山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

窮地です!

2008-11-30 02:25:22 | 放送大学
この土日は、放送大学の面接授業です。土曜に2コマ、日曜に3コマで、丸2日つぶれます。
その上、理解力が悪いので、授業中もう大変な状況です。

できの悪い生徒の気持ちがよくわかります。
実際、自分が子供のころは、授業がわからなくて困ったという記憶は、高校の英語以外にはないのですが、それが放送大学の面接授業で理系の科目を取ると、本当に、おちこぼれ状態です。
それで、授業中どんどん進んでいる最中に、わからないまま進んでしまった以前のところが気になり、授業を聞きながら、さっきのところはどうなってたんだ?などと、ふと思い返して確認したりしているうちに、今度は新しい重要なことをすっかり聞き逃し、さらにわけがわからなくなると言う始末。
ちゃんと授業を聞いてないからわからないのよ、と言われてもしかたがないですが、けっしてサボろうとしているわけではないし、勉強をする気がないわけでもありません。
「集中力散漫で、何にも授業を聞いてないですよ、お宅の子は」なんて言われている児童がいるかもしれませんが、そういう子は、私の今のこういう状況と同じ状態なのかもしれず、本当に気の毒です。

さて、そんなわけで面接授業二日目は、一日目にテキストをもらってきたので、予習をすれば少しはましになるはずですが、それができない。

なぜかというと、なんと、通信課題の提出期限が火曜日(12月2日)必着であり、4科目は出したのですが、まだ2科目をやってないことに気がつきました。
それで、それをやらなきゃならないわけです。
期限を勘違いしていて、12月5日か7日ころだと思い込んでいました。
だから、面接授業が終わったら、超特急でやろうと思っていたところ、それじゃ間に合いません。土曜夜に1科目やり、日曜夜に1科目やって、最終月曜の昼休みに速達で出すってところでしょうか。

なんで、こんなときに面接授業取ったかな~。うかつだった。
せめて早めに課題をやっておけばよかった。
どっちにしても、アタマが何もかもに対してボケてる・・・。

今日は、帰宅したらすっかり疲れて、2~3時間ぐうぐう眠ってしまい、
そのあと、基礎化学の課題をやり、こんな時間になっている。
あっ、早く寝なければ。
明日も早い。

仕事の仕方

2008-11-28 21:38:05 | 日記
仕事というのは、どのくらいの消化率でやっていったらいいのだろうか?
後になって、にっちもさっちもいかなくなるのがいやなので、私の場合は前倒しでやっていく。
しかし、それは必要のないことなのかな?

今日は、2時半頃までは仕事があったが、その後暇になった。
急がない資料の整理などをしつつ、4時近くになり、今日は早く帰れるかな、と思いながらトイレに行って戻ってきたら、ある人が仕事の書類を持ってきた。
それから始めても15分くらいしかできないので、来週にしようと思い、その書類を机の隅に置こうとしたら、そこになんともう1つ別の書類が置かれていた。
私がトイレに行っている間に持ってきたものらしい。

見ると、締め切りは月曜日であり、ほんの4ページほどの書類だった。ものの30分くらいで終わるだろうが、4時は過ぎるし、今日は週末かつ月末であるので、週と月の勤務報告を出していかなくてはならない。それにも多少の時間がよけいにかかるのでどうしても残業をつけることになってしまう。

この場合、二通りの考え方がある。「月曜締め切りだから月曜で間に合う」というのと、「月曜締め切りを、私が月曜に始めたのでは、すべての工程が完了するのは月曜の昼などになるわけだから、今日中に私の工程をやっておけば、今日中、あるいは月曜の早い時間にすべての工程が完成する」というものである。
月曜は、万が一私や担当者が風邪などを引いて休むかもしれないし、世間に非常事態が起きるかもしれない。そうしたら、その1日があだになることもあるかもしれない。だからやっておけることはやっておいたほうがいい。

結局、後者の考えで、その仕事をやってしまうことにした。来週に回す仕事がもう1つすでにあるということもあった。

それで、短い書類を点検していると、同僚のところに他の部署の人が仕事の依頼に来ていたが、同僚は今すぐ帰るのでできないと断わって帰って行った。
私の書類は程なく終わったので、その人にもし必要ならやりましょうかと申し出ると、お願いするというので、それもやって帰ることになった。
その仕事は、すでに先方会社に提出を済ませたものであったが、変更箇所があるので、それを訂正して再び送付する必要があるようだった。その送付が早いほうがいいらしく、しかも内容に間違いがないほうがいいので、点検を依頼したかったらしい。

