山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

げげえ~

2016-12-31 02:54:23 | 日記
年賀状、まだ4枚しか書けてない。

文面を考えてると時間がかかる。

宛先住所氏名も結局手書き。

さっき宛名登録したと思ったのは、間違えて差出人のところに登録していたので、
なんと私の友達が差出人になってしまうところだった。

いきなり、振り仮名の欄がなくなっていたので、なぜかと不思議だったのだが、
差出人(自分)だから振り仮名がないわけだ。

そして、宛名登録に追加できなかったわけだ。

はがきのレイアウトを見てみたら、私じゃない人の年賀状になってたので、
びっくり仰天!

やはり手書きで書いたほうが問題がない。

危ない危ない。

もう3時だ。

後は実家に帰ってからだ。

もうやだ~~~
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年賀状奮闘するも・・

2016-12-31 00:05:38 | 日記
速効かんたんという年賀状のDVDデザイン集を買ってきて印刷を始めたが、さんざんである。
2年くらい前に、以前に作ってあった住所録がなぜか消えてしまったため、その後は手書きで宛先を書いていた。
今年は、誰に出そうかと考えたときに、ついでに住所録を作ってしまえば一石二鳥だと思って宛名職人で住所録を作り始めた。
ところが、宛名のレイアウト表示させようとしても、郵便番号だけが表示されるだけで、なぜか住所と名前は表示されない。
何をどうしていいかわからぬまま時間が過ぎる。
結局、パソコンを再起動してみたら、なぜか表示された。

しかし、その後、3人くらい住所録に入力したあと、一旦住所録を閉じたら、今度は同じ住所録に追加して行くことができなくなった。
これも、何をどうしてもどうもならない。

わ~~~~、もうヒステリーを起こしそうである。

このままでは、夜が明けても出来そうもない。

娘から電話があったので、大困難に遭遇していることを伝えると、
「手で書いたほうが早いんじゃないの?」という。
確かに、その通りである。

放送大学の記述式レポートのときと同じで、
パソコンと奮闘しているだけで、もう何十時間もかかってしまうのだから、
原始式のやり方でやったほうが良い。

それにしても、送られてくる年賀状は、毎年皆さんきれいにパソコンで作成している模様である。
なんで、自分だけこんなに苦労しているのか・・・
やはりバカだからしょうがないのだろう。

夫は、そもそも年賀状は書かかない主義だと言っているので、この苦労を共有する気もなく、
プリンターを早く片付けてくれとせかすばかり。

私のプリンターが壊れてしまったので、夫の部屋にあるプリンター1台で対応しているが、これは非常に不便である。

試し刷りをしたのにもかかわらず、次に給紙するときに間違えて、ハガキを裏返しに置いてしまい。宛名の方に絵を印刷してしまった。1枚没。

その後も、ちゃんと印刷されているかとか、デザインを変えるたびに試し刷りしたり、いちいち部屋と部屋を行ったり来たりしなくてはならないのだ。

しかし、宛名が登録できないのはやはり気が済まない。くやしい。

こんなことなら、そもそもパソコンなんか使わず、コンビニで絵柄のついた絵ハガキを買ってきて、手で書けばよかったかもしれない。

げんなりだ。

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将来への不安が募ってきた

2016-12-30 19:03:17 | お題
地球規模の世界を見ても、自分のごく身の回りを見ても、いまだかつて感じなかった不安を感じ始めた年だった。
今のところはまだ大丈夫だけど、けっして良い方向に進んで行っているようには思えない。

特に、世界や日本の自然環境や経済状況等の未来は楽観できないと思う。
まずは温暖化であり、異常気象、天変地異が起きている。
日本では、春夏秋冬らしくない変な天気が起こり、地震が多発している。
そういうことによって、被災による損害が次々に起きるし、今後、食料不足やいろんなことが起きる恐れがある。

日本人は、結婚もしなくなり子供もあまり産まれなくなり、子孫は減り、今後どうやって安定した社会を形成していくのか、不安は募るばかりだ。
年金制度も破たんするであろうと思われる。これから大人になる人の将来はどうなるのだろう。

異様に認知症の老人が増えてきたし、癌にかかる人も多い。若い女性の乳癌も以前では考えられないほど増えているような気がする。何か食べ物とか、環境が関係しているのかもしれない。

世界の主要国のリーダーは、自分の国の利益だけを考えるような人間が多くなってきている。トランプがその代表的なものだが、もはやアメリカ合衆国ではなく、アメリカ株式会社のようになっていると思う。自分の国さえもうかれば良いと考える国が多くなっていきそうだ。地球上が何か見えない怪しい力に支配されようとしているのではないのか?

