山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

父と車

2009-05-30 23:36:15 | 運転・車・道路の事
母のことを書いたので、父のことも書こう。
前記事で、母のことをあまりよく書かなかったけど、実際は母は全く普通の人間です。
でも、どちらかというと、母よりも父のほうが温厚で優しい人物だと世間の人から思われていたようです。

父は42か43歳くらいで、自動車の運転免許を取ったようです。それまではスクーターに乗って会社に通勤していました。
車を買ったのは、自分の家を建てて、駐車スペースが確保できるようになってからでした。
当時は、昭和40年代で、世の中は高度成長、車社会に突入していました。
家族でどこかに行くには、実際、車が必要にもなりました。

親戚が中古車販売業をしていたので、そこで車を選びました。最初に買おうとしたのは、グリーン系のライトバンでした。ところが、これに乗って坂道を登っていると、全然スピードがでません。歩くよりも遅いという感じで、どんどん他の車に追い越されていきました。
そこで、その車ではしょうがないということで、やめて、キャロルを買いました。キャロルは小さいけど元気でした。当時は、自分の手で車にペンキを塗ったりしていて、キャロルは最初水色の車体に青い屋根でしたが、次に屋根をエンジに塗ったりしていました。
この車で、家族そろってよくドライブにでかけました。

その後、私たち子どもも大きくなり、多少の経済的余裕もできてきて、今度はクリーム色のカローラを買いました。そのころは私が中学生くらいでした。
それから、私が高校生のころか、青いカリーナを買いました。すべて親戚の中古車販売店から買った中古車でしたが、不足はありませんでした。
中学や高校はバス通学で、部活帰りにバスに遅れたときや、大雨が降って傘がないときなどは、迎えにきてもらったこともありました。東名高速を走って家族で遠出することもありました。

姉は就職すると、白いスプリンターを買いましたが、崖から落ちたときに、クレーン車で吊り上げ、屋根から地面におろす状況となり、屋根がへこんでしまったので、廃車になってしまいました。下に落ちた時点では屋根はつぶれていなかったそうで、残念がっていました。その後、姉は別の車は買わず、程なく結婚したので、夫の車に乗るようになりました。

その後、父は病気になりました。入院している最中に車検の時期がやってきましたが、父の病気は治る見込みがなかったので、車検は見送りました。
そして、免許の書き換えの時期も来ましたが、父は入院していたのでできませんでした。
そして、父はそのまま逝ってしまったので、車は廃車になりました。
父は元気な頃、次には新車を買いたいと言っていたようですが、それは実現しませんでした。

私が父の運転する車に最後に乗ったのは、父が入院する3ヶ月くらい前で、私が東京の友人を連れて実家に帰ったときに、一緒に行楽地に車で乗せていってくれました。

父が車を運転していたのは、免許を取った43歳くらいから、亡くなる前の58歳くらいまで。今になってみると15年間くらいでした。
父は慎重な人で、無事故・無違反でした。

私はその後、自分の家に車の運転をする人がいない環境の人間となりました。

私も、父のように安全運転を通したいと思います。




コメント

無縁坂

2009-05-30 19:50:05 | 日記
姉と話をしていると、母が若いころは、他の母親と比べて、自分の子どもに対してあまり優しい母親ではなかったという情報が出てくる。
私は、母にしか育てられたことがないので、母親とはそんなもんだと思っていたが、姉は私が生まれたときに数日間、親戚の叔母のところに預けられ、そのとき、叔母がとても優しかったのだそうだ。それは、よその子供を預かっているのだから、優しくするのは当然だろうと思うものの、姉に言わせると、絶対にうちの母より他人のほうが心根が優しいのだそうである。

また、姉が言うには、姉が小さいころは、母が作るおかずは、いつもキャベツの千切りに醤油をかけたものだったそうだ。
そう言われてみると、私は母と姉がキャベツの千切りに醤油をかけて食べていたという記憶があり、私はそんなものはまずくて食べられないので、いつも「のりたま」のふりかけかなんかをかけてご飯をたべていたように記憶している。そのころ、私は、母と姉はキャベツが好きなのだと思っていた。

私は、なぜか物心ついたときから、生野菜というものが大嫌いだった。味もキライだし歯ごたえもキライだし、私にとってはどんなことをしてもノドを通らないようなしろものだった。それは野菜炒めなどでも、野菜の生の香りと硬さが残っているものはまったく食べ物としてうけつけられなかった。

