山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

郵便局にて

2006-01-31 23:56:07 | 未分類過去
今日、放送大学の科目登録届けを郵送した。
普通郵便だと万が一届かない場合無効になるため、なるべく書留で送るようにと書かれていたので、540円はちと高いなあと思いつつ、普通料金の120円切手もないので郵便局に持って行った。

夕方5時直前に駆け込んで「書留でお願いします」と言うと、「大学の願書ですね。受付は明日の発送になりますがよろしいですか」というようなことを言われた。「いいですよ」と答えた。
「しめきりは大丈夫ですか」というので封筒の表面に明記されている2月10日締め切りの部分を指差しつつ、「はい、だいじょうぶです」と答えた。
局の人は控えを記入しながら、また、「配達はあさってくらいになりますが、それでもよろしいですか?」という。
あまりに何度も確かめるので、「はい、いいです。締め切りは10日ですから、どんなに遅くてもそれまでには届くでしょ」などと言ってしまった。

これは願書じゃなくて、ただの履修届けだし、
万が一とどかなくても再受講する科目がいっぱいあるんだし、
本当は書留でなくてもいいようなもので、
そんなに不安がられて面倒な思いをするくらいなら普通郵便にすればよかったかな。
それとも、この人はどうやら「速達」にさせたがっているようだわ。
などと心の中で思ってしまった。

それで、どうして局の人がこんなにいちいちしつこく期限を心配するのかと思ったのですが、
今、大学入試の受験願書を出す人が多いんでしょうね。
それで、ぎりぎりになって普通に送って期限に間に合わなかった人なんかが出たのかな?
と思いました。

私も期限が迫っているときは、いつ届きますか?絶対に大丈夫ですか?などと自分からしつこく確かめるんですが、こっちが何も言わないのに受付の方から心配されるのは初めてでした。
郵便局の人もそこまで心配しながら仕事をするのは大変ですね。
しかし、ちょっと的はずれすぎるよね。

今思うと、今日は月末で、私が急いで駆け込んできたから、急ぎで送るものだという印象を与えてしまったのかもしれません。
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一月の最終日に

2006-01-31 22:51:48 | 未分類過去
早いもので、一月も今日で終わりです。
今年はどんな年になるかな?
いや、どんな年にするかな?
自分で計画して築いていかなくちゃいけないな。

私は毎朝、フジテレビの「とくダネ」を見ていて、そこから世の中の情報を得て生活しているというかんじなのですが、今日は寺尾聰さんが出ていました。映画「博士の愛した数式」の話題でのゲストでしたが、最近寺尾聰さんは本当に父宇野重吉さんに似てきて、いい味出してるなあと思っていました。特に笑った顔の頬のふくらみ具合や人懐っこいようなくりっとした丸い瞳が似ていて、あたたかく深い人間味のある感じがします。もちろんお父様とは違う一個の人間であるわけですが、あの「ルビーの指輪」を歌っていた頃のサングラスをかけたちょっと気障っぽいような雰囲気をもった若い頃の人間像の延長上に、今度はどんどん宇野重吉さんのような深みと温かみと人間の重さのようなものが加わってきたのを見ると、なんか感動のようなものさえ覚えるのでした。
私は学生のころ演劇が好きで、宇野重吉さんが出た劇団民藝の劇を何回か見たことがありました。ほんとうに演劇の神様のような人でした。
寺尾さんは、舞台ではなく映画で活躍しているようですが、この父あってこの子ありと思わずにいられません。先日の石原親子に引き続き、また父と子の絆を感じました。

ところで、本題なんですが、寺尾さんが宇野重吉さんのことを話していました。
父宇野重吉さんは病気で1月になくなったそうですが、だんだん病気が重くなる状況にあっても、手帳にその先の10月までの予定がびっしり書かれてあったそうです。
人間というのは常に何ヶ月も先まで予定をたてて生きていて、そういうことを続けていくと、結局最後にはその予定を全うする事無く亡くなるときがやってくるわけですが、寺尾さんはお父さんのようにそういう生き方をしたいと言っていました。

そうですね。私もそう思います。
たとえ自分が年をとっても病気になっても、自分にはあんまり先がないから、なんの予定も目標もたてないなんていう生き方はしたくありません。結果的に建てた予定が実行できなかろうと無駄になろうと、やはり先の目標があるから、今を生きることができると思います。

プレジデントの1月号にも書いてあったのですが、長期の目標を立てなければ、短期のも目標も定まらないわけで、数年後の目標があって一年の目標、数ヶ月の目標、月の目標、週の目標、一日の目標が割り出せるということでもあります。

長期の計画を立てて毎日の実行をしよう!
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「太陽の季節」の時代

