山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

記憶をたどる

2024-09-30 22:31:06 | 日記2024

いつも読ませていただいているブログで、俳優座劇場で「セチュアンの善人」の公演を観たという記事があった。そして、六本木の俳優座劇場は2025年4月に、老朽化のため閉館するのだそうだ。

俳優座劇場と言えば、昔、改築したばかりの頃に劇を観にいったことがある。
あの時、新品だったホールが、今や老朽化だと?
年月の流れにびっくりする。
できたのはいつだったかと調べてみると、1980年だそうだ。
私が20才の時である。45年も経つんだものね・・・

建物よりも人間のほうが長持ちするものなのか・・・

それで、「セチュアンの善人」なんだけど、私はストーリーや内容を全然覚えていなくて、なんかポスターに載ってた男装の女性の姿しか思い出せないのだった。

俳優座ではこの劇を36年ぶりに上演するのだそうで、そうなると私が28才の頃だが、その年齢では子育て中で、すでに演劇なんか見に行ける状況ではないので、違うなと思うのである。

でも、確かに「セチュアンの善人」という劇を観たことがあるような気がするのだ。
私が記憶している女優の名は「神」が付いたような気がした。

それで、色々と調べてみたところ、1978年に紀ノ国屋ホールで「セチュアンの善人」の公演があったことがわかった。

この時の役者は、井川比佐志・西田敏行そして神保共子である。

そうだ、神保だ。

今の神保共子さんの画像を見ても当時の姿と結びつけることができないのだが、おそらくこれに間違いないだろう。

私は高校の時に演劇部で、部活仲間と一緒に故郷の「市民劇場」っていうのにも入っていて、年に数回、市のホールでプロの演劇を観ていたんだけど、上京して短大に入ってからもしばらくは演劇部員で、個人的に「都民劇場」というのに入って、月に1度くらい演劇を見ていた。

それは、自分で劇を選んでチケットを買うのではなく、会費を払っておけば、都民劇場のほうで選定されたチケットが送られてくるのだった。

それをOL時代も続けていたのだけど、結婚後はそれどころではなく、やめてしまい、それ以降四十数年間、もう演劇を見ることもなくなってしまったのだ。

また、演劇が見たいなあと思うようになった。

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蕎麦(山形七日町にて)

2024-09-29 22:45:16 | 旅行・街歩き

山形市七日町にある「そば処庄司屋」というお店の天ざる蕎麦です。
9月の中頃、山形旅行に行った3日目に立ち寄りました。

最初の2日は、観光ではなくお墓参りなどをしていて、帰宅する最終日だけ山形駅周辺を観光しました。

ここにたどり着く前に、山形城や博物館や最上義光歴史館などを見てきて、それからその近辺でお昼を食べるところを探したのですが見つからなかったので、結局七日町まで歩きました。

山形駅周辺の観光では、べにちゃんくるりんという100円で乗れるバスが15分おきに走っているということだったのですが、どうも経路が逆回りなのです。それで、このバスを利用することができないので、徒歩で20分くらいかけて、ようやく七日町というところにたどり着きました。

ここには、飲食店などがたくさんあって、観光スポットになっているようでした。

七日町に着くと、なるほど今どきの「観光スポット」という感じでした。
なんか、コレド日本橋やコレド室町みたいな感じです。
東京のようなビルではなく、建物は小さいですが、こぎれいな日本風を醸し出そう的な空間でした。



洋食の店や色々な店があって、若者受けしそうなスポットなのですが、日本そばのお店をみつけたので、こちらで食べることにしました。
とにかくもう歩き疲れてしまって、涼しいお店に入って座って食べたいの一心です。

お蕎麦は美味しかったです。普通の一般的天ざる蕎麦でした。

・・・

で、この七日町というところですが、私は東京に帰ってきてから初めて知ったのですが、この水の流れているところは「御殿堰」という400年前からあった用水路なのだそうです。
山形には「山形五堰」と言って全部で5つの水路があるそうですが、そのうちの1つだそうです。
元々あった古い水路をきれいに石積みにして整備し、商業施設なども作って再開発したのだそうです。

私は単に、日本風の雰囲気を醸し出すために人工的に作ったものなのかと思いこんでいました。
とにかく、疲れていたので、周囲の説明書きなどを全然見ていませんでした。



水路のところは、こんなふうに人が座ったりしてくつろげるようになっていました。


なんか、適当に写してきた写真に「世界かんがい施設遺産 山形五堰」という幟が写っていました。



ああ、もう疲れたのなんの。
この後も、べにちゃんくるりんバス経路と逆なので10日町の「紅の蔵」まで歩き、その後山形県の旧県庁舎「文翔館」を見逃していたことに気づき、タクシーで戻り・・・と非効率的・非経済的動きの一日でした。

でも、団体旅行と違って自分の足で動いたのはそれなりに自由で楽しく、街のことがわかりました。

・・・

そうだ、それで、書きたかったのは、このそば処庄司屋さんですが、こちらは支店で、本店が山形駅の近くにあるということが帰宅してからわかりました。

で、お蕎麦を食べたときに、ラインアプリを登録すると割引があるということで登録して、ちょっと安くなったんですが・・・

先日書いたように、私はラインやアプリ登録は本当に面倒くさいのです。
それでも登録すると100円くらい安くなったりするので、どうしても色々なお店で登録してしまうわけなんですが、山形にはもう当分行かないと思うので今後使うこともないでしょう。

昔ながらのお蕎麦屋さんでも、アプリの時代になっちゃったんですね。
七日町自体が今風の若者向け観光施設なので仕方がないのかな。

あまりにもきれいすぎる用水路。灌漑ではなく公園ですね。

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また繋がっちゃった(福田と米倉・米倉と泉・泉と石破)

2024-09-29 09:20:26 | 読書

福田和也氏の「東京の流儀」を読み進めています。
最近読んだのは、氏が40才を超えて銀座の「米倉」という理髪店を始めて利用したという話です。
この米倉という床屋さんは、有名な一流の床屋さんらしく、なかなか、そんじょそこらの人間ではお客になれないような老舗だということがわかりました。

この人は、洋服や靴も海外のなんとかいう有名ブランドのものしか身に着けないのだそうで、男性もだんだん出世してくると、そういうふうになって来るんだなあ~と思いながら読んでいました。

ところで、「米倉」という床屋さんに興味を持ったので、検索してみました。
そうしたら、泉麻人という人(作家・コラムニスト・気象予報士)が、2021年3月に、この米倉で散髪をしてみたという記事が出て来たのです。この人はその時もうすぐ65才になるところでした。

