山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

無縁坂

2009-05-30 19:50:05 | 日記
姉と話をしていると、母が若いころは、他の母親と比べて、自分の子どもに対してあまり優しい母親ではなかったという情報が出てくる。
私は、母にしか育てられたことがないので、母親とはそんなもんだと思っていたが、姉は私が生まれたときに数日間、親戚の叔母のところに預けられ、そのとき、叔母がとても優しかったのだそうだ。それは、よその子供を預かっているのだから、優しくするのは当然だろうと思うものの、姉に言わせると、絶対にうちの母より他人のほうが心根が優しいのだそうである。

また、姉が言うには、姉が小さいころは、母が作るおかずは、いつもキャベツの千切りに醤油をかけたものだったそうだ。
そう言われてみると、私は母と姉がキャベツの千切りに醤油をかけて食べていたという記憶があり、私はそんなものはまずくて食べられないので、いつも「のりたま」のふりかけかなんかをかけてご飯をたべていたように記憶している。そのころ、私は、母と姉はキャベツが好きなのだと思っていた。

私は、なぜか物心ついたときから、生野菜というものが大嫌いだった。味もキライだし歯ごたえもキライだし、私にとってはどんなことをしてもノドを通らないようなしろものだった。それは野菜炒めなどでも、野菜の生の香りと硬さが残っているものはまったく食べ物としてうけつけられなかった。

最近、姉から聞いたことに、母は、私の離乳に失敗したのだそうだ。だから、私は野菜などを食べず、特定のものしか食べない子どもになって、体も小さかったようである。私は、いつも野菜を前にして、食べるものがなく、おなかをすかせていたという記憶がある。
焼きそばは好きでも、そこにキャベツが混じっているので、そばも食べられないから、結局食べるものがないのだった。そのような偏食の私は、小学校の給食では苦労した。キライなものを食べるくらいならお腹を空かせているほうがよかった。
そのような野菜嫌いが、母の離乳食に由来するということは、事実かどうかはわからないものの、最近初めて知ったことだ。

また、姉が言うには、母は、私が手をつなごうとすると、私の手を振り払っていたという。
手をつなぐとぶら下がってきて重いからだそうだ。そういえば、私は母と手をつないだ記憶がない。また、なぜか友人と手をつないだりするのにも抵抗があるのだった。どちらかというと、私自身が人と手をつなぐのが嫌いな人間だった。

そんなことをふと、考えるうちに、私の頭に「無縁坂」の歌が急に浮かび上がってきた。

母がまだ、若い頃、僕の手をひいて
この坂を上るたびいつもためいきをついた
ためいきつけばそれですむ
うしろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手はとてもやわらかだった

私は、あまり歌の詞を覚えるほうではない。
でも、この歌は子どものときに、自宅に弾き語りの本があったので、
それで、歌詞を覚えてよく歌っていた。
子どもの頃は歌詞の内容までよく考えなかったが、
今思うに、この母親は、あまりにも私の母とは違っていると思う。

だいたい、私の母は、私が「ためいき」をつくと怒る人間だった。
だから、私は、「ためいき」をつくことは、悪いことだと思っている。
母は、ため息をつくことを許さない。当然のことながら自分もためいきをつかない。
ため息をつくようないやなことなら、さっさとやめちまえというのだった。
私の場合、やめちまえば済むようなことに、「ためいき」をついていたのも事実だったし、
「ためいき」をつくということは単にヤル気がないだけであり、ヤル気さえあればため息なんかつかないで、やり遂げられることばかりだったのも事実だった。

それに比べると、この無縁坂の歌詞の母は、ずいぶんと苦労のあった人だったことがわかる。
後ろをみたら、生きていくことさえままならないような心境になってしまうような辛い人生だったんだろう。
だが、母の手は白くやわらかだったというのは意外だ。この母親は精神的には苦労していたようだが、手は荒れていなかったのだろう。

私は母と手をつないだ記憶は無いが、母の手は白くはなく、やわらかでもない。
母の手はどちらかというとしっとりとはしておらず、乾燥ぎみだということを私はなぜか知っている。それは私が母と手をつないだことがあるからに違いない。

運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど
そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う。
しのぶしのばず・・・

ここまできて、急に胸がぐっときた。
この母親、かわいそうな人だ。

無縁坂・・・

運が悪い、縁がない、人だったんだ。

かみしめるような
ささやかな僕の母の人生

きっと悲しい境遇の人は優しくなるんだろう。

ためいきをついて怒ったり怒られたりしているような人たちは幸せである。
手を引かれた記憶がなくても、何の不足も感じないで育った私は幸福であるってことだ。

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2 コメント

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母親は遠きにありて… (玉川のセレブー)
2009-05-30 22:53:30
私の身の上なんて、聞く側にしたら迷惑かもしれませんが、私はバツイチです。
子供達はある程度成長していたのでいろいろ悩んだ末、籍は父親姓にして私だけが家を出ました。話題にする長女は離婚前に遠県の全寮制の高校に進学し、そのまま筑波へ。多感な時期を父親とは絶縁に近く、私はとにかく出来る努力を娘のためにしました。でも、彼女は妙に大人びて自立してしまい、私を労ってはくれますが世間一般の母娘関係の様に友達感覚はありません。彼女はどう思っているのか、あまり感情を表す事がなくて察することも出来ませんが私はとてもさみしいです。離婚を初めから応援してくれたのも彼女です。あの頃は子供の目にも分かる母の辛そうな態度だったようで、ある意味子供に甘えての離婚だったのかもしれません。その甘えをいつまでめ引き摺っている母と、精神的に強くなり前を向いている子供。

果たして、彼女は幼い頃におんぶしたり手を繋いだ事を覚えていてくれるのかしら?忘れていてもそれは私が責められるより他ないのですが。
ちょっと話がずれましたね。すみません。

でも、母娘は母娘。気持ちの中ではいろいろな距離感のあるものなんでしょうけど、よく考えてみると一番近くにいるんですよね。
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Unknown (飛鳥)
2009-05-31 01:56:52
幼い頃、しっかり世話をされていることは、娘さんの潜在意識のなかにちゃんとあると思いますよ。
世間一般の母娘像っていうのは、もしかしたら、自分たちが世間一般でないと思いこんでいる人たちから見た幻想の姿かもしれません。
また、世間一般であると思いこんでいる親子にも、実は欠落している部分がいっぱいあるのかもしれません。

どっちにしても、ある程度の年齢になると子どもは親よりしっかりしてきますね。
でも、自分自身を考えると、いつまでたっても母親には勝てない部分があります。

母娘の関係。愛はあるけど、妙に醒めた見方をしてしまうこともあるし、よくわからないものですね。

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