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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

飛ぶ鳥

2013-04-01 01:11:06 | 学生時代の日記
数カ月前、私は故郷から東京に出てきた30数年前のことを良く振り返り、当時の日記を読み返したりしていた。最近は、17~18歳のころ、よく聞いていたラジオの深夜放送のことなど思いだした。
そこで、久しぶりに昔の日記を読み返してみた。しかし、深夜放送に関する記述はみつからなかった。高校時代の日記は実家にあるので、もしかしたら、そっちに何か書いてあるかもしれない。

今日みつけたのは、短大1年のときの11月24日の日記だ。

河合栄治郎氏の「学生に与う」の中に、
「『人は努力すればするほど過ちに陥る』
飛ぶ鳥は落ちるが飛ばざる鳥は落ちない。
過ちのないことを求めるならば、
何事をも為さないに限る、
その代わりに人格は停止する」
「教養は人生における戦いである」
というのがある。
これがはっきり見えてきた。

なんていうのが書いてあった。

こんなことはすっかり忘れていたのだけど、
なんで自分の名前に「飛鳥」とつけたのかな?
と今になって思う。

「飛ぶ鳥は落ちる」だと?

そう言えば、「飛び立った飛行機は落ちるか着陸するかどちらかだ」というのは聞いたことがある。
鳥も落ちないで、降りてくればいいだけの話。
失敗したらうまく着地して、また飛び立とう。
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短大1年10月9日の日記

2012-10-12 21:46:11 | 学生時代の日記
197X年10月9日(月)

たまには、編み物をしたり裁縫をしたりして安らかなる平凡な生活をしたくなるのだ。
そんな生活をしたいなあ。
だんだん寒くなってきた。暖房なしの生活で頑張ろうとしている。しかし、寒いのは寒いのだから、今も布団を敷いてその中で書いている。布団の中とはどうしてこんなに気持ちのよいものであろうか。雨の日に部屋にこもって、こたつや布団にもぐっていたりするのも気持ちのよいものである。でも、1番気持ちがよいのは、秋から冬の朝だろう。1度目が覚めても、眠くてたえられないとき、眠り続けることが許されるならば、これが最高である。
本日は音楽をさぼってしまった。後期になって5時間さぼった。
明日は授業がない。体育の日である。代わりに部活がある。しかし、心の中の不安定ヒヤヒヤは消え去らない。文化祭が終わるまでどうやって切り抜けて行こうか。
相変わらず悩みである。
昔から、他人になんでもないことが、私にだけ苦痛なのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2012年10月12日。

30年以上も前の10月の日記を読み返す。当時は古い木造アパートの1階、東向きの4畳半和室で1人暮らしをしていた。だから寒かったのかな?
いや、確かに、近年の地球はかなり温暖化しているようだ。今年は未だに半袖1枚で平気だ。

同じ季節の日記は、短大1年のときでなくともあるはずだ。でも、なぜこの年の日記にこだわるかといいえば、それが、私の東京生活の原点だからだろう。

初夏には冷蔵庫がなくていろいろと大変だったけれど、今度は暖房がなくて大変なのだ。この年から4年間、私はこたつ1つで生活した。すごいものだ。
近所に住む友人たちは、電気ストーブくらいもっていた。私の部屋にはコンセントの口がたった1つしかなく、電気ストーブは無理だった。石油ストーブは、木造アパートは禁止されている。ならば、ガスストーブだったらよかったのかもしれないが、結局暖房無しですごした。温暖化していない時代、よく寒さに耐えたものだ。きっと、こたつにもぐって首だけ出していたのだろう。

「音楽」の授業をサボったと書いてあるが、これはたしか「音楽論」だったように思う。全く大昔の音楽、バロックなんかよりももっと古い、バッハの時代よりもさらに古い音楽を聴いて、それから先生の論じるものを、先生がゆっくりと読み、学生は単にそれを書き写すというものだった。
9時からの1時間目の授業で、いつも朝起きられずに、結局途中でやめてしまった。

この当時は10月10日が体育の日だったので、飛び石連休になっていたようだ。

ここで、日記の最後に、
「昔から、他人になんでもないことが、私にだけ苦痛なのである。」と書いてある。
いま、ブログのプロフィールに書いてあることと同じだ。18歳にして「昔から」と書いてあるのはおかしい。いったいいつからなんだ?
それはもう、物心ついた頃からなのだろう。みんなが好きな「かけっこ」が苦手で、運動会が大嫌い。みんなが楽しみにして食べる給食も大嫌いだった。

人間というのは、明るくて明朗活発で身体もよく動かすのがよいとされている。食べものも好き嫌いなく食べなくちゃいけないし、そのように均整のとれた人間でなくては、人間失格なのだ。だから私は昔から失格だった。

でも、このごろは、陰気でも消極的でも、それがその人の個性として許されるようになってきたかな?運動が嫌いでも、オタクでも、その人の価値ってものがあるのだ。
今になって思えば、誰でも苦手なものはあったのかもしれない。
算数の苦手な子、絵を書くのが嫌いな子、音痴な子、音譜がどうしても読めない子、水に潜れない子、逆上がりができない子、牛乳が飲めない子、肉が食べられない子、犬がこわい子、・・・。
自分はそういう子ではなかったけど、そういう子にはそういう子の苦労と悩みがあったんだろう。

それから、この日記の頃とは違って、
朝起きるのは辛くない。これは年を取ったからに違いない。朝はぱっと目が覚める。その代わり、仕事中に眠くなって困ってしまう。

そして、今は手芸も編み物もできる環境だけど、興味なしだな。

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短大1年9月17日の日記

2012-09-17 23:17:26 | 学生時代の日記
197X年9月17日(日)

25:04
ようやくフランス語のレポートを書き終えたと思ったら、何やらカサカサ音がする。
いやな予感と共に、あの黒光りした巨大なゴキブリ。続いて茶色の小型ゴキブリ現わる。
なんていやらしい虫なんだろう。壁に塗った薬も効かないらしい。ゴキブリゾルをひっかけて必殺。いやらしく、しぶとく、なかなか死なない。
ああもういやだ。1人暮らしのイヤなところはこれである。他に人が居れば少しは風当たりが減るであろうに。男ならきっとすぐ殺して死骸の始末もすぐしてくれるだろうし、女でもうちの母親のような人間なら、助かるものだ。あれはやはり40数年の年季であろうか。○子のような人なら、必殺熱湯法で始末してくれるかな。役にたたないめめしい女でも、いれば少しは気がまぎれるであろうに・・・。
しかし、いくら空想してもしかたがない。現に1人なんだから、あの2匹の死骸の始末もしなければならん。きょうはあったかいから出現したのだ。早く寒くなればいい。
ゴキブリさえいなければ、ゴキブリさえいなければ、ゴキブリさえいなければ~~~

秋の夜の
机に向かう
我が耳に
いやしくせまる
ゴキブリの音

・・・・・・・・・・・・・・・

2012年9月17日

30数年たっても、同じことの繰り返し。
未だにゴキブリと共存。
この季節は、真夏ほど暑くはなく、ゴキブリも活動を始めるのだろう。
今日は、台風の影響で空気が湿っている。
こんな日は、ゴキブリが好きな気候かもしれない。
今年もゴキブリが出たことは、前記事にも書いた通りだ。

