山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

雨漏り1

2008-08-31 11:10:25 | 日記
ここ数日、かなりまとまった雨が降っている。
昨日、突然、最上階に住んでいるお宅から、屋上の鍵を貸してくれという電話がきた。
家の中で雨漏りがしたので、緊急に公社に問い合わせ、修理の人に来てもらったのだが、屋上に出るためのカギがないとのことだった。
うちが自治会の役員をしているので、鍵を預かっているはずだと思ったらしい。しかし、自治会で管理しているのは集会所の鍵だけで屋上の鍵は管理していない。
その旨伝えると、では、誰が預かっているのだろうということで途方にくれてしまった。

屋上の鍵は、集会所のキーボックスの中にあるらしいということだった。
そういえば、集会所の入り口付近に鍵のかかったボックスがあり、その中に各棟の屋上の鍵や水道動力室の鍵などが入っているようだった。
現地に調べにいくと、確かに「付帯施設鍵収納箱」という箱があったが、集会所の鍵とそのボックスの鍵穴は全く違うもので、自治会で預かっている集会所のカギでは開くはずもないものである。
これを誰か担当の家があって預かっているのなら、公社のほうでその家を知っているはずではないかと思った。
休日なので通常の業務はやっていないが、水漏れなどの緊急問い合わせの窓口にかけてきいてみることにした。
すると、その返答では、施設の鍵は「自治会」で預かっているはずだとのことだった。
しかし、そんな鍵のことは聞いたこともない。何か作業をするときには、業者の人が公社のほうから直接鍵を持ってきているのではないかと伝えた。
窓口では依然として「鍵は普通自治会で管理しているはずなので、前期の自治会長さんにでも聞いてみてはどうですか」とのことだった。
公社に問い合わせていつもぶつかるのはこういう状況だ。なにもかも「自治会が管理しているはずです」とのことで、「やっていないのは自治会がおかしい」「自治会長が知らないのはあなたの怠慢だ」「自治会長がまとめてください」「自治会長は毎日家にいてくれる人でないと・・・」等々、いかにも自治会がやるべきことをやっていないかのように責めてくる。
しかし、自治会長というのは管理人を職業としているわけじゃないし、普通に家賃を払って住んでいるただの一住民なんだよ。しかも、そういうことをしろというのなら、自治会の役目としてすべきことやマニュアル等をちゃんと提示してくれよ。
鍵については、前回の自治会長さんが持っているのなら当然引きついでいるはずだ。数年前に自治会長をしていた隣家の人に聞いてみたが、やはり預かったことも見たこともないとのことだ。いまだかつて自治会で管理したことはなく、今もしていないことは確かだ。

だが、休日や緊急事態のときはいちいち公社から持ってくるのではなく、団地内でなんとかできるようになっているのが当然でもある。以前は管理人さんというのがあってその人が管理していたかもしれないが、それは何年も前に廃止されたという。一応以前管理人さんだったお宅に電話してみたが留守で連絡がとれなかった。もし公社のほうからこのお宅が引続き管理しているという情報でもあればスッキリするのだが、わからずじまいだった。
結局、業者さんから公社のほうにもう一度問い合わせてもらうということになり、その後どうなったかはわからずじまいである。

すっきりしないなあ~


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ミス・サイゴン

2008-08-30 21:25:14 | 日記
8月26日に観た“ミス・サイゴン”について書かなくてはいけない。
「書かなくてはいけない」とは書くのがなかなか大変だというニュアンスだが、まあそういうことだ。こういうのは読書感想文と同じで書くのが難しいのだ。
(「ネタバレ」になっていますので、これから初めて見るのを楽しみにしている人は読まないでください。)

内容は見るまでまるでしらなかった。ベトナムの娘とアメリカ軍で働く青年の悲しい恋の話だという程度である。そこから、ぴんとこなくてはいけないはずで、これはベトナム戦争を背景にした話だったのだ。しかし、戦争の話ではなく、あくまでも人間の生きざまの話なのだそうだ。だが、やはり「戦争」というものが起こした悲劇なんだから、この作品から「戦争」の要素を消し去ることはできない。

あらすじは考えてみれば、ありふれたストーリーであるのかもしれない。日本でも同じようなことがあった。その国に駐在していた外国人と現地の娘が恋におち、やがて外国人は本国に帰って行く。身ごもった現地の娘はそこに残されその後1人で子どもを育てる。
そのようにして生まれた混血のこどもは実際いっぱいいて、現実のスライドで劇中に問題提起もされているが、その数だけそれぞれの人間のドラマがあったことを物語っていた。

この舞台の物語では、この2人の愛は戯れではなかった。男性クリスはベトナム人の恋人キムと本気で結婚し、サイゴンから撤退するときにはキムをアメリカにつれて行くつもりだった。しかし、そこで予想外の状況が起きて、ひきさかれるようにあえなく自分だけが帰国することになる。
その後、新しく生きなおすためにアメリカ人女性と結婚するが、クリスの記憶からベトナム戦争にまつわる悪夢は消えない。帰国して3年後に、キムが自分の子を生み、育てていることを友人を介して知り、そのことを妻に打ち明け、妻と友人とともにベトナムに探しに行くという誠実な男性だ。しかし、新しい妻を捨てることもできず苦悩する。キムはクリスの妻と遭遇しショックを受け、そして息子タムだけには、クリスの息子としてアメリカ人として幸福になって欲しいと願い、クリスに息子を託すと、自分は自害してしまう。

この作品の中で、サイゴンの人にとってアメリカとは、豊かで自由があり、夢を実現できる楽園のようなあこがれの国だった。
日本では、貧しかったとはいえ戦後にそこまでアメリカにあこがれてはいなかったように思う。それは政府のあり方が違ったからだろう。だから、アメリカ人の子どもを生んだ母親が自分の幸福を犠牲にして、子供だけでもアメリカ人にしたいとまでは思わなかったのではないかと思った。ベトナムに比べると日本の戦後のほうがはるかに状況がよかったと言えるだろう。

