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村田一弘さんと車ネタ

2018-06-25 00:48:53 | 音楽
私は、riceが好きで、櫻井有紀さんのことをよく書いているのだけど、村田一弘さんもかなり好きである。
だから、やっぱり2人で1つのriceなのだ。

村田一弘さんのドラムが他の人のドラムとどのように違うのか?ということは実際わからないのだけど、私は村田一弘さんのドラムばかり聴いているので、もしかしたら、わかるのかもしれない。
櫻井有紀さんの歌には、村田一弘さんのドラムが合うのであり、さらに歌のハモリの部分とか、村田一弘さんの声が合うんだと思っている。

さて、今日は車の話だ。

村田一弘さんは、車の運転をするので、これまで聴いた話の中で共感することが色々あった。

あるとき、ヒロさんは、運転の初心者が走る高速道路としては「第三京浜」がいいよ、と言っていた。
そうですそうです。私は、高速道路というと、中央道と第三京浜しか走ったことがないのだけど、第三京浜は環八が起点になっていて、合流しないで入れるからいいんだなあ。
まあ、途中で出て、帰りに途中から入ったら合流しないといけないんだけど、あの道路は良いと思う。共感だ。

また、あるときは、ワイパーの話をしていたのだ。
車がどんなに進化しても、ワイパーの構造は昔からほとんど変わっていないそうである。

その話が出たとき、たまたま私は1日くらいまえにワイパーのことをパソコンで調べていて、構造が変わらないっていう情報を読んだばかりだった。

あれは、フロントガラスを物理的に拭きとるような形になっているのだけど、やはりそれが一番理にかなっているらしい。拭きとられる範囲が扇みたいになって、あまった部分が拭きとられないのが気になるけど、やはりあれが今のところ一番よい方法なんだろうってわけだ。

そして、東京タワーで演奏していたときも、雪道を走る自転車が滑ったりしたら危ないから、クルマにとって、とても怖いと言っていたけど、全くその通りと思った。

また、運転教習ならバックから習いたいという有紀さんに、教習の順番は選べないんだよと教えていたのも、面白かったな。

あと、車じゃないけど、部屋を片付けるのが面倒くさいみたいな話をしていることもあって、そういうところは私はヒロさんに共感するなあと思ったのだった。

また、2人のそういう話を聴きたいのだ。

何年か前も、活動休止したけど、復活しているので、今度もまた復活してくれると思う。

そして、今年いっぱいはしっかり花を咲かせてくれるそうである。

smapが解散したような、そんな変な別れ方なんか絶対しないし、2人の信頼関係は変わらないよね。

(この記事は自動車のカテゴリーにするか、音楽のカテゴリーにするかどっちにしようかな?)
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右折対向車続きでも右折は危険

2018-06-24 23:23:52 | 車・運転・道路・駐車場2018
私は、右折にはかなり気を使う方である。危険な右折は絶対にしない。
対向車の直進車が全部通り過ぎてから右折を始める。

しかし、それは、右折車の後ろから直進車が通り抜けられる場合であり、通り抜けられない場合は、双方向の右折車同士が止まっていたら永遠に車の流れが止まってしまうから、そういうときは右折対向車が、後ろの直進車をせき止めている間に右折をしてしまうわけである。

右折車が1台だったら、交差点内で後ろから直進車が通り抜けられても、右折車が2台続けば、道路の幅いっぱいになっていて、その後ろに直進車がいても右折車の脇をすり抜けることはできない。

と思って、昨日は2台の右折対向車を確認しながら右折を始めた。横断歩道には渡る人もいなかった。

いつも後ろからクラクションを鳴らされたりすることもあるので、ここではさっさと右折をするべきと判断した。

と、その時、2台目の右折対向車のわきから、直進バイクが現れたのであった。

その時、こちらは、すでに右折を始めていたので、わわっと思った。

バイクのほうでもこちらの動きが見えていたので、危険な状況というわけではなかったが、速度を緩めたようであった。

直進優先のところを右折車が先に右折したとなると、やはりこちらに落ち度があるとしか言いようがない。

やっぱり、右折車が続いているとはいえ、安易に右折はできないなと思った次第だ。

機敏な動きなんてのは、やはり私はしないほうがよさそうである。
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サザエさん症候群

2018-06-24 22:22:09 | 日記2018
サザエさんは、見ていないが、日曜の夜早い時間にサザエさんをやっていることは知っている。
昔は見ていた。

サザエさんの番組を思うと、明日は仕事だと思って、週末も終わりだと思って憂鬱になるのが「サザエさん症候群」と言うそうだ。

それだったら、最近では「西郷どん」や「ブラックペアン」を見ると、明日は仕事だと思ってもおかしくないはずだが、なぜか「サザエさん」のことを思うと憂鬱になるのだ。

それは、なぜか?

