私の14年間を想う
Riceの14年を振り返ってみて、音楽を続けて行くっていうのは大変なことだなあと思った。そして、彼らが頑張って歩んできた間、自分は何をしていたのだろうと思い返す。
まず、第一に、華月さんが亡くなった時はどうだったんだろうと、2000年11月頃の日記をひっくり返してみたが、特に何も書いてなかった。思い返すと、昔ビジュアル系ロックバンドの人が急逝したというニュースを聴いたことがあるような気がする。その時、あちこちのテレビ局で報道がされたと思うが、そんなにすごい人なの?くらいにしか思わなかった。ラファエルのことは知らなかったし、残されたメンバーがどうなるのかなんて、全く考えもしなかった。
Riceが結成された2001年4月に自分は何をしていたのかと思い出すと、平成11年度の日本語教育能力検定というのを受けて合格し、平成12年(2000年)3月付けの合格証書が届いている。その年から、非常勤講師を始め、日本語学校や地域の日本語教室の講師をしたりしていた。それがそのころだ。でも、およそ5年間で、日本語教育からは足を洗ってしまった。
今考えれば、あまりにも大変過ぎるのと、自分には無理だと思った。つまり、一言でいえば、教えるのが下手であり、教師の器ではないのだ。そして、自分自身が外国語ができないのだから、人に語学を教えるどころではないのだ。
日本語を教えることについて、最初はすごく情熱を持っていた。検定に受かるまえに別の仕事をしながら420時間の養成講座も受講したし、経験を積むために地域の日本語教室でボランティアなどもやっていた。外国人との交流も結構あった。とくに、中国や韓国の人と交流があったので、中国語と韓国語も習っていた。あの頃はパワーがあった。授業の準備が大変だと言っても、好きでやってることだから、嫌だとは思わなかった。
主に勤めた学校は2年間だった。その学校をやめるに至った経緯としては、日本語を教えること以外の問題に遭遇したからだ。日本語学校の生徒は、アルバイトをしているのが普通だが、その仕事の関係でもいろいろと問題が勃発した。外国人にかかわると気苦労が多い。
その他には、どうにも肌の合わない学校もあり、1か月くらいでやめてしまったところもある。生徒が減って教師が不要になった学校もある。
最後に勤めたところは、2回目の更新がされると思っていたがされなかった。理由も聴かされず寝耳に水だったが、おそらく私の授業の仕方がよくないと評価されたからだろう。確かに、不手際があったと思う。
1度した失敗は次にしなければいい。お払い箱になったら、別の学校に行けばいい。捨てる神あれば拾う神ありで、やめた後も知り合いから来ないかという話もあったが、もう何度も学校を渡り歩く気力はなくなってしまった。
地域の日本語教室では、日本語学校のような気苦労や問題は起きなかった。ただ、日本で暮らす外国人が生活上の問題を抱えていることはあった。また逆に、アタマに来るほど裕福で優秀で恵まれた境遇の外国人がわんさといるため、ボランティアをしていて、自分のほうがみじめになってしまうことも多々あった。また、ボランティア仲間も裕福な人が多かった。
どっちにしても、日本語を教えることは自分の心身を蝕んでいく要素があった。
子供たちは中学と小学校高学年で、そのうち高校と中学になったので、手はかからなかったが、夫と子供のために夕飯を買っておき、自分は夜の日本語教室に行くなんてこともしていた。あの頃、もう少し自分の子供のことに神経を注いでいれば良かったと思う。
日本語教師をやめてからは、不動産屋で働いたり、スーパーで働いたり、年金機構で働いたりしたけど、それは一時しのぎで、その後今の仕事についた。
今の仕事は文章の校正なので、昔新卒で働いた出版社の仕事が非常に役にたった。日本語教育能力試験に受かっていることも採用された理由の1つかもしれなかった。
でも、内容が理系の文書なので、意味不明だった。この分野ではゼロからの出発だ。
日本語教師をやめたころの自分は「廃墟」だったと思う。