それで、その仕事をすると、ほとんど6時になり、それから報告書を出したので、2時間の残業になった。
この仕事も、考えてみれば、急いで今日中にやったとしても、金曜の遅い時間にメールやファクスで送付された書類を、先方会社が急いでどうこうするわけではないかもしれない。
だから、同僚が断わったまま、来週の月曜に持ち越して、それから仕事をはじめ、月曜の午後に送付するということでもいいのかもしれない。

しかし、わが社で今日中に対処した場合、どうせ実質は来週になるとはいっても、先方会社で金曜の夜届いていたと認識するか、あるいは、月曜の朝、出勤と同時に書類が到着しているのを受取るか、そのどちらであっても、先方は週初めの朝にはそれをどうかすることができるわけであり、月曜の午後になって届くのとはわけが違うのではないか、と私は思ったのだった。

しかし、それは、私が思っただけで、他の人は「必要ない」と思うのかもしれない。

そして、今日のように日中に1時間くらい時間があまるのは、そうやって急いで仕事を消化してしまうからであり、のんびりとやっていれば仕事に切れ目が生じないというのも、確かに一理あるかもしれない。

なかなか、判断がむずかしいところである。





聞き上手になりたい

2008-11-28 00:34:19 | 日記
このごろ、反省することに、「人の話をあまり聞いていない」というのがある。
自分で質問をしておきながら、相手の返事をうわの空で聞いていたり、相手が全部話し終わらないうちに、先走ってコメントをしてしまったりということがあり、反省する。
もっと落ち着いて人の話しを聞こうじゃないか。

今日、会社にマスクをしてきた人がいたので、
風邪ですか?と聞いたら。
ええ、そうなんですよ。
ちょっとねえ、
寒い思いをしてしまったんで・・・。
という返事。
そのちょっとねえ、と言っているあたりで、私はもう次なる言葉を考えており、
重ねるように、今風邪はやっているみたいですよね。
などと言い、
あっ、そうみたいですね。
と相手が言っていたが、
そのときには、私はさっさと立ち去っていたのだった。

おやっ?、そういえば、寒い思いをしたとかなんとか言ってたみたいだけど、
どんなことなのかな?と
後になってとても気になり、
本当なら、そこでゆっくり聞けばよかったなあと思いました。
そして、お大事に、の一言もなく、
立ち去るような味もそっけもない私でした。

相手の話に耳を傾けよう。
そして、相手の立場になって行動しよう。
今日の反省です。





「失礼」という挨拶

2008-11-27 00:47:44 | 日記
男性とぶつかりそうになったときなどに、
その男性が「失礼」ということがありますが、
その言葉って、すごくドキッとするほど、紳士的な感じがしませんか。
つまり「失礼しました」って言う意味ですけど、
相手を大切にしている、他人に不愉快な思いをさせないように気を配る人という感じがします。
それでいて、この簡単明瞭なこの言葉。すっきりしていて魅力です!!!

今日、会社の帰りに図書館によりました。
いつものごとく延滞していて催促の来た図書を、あせって返しに行ったわけですが、
そのついでに、内舘牧子の本を借りてきました。
エッセイや随筆の棚のところに行こうとして
本棚の裏側に回ろうとしたところ、
ちょうどその裏側からも男性がこっちに進もうとしていて、
危うく衝突しそうになったのです。
すると、その男性がすかさず「失礼」と言ってくれたのでした。
私もその言葉に反応して「すみません」といいましたが、
その「失礼」という言葉には、ビビッときますね。
その男性がどんな人だったか、姿は全く見ていませんが、
実際、ぶつかりはしておらず、ぶつかるまでにはまだ多少の猶予があり、
まあ、お互いに驚いたという程度かと思いますが、
そんな状況で、「失礼」と声をかけてくれる人って、すごく礼儀正しく、
紳士的ですよね。
普通なら、ああおどろいたっ、と思うくらいで、憮然と立ち去るでしょう。
「失礼」などと声をかけられると、恥ずかしいようななんともいえない満たされた気分です。
自分が人間として尊重されていると感じるからでしょうか。

今日は、そんなことがいい体験だったかな。

内舘さんの本は「忘れないでね、わたしのこと」
「おしゃれに。女」を借りてきました。
その隣にあった「存在証明」という内田康夫の本も借りました。
これも、何かの縁でしょう。
私を夢中にさせてくれる本と出会えたらいいなあと思います。


