前記事に続き“珍しい物に殺到する人々”の巻
この日の日記は、昨日も書いたように大学ノート8ページにも渡っているのだが、その一部に「エジプト展」を見に行った感想が載っていた。田舎者の初体験である。
そう言えば、7月に、東京でまたエジプト展をやるらしい。
またはるばるやってくるってことか。そのつながりで、大昔の感想を転記してみた。
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197X年5月28日
・・・(略)・・・
きのうは、A子とE美と上野の国立博物館のエジプト展を見に行って来た。
上野公園は人人人人、いやこんなものではない、人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人・・・・・・・
そして、エジプト展では、汗にまみれた必死のおしくらまんじゅうの戦いをして出てきた。
私たちの出た後は、博物館の敷地内に3列の人の行列が何百メートルも続き、幾重にも曲がって並んでいて、まるでプロムナードでもしているようだった。
まったく、どうしてこんなにも見たがる人が多いのだ、と自分たちをさしおいて、けしからんと思いながら、その人たちが、まるで通常であるような顔をして、全く他の人間を意識せず、人の波の中で平気で展示物を見ているのには驚いた。
人間を何物とも思わずに、そのどっと押し寄せる圧力を風とも思わずに、正常に展示物を見れるとは・・・。そして私たちも今にその東京人間の「わざ」を身につけるのであろう。
人ごみの中で平気でいられるのは、人間好きなのではなく、人間を人間に見ないためであるのだと思った。また、東京の人間は非常に体力があり、精神力もある強いものであると思う。あんな押しくらまんじゅうを繰り返し、500円も出して見たいものもちょっとしか見れないのに、平気でいるんだから。
エジプト展を見た後で、日本のほうも見たのだが、それでよけいにエジプト人と日本人の違いを感じるのである。
エジプトの王や王妃の顔は全く違っているし、そこにきて思い返してつくづくエジプトの不思議さを感じた。神秘的というか、何というか、その人間たちは全く東洋の人とは違う感じがするのである。何とも表現のしようがないのだが、太陽がカンカンあたっていて、そこに大理石の城があり、目が大きく、鼻が高く、口も大きな人間がいるのである。腕にはものすごく太くて大きな腕輪をはめて・・という感じがする。
大きな岩を大きく削って、そのへんの岩壁に大きな像を彫る。死んだ人間の内臓をとって、内臓入れの壺にいれる。ていねいに、ていねいに、壺を作って入れる。
王妃の像を作って色をつける。何千年たった今でも消えずに残るその色。美しい色。
時間をかけてピラミッドなども作り、死んだ人間も保管し。そんなことを考えると、本当に時間を超越した神秘的なものを感じる。
そして、その場に眠りながら生き続けるものが、飛行機か何かに乗って、こんな日本に飛んできちゃってよいのだろうかと。
王妃のつけたすごい首飾りがあった。そのころのことを記録したクレイ・タブレットがあった。いったい、何を思って、棺や内臓入れを作ったのか、タブレットに記録したのか。
こんな日本へと飛んで、異類の人間に見られるなんて、考えもつかなかっただろう。
おそらく、エジプトにもあの王や王妃と同じ顔をした人間がいるであろう。しかし、像を見ていると、同じ人間とは思えない感じである。王はそうとうの権力を持っていたであろう。全く神の像のようだ。(しかし、神と言っても救いの神ではなく、ひたすら神聖で高貴である。)
日本のほうでは、たぶんインドや中国から伝わってきた仏像のようなものがあり、何だかその顔を見てほっとしたような気持になった。人ごみからのがれたせいもあるし、今まで何回かそういうものを見たことがあるからかもしれないが、仏像の顔がしっくりと心に入ってきた。目も小さく鼻も大きくなく、口も小さい。静の顔をしている。
やっぱり私は日本人であるとつくづく感じる。
なんか同じ金箔でも、エジプトの王の姿と仏像とは全く違うのである。それにしても今気がついたのが、エジプトでは王が絶対者でイコール神みたいだ。
日本の昔、天皇の像なんかを作ったものはないし、民衆は天皇を見たことはなかったのだろうが、そういう像を作るか作らないか、あるいは作らせるか、というところの違いがイコール人種の違い。
気のせいか、エジプトの王は怖く、仏像は優しい気がする。エジプトの像は、私に苦を与える可能性を持ち、仏像は直接にはそうではない。結局、権力のあるなしの違いであろうか。
もし、過去に生きるとして、エジプトに生きるのと、仏教の中で生きるのでは、仏教の中で生きたほうが良いように思う。それにしても、過去からの歴史が違うのだから、日本人と外国人が、そうとう違うのもあたりまえだ。
どういうわけか、のっぺりした面の広いエジプトの像より、こまごまとして、手が何百本もあり、頭の上にいくつものアタマがまたまた載っているというような仏像のほうがしっくり来たのだった。
話が戻るが、結局エジプトでは権力による外部的意識で生きる。仏教では自己の内部的意識から生活する。だから、私は王のもとで生きるより、仏教の中で生きたほうが良いのだ。エジプトと仏教を比べるのは変であり、無知だから何にも知らないけど、とにかく仏の顔はいい。
国立博物館はものすごく立派な建物であった。
その他、日本の着物や花瓶や掛け軸など、渡辺崋山の書いた本物の絵や、源頼朝像など、よく日本史の教科書に載っている絵があったっけ。
とにかく、疲れていいかげんに見た。
時間があれば、いろいろ公園内も歩きたかったが、次にA子と世界絵本作家原画展へ行くので、早めに切り上げた。
E美と3人で木陰に腰掛けてジュースを飲み、気持ちよかった。
(以下「絵本原画展」の感想に続く)
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日記の内容は、かなり変なところもあるが、まあ、18歳の子供の感想ということでご容赦ください。
それにしても、いかにも、田舎の子が東京に来て驚いている様子がわかる。
当時の500円って、今の1000円くらいだろうか?学割だったとは思うので、一般人だともっと高かったのかな?
当時は、図書館学の先生が、展覧会や展示会などに行くように、いろいろ薦めることが多く、それを聞いて素直に行っていたようだ。
当時は休みが日曜日しかなかったから、疲れるわけだし、これを読むと、日曜日の一番混む時間帯に行ったと見える。しかも、開催されて間もなくの、特に混んでいる時期に行ったのではないかと推察される。
いつも一緒にいるM子がいなかったのは意外である。何か用事があったか、他の友だちとすでに行っていたのかもしれない。
日本人の平らで薄い顔と、エジプト人の大胆な顔の対比は、今映画「テルマエロマエ」でやってる日本人とローマ人の比較にも通じるところがあり驚いた。(この映画まだ見ていないので見てみたい)
18歳のころの幸せは、友だちとジュースを飲むことだったようだ。
今も同年齢のオバサン仲間と物を食べることが幸せかも。(何にも変わってない。)
今年のエジプト展は「
大英博物館 古代エジプト展」
東京は森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ) 7月7日~9月17日
一般1500円 高大生1000円。
福岡は福岡市美術館 10月6日~11月25日
私は、放送大学生であるため1000円で見られそうですが、やはりちょっと高いですね。
なるべく人が少なそうなときに見に行こうかな?
別のもので「ツタンカーメン展」ってのもあるようだけど、こっちはもっと高くて、人もすごいようですね。