私は一生日本語教師を続けるつもりでなったのに、あっけなく途中であきらめてしまったのだ。もし、あきらめないで続けていれば、今頃はまともな日本語教師になれていたかもしれない。
日本語教師を辞めた理由の1つに、学歴というのもあった。日本語教師は大学を卒業しているのが基準なので、短大では学歴が足りない。日本語教育能力試験に受かっていれば資格としては問題はないが、周囲の教師は大学どころか大学院を出ている人等も多いし、外国に留学経験のある人等も多かった。そこで、日本語学校に勤めながら放送大学に入ってせめて4年制大学の学歴を得ようとしたが、卒業するのに6年間かかったから、日本語教師をやめて今の仕事に就いてからやっと卒業した。
今の仕事は、理系の知識が必要だから、分野が違った。そしてまた、この職場も高学歴の人たちの集団だった。パートタイマーで補助的な仕事の私に学歴は求められていないが、自然系のコースに再入学した。でも、難しすぎて6年間で卒業できなかった。ただ、放送大学のおかげで、今まで知らなかったことを知ることができてよかった。それもあってなんとか続けて来られた。放送大学はまた再入学した。
今の仕事についてから10年が経った。ずいぶんと根付いたとは思う。
年月では、かなりの古株になった。私の職種は私1人で、他に同じ仕事をしている人は社内にいない。主な仕事の合間に雑用が結構あるので、中断させられながらも、やりくりしている。これは、もし新しく入って来た人に全部やれと言ったらかなり難しいと思う。
私も1つずつ増やして来たからできることで、最初から全部やれと言われたら、目が回ってしまうだろう。お手玉を1つずつ増やしてまわしているようなものだ。
Riceは、2013年に活動を休止して3カ月の充電期間を取った。活動を休止してしまうと、そのままになってしまうバンドも少なくはないがちゃんと再開している。
物事には「立て直し」ということが必要だと思う。
私は、日本語教師を挫折し、今の仕事に就いて10年間は止まらずに走ってきたけど、ふと息切れしてきたように思う。この10年間、音楽など聴いたことも無かった。
riceの曲を聴いていると、固まっていたものが溶けるように涙があふれてきてしまう。
本当の自分は何が好きだったんだろうかと思う。
私は時間に置き去りにされないように走り続けて来たと思う。それは毎日働いてお金をかせぐことであり、また、仕事のために身につけなければならない能力や技術を得ようと、仕事以外の時間も使ってきたことだ。しかし、そのためにどれだけの大切なものを置き去りにしてきたのだろうか。
それは、日本語教師の時もそうだったし、今もそうだが、仕事のことしか考えていないのだ。もっと大切なことがあるのではないだろうか。
学歴ってなんだろうか?学歴があるということは、確かにそれだけ勉強してきたってことだ。今は芸能人でも学歴の高い人が多い。お笑い芸人なんかもそうだけど、やっぱりアタマが良くて、やるべきことをやって成長してきた人たちなんだろう。
ミュージシャンだって、大学を出ている人が多い。偏差値の高い大学を出ている人は、やっぱり賢いと思う。
人間は学歴で決まるものではないけど、学歴がないと苦労することは事実だ。看板の問題ではなく、本当に学力や知識がないことが日ごろの行動に影響するのだ。
ラファエルの4人は、高校を中退してバンドを結成し、プロになってしまった。とても若かった。だから、無理もあったと思う。その後も運営などで苦労してきたと思う。音楽活動は天性に合ったものだと思うけど、普通の人が経験する高校という学生生活ができなかったことはもったいない。例えば英語なんかも自力で勉強しなければならなかったはずだ。普通の人間がただ学校に通うだけで自動的に育成してもらえる部分を自力で得なくてはならなかったはずだ。大学を出ている人等は、さらに4年もゆとりのある学生生活を続けているのだ。
でも、とにかくriceは立派だと思う。これからもずっとずっと音楽を作り素晴らしい演奏をしてもらいたい。
私が元々好きだったものは、音楽や演劇や文学だった。そんなことも思い出させてもらえた。私もこれからもう少し、自分本来の姿を取り戻したいと思っている。