今日の日記

2008-11-25 23:41:05 | 日記
久々にブログ通信簿をやってみました。(まだ、あったのね)
相変らず図書委員タイプで面白くもなんともありませんが、
女性40歳と若くなっていたので、ちょっと嬉しいです。

今日は、ムカつくことがあったんだ。
帰宅したら、夫が糖尿病になったと大騒ぎしていた。
このあいだの健康診断で血糖値が高かったらしい。
しかし、データ自体は以前の健康診断とそんなに変わっているわけではなく、
多少上がったくらいである。
しかし、正常か異常かの基準値が変更になったために、以前は異常の範囲ではなかった数値が、今回は異常の範囲に入っているのだ。
まあ、境界線ってことは注意しなくちゃいけないけど、
夫はとにかく、大騒ぎする人で、もう糖尿病の末期になったような言い草をしていいる。
たぶん、まだ糖尿病という段階ではなく、食べ物に気をつけたり運動したりすれば大丈夫な範囲だと私は思う。
しかし、本当にこういうときには大騒ぎをする人間なのだ。
そして、自分のこと以外は何も考えられなくなる人間なのだ。
だから、私のほうでも、仕事のこととか、スーパーで買った食品の異物混入の応対の件とか、いろいろ話したいことがあったのだが、
まったく取り合おうとしてくれないので、
本当にアタマに来て、もう夫とは何も話さないし、
別の部屋に行って勝手なことをすることにしたのだ。





むっつり

2008-11-25 20:19:58 | 日記
今勤めている会社の人って、むっつりしている人が多い。
このあいだ、ハッピーフライトを見たときに、機長の時任三郎がすごくクールでステキだったのだが、もし、あのような人が全員の会社だったらどうだろうか。
ずっこけた人や、やかましい人や、おおボケの人などがいないと、やっぱり組織は楽しくないんじゃないかな。

男性の割合が多く、しかも理系であるというのが、冷静沈着客観的というふうな空気をかもしだしている。
でも、このあいだノーベル賞をとった学者の中に、始終しゃべり続けている愉快な人がいたので、理系の人がみんなこんな、客観的でとっつきにくい人ばかりというわけではないのだろう。
また、話しかけてみたり、ひとりひとりと接するぶんには普通の人だし、冗談が通じないような人たちでもないのだが、なぜか仕事中はほんとうにつまらない集団になっている。

そんな中に、若いOLがいると、少しは空気が華やぐもんだ。
人のことをむっつりしてるなどと言う私自身、仕事中はいっさい私語をせず、もくもくと書類の点検をし続けている。つまらないおばさんだ。

社員の人たちは、お酒を飲むと、人間が変わったようになるらしい。
また、気の合うもの同士は、仕事帰りに食事をしたり飲みにいったりもしているのだろう。
職場にコミュニケーションが足りないとも言われているが、一部の人間たちは個人的にコミュニケーションをとっているのであり、もともとコミュニケーションをとりたい人とは勝手に取ってるのだから、それ以外の人とわざわざコミュニケーションを取りたいとは思わないという人も、若い社員の中には多そうな気がする。

いつの時代も、上司は敬遠されるし、おばさんも敬遠されるかな。
敬遠まではしないまでも、わざわざ親しくなろうとはしないよね。

職場の雰囲気を明るくするためには、せめて仕事のやりとりをするときに、朗らかな表情で、
そして、笑顔で挨拶をするくらいですかね。




3連休最終日

2008-11-24 16:18:56 | 日記
3連休最終日の午後は、雨が降り出しました。
それは天気予報でわかっていながら、今頃になって洗濯をしています。
なんだか、このごろ疲れてしまって、全然動く気になれません。
1日目の午前中は、人の勧めで講演を聞きに行くことになっていたのですが、なんだか出かける準備をするのが億劫になってしまい、結局行くのをやめてしまいました。
午後(12:00)から夫と待ち合わせ、映画を見る予定であり、その前(10:00~11:30)に、講演を聞くとなると、それ以前に家事などをすませなくてはなりません。
それがどうにも起き上がれないわけです。
だから、講演はやめて、家事をしてから映画に行こうと思ったら、結局は家事もしないでぼーっと過ごしてしまいました。
映画は「ハッピーフライト」です。
面白かったです。機内だけでなく、空港の裏側の様子(管制塔・整備)などもよくわかり、飛行機好きにはもってこいの映画ですね。でも、季節がらか、客さんは意外に少なかったです。