そこで、30年前の句を真似して一句

秋の夜の
パソコンを打つ
我が背中に
ポタッと衝撃
ゴキブリの体

人間というのは、18歳以降、何も変化しないことがわかった。
今と違うことはただ1つ、ゴキブリ退治を買って出る人間が同居していることだ。
実に有難く、便利である。
そういえば、1人暮らしをやめて早々と結婚したのは、これが理由だった。


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短大1年の日記

2012-09-09 09:06:43 | 学生時代の日記
197X年9月9日

 宿題の手もつけないまま、ずうずうしくゼミに行った。そうしたら、Iさんだけしか来ていなかった。話によると、朝早くWさんから電話があり、宿題を終えて寝ようとしていたのを妨害されたのだそうだ。
それで、宿題がやりきれないがどうしようかと、遅刻しても行ったほうがよいだろうか、ということで、迷っているという電話だったそうだが、今日来なかったことには、やはりやらないで来る勇気がなかったらしい。おそらくOさんもそうである。Wさんなんかは、封書で送るとかいう話で、全く良心的である。

 最終的には7人来たが、ほぼ全員が朝までやっていたのだった。私だけ、11時頃から起きて、3時半ころから眠ろうとして眠れず、暗闇を見つめて夜を明かした。なんて不真面目な人間なんだろう。いつからこんなになったか知らないが、ゼミの中ではもちろん1番不真面目であり、部活の中でもそうみたいである。

先生はなかなか来なかった。学校が始まっているのを知らず、50枚ほど原稿を書いていて、2階の2部屋を足の踏み場もないほどにして、頑張っていたのだという。学校に着いたのは11時半の古典演習の時間であった。次の古典の時間から、生徒の自主的活動にするため、ますます厳しくなる。

古典を終えてからゼミが集まった。夏休み中の事など話し、他の人から宿題を集めたが、普通1回目のゼミはみんなできなくて休むのだと言う。ますます自分はずうずうしいと思うが、今回休むと今までサボっているから、危ないのだ。

12時ころ、3人が帰って行った。残った4人でまた先生といろいろ話し、先生が遅れた償いとして、昼食をおごってくれることになり、タンメンやチャーシューメンを食べた。
その後、T先生やB先生が本を運んでもらいたいというので、手伝った。服が汚れるので白衣を借りた。気分がよかった。

その後、研究室で助手のT先生たちのむいてくれたナシを食べながらテレビを見る。
T先生、「こんなのつまらないわよねえ、何かもっといいのやってないかしら。ゴルフやってないかなァ」と言ってチャンネルを変える。
なんだか、すごくおかしかった。ゴルフなんか面白いかなァ。しかしT先生やB先生を見ていると、またまた いいなァ と思ってしまう。2人ともお化粧もせず、真っ黒に焼けちゃって、シャツとGパンである。しかし、ずいぶん楽しそうである。2人ともこの短大を出て、どこかの夜間へ行き、大学院へ行って今に至っているとかいう話である。

あー、あの白衣の着心地のよさ、それで、助手や副手の先生たちといて、すごく楽しかったんだ。私もなんとかして夜学にでも転入し、その先生たちと同じになりたいなァ。
そのためには、ゼミの宿題をしっかりやるべし。10月7日までである。
気を抜いてはいけない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2012年9月9日
最近、アタマが働かず、何にも思い浮かばない毎日。
そこで、久しぶりに学生時代の日記帳を開いてみることにした。
9月9日は、夏休み明けの初めてのゼミの日だった。
この日の宿題はどんなものだったのか、まるで覚えていないし、ここには書いてないけど、
相変わらず、やるべきことをやらずに未消化状態だったようだ。

短大時代、ゼミ用の小さな部屋で、みんなでラーメンを食べたことがあるのは記憶にあったが、
この時のことだったのか、とわかった。
この時の助手の先生たちは、短大の初期のころの卒業生であり、私たちの大先輩になる。
3人くらいいらっしゃり、当時20代後半から30代前半だったと思う。
後には助教授などになられたと思うが、その後新しい助手ができたことはないようだ。
それにしても、皆さんとても気持ちの良い先生だった。

文学部で「白衣」っていうのは、何でだろう?と思う。
白衣は、高校の時に化学の実験で着たことがあるけど、
現在、放送大学の実験では、自宅のエプロンを持っていく。
本を運ぶのには、エプロンで充分そうだけど、白衣のほうがかっこいい。
しかし、今ではお医者さんでも白衣を着なかったりする。

当時、宿題もやらないくせに、夜学に転入したいなどと考えていた。
実際には、成績が悪く、転入のことなど短大の先生はとても相談もできなかったな。

若いころの日記を読んで、ちょっと元気がでた。
この時、2学期からは新しい日記帳になっている。
夏休みまでは、普通の大学ノートで、それも途中のページで中断していて、
9月からは、ビニールの表紙のついた立派なノートになっているのだ。
心機一転しようとしたようだ。


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「赤頭巾ちゃん気をつけて」に関連して

2012-07-01 23:48:58 | 学生時代の日記
18歳のときに読んだはずの「赤頭巾ちゃん気をつけて」の中身について、まるで記憶がないと書いていたが、今回読み直してみて、かすかに記憶のある部分があった。
一応そのことを書いておこう。
それは、薫君が足の爪をはがしたところが悪化して、急患で見てもらったときの女医さんが、白衣の下に何も着ていなくて、その隙間からきれいな形の乳房が見えたという場面で、その乳房の片方のほうがもう片方よりも大きいという部分である。
それから、もう1つは、薫君が女の子に話している部分で、アラビアでひとこぶラクダに乗った話である。どっちも、その場面の前後などはまるで覚えておらず、なんでそこだけを覚えていたのかも不思議である。
当時、庄司薫の作品を読んだ証拠としては、私の日記に「いやったらしい」という言葉が使われている文があり、これは庄司薫の口調を真似しているに違いなかった。

私は、○○君と会う約束をキャンセルされた日に、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を図書館で借りてきて読んだわけだが、この中で、薫君は結局のところ、据え膳を食わない紳士的な男の子に終始している。そして、音楽にしろ勉強にしろ、いろいろなことに関心を持ち、同姓の友だちもたくさんいて、いわば教養のある均整のとれた人間として成長している。
私は、そこに当時友人であった○○君の姿も重ねていたと思う。

しかし、彼は、薫君とは違って、高校時代には文系の科目をすべて捨てて理系科目に絞って、私立の難関大学に現役で入学していた。噂に聞くと、受験に関係のない文系科目は赤点に近かったそうであるし、修学旅行にも行かないとか、友人ともつき合わないとかいう話だった。そんな姿は薫君とは違い、あんまり望ましいとは言えない状況であろう。
しかし、大学に入った後の○○君は、空手はやるは、ワンダーフォーゲルはやるはで、高校時代とは打って変わって様々な勉強以外の活動を始め、仲間との付き合いも盛んだった。
目標を決めたらそれに向かって着々と進む人間であり、高校時代は大学に入ることだけに目標を絞っていたのだろうが、入ってからは、たくましい肉体を作ることなどにも力を注いでいたようである。つまり、自分自身を理想の人間像に成長させていくことに関して、計画的で熱心な男子だったという印象がある。
それから、善良さにおいては、薫君とかなり似ている部分があると思った。基本的に親切であり、勉強でわからないところなどがあって質問でもすれば、必ず快く教えてくれるとか、誰かれの差別をしないで優しく接するとか、そういう持って生まれた誠実な人間像があるのだ。