テロの恐怖もあるし、人間が恐ろしいことをするのではないかと不安である。
原発などの、消えない放射能も脅威である。

同時に、わけのわからない伝染病や、新型のインフルエンザ等が流行しそうでもあり不安である。

自分個人についても、どんどん年を取っていって、老後はどうやって暮らしたらよいのか不安である。親はいつまで元気でいてくれるだろうか。
いつか親も配偶者もいなくなったら一人ぼっちになる。自分が誰かに迷惑をかけることなく、元気に生きていけるだろうか。子供は遠くにいて頼りにはならないかもしれない。子供自体が、配偶者と共に、子孫を作って育て、ずっと幸せに暮らしていけるかどうかもわからず心配である。

このような心配は、昨年まではあまり感じていなかったのだが、この頃、毎日のニュースなどを見るにつけ、不安材料がいろいろと明らかになってきたように感じるのだ。

東京は、オリンピックの経費の問題や豊洲市場の問題も身近なものだけど、オリンピックなんかに浮かれていてよいのか、とんだものをひきうけてしまったなと思うばかりだ。
豊洲も、あんなものを造ってしまってどうするの?と思う。

問題解決できないことばかりではないか。
世界も日本も東京も自分も、抱える問題は、年々増えて行くばかりではないか。

どうか、この不安が的中せず、取り越し苦労であってくれたらと思う。
うまく乗り越えていけますように。
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アンケート

2016-12-30 00:37:51 | 日記
昨年か一昨年まで、パソコンでモニターをやっていて、よくアンケートに答えていた。それも煩わしくなり辞めてしまったのだが、考えてみたら、何ヶ月か経つと、何千円かの謝礼が貯まったので、やっぱり小遣い稼ぎにやろうかなと思った。
それで、1社だけやり始めた。

アンケートの中には、映像を見て答えるものなどがあるが、その映像がちゃんと見えているかを確認してから回答が始まる。確かに映像がちゃんと視聴できなければ回答のしようがないわけだ。

うちのパソコンはだいたいちゃんと視聴できる。これまでできなかったことはなかった。
今日も、そういうわけで、サンプルの映像を見たのだが、たまたまたヘッドホンを挿してあったので、空気中に音が出ないことに気付き、ヘッドホンを抜いてから、もう一度映像を再生してみた。

そして、確かに映像と音声がちゃんと確認できたということで「YES」のボタンを押し、いよいよアンケートの始まり始まり~となったわけなのだが・・・

いや、始まるはずだったのだが・・・

「アンケートはこれで終わりです。ありがとうございました。」
と言う表示が出て終わった。

ええ~~~っ?
何にも答えてないんですけど~~~

映像はちゃんと視聴できたと答えているのに、どうしてなの?

そこで、もう一度アンケートを最初からやり直そうとしたら、
「すでにご回答いただいています。」との表示。

回答してないんだけど・・・

いったい、何が気にいらないんだよ。
やはり、サンプルの映像を見てからの回答が遅かったから、見えていないという判断がされてしまったのかな~

そういう時は「映像が確認できた」と返答しても信用されないのだろうか。
あるいは、嘘ではないにしても、時間がかかりすぎる人間はふさわしくないってことか。

なんか・・・なんかなあ・・・・

今日、道を歩いていたら、宣伝で、何かを配ろうとしている人がいた。
でも、慣れてないのか、遠慮気味で道行く人になかなか渡せないでいるようだった。

そんだったら、このおばさんが受け取ってやろうか?