私はサザエさんがあまり好きではなくなった。

あれは、時代遅れの漫画だと思う。
最近はもう何年も見ていないけれど、相変わらず「ふねさん」は、着物を着ているだろうし、「波平さん」も帰宅すると着物を着ているのだろう。カツオもワカメも昔の小学生のままだし、タラちゃんも全然大きくならないし、いつも同じ人間関係で、サザエさんは能天気だし、もううんざりだ。
サザエさんは、いつも今夜のおかずは何にしようかなどと考えているだけだろう。

なんで、ずっとずっと同じなんだろう・・・

だから、イライラするんじゃないかな。

あれは、サザエさんが日曜日に放送しているからというよりも、内容がいやなんだ。

島に流されて死にそうになっている西郷どんを見たって、必死に手術をしている医者のドラマを見たって、明日の仕事をするのがイヤになんてならない。
むしろ自分も人生を戦わないといけないと気を引き締めるくらいだろう。

しかし、サザエさんはそうではない。

だから、サザエさんが映っていると、チャンネルを変えてしまう。
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e+先行販売?

2018-06-24 08:23:58 | 音楽
ライブなんか行ったことがないので、チケットの取り方がわからない。

自分は一般人だから一般販売というので買うものだと思いこんでいたのだが、先行販売というのがあって、これは抽選なんだそうだ。

先行販売がもっと前から始まっていたことは知っていたのだが、私はこれはファンクラブかなんかに入っている人用のものだと思いこんでいたのである。
しかし、そうではなく、先着順ではなくて抽選で買える方式の売り方であり、先着順の日には申し込めない人たちが、前もって抽選で買えるチャンスを作るために設けられている売り方なのだそうだ。

だったら、これでやってみればよかった・・・。

まあ、知らなかったんだからしょうがないけど、ネットで色々調べてみると、先行販売で当選したときには、チケット代・手数料の他にサービス料というのがかかるそうである。
それが高いとかなんとかで、色々と意見や感想が載せられていた。

ネットでチケットを買い、コンビニで受け取る場合、それだけでもかなりの手数料など、付随する金額がかかるのには以前から驚いていたが、電車に乗ってチケットを買いに行くことを考えたら、時間と手間が省かれる分、そのくらいの出費は高いとは言えないと思っていた。

先行抽選販売の場合は、さらにそれにサービス料が加算されるそうで、それがいくらなのかよくわからないけれど(数百円くらいかな?)どんどん出費が増えていくことになるらしい。

それでも、チケットが買える可能性が高くなるんだから、経費がかかることはしょうがないのだろうけど、多くの人が嘆いているようである。

そのライブの人気がどのくらいあるものなのか?私にはまるでわからない。

クラシックなんかは、一般販売だけで、早めに買わないと良い席がなくなることはあるが、よほど公演直前でなければ、売り切れてしまうことは無いような気がする。

karmaっていうのは、そんなに人気があるものなのか~

始めて知った。
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Karma売り切れ

2018-06-23 21:58:01 | 音楽
なんとか、櫻井有紀さんの生歌を聴きたいと思っているので、今日から一般販売されるというkarmaのチケットを買おうと思っていた。

午前中、筋トレとストレッチに行ってきて、11時半ころパソコンを開いたのだが、・・・
な、なんと既に売り切れていたのだ。

Karmaというのは、櫻井有紀さんと田澤孝介さん、2人のボーカルユニットであり、2人とも歌唱力がすばらしい。

今日、買おうと思ったのが、追加公演で、東京FMホールだから、着席式なのかなと思い、それならば、オバサンでも大丈夫だろうと思っていた。
東京FMホールは、以前行ったことがある。

しかし、やっぱり人気があるんだな。

先行販売っていうのは、もっと前に終わっているので、すでにその時に大部分の席が売れてしまっていたのかも。

あとは、独唱くらいかな?

なかなか叶わないものだなあ・・・
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ビニール温室カビだらけ

2018-06-23 17:58:34 | 日記
今日、ふとベランダのビ二ール温室をみたら、ビニールがやたらに汚れているように見えた。
全然中が見えないくらいに汚れている。

近づいてみると、黒カビが斑点のようになって、温室の内側全体に広がっているのだった。

そういえば、最近、温室の中がくもっていると思っていた。湿度が高いので、お風呂の中みたいに湯気が充満してそれがビニールについていたのだ。

それでも、それは単に湿気が多いというだけだと思っていたので、そのままにしてあったが、今日は、その湿気がすべて黒カビになってしまっている。

急いで、手の届く範囲は拭きとったりして、そしてファスナーを開けて外気が入るようにしたのだが、もはやカビの大量繁殖はどうにもならず、あっちこっちにカビの胞子が飛んでいるはずである。

今まで、ビニール温室を何年も使っていたのだが、こんなふうになったのは本当に初めてだった。

密封していたのが悪いのか?以前は密封してなかったのかな?