2006-01-31 01:13:10 | 読書
どうやら、「太陽の季節」の時代について、私の感覚にずれがあったようだ。
この小説の存在は子供の時から知っていたのだが、一時代前の若者の話という印象を受けつつも新しい小説であるという印象があり、新時代の作品というイメージがあった。
たしかに、当時は芥川竜之介や太宰治などの作品を普通の小説のように思っていたのだから、そのようなものに比べると新しく感じるのも仕方がないことであるが、考えて見れば1955年という戦後やっと10年、私が生まれる5年も前の作品なのであるから、私が短大の時に読んだとしてもすでに20年以上も前に書かれた作品だったと言うことになる。

そして、この中の登場人物は戦争前か戦争中に生まれているような時代の人たちなのである。英子が幼い時に思いを寄せた従兄弟の兄弟が戦争によって殺されているというのであるから、英子はどう若く見たところで戦争中にはすでに物心ついていた年齢であるということになる。3年前に旅館で待ち合わせていた相愛の男が死んだということであれば、英子は若く見ても20歳程度にはなっているはずだ。

竜哉については、その生活習慣のようすや、「学生」「午後が休講になった」などという文面から私は大学生であると思っていたのだが、「ハイスクール」と書いてあるから、高校生3年ということになる。1956年に上映された映画のあらすじにも竜哉は高校生であると書いてある。 (映画「太陽の季節」)
女給を相手に口説いたりマージャンをしたり、こんなにませた高校生がいるのだろうか。そこが常識破りの所以でもある。

石原慎太郎は昭和7年生まれで、私の母と同じ年齢である。
母の若い頃の写真などをみると、たしかにこの当時の映画に出てくる人のような格好をしていたりして、そのファッションには華やかさがある。この人たちは、戦争中は貧しく辛い思いをした経験はあっても、それは子供時代のことで、青年時代は戦争の記憶も薄れ、自由で平和な世界で青春を謳歌することができた世代なのかもしれない。
それが、戦前に大人になった人間に比べると一種の新人類のようなものだったのかと思う。

戦前と戦後で人を分けるなら、私の母や石原慎太郎の世代が、一番最初の戦後派に属する人々と言えるのかもしれない。

* * * * *

小説の賞味期間というのは永遠であるから、その鮮度が衰えるのにも時間がかかるのであり、「古い」という気がしないのであろう。

芥川賞というのは、私が子供の時から毎度のこと話題になっていたような気がするが、中でも記憶にあるのが村上龍の「限りなき透明に近いブルー」(1976)、池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」(1977)あたりで、今思うとそれは私が高校生の時のことであった。
印象に残っているのは私が高校生という文学に関心を持ち始めた年齢だったからなのか、実際にそのあたりでひとつの変化期が来ていたからなのかよくわからない。しかし、当時はやはり「妙な作品」とか「理解しにくい」というのが世の中の反響だったように思うので、確かに以前と違うタイプの作品が誕生していたのかもしれない。
その作家たちも、消えることなく、活躍して時を経て、池田満寿夫などはもうこの世にいなくなってしまっていることを思うと、すでに一時代もニ時代も過ぎているという時の過ぎる速さに驚くばかりである。

その後も次々に問題作や話題作が出ているはずだ。
今も次々に生まれる芥川賞を、ちょっと読んでみようかなあと思い始めた。
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「太陽の季節」

2006-01-30 02:08:37 | 読書
久々に小説を読んだ。
今日のテレビの「波乱万丈」の人物は石原伸晃さんだったのだが、その生い立ちや様々なエピソードを見るうちに、石原家というのは、どうしてこうも魅力的な人間がそろっているのだろうかと興味が強くなっていった。
父である石原慎太郎、その弟石原裕次郎、長男伸晃、次男良純、そして三男、四男と続くが、前の4人はテレビにもよく登場し、その個性と実力は誰もが知るところである。

東京は石原慎太郎が知事になってから、安心して任せておけると思うし、石原伸晃さんは、状況を把握しながら着実に物事を進めていく人で、熱意と誠実さと実行力のある政治家だと思う。
裕次郎は伸晃兄弟の良き叔父であり、独特のオーラをもった俳優だった。伸晃のすぐ下の弟良純も俳優であるとともに気象予報士であり、ひょうきんで魅力のある人物だ。

それで、まずはやはり何と言っても伸晃さんの父である石原慎太郎という人を改めて知りたいと思い、さっそく若い頃の著書である「太陽の季節」を図書館に借りに行った。この小説は20年以上も前の学生のころ読んだことがあるのだが、自由奔放に生きる裕福な若者の話と言うくらいの記憶しかなかった。