と思ったけど、そういう時に限って、手を出すと、
いえ、あなたは、渡す対象ではないので・・・
受け取っていただかなくて結構です、なんてことがある。

これを渡したいのは男性に限るんですよ~とか、
若い女性だけなんです、ってこともある。

お呼びじゃないんだよ、ってなわけだ。

アンケートもそんな感じ?

アンケート拒否されて、結構ストレスがたまった。


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仕事最終日

2016-12-29 21:31:33 | 日記
年末の最終日には、職場で納会が行われるが、年々しらけムードになっている。
参加者もどんどん減っている。
経営者が一言だけ話したら、あとはただ、物を食べたり飲んだりしているだけである。
この会社、求心力がないと思う。
個人主義。基本的に何でも自由意思。

私が、最初に就職した会社は、昭和50年代だったから、「団結」だの「社員一丸となって目標達成!」という精神で、エイエイオーとかやってたし、手締めなんかしてた。
無理やり課や係の出し物なんかもさせられた。ただ、納会というのは無かったのか、記憶がない。今の会社も数年前はもっと和気あいあいしていたような気がするし、ゲームなんかもして景品が当たる人なんかがあった。

最近、忘年会をやったばかりだから、納会は簡単にってことなのかもしれない。

まだ、仕事を忙しくやっている人たちもかなりいた。年末年始に休日出勤をしたくはないだろう。
仕事のない人は、そもそも出勤してなくて、1日早く冬休みにしてしまった人や、午後休を取った人も多い。仕事にけりがついて納会に出る時間的余裕のある人で、納会に参加するという選択をした人が3分の1くらいなんだろうか。ちょっとだけ顔を出して仕事に戻った人も多いようだ。
こういうのって、全員が集まらないとあんまり意味が無いような気がするのは、私が昭和時代の人間だからだろうか。

私の席の周囲は、仕事に追われていない人が多いようで、今日は休みや午後休のひとばかりだったので、納会に出る人はなく、最後の消灯は私が頼まれてしまった。
この会社に限らず、正社員のほうが先に帰ったり、遅く出勤したりすることはよくあることである。
部署によっては忙しい正社員もいるけれど、有給休暇をきちんと取っているのも正社員のような気がする。パートタイマーは、そもそも作業内容に対して時間が足りないくらいに設定されている。(ぜったいにフルタイムにはしてくれない。)だから、有給休暇を取る余裕は、あまりない。

正社員は、フレックスまではいかないけれど、一定範囲の自由な時間帯に出勤している。そのため、仕事の関係で外部の人から朝の9時過ぎに電話がかかってくると、「まだ、担当者が出勤しておりません」なんて応答している。
これって、ちょっと恥ずかしい気がする。これも昭和の人間の感覚かもしれないが、仕事は9時5時で、9時過ぎたら出勤しているのが常識だと思っていた。
朝の始まりが遅いと、仕事がなかなか進まないように思う。相手先が問い合わせてきても対応できないから、先方に申し訳ないような気がするが・・・。

時代は変わったんだなあ~
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エコプロ2016(12)YKK・YKKap

2016-12-29 01:15:02 | 産業・技術


YKK・YKKapは、毎年見ているブースです。
かなり見栄えがいいというか、一般人に分かりやすくきれいなものがあるという印象です。

YKK



今年気に入ったのは、このファスナーでできたバラの花でした。



すごい!ファスナーとは思えません。誰が考え出したのでしょう?

と、バラに感心している場合ではなく、本当は水を無駄に使わない色の染め方とか、環境によい製造方法等がポイントのようでしたが、ほとんど読んでなくて、バラだけ見てました。



昨年もあった巨大なファスナー。
昨年は写してこなかったので、今年は写しましたが、本当はファスナーのかみ合わせの仕組みを説明するためのものだったようです。
そんな部分をよく観察することもなく、ただ大きい~~!で終わってしまった・・・。



YKKの工場は黒部にあるので、黒部峡谷の環境を守る事なども展示されていました。


YKKapでは、窓枠等を見ました。

ポイントは樹脂の窓枠。
これまでは、窓枠といえばアルミサッシでしたが、金属は熱が伝導してしまうので、外の暑さ寒さが家の中に伝わってしまうという欠点があるそうです。
樹脂の場合は、熱が伝導しないので、太陽が照りつけても熱くならないそうです。
ガラスを熱の伝わらないものにしても、窓枠が金属だと熱が伝わってしまうので、これからは樹脂製の窓枠が良いそうです。耐用年数も大丈夫だそうです。