最近、姉から聞いたことに、母は、私の離乳に失敗したのだそうだ。だから、私は野菜などを食べず、特定のものしか食べない子どもになって、体も小さかったようである。私は、いつも野菜を前にして、食べるものがなく、おなかをすかせていたという記憶がある。
焼きそばは好きでも、そこにキャベツが混じっているので、そばも食べられないから、結局食べるものがないのだった。そのような偏食の私は、小学校の給食では苦労した。キライなものを食べるくらいならお腹を空かせているほうがよかった。
そのような野菜嫌いが、母の離乳食に由来するということは、事実かどうかはわからないものの、最近初めて知ったことだ。

また、姉が言うには、母は、私が手をつなごうとすると、私の手を振り払っていたという。
手をつなぐとぶら下がってきて重いからだそうだ。そういえば、私は母と手をつないだ記憶がない。また、なぜか友人と手をつないだりするのにも抵抗があるのだった。どちらかというと、私自身が人と手をつなぐのが嫌いな人間だった。

そんなことをふと、考えるうちに、私の頭に「無縁坂」の歌が急に浮かび上がってきた。

母がまだ、若い頃、僕の手をひいて
この坂を上るたびいつもためいきをついた
ためいきつけばそれですむ
うしろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手はとてもやわらかだった

私は、あまり歌の詞を覚えるほうではない。
でも、この歌は子どものときに、自宅に弾き語りの本があったので、
それで、歌詞を覚えてよく歌っていた。
子どもの頃は歌詞の内容までよく考えなかったが、
今思うに、この母親は、あまりにも私の母とは違っていると思う。

だいたい、私の母は、私が「ためいき」をつくと怒る人間だった。
だから、私は、「ためいき」をつくことは、悪いことだと思っている。
母は、ため息をつくことを許さない。当然のことながら自分もためいきをつかない。
ため息をつくようないやなことなら、さっさとやめちまえというのだった。
私の場合、やめちまえば済むようなことに、「ためいき」をついていたのも事実だったし、
「ためいき」をつくということは単にヤル気がないだけであり、ヤル気さえあればため息なんかつかないで、やり遂げられることばかりだったのも事実だった。

それに比べると、この無縁坂の歌詞の母は、ずいぶんと苦労のあった人だったことがわかる。
後ろをみたら、生きていくことさえままならないような心境になってしまうような辛い人生だったんだろう。
だが、母の手は白くやわらかだったというのは意外だ。この母親は精神的には苦労していたようだが、手は荒れていなかったのだろう。

私は母と手をつないだ記憶は無いが、母の手は白くはなく、やわらかでもない。
母の手はどちらかというとしっとりとはしておらず、乾燥ぎみだということを私はなぜか知っている。それは私が母と手をつないだことがあるからに違いない。

運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど
そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う。
しのぶしのばず・・・

ここまできて、急に胸がぐっときた。
この母親、かわいそうな人だ。

無縁坂・・・

運が悪い、縁がない、人だったんだ。

かみしめるような
ささやかな僕の母の人生

きっと悲しい境遇の人は優しくなるんだろう。

ためいきをついて怒ったり怒られたりしているような人たちは幸せである。
手を引かれた記憶がなくても、何の不足も感じないで育った私は幸福であるってことだ。

コメント (2)

十人十色

2009-05-30 15:40:29 | 運転・車・道路の事
複数教習をするようになって、他の教習生の方の運転する車に乗ることが増えてきました。
それで、人の運転のいいところや悪いところ、それに比べて自分の運転のいいところや悪いところなど、いろいろわかってきます。

きっと、自分の欠点ってあんまり気がつかないもので、自分にできていて他人にできないところには気がつくのは簡単ですが、逆は指摘されて初めてわかるということもあります。
その中には、無意識にやっていたり、単に無知で違う判断をしていたということもあり、それに気づいたのは前進です。また、他人が合図確認などすごくちゃんとやっているなと思う部分もあり、自分もそのようにやらなくちゃと思って、意識が覚醒されるので、複数教習というのは、いいことだと思います。

それにしても、ニンゲンというのは、ほんとうに人それぞれで、加速の仕方やブレーキのかけ方、合図を出すタイミング、丁寧さ、慎重さ、思い切りのよさ、など、その人の個性がよく出ます。
同じルールに従っていても、誰ひとり同じ運転をする人はいないでしょう。