結末はどうなったのか記憶になかったのだが、竜哉の気まぐれな意思による遅い決断(父になってもいいと思って出産を勧めていた後に、あるチャンピオンが子供を抱いているしまらない姿に興ざめし、子供は要らないと考えを変えた)のせいで、英子が時期の遅い堕胎に失敗し命を失うという結末だったのには衝撃を受けた。
平和で裕福な世の中になって、そこで安定や堅実などというものに安住することを嫌い、常に野生の本能のような闘争心を持ち、恋愛にも危機感や変化を求める生き方しかできない青年。それが格好のいいものであり、そういう姿勢を崩すまいとする生き方。
この作品が書かれた1955年ころは、竜哉のような恵まれた環境にあって性道徳もないような自由奔放でドライな若者の生き方は、世の中からは受け入れがたいものであったと思うが、今やそんな生き方をしている人間はそう珍しくもなくなっている。
しかし、竜哉がそうであったように、命という尊厳と引き換えて初めて、自分の生き方がどこか狂っていたことに愕然とすることになる。その竜哉を生み出しているのが、この社会であり、その一部分である竜哉にはそういう生き方しかできない必然性があるはずだ。

世の中はあれからさらに進んで、命と引き換えにしても衝撃を起こさないような人間さえ発生している。女性はどうだろうか、英子は当時としてはずいぶん奔放で自我の強そうな女性だったと思えるが、今や、このような女性はむしろ古風な感じさえし、陳腐なものとなっているようだ。

この小説は、当時主人公の人種に属する現代の若者が書いたというような捕らえ方をされ、問題作であったようだが、石原慎太郎氏は今やもう老年になり、良識のある文化人になっている。今の目からすると、その当時から、この小説は当時の若者を客観的に分析しつつ描いていたかのようにさえ感じられる。

読んだあと、なんとも言い表しようもない気持ちの固まりのようなものが読者の心に残っているというのは、その小説に魂があるからだろう。

* * * * * 

私はここ数年、ほとんど小説を読んでこなかった。
また、私は国文科だったが学生時代も新しい小説はあまり読まなかった。
新しい小説が次々に生み出され、読むべき小説が限りなくある中、とても全てを読みきれないと感じ、ゼミの先生に何を読むべきか聞いたところ、評価の定まっている名作を読むべきだと聞いたことがある。
それで、その先生の言葉に従い、この25年間あたらしい話題作を追いかけるという習慣は私にはなかった。

しかし、思えば、私が学生時代からすでに25年も過ぎて、当時の新作はもはや歴史上の作品のようにさえなっているのである。

そして、評価が定まってからそれを読むというのは、評価が定まらないできたてのうちに読むことに比べてそれほど意味のあることなのだろうかとも思う。それは質のいいものと定まったものをあとで研究するのは文学部の学生にとって勉強にはなるが、そこで世の中を動かしていくことには結びつかない。
今できた作品を、今読んで、そこで何らかの反応を起こすことこそが、新しい作品が生まれた意義であるのではなかろうか?
当時芥川賞をとったこの作品は確かに今でも意味のあるテーマを投げかけているのだから、その当時読んだらもっとその状況に特有の意味があったはずだ。

それならば、他にも多く生まれ出る様々な現在の話題作を読むというのが、同じ現在に生きる読者の役割ではないかと思えてきた。


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次の目標

2006-01-29 13:46:09 | 未分類過去
次の目標は、3月5日の「ビジネスキャリア法務中級」の試験です。
昨年末にセミナーを受けていたものですが、すでに内容は半分以上忘れました。

放送大学の試験があったので、その勉強は中断していたのですが、今度はそっちを復活させなくてはいけません。
試験の申し込みは1月18日までに済ませました。
本番の試験料は2000円という安いものなのですが、某機関で2月中旬に模擬試験をすると5000円もかかります。これはお金がないし、勉強もしていないから、受けないことにしようと思っています。直前対策も5000円ですから、どうしようかと思っています。放送大学にもお金がかかるし・・・。

ビジネスキャリアの試験に合格することが仕事上どれだけ意味のあることなのか、今後のために何かいいことがあるのか全くわからないんですが、自分の知識を試すために一応受けようと思っています。

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何か変?…単位計算

2006-01-29 09:17:17 | 放送大学
何か変だぞ

1学期修了時点で出されている卒業するための単位は、
共通科目は不足がない。専門科目が22単位不足。
面接授業は不足がない。放送授業が18単位不足。

だから、放送授業の専門科目を22単位とればいいと思っていたのだが、

合計では「28単位不足」って出ている。

それぞれが、満たしているのに、どうしてこうなるのか?

わぁっ! 
調べてみたら、
放送でも面接でもどの分野でも良いものが他に10単位必要らしい。
その部分が6単位不足しているということになる。

すべての合計62単位とらなきゃいけないので、
合計34単位しかとってなかったから、まだ28単位必要なわけらしい。

こりゃ大変だ!