それ以外には、窓のない家、窓が1つの面にだけある家、窓が2つあって風が通る家の涼しさの違いなど、空気の流れのわかる模型などがあり、子供にもわかりやすい展示でした。

ここの窓の展示は、エコプロ・ガイドツアーでも省エネの住宅設備の紹介として見学したところですが、あまりにもかけ足だったので、午後にもう一度見に行きました。


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いつの間にか時が過ぎ

2016-12-29 00:44:49 | 日記
年内の出勤は明日までである。
多くの会社は今日までだったようだ。職場の関係先も今日までだった会社が多く、やりとりを終えた社員は、明日は休むという人も多い。
また、例年より仕事が少ないのか、年内にやっておかなくてはならない仕事もないらしく、私の身近な同僚たちも明日は休暇にしてしまった。
明日の昼は1人だから、外食にでも行こう。ランチやってるかな?

年末は追い立てられるような気分である。周りだけが、どんどん正月モードになって行く。
来年は、出勤するとまたすぐに3連休だから、のんびりもしていられない。
私は1月5日締め切りの仕事があるので、できる限り年内にやっておきたい。点検の仕事なので、人の作業が終わったあとに私の作業が入るから、なかなか上がれないのである。

今日は、夫がいないから、夜は年賀状を書こうか、何をしようかと思っていた。
ところが、夕飯(買って来たパン)を食べて、姉と長電話したあと、急に眠くなり布団にもぐりこんでしまった。それが9時くらいだったと思うが、目を覚ますとなんと12時だった。

結局何もしないまま、時間だけが過ぎて行ってしまったのだ。
狐につままれたような気分である。失われた時間を返して、と思う。

毎年クリスマス頃の連休に年賀状を書こうと思いながら、結局は年が明けてしまう。
明日仕事が終わったら、実家に帰る準備をしなくちゃならないので、年賀状どころではない。

これから何かをすると言っても、まだ眠いし、もう風呂に入って寝ることにしよう。

大掃除も全くしてないし、困ったことだ。


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年末はキライ

2016-12-27 23:26:54 | 日記
宅配便の人が、ヒステリーを起して、荷物を地面にたたきつけていたそうだ。
そんな動画が公開されて、非難を浴びている。
確かに、そんな乱暴なことをしてはいけない。
しかし、なんか、その気持ちが、ひしひしとわかるような気がする。
配達日・配達時間が指定されていたのかもしれない。再配達だったのかもしれない。なのに何度行っても不在で荷物が渡せなかったのかもしれない。
配達物はほかにもたくさんあり、時間内に仕事がやり切れないのかもしれない。

クリスマスや年末で、配達物が多く、遅延が起きているそうだ。クリスマスに届かないクリスマス用の品物はどうしたらいいのか?道路は渋滞する。クラクションが鳴り響く。
配送のために路上駐車して駐車違反になってしまうこともあるようだ。
配達の人のストレスは、想像できる。

クリスマスには、ピザ屋もピザの注文に対応できなくて、大変なことになってしまったそうだ。店頭では5時に予約を入れておいても、受取りが7時なったとか、店の前に長蛇の列ができたそうだ。
配達も大変だ。私もサンタクロースが運転するバイクが、交差点で変な動きをしていてびっくりした。きっとあわてていたのだろう。

クリスマスなんてろくなもんじゃない。
鶏はいっぱい殺されちゃうし、そして売れ残ったものは、いっぱい捨てられちゃうらしい。

年末年始なんてなくていい。
クリスマスが終わったとたんに、スーパーもショッピングセンターも、年末年始の品物に変わってしまった。
今から、魚売り場には、カニだのカズノコ等が山のように売られている。今日食べるおかずはどうしたらいいのだろうか?冷蔵食品売り場も蒲鉾だの、おせち料理に占領されてしまった。そして、何でも盛りが多く、値段も高い。