劇の途中で、エンジニアと呼ばれるキャバレー(売春宿)の主も、そのひとつ前の時代のフランス人とベトナム人の混血で、かつて同じ境遇で生まれた子であることが示されていた。彼は、なんとかしてアメリカに行き幸せになろうとあこがれている。
その様子から、どれだけサイゴンの人にとってアメリカが夢であったかがひしひしと伝わってきた。アメリカに行きさえすれば幸福になれるという安易な夢があまりにも悲しい。それが現実離れしているのは誰が考えてもわかることだが、それでもその夢を見続け、それをカテに生きるしかないのは、あまりにも現実の生活に夢の持ちようがないからだろう。
皮肉なことには、その現実離れした夢があるからこそ、何とか力強く生きることができているという現実だった。エンジニアの生き方は、客観的に見たら悲しく愚かで虫けらのようなものかもしれないが、観客はしだいにその姿を応援し、その人間に愛着さえ覚えていく。

キムとクリスの子、タムは産みの母を失いながらもアメリカ人として幸福に生きていけそうだが、エンジニアという人物を描くことによって、アメリカ人にならなくても人はなんとかそれなりに強く生きていくもんだという道も示されているのはこの作品の大きな力であろう。
別所さんの存在感は強く、「アメリカンドリーム」は、非常に印象に残った。

そのほかの重要な登場人物としては、キムの元いいなづけというトゥイがいる。
この男がこの劇の唯一の悪役でもあり、キムにしつこく言い寄るとともに、後には新政府に鞍替えして立派な地位を得て、さらにキムにクリスの子タムがいることを知るとタムに危害を加えようとするような卑怯な男だ。
そしてついにキムが息子を守るためにこの男を殺してしまうという大変な事件。ここで子を守ろうとする母親の姿に心を打たれた。
その後のキムとタムを守るのが、さもアメリカンドリームのためであるかのようなエンジニアだった。守った動機は、いつもうさんくさい彼のことで自分の都合かと思いきや、それだけでなく、自分自身がタムであったからだということが、私たち観客にだんだんにわかっていく。物語の展開や伏線が、非常にうまくできていた。

このミュージカルで印象に残ったのは、やはり大掛かりな舞台装置である。建物の装置などが割れて場面転換されるのもすごいが、何よりも実物大のヘリコプターが宙から降りてくる場面の迫力はすごかった。そこで、アメリカ軍がクリスを無理やり載せて帰国し、キムたちがフェンスの外に置き去りにされていく場面は悲惨だ。
宙から降りてくると言えば、アメリカンドリームを語るエンジニアの場面で、大きな自動車と華やかな女性もすごい迫力だった。
過去の記録を見ると、これらの装置がうまく転換できなくて劇が中断してしまうというアクシデントが起こったこともあるそうだが、私が見たときはすべてうまく行っていて、すごいなあと思った。
迫力と言えば、ホーチミンになったときの指導者の銅像やそれを崇拝する行列の様子もすごかった。
こういうダイナミックなところがミュージカルの魅力でもある。

ところで、重要なのは歌である。
キム役はソニンだった。ソニンの歌は普段下手ではないし声量があると思って期待していたが、感情の込め方にちょっとヒステリックな感じを受けた。感情がたかぶり、何かを訴える部分で、激しさとなって出すぎるようにも感じたが、気のせいだろうか。そして声が固く伸びるのでクリスとハモるところで、声が溶け合うのではなく、ぶつかり合うように感じた部分が何度かあったのが気になるところだ。
一方、友人のジョン(岡幸二郎)やクリスの妻(シルビア・グラブ)の歌声が声楽家のようにとてもきれいで聴かせてくれた。最初のストリッパーのようなかっこうの売春婦ジジ(池谷祐子)の声もすごくきれいだった。基本がしっかりした劇団の人という感じで、安心して鑑賞することができる。
しかし、ソニンさんの場合、歌う場面や出演場面が他の人たちよりも多く、かなり疲れるだろう。
劇が終わったあとのカーテンコールで、かなり体調が悪そうに思えたのも気のせいだろうか。席が遠くだったので顔の表情はよく見えないのだが、あまり笑顔がなかったようだし、お腹のあたりを片手でおさえていたように見えた。ソニンさんのいつものパワフルな明るい感じがなかったので、この日はもしかしたら最初から調子が悪かったのかもしれないと後で思った。
クリス(井上芳雄)については、歌が良い悪いの特段の印象はなかった。エンジニアの別所さんは、歌を歌う人というイメージが今まで私の中になかった分だけ、歌ったり踊ったりできるんだなと再認識したしだいだ。

人のブログを見ると、ミス・サイゴンを何回も見ている人が多い。そういう人たちは、筧さんや市村正親、他の人の演じるエンジニアや、知念里奈や他の女優の演じるキムなどを見比べて楽しむ人も多いようである。それによると知念里奈もかなり評判がいいようだ。
数人のキャストを交代で出演させているため、そういう楽しみもでき、同じ物語でありながら、毎回毎回違う楽しみを得ることができるのも、この公演の魅力だろう。

とは言っても、私の場合、そんな予算はないから何度も見ることはできないが・・・。

この作品、ミュージカルとしてとてもすばらしいものだと思うが、映画だったらまたもっと細やかな部分も演出できて、それもいい内容のものができるんじゃないかなと思った。

人の生き方、愛の問題、子を思う母の気持ち、のみならず、実際にあった歴史や戦争についても考えずにはいられない、様々なことを含んだ大きなテーマの作品だ。



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洗濯機がキター(゜∀゜)ー!