内容はここに。→(銀ぶら百年 ~イズミ式銀座街並細見~あこがれの「米倉」で床屋談義

米倉は現在支店が数店舗ありますが、元は1918年に「米倉近(ちかし)」さんという人が創業した理髪店だそうです。記事にもあるように松下幸之助や野坂昭如も利用していたとのことです。

理容米倉HP

・・・

で、次に、泉麻人という人のことを調べてみました。顔はテレビで見たことがあるような気がします。
そうしたらなんと、この度、自民党総裁になった石破茂氏との対談の記事がでてきたのでした

内容はここに→(中央公論「今だからできるアノ話」石破茂×泉麻人

それを見ると、石破茂と泉麻人は慶応高校2年のときの同級生なんだそうです。
この記事は、2013年1月8日のもので、石破さんは幹事長だった頃ですが、37年ぶりの同席対談ということでした。中央公論社の2013年2月号に記事が載ったようです。

そうして、泉麻人氏は慶応義塾大学商学部の卒業、石破茂氏は前記事に書いたとおり法学部の卒業です。

・・・

これにてわかったこと。

・石破茂・泉麻人・福田和也の3人は慶応義塾大学の卒業生であり、石破と泉は慶応高校の同級生である。福田和也は3才くらい年下である。

・福田和也と泉麻人は、銀座の老舗理髪店「米倉」で散髪していた。
最初の利用は、福田和也は40代、泉は60代であり20年程の年月差はあり。

ちなみに、石破さんが散髪している理髪店は、たぶん議員会館B2のお店だと思います。
女性の理容師さんが散髪している写真記事がありました。議員会館は石破さんらしい。

 

追記

石破茂を検索していたら、
石破さんが「鉄オタ」であるという情報がありました。
これも面白そうなので、今後調べていきたいと思います。

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慶応繋がり

2024-09-28 13:54:52 | 日記2024

これは全く私個人の現在の関心事なんですが・・・

私が勝手に最近亡くなった福田和也氏の過去の著書「東京の流儀」を読んでいるときに、自民党の総裁選があって石破さんが当選されました。

今自民党総裁になった政治家石破茂に関する興味と、1人の故文芸評論家に関する興味が、私の中で並列して時間が過ぎていくわけです。

これらには、私の意識以外には何の関係もありません。

で、何ら関係のない、この生きている人と、亡くなってしまった人。
政治家と文芸評論家。

この2人を私は眺めています。

で、ハタと共通点を見つけました。

慶応高校出身、慶応大学卒業。

石破さんは、慶応義塾大学法学部法律学科卒。

福田さんは、慶応義塾大学文学部仏文学専攻。

両方とも、ケイオー♪ケイオー♪ケイオーーー♪でした。

どうでもいいことですが、共通点の発見のお話でした。

【慶應義塾大学應援指導部】塾歌(歌詞字幕付き)

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今と20年前

2024-09-28 09:59:13 | 日記2024

2日くらい前から、先日亡くなった福田和也氏の「東京の流儀」というエッセイ集を読んでいるのだけど、これは約20年前に書かれたもので、悠長な食べ歩きみたいな内容だ。

現実の現在としては、昨日は自民党の総裁選があって、最終的には高市さんと石破さんの決選投票で、石破さんが選ばれた。

昨日、ブログに蕎麦のことを書いている最中に、隣の部屋でテレビを見ていた夫が「高市さんになりそうだ・・」などという途中経過などを口しているを聴き、ええ~~っ…と思っていた。

それで、最後の最後は、パソコンでライブ配信を見ていたのだけど、石破さんがリードして総裁に決定。

良かった!

実は、私は最初から石破さんになってもらいたかったのだ。顔は悪い(特に目つき?)のだけど、石破さんの考え方は多くが同意できる。説明がわかりやすい。経験も豊富だし頭も良い。
高市さんはちょっと右翼っぽいのであまり好きではない。何を非難されても平然としている面の皮の厚さ。正直言って、高市さんの顔や笑いが気味悪いし、声のトーンも重くて発音が嫌いだ。
一番嫌いなのはデマ太郎の河野。デジタル庁でマイナカードの無理強いや、あやしいワクチンの運び屋、自分の都合の悪い人間はことごとくブロックするやつ。
河野だけは絶対にごめんである。
小泉進次郎は、根は悪くないが、若年経験不足で、あまりアタマも良くないらしい。
でも、考え方は石破さんに似ている部分が多いので、石破さんの元で何かの大臣になってほしい。
その他の人は、あまりよく知らないけれど、特に悪くはないものの決定的長所がない、というか印象が薄い。

石破さんは、自民党の中では一番自民党体質ではない人である。
派閥とか裏金とかとはあまり関係がなく、クリーンな感じだ。
だから、旧体質の自民党の中では人気がなかったのかもしれない。
私はいっそのこと自民党をやめて、立憲民主党の人等と一緒に別の党を作ったらいいんじゃないかとさえ思っていた。(まあ、私は政治のことには詳しくないので、的外れな考えだったかもしれないが。)

そんなわけで、石破さんになってほっとした昨日でした。

で、一方、「東京の流儀」を読み進んでいるわけなのだが、蕎麦のあとは、鰻におでんにトンカツに・・・と相変わらず悠長な飲食店の話である。

そりゃあ、今の時代だってそういうテーマだったら、どんだけ悠長な内容が出てくることだか。
本当は、そんな気分ではないのだが、まあ現実とは切り離して読んで行こう。

(現実:地球温暖化・異常気象・自然災害・物価高騰・少子化・労働者不足・高齢化社会・増税等々)

その後わかったことだが、福田和也氏は、江戸っ子なので、子供のころから東京の中心地に在住しており、上野・銀座・神田・新橋辺りは日常行動範囲で、飲食店もよく知り、俳優や文化人もよく知っていたようだ。

映画なども子供の頃から見ていたので、昔の作品や俳優もよく知っていたのであろう。

そうして、男というのは、若いころから仕事上の交際で飲食店を利用したりするので、主なる飲食店や酒が飲めるお店などをよく知る環境にあるのである。

仕事柄ってこともあるのだろうけど、文化人や有名人との交流もあり見識もあるという、そういう世界の人なんだというのを感じた。

こんな人と自分を比較するのもおこがましいが、静岡県のド田舎から出てきた女子短大生が、日本橋室町辺りの職場で職工のように校正の仕事をするものの、会社と4畳半(風呂無しトイレ共同)のアパートを往復しているだけで、日本橋界隈で外食をしたこともなく、結婚と共に退社。