それは、すごく面白いなあと思いました。

コメント

短いズボンやスカート

2009-05-30 14:58:05 | 運転・車・道路の事
自動車学校の教習時の規則に、「短いズボンやスカートの禁止」というのがあります。

この言葉は、よくわからない。
この「短い」は、ズボンだけにかかっているのかスカートにもかかっているのだろうか?
そこで、もし「短いズボン」と「スカート」という意味だとすると、長いスカートでも禁止ということになる。わからないときは、「長いズボン」を穿いていれば、とりあえずは問題ない。
4月頃、周囲を見渡すと、スカートを穿いている人は皆無だったので、私もスカートは穿かないで、長いズボンに徹していた。
しかし、日ごろ運転している人が、スカートで運転しないということはありえないし、スカートだからといって運転の障害になるとは思えない。靴に関しては、たしかにハイヒールやぞうりでは適さないが、半ズボンやミニスカートが物理的に運転の障害になることはないだろう。
してみると、短いズボンや短いスカートは、運転の障害になるというより、教官の目の前に太ももを露出することが問題なのではないかと思う。
となると、やはり「短い」はズボンとスカートの両方を修飾しているのだろう。しかし、むしろロングスカートは足にまつわりついて運転がしにくいようにも思うから、やっぱりスカートは長すぎても短すぎてもよくなさそうである。だったら、普通にひざがかくれるくらいのスカートなら問題はなさそうだ。私はだいだい普通の長さのスカートで通勤しているので、そのままズボンに穿き替えずに教習を受けたことがあるが、スカートはいけないとは言われなかった。しかしながら、やはり運転はズボンが基本だろうと思うので、だいたいズボンに穿き替えている。

ところで、最近、かなりの頻度で「超・短いスカート」を見かけることが多くなった。
おいおいそこまで短いスカートで教習を受けるのかい?と驚くばかりだ。まっすぐ立っていても、もうぎりぎりの長さである。教習に向かう女の子の姿を見ると、薄いミニスカートが風になびいてまくれあがったりしているではないか。これはまずいんじゃない?と思うが、そういう人が減らないところを見るとあまり注意されることもないのだろう。ものすごく短いホットパンツみたいなのを穿いている人もいる。

このような人を最近よく見かけるようになったのには、気候が暑くなってきたからでもあるが、最近の教習生たちが、高校を卒業したくらいの学生ではなく、もう少し年齢が上がってきていることもあるようだ。以前は圧倒的にGパンが多く、顔も素顔か薄化粧だったが、最近はおしゃれな格好をしている人が多く、化粧などもうまくなっている。ものすごい美人も複数見かける。スタイルのよいモデルさんのような人もいる。
こういう人を教える教官は嬉しいのかなあ?美しすぎて緊張するかも。
また、逆に長髪でひげをはやしたムサイ男や暴走族のにいちゃんみたいな人もいるので、ほんとうに様々だ。
以前は全然顔を覚えられなかった教習生の人たちだったが、このごろは個性の強い人が多いため、待合所でも記憶にとどめる人が多くなってきた。
年齢が上がってくると、個人的な主張も強くなってくるのか、服装ひとつにしても、できうる限り勝手気ままな格好をしているようである。
ルールや原則はあるものの、それから外れても大した問題ではないという判断なのだろう。

また、教習時刻になると、教習生に対して教習開始のアナウンスが入り、普通はそれを聞いてから外に出て行くのだが、勝手気ままに早々と出て行き、早々と車に乗り込んでいる人も見かける。みんなと同じ行動をしていないのがおかしいことだと本人が気付いていないのか、それとも故意にしているのかわからない。

いろんな人がいるなあ、と思うこのごろです。


コメント (2)

みきわめ

2009-05-30 01:43:01 | 運転・車・道路の事
まだ、第二段階の「みきわめ」ではないけれど、第一段階の「みきわめ」のときのことを思い出しました。
「みきわめ」の前には、「みきわめ」を受けられるか受けられないかの「みきわめ」をするわけです。
そこで、「じゃあ みきわめ を受けてみますか?」と、20回ちかくも教習を受けたあと、ある教官が言ってくれたので、「みきわめ」を受けることになったのでした。

以前書いたことがありますが、それで受けた一度目の「みきわめ」はさんたんたるもので、「みきわめ不良」でした。
今、思うに、「みきわめ」にすすめましょうと判断してくれた先生には非常に申し訳なかったなあと思います。
そのころのことを思い出すと、私の運転にはミスがあったけど「全体的には悪くはない」とその先生は言っており、それでOKを出してくれたと記憶しています。
しかしながら、次の時間に別の教官が「みきわめ」をしたとき、しょっぱなの、スタートして即左折のときに、いきなり巻き込み確認をしなかったことから泥沼にはまってしまったのでした。

なんで、こんなことを書いているかというと、なぜかこのごろ日本語教師をしていたころのことを思い出すのです。
「全体的には悪くはない」
これは、たぶん、私の授業です。
しかし、「完璧ではない」「不完全である」。「今日のこの部分の教え方はちょっと・・・」ということもある。
学生からはクレームは出ないけれど、「すごくわかりやすく授業がうまい先生」ではない。

