山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

みきわめ

2009-05-30 01:43:01 | 運転・車・道路の事
まだ、第二段階の「みきわめ」ではないけれど、第一段階の「みきわめ」のときのことを思い出しました。
「みきわめ」の前には、「みきわめ」を受けられるか受けられないかの「みきわめ」をするわけです。
そこで、「じゃあ みきわめ を受けてみますか?」と、20回ちかくも教習を受けたあと、ある教官が言ってくれたので、「みきわめ」を受けることになったのでした。

以前書いたことがありますが、それで受けた一度目の「みきわめ」はさんたんたるもので、「みきわめ不良」でした。
今、思うに、「みきわめ」にすすめましょうと判断してくれた先生には非常に申し訳なかったなあと思います。
そのころのことを思い出すと、私の運転にはミスがあったけど「全体的には悪くはない」とその先生は言っており、それでOKを出してくれたと記憶しています。
しかしながら、次の時間に別の教官が「みきわめ」をしたとき、しょっぱなの、スタートして即左折のときに、いきなり巻き込み確認をしなかったことから泥沼にはまってしまったのでした。

なんで、こんなことを書いているかというと、なぜかこのごろ日本語教師をしていたころのことを思い出すのです。
「全体的には悪くはない」
これは、たぶん、私の授業です。
しかし、「完璧ではない」「不完全である」。「今日のこの部分の教え方はちょっと・・・」ということもある。
学生からはクレームは出ないけれど、「すごくわかりやすく授業がうまい先生」ではない。

それで、気合をいれて授業をすると、ああ、今日はいい授業ができたと思えることもあるけれど、「ちょっと失敗だった」とか「わかりにくかった」とか「学生が退屈していた」ということもあるのでした。

いつもいつも気合をいれて準備をし、気合を入れて授業をすることに、だんだん疲れていってしまった。それは、年をとってから日本語教師になったからでもあり、自分に向いていないからなのかもしれなかった。もし、自分に向いているものなら、疲れ果てたりはしないのではないだろうか。気合をいれることが苦痛ではなく楽しいはずではないか。

日本語学校では、教師に対する学生の授業評価もあるし、教務主任による授業チェックもある。教務主任が実際に教室に入って授業を見てするチェックは、一種の「みきわめ」でもある。そのときの私の授業は、あんまりよくなかったのかもしれない。
あるとき、私は非常勤講師の契約更新がされなかったが、授業見学のみならず総合的に見て契約更新に適さないと判断したとのことで、実際の理由はよくわからない。
しかし、私がすばらしい授業をしていなかったのは確かであり、すばらしい教師でなかったのも確かだったから、思い残すことはなく足を洗った。

完成度が低い。
それは、自動車の運転も同じで、うまく行くときとうまく行かないときの差が大きい。
失敗の後は気合を入れていい運転ができるが、ちょっとうまく行くと、次にはいい気になって大切なことをごそっと忘れてしまったりする。
そういうことではダメなわけだ。

いついかなるときも、ほほ完璧な授業をしなければ日本語教師の資格はない。
いついかなるときも、ほぼ完璧な運転をしなければドライバーとしての資格はない。

私の場合、
いっぱい授業経験を積んだらいい日本語教師になったのかといえば、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
いっぱい運転をすれば、いいドライバーになれるかといえば、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

とりあえず、気合をいれてみよう。



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