年末年始は家族や親戚が集まるから?
しかし、1人暮らしの人だっているし、夫婦だけや、親子だけのせいぜい2人という家庭も多い。そんな豪勢に多人数の人々が集まる家庭ばかりではなかろう。

こういう商店の売り方は、絶対に人々の生活の現状に合致しないと思う。

いったいいつまで、こんなことをしているのか。
普通に食べるものを売ってほしい。
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エコプロ2016(11)イオン

2016-12-27 20:43:30 | 産業・技術


イオンのブースは、昨年はさっと通り抜けた程度だったと思います。

イオンモールってのは、私の家からは車で行かないといけないので、以前は、あまりなじみのないお店でした。

でも、このごろは利用することが多くなりました。

と言っても、月に1度くらいですが、買い物をしたり食事をしたり、色々しています。
洋服を買うことも結構多いです。寝具も結構買いました。

そんなわけで、年々親しみがわいてくるお店ではあります。

今年はちゃんと見学しようと思っていました。



イオンでは、植樹活動をしているそうです。

日本以外の東南アジアなどでも活動しているようです。

そういう説明を聞いてきました。

そう言えば、東久留米のイオンは、壁が植物になっていてきれいですし、周囲も樹木があって公園のようになっています。

私が行くのは、このほかに武蔵村山ですが、こちらは外に出たことがありません。
立体駐車場と店内だけしか知りません。

今度、外の様子を見てみようと思います。

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海賊と呼ばれた男

2016-12-26 21:58:03 | お題
12月23日に“海賊と呼ばれた男”を見てきました。
これは、2013年に本屋大賞を取った百田尚樹の長編小説を映画化したものです。
モデルは出光興産の創業者、出光佐三氏だそうです。あらすじは、ほぼ史実に基づいているようで、この人の半生を描いています。主人公の半生といっても、これがすごい。
日本の歴史がわかるのです。なぜ日本は戦争の道に進んだのか、エネルギーを求めて歩んできた日本の辛い道のりが痛いほどわかります。そして、戦後もまたどうしたのかです。

私は、この小説が、映画化されるのを待ち望んでいました。
出光佐三氏がモデルとなった主人公は国岡鐡造という名前になっています。この役をやったのは岡田准一でした。彼は「永遠の0」(これも百田尚樹の小説)も主演しています。
映画を実際に見るまでは、国岡鐡造の一生を演じるには36歳の岡田准一では若すぎるのではないかと思っていたのですが、全然そんなことはありませんでした。若いころから95歳で亡くなるまでを見事に演じていました。メイクも自然で本当の年寄りのようでした。
最初の妻役の綾瀬はるかもかわいかったです。部下役の吉岡秀隆等や他の脇役もよかったです。国岡が若い時に、多額の融資をしてくれた近藤正臣も適役でした。

若い頃から、すごい行動力の国岡でしたが、60歳も過ぎた年齢になっても、究極の選択をしました。危険を冒して、日章丸をアバダンに赴かせました。石油をタンカーに積んで戻ってきたときは、感動でした。行かせるときの覚悟は、もし乗組員が戻って来なかったら店主(国岡)は死ぬつもりであるというのがひしひしと伝わりました。いつも社員と心を一つにしていた経営者であり、その信頼関係はすごいものでした。

小説を読んでいて、石油タンクの「底をさらう」という意味がよくわかりませんでした。今のような石油コンビナートの地上に置いてあるタンクの中に入ったのかと思っていたら、地面の中にあり、ドロドロの真っ黒な石油でした。
どんな状況で、社員がそれをさらったのか、映画で見て初めてわかりました。

日本に石油をもたらすためには、軍も他の会社も誰もが嫌がってやらないことを、実行した会社。

日章丸が無事戻ってきて安堵した後、「国岡のもんよ~、油持ってきたけえ」と店主、国岡(岡田)と部下、東雲(吉岡)たちが言って笑った場面が、私は一番好きです。

昔、海の上で油を売っていたときの言葉。エネルギー・動力となる油を売る仕事は、世界規模になっても同じ。頼もしい。

それにしても、石油をとりまく歴史については、本を読んでも映画を見ても、なかなか難しいものがあります。複雑な利害関係や、権利の取りあいや、勢力争いやら、私にはまだよくわかりません。