2日目は、日曜だから今週こそエアロビに行こうかと思っていたのですが、遅く起きた家族に遅い朝ごはんを作ったりしているうちに、行く時間を逃してしまいました。
と、思ったら、勤労感謝の日でどっちにしても休みでした。はりきって出かけていかなくてよかったです。それで、また家でぐだぐだしていました。

その間、放送大大学の課題をやったり寝たりの繰り返しで、「人間活動の環境影響」をなんとか終了させましたが、今とりかかっている「日本美術史」はまだ難航しています。やはり放送を見ないとよくわかりません。
理系科目で行き詰ることが多いので、すでに卒業したコースの科目をとってみたのですが、日本の美術って、自分自身そんなに好きじゃなかったかもな、と思いました。
仏像とか、あんまり興味なかったんですよね。でも、その時代の特徴なんかを知っていると、博物館やお寺なんかで仏像を見たとき、ただ漠然と眺めるのとは違って興味がわいてくるのかもしれません。しかし、録画を見ていると必ず寝てしまうので、困りものです。

3日目の今日も、引き続き提出課題をやってますが、なかなかはかどりません。
とりあえず洗濯を終え、そしてこれから美容院に行く予定です。朝、予約を入れたら夕方しか空いてませんでした。アタマはもう悲惨なんです。
お金もないから延ばし延ばしになってました。白髪も目立ちます。
あんまり変な髪形で、人に不快感を与えるのはよくないし、自分でも滅入るばかりなので頑張って美容院に行こうと思います。


とんだ間違い

2008-11-24 00:27:54 | 日記
内舘牧子さんと西舘好子さん

大変な間違いをしていました!
前回の記事で、内舘牧子さんと、西舘好子さんを取り違えていました。
井上ひさし氏の元奥さんは西舘好子さんだったのに、内舘さんだと思い込んでいたのです。
通りすがりの方に指摘していただき、間違い部分を削除しましたが、訂正しお詫びいたします。

それで、改めて、西舘さんのことを確認したので、記載させていただきます。

まず、間違いの原因は、名前が似ていたということの勘違いでした。ほんとうにそそっかしいです。そして、言われてみれば「西舘好子さん」の姿を私は思い出すことができます。髪型も全然違う人でした。
その当時は、その人が井上氏の奥さんだと認識していたはずでした。
しかし、それは何年も前のことで、すっかり忘れていました。
そして、最近になって相撲のことなどで内舘さんが出てきた時に、名前が似ていたことから、あれっ、こんな顔だったかなと思いつつも、この人井上ひさしさんの奥さんだったんだよな、と思いこんでしまったのでした。
あと、内舘さんが脚本家・小説家であることから、職業的に井上ひさし氏と共通する部分があるために、そのようなつながりで知り合ったのだろうと思い込んでしまったようです。
そして、wikipediaで内舘さんのことを調べたときに、井上氏のことが何も書いてなかったのはふと不思議に思ったのです。それで、あれ違うかな?とはチラリと思ったものの、確認するのを怠っていました。今度からはちゃんと確認するよう気をつけます。
本当に、人を間違えるなんて、失礼しました。

さて、西舘好子さんについて書いてみます。
1940年、10月生まれ。評論家。
1961年、井上ひさし氏と結婚。(井上好子、本名 内山好子)
1986年、井上氏と離婚。
1987年、西舘氏と再婚。(西舘好子)
2000年、還暦を機に、代志子に改名。
ということで、現在は「西舘代志子」さんになっているようです。

一方、内舘牧子さんですが、生年月日は1948年9月10日であり、西舘好子さんより年齢も8歳若いということでした。
全くの別人ですね。大変申し訳ありません。失礼しました。

結果的には、ブログに書いたことによって、自分の間違いに気付くことができてよかったかもしれません。教えてくださった方、本当にありがとうございます。

内舘牧子登場

2008-11-23 09:50:59 | 放送大学
録画した放送大学の番組を見て、教科内容が終わったところで、そのままにしていたら、いきなり内舘牧子が笑顔で登場した。
横綱審議委員会委員で、日頃朝青龍などに対しても厳しい批判をしているあのお化けのようなおばさんだ。
相撲界で、なぜかすごい幅を利かせている。あんまり好きな人でもないし、失礼ながらあの顔はどうにかならないものなのか、ビューティーコロシアムにでも出たほうがいいのではないかとさえ思ってしまうのであるが、活躍ぶりを見ると、あの顔が人間関係を阻止することはない無いようである。人は顔ではないのだろう。

いつもは、教科内容が終わったところで、直ぐにディスクを停止させてしまう。まだ放送時間があり、何か後に入っているだろうとは思うが、あんまり関係ない。しかし、今日はそのまま放送を見続けてみた。