しかし、
ということは、面接授業もその6単位に換算できるんだ!
なんだ、卒業には関係ないと思っていたものも関係あったんだ。

よし、頑張って、面接授業を受講しよう!

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精神状況と単位修得の関係

2006-01-28 22:45:53 | 放送大学
今まで、どんなペースで単位を修得してきたのだろうかと、前期に放送大学から送られてきた単位修得状況一覧を見て振り返ってみた。

平成13年  前期 2科目
         後期 4科目
平成14年  前期 4科目
         後期 0科目
平成15年  前期 0科目
         後期 0科目
平成16年  前期 2科目
         後期 3科目
平成17年  前期 2科目
       
確か、私の最初の予定では一期あたり4科目程度修得して5年間で卒業しようと思っていたと思う。その予定をはるかに下回っているから、これじゃ無理なわけである。

ところで、平成14年の後期から平成15年の1年半はいったいどうしたのだろうか?
たしかに、履修届けは出していたと思うのだが、まったく単位がとれていない。

この時期、自分は何をしていたかと考えると、仕事上波乱の時期であったと言える。
14年の後期に勤めていた日本語学校で学生のことをめぐって問題がおきた。学生の人権に関わることで私が学生のために法律的に個人的に動いたことが、学校にとっては迷惑な行為であり、結局はその組織にいられず、15年の前半で辞職した。
その後、別の日本語学校に転職したのだが、この日本語学校は学生を無理やり厳しく管理しているような体質で、前ののびのびとした校風の日本語学校とは全く違っていた。以前の学校ではまず学生を信頼し、学生の自由意志を尊重していたが、ここではまず疑って学生の行動をチェックしなければならなかった。その体質に合わせることが自分にとっては難しかった。
そのうえ前任者急遽退職での採用だったため、学期の途中の引継ぎということもあって、学生からも途中からのやり方の違う教師という意識を向けられた。日ごろ日本の生活に鬱積を持っていた学生たちは、すきのありすぎる新任教師の前でこれはいいチャンスとやりたい放題のことをし始めた。
それに翻弄される教師は管理能力のない能無しと上司から判断され、4ヶ月ほどで、その学校を去ることとなった。
それで、日本語教師を辞めようと決意した。
そして、平成15年の年末からは不動産会社に勤め始め、なにもかも新しい畑で研修を受けたりなどし、慣れない仕事に挑戦していた。

今、振り返ると、この最初の日本語学校で問題が起きてから、別の日本語学校でうまく行かなかったころは、とても勉強どころの精神状況ではなかったのだと思う。
そのころは、人から嫌われている、自分には能力がないと、非常にうつ病的になっており、今でもその後遺症を完全には振り払うことができないでいる。

その後も、時々、多少の挫折や波乱はあったものの、精神的には安定している期間が得られたので、少しずつでも単位をとるようになったと言える。

この一年間、仕事においては今までにない安らかな平和な状況を得ることができている。
今の状況なら、勉強に熱中することもけっして不可能ではないと思える。

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単位計算

2006-01-28 21:37:45 | 放送大学
放送大学の17年度後期単位認定試験が終わった。
今日は、3科目受けるはずだったのだが、勉強不足のために、「近世の日本文学」のみを受けた。これは、昨日と今日で一通り教科書を読むことができた。もともと短大で日本文学専攻だったから、いくらかの下地があって、理解しやすかった。通信課題と共通する問題も多かった。記憶にない内容も大分あり、できはあまりよくないと思うが、何とか単位は取れるのではないかと思う。

それで結局、3学年編入の場合、6年間が最長在籍期間となるので、私は平成18年度でひとまず終わりということになる。だから、できる限りもう一年で卒業にこぎつけたいと思っている。

今学期、単位をとるためにセンターに通ってビデオを見るなどし、少しは受講の仕方を工夫したつもりだったのだが、いろいろ手をつけた割には全てが中途半端な勉強の仕方になってしまい、単位習得に結びつかなかった。
もう一踏ん張りして一か八か試験を受ければ単位が取れたかもしれないという科目が多かったのが反省点だ。あきらめが早すぎた。

そんなわけで、この調子ではもう来年の卒業は無理かと思ったのだが、単位を計算したところ、見込みで考えると、あと18単位とれば卒業できる。ということは、9科目である。
半年に5科目ずつとればいいのである。これは不可能ではないかもしれない。
今回試験を受けなかった大部分の科目は、半分くらいは勉強してあるからだ。

一応、来年卒業するつもりで科目登録をすることにした。
いつもながら、登録するときだけはうきうきしている。

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なんで明日なの!!