石油を求めて戦争になり、石油が無くて戦争に負けた。
「永遠の0」もそうだった。
百田尚樹という原作者の日頃の言動は、過激すぎると言われていますが、この人の目や分析力はすごいと思います。

日本は、今もエネルギー問題は深刻です。
出光興産は今は世界に油田の権利や鉱山なども持っているようですが、外資系の昭和シェルと経営統合をするかしないかでもめているそうです。
創始者系統の株主は、外資系と手を組むのは反対だそうです。昔から一匹狼のようにして信念を貫いて歩んできた会社です。しかし、もはや過去の方針を固持するような時代ではないとも言われています。

映画では、別に出光興産が映画を作ったわけでもなく、会社のCMをしているわけでもありません。出光佐三氏についての資料は提供したようです。

しかし、この映画が、実在の人物を題材にして、実際の会社を描いているわけなので、実際の歴史や現在のことにも関心を持ちます。

原作を読んでいないと映画ではわかりにくい部分もあるかもしれません。
また、史実がわからないとわかりにくい部分もあります。
映画だけを見ても、充分に見ごたえのある作品ですが、奥が深く、視野も広げなくてはならない世界です。

もう一度原作を読んでみようかという気にもなりました。
いい映画でした。

関連する過去記事:


海賊と呼ばれた男のキャスト
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会ったことのない対向車

2016-12-26 00:13:03 | 車・運転・道路・駐車場2016
今夜、狭い道路を走っていたら、未だかつて会ったことのない対向車に遭遇した。

あれっ?ここで対向車が来るのって初めての経験だな~と思った。

センターラインがないし、かなり狭い。
電柱がないところでなら すれ違えるので、
電柱に近づかない手前の位置で、左端に待機した。

駐車車両が左にあって、
右側に寄って通行したことはあるが、
左端に寄るのは初めてだ。

?????

ここに来る前に、私は別の道から右折してきた。

それは、つきあったところに信号があり、交差点の標識は右方向の矢印になっていた。

つき当ったら右にしか進めない道だった。

また、そこに突き当たるまでの道も一方通行であった。

バスも走るが、バスも一方通行で、
往きと帰りは別の道を通るようになっている。

そうなのだ。
その道は一方通行なのだ。

つまり、初めて会った対向車は、一方通行道路を逆走してきたのだ。

この先、どうするのだろう。

まっすぐ行っても逆走。
曲っても逆走になっちゃうよね。

最終バスが終わってる時間帯だったのが、その車にとって救いである。
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脇見のもとイルミ

2016-12-26 00:07:31 | 車・運転・道路・駐車場2016
12月になって、なにやらネオンのような派手な電球を庭や家の壁にめいっぱい点灯させている家が時々ある。

夜、運転をしていると、あれ?何だ?と思って、ついついそっちに視線が向く。

信号待ち中などでは、かなり気を取られて凝視してしまったりするが、
あれはよくない。

ましてや、運転走行中に、きれいな光や飾りが見えても、けっしてそっちに視線を向けてはいけない。

クリスマスもようやく終わったので、そういうイルミネーションは、片づける家もあるかもしれないが、まだまだお正月まで、あるいは冬が終わるまで点けてる家もあるようだ。

脇見には気をつけよう。

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路上マスク

2016-12-26 00:03:53 | 車・運転・道路・駐車場2016
夜遅く、住宅街を運転していると、道路の真ん中に白いものがよく落ちている。

なんだろうと思うと、マスクである。

10分くらい走るうちに、3個くらい落ちていた。
歩行者か自転車の人が落としたんだろうけど、

いったい、どうやって落とすもんやら。

ポケットに入れておいて、手をポケットから出したとたんに
マスクがポケットから出て落ちちゃうとかかな?