だから、会う約束をキャンセルされたところで、彼に何か悪意があったりするわけではなく、友人をないがしろにして何にも思わないような人間でもないことは、私にはわかっていたに違いなかった。

まあ、当時、彼の恋人になれなかったのは私としては残念なことだったかもしれないが、そのあともしばらくぶりに再会したこともあるし、一応今現在もほとんど連絡さえ取らないけれど、中学時代からの友人ということになっている。

ただ、もう今現在は格差がありすぎて、別の世界に生きる人間となってしまっているはずである。金銭感覚なども全く違うだろうし、そういうのを実感するのは嫌なので、必要もなければ、会わない方がよさそうだ。

ところで、庄司薫氏は多才な人であると思う。小説ももっと書くことはできたはずだが、小説家にはならないで、別の道を選んだということだろう。


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冷蔵庫を買った時

2012-06-28 21:21:25 | 学生時代の日記
30年以上前の短大1年の日記から思いだしたこと。
私が1人暮らしを始めて、冷蔵庫を買ったのがやっと6月25日だったということだ。

6月20日の日記には、「冷蔵庫を買ってもらおう」と書いてある。

実家の母は、短大入学前に私と一緒に東京にやってきて、電気炊飯器・オーブントースター・こたつ・ファンシーケース・カラーボックス・小さな食器戸棚、等を買いそろえて1泊して帰っていったが、冷蔵庫は買わなかった。1日ではそこまで手が回らず、4月の初めころはまだ涼しかったからだ。

私が何を飲食して暮らしていたかと言えば、結局、牛乳やジュースを買い置きすることはできなかったし、納豆なんかも無理だったと思う。
果物や野菜も買ったらその場で食べてしまうしかなかったはずだ。
おそらく、朝ごはんは缶づめのおかずなどで、飲み物はお茶を沸かしていたのだろう。
当時は、まだコンビニなんかも無かったので、今のように、弁当などを買ってきて食べるというわけにはいかなかったはずだ。

今から思うと、驚くべき生活である。

プリンスメロンを食べる。トマトを食べる。
などとも日記に書いてあるけど、「冷蔵庫を買ったら」ということだろう。

6月25日の日記

「今日、冷蔵庫を買った。これでやっとまともな生活ができるというものだ。しかし3万500円。親のすねを大きくかじった。自分にそれだけのことをしてもらう価値なんかたぶんありはしないだろうに。無意味のような浪費を親にさせている。」

と書いてある。

6月26日の日記

「何やら冷蔵庫の音がうるさくておちついていられない。
こんなに音のするものであろうか。
保証書もおいていってくれなかったので、だまされた感じである。
部屋が狭くてまわりが静かだから感じるのかなァ。
でも、M子の家では気にならなかったのだがなァ。
イヤなことばかりである。」

この時に買った冷蔵庫は、第一家庭電器という店で買った。当時、小型の冷蔵庫はだいたい2万8千円くらいで、今のように冷凍室はなく、製氷室だけの扉が1つのものだった。
そこにいくと3万円というのはちょっと高いのだが、私は部屋を緑とピンクで配色していたので、グリーンの冷蔵庫が欲しかったのだ。しかも、取っ手のデザインなどがすっきりしていて気に入ったのを選んだ。

4畳半の狭い部屋に置いたわけだから、今で言ったら、キッチンの冷蔵庫の前に布団を敷いて寝ていたようなもので、普段は意識しない音も目立ったようである。
特に、故障をしていたわけではなかった。

18歳の子が3万円の冷蔵庫を買うというのは、親からお金を出してもらうとはいえ、結構大変な行動であった。電気屋に行ってものを選び、店員を呼んで配達の日を決めたりするのは、初めての経験だったのだ。保証書は本当についていなかったのかわからないけれど、なかったからといって催促するなんてこともできなかったように思う。ちなみに家賃は1万4千円だったので、家賃2カ月分よりも高いことになる。

この冷蔵庫は、私が結婚して大きな冷蔵庫を買った後、東京で1人暮らしを始めた従兄弟に上げた。

追記:
冷蔵庫を買った「第一家庭電器」という店は、当時はどこの駅前商店街にもあった家電の店だが、すでに見かけなくなった。wikiで調べてみると、ちょうど私が冷蔵庫を買った1970年代末が最盛期であり、当時は家電のトップであり、80年代にもトップはゆずったものの200店舗を数えていたそうだ。しかし、その後、家電量販店の大型化に乗り遅れ、消費税の値上げの影響もあって売り上げが落ち込み、パソコンの販売にも乗り遅れて、1990年代には赤字。バブル期の債務なども膨らんで、赤字は解消されず、ついに2002年には経営破綻となったそうだ。道理で、今ではどこにもないし、このぐらいの規模の家電の店は商店街から消えてしまった。
うちの娘たちが1人暮らしをするときには、新宿や吉祥寺の大型家電量販店で1人暮らし用家電お買い得セットのようなものを買った。冷蔵庫・洗濯機・電子レンジを合わせて8万くらいだったように思う。掃除機や炊飯器も買った。あとはテレビも用意した。冷蔵庫は2ドアで、当然冷凍庫がついている。時代は変わった。
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短大1年6月12日の日記

2012-06-13 02:07:25 | 学生時代の日記
197X年6月12日(月)

生きて行くうえで、刺激剤がないといられないなんて、あまりにあわれである。
観劇によって生命力を得る。外から取り入れる。他人からもらう。自分からあふれ出るものではない。ほっておくと、だんだんしぼんできちゃって、また刺激剤を打つ。きりがないじゃないか。こんなの本当に生きているんじゃないんだ。

堕落したい。そう叫んでいる。すごい力でマイナスへ引っ張られそう。
真実とは何だ。やせがまんが含まれるのか?自然とは何だ。私は女だ。
煩悩。かき消してもかき消しても渦巻いてくる煩悩。煩悩とは自然ではないのか。
自然とは真実ではないのか。
いくら考えても同じことの繰り返しだ。決着なんてつきはしない。
何か違うことをするか考えるかしなくちゃ。

やりきれない気持ちをごまかしているのが、散歩、観劇、それだけさ。
それだけの意味しかなかったんだ。
読書?また、他人から生命力をもらおうとしている。
自分ですること、自分で生み出すことって何なんだ。

「恋」とは向上の手段である。
それがないからまともに生きていけないのか。
女は恋に生きるのか、真面目に。
人間は何をめざして生きているのだ。
何が何だかまるでわからないじゃないか。

人格の優れた人を探して、その人をめざす以外、生き方を知らない。
そして、それは恋ではなく、生きる手段なのだ。
私にとっての○○君への友情なんて、麻薬中毒と同じなんだ。

友人をめざして生きることなんてできません。友人を神聖なるところまで、引き上げることはできません。
ありふれた無意味な友人じゃないか。M子と同じつまらない人間の1人じゃないか。
なのに何故会いたい?彼に何を求めているんだ。