2006-01-27 21:30:15 | 未分類過去
今日、会社から帰ってきたら、妙に台所がすっきりしている、と思ったら、夜勤明けの夫が台所を片付けてあった。
そして、食器洗い機を設置しようという計画を着々と進めており、明日、業者の人が設置できるかどうかのチェックにくるそうである。
それで、もう少しきれいにしろ、などと言っているのだが、明日は放送大学の最後の試験で、こんなときに台所の大掃除などしていられるかという気分であり、非常に迷惑な話なのであった。

夫はリストラで仕事をクビになり転職してからは、一回仕事に行くと3日は家にいるのではないかと思うような生活になった。人から見ると毎日遊んでいるようにも見えるのだが、24時間勤務や夜勤があるために、そのように感じるわけで、周囲が感じるほど暇なわけではないという。しかし、夜勤といっても仮眠がとれるために、睡眠不足で体に響くことはないようで、夜勤明けでも帰宅後に寝ているようなことはない。
昼間家にいる時間は私より夫のほうが圧倒的に長いという状況になっている。
それで、今までは台所に関してはいっさい関心をもたなかった夫であるが、自然に流しに放置されている食器などに目を向けるようになったらしい。
また、夫は最近お金持ちの人が暮らすマンション内を見る機会があったようであり、そこには食器洗い機やすばらしいレンジが設置され、広々とした調理台やシンクがあったそうであり、我が家の台所に愕然としたようである。
そして、せめて食器洗い機があれば、自分でも食器が片付けられると思ったらしい。
夫は日常食器を洗うなどという習慣はいっさいない人間だ。
一方、「電気製品」というものはどんなものでも大好きな人間である。

それで、夫が計画している食器洗い機は、我が家のスペースに無理やりどうにかこうにか置けるような、うちにしては異様に大きすぎる代物で、私にはまったくこの家にふさわしいものであるとは思えない。何とか無理に置けたとしても、そのためにスペースがさらになくなって、他の物が置けなくなるのはわかりきっている。今でさえ調理台というスペースがほとんどないのを、今後は流しにまで食器洗い機が出っ張る計算で、流しに橋をかけてその上にまな板を置き、そこだけしか配膳スペースがなくなるということになる。自動的に食器が洗えるのは確かに便利だが、うちにとってそんな場違いな食器洗い機は、私にはどうも受け入れがたい。しかし、夫の行動はもう止めることができない。

それから、夫の台所改造と言ったら、まったく見当はずれだった。
米びつの前に物を積み重ねてふさいでしまったり、私が調理台に向って立つとちょうどお尻の部分に当たって開けることができなくなる引き出しに、よく出し入れする箸やスプーンを入れたり、前に立ったら絶対に開けることのできない足もとの開き戸の内側に包丁をしまったりしているのであり、これではどうやって出し入れするのかと思うことばかりである。広い家なら問題ないことでも、狭さゆえに調理台と食器戸棚の間の人一人がやっと立てる後ろには下がれない場所で動いているわけなのだが、そのような実際的な動きが夫にはわからないのである。

不便だったら元に戻せばいいだろ、などと言うのであるが、
わたしゃ、放送大学の勉強をしたいんで、
どうして試験の日に業者を呼ぶようなことをするのか、
まったく信じられないやつだ。


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怠惰の果てに

2006-01-26 18:03:45 | 放送大学
ついに挫折しました。

今日の放送大学のテストは、「近代日本と国際社会」・「博物館資料論」・「イギリス文学」でしたが、月・火・水で3科目という最後の勉強計画は、やはり全滅でしたので、もう、持ち込み可の択一式の「イギリス文学」のみを受けることにしました。

ところがコレが、難しいのなんのって、特に最初の頃に勉強した部分は今回復習していなかったため、全部忘れているし、昨夜と今朝初めて読んだところも自分の意識に止めたものはほとんどでなくて、読み流してまった部分ばかりが出ているという感じでした。
いくら持ち込み可とは言え、一応全部の知識をまんべんなく蓄えた人が、たまたま不明点にさしかかったときに教科書を開いて確かめることができる、という形なのだと思います。
同じ科目を受けていた人が会場に5人いたんですが、皆終了時間まで席を立たなかったようです。だから、択一式とは言っても甘く考えてはいけませんね。

おそらく私はこの単位は落とすと思います。
まあ、こんなことは当然の結果ですね。
勉強しない怠け者が、単位なんかとれるわけがありませんから。

「近代日本と国際社会」は、絹織物のあたりを読んでいて、それ以降に進まないまま辞めちゃいました。この科目も、もうこれで再試験は受けられないので、「没」ということになります。
「博物館資料論」も前半と一番最後の章だけしか読んでないので、辞めました。
これは、次期に回せます。