その後は、子育て。ママ友と一緒にファミレスでの食事が大の楽しみ。
多くは「てんぐ」。激安居酒屋。よく行ったなあ~

その後、バブルの時代で家族でも「かに道楽」や「鰻」や「レッドロブスター」や「寿司屋」等を利用する時代もあったものの、バブル崩壊。

久々にカニ道楽に行っても、カニが小さい。高い。
寿司も昔と違う。

テレビで芸能人の食べ歩きを見ていると、なんかムカついて来る毎日。

・・・

支離滅裂になってきたので、やめるけど、「東京の流儀」を読んでいたら、芸能人の食べ歩き番組を見ているような気分になってきて、何悠長なことやってんだよ、なんて思ってしまったが、これは20年前に書かれたものだよ、気持ちを切り替えよう。

とにかく、これはこれ、それはそれ。

石破さんの政治手腕がどんなものか、期待します。

まあ、私は一応、立憲民主押し(今のところ政権が取れるような段階ではないし、カスみたいな議員もいるけど)の人間です。

 

追記:高市さんは個人的に好きではないけれど大物政治家です。だから国会で高市さんにかみついている立憲民主の議員が、キャンキャン騒いでいる小犬みたいで、高市さんはビクともしない。良い悪いではなく、もう格が違い過ぎる。器の大きさが違い過ぎるのだ。だから立憲民主は情けない。重箱の隅をつつくようなことで時間が取られるだけ。つついているところがどうでもよいところなのだ。
だから、立憲民主には政権は取れないし、自民党のほうがマシってことになる。)

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蕎麦屋について

2024-09-27 18:57:01 | 読書

福田和也氏が「東京の流儀」でそば屋について書いています。(「心伸びやかになる蕎麦屋」)
ここで出てきたのが、「神田のやぶ」「室町の砂場」「銀座のよし田」です。
私はどれも行ったことがありません。
ウェブ検索してみたところ「神田のやぶ」が、なかなか広くてきれいなお店で誰でも食べられるようなので、行ってみたいなと思いました。

それで、夫に話してみると、「神田のやぶ蕎麦はとっくに無くなった」などというのです。
サイトがあるんだから、お店がないなんてことはありません。9月はナスの冷やしそばが季節の特別メニューになっていておいしそうだなと思いました。

しかし、なんで夫が「もうない」などと言ったのかと思い、調べてみたところ、神田の藪そばは、2013年2月19日に、それまでのお店が火事で焼失してしまったのでした。
そういえば、当時のニュースで、老舗のお蕎麦屋さんが火事で焼けてしまい、伝統の味をひきつぐ濃縮つゆである「かえし」も失ってしまった、という内容を聞いた記憶があります。
その後のことは知らなかったのですが、翌年の10月20日に、再建した新店舗で営業を再開したのだということがわかりました。そうすると、もうすぐちょうど10年になるようです。

新しい店舗は、耐火・耐震性の鉄骨作りだそうです。以前の古い建物は1923年築の数寄屋造りで.東京都の歴史的建造物に指定されていたようですが、古さゆえに天井の配線がショートしたのが出火原因だったようです。怪我人などはいなかったそうでよかったです。

焼失した建物はそのとき築90年だったということになりますね。
2014年に再開したときに社長は70才だったそうですが今は80才ですね。

福田和也氏のこの文は、2004年ころから書かれているので、このときはまだ火事にもならない古いお店だったわけですね。

とにかく、現在は建て直されたお店で、伝統の味が引き継がれていて良かったです。

・・・

別の話ですが、このあいだ立憲民主の原口さんがユーチューブで話していたのですが、最近、長野の老舗そば屋「戸隠そば」が倒産したんだそうです。原因は新型コロナによる業績悪化だということですが、400年も続いてきた老舗がなくなるのは本当に残念なことです。

だから神田の藪そばが健在なのは嬉しいです。
東京はそれなりに人間が多いから大丈夫ってことなのか、やはり人口減少・一極集中だと地方の伝統を守ることは難しいのかもしれません。

・・・

次に「室町の砂場」ですが、これはウェブ検索するとのれんのかかった由緒ありそうなお店が載っていて、ちょっと入りにくいかな?と感じたりしました。こちらも行ってみたいです。

「砂場」という名前のお蕎麦屋さんは色々なところにあり、のれん分けされたものかもしれません。
そういえば「藪そば」の店も多数あり、こちらは黒いそばですが、一方「更科」は白い蕎麦の店という程度の認識はあります。私はどちらかというと黒いそばが好きです。

・・・

それから最後に「銀座のよし田」ですが、こちらはどうも大衆的なお店で、日本蕎麦という形にとらわれないお店のようです。コロッケ蕎麦が売り物なのだとか。
ウェブで検索すると、ぐるなびなどにも出てきます。

福田氏が書いているところによると、ここで資生堂の福原さんにも会ったとのこと。福原さんて誰?と思って検索してみると資生堂の福原義春社長のことでした。
この方は2023年8月30日、つまり1年くらい前に逝去されていました。

また、福田和也氏は、諸井薫も、よし田が好きだと書いていて、実は諸井薫によし田そば屋を教えてもらったのだそうです。
ここでも「諸井薫」って誰?と思って検索してみたら「本多光夫」の別名だということがわかりました。本多光夫という名は知っていますが、作家・編集者・エッセイストの場合の名前で、諸井は文筆家としての名前だとのこと。作家・エッセイストは文筆家ではないのでしょうか?区別がわかりません。

この方は、2001年に逝去されていますが、諸井さんのお葬式のときに、よし田の人たちが参列されていたと、福田氏が書いてありました。

そば屋について色々と思いを巡らすことも楽しいです。

・・・

私は日本蕎麦がかなり好きです。
それで、この頃思うことなんですが。多くのファミレスだのチェーン店だの、各種の外食産業では、最近はやたらにポイントだのライン登録だの面倒くさいことが多すぎます。

だから、そんなものが関係のないお店に食べに行きたいんです。
そうすると、お蕎麦屋さんというのは、結構昔ながらの個人のお店が多く、会員登録とかそんなことがないのが良いのです。
お蕎麦屋さんっていうのは、支店とかグループ会社ではなく、「のれんわけ」でしょう。
そういうお店がずっと残って行ってほしいと思うのですけど、そうなると家業を引き継ぐ跡取りが必要なのかもしれません。