近頃、天気の悪い日が続いていて、うっとうしいと思っていた。

ビニル温室は、保温効果などは実はあまりないそうなので、カビの温床になるんだったら、捨ててしまった方が良いかなとも思う。

カビを拭きとれば、私の身体にもカビがついているし、カビの成分を吸ってしまうし、部屋の中までカビの胞子が飛んできてしまいそうだ。私にくっついてあっちこっちまき散らしてしまうだろう。

一度着いた黒カビは、いくら乾燥させたとは言っても、胞子が死ぬわけでもなく、湿気があればいつでも復活するんだろうし・・・

困ったことである。
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経営者のストレス

2018-06-22 21:30:23 | 日記2018
時給が安いだ何だと言って、常日頃ぶつくさ言っている私だが、それだけ気楽な立場である。
雇われているものは、会社がつぶれそうになったら、やめて転職すればよいのだ。
しかし、経営者はそうはいかない。
いつなんどきも、社員に給料を払う責任があるし、そのためには、会社の業績を伸ばし、安定させなくてはならない。
経費の節減、新入社員の教育、採用、人材の活用、効率化・・・いろいろ対応しなければいけないことがあって切りが無い。
顧客や関連会社とのやりとり、同業社との付き合い、営業活動、会社能力・レベルの向上、etc.etc.

それはすごい重圧だ。
経営者にも家族が居て、家庭があり、家族の一員としての役割もあるだろう。

社員というのは、会社の経営を他人ごとのように社長に任せていてはダメだ。

「社畜」なんていうけれど、社長のために働いているという一方通行の貢献であるわけがない。

あるときは、社長が社員のために心身を削っていることもある。

会社って、経営者も社員もみんなで成り立っているものなのだ。

政治だってそうだ。

政治家が勝手に日本を動かしているのではなく、国民が日本を動かしているんだから。

政治家と国民を別個のものとして考えるのはおかしいし、会社も、経営者と社員を別個のものとして考えてはいけないだろう。

中小企業に勤めてみるとよくわかる。

みんなで働いたことが、その会社の収益となり給料となっている。

だから、一丸とならないといけないんだ。

社員は善良な経営者に協力し、支えていかないと。

支え合って行かないとダメだ。

そんなことを思った本日だった。

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放置読書

2018-06-21 22:58:27 | 読書
ハムスターっていうのは、寸前までやっていたことを忘れてしまうそうで、
食べている途中で寝てしまったり、またふと目を覚まして、何かを始めたりするが、
その前にやっていたことなんかまるで記憶にないらしい。

私もハムスターみたいな人間で、何ヶ月か前に読み始めたはずの小説本が、いつのまにか、どこかに放置されていたのだ。

そして、最近気がついた。

そう言えば、あの本、どこに行ったんでしょうね。

読み始めていたことを思い出したけど、いつやめてしまったんだろうね。

その本は、カズオ・イシグロの「浮世の画家」だった。

これは、日本が舞台になっており、カズオ・イシグロの空想の世界というか、本当の日本を見て書いたわけではなく、彼には幼少のときのごく狭い身近な地域の記憶しかないのだそうだから、日本を知らずに日本を舞台に書いた小説だということだった。

そして、この小説の舞台は、戦後の日本であって、戦争で空襲を受けて壊れたりした家屋敷のことも描かれていた。

その家は、立派なお屋敷で、画家である自分が安く譲り受けたものだったが、・・・

そこから始まる物語が始まる前に、放置状態となったまま、私の記憶から遠ざかっていったのだった。

何で放置したのか?
特に理由もないのだけど・・・つまりは、誘引力がなかったんだろう。

これを読み始めて、ちょっと気になったのは、文体がいかにも戦争直後の日本小説のようなかんじだったことだ。

これは、イギリス人の現代の作家が書いた小説ではないのかな?

なんとなく、古臭い、あの時代にありふれていたようなその文体(登場人物の言い回し等)が気に入らない。
この文体はカズオ・イシグロが醸し出したものじゃないような気がする。

そして、紀子はなぜ紀子なのか?
典子でなく法子でなく則子でもなく、どうして紀子になったのだろう・・・

石黒一雄が書いたんだったら、紀子かもしれないが、
カズオ・イシグロが書いた小説だよ。

だったら、紀子はノリコじゃないのかな?

このあとの展開が、日本にあった小説のようではないのかもしれないけれど、

読み始めた最初の方で、起きた違和感。

日本の昔の小説の中に出てくる、ありふれた言い回し。登場人物のやりとり。

それがイヤだ。昔の日本人作家が書いた文みたいなんだもの。

いえいえ、特に嫌気がさしたわけでもなんでもない。
訳者が悪いとか言ってるわけでもないし、そこまで私にはわからない。

カズオ・イシグロが、日本人ってこんな感じの人間…って思っていたから、そのように書かれた小説をそのように訳したのかな?

私は、そのことがいやでやめたわけではなかった。

ただ、途中ですっかり読んでることを忘れたのだ。

意識から消えていたのだ。


思い出したからまた読もうかな。



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