内舘牧子さんは、「人は今まで勉強したことのある自分の専門分野とは全く違う専門分野を勉強するのも、非常に面白いものですよ」ということを話し始めた。
内舘さんの場合、放送大学ではない別の大学だが、中年になってから、もともとの分野とは全然ちがう宗教の勉強をしてみて、非常に楽しかったとのことだ。
だから、放送大学でそういう勉強をするのがおすすめですとのことだった。

これを見たら、いつも思っていたあんまり好きではなかった内舘さんのイメージが少し変わった。そして、確かに自分が今までぜんぜんやったこともないことを勉強するのもいいものかもしれないと思った。
私の場合、文系から理系ということで、すでにそれを実行していることになる。
しかし、ひょっとしたら、今までとったこともない「生活」なんかに関係のある科目をとってみるのもいいかもしれない。

内舘さんからのメッセージはほんの短いものだったが、笑顔と内容が印象に残った。

後で調べたところ、内舘さんは、脚本家だから文学部だったのかと思っていたら、もともと武蔵野美術大学造形学部デザイン学科の出身だった。そして、三菱重工業でOLをしたあと、脚本家としてデビューし、その後、社会人特別選抜で東北大学大学院に入って、宗教学を学び、「神事として見た相撲」ということをテーマに研究されたらしい。それに関連して、相撲の世界での今の位置を占めるに至ったようでもある。
いろんなことのできる人のようだ。

不思議なことに、内舘牧子さんの顔が、ユニークで親しみやすい印象に変わってしまった。
人間とは、そんな小さなきっかけで、好感度が変わるものなんですね。


自分の判断はどこから来たものか

2008-11-22 10:42:23 | 日記
このあいだ、話し方・マナー教室というのに参加しましたが、その中で講師の方がおっしゃっていたことのひとつに、
自分が思っていることは本当に自分の意見か?人の意見を鵜呑みにしているのではないか?考えてみよう、というのがありました。
よくあることは、テレビの報道によって洗脳されることですね。そうすると、それを見ていた人々がみな同じ考えを持つようになってしまったりします。
また、近所の勢力のある人が、誰かのことを悪くいっていたりすると、自分がその人とつきあったことがあるわけでもないのに、聞いたことをそのまま信じてしまいかねません。
人の言うことはたしかに事実である可能性も高いですが、自分の目でたしかめる、自分が体験してみて自分で判断するということが大切であり、少なくとも、人が言っていたことを100%信じ込み、さも自分も知っているかのようにふるまうのはやめるべきですね。

報道が正しいかどうかということの例ですが、後期高齢者の健康保険料については、テレビでは値上げされて苦しいという老夫婦の訴えなどが次々に放送されていました。そして、そんな老人を苦しめるひどい改正ならば廃止にしようという動きもでているようです。
しかし、田舎で一人暮らししている母は健康保険料が以前より下がったそうです。老夫婦が高くなったというのは、以前は、世帯の人が割安になっていて、個人という単位でお金を払っていなかったからでしょう。母の場合はもともと一人で誰の扶養にもなっていないので、自分で世帯分を払っていたということでした。これも母の言うことでどうなっているんだか実際のことはわかりませんが、母の頭もボケてはいないようなので、母の保険料が安くなったことは確かだと思います。テレビでも自民党の政治家が、安くなった人もいると発言していましたが、その実例が取り上げられたのは見たことがありません。それで、この医療制度はわるいことばかりでいいことは何もないのだと、多くの人が思うようになったようです。