でも、ぜひ現代のようなパネル注文やロボットによる配膳やセルフレジなんかではなくて、人間に注文して、人間が作った昔ながらの日本蕎麦を食べたいなあと思うのです。

「てんや」なんかで天ぷらそばを食べていますが、今後は普通のお蕎麦屋さんに行くのを増やそうと思います。

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福田和也氏の印象

2024-09-27 05:35:28 | 日記2024

昨日借りて来た「東京の流儀」を読み始めた。まだ本当に最初の部分である。

この本は、散歩・街歩きのことが書いてあるようだ。私も一応東京に40年以上住んでいるし、この人と同じ世代(現在にて60代前半)なんだから、かなりの共通性を持ち合わせていることになる。

ところが、読み始めてびっくりしたのは、どうしたって自分より10才以上は年上なんじゃないかというイメージなのである。

例えば、中華の店に関する部分では、
「戦後の小津安二郎の作品には、笠智衆や中村伸郎と言った中年男たちがつどう料亭や、座敷のトンカツ屋とともに、場末のラーメン屋が点景として出てくる。零落した漢文の教師である、小澤栄太郎が、娘-杉村春子に追いつかわされているところに、加藤大介がタンメンを食べにくるような。」

この古い俳優たちを知っているのは、彼が昔の文芸作品を研究しているからなんだろう。それとも子供のころから、映画などをよく見ていたのだろうか。

私が知っているのは、笠智衆と小澤栄太郎と杉村春子だ。杉村春子は文学座の公演でよく見た。
笠智衆は私が子供の頃にはすでにおじいさんだったと記憶している。杉村春子も私が演劇に没頭していた高校の頃から70代くらいのすごい年齢で、その時すでに日本史の教科書に載っていたので驚いたのだった。

その笠智衆が中年男であった戦後の作品というのを、自然に知り得るのは、私たちよりももっとずっと上の世代ではないか。やはり過去の文芸作品を研究している人ならではの視点なんだろう。

過去のことを研究している人は、自然に人生を熟達した人のような雰囲気を醸し出すのだろうか。

この人の概要をウェブで見ると「保守派論客の文芸評論家」という言葉が出てくる。昭和天皇に関する著書もあるようだけど、やはり実際の一般同世代人に比べると、ちょっと古めかしい印象を受けるのであった。

現代人は、むしろ戦後の日本に郷愁を抱くよりも、コロナ前の日本に郷愁を抱いてしまうのが自然だ。杉村春子や小澤栄太郎なんかすっかり忘れ去られているのではないだろうか。

しかし、同世代の男性が結構古めかしいと感じたのは、今年故郷の高校の同窓会に行ったのだが、そのときに昔野球部だった同級生が、地元の史跡的建物に関して、延々と歴史を解説し始めたのがとてもジイサンぽかったのだ。
この人って、昔は野球のことしか考えてないような少年だったイメージだが、その建物が大正時代に資産家の別邸として建てられ、その後旅館になって文壇人たちが泊まりにきたとか、さらにその後…などという経緯をかなり詳しく知っているらしく、解説してくれたのは驚いた。
年を取るとそういうことになるのだろうか。

そういえば、私も最近は、昔の建物(城跡や旧庁舎)や昔の街道などに興味を持つようになったのも年のせいなのかもしれない。

「東京の流儀」が書かれたのは今から20年くらい前のようで、それならば、時代的には確かに古い感じがするのはあたりまえ。
それにしても20年前は、著者はまだ40代前半だったのだから、こんな年配者みたいな文を書いていたらずいぶんと年寄り臭い気がする。

40代なんてまだまだ若者ではないか。

この人は、1989年に「奇妙な廃墟」を刊行し、1993年に「日本の家郷」で三島由紀夫賞を受賞。
私は1989年に次女を出産。当時はひたすら子育てと家事に従事。
それが20代の終わりから30代初めの頃の人生。

・・・

この人は文芸評論家っていうよりも「東京の流儀」に関しては、エッセイストって感じである。
自分よりずっと年上(昔の人)のような印象を受ける。
文は面白い。
理解・共感はできる。
今後も色々読んで行きたいと思う。

私は人生をサボっていた分、精神年齢が低く、よく言えば若そうなので、これからも身体が元気なうちは、色々なことに興味を持って、コロナ後のへんてこりんな世界を生きていくことになる。

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図書館までがセルフに

2024-09-26 18:22:29 | 日記2024

今日は、どうも先日亡くなった文芸評論家、福田和也氏の著書を読んでみたいという思いが湧いて来た。
ネットで色々検索してみると、文芸評論家とは言っても、この人の著書は、一定の文学作品の評論に限らず、もっと広い範囲での文化や歴史などについて分析や私見を書いているのかな?と思った。

で、最初図書館に行こうと思っていたのだが、どうしても期限内に読むことはできない性分なので、とりあえず本屋さんに行ってみることにした。中身を見て、気に入った本があったら買ってしまったほうがゆっくり読めるからだ。

ところが、本屋さんに行くと、この人の著書は全然見当たらなかった。
「最近亡くなった文芸評論家の本」などという理由で、いきなり読みたくなる人なんかやはりいないのかな?店員さんに聞くのもなんか気が引ける。
本屋さんも、最近亡くなった人の著書をいきなり並べるなんてことはしないだろう。

やっぱり図書館に行くことにした。

・・・

図書館のパソコンで検索をかけると、今度は軒並み貸し出し中。
あ、やっぱり亡くなった人の著書を読みたくなる人っていうのは、結構いるみたいだ。
また、多くは「保存書庫」にあるという。

私は、この保存書庫っていうのが、どうも苦手である。閉架にあるんだったら、無いのも同じことにしている。いちいち保存書庫から出してきてもらうのは、抵抗があるし、勝手に気軽にパラパラとめくってから、決めたいのである。

色々検索していると、普通の開架式書棚にもいくつか存在することがわかったので、そこへ向かった。

そして、「東京の流儀」と「村上春樹12の長編小説」の2冊を借りることにした。
この他には、「旅のあとさき」っていうのがあって、これはタイトルに引かれたのだけど、「ナポレオン」や「イタリア・エジプト」という、私にはよくわからなさそうなものだったのでやめておいた。

・・・

さて、それでカウンターの貸し出し窓口に向かったのであるが・・・
これまでいつも利用していた人間のいる窓口は、今は予約図書の人だけが使うものだそうで、書架から持ってきた本を普通に借りる人は、なんとセルフ貸出機を使えとのことなのだった。

なんだかわけがわからないが、画面の案内に従ってやってみた。
まずは、図書カードのバーコードをかざして読み込ませた。

次に借りる本の冊数を入力。2を選択した。

そうしたら、不思議なことに、手に持っている本のタイトルが画面に表示されているのである。

なんで?