今期最後の試験は土曜日、あさってです。
これも3科目のうち、ひとつだけ受けようと思っています。

眼精疲労がちょっとひどいです。
仕事と+教科書読みでかなり酷使しているようで、左目玉が痛くて、開けているのが辛いときがあります。

単位が取れないからって、私の場合どうなるものでもないので、気長にやっていこうと思います。来年は卒業できないので、もう一回入学することになるでしょう。


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タイミングの悪い夕飯

2006-01-25 21:59:20 | 未分類過去
どうも以前から思っていたのだが、うちは夕飯のタイミングが非常に悪い。
というのも、私が6時前に会社から帰ってくると、はらぺこで、必ず何かをパクパクと食べてしまうのである。そしてひと休みしてしまう。
その後、昼間の仕事の時は夫が6時半ころ帰ってくるのであるが、夫は帰宅するとまずコーヒーを飲み、同時にケーキなどの甘いものを食べる。
夫が休みや夜勤明けの場合も、私が帰宅してコロッケ・カレーパン・カップ麺などをぱくついて落ち着いた頃に、夫は夫でコーヒーを沸かして冷蔵庫からケーキなどを取り出している。私は夫の入れたコーヒーのみをもらう。
高校生の娘は7時から8時の間に帰ってくるが、これもまた学校の近くのコンビニで何かを買って道端で食べたり、マックやサイゼで軽く食べてくることが多いようだ。考えて見れば6時ころまで部活をやっていたらお腹がすくのは当然である。
外で腹ごしらえをしないで、たまにまっすぐ帰ってくると、翌朝のために買ってあったパンを全部食べてしまったりする。部活のあと、7時からのバイトに行くときは6時すぎに帰ってくるが、そのときもパンなどをほおばって出かけて行く。
6時過ぎに夕飯を作っておくというのは私が会社から帰ってきてから支度をしたのでは、無理である。朝にでも何がしかの準備をしておけばいいのだろうが、朝は朝で弁当作りでやっとである。
それで、どうも夕方は、家族がそれぞれ勝手に自分の食べたいもので一旦お腹をいっぱいにしてしまうので、そのあと8時頃まともな夕飯が出来上がっても、もうどうでもいいような感じになってしまうのである。

これは、私がお腹が空いたのを我慢して、帰宅後即夕飯を作ればそれが一番なのであるが、どうもそれができない。
独身だったらきっと、会社帰りにラーメン屋かなんかに入っているに違いないと思う。

家族のためにはやっぱり専業主婦だ。
自分はちゃんと3時に軽くおやつでも食べて、夕方はおちついて手をかけた夕飯を作り、家族が帰るのを待つというのが理想である。

会社から帰ったときに夕飯が待っていたら一番いいなあと思う。

今日は、やはり空腹に負けて、緑のたぬきを食べてしまった。
しかし、自分は腹いっぱいでも家族には用意しようと思って、鶏肉をオーブンにかけて公営住宅の自治会費の集金袋を配りに行った。
帰ってきたら、夫はコーヒーを入れて自分で買ってきたワッフルを食べていた。7時前だった。
「夕飯すぐ食べられるよ」というと、今コーヒーを飲んでるから、もっと後でいいとのこと。
娘からは「夕飯いらない!」とのメール。どこかで友達と食べてくるつもりらしい。
それで、オーブンの鶏肉料理はそのまま放置。
8時すぎに夫が夕飯を食べると言うのでビールと一緒に出したが、何か私は食欲ない。
夫がひとりで食べていた。
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頚椎の支障?

2006-01-24 18:22:29 | 未分類過去
この間の日曜日、放送大学の試験の日の朝、起きる前に頭痛がしていて、起きてからも直らず、首が凝っていたのでピップエレキバンを張り、バファリンを飲んでしばらくしたら直りました。
そのまま直っていたのですが、昨夜からまた肩がこり始めました。
どうやら、慣れない勉強をしたかららしいです。
そうしたら、今朝は左手がしびれ始め、手のひらを開くと指先が微妙に震えているようです。またピップエレキバンを首や肩、特に左側に重点的に張りました。肩こり以外には特別な痛みなどはないので、それほど苦痛ではないのですが、夜になっても相変わらず左手がしびれ続けています。
おそらく、頸肩腕症候群です。以前診療を受けたとき、頸の関節がつぶれて神経を圧迫していると聞きました。そのときは指先のしびれに加えて手を前に出すとすごい痛みが走りました。整形外科で首の牽引とマッサージを何回か繰り返して直りました。

そのころは、日本語教師をしていたのですが、授業の準備やテストの採点、作文の添削など毎日長い時間、机に向って作業をしているのが原因だろうと言われました。

今の仕事になってからは、長時間会社の机に向って作業をしていても、せいぜいパソコンで目が疲れる程度でなんともありません。思うに机と椅子が違うようです。
会社の椅子はすわり心地がいいです。おそらく高級な品物を使っているのでしょう。