近所の人が振り撒く噂について。
町内で自衛消防団を募集していますが、なかなか参加してくれる人がいないようです。これを引き受けると月に1回日曜日の朝にポンプなどを持ち出して消火訓練をすることになります。
うちの主人が昼間外を歩いている姿などを近所の人が時々見かけ、うちの夫にやってもらったらどうかと別の人に言ったそうです。
すると、その別の人(うちの至近距離の人)が、「ダメダメそこのご主人は勉強家で、勉強でいそがしいから消防なんかする人じゃない」と答えたそうです。
全く変です。どこから夫が勉強家だという話が出たんだかわけがわかりません。そして、夫は仕事もしないで毎日家で勉強をしているということになってしまっているのです。
しかし、夫は全く、いわゆる「勉強」などということはしていません。もし近所の人が夫のことを勉強家だと思うなら、それはうちで捨てる本や雑誌を見てか、大学からの郵便(子どもへのダイレクトメールや私の放送大学の郵便等も含む)などがポストからはみ出ているのを見てのことでしょう。
さらに、夫が消防団ができないのは、土日も昼夜も関係ないサービス業であるため、日曜の朝の訓練に都合がつけられないからです。それを昼間ぶらぶらしていることがあるからといって、毎日ぶらぶらしているなどと思い、「時間はとれるけど、消防団なんかやるような人じゃない」などというと本人の悪口を言うようだから、気を利かせて勉強をしているということにしたつもりか知りませんが、他人に、さも詳しいことをしっているかのように伝え、聞いた人間がそれを鵜呑みにしてさらに他の人々に伝えるという恐ろしいことがおきています。
消防団をやる人を探している人が、もし本人(夫)かもしくは私に直接聞いてくれれば、ちゃんと理由を話すことができたでしょう。
「勉強家だからやらない」などと伝えた他人は、夫が一度失業したことを知っていて、そこまではしっかり把握していたようですが、その後再就職したと言っても、それは全くアタマに入らないようで、永久に失業していると思いこみたいようです。それならそれで、仮に失業しているのだとすれば、消防団をする暇もあるわけですから、他人が本人に代わって「できない」などと返事をしてしまうのもおかしいです。夫は以前の職場では防火管理者であったこともあり、避難訓練なども実行している人間です。自衛消防団とは内容が違いますが、そういうことに対して意識がない人間ではないため、噂をふりまく人がもつ夫のイメージと実像はかけ離れているのです。

ああ、何か変な話を延々と書いてしまいました。

しかし、話は尽きません。
私は自治会の会長をしていますが、普段は仕事をしているために家にいないことが多いです。しかし、団地に関する作業があって業者の人が来るときなど、前以てわかっている限りは仕事を休んで家にいます。
にもかかわらず、業者の人が我が家に立寄ろうとするのを呼び止めて、会長は仕事をしているので普段は留守ですから行っても無駄ですよ、私が代わりに聞いておきましょう、などという近隣住民がいるのも変な話です。業者の方がそれを信じてしまうのも仕方がないことかもしれませんが、訪問してみるとか電話をしてみるとかしてみたらどうでしょうか。
お留守のようだったので・・・って、「お留守のようだった」というのは、単に他人がそう言ったことを鵜呑みにしていただけのことでしょう。

会社のなかで。
新しい新入社員やパートタイマーが入ってくると、すぐにも、上司がいかに変な人間であるかを吹聴する古いひとたち。会社の待遇が悪いとか、関心を持つに足りないような無意味な集団であるとか、もう見捨てているのだとか、そういうネガティブな情報を、入ってきたばかりの人に聞かせないでもらいたい。もし、それが事実だとしたら、そのことは自然に本人がわかることに違いない。実際に本人が何も体験していないのに、社内行事はくだらないから参加する意義がないとか、この会社は変だ、などということを植え込んで、おかしな先入観を植え付けるべきではない。
本当に変なんだろうか?いいところもたくさんあるんじゃないのだろうか。

私は村上龍氏が好きだが、村上氏は自分の判断でものごとを見る。
たとえば、産婦人科の救急医療が万全でないことは確かだが、日本の医療は堕落したかのような報道に対し、昔とくらべたらよくなっているという客観的判断をしていた。食品の品質管理にしても昔に比べればいいはずである。それでも問題があることは事実であるが、近年になって救いようがなく堕落したかのように思える報道はおかしい。適切な処置によって助かったひとは誰もいないように思えてしまうが、実は助かっている人も多くいるはずだ。

先日の講習のときの先生のお話でも、近年の学校教育が堕落し、教師は変な人間ばかりであるかのような報道が多いが、現場を実際に見てみると、熱心な教育者が多いそうで、一生懸命こどもを見守り育てようとしている人が多いと言っていた。

色眼鏡で物事を見るのはやめ、人のいうことを鵜呑みにせず、自分の目で確かめて、自分で判断しよう。

週末

2008-11-22 02:46:46 | 日記
「4大公害病」について、ひとつ書き始めてしまったので、とりあえず残りの3つも書かなくてはと思って、適当に書いてはみましたが、すごい時間がかかってしまいました。

調べると、内容はもっともっとたくさんあり、裁判の経過なども知りたいところですが、そんなことをしている暇はありません。
こんなことはやめて、どんどん試験勉強を進めないと、間に合いませんね。
その後、大気汚染などについて、エコ検定の直前マスターをやっていたら、もう大変なのなんの、化学の勉強になってしまいそうです。
いろいろと、覚えることがあるなあ。