先ほど、検索機で本のデータを印刷したからだろうか?
しかし、データを出した本と、借りる本は違うのである。しかも、データを印刷したときはログインしていないので、その時点では私自身は認識されていないはずなのだ。

不思議に思って画面を見ていると、本を台の上に置けとの表示が出ていたので、いちおう置いてみたのだが、やはり置く前から、この2冊の本がしっかり感知されていたのであった。

どうやら、バーコードから電波が発せられているらしいのだ。ほんとか?

・・・

そういえば、コンビニだかスーパーだかでも、商品を手に持ってくるだけで、何を買おうとしているのかが判別されるため、レジを通す必要がないなんていうシステムをテレビでみたことがあった。

そんな仕組みなのだろうか?

本当に恐ろしいことである。

今後はバーコードをかざさなくても、人間にICチップを埋め込んでおけば、その人間が判別され、お金も払わずにものが買えたり、後で自動的に口座からお金が引き落とされたりするようになるのではないだろうか。

図書館の本も、何もしなくてもゲートを通り抜けるだけで、貸し出し手続きができちゃうとか、便利というよりも、誰がどこに何してるかを全部把握されてる管理社会というのか、少々不気味である。

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文芸評論家の死

2024-09-26 00:03:48 | 日記2024

数日前、ある文芸評論家の方が亡くなったというニュースが流れていた。
その人は63才だった。(今調べたら、福田和也という方である。)

そのニュースが、なぜかずいぶんとショックだった。
自分の年齢では、人生があまり残っていないということを突き付けられた感じだった。

この人は、文芸評論家として活躍してきた人である。
普通、60代の人は、もうすでに色々なことを成し遂げたあとなのだ。
もちろん、生きていれば70・80代も何かを成し遂げることができるだろうが、それはこれまで築いてきたものの上に成り立つことである。

・・・

私は、実は学生時代は、文芸評論家になりたいなんて、大それたことを思っていたのだった。
(厳密には高校時代の夢。その後受験も失敗し、短大から大学へも編入できず、現実に流されていく。)
学生時代は、結構本も読んでいた。
自分で作品を書くことはできないので、人の書いた作品を研究し論じるのがいいなんて思っていた。

しかし、今は年に1冊も本を読まないような人間になっている。
そんなことが何十年も続いているのだ。

文芸作品を趣味として読む事さえもしなくなっているんだから、今さら、そのようなものになりたかったなんて言うのも、本当におこがましいことだ。

それから、仕事を辞めてヒマになったら、老後はまたじっくり小説を読んだり、研究したりしたいなんて、ひそかに思っていたのだが・・・

いやいや、もうそれって遅きに失してるでしょ。

なんかもう脳みそもさびついちゃって、何を読んでも記憶にさえ残らないようになっているし、それ以前に、読もうと思っても集中もできないようになっているのである。

やはり、若い時にやらないとダメなんだ。

もう終わってるんだ。

・・・

この福田和也という人のことを、私は全く知らないのだけど、考えてみればそりゃそうなのだ。
この人は同世代なんだから、この人が文芸評論家になったころには、私はいっさい、文芸とは何の関連もないことをして生きていたのだった。

そうして、私は今も生きていて、毎日文芸作品ではない実用文書の誤字脱字をひたすら発見し、修正するばかりの仕事だ。

そんな仕事をしていながら、自分のブログは誤字脱字だらけで、支離滅裂な文を書いている。

そういえば、今日も仕事で校正をしていたのだけど、
「、 、」読点がふたつ並んでいるのに気づかずスルー
文末に「。」句点が無いのにスルー
「( 」カッコがあって「 )」閉じカッコが無いのにスルー
最終的に、校正ツールで発見。

ああ、こんなものにも気づかなくなってしまったのだ。

・・・

人間が一生のうちに何か大きなことを成し遂げるには、それ相応のエネルギーが必要である。
小説を書くにしても、評論を書くにしてもだ。

もともと能力はないが、1つのことに取り組むような根性も集中力も執念もないのだから、何も成し遂げられるわけがない。

自分はこの年まで、いったい何をしてきたのか?と思うと、
毎日、朝から夕方までパートタイマーで働いて、ひたすら地味な下請け作業に取り組むだけだ。

その労力を考えたら、頑張っているのかもしれない。
偉大なことを成し遂げる人が居る一方で、毎日小さな単純作業を続けていることだって、それはそれで小さいものをいっぱい成し遂げたってことになるのだろう。
それが自分の役割りだ。

だから、自分の人生はこれで良しとするしかない。

今さら何もできないので、ただ健康で楽しく暮らそうと思うようになった。

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今日いち-2024年9月25日

2024-09-25 19:25:03 | 今日いち

シャインマスカットを買ってきました。

 シャインマスカットは、甘くておいしいのですが、高くてなかなか買えないのです。
それがスーパーで950円という値段が付いていたので、安いな~と思いました。
しかも、なんと20%引きのシールが付いているのがあったので、一番大きそうなのを選んで買ってきました。
 
ところが・・・
レジでは、1350円と値段が出ているじゃありませんか!
それから、20%引きになり、1080円になりました。
これにさらに消費税8%ついたわけです。
 
それで、
あれ~950円の20%引きじゃなかったのか~~
と思って、レジを済ませたあと売り場に戻ってみました。
 
みると、同じに見えるのですが、微妙にパッケージが違っていました。
20%引きになっているのは、元値が1350円のものでした。
 
まあ、しょうがないです。奮発します。
これでシャインマスカットを食べるのは最後です。(今年2度目)
 
これは、JA長野のシャインマスカットですね。
“フルーツハリウッド須高”と書いてあります。
“フルーツハリウッド”は「JAながの」の登録商標だそうです。
 
お皿に出したらこんな感じでした。
 
甘くておいしいです!
 