ところが、家の机は小さいし、椅子は特に座り心地が悪わけではありませんが安物で、さらに机の下にものが置いてあって足が入らないため、どうしても変な格好をしてしまいます。それと、私の机は玄関脇の北に窓のある通路のようなところにおいてあるのですが、北の窓から冷気がしみって来て、体の左半分が冷え切ってしまうのです。それで、耐えられなくなると机から離れて、台所のほうに行って、冷蔵庫によりかかって床に座ったり、食器戸棚のわきに寝転がったりして放送大学の教科書を読んでいるのですが、これも姿勢がいいとはとても言えない状況です。
部屋に入ると夫がテレビを見ていたり、いろいろ話しかけてきたりして、気が散ってできないのです。

体に苦痛が出てきてしまうと、さらに勉強がはかどらず、肉体的に勉強体勢には限界のある人間だったのだということを思い出しました。

パソコン打ってたら、また左半身が冷え切ってしまいましたので、そろそろ部屋のほうに避難します。

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私の適性・不適性

2006-01-23 20:43:50 | 放送大学
休み明けの月曜日だというのに、なかなか調子がいいです。ちょうど正月ボケが直ってきたのと同時に、仕事が忙しくなってきたのが、私の好みの状況になってきているからです。
校正の仕事が忙しいと時間がたつのも忘れて没頭しており、周りの人間がぞろぞろと動き出したりして、おや、会議かしら、避難訓練かしら、などと思うと昼休みだったりします。

暇なときは校正とは別の事務的な仕事もしてみたいな、などと思うのですが、社員の担当者が手続きについて難しいことを問い合わせたり、別の部署の人に教えてもらって恐縮しながら御礼を言っているのなどを聴いていると、こりゃ私には絶対に無理だわと思います。私はそういうのは根本的に向かないですね。ストレスがたまっちゃってきっと続けられないでしょう。私は人との折り合いなどを気にせず、黙々と物に向って打ち込んでいる職人のような仕事が好きなのです。
それで、理系の文書の校正者として専門を極めよう!などと密かに決意したりしていました。

しかし、相変わらず理工系の分野については無知なのです。今日も、校正していても内容は理解できません。機械図面やフローチャートがついていることが多いので、それと照らし合せながら読んでいて、その図と文章に書いてある内容が一致しなければ変だということくらいはわかるんですが・・・。それでも結構間違いを見つけるから、役に立ってはいるんでしょうね。
でも、やはり物理と化学を勉強したほうがいいだろうなと思います。

文章の内容を無理に覚えなくてもいいからか、仕事は全然眠くはなりません。

それが、家に帰ってきて放送大学の教科書を読み始めるともうすぐにも寝てしまいます。
近代日本と国際社会・朱子学と陽明学・近世の日本文学・イギリス文学
うわっ、これって結局「歴史」の要素が強いんですよね。
そういえば、私は昔から歴史が苦手だったのです。授業もすぐに眠くなってしまいました。中学の頃、国語・理科・数学の先生には意外と認められていたのですが、ある社会の先生には嫌われている気がして仕方がないときもありました。

放送大学の人間の探求コースというのは、芸術・文学・歴史等から人間を探求するものだったのですね。文学が好きだと思って選んだのですが、苦手な歴史もやらなきゃ卒業できなかったというわけです。それで、近年はどうも単位を落としてばかりだと思ったのですが、苦手なものばかりが残っていたからでした。
「東南アジアの歴史」・「東アジアの中の中国史」・・・歯が立たない、読んでも理解できない、教科書見ながらでも通信課題の答えが導き出せない・・で、以前挫折しました。
それからは、歴史と名のつく科目は取らないようにしています。
「イギリス文学」は1回目と再試験でダメで、もう1回お金を出して再受講して、また今回再試験です。
「文学」なんだから判る筈じゃないか、好きなはずじゃないか、と思って再度受講したんですけど、結局、「文学」そのものじゃなくて「文学史」の勉強なわけです。
読んだこともない作品のことはたとえ一部の内容が紹介されていても全然頭に入りません。というか、そもそも興味が持てないので、勉強が続きません。

もしかして、自然系を専攻したほうがすいすい単位が取れたのかなあ?
歴史は私には向いてないんだよなあ・・・
やめて自然系に入りなおそうかなあ・・・

こんなことをいって逃げてはいけない!
勉強したくないから口実を作っているのだけです。
苦手なものでも乗り越えなくては!!!