2008-08-30 15:14:03 | 日記
昼ごろ、新しい洗濯機がやってきました。
それが、配送員が2人で来ると言っていたのに、1人だったので、大丈夫かな~と心配しました。
すごいもので、1人で3階まで階段を上って洗濯機を背負ってこられたのですが、問題はベランダへの設置です。
洗濯機置き場は、出っ張った柱の奥にあって、その柱のでっぱりのせいで、一旦洗濯機をベランダの手すりの上外側にでっぱらせないと入れることができないような構造になってるのです。まず、奥に1人入り受け取るという方法ができればいいのですが、そこは狭くて洗濯機が1台入ったらいっぱいになってしまうような場所なのでそれもできません。
ですから、夫の話では、以前は2人がかりで、1人がベランダの手すりの上に乗っかって落ちそうな状況で非常に危険な体勢で設置したと聞いています。
それが1人だったらどうなるのか。夫は「俺は腰を悪くするから手伝えないぞ」などとさっそく自分守り姿勢を決め込みました。
「ちょっと大変な場所なんですが大丈夫ですか?」と申し訳なく思いながら立ち会っていると、「大丈夫です」とのことで、1人で洗濯機を抱えあげると見事に設置してくれました。
もちろんその前に、古い洗濯機もみごとに持ち上げて片付けてくれました。
うわ~すごい技だな~、プロは違うな~とほとほと感心しました。
運んでくれたのは、まだ20歳前後とも見える若者でした。けっして筋骨たくましい体格ではなく、細身で普通の人でした。顔や髪型はダイゴのような感じの、いま風の青年です。大きなトラックを運転してきて1人でこんな大きなものを運び、そりゃあすごい働きですね。
アルバイトなのかな~。夫なんかまったく使い者になりませんなあ。なさけない。
こういう人がいることは本当にありがたいですね。ただただ感心、感謝するばかりです。
夫は娘と同じくらいの若者が、自分には到底できないことをみごとにやってのけてくれたので、感心して、ビール代にでもとチップを渡していました。さすがに能力を買ったようですよ。私も満足です。

古い洗濯機さんは引き取られていきました。そういえば最後に別れを告げるのを忘れていました。酷使するだけ酷使して、全く手入れもせずにお払い箱にしてしまい、本当に申し訳なかったです。
人間に対してもこんなふうにしていることが多々あるかもしれませんね。
働くのは当然だと思って、使い捨てにするのはいけないよね、世の中は。
蟹工船みたいだよね。
せめて今度買った洗濯機は大切に使おうと思いました。

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ショックなこと

2008-08-30 11:11:03 | 日記
いつも愛読させていただいているブログがあるのですが、その著者(奥さん)のご主人が亡くなったそうです。そのブログはもうずっと以前から読ませていただいているのですが、コメントなどはしたことがありませんでした。
ご夫婦共に役者のようで、奥さんのほうはナレーションや声優などもされているようです。
ブログには、ご主人の舞台や映画出演の様子なども書かれており、ダンディーで素敵なご主人の様子がよくわかりました。また、学生時代からの恋愛結婚だったようで、とても仲の良いご夫婦だったようです。
年齢的にも我が家とあまり変わらないのではないかと思います。

そのご主人が、以前から癌の治療をされていて、これまでは抗がん剤が効いており、定期的に治療をすれば大丈夫な状況だったようです。
ところが、今年になって、今までの抗がん剤が効かなくなり、別の薬がまた効かず、さらに別の薬を使ったところ、その薬が体に合わなかったそうです。そして、これまでに使用した抗がん剤の副作用と、癌自体も悪化してしまい、この数日で急に容態が悪くなり、ついに亡くなられたとのことでした。

今まで、ご主人の元気な様子などを読ませていただいていただけに、こんなことになろうとは思いもよりませんでした。
先日、ミス・サイゴンを見に行ったときも、以前ブログでそのご主人が、あるオペラの脇役で出演したことなどが書いてあったのを思い出したところでした。主役がソロで歌う舞台の隅のほうで演技をする様子など、ああ、こういう感じで出演してたんだななどと思ったりしたばかりでした。

人というのは、こんなに急に亡くなっていいものなのでしょうか。
そういえば、深浦加奈子さんも、数年来癌を患いながら仕事を続けてきたそうですが、8月の初めのころに具合が悪くなったそうです。
長年闘病していると、そのまま治療を続ければ大丈夫なんじゃないだろうかと思ってしまいます。そして、病巣を抱えながらも毎日元気に笑ったり話をしたりしていたその人が、急にいなくなってしまうなんてとても考えられません。
でも、それが現実で、それを受け入れなくてはならない。
癌というのはやはり、すごく怖い病気だと思いました。

幸いうちの夫は高血圧程度で特に病気にはかかっていませんが、毎日一緒に暮らしている伴侶がいなくなるということはどういうことなんだろうと考えずにはいられなくなりました。
こんなやつと思うことが多いですが、頼りにするのを当然としているのも確かです。
伴侶を失うということは、本当に大変なことなんだと思いました。

ご主人のご冥福を祈ります。
とても辛いことですが、奥さんは、これからも天国のご主人に守られて強く生きていかれることと思います。
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洗濯機を買いに

2008-08-30 03:31:05 | 日記

今週はなんだか非常に疲れてしまい、更新が進みません。
昨日も今日も、夕飯のあと寝てしまいました。
今日は目を覚ますと2時を過ぎていました。
外は昨夜9時ころからすごい雷雨が続いています。こんなに雷が鳴り続けるのも珍しいです。

今日(29日)は残業1時間。昼前から午後にかけて書類チェックの仕事依頼がなく、パソコンで資料をまとめていたのに、3時近くになってから今日中という仕事が入ってきて、結局残業になりました。なかなか時間配分がうまくいかないですが、仕事とはそんなもんですね。
残業では大して疲れはしないのですが、それよりも、暇な時間にパソコンで資料をまとめていたのが目の疲れになって頭痛と肩こりがひどくなってしまいました。

それから帰宅してみると、夫が洗濯機が壊れたというのです。確かに最近調子が悪く、途中で止まってしまったりしていたのですが、手動で継続させればなんとかできていました。それが完全に、できなくなっちゃったのです。
私が朝スイッチを入れて行った洗濯物が、脱水されずに残っていて、その後何度やっても動きません。
修理を頼むと出張費が5000円で、修理を入れて最低1万5000円はかかるそうで、しかも、すぐというわけにはいかず、部品がなければ数日かかるとのことでした。
新しいのを買えば翌日持ってきてくれるそうです。
それで、急遽洗濯機を買いに行きました。
本当に壊れてしまったのかな~、直らないのかな~。
まだ、4年くらいしか使っていないので残念です。