★  ★  ★
 
この日の日記は、かなり恥ずかしい内容だけど、そのまま転記しました。

6月6日のショックから、未だに立ち直っていないようです。土日を挟んでも、○○君とは会えなかったようです。
○○君とは、同郷の友でした。あっちは私を単なる友人だと思っていて、新しい彼女が出来そうな話など聞かされていました。
彼も東京に出てきて、最初のうちは寂しかったのかもしれません。都内の離れたところに下宿していましたが、中間地点で会ったりしていました。
でも、そのうち私と会う必要がなくなったのでしょう。

○○君と会っているときは、M子といっしょに過ごすより、ずっと楽しかった。
どうして楽しいのか考えると、それはやっぱり異性だったからです。
彼が女だったら、私は彼に会いたいとは思わないことに気づきました。

当時、理屈なしに楽しいと思うことは、○○君と会って、たわいもない話をすることだった。そういうことには生きがいを感じることができるのに、その他のことには意欲がわかない。

すぐに電池がきれてしまう。
他から何か刺激を得ないと、活力がなくなるという悩みは、その後もずっと私に付きまとっているものです。

当時“人格の優れた人を探して、その人をめざす以外、生き方を知らない。”と書いている。
この「人」は「異性」である。
「向上心」と「恋愛」を同じ方向に向ける方法です。
そうでなければ、「恋愛」は自分を堕落させるものでしかないという考えでした。

私は、路上でペットボトルのウーロン茶を飲みながら歩くバカみたいなかわいい女なんか好きにはなれず、ばりばりに仕事ができる知的でかっこいい女にあこがれる人間だった。

でも、男はそんなものを求めてはいない。
そして、かわいい女のほうに行っちゃうし、結局のところ、一見バカみたいな、かわいい女のほうが、実は有能だったりするものだ。

○○君が大学に入ってから新しく知り合ったゆり子さん(仮名)は、○○君が私に会いに行くということを聞いたら、泣いてしまったのだそうだ。
そして、彼もゆり子さんも、一流大学だった。

私はただの友人なんだから、泣くはずないよね・・・・・。

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短大1年6月6日の日記(後半)

2012-06-06 02:19:38 | 学生時代の日記
197X年6月6日(火) つづき

「きょうダメになった、ゴメンネ」という電話を受けて、身仕度もほとんど済ませて、でかけようとしていた私は、相当な打撃を受けて、応答もそこそこで、一言も話ができなかったほどだった。そのまま、そうかと言って、部屋に戻り、服を脱いで夕食を食べようなんて、とてもできることではなかったのだ。

私は、おととい頃から、今日の5時50分出発を目指し、ニキビが増えないようにチョコレートも食べず、昨日は美容院へ行き、カットをし、洗濯をし、ハンカチにアイロンをかけ、白のサマーセーターと紺のスカートという服装もだいぶ前から考えていた。
今日は今日で、4時から、ちょっと離れた○井湯まで行き、汗を流し、身を清めて(?)来た。本当に公演か試合前のコンディションを整えるように生きてきたっていうのに・・・。
あの高1の時、急に幕が開かなくなって、没になってしまった文化祭の時のような気持ちであった。

何のためにこうしてきたのか?私はどうしたって、50分に家を出なければ意味がない。
私は、外に出てG図書館へ向かった。○○君との楽しみがことわられちゃったんなら、もう勉強だ。三島由紀夫に突っ込もう。
図書館に行くにしては、ずいぶんきれいなかっこうのような気がしたが、行くべきところはそこしかないのだ。

○○君が憎かった。そう、ある意味で憎らしかったんだ。ふられちゃったみたいな、「君なんか何の価値もない」なんて言われたみたいな、そして、もうこれっきり会えないんじゃないか、もう私の世界から消えて行ってしまうんじゃないかと思った。
友だちが「ふる」なんてことはあり得ないし、相当なけんかでもしないかぎり、絶交なんかあり得ないのにと、今落ち着いて思う。

でも、電話に出たとき、私はとっさに友人としての答えができなかったのです。
「え、うーもう支度しちゃったのにひどいなあ。どうしたの? うん、まあいいけどさ、うん、別にいいよ。じゃあ、ご飯でも食べて寝てようかなァ。 ん やっぱりせっかく支度したから、どっかに遊びに行こう。1人で散歩にでも行ってくるから。 あっ そうそう、この前、ハンカチ忘れて行ったじゃない、ちゃんと洗って今日持ってってあげようと思ったのに、いいよもう、雑巾にしちゃうから。 うん、じゃあね うん それじゃあまた はい サヨナラ」

たぶん、女だったらこのようにべらべらとしゃべりまくったであろう。あ~あ、またもや友人落第。ものすごい無口で無愛想になってしまったのだ。
それというのも、XX(※大家)さんから「△△さん、○○さんという人から電話ですよ」と聞いた瞬間に、「あー、だめだな」と、当然ながらわかったのだった。
たしか、私は鏡の前に立っていた。運命は必ず私がいい気になっているところをギャフンと突く。「ゴメンネ」「イイヨ」--ここまでは明るく努めた。しかし、後はもうダメだった。ああ、もう、ここのところは忘れよう。解決されているはずなのだ。問題ないはずなのだ。

G図書館に行く途中も恨みのようなものは消えず、意こじで 三島由紀夫なのだ と思い続けた。そして、三島由紀夫の文学アルバムを借り、ついでに気晴らしに庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を借りた。7時までいようと思ったのに、6時5分ころには出てしまった。

家に着いた。行く所はないだろうか?そうだF図書館へ行ってみよう。どうせ、近いうちに行ってみなければならない。X△町から電車に乗った。もう○○君という人は、私の世界にいないような気さえしてきた。
今度ダメになったら本当に今度こそは取り返しがつかないんだ。恋人失格で、今度友人失格だったら、もう後はない。今度ダメだったら、今度は私は自分をどう改善するように生きていったらよいのだろう。本当に魅力のない人間なんだ。

この2週間のうちに、彼に何があったかは、私にはわからない。○○ゆり子(仮名)さんとやらが、相当に魅力的な人で彼にとってプラスをもたらす太陽のような人だったら・・・。
私が恋人の間に合わせでなければ、そんなことはどうでもいいのだけど、いつもいつも私のほうが友人失格を起こしているのだ。結局、原因は私にあるのだ。私は彼に理由を聞かなかったことに気がついた。彼も理由を言わなかったことに気がついた。理由を聞かないということは、サバサバしているということではない。理由も聞けないほど、がっくりしていたのだ。

どんな理由?男友達が来るの?ゆり子さんとデート? 恋人は友人に優先する。でもね、先の約束のほうが優先でしょう、普通は。大切な用事ならば、例えば貴重な講義があるとか、それか家の人が来るとか、それとも友人がおしかけて来ちゃったとか?