そういえば、このあいだ山形に行ったときに、JAの産直売り場みたいなのがあったのですが、巨大なシャインマスカットが売っていて驚きました。
さすがに値段は1800円くらいしていましたが、とにかく大きいのです。
房が倍くらいの大きさなのです。あんな大きい房は生まれて初めてみました。
 
それからナスが袋に10本くらい入って100円でした。
東京に戻ってきたら3本で280円です。残念ながら、旅の途中だし、荷物になるので持ち帰れませんでした。
 
山形は食べ物が豊富ですばらしいところです。

っていうか、東京は農産物の物価が、たかすぎ~~~~
遠くから運んでくるからしょうがないのかな。
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しゃべる機械

2024-09-24 23:23:32 | 日記2024

この頃、電化製品が音声で内容を伝えるようになっていることが多い。

例えば、電気炊飯器などが、「ご飯が炊けました。保温を始めます」などという。
エアコンが「設定温度を28℃に変更しました」などという。

この他に、自動車のナビや、電話機や、お風呂の給湯器や、様々な電化製品が、音声で物事を伝えるようになったのだ。

その声については、これまでは「きれいな若いお姉さん」みたいなのが多かったのだが、電化製品を買い替えたりすると、気のせいか最近は、ちょっと年配じゃないか?と思うような声質だったりして、がっかりすることがある。

30才くらいのつやのある明るい女性の声だったのが、50才くらいの高齢おばさんじゃないかと思うような声質になったり、さらには、これってどうしたって「日本人のイントネーションではないのでは?」と思うようなものもある。単語のつながり方が自然じゃない。

なんかおかしい・・・

こういう声を毎日聞いて暮らすのか?と思うとちょっと残念だ。

わが家の場合、夫の部屋のエアコンが、ぜったいにオバサンなのである。

私の車のナビは、けっこういい声だと思うのだけど、こういうのも買い替えたりすると、違う声になってしまうのだろう。

機械の声は人ではないのだけど、なんか声が変わると寂しい気がする。

そうしたら、イントネーションのおかしいオバサンみたいな声も、長年聞いていると親しみがわいてくるのだろうか?

今後は、若い男性の声とか、かわいい女性の声とか選べるようになったらよいかもしれない。

そうなったら逆に、お父さんみたいな声や、やさしいおばあちゃんの声などを選ぶ人もいるかもしれない。

・・・

ところで、電車の車掌さんのアナウンスが、ものすごく完璧ですばらしいというyou tubeの動画があって、いったいどんな素晴らしい人が話しているんでしょう~なんて言うコメントがあった。

ほんとうにきれいに話すなあ。。。 ディスニーランドみたいだなあ~なんてのもある。

・・・なんだが・・・

このあいだ、テレビのニュースを見ていたら、これからAIがニュースを読むとのことで、AI音声によってその日の出来事などが放送された。

まるで普通の人間のように読んでいるのだった。

あれっ?なんか、あの電車のアナウンスと、よく似てるんじゃないか?

音質も速度も間の取り方も完璧でそっくりだ。

車掌さんも人間の声ではなく、AIだったのかも?

その日の状況をアナウンスしているので、定型案内ではないから人間だというのは違うのかもしれない。

どんなステキな人かと想像したら、機械だったなんてつまらないな。

そういえば、私はロマンスカーに乗った時に、車掌さんのアナウンスに耳を傾けるのだけど、そこでいい感じの話し方をする人だったりすると、車内を車掌さんが歩いて来た時に、顔をチラ見してどんな人か見たりするのである。

すると、えっ?この顔であのアナウンス?と、声と顔を整合させるのがちょっと不思議な気がすることもある。
ロマンスカーの場合、そのたびに声や話し方が違うので、AIではなく、実際にその人が話しているのだとは思うのだが、不思議なことに、アナウンスが終わったと同時に車掌さんが歩いてきたりするので、話し終えてマイクを置いて、この車両までこんなに早く来る?と思ったりする。

・・・

それにしても、誰しもが心地よく聴こえる声が簡単に作れるんだったら、電化製品はどうして中国人の中年おばさんみたいな声が選択されているのか、不思議である。

やはりきれいな声の機械を製造するのも高度な技術が必要なのであろうか?
変な声や変な話し方の機械しか作れないとか、同じ美しい声を使ってはいけないとか、あるのかな?

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クルマのこと

2024-09-23 19:47:02 | 車・運転・道路・駐車場2024

2年前に車検があって、今年もまた車検を済ませました。

15年乗ってる古い軽自動車ですが、まだ調子よく走っています。屋根が劣化してきて見た目もぼろくなってきました。

今回の車検では、特に多額の修理費用はかからず、ヘッドライトも大丈夫でした。

ヘッドライトのガラスが曇っていると車検が通らないと2年前に聞いていて、最近はyou tubeで、ヘッドライトをロービームで検査しないといけないことになったので、ほとんどの古い車は車検に通らなくなると言っていたので、不安でした。

その検査方法は、もうしばらく猶予があるとか?これもyou tubeで言っていましたが、ディーラーで聞いてもどこ吹く風で、全然心配ないみたいです。

3年前くらいに有料でヘッドライトの透明カバーをきれいにしてもらったのですが、今回は無料の簡易な方法で大丈夫とのことでした。

・・・

今回の車検での大きな変更点は、車検証が小さくなったことです。
これまではA4サイズでしたが、今回はその3分の1くらいなってしまい、銀行の振込用紙よりも小さいくらいなので、なんだか無くしてしまいそうです。
とりあえず、いつもの車検証入れに入れましたが、小さくて心もとない感じでした。

それから、フロントガラスに貼る車検ステッカーが、中央から右端(向かって左端)に位置変更になったそうです。

どちらも郵便局のレターパックで送られてきて、受け取り確認の返信封筒と書類が同封されていたので返信します。

車検証の受け取り方は、この頃はしっかりしてきました。
以前は、ディーラーの人が玄関の新聞受けに封筒を放り込んであったこともあり、あまりにも無防備だったので、アンケートに苦情を書いたこともあります。

この頃は説明も丁寧です。

・・・

ただ、つい最近、自動車保険の情報が漏洩したという詫び状が保険会社からきていました。

その原因は、保険の代理店である車の販売会社が他の保険会社とのメールのやり取りで、客の契約内容を漏洩させてしまったのだそうです。

そのことが、代理店からではなく、保険会社から知らされて、ディーラーからは何のお詫びもないというのは、ちょっと腑に落ちません。
クレジット番号などは漏洩していないそうですが、なんかすっきりしないし、詫び状さえ出して置けば事後承諾で問題なしみたいなのは気分が悪いです。

最近の車関係はこんな感じです。

なお、本日も本当は運転をして車を動かさないといけなかったのですが、今日は墓参り渋滞の日でもあり、旅行や帰省続きで疲れているので、外に出かけるのが億劫になってしまい、運転は取りやめました。

根性無し。

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絶叫!草取り

2024-09-23 17:29:25 | 日記2024

やばいです。

共有の土地(庭)に一株の「カヤ」があるのですが、以前、草取りのときに、この雑草を根こそぎ撤去しようとしたら、これは「ススキ」なので、取ってはいけないと言われました。

えっ?これは「手の切れる要注意の雑草だよ。こんなもんがなぜ貴重なの?」

全く意味がわかりません。

しかし、なんか貴重なものだと認識している人がいるようなので、そのままにしておきました。

すると、それは秋になると穂が出てきてススキになるのでした。

ススキなんか田舎者の私にとってはただの雑草ですが、東京23区の方には、月見を演出するような風情のある貴重な植物なのでしょうか?