我が家の場合、いつも書いていることですが、古い公営住宅なので、洗濯機はベランダに置いてあります。一応屋根はありますが雨も吹き込むし、この夏の猛暑日に直射日光にあたったりもしているので、マイコンが狂ったかなとも思えます。
置き場所が、もともと2槽式の洗濯機を置くように設計されているため、足場が全自動の形に合わないというのも難ありです。なんか洗濯機は長持ちしません。以前のも5年くらいしかもたなかったようです。

洗濯機売り場に行くと、29万8千円などというドラム式のすばらしい洗濯機もありました。新式は10万くらいしています。水もあまり使わず音も静かなようです。
しかし、そういう形の洗濯機は我が家には置けないので、水をためて洗う旧来の全自動洗濯機しか選べません。窓を隔てて浴槽があるので、給水ポンプのついたナショナルのものにしました。置き場所のサイズ制限に合い、さらに在庫のあるものとなると、もう必然的にそれに決まりました。

洗濯機売り場を見ても格差があるな~などと思いました。
新式の洗濯機でも金額としては買おうと思えば買えますよ。でも、置くところがないのです。悲しい~。
室内に洗濯機を置ける家に住みたい!

そんなわけで、明日は洗濯機をベランダに持っていくまでの経路をなんとか片付けなくちゃ。




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ミュージカルを見に

2008-08-27 21:40:02 | 日記
先日、帝国劇場に“ミス・サイゴン”を見に行きました。
ミュージカルなんて20年このかた見ていません。どういう風の吹き回しか、というと、このあいだ出光美術館に絵を見に行ったときに、帝国劇場からぞろぞろ出てくる大群を見て、いったいこの人たちは何?と興味を持ったのがきっかけです。
「この人たちは、ミュージカルなんていう派手な楽しみをしているんだなあ」と思い、その時は「自分には関係ないや」と思ったのですが、どんな内容?いくらすんの?と調べたりしてみました。
その後、長女が、平日休みで友達もいないし、暇だから一緒にどこかに行きたいといっていたので、ふと、そんじゃあアレでも見に行ったらどうかな?と思いついたのです。
それに、チケット購入について調べていたところ、なんと学割当日割引券というものがあることを知ったのでした。
チケットは普通、S席13500円、A席9000円、B席4000円です。それが、当日学割チケットだと、S席9000円、A席4000円になります。
13500円×2なんてのは最初から問題外ですが、9000円×2なんていう出費も絶対に無理ですよ。まあ、4000円×2ならなんとかなるから、最初はB席でも買おうかと思ったのですが、学校で「ラ・マンチャの男」を見に行ったことのある次女が「遠い席だと豆粒みたいで何やっているかわからないよ」と言っていました。
私の分は放送大学生で学割になります。長女はすでに大学を卒業してしまったので「次女の専門学校の学生証でちょろまかせないか」というのがアタマによぎりましたが、娘たちは顔が似ていないので無理そうでした。そんなせこいことをしてバレたら恥ずかしいので、不正はやめときました。
それで、1枚だけでも学割が効いたら、A席2枚で9000+4000=13000円、1枚当たり6500円で買うことができます。まあ、それで奮発しようかなと決めたわけです。
平日の昼間なので席に余裕があり、チケットは当日でも買うことができる状況でした。
席は1階のW席という一番後ろから2列目で、出演者の顔の表情はわからない状況でした。まだ、少し前のほうに空席があったので、もう少し前のほうか、あるいは後ろのほうでも中央の席だったらよかったと思いましたが、学割となると限りなくB席に近い席なのかもしれません。
でも、限りなくA席に近いS席の人は高いお金を出してかわいそうだねと娘と話しました。
B席というのは少ししかないそうです。よほど端の後のほうの席なのでしょう。席割を見て驚いたのですが、大部分がS席でした。だから、A席っていうのはまあまあの席かと思っていたのですが、そうではなく、A席は実はあんまりいい席ではないのでした。
劇場の席につくと、なにやら吹奏楽のような音が聞こえてきました。そこで初めてミュージカルっていうのは、ナマ演奏だったのだと気がつきました。なんかウキウキします。
客席の前方、舞台の下のほうに楽団がいて指揮をする指揮者がかろうじて少し見えるのでした。
出演者もたくさんいるし、これではチケットは高いわけですね。人件費ってことですね。

以前、ミュージカルを見たのは、もう20何年も前ですが、森繁久弥主演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」でした。その日は森繁さんの誕生日(5月4日だったようです)でお祝いと感謝の意味だとのことで、客席に1つずつ柏餅が置いてありました。ラッキーでした。森繁さんは現在95歳とのことなので、当時でも70歳くらいだったかもしれません。
その後、テヴィエの役は上條恒彦さんに代わり、その後西田敏行さんになり、今は市村正親さんになっているそうです。西田さん以降は知りませんでした。
森繁さんの「屋根の上のヴァイオリン弾き」はカセットテープを買って何度も聴きました。そのほかに見たことのあるミュージカルは劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」です。出演は鹿賀丈史さんだったかな。
あっ、劇団四季は「オペラ座の怪人」も見ましたね。「オペラ座の怪人」は市村正親さんでした。市村さんと言えばミュージカルではありませんが「エレファントマン」も見ました。あれは当時映画とともにかなり話題になりましたね。
思い出すと、独身のころはかなり楽しんでいたようです。都民劇場っていうのに入っていて一人でよく見に行きました。OL時代は同じ趣味の友達がいなかったので、だいたい一人でした。当時から変なひとだったかもしれません。都民劇場の新劇サークルってのに入っていて、月会費1500円くらいだったのではないかと思います。それで、年に7~8回劇が見られるので、割安になっていたと思います。高い劇や話題作のときもあれば、そうでないものもありました。いい席のときもあれば変な席のときもありました。パントマイムや人形劇などあんまり気が乗らないものの時もありましたが、都民劇場の会員になっていたので、決められた劇を見るという受身的な状況ではあったものの、いろいろな劇を見ることができました。
自分でチケットを買って見るっていうのは、考えてみると初めてです。
ミュージカルのチケットも時代と共に高くなっています。これは今の自分にとっては本当に大奮発です。でも、もう20年以上も見てなかったんだから、そのくらいいいじゃないかと思います。年に1回くらい見たっていいかな。
それに、学割は使わなくちゃ損ですね。学割使ってもかなり高いですが、なんだか癖になりそうです。