F図書館は休みだった。6月1日から14日まで、設備整理のため休館。ここなら夏休みバイト志望第5希望でいいや。
電車に乗る気もしない。また悪い癖である。夜の散歩なんて。
線路に沿って、×△町へ向かって歩いた。

原因はすべて自分にあるのだ。何も不当を感じない。ゆり子さんを優先しようと、他の男を優先にしようと、何も用が無いけど、会う気がなくなったからやめようと、約束なんていう形式は関係ないのです。○○君にとっての私についての価値判断、それが真実です。どんな理由でもよいのです。

絶対にいやだけど、もし、これっきりになっちゃったら、私はどうすればいいのだろうかと思った。誰も知らない。○原X子(※高校時代の親友)にだけおおざっぱに知らせた。M子もA子も知らない。私の心の中だけにあること。あとになって、実はつきあってたんだけど、なんて話、あまりにも四次元的です。

夕闇の中を歩いていた。自分はいつもよりもずっとずっとさわやか。こうやって歩くためではないけれど、すべてをさわやかに準備してたんだ。でも役にたたなかった。

いつしか全部歩いて家まで着いた。○○ストアでタラコを買ってきた。家に電話して○と△の図書館の電話番号を聞いた。
どうせ今日は遊んでいるはずの日。一晩つぶして庄司薫のを読んだ。あー私は現代の文学を読むべきなんだ。
火曜日は自由の日にしましょう。三島なんて忘れましょう。
都民劇場に入りました。○○君以上に、生きたいのです。動きたいのです。鑑賞に済まない、もう一歩突っ込んだ演劇にしましょう。そして、刺激剤に、生きるということの刺激剤に!
もう解決しているんです。○○君に会わないで、庄司薫を読んだことが。
○○君またね。今度は、貴方に負けずに生きています。





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短大1年6月6日の日記(前半)

2012-06-06 01:30:33 | 学生時代の日記
197X年6月7日(火)

○○君との約束がでかけ間際で没になって、一瞬また正常がくずれ、精神のマイナス方向が始まるのではなかろうかと思ったが、今は意外に、いや、全く安らかな状態になった。
友達同士の約束が没になったからといって、そんなことは大したことではないはずなのだが、そこで普通以上にがっくりしてしまうのは、私が毎日、精神的にも肉体的にも、動きのない生活をしているからであって、彼と会うことを唯一の楽しみにしている、というようなものが、少なからずあるからなのだろう。

ここのところは、考えるべきところで、2人でいっしょに行動する場合は、2人がそのことについて同等の価値を感じていなければうまくはいかない。今のところ○○君と私が会って話をすることは、私の方が大きな期待を持っているように思える。また、少なくとも、彼の関心と私の関心事とは食い違っているのである。

今思うと、今日の約束は没になってよかったのではないかと思っている。関心事の大きな食い違いは、このままにしておいたら、いつまでたっても平行線であると思うのだ。私の生活や、私の生活意識も相当改善する必要があるが、○○君の方もその必要があるのではないかと思っている。

私についていうと、自分の世界を脱しきれないというところが苦悩である。なんか凝り固まっている。文学にしても演劇にしても、何かもう一突き足りないという感じがするのだ。美術もそうだ。
Y先生的な楽しみに傾いているようである。M子が若さがないというそれであると思う。

美術館を見て歩く、図書館へ行く。それは、あまりに静的な行動である。そんなことして面白いの?と○○君は聞きたいであろう、その気持ちがわかる気がするのだ。

新劇にクラシック音楽、それから、今はこの世にいない人の過去の文学。自分にも若さがないことは感じるのである。それは確かに流行に流されない原型というか、本根というものの存在はあるべきだろうけど、それが、M子から見ると、何かつまらない。そうかといって、M子が何をしているかというと、何もしていないみたいだけれど、でも、私みたいに何か安定した間違いのないものをという感じでやっているのは、どうもあまり面白そうではないのである。

実際、私だって、ほとんど80%は概念で動いているのだ。たしかに、ショパンもいい、シューベルトもいい、聴くとピアノは美しい音でいいなあと思うけれど、でもそれに劣らず、原田真二のタイムトラベルを聴きたいとかチャーの闘牛士を聴きたいとか思うのだ。

カセットをかけるとき、さてどうしようかと考える。そして、高尚にショパンのポロネーズを、というようなミエみたいのも30%くらい働いて、原田真二を捨て、ショパンにするのだ。
それは、たとえば、サイダー飲みたいなァと思いながら、いや牛乳の方が栄養がある。そして、考えてみると牛乳も飲みたくないわけではなく、案外飲みたいし飲んだらおいしいだろう。そうして、いざ飲むと、やっぱりおいしかったというようなものだ。

そうやって、私はサイダーを飲んだことはなく、いつも牛乳で、音楽も原田真二とチャーと小椋佳を1とすると、ショパンとシューベルトとドビュッシーとモーツァルトとベートーベンとハイドンが9であった。
音楽の友やテアトロを買って読んでいても30%は向上心(=やせがまん)といった感じで、面白くて止まらずどんどん読んでしまうというものではないのである。

クラシックレコードを買うには金を惜しまない。文学書を買うのも金を惜しまない。それは私の価値判断ではなく、世間の歴史の現在までの価値判断である。それにまかせて私は安全な道をたどってきたのであった。

こんなことを繰り返していたら、私は現代社会を背負うことはできず、20世紀末~21世紀のラムネ氏にはなれないのだ。過去や安定した文化を知るのも大切だが、現代を見つめることを忘れていたのであった。

さっき、「○○君との約束が没になってしまったけど、今は全く安らかな気持ちになった」と書いたのは、以上のことに気がついたからである。

(つづく)
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短大1年5月28日の日記の一部(エジプト展)

2012-06-01 01:38:19 | 学生時代の日記
前記事に続き“珍しい物に殺到する人々”の巻

この日の日記は、昨日も書いたように大学ノート8ページにも渡っているのだが、その一部に「エジプト展」を見に行った感想が載っていた。田舎者の初体験である。

そう言えば、7月に、東京でまたエジプト展をやるらしい。
またはるばるやってくるってことか。そのつながりで、大昔の感想を転記してみた。

★ ★ ★
197X年5月28日

・・・(略)・・・

きのうは、A子とE美と上野の国立博物館のエジプト展を見に行って来た。
上野公園は人人人人、いやこんなものではない、人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人・・・・・・・
そして、エジプト展では、汗にまみれた必死のおしくらまんじゅうの戦いをして出てきた。
私たちの出た後は、博物館の敷地内に3列の人の行列が何百メートルも続き、幾重にも曲がって並んでいて、まるでプロムナードでもしているようだった。

まったく、どうしてこんなにも見たがる人が多いのだ、と自分たちをさしおいて、けしからんと思いながら、その人たちが、まるで通常であるような顔をして、全く他の人間を意識せず、人の波の中で平気で展示物を見ているのには驚いた。

人間を何物とも思わずに、そのどっと押し寄せる圧力を風とも思わずに、正常に展示物を見れるとは・・・。そして私たちも今にその東京人間の「わざ」を身につけるのであろう。

人ごみの中で平気でいられるのは、人間好きなのではなく、人間を人間に見ないためであるのだと思った。また、東京の人間は非常に体力があり、精神力もある強いものであると思う。あんな押しくらまんじゅうを繰り返し、500円も出して見たいものもちょっとしか見れないのに、平気でいるんだから。