実は、エコ検定の前に、放送大学の課題提出が控えています。
今日は、エコ検定に関連して「物質循環と人間活動」の課題をやってみました。
もう、泥縄式ですから、教科書を拾い読みして答えを探し出すという感じでした。
でも、この科目は本当にエコ検定の勉強と重なる部分が多いので、ちょうど良かったです。
一石二鳥ですね。

すでに2時を回りましたが、なにやらコトコトと変な物音がしてきます。これが家の中ではなく、外であることを祈るばかりです。
また「ねずみ」がいるようです。困ったことです。

今日は、週末ということで、さすがに5日間の疲れがたまっています。
気が抜けたということもあり、夕飯もそこそこにぐうぐう寝てしまいました。
実家に行くのを延期したままで、結局は中止になってしまいそうです。
母ががっかりしているかもしれませんが、この3日間で課題をやってしまいたいし、休息もとりたいので、やはり実家に帰るのは年末年始になってしまいそうです。

イタイイタイ病

2008-11-22 02:26:16 | 環境
富山県神通川流域で1912(大正元)年ごろから発生し、1955年(昭和30年)に確認された。鉱業所から排出されたカドミウムが原因で、体内で蓄積されて発症し、症状は激しい痛みを伴う。

原因は、岐阜県の三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)が鉱山の製錬に伴って未処理廃水を流した。そこに有害なカドミウムが含まれており、それが神通川下流の水田などに流れ、農作物を介して人々の体内に入ってしまった。
症状は、多発性近位尿細管機能異常症と骨軟化症が主な特徴であり、初期は多尿・頻尿などがあり、進行すると、骨がもろくなり、筋力も低下し、運動障害も起こる。患者は激しい痛みを訴え、イタイイタイと苦痛を訴えるので、それが名前となった。
最初は原因がわからず、農民の風土病と思われていたが、この地域の医療に長年携っていた開業医の萩野昇が最初に鉱毒説を唱え、原因が究明された。

感想
カドミウムというのは、もともと自然界に存在する毒物であるが、人間が手を加えることによって危険な状況を作り出してしまった。
イタイイタイ病は、名前からいって非常に苦痛を伴う病気ということを実感し、辛い症状が連想される。このようなものの危険に長年さらされながら、耐え続けた地域住民のかたが非常に気の毒である。

カドミウムの危険性は現在は認識されているので、このようなことは二度とおきないと信じたいが、一方現代としては、やはり原発の放射性廃棄物などが非常に心配である。



新潟水俣病

2008-11-22 01:52:36 | 環境
新潟県に起こったメチル水銀による公害病。熊本県の水俣病と原因が同じなので、新潟水俣病、あるいは第二水俣病とも言われている。
1965(昭和40年)、日本海に注ぐ阿賀野川流域で発生したので、阿賀野川水銀中毒とも呼ばれる。
原因は、阿賀野川上流の昭和電工鹿瀬工場が廃棄したメチル水銀による。熊本のチッソと同様、アセトアルデヒドを生産する過程で副生されたメチル水銀を未処理のまま、排出していた。
昭和電工は、原因について、別の農薬説(1964年に起こった新潟地震で、倉庫に貯蔵していた農薬が流れ出た)を主張していたが、農薬は流出しておらず、農薬に使われているのはフェニル水銀だったので成分も違っていた。
新潟水俣病は、熊本よりも後に起こったので、政府が最初の水俣病に対して早期に適切な対応をしていれば、昭和電工の操業停止も早くできたはずであり、政府の責任が問われるものだった。

感想
公害病というと、原因が推測されるものの、加害者はなかなか認めようとせず、政府の対応も遅れ、被害が増大するという経緯をたどることが多い。
4大公害病に同じものを原因とする水俣病が2つはいっているということは、工場によるメチル水銀の垂れ流しがいかに危険なものだったかということを物語っている。

新潟といえば、昨年も中越沖地震があり、刈羽原発が火災を起こしたなどというひやりとすることも起きている。
水俣病の場合、地震は関係なかったわけだが、地震などの天災に加えて、工場などの有害物質や原発の放射能漏れなどが起きることも考えられ、今後、新たな被害が起きないよう十分に注意しなければいけないと思えた。

水俣病

2008-11-21 19:36:25 | 環境
「水俣病」とは、1956年(昭和31年)に熊本県水俣市で発生が確認された公害病。
工業排水にメチル水銀が含まれていて、それが海に流れ、魚介類に蓄積され、それらを食べた地域住民に、手足や口がしびれるなどの症状が起こり、死者もでた。