まあそれならそれで、そのままにしておいたわけですが、その後、近隣にやたらに子どものカヤみたいなのがどんどん生えてきたのです。すぐそばというよりもちょっと離れたところに群生します。

これって、あのススキの一株から出た穂から種ができて飛んで行って芽を出したんじゃないんでしょうか?

それらは、まだ小さくて穂は出ず、ススキにはなっていないのですが、とにかく数が多く、他の植物を制覇してしまう勢いなのです。

それに、丁寧に草取りをしたところに限っていっぱい生えてくるんですよ。

根が硬いし抜ききれないので、1か月くらい前には、はさみで根元からちょん切っておいたのですが、今度はさらに数を増して伸びてきたようで、カヤだらけになってしまいました。

田舎の母に話したところ、「そんなススキなんか最初の一株を早く絶滅させないと、箱根の仙石原のようになっちまうよ」とのことです。

箱根の山の中なら良いですが、花壇をススキヶ原にしてどうするんでしょうか?

本当に困ります。

それで、今日、小さいカヤの群生一帯の草取りをしていたのですが、なんか超気持ち悪い虫がいて恐怖におののきました。白っぽい薄茶色の結構大きな尺取虫みたいなやつです。

それは、カヤにいたわけではなく、別のつる草にいた可能性も高いのですが、とにかくカヤを引っこ抜き、つる草を引っ張って抜いていたときに出現したのでした。

引っこ抜いた草たちを移動したときにくっついてでてきみたいなので、私が見えるところにつれてきてしまったということです。

その一匹が、超キモチ悪いと思って近づかぬように気を付けていたところ、な、なんともっと近くにもう一匹いたのです。

ぎゃあ~~~~~! もうここでは草取りは続けられません。

このあいだ、蜂に刺されたので、今日は蜂には気を付けていたのですが、まさか尺取虫に遭遇するとは・・・。ここで尺取虫に遭遇するのは初めてでした。

では、あまり湿り気のないほうのカヤを引っこ抜こうと場所を変えたのですが、根っこを抜くと土と一緒に何やら微細な色々な虫がうごめいているのが見えます。そのくらはまだ良いですが、極めつけは、土の中から大きなコガネムシの幼虫が出てきました。

ぎゃあ~~~~っ!

もうダメです。

草取り中止! さようなら。にげろ~~~

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雨の中の墓参り

2024-09-23 07:57:08 | 日記2024

昨日の午前中、故郷の墓参りに行ってきました。
天気は、雨が断続的に降っていました。

本当は、前日の土曜日に実家母(92才)と一緒に行くつもりだったのですが、あまりの暑さに断念し、一日中、居間に冷房をかけてゴロゴロしていました。

昨日は、午後に帰宅するので、もはや延期はできません。
天気予報が悪いのは知っていたのですが、とにかくお寺にお布施も持っていく必要があるので、出かけました。

雨が一時的に上がっているときに、実家母も一緒に行くなどと言い出したので、やめてくれと断りました。雨は絶対にまた降ってくるし、杖をついて傘をさすなど無理ですし、ただでさえ普通の人間の3倍くらい遅い速度でしか歩けないのですから、片道15分のところも45分かかってしまいます。

で、1人でさっさと用事を片づけようと出かけました。
山道を歩けば墓までは片道10分くらいのところですが、お寺は車道に近いところなので遠回りの道路を歩いて行きました。雨も降っています。

今年はお盆もあまりの暑さで、墓参りは命がけになってしまうため、断念していました。
そのため、お盆の塔婆もまだ受け取っていなかったので、それを受け取り今度は墓へ向かいました。

墓は山の上のほうにあるので、必死に階段を上ります。太っていて筋力体力がないのでへとへとです。
こんなの母が一緒に来たら絶対に上れません。

それに雨も激しくなってきています。
墓に行くと、実家の墓の後ろから変な巨大植物が生えて成長し石塔の横まで伸びてきていました。

傘をさして荷物を持ったまま作業するのは無理です。
近くに、桶や掃除道具などを入れておく戸棚のようなものがあるので、そこにカバンなどを入れてきて、作業に取り掛かりました。
こんな雨の中、彼岸とは言え、墓には誰もいないので盗まれることもないでしょう。

草が生えていたら簡単に抜いて来ようと思って、使い捨てのビニール手袋を持ってきてよかったです。大きな草の茎を引っ張るとズルズルと抜けてきましたが、直径が2cmくらいあり、長さは1、5mくらいあるのです。それを2~3本抜き、やっつけましたが、そのほかにどうにも抜けないし、途中で折り切ることもできないのがありました。

それは、隣の墓の真裏から生えてきており、うちの墓に向かって進入していたのですが、素手ではどうにもならないので、折り曲げてうちの墓に入ってこないようにするのが精一杯でした。

となりの墓は、既に彼岸のお参りを済ませたらしく、きれいに菊の花などが供えてあるのですが、その周囲に生えている巨大な雑草はそのままです。境界に石の塀を回していて、その内側に入ってこなければ関係ないと思っているようでした。

実家の墓は、巨大な雑草の他には、猫じゃらしなどが生えていたので、それらも抜きました。
それから、樒(しきみ)は既に枯れていたので、片づけて、造花だけ残しました。
今回は線香も樒ももっていかなかったので、器を洗ってきれいな水だけ入れて終了としました。

それから、自分の家(夫家族)の墓も同様の手順できれいにしました。こちらは大きな草はなかったので良かったです。

途中で雨があがったので、傘を置いて作業をしていましたが、今度は薄日が射したりして、蒸し風呂に入っているような暑さです。

雨天で涼しいと思っていたし、墓参りは超簡単に終わらせるつもりだったので、飲み物も持ってこなかったのですが、もう滝汗で水分不足です。へとへとになりました。
こんなの92才母が来たら完全に死んでます。