エジプト展を見た後で、日本のほうも見たのだが、それでよけいにエジプト人と日本人の違いを感じるのである。
エジプトの王や王妃の顔は全く違っているし、そこにきて思い返してつくづくエジプトの不思議さを感じた。神秘的というか、何というか、その人間たちは全く東洋の人とは違う感じがするのである。何とも表現のしようがないのだが、太陽がカンカンあたっていて、そこに大理石の城があり、目が大きく、鼻が高く、口も大きな人間がいるのである。腕にはものすごく太くて大きな腕輪をはめて・・という感じがする。
大きな岩を大きく削って、そのへんの岩壁に大きな像を彫る。死んだ人間の内臓をとって、内臓入れの壺にいれる。ていねいに、ていねいに、壺を作って入れる。
王妃の像を作って色をつける。何千年たった今でも消えずに残るその色。美しい色。
時間をかけてピラミッドなども作り、死んだ人間も保管し。そんなことを考えると、本当に時間を超越した神秘的なものを感じる。
そして、その場に眠りながら生き続けるものが、飛行機か何かに乗って、こんな日本に飛んできちゃってよいのだろうかと。

王妃のつけたすごい首飾りがあった。そのころのことを記録したクレイ・タブレットがあった。いったい、何を思って、棺や内臓入れを作ったのか、タブレットに記録したのか。
こんな日本へと飛んで、異類の人間に見られるなんて、考えもつかなかっただろう。

おそらく、エジプトにもあの王や王妃と同じ顔をした人間がいるであろう。しかし、像を見ていると、同じ人間とは思えない感じである。王はそうとうの権力を持っていたであろう。全く神の像のようだ。(しかし、神と言っても救いの神ではなく、ひたすら神聖で高貴である。)

日本のほうでは、たぶんインドや中国から伝わってきた仏像のようなものがあり、何だかその顔を見てほっとしたような気持になった。人ごみからのがれたせいもあるし、今まで何回かそういうものを見たことがあるからかもしれないが、仏像の顔がしっくりと心に入ってきた。目も小さく鼻も大きくなく、口も小さい。静の顔をしている。
やっぱり私は日本人であるとつくづく感じる。

なんか同じ金箔でも、エジプトの王の姿と仏像とは全く違うのである。それにしても今気がついたのが、エジプトでは王が絶対者でイコール神みたいだ。
日本の昔、天皇の像なんかを作ったものはないし、民衆は天皇を見たことはなかったのだろうが、そういう像を作るか作らないか、あるいは作らせるか、というところの違いがイコール人種の違い。

気のせいか、エジプトの王は怖く、仏像は優しい気がする。エジプトの像は、私に苦を与える可能性を持ち、仏像は直接にはそうではない。結局、権力のあるなしの違いであろうか。

もし、過去に生きるとして、エジプトに生きるのと、仏教の中で生きるのでは、仏教の中で生きたほうが良いように思う。それにしても、過去からの歴史が違うのだから、日本人と外国人が、そうとう違うのもあたりまえだ。

どういうわけか、のっぺりした面の広いエジプトの像より、こまごまとして、手が何百本もあり、頭の上にいくつものアタマがまたまた載っているというような仏像のほうがしっくり来たのだった。

話が戻るが、結局エジプトでは権力による外部的意識で生きる。仏教では自己の内部的意識から生活する。だから、私は王のもとで生きるより、仏教の中で生きたほうが良いのだ。エジプトと仏教を比べるのは変であり、無知だから何にも知らないけど、とにかく仏の顔はいい。

国立博物館はものすごく立派な建物であった。
その他、日本の着物や花瓶や掛け軸など、渡辺崋山の書いた本物の絵や、源頼朝像など、よく日本史の教科書に載っている絵があったっけ。
とにかく、疲れていいかげんに見た。
時間があれば、いろいろ公園内も歩きたかったが、次にA子と世界絵本作家原画展へ行くので、早めに切り上げた。
E美と3人で木陰に腰掛けてジュースを飲み、気持ちよかった。

(以下「絵本原画展」の感想に続く)

★ ★ ★

日記の内容は、かなり変なところもあるが、まあ、18歳の子供の感想ということでご容赦ください。
それにしても、いかにも、田舎の子が東京に来て驚いている様子がわかる。
当時の500円って、今の1000円くらいだろうか?学割だったとは思うので、一般人だともっと高かったのかな?
当時は、図書館学の先生が、展覧会や展示会などに行くように、いろいろ薦めることが多く、それを聞いて素直に行っていたようだ。
当時は休みが日曜日しかなかったから、疲れるわけだし、これを読むと、日曜日の一番混む時間帯に行ったと見える。しかも、開催されて間もなくの、特に混んでいる時期に行ったのではないかと推察される。
いつも一緒にいるM子がいなかったのは意外である。何か用事があったか、他の友だちとすでに行っていたのかもしれない。

日本人の平らで薄い顔と、エジプト人の大胆な顔の対比は、今映画「テルマエロマエ」でやってる日本人とローマ人の比較にも通じるところがあり驚いた。(この映画まだ見ていないので見てみたい)

18歳のころの幸せは、友だちとジュースを飲むことだったようだ。
今も同年齢のオバサン仲間と物を食べることが幸せかも。(何にも変わってない。)


今年のエジプト展は「大英博物館 古代エジプト展
東京は森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ) 7月7日~9月17日
一般1500円 高大生1000円。
福岡は福岡市美術館 10月6日~11月25日

私は、放送大学生であるため1000円で見られそうですが、やはりちょっと高いですね。
なるべく人が少なそうなときに見に行こうかな?

別のもので「ツタンカーメン展」ってのもあるようだけど、こっちはもっと高くて、人もすごいようですね。


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短大1年5月28日の日記の一部

2012-05-30 23:39:02 | 学生時代の日記
197X年5月28日

・・・(略)・・・

次に“若い女性”を開き、今日買う服を研究しようとしたら、18歳の小説家、雑誌 群像の新人賞とか何とかで、中沢けい とかいう人間が載っていた。
明大二部の経済学部、昼はOL か。

私は人間を知らない。私は男を知らない。私は女さえ知らない。私は親を知らない。
私は、中沢けい とはまるで違う人間。
私が東京で今、夜間に通い、昼働いて1人では生きていけないだろう。
中沢けいが、高校時代に知っていたことを、私はこれから知る。
私の環境は恵まれていて、私は人間のキズを持っていない。
私は幼い。

しかし、私は焦らない。
私には、私の道があり、私には私の世界がある。
私は、中沢けいの世界を持っていない。
私には、もっと違った、私だけの世界がある。

だから私は、それを読んで、中沢けいという18歳の小説家を知っても
焦らなかった。

★  ★  ★

2012年5月30日

つい2~3日前、本屋に行って、文庫本の棚を眺めていたとき、中沢けい の文庫が並んでいるのを見て、ちょうど思い出していた。
この人が自分と同じ年で若くして群像の新人賞を取ったときには、本当に驚いたものだ。
そして、その内容がすごく大人びていると当時思ったことも記憶にあった。
この人、今もなお小説家なんだな~と、何気なく思った。
その後、どんな作品を書いているのだろうとは思ったが、本を開いてみるでもなく、
他の本を買ってきた。
「風をつかまえて」 高島哲夫
「教授の異常な弁解」 土屋賢二
なるほど、タ行の作家の本を買ってきた。
中沢けいの本は、これらのもう少し右にあったっけ。
買った2冊の本は、家に戻っても袋にいれたまま、開けもしないで数日が経っていた。
なんという本を買ったかも忘れていて、今開けてみたところだ。