それで、気合をいれて授業をすると、ああ、今日はいい授業ができたと思えることもあるけれど、「ちょっと失敗だった」とか「わかりにくかった」とか「学生が退屈していた」ということもあるのでした。

いつもいつも気合をいれて準備をし、気合を入れて授業をすることに、だんだん疲れていってしまった。それは、年をとってから日本語教師になったからでもあり、自分に向いていないからなのかもしれなかった。もし、自分に向いているものなら、疲れ果てたりはしないのではないだろうか。気合をいれることが苦痛ではなく楽しいはずではないか。

日本語学校では、教師に対する学生の授業評価もあるし、教務主任による授業チェックもある。教務主任が実際に教室に入って授業を見てするチェックは、一種の「みきわめ」でもある。そのときの私の授業は、あんまりよくなかったのかもしれない。
あるとき、私は非常勤講師の契約更新がされなかったが、授業見学のみならず総合的に見て契約更新に適さないと判断したとのことで、実際の理由はよくわからない。
しかし、私がすばらしい授業をしていなかったのは確かであり、すばらしい教師でなかったのも確かだったから、思い残すことはなく足を洗った。

完成度が低い。
それは、自動車の運転も同じで、うまく行くときとうまく行かないときの差が大きい。
失敗の後は気合を入れていい運転ができるが、ちょっとうまく行くと、次にはいい気になって大切なことをごそっと忘れてしまったりする。
そういうことではダメなわけだ。

いついかなるときも、ほほ完璧な授業をしなければ日本語教師の資格はない。
いついかなるときも、ほぼ完璧な運転をしなければドライバーとしての資格はない。

私の場合、
いっぱい授業経験を積んだらいい日本語教師になったのかといえば、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
いっぱい運転をすれば、いいドライバーになれるかといえば、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

とりあえず、気合をいれてみよう。



コメント

アクセス絶好調?

2009-05-30 00:48:23 | 運転・車・道路の事
最近、意外にもアクセスが以前より上がっている。
今日は、訪問者179、閲覧761ということだ。自分のブログとしては多い。
最近多く書いているのは運転教習のことばかりであり、しかも個人的なことなので、それによってアクセスが上がるというのはちょっと意外だ。
芸能人の名前を書いているわけでもないのにね。
バカなことばかり書いているのがかえっていいのかもしれないし、ことによったら、最近はあんまり不服とか人の悪口とか陰気臭いことを書いていないことがいいのかもしれない。
いや、結構不服も不満も書いてはいるのだが、やっぱり自動車学校は仕事に比べたらまったく不服なんか生まれない。
そりゃあ、そうだ。仕事をしている会社からはお金をもらっているけれど、自動車学校にはお金を払ってるんだからさ。つらい思いをしてお金をもらい、お金を払って楽しい思いをするのは、あたりまえだね。

でも、今日、ちょっと嬉しかったことがあった。
今日は、自動車教習は夜の7時40分という遅い時間だった。
教習所に行くときに、自転車で会社の前の道を通る。ちょうどそのとき会社の人の姿を見かけた。そのひとは後ろ向きに立っていて、私は急いでいたので、そのまま通り過ぎようとしたら、その人の周囲に3人くらい会社の人がいることに気がついた。みんなで仕事帰りに飲みにでも行こうとしているのか。
あっと、思ったが、ちょっと面倒くさいから気づかぬふりをして通り過ぎようと思い、視線をそらして自転車を通過させていたところ、「あっ!」と誰かが気付き「お疲れ様ですっ!」と声をかけられた。早く走っていたので、「お疲れ様ですっ!」と返しながら通過したときは、かなり進んでしまっていた。
それでも、社員の人が私に声をかけてくれたことが、なんだかすごく嬉しかった。
4時に帰ったはずのパートのオバサンがなぜか会社の前をママチャリで走っていく。それを見て「お疲れ様です」と何のためらいもなく声をかけてくれたのだ。
実際、その人は私が入社した当初は、どこかよそよそしく、他人行儀なかんじだった。
しかし、最近はずいぶんと感触が違う。それは、同じ職場の仲間だという意識が生まれているからに他ならない。
となると、私は正社員ではないけれど、やっぱりその職場の一員であり、それはこの4年半の月日が築き上げたものに他ならないのだ。自分の居場所はやっぱりこの会社なのかもしれない、と思う。

私は教習所では一過性の教習生である。
会社では、コリドラスではあるものの、苦労を共にする同士であるということだ。

あっ、アクセスの話でした。
今後も、アクセスをあげるよう、頑張ります。

コメント