それにしても、道路の真ん中に落ちていることが多いのが不思議だ。

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Raphael 卒業

2016-12-25 23:59:31 | 音楽
12月24日は、RaphaelのCD、Neverで音楽を流しながら家事や料理作りをしていました。Neverにはクリスマスの曲“ホワイトラブストーリー”が入っているからです。これは、ジャズっぽいアレンジで、とても素敵に仕上がっているのです。

♪ 恋人達は寄り添って 凍える夜も寒くない
聖なる夜に許された 奇跡にもたれて~

♪Merry Xmas It’s white love story
夢物語に溶ろける様な
Merry Xmas It’s white love story
手をつないでWhite love Story始めよう♪

この歌のほかにも、“eternal wish~届かぬ君へ~”や“窓際の夢”等の穏やかな曲も落ち着いていい感じですし、逆に“人間不信”は、全然違う曲だけど、パワーがあって、すごくドラムがかっこいいなあ~と再認識しました。最初は、きれいな曲ばかり並べてクリスマスソング集みたいなのがあったらいいな、なんて思ってたけど、激しい曲や苦悩を抱えているような曲もあることで、どの曲もみんないいなと感じました。

12月25日に、ラファエルの「卒業」が届く予定で、それを自分へのクリスマスプレゼントだなと楽しみにしていました(12月の始めに注文済み)が、1日早く24日の午後に届きました。だから、24日からそれを読んでいました。
まず先に、ついてるCDで“プレサージュ”と“ミスティーフラワー”を聴いてみました。
歌詞はないのか~とちょっと残念でしたけど、未完成の状態をそのままってことなのか。
ミスティーフラワーはきれいでした。
「卒業」はラファエル4人の写真集と、色々な文章・対談等が書いてあります。
(「いろいろな」とは、あまりにも漠然としてますけど、ここで書くと長くなるので省きます。)

ああ、これはラファエルのまさしく「卒業アルバム」なんだ。

子供のころの写真なども見てみたいという好奇心から買ってみたけど、買って本当によかったです。
私は、この人たちの親の世代だから、ああ、こういう男の子たちがこう育っていったんだな、と実感するものがありました。

そして、華月さんが病んでいった頃のことなども書かれていて、結局は心の病で、今ではそういう治療も発達してきたけど、当時の状況は今のようではなかった。周囲の人々もそれに対処できなかったということなど解ってきた。
仕事関係の大人の対応などに問題点があったとは言えるけれど、メンバーや同世代のスタッフなどが、その当時にできることには限界があったのだ。
華月さんを失って活動は休止してしまい、それからの苦しい長い年月だった。
でも、13回忌でコンサートをやって、今年17回忌とユキトさんの引退を機に、しっかりと1年間かけて充実した活動を行い、Raphaelの最後を締めくくった。

本当に偉いと思う。
すべての曲をもう一度CDに収録し直したし、私のように当時のラファエルを全く知らなかった人間が、すべて(この表現は言弊があるかもしれないが)を知ることができた。

華月さんが生きていた同時期に彼を知らなかった人々も、今になってその人となりを知ることができたし、曲にも出会えた。

そういう機会を与えてくれてありがとうと思うばかりである。
そして、ラファエルが解散したからって、すべてが終わったわけではなくて、これからもこの音楽は生き続けて、歌われ演奏されて行くんだから。

卒業アルバムっていうのは、1つの区切り目ってことで、これからの出発である。

never ending love storyで、アレンジが原曲と変わっているものがあります。深刻なままではなく、昇天するかのようなアレンジになっているものもあります。
それは、苦悩を苦悩で終わらせないってことかと思います。
「卒業」の中で、有紀さんの言葉が書かれているけれど、曲に「起承転結」が必要ではないかってことで、たとえば「起」が「苦」だったら、「苦」のまま「苦」を解ってくれ、で終わりではなく、それをどう受け止めて、どう対処発展させ昇華させるかってことではないか?(うまく表現できませんが)
「苦しいよ」・・・私も僕も同感です、辛いままです、・・では聴く人もダメなんじゃないか。

何でもかんでもハッピーエンドってのとは違うけど、音楽とは、なんらかの前向きなエネルギーへ向かうべきものではないのか。あるいは、いやしにつながるものではないか。
それが、音楽を聴く人へのメッセージになるんではないか。

「Raphael 卒業」は、まだ全部は読んでいませんが、今年のクリスマスは、ラファエルの音楽と卒業アルバムで過ごしました。

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ベランダの葉ボタンなど

2016-12-24 