5月28日の日記は、大学ノート8ページにもわたるもので、読むのも大変だし、転記するのも大変だから、すっとばしていたのだが、今日読んでみたら、中沢けいのことが書いてあったので、そこだけ転記してみた。この人の最近の作品も読んでみるといいかもしれない。
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短大1年5月30日の日記

2012-05-30 23:00:36 | 学生時代の日記
197X年5月30日

半分寝たような半分起きたような細切れの睡眠をとって、朝の4時となった。もう寝られないので起きた。表現法演習の作文を書かねばならない。なんだか、無性につぶ入りオレンジジュースが飲みたい。

一見、解決してまともに生きだしたと思ったのだが、やはりそうではなかった。昨日は急にまだ脱力感におそわれ、外に出たくなり、旺文社文庫の万葉集をさがしに本屋を探すことにした。どうせ、あるなんて思いはしなかった。4つの本屋をまわり、そのまま夜の道を散歩した。○○商店街を突き抜けると、○○駅のもう1つの口があった。初めて知った。そのまま、まっすぐに行くと○○街道につき当たった。そのまま右に曲がって、○○駅東口のほうに歩いた。ずいぶん長かった。人はいなくて、車の明かりだけが続いている。このまま、まっすぐ行ったらどこへ行くんだろう。
まっすぐ、まっすぐいったら、どこへ行くんだろう。

こんな時には何をするべきなのか、酒を飲むべきなのだろうか。
それが解決なんだろうか。
原因は、自分でもわからないのだ。
ただ、夜中じゅう、東京の道をまっすぐ歩いて散歩していられたら、一番いいような気がする。夜の外に出ていたいと昔から思うことが多い。そして、部屋の中でも、夜中というのは不思議な魅力がある。
雨戸を閉めるのは嫌いだ。電気をつけてるのも嫌いだ。
夜中は外の色が一番いい。
雨が降ってきた。だんだん明るくなってきた。

オレンジジュースの中毒になった。

★  ★  ★

今まで転記した日記は、選んだものだったので、日付が飛んでいる。
それで、日にちが前後してしまうけど、ちょうど3X年前の今日5月30日の日記も転記してみた。

粒入りオレンジジュースが好きとは驚く。最近は飲んでいないし、だいたい今「粒入りオレンジ」ってあるのかな?

表現法演習の作文だの万葉集だのって“国文”してるなあ~~

それにしても、この生活の乱れようは何なんだろう。
私が親だったら、東京で1人暮らしを初めたばかりの18歳の娘が、夜街中をうろうろ歩きまわってるなんて、家に引き戻しそうである。知らぬが仏だ。

昔、「20歳の原点」(高野悦子)という日記の本を読んだ。その人は、自殺しちゃった人だけど、
なんか、似たような空気を感じてしまう。
私は、1度も死のうなんて思ったことはないけど、心の中に割り切れないものがいつも巣くっていたのは確かだ。

旺文社文庫の万葉集は確かに家にあったから、その後買ったんだと思う。かなり分厚いものだった。ほとんど読まなかった。それも、今あるかなと思って本箱を見たが、やはりなかった。
その代わりに、三島由紀夫の「春の雪」を見つけた。これは自主的に読んだものだ。この作品はよかったという記憶がある。これは「豊饒の海」の1で、豊饒の海は4巻(春の海・奔馬・暁の寺・天人五衰)あり、転生について書かれているとか。続けて読もうと思いつつ、未だに読んでいない。


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短大1年6月11日の日記

2012-05-29 18:18:32 | 学生時代の日記
197X年6月11日(日) 23:30

まじめな「安定」を望むと1日の生活を書くという日記方式になるのである。一昨日からきのうの朝まで、一睡も睡眠を取らず起きていること30時間という記録を作った。不思議とめまいも頭痛も吐き気も動悸もなく、全くの正常で、あらためてキョウケンであることを思い知った。
それでも、だんだんアタマが痛いような気になってきたので、午後1時30分、寝ることにした。夕6時に目がさめた。

徹夜の夜中、何をしていたかというと、イヤでイヤでたならなく、フトすると眠ってしまう危険を遠ざけるため「仮面の告白」を声を出して読み、わからない字から意味から暗示から、気づくものすべてを取りだして、バカのように精密に読んでいたのだ。さすがに疲れると、ラジオをつけてオールナイトニッポンを聴いていた。次にやる気が起こるまで気長に待つ。3時ころからまた始め5時まで。

その後、みそ汁を作って、カセットを聴いて、ついに8時20分、家を出発した。期待していた目の「くま」ができなくて残念であった。

□□先生にはかなわない。私は「『金閣寺』はつまらない。気分が悪い。文学の中の文学というが、私の生活には何もプラスにならないし、私とは関係がないと言いたくなる」と、言いたいことを言った。
すると、先生は「きわめて健康な人間だ」と言っておいて、「確かに、読者の生活には関係ないけれど~~~~~」なんとかかんとか言って、後に私が「私は今まで文学というものは、読んだあと自分のためになって、生きていく上でプラスとなるものと思っていたが、金閣寺が文学の中の文学とすると、私が今まで文学だと思っていたものは文学ではなく、それで、今文学とは何か、全くわからなくなってしまった」と言ったら、「三島のこれは、確かに人が生きるためになるというようなものではない。しかし、よくある小説は読んでいるうちに先が読めてしまうということが多いが、これは全く違う。また、この小説は全体でなく、一部を読んだだけでも、その完璧さには感心してしまう」と、いろいろな事を言った。

なんとなく文学というものが、わかってきたような気もしてきた。まったく、私の目のうろこを□□先生は、小指の先でちょっと触って落としてしまうようである。
しかし、今でも文学に対して思うのは、「金閣寺」のような文学とは、本当に贅沢であると思うのだ。毎日ヒイヒイ言いながら多忙に働いている人間には無用のもの。もしそんな人間が「金閣寺」を読んだら、気分が悪く、マイナスになるだけである。分析したり、考えたりしながら、何度も読みかえすヒマのある人間のものなのだ。
謎解き―それ以外の何であろうか。少なくとも人生の糧ではない。精密なる才能を感じながら、知恵の輪を解いているようである。人間をだましこむこと、精密な構成によってうそをホントにすること、文学のための文学、芸術のための芸術である。そして、言葉の効果をきわめる術だ。

私は「生」のための文学、いや小説を書きたいと思う。文学の中の文学がこういうものになってくると、演劇の中の演劇とは、ますます複雑になってくる。そして、芸術の極限、それはいったい何なのか。てんでわけがわからなくなってくるではないか。

        ・・・・・・・・・・・・・・・

今、私のなりたい職業というのは、図書館司書以外にはない。自分の才能と適性・価値判断の上でである。××図書館に行くと、図書館というものが社会の中の重要な1つの歯車であることを感じるのである。確実に社会のプラス方向に息づいている。
そして、私自身利用者として、××図書館及び司書によって、プラスをもたらされているから、価値を感じている。図書館か又は本屋、図書館的書店、何かの本を買う人の相談を受け、本に精通していて、いろいろ説明できる店員。そういうものは実現できるであろうか。○△という郷土においてそれをすること。○△を本当の国際観光温泉文化都市にすること、それが私の課題と思っている。市民劇場なども、もっと繁栄させるべきである。