Riceの14年を振り返ってみて、音楽を続けて行くっていうのは大変なことだなあと思った。そして、彼らが頑張って歩んできた間、自分は何をしていたのだろうと思い返す。
まず、第一に、華月さんが亡くなった時はどうだったんだろうと、2000年11月頃の日記をひっくり返してみたが、特に何も書いてなかった。思い返すと、昔ビジュアル系ロックバンドの人が急逝したというニュースを聴いたことがあるような気がする。その時、あちこちのテレビ局で報道がされたと思うが、そんなにすごい人なの?くらいにしか思わなかった。ラファエルのことは知らなかったし、残されたメンバーがどうなるのかなんて、全く考えもしなかった。
Riceが結成された2001年4月に自分は何をしていたのかと思い出すと、平成11年度の日本語教育能力検定というのを受けて合格し、平成12年(2000年)3月付けの合格証書が届いている。その年から、非常勤講師を始め、日本語学校や地域の日本語教室の講師をしたりしていた。それがそのころだ。でも、およそ5年間で、日本語教育からは足を洗ってしまった。
今考えれば、あまりにも大変過ぎるのと、自分には無理だと思った。つまり、一言でいえば、教えるのが下手であり、教師の器ではないのだ。そして、自分自身が外国語ができないのだから、人に語学を教えるどころではないのだ。
日本語を教えることについて、最初はすごく情熱を持っていた。検定に受かるまえに別の仕事をしながら420時間の養成講座も受講したし、経験を積むために地域の日本語教室でボランティアなどもやっていた。外国人との交流も結構あった。とくに、中国や韓国の人と交流があったので、中国語と韓国語も習っていた。あの頃はパワーがあった。授業の準備が大変だと言っても、好きでやってることだから、嫌だとは思わなかった。
主に勤めた学校は2年間だった。その学校をやめるに至った経緯としては、日本語を教えること以外の問題に遭遇したからだ。日本語学校の生徒は、アルバイトをしているのが普通だが、その仕事の関係でもいろいろと問題が勃発した。外国人にかかわると気苦労が多い。
その他には、どうにも肌の合わない学校もあり、1か月くらいでやめてしまったところもある。生徒が減って教師が不要になった学校もある。
最後に勤めたところは、2回目の更新がされると思っていたがされなかった。理由も聴かされず寝耳に水だったが、おそらく私の授業の仕方がよくないと評価されたからだろう。確かに、不手際があったと思う。
1度した失敗は次にしなければいい。お払い箱になったら、別の学校に行けばいい。捨てる神あれば拾う神ありで、やめた後も知り合いから来ないかという話もあったが、もう何度も学校を渡り歩く気力はなくなってしまった。
地域の日本語教室では、日本語学校のような気苦労や問題は起きなかった。ただ、日本で暮らす外国人が生活上の問題を抱えていることはあった。また逆に、アタマに来るほど裕福で優秀で恵まれた境遇の外国人がわんさといるため、ボランティアをしていて、自分のほうがみじめになってしまうことも多々あった。また、ボランティア仲間も裕福な人が多かった。
どっちにしても、日本語を教えることは自分の心身を蝕んでいく要素があった。
子供たちは中学と小学校高学年で、そのうち高校と中学になったので、手はかからなかったが、夫と子供のために夕飯を買っておき、自分は夜の日本語教室に行くなんてこともしていた。あの頃、もう少し自分の子供のことに神経を注いでいれば良かったと思う。
日本語教師をやめてからは、不動産屋で働いたり、スーパーで働いたり、年金機構で働いたりしたけど、それは一時しのぎで、その後今の仕事についた。
今の仕事は文章の校正なので、昔新卒で働いた出版社の仕事が非常に役にたった。日本語教育能力試験に受かっていることも採用された理由の1つかもしれなかった。
でも、内容が理系の文書なので、意味不明だった。この分野ではゼロからの出発だ。
日本語教師をやめたころの自分は「廃墟」だったと思う。