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単位認定試験

2006-01-22 20:08:18 | 放送大学
放送大学「東アジア・東南アジアの住文化」の単位認定試験に行ってきました。

試験は記述式で、時間が足りなくて必死でした。
同じ会場で他の科目を受けていた人たちが30分でぞろぞろと出て行ったのですが、
そのときにまだ2問中1問の半分あたりを書いていてあせりまくりました。
問1は、東アジア・東南アジアから代表的な住居をそれぞれ2例ずつ選んで書く
というものだったのですが、まだ東アジアを2例書いたばかりでした。
しかも、それらは通信課題で選んだ住宅と同じものだったので簡単なはずなのに
それだけでそんなに時間がかかってしまったのです。
この調子じゃ、問題1だけで時間が終わってしまいそうです。
結局、2問目は最後の10分間くらいで書きました。
ものすごい汚い字で殴り書きのような感じになってしまいました。

ああ、疲れた!

今日の試験は夕方だったために、時間があるなどと思って、
昨日は遅くまでおきていた割には全然すすまないまま寝てしまいました。
そして、今日最後になって気を入れ始めたんですが、
やっぱりざっと目を通しただけだったので、もう解答は支離滅裂のゴテゴテです。
ちゃんと毎週放送にあわせて勉強を進めていればこんなにあわてることはないのになあ。

今になって初めて、アジアっていろんな住まいや暮し方があって面白いなあなどと思うのですが、
今頃興味を持ったところですでに遅すぎるのだ。
いつもこんなことばかり繰り返しています。

次の試験は木曜です。
月火水で3科目って、それはまず無理だろうな。
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試験勉強親子

2006-01-21 23:54:04 | 放送大学
最近音沙汰のない大学生の長女がインフルエンザにでもかかって寝込んだりしていないだろうかと、携帯に電話をしてみると、この数日はバイトも入れないでアパートにこもって勉強をしているのだそうです。
ろくなものを食べていないようなので、体の抵抗力が弱まっているのではと心配していたのですが、部屋にこもっていれば人から移される可能性もすくないと安心しました。

長女は親に似ない勉強熱心な娘で、高校時代から試験前というと何時間でも机からはなれずに打ち込んでいます。その集中力には脱帽です。
本人曰く、馬鹿なので頭のいい人のように一夜漬けというわけにはいかないのだそうです。

夕方電話すると、朝からある科目の勉強をずっとしているとのことでしたが、それが難しくてよくわからないのだそうです。教科書を読んで理解して、それからでないとまとめることができないが、まずその理解までに到達しないのだそうです。授業は当然休みなく受講したが、内容は忘れている部分が多く、配布された先生作成のプリントも理解が難しいとのこと。来週ある試験のうちの3科目は持ち込み不可の記述式なのだそうですが、大学の試験の場合、どんな問題が出るのかも判らないので、勉強の焦点が定まらないと言っていました。

高校の場合は、1年間を通して、その教科によっていつも同じパターンの試験が繰りかえされるので、試験対策が簡単だったそうです。
バカな人用に大学にも塾の助けが欲しいなどと言っており、笑ってしまいましたが、確かにそうかもしれないと思いました。
大学受験までは塾や家庭教師があるものの、大学に入ったらすべて自分の頭で理解しなければなりません。しかし、理解のためにくわしく噛み砕いた解説を必要とする場合もあり、時と場合によっては補習や個人指導というものの助けが大いに役立つことがあるでしょう。
しかし、たしかに大学生にはそういうものはなく、人の助けを得るならば、直接教授に聞くか先輩か同級生のできる人に聞くしかないでしょう。

試験が近づくと、誰かが書いた授業内容をまとめた論文などがいろいろ回ってくるようで、それは先輩や同級生の作成したものだそうで、選り取りみどり複数回ってくるようです。
おそらく自信作だからこそ回すのでしょうが、一学生が書いたものなら確実に信頼性がある保証はなく、間違いや的外れな部分もあるかもしれず、結局は参考にする程度にしかならないわけでしょう。しかし、理解しにくかった授業の場合は、そうやって相互に情報交換しつつ、ギブアンドテイクで理解を深めていくのかなと思いました。3人合わせれば文殊の知恵みたいなものでしょうか?最近の学生の勉強法なのかな?私が短大のときは休んだときの授業のノートを写させてあげるくらいなものでしたが・・・。

いやあ、お母さんも明日試験なんだけど、まだひととおり教科書を読んでないんだよね。
読んだところもぜんぜん頭にはいらないしさ。でも持ち込み可能の記述式だから、とりあえずどこに何が書いてるかだけ把握しといて、試験のその場で問題を見てから教科書を読んで考えて書くつもりだよ。
などと言うと、へえ~いつもどおりのずさんな親だなと思っているようでした。

お互いがんばろうね~という結論で電話を切りました。


ああ~、気晴らしにブログを書いてたら、また1時間浪費してしまった!
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