どうでもいいことばっかり書いてしまいました。
肝心な「ミス・サイゴン」について書かなくちゃね。
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深浦加奈子さん

2008-08-27 01:04:10 | 日記
「25日、女優深浦加奈子さん死去(48)」というニュースのタイトルを見て、私と同じ年だけど、どんな女優さんかなと写真を見てみたら、名前は知らなかったのだが、よく知っている女優さんだった。
「ナースのお仕事」や、そのほかいろいろなドラマにでていて、演技力もあり個性もあり魅力のある女優さんだった。そういえば、最近見かけなかったかもしれない。

役者さんというのは、テレビによく出ているときは「売れているな」などと思いながら見ているが、出なくなったからといって、「出ないな」とはなかなか思わないもので、人々の意識から消えてしまいがちだ。そのまま家庭に入るとか引退でもしたのなら、忘れ去られることも多々あると思う。しかし、亡くなったとなるとその人の記憶がもう一度強められ、あらためてその人の力量を確認することになる。本当に残念だ。

記事を読むと、深浦加奈子さんは、1960年4月4日生まれということで、私の生まれた年と同じだが、学年では私のほうが1つ上になる。2ヶ月半くらい私のほうが早く生まれている。この人、私は自分よりももっと若いと思っていた。
自分と同じ年の人が病気で亡くなるというのは、ショックなことだ。

病名はS状結腸がんだそうだ。腸の癌は比較的進行が遅く、癌の中では治療もしやすいと聞いている。早期発見で、他に転移がなければ手術で切除することも難しくなく、ほぼ完治できる。腸の癌では、石坂浩二さんや、渡哲也さんなどが完治している例である。渡哲也さんは直腸がんで人口肛門になったというニュースが何年も前に流れたが、その後も俳優として普通に活躍しているので、同じ病気の人には心強い。

深浦さんの場合、医学も進歩しているのに、どうしてこんな若さで・・・と思うが、女優さんなどの場合、多少調子が悪くても、忙しくてなかなか病院に行って検査をしたりする暇がなかったのかもしれない。記事には詳しいことは載っていないが、それで手遅れになってしまったのかもしれない。膀胱がんの松田優作さんなどもそうだっただろう。
どこか具合が悪くなったら、早く病院で調べてもらうに越したことはない。

実は、私の家系は、腸の癌が多い。父方にも母方にも結腸癌・直腸癌で亡くなっている叔父叔母が複数いる。それで、自分自身、数年前、成人健康診断の便潜血反応の検査でひっかかり調べた結果、9ミリほどの苺のような形のポリープができていて、それを内視鏡で切除した経験がある。
その場所がS状結腸のあたりだった。細胞を調べた結果、悪性ではなかったが、放置しておくと癌化する可能性が高いのだそうだ。
だから、その後も内視鏡検査をしたり、便潜血反応の検査をし、また、腫瘍マーカーの血液検査などもするようにしている。
あのポリープを放置していたら、今ごろ癌になっていたかもしれないと思う。

今、こうやって元気でいても、体の中にいつ異常が起こるかわからない。そう思うと不安になるが、とにかく早期発見早期治療が大切だ。
また、腸の場合は、欧米系の食生活にならないように気をつけよう。

女優、深浦加奈子さんが亡くなったのは本当に残念だった。もっとずっと年を取るまで女優として活躍してもらいたかったなと思う。
また、深浦さんは私と同じ年で、まだこれからの人生に夢や計画もあったことだろうにと思うと辛い。喪主はお父さんとのこと、親御さんの悲しみも察する。

健康にも気をつけよう。
そして、みんなが健康でいられますように・・・。

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持つ者と持たざる者2

2008-08-26 00:11:05 | 日記
時々会社で一緒にお昼を食べる人たちがいる。女子が集って食べるわけだが、中年のおばさんもいれば、若い女の子たちもいる。
その中には、家のある者と無い者、恋人や配偶者の有る者と無い者、正社員と非正社員、所得の多い者と少ない者、学歴のあるものとないもの・・・・などがいる。

人は何も考えないで思ったことを話すもんだ。
配偶者ののろけ話、収入の多い夫がいて本人も正社員である女性、マンションを買った話、外車の話、別荘の話、出身校の話、エトセトラ・エトセトラ・・・

自慢しようとしているわけではないのはわかる。
その人にとっては当然のことなのだろう。

でもね、結婚したくてもできない人がいるんだよ。
家だって買えない人もいる。
正社員になりたくてもなれない人がいる。
「働かなくても別にかまわないんだけど、暇だから働いてます」なんていう正社員
あなたは、恵まれすぎているんです。