私は一生日本語教師を続けるつもりでなったのに、あっけなく途中であきらめてしまったのだ。もし、あきらめないで続けていれば、今頃はまともな日本語教師になれていたかもしれない。
日本語教師を辞めた理由の1つに、学歴というのもあった。日本語教師は大学を卒業しているのが基準なので、短大では学歴が足りない。日本語教育能力試験に受かっていれば資格としては問題はないが、周囲の教師は大学どころか大学院を出ている人等も多いし、外国に留学経験のある人等も多かった。そこで、日本語学校に勤めながら放送大学に入ってせめて4年制大学の学歴を得ようとしたが、卒業するのに6年間かかったから、日本語教師をやめて今の仕事に就いてからやっと卒業した。
今の仕事は、理系の知識が必要だから、分野が違った。そしてまた、この職場も高学歴の人たちの集団だった。パートタイマーで補助的な仕事の私に学歴は求められていないが、自然系のコースに再入学した。でも、難しすぎて6年間で卒業できなかった。ただ、放送大学のおかげで、今まで知らなかったことを知ることができてよかった。それもあってなんとか続けて来られた。放送大学はまた再入学した。
今の仕事についてから10年が経った。ずいぶんと根付いたとは思う。
年月では、かなりの古株になった。私の職種は私1人で、他に同じ仕事をしている人は社内にいない。主な仕事の合間に雑用が結構あるので、中断させられながらも、やりくりしている。これは、もし新しく入って来た人に全部やれと言ったらかなり難しいと思う。
私も1つずつ増やして来たからできることで、最初から全部やれと言われたら、目が回ってしまうだろう。お手玉を1つずつ増やしてまわしているようなものだ。
Riceは、2013年に活動を休止して3カ月の充電期間を取った。活動を休止してしまうと、そのままになってしまうバンドも少なくはないがちゃんと再開している。
物事には「立て直し」ということが必要だと思う。
私は、日本語教師を挫折し、今の仕事に就いて10年間は止まらずに走ってきたけど、ふと息切れしてきたように思う。この10年間、音楽など聴いたことも無かった。
riceの曲を聴いていると、固まっていたものが溶けるように涙があふれてきてしまう。
本当の自分は何が好きだったんだろうかと思う。
私は時間に置き去りにされないように走り続けて来たと思う。それは毎日働いてお金をかせぐことであり、また、仕事のために身につけなければならない能力や技術を得ようと、仕事以外の時間も使ってきたことだ。しかし、そのためにどれだけの大切なものを置き去りにしてきたのだろうか。
それは、日本語教師の時もそうだったし、今もそうだが、仕事のことしか考えていないのだ。もっと大切なことがあるのではないだろうか。
学歴ってなんだろうか?学歴があるということは、確かにそれだけ勉強してきたってことだ。今は芸能人でも学歴の高い人が多い。お笑い芸人なんかもそうだけど、やっぱりアタマが良くて、やるべきことをやって成長してきた人たちなんだろう。
ミュージシャンだって、大学を出ている人が多い。偏差値の高い大学を出ている人は、やっぱり賢いと思う。
人間は学歴で決まるものではないけど、学歴がないと苦労することは事実だ。看板の問題ではなく、本当に学力や知識がないことが日ごろの行動に影響するのだ。
ラファエルの4人は、高校を中退してバンドを結成し、プロになってしまった。とても若かった。だから、無理もあったと思う。その後も運営などで苦労してきたと思う。音楽活動は天性に合ったものだと思うけど、普通の人が経験する高校という学生生活ができなかったことはもったいない。例えば英語なんかも自力で勉強しなければならなかったはずだ。普通の人間がただ学校に通うだけで自動的に育成してもらえる部分を自力で得なくてはならなかったはずだ。大学を出ている人等は、さらに4年もゆとりのある学生生活を続けているのだ。
でも、とにかくriceは立派だと思う。これからもずっとずっと音楽を作り素晴らしい演奏をしてもらいたい。
私が元々好きだったものは、音楽や演劇や文学だった。そんなことも思い出させてもらえた。私もこれからもう少し、自分本来の姿を取り戻したいと思っている。