症状としては、中毒性中枢神経疾患であるため、感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害、平衡機障害、言語障害、手足の奮えなどがある。
重症の場合は、狂騒状態から意識不明になり、死亡したりすることもあり、軽症の場合は、頭痛、疲労感、味覚・臭覚の異常、耳鳴りなど。軽症の場合、水俣病によるものかどうなのかの判断は難しい。

原因は、「新日本窒素肥料」(現在の「チッソ」)という会社の水俣工場で、アセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)に由来するメチル水銀による。
アセトアルデヒドは、アセチレンを希硫酸溶液に吹き込んで、触媒下で水と反応させることにより生産されるが、触媒の反応過程で副生されたアルキル水銀化合物(主として塩化メチル水銀)が工場から排水として流されていた。特に1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)に多量に廃棄され、海の魚にメチル水銀の生体濃縮が起こり、これを日常的に多量に食べていた沿岸の住民に被害が及んだ。

初めのうちは、原因がわからず、そのために対応も遅れて被害が拡大した。

「水俣病」という名前はあまりにも知られている言葉だが、実際はなんだったのか、あまり考えたこともなかった。自分が小さい時に、やはりニュースなどでよく聞いていたもので、記憶に残ってはいるが、そんな世代の人間でさえもほとんど内容がわかっていないのだから、現在の子どもや若者は詳しいことは知らないだろうと思える。
私は、水俣市というのが熊本にあるというのも初めて知った。熊本には水俣病の資料館もあるらしい。



四日市ぜんそく

2008-11-21 00:58:29 | 環境
四大公害病

1 水俣病
2 新潟水俣病
3 イタイイタイ病
4 四日市ぜんそく

この中で、「四日市喘息」について書いてみます。
1960年から1972年にかけて発生しました。石油化学コンビナートから排出された硫黄酸化物による大気汚染が原因で、喘息や気管支炎になった住民がたくさんでたそうです。
「四日市」とは、三重県の四日市市です。
当時は、公害についての認識が薄く、経済成長を最優先させていたので、被害が大きくなってもなかなか対応が進まなかったようです。
石油コンビナートは海沿いの地域に6社が建設していて、そのうち、最初に対応したのは現在のコスモ石油でした。対策は「脱硫装置」を使ったことでした。また、これ以後、硫黄を多く含んだ原料を使うのをやめたそうです。
そして、今では石油コンビナートがあっても、大気汚染はおきていません。

さて、ここで「四日市ぜんそく」を取り上げたのは、これが始まったのが1960年という、私が生まれた年だったからです。しかし、その他の3つも同じ時期を前後して起きていることに気がつきました。この時代は、そういう時代だったのかと改めて認識しました。
すでに戦後の混乱からは立ち直り、その後高度成長でぐんぐん発展した時代でしたが、このように人体や環境に深刻な問題を起こす公害がさまざまなに発生していたのですね。そんな時代に自分は成長したんだなということを思います。

子どものころ、私は静岡県の伊豆に住んでいましたが、ニュースで確かに石油コンビナート地域の喘息のことを放送していたのを見た記憶があります。それは、遠い都会の出来事のように思えました。
小学生4年生くらいのときに、川崎から喘息の男の子が転校してきました。空気のきれいな伊豆のおばあちゃんの家で生活するためとのことだったと思います。色が白くて、そういえばなんとなく体が弱そうな感じでしたが、その子が田舎に来てから喘息の発作を起こしたというようなことは、見た記憶も聞いた記憶もありません。やはり、空気がきれいなのでよかったのかもしれませんね。思い返してみると、その子は中学に入るときはいなかったので、1年くらいで戻って行ったのでしょうか。

そんなこともあって、自分の地域に比較的近い場所では、神奈川県川崎市というのも大気汚染の激しいところだという印象がありました。
川は京浜工業地帯で、石油コンビナートや重化学工業の工場が多数あるようです。

しかし、四日市喘息が4大公害に入っていて、川崎は入っていないのですから、四日市の大気汚染は、川にくらべて、はるかにひどいものだったのでしょう。
でも、日本全国さまざまな場所で、似たような問題が起きていたことは確かですね。

当時、工業が発展したら、大気汚染になるのはあたりまえだと思っていました。それは避けがたいことだと思い込んでいたのです。しかし、そんなことはありませんでしたね。
ちゃんと取り組めば、様々な問題は「解決できる」可能性も高いといえるでしょう。