裏山から、近道を歩いて実家に帰ろうとしましたが、墓と山道の間が猫じゃらしでいっぱいです。それらをかき分けて歩いたら、雨に濡れているので、足元も濡れてしまいます。
さらにその先の山道は、草刈りをしてあるのかどうなのかも見えません。
彼岸前に誰かがしてくれたのでは?と期待していましたが、墓側も猫じゃらしでぼうぼうということは山道ももっと巨大な草が茂っている可能性が高く、この経路に踏み入る勇気がなくなりました。

それで、また階段を下って車道側に降りてきました。この寺には休憩所や自動販売機などもなくがっかりです。ちょっと座る椅子はあるのですが、屋根がないのでずぶぬれです。

道路の方まで行くと、公民館のような公共施設があり、日曜日でも館内に入ることができました。そこに自動販売機と椅子があったので、本当に良かったです。
しばらくペットボトルのリンゴジュースを飲みながら休憩しました。
ふるさと納税を払っているから、地域住民じゃないけど、利用してもいいでしょう。
そうだ、今年もふるさと納税をそろそろしなくては。

そこにはバスの時刻表までありました。
歩いて頑張って帰ろうと思ったのですが、ちょうど10分くらいしたらバスが来るのでバスで帰ることにしました。

1時間に1本もないバスなのに、このタイミングでバスがあるとはラッキーです。

こちらのバスは、乗った距離によって運賃が変動します。乗るときに整理券を取り、その整理券番号と車内の運賃表を凝視しつつ、財布の中から小銭を加算して用意していくのです。
そうやって降りる時に、ちょうど良い金額がすぐに支払えるようにしないといけないので、気が気ではありません。

ぴったりの小銭が無い時は、両替機で両替してからちょうど良い金額を払うのです。こうなったらもっと焦りまくります。

住民の人たちは、だいたい自分が乗る区間が決まっているので、料金も把握しているから、そんなに困ることはないのですが、観光客などのよそ者は大変なんです。

そんな理由で、はるか昔に故郷を離れた私も路線バスに乗るのには気後れしてしまうのでした。

それでも、登り坂の車道を歩くのは辛いし、これ以上滝汗をかくのはイヤだなあと思いました。

それにしてもバス料金はいくらなのか知っていると安心なので、スマホで調べてみました。
すると、自治体から補助のある路線以外は初乗り200円ということがわかりました。
果たして、私が乗ろうとしている路線は、補助があるのかないのか不明です。
補助のある場合は170円らしいです。
ちなみに、私が乗る区間は1区間だけで、所要時間は2分です。
2分間のうちに料金表を見て170円か200円かを用意するっていうことです。
とりあえず財布の中に70円の小銭があることを確認しつつ、200円を握りしめてバスに乗りました。

すると、なんとSUICAが使用可能になっていました。
これまでこのバス会社はSUICAが使えなかったのです。だからすごく不便だなと思っていました。
SUICAが使えれば、料金表と財布の小銭用意必死作業が無くなるので、こんなに楽なことはありません。しかし、今回は知らなかったので、急にSUICAを出すほうが手間取るため、乗るときに整理券を取って降車時に現金で支払いました。ここの路線は補助がないようで200円でした。

SUICAについてですが、SUCA導入をするのに、結構な費用がかかるらしいです。
この地は絶対に赤字路線で、バスの本数もどんどん減っていきますし、運転士も絶対に足りません。
通学時間帯くらいしか乗る人がいないのではないでしょうか。
昼過ぎには、1時間に1本も走っていない時間帯があります。

この日は昼に近い午前中だったのですが、始発から4個目くらいのバス停で私が乗ったときに、乗客は1人だけ乗っていて、私が2人目の乗客として乗っても1区間で降り、私が降りた停留所で乗る人もなく、その後はだんだん街中に向かっていくので、少しは利用する人もいたのかもしれませんが、ガソリン代やら何やらで運転士さんの給料になるほどの収益があるとも思えないのです。

しかし、私が車道を歩いている時や、バス停で待っているときに、歩いている人間には一人も行き会わず、車だけが走って行きました。

自家用車社会なんですよね。

田舎に行くと、自分だけが汗みどろになって必死に歩いているので、本当に辛いです。

そういえば、夫故郷の山形に行ったときも、夫の両親本家の墓参りに行ってきたのですが、1日2万歩も歩きました。

やはり徒歩で歩いている人なんかあまりなくて、歩ききれないところや、疲れ果てたときはタクシーを利用しました。夫の故郷では既にバス路線は廃止されてしまいました。

私も、これから年を取り、いつまで故郷の墓参りに行けることやらです。
まあ、SUICAが使えるようになったので、時刻さえ調べれば本数の少ないバスを利用しようかと思っています。

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ロマンスカー車窓風景

2024-09-23 01:36:56 | 日記2024

あんまり良い画像じゃないのですが、写したかったのは、自分が乗っているロマンスカーの前方車両が車窓から見える場面です。

右側の窓際席の場合、乗っている車両が後ろのほうだと、右カーブの時に前方が見えるのです。

そういう場面は、まず新宿駅を出てすぐにあり、途中でも何回かあるみたいです。
左側に乗っているとあるのかどうなのか、あまり記憶はありません。

富士山も右に見えたり左に見えたり正面に見えたりして面白いです。正面の富士山は先頭車両からよく見えます。

写真の場所は、右に川も写るのでなかなか良いシャッターチャンスなのですが、なかなか難しいです。

この辺りはどこなのか?
秦野と小田原の間で、ここまでくると、結構小田原に近づいたなという気がしています。
でも、その間にはいくつもの駅があるようです。
実は、私は小田急線沿線地域はよくわからないのです。
ロマンスカーしか乗らないので、途中駅がわかりません。
秦野を過ぎると小田原まで止まらず、その間にどういう駅があるのかあまり意識したことがありませんでした。

この辺は、田園地帯や住宅地が過ぎて、川沿いのあまり人家のないようなところを走っています。
ちょうど地域と地域の間なのでしょう。

グーグルマップで見てみたら、この川は「川音川」というようです。
川下は新松田の先で酒匂川に合流していました。

ロマンスカーは、何度か川を渡り、こんな黄色い鉄橋もあります。

クルマで小田原まで行く場合は、小田原厚木道路を使うのが普通らしいですが、ロマンスカーの車窓から見ていると、ロマンスカー沿線や、川沿いの狭い道路を走ってみるのも面白そうだなと思います。

そのうち、ロマンスカーではなく、鈍行電車で途中下車してみるもの良さそうですね。

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