★  ★  ★

現在の所感

□□先生は、本当に誠意を持って、学生の意見に答えてくれたものだと思う。
こんなことすっかり忘れていた。いい先生だった。

今はたぶん70代だと思いますが、ご健在でどこかの大学で教えられていると思います。

「金閣寺」や「仮面の告白」 もう一度読んでみたくなりました。

文学のことを書いたあとに、いきなり図書館か書店で働きたいと書いているのはどういうつながりかと思いますが、
文学や芸術の世界は、自分にはとても太刀打ちできるものではないと悟って、現実的な判断をしたらしいです。
また、あこがれて東京という都会に出てきたものの、やはり生まれ育った故郷が良いと感じているようです。

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短大1年6月9日夜の日記

2012-05-29 17:19:47 | 学生時代の日記
197X年6月9日(金)23:42

今日は放課後、そのへんにいた人たちとケーキを食べにニュー○ネに行った。そのへんにいた人たちと言っても、我ゼミ(私・A子・Tさん・Bさん)とM子のゼミ(M子・Rさん・Hさん)の一部とF子である。
私とA子とBさんとRさんと同じテーブルでいろいろ話していたが、Rさんがクラブで早く帰り、Tさんがバイトで帰り、M子とF子が雑誌に食い入っていたので、Hさんが私たちのテーブルに来て話した。

内容は、
何か面白いことはないであろうか。毎日同じことの繰り返しでアホのようだ。そうかと言って何をしたいということも思い浮かばない。○○短大はヘボな学校だ。しかし、遊んでいる人は遊んでいる。でも、ディスコなんかに行くのもピンとこない。踊る気にならん。今度、鎌倉かどこかへ行きたいねえ。今度、我アパートに来てくれ。夜は1人でつまらん。話す人がいない。いつか何かあるだろうと思っていても、結局このまま2年が終わってしまいそうだ。
などである。

こういう話ができたのも、嬉しいことではある。高校時代もクラスの友人とこういうことはなかった。(毎日部活だったからだ。)だから、交友の第一歩である。しかし、今日の話は、ただのどんでん返し(←※使い方間違っている)で何の発展もなかったのだ。
具体的にこれからどうやって生きて行くべきか、それが問題だったのである。それが出なければ何にもならない。ただ、とにかく、鎌倉かどこかに行くのはいいみたいである。

私に反してM子はうそのように、現在の生活に満足しているのだ。そして、今日もテーブルゲームを見て楽しんでいたり、雑誌を見て楽しんで満足していた。どういうものであろう。これで、私に若さがないと言い、自分は若いというのであろうか。まあ、人のことはいいや。

私が独走したくなるのは、ある意味で他人を軽視しているからである。どうせ情熱もなく、意志もなく、何かやりたいんだけど・・・、でとどまって何もやらない。こういう人をムリヤリ誘ってひっぱりまわすと、どうなるかは知らないが、やはりこういう人といっしょでは、私のほうの意志までおかしくなって来るから、私は1人で実行するのである。今日の仲間では、RさんとBさんがクラブに入っている。やはり何かやっている人間が好きである。

★ ★ ★

今になって思うと、結構楽しそうだ。いい仲間がいたなと思う。
M子は私とは全然違うタイプだったので、どうも波長が合わないなと思っていたけど、今思うといい友達だった。同郷の友が近所に住んでいて同じ学校に通っていたのは心強かった。

当時はこのニュー○ネという喫茶店によく行った。あのころはインベーダーゲームってのがあって、100円で1ゲームやった。喫茶店のテーブルがゲーム機そのものだった。100円玉を積み上げて何度もやるような人は、腕があがって、クリアすると、さらにもう1ゲームは無料でできたりしたっけ。男の人なんかはそんな感じだけど、私なんかはせいぜい1ゲームくらいしかやらないから、すぐにダメになってしまった。上から爆弾みたいなのが落ちてきて、それをよけるんだったか。最後まで逃げ切ればOK。途中でダメになったときも、点数が出た。当時はすごいブームだったけど、今はまったくみかけない。だいたい、ドトールとかマックはあるけど、普通の喫茶店さえあんまりないように思う。

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短大1年6月9日朝の日記

2012-05-29 00:24:31 | 学生時代の日記
197X年6月9日(金)7:07

ついに、自分で自分の首を絞める、というか、またもや一夜漬けへと追い込んでしまったのである。昨日は、2時半から7時半まで部活をやった。帰ってきて風呂屋に行こうとしたが、小銭が無いのでやめた。ご飯を食べようとしたが、おかずを作ると時間がかかるので、インスタントラーメンで間に合わせた。その後、8時10分から、しかたなしに「仮面の告白」を読み始めたのだが、ものの10分とたたぬうちに眠くなって寝てしまい、10時半頃本当にふとんを敷いて電気も消し、本眠に入った。とにかく部活をやると疲れてしまう。起きたら完全な朝7時であったのだ。

でも、部活は1番楽しい。昨日は、発生・体操・ダンス・エチュード(笑・泣)・歌・雑談。初めてステージを使い、ライトにあたると、感覚がよみがえってきた。でも、この学校の講堂は、○高より△中に似ているので、劇よりもスケーターズワルツ(※中学の時に体操部で踊っていた)の方の感じが強い。雑談は帰りに、部長さんと、C子と私と3人でジュースを飲み、サッポロポテトを食べながら話していたのだが、やっぱり部長は相当な人だと思うのである。努力を感じさせないで、やはり才能というのだろうか、ちょっとした物事の感想なんか、人の見過ごすところに、部長はキラリと光る。

部長さんは「ティファニーで朝食を」がすごくよかったと言っていた。最初、題が浮かばず内容を話してくれたのだが、そうしたら私が題を思い出したのだ。オードリー・ヘップバーンの出たのである。それから今、劇で栗原小巻のやっている「マイフェアレディー」のことも話になったし、「追憶」の話も出て、こういう話がわかってできたのもすべてはM君(※高校のときの片思いの同級生)のおかげという以外にはない。

映画の話も、スターの誰々がステキという単純なものではなくよかった。それから状況劇場の話やサロメの話、その他いろいろで、大分ためになったようである。伊勢物語の口語訳は面白いと言っていた。私たちの国文専攻では変体仮名を読むだけに苦しんでいる。何か血の通わないようなつまらない思いをしながら、いろいろとやっているように思う。結局は、文芸やマスコミ専攻の人のほうが、本当の文学ができるみたいである。
「私たちには、もっと読むべきものがあるんじゃない」と部長が言っていた。本当にそう感じる。

10月に文芸誌に載せる作品の募集があり、審査で賞をくれるという。原稿用紙12枚以内。夏休みに小説を書こうと思う。

★  ★  ★

この日の日記は「のである」という変な文体を使っているし、言い回しがぎこちなくおかしな部分が多いが、原文のまま転記した。

「一夜漬けへと追い込んでしまった」とは、寝てしまったのが木曜の夜で、「仮面の告白」を読み終えて行かなくてはならないのが、土曜日だったから、金曜の夜はまた徹夜するしかないということだ。当時は土曜日も授業があったのであった!!!
そして、土曜には1限が変体仮名を読む古典演習で2限がゼミなのであった。それはどちらも□□先生の授業であり、講師であった□□先生が来る唯一の曜日だったから、大変な授業が同じ日に2つ重なるのが必然であった。
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