あなたは何でも持っている。
でも目の前に何も持っていない人もいることや、そういう人の気持ちを考えてみたらどうかな。

いや、あなたのような天真爛漫な人に、そういうことを考えろというのは無理なことはわかってるよ。


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持つ者と持たざる者

2008-08-25 23:51:08 | 日記

昨日テレビを見ていたら、富豪の家の紹介のような番組をやっていた。もう御殿かお城のようで、そこで優雅な毎日を暮らす夫婦の様子などが紹介されていたのだった。
こういう人は、なんでこうまで広く贅沢を尽くした家屋を建てたがるのだろうか?
それに比べて我が家はなんとせせこましく小さいことか・・・。
それは、同時に、そこに住む人間のスケールを表わしているのだろうか・・・。
有能な人間とバカな人間の差だろうか?働きものと怠け者の差だろうか?
生まれながらの星の違いなのだろうか?
紹介された大部分の人は、そんなに大きな会社ではないものの、何か事業をしていて、それが成功して財を築いた人たちだった。
それは偉いよ、たしかに。
でも、あのとんでもない贅沢な家は何?どうしてそんなに儲かるの?
不等に利益を得てるんじゃないのか????
どうしてもそんなふうに思ってしまうのだ。社員全員がこんな家に住んでいるわけではないし、多少のまともな家に住んでいる割合さえ多いとはいえないかもしれない。
もし仮に、会社が社員全員を裕福なものにするくらい儲かっているのだったら、それはお客さんからお金を取りすぎているんじゃないかな?などと思ってしまう。誰かが損をしていない限り、誰かが儲かるわけはないと思う。
経営者が労働者より並外れて裕福なのはしかたがないことだ、当然のことだ。
しかし、あまりにも違いすぎる。
だが、彼らは本当に幸福なのだろうか?
私はあまりにもお粗末な自分の家にはもう何の夢も期待も持っていない。
しかし、夢を実現し、限りなく豪華な住まいを実現していく人たちに、どこか虚しいものさえ感じてしまった。
あんなホテルのような宮殿のような家は要らない。
普通の家があればいい、と家のない私は思う。
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オリンピック終了

2008-08-25 00:34:13 | 日記
今日はオリンピックの閉会式と聞いていたが、夜テレビをつけてもやっている気配がないので、いつやるのかな?もう終わったのかな?などと思っていた。
老眼鏡を取り出さないと新聞のテレビ版も見えなくなってしまったので、番組表を確認するのも億劫になっている。視力は1・5だが、老眼のみならず、乱視が進んでいるようである。
後で確認すると閉会式は日本時間の夜9時ころから始まっていたらしい。
私は日曜ドラマを毎週見ているので、その時間はもし閉会式をやっていると知っていたところで、ドラマのほうを見ていた。
ドラマが終り10時もかなりすぎてからチャンネルを回すとNHKで閉会式をやっていた。
歌手や有名人が歌を歌い、炎のようなものが飛び交い、宇宙飛行士のようなものが宙に舞い、開会式と大して変わらないようなゴテゴテのお祭騒ぎが映っている。そして、最後には大量の花火が打ち上げられた。現地のアナウンサーがすごい迫力だとか言っているので、今度はCGではなく、本物のようだなと思ってみたが、なにやらもうあんまり興味も感動ももてなかった。

オリンピックの放送と言うのは、どうしてどこも同じことしかやらないのかなと開幕以来思っていた。メダルが取れるか取れないか。取れたらその選手にインタビューし、ちやほやする。メダルを取った日本選手についての情報が取材され流される。すべてどの局も同じである。
日本の選手でなければ、メダルを取ってもその選手のインタビューの内容さえ写されない。
その人がどういう経歴の持ち主なのかなど外国人の場合全くわからない。
外国人にまでインタビューしている暇はないのだろうか?外国人の情報まで入手する暇がないのだろうか?
国籍に関係なく、メダルを取った選手の感想などを流してもらいたいものである。
日本人が出ない、あるいは出てもメダル圏内に全く入らないような種目はほとんど放送さえされないようである。テレビで放送されないだけでなく、新聞などを見ても外国人の情報はあまり載っていないような気がする。

どのスポーツも選手は各国の看板を背負っているが、その監督や指導者はその国の人でないことも多い。また、外国で訓練を受けたりもしているのが普通だ。そういう意味では、国対抗というのも今後はあまり意味がなくなってくるかもしれない。今や国力をスポーツで示すというような時代でもない。だから国を背負わないでもっと1人の人間、1つのチームとしてとらえたらどうなのだろう。また、多国籍の人たちが混じるチームやペアなどがあっても面白そうである。

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男子マラソン

2008-08-24 19:03:11 | 日記
いよいよオリンピックも最終日となった。
今日は、朝から男子マラソンを見ていた。男子の日本選手は、女子の選手が選出の段階から大きく報道で取り上げられていたのにくらべ、あまり話題になっていなかったようで、誰が出るのかもしらなかった。それで、メダル候補になるような人はいないのかなと思いつつ、でも、もしやと思い見始めた。

男子は女子と違って最初からスピードの違いが顕著だった。第一集団はアフリカ系の黒人の人たちばかりで、それからしばらく後ろに白人のトップがいて、さらにもっと後にやっと黄色人がいると言う具合だ。女子が人種の区別をあまり感じさせない順位だったのに対し、男子の場合は、黒人が圧倒的に強かった。

日本人選手は振るわず、残念な結果だというのが、世間大方の感想のようだが、途中で20何位とかそれ以降だとかいうことだった緒方が、後半次第に順位を上げて13位にまで上がってくれたのは、よく健闘したのではないかと思う。黄色人種の中では一番だったのでは・・・。また、佐藤は76位で、完走者の中では最下位とのことだが、100人近く走った中で、途中棄権者も多い中、完走したことは偉いと思う。もっとずっと上の順位の人でも、入賞できないと判明した段階で、あっけなく途中でやめているふうに見えた外国人などもいた。日本人の場合、佐藤がもし完走しなかったら、あとの1人もスタート前に棄権していることだし、みんなもっと残念な思いをしていると思う。
だから、最下位であろうとちゃんとゴールして、そして、礼儀正しくお辞儀をしている姿に感動した。
こういう結果でインタビューに答えるのは、本人が一番つらいはずである。でも、ゴールする人間の中には、必ずトップがいて、最下位もいるのだ。その人たちみんな走りぬいた人たちで、その努力を労いたい。
日本人の選手の人たちは、今回の苦い経験を活かして、今後頑張ってくれるものと思う。

ところで、やはり、オリンピックスタジオに一番で入ってきて、観衆の声援を浴びながら走るトップの選手の気分はいいものだろうなと思った。金メダルはケニアのワンジル。ケニアは初めての金メダルだそうだ。そして、この人は、仙台の育英高校時代から日本でマラソンの訓練を受けていて強くなった人だということが、日本にとっての大きなプレゼントだった。
日本語でインタビューに答えてくれているのをみて、まるで日本人が金メダルを取ったかのように嬉しくなってしまった。

このワンジルはゴールした瞬間に胸で十字を切り、その後地面にひざまづいてまた十字を切っていたのが印象に残った。神に感謝しているのか、黒人の人たちもキリスト教が多いようだ。キリスト教の人というのは、走りながらも神に祈ったりしているものなのかもしれない。

また、今回のマラソンの場面では、途中でワンジルとトップを並んで走っていたエチオピアのメルガが、スペシャルという飲料をワルジルに譲っていたのも印象的だった。
ワンジルは手で感謝のしぐさをしていたが、その直後にスピードを速めてトップに躍り出た。メルガは、同時に次第に疲れを見せて遅れていったように見えた。メルガは、飲料を渡した時点で自分の限界を悟っており、ワンジルにトップを譲る覚悟だったのかもしれない。
こういう、国の違う人が、他国の選手に対して真心を示すという様子に、非常に心を打たれた。
また、ワンジルがゴールして十字を切っている姿を見た時に、聖書の中に、国や信仰の違う人にも救いの手を差し延べることを教えたイエスの教えを思い出した。
確か、聖書の中にサマリアの水汲みの女から水をもらおうとするイエスの話があった。当時、ユダヤ人はサマリア人と仲が悪く、お互いにかかわりを持とうとはしなかったので、水をくれと頼むことはないはずだ。だからイエスの行為に女は驚き、そこで、話すうちにイエスが預言者であることがわかり、そのことがサマリア人にも伝道される。
ワンジルはメルガからスペシャルを与えられたときに、メルガに感謝すると同時に自分に神の応援があることを確信したのではないのだろうか。だから、急に速くなったのではないかなと感じた。
ケニアとエチオピアというのは、地図を見ると隣同士の国のようである。もともと選手同士仲がいいのかもしれないが、国が違い走者としてメダル争いの敵であることには違いがない。
女子マラソンでは中国の2人の選手が一緒に走り、常に水や物品を共有していた様子には、すごい合理的戦略だな~と思ったが、そのようなことは舌を巻くことはあっても感動などするはずもない。全くわけが違うのだ。
男子マラソンは見ていて気持ちがよかった。
ケニアのワンジルに続いて、2位はモロッコのガリブだった。そして、その後にはワンジルに優しさを示したメルガがゴールに近づいていたので銅メダルをとってもらいたいと応援したが、すんでのところで4位の人にぬかされてしまった。抜かした人が同じ国エチオピアのケベデだったのが、救いではあった。5位はケニアのレルだっただろうか。黒人勢が圧倒的だ。
13位だった緒方がゴールした後、地面に足を投げ出して座っているワルジルと親しげに話していた様子は友好的でいい感じがした。

金メダルのワンジルは、日本で我慢することを学んだそうだ。信仰があり、さらに我慢することを知っている選手は鬼に金棒かもしれない。
日本人は走る時に何を思って走っているのか。日本人は無宗教なので、神に祈りはしていないのかもしれないが、最後まであきらめずに走る姿を見せてくれたと思う。

今回のマラソン選手では、ワンジルのように絶好調の人もいたが、日本選手は男女ともにオリンピックにむけての練習や調整に失敗した人が多かった。外国人でも途中棄権などが多いような気がするが、いつもこんなにたくさん途中棄権者がいるものなのだろうか。
もう少し何日かしたら、勝敗についての色々な分析や、北京の環境についての情報なども、いろいろでてくるのかなと思う。

テレビで解説に出演していた人が、宗茂だということに気がつき、懐かしかった。もうずっと昔かもしれないが、宗猛と宗茂の双子の兄弟、マラソン強かったな~。瀬古さんもいたな。昔の選手が今も指導者として活躍していることを知りうれしかった。

日本人選手が強かったあんな時代、また来るといいですね。
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そういうわけ?

2008-08-23 10:36:18 | 日記
私の住んでいる公営住宅は、昭和30年代に建てられたもので、2~3年のうちには建て替えの話が具体化されるらしいです。
でも、それが難しいことの理由は、建物の建て直しの予算や方法など、物理的な問題のみならず、建て替えをしている間に、住人がどこに移るかというのも大きな問題らしいです。
確かに、近隣にちょうど移れるような仮住まいとなる公営住宅が都合よくあるわけがありません。子どもがいる人は学区が変わってしまうのは困るとか、お年寄りの場合は、住み慣れた土地がいいし、かかりつけのお医者さんを変えたくないなどということも確かに重要な要素です。他の区や他の市に移るのは、なるべくなしにして、できれば同じところがいいというのは確かにいえます。
また、最近知ったことに、このことに「選挙区」も関連していることがわかりました。
早く建て替えしてほしいよ~、お年寄りが多く、空き家ばかりで困るよ~
このままでは、建物が崩れ落ちるか、廃墟の中の数件の住民になるか、どっちかだよ~
建て替えを早く進めるには、議員さんにお願いすればいいかな、
何党の議員さんが、力になってくれるのかな、と思ったのですが、
建て替えするなら、移動先を近隣に用意せよ というような運動を、住民とともにすでにしている議員さんがいるみたいです。
それで、「近隣に用意できないくらいなら、建て替えるな」ということになってしまうんでしょうか。どちらかというと、議員さんて、建て替え反対派?
それは、住んでいる人が住みなれたところに住み続けることや、子どもが学校を転校しなくていいということを理由として、住民の立場に立って主張しているってことのようですが、そんなこと言ってたら建て直しはいつまでたっても不可能だよ・・・。
「建て替えは当分ないし、反対すれば出て行かなくても大丈夫です、安心してください」っていうのはどういうことなの?
ン? もしかして、議員さんにしてみると、支持者が選挙区の外に引越しちゃうと困るってことかな。
議員さんて、何考えてるんだか、なんかわかんないな~
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右直事故とは

2008-08-23 00:53:41 | 日記
最近、ある場所で、「バイク右直重大事故多発地点」などと書かれているのを見掛け、
「なんだ?右直事故って」と不思議に思った。
右に曲がるってことか?それともまっすぐってことか?それぞれの両方か?それとも、右に曲がってからまっすぐ行った先で事故に遭うのか?それとも右に曲がって直ぐに事故に遭うってことか? ???わけがわかんないなあ~
交番でおまわりさんにでも聞いてみようかと思ったが、
帰宅してインターネットで調べてみると、便利なもので、ちゃんと説明が出てきた。
右に曲がる車と、反対車線正面から直進してきた車が衝突することらしい。
車を運転する人にはよく知られている言葉のようだ。
直進するバイクと右折する乗用車というのが多いパターンのようだ。
4輪と4輪も当然ある。片方がセンターラインをオーバーしてきた正面衝突のように思えることもあるようだ。
とりあえず、言葉の意味がわかって、ちょっとすっきりした。

それにしても、このことば、
うちょくじこ
って読めばいいのかな?

右直事故の意味がわかったところで、想像すると怖くなってきた。
信号のある交差点でよく起こり、対向車は信号が青なのでスピードをだして直進していることも多く、大きな事故になってしまうのだろう。

みなさん、交通安全に心がけましょう。
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適性

2008-08-22 00:06:47 | 日記
最近、一緒に仕事をしている人の分担が代わりまして、今までAさんがやった仕事を私が確認していたのですが、今度はBさんがやった仕事を私が確認することになりました。
AさんもBさんも私も40代の主婦です。
その仕事は、もともとAさんからやり方をおそわったものですが、Aさんというのは、非常に品がよい人で、きめ細やかな感じの人です。
一方、Bさんはとてもはきはきして元気な明朗快活なかたで、話に聞くと仕事経験も豊富で有能な方のようです。

いつもAさんの仕事を確認していた私は、Bさんの仕事の確認をしてみて、同じ仕事をしても違うもんだな~とつくづく感じました。いやあ、正直言ってBさんはかなり大雑把なひとかな~
きっとAさんはA型で、BさんはO型だと思いますよ、血液型。
Bさんの場合、単純な入力とか数字のチェックとか、そういう細かい作業はあんまり向いてないかもしれないな。
初めてやった仕事とは言え、ヌケが多すぎるかなと思いました。

でも、Bさんは、もともとは、そういう仕事のために雇われたと聞いています。
いつも私がやっている書類のチェックの仕事の、もっと重要な段階のところを担当するために雇われたようです。
しかし、私が思うには、こういう人は渉外とか営業のほうがむいていそうに思います。じっと机に座ってだまって作業をしているようなのは向かないと思いますね。
適性検査やったのかな~この会社。

自分で言うのもなんだけど、はっきりいって、チェック作業はコリドラスの私がピカ一だね。エンゼルフィッシュに水底のお掃除しろと言ってもできないもんね。



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心のタフネス

2008-08-20 23:42:52 | 日記
この前買った石田衣良の本「傷つきやすくなった世界で」をぼちぼち読んでいる。
読んでいて初めて気がついたんだけど、この中のエッセイは、「R25」という雑誌に載ったものが多いようだ。「R25」と言えば、25才くらいの若者が読むものだから、そういう世代に向けて書いたものを40代後半のおばさんが読むのはちょっと合わないのかなとは思ったが、この石田衣良自体が、1960年生まれであって、私と同じ年なのだ。もともとそういうことで関心を持って買ったのだから、同じ年齢の人間が書いたものということで、まあ、ぴったりといえばぴったりということだ。
25歳と言えば、私の場合、もう自分の子どもの年齢のほうが近い感じだが、著者のお子さんはまだとても小さいようで、そのお子さんのことを書いた内容のものもあった。そのような記事は、25歳の人よりも、30代か40代前半の人が読むのにちょうど良いのではないかとも思ったりした。だから、誰が読んでもいいってことかな。

前置きはこのくらいにしよう。
最近、ブログのネタがなくなってきたので、こういうときは、人が話題にしたものを拝借してくるに限る。
そこで、最近読んだこの本の中で印象に残った「心のタフネス」というエッセイについて書きたい。

この内容を簡単にまとめると、最近の新入社員の特徴としては、「もろい」ということがあげられるそうだ。上司にちょっと強く注意されただけで、心の病になって会社に出てこられなくなってしまったりするそうだ。とても優秀な人が、少々の失敗や叱咤に耐えられないという傾向があるそうだ。
だから、心のタフネスを上げようという内容だった。

これは思い当たるふしがある。この間、会社を辞めた優秀な若い社員さん(27歳)は、もろにこのタイプだったと思う。一流大学の大学院かなんかを出ているらしく、おそらく一流企業から転職してきたのではないかと思う。その人はさすがに頭が良さそうな仕事振りだったが、コミュニケーション能力や人との付き合いが苦手だったように思う。そして、優秀なだけに、人から注意されたり、自分が失敗をしたりすると、耐えられないようだった。
できの悪い人間だったら怒られるのは日常茶飯事だし、失敗もいつものことだから、何てことないことだけど、この人にとっては、自分自身が許せなかったようだ。誰も非難などしていないのに、「どうせ僕は使い物にならない無知な人間です」のようなことを言って辞めてしまった。その人の失敗は、新しい環境ゆえ会社の内情や取引先の内情が把握しきれていないために、うまく対処しきれなかったことや、先輩が仕事上の情報を伝えきれていなかったために、知るべきことをしらなかったなどということが一因だったと思う。そういうことはどこの職場に行ってもぶつかることで、わざと上司が教えなかったわけでもない。何年か勤めるうちにいろんなことがやっと見えてくるというのが普通だろう。しかし、完璧主義者のようなその人にはそういうことが耐えられないようだった。忙しい時期に重要な仕事を任せられたことも、その人にとっては大きな成長につながると私には思えたが、ちょうど資格試験の受験と重なったためか、仕事を任せた上司がその試験を合格させまいとしているかのような受け取り方をしてしまったのかもしれない。
そして、優秀なだけにすぐに転職先が決まったらしく、1年ちょっとで辞めてしまった。
そのまま勤めていたらもっと経験を積んで会社では重要な存在になっていたのは間違いない。その人が他の会社に移ったからといって、また同じことの繰り返しではないかなと思った。プライドが高いということは、もろいということだ。そして、伸びるものも伸ばせないことになってしまう。

やはり優秀なアタマだけではだめで、心のタフな人が生き残るし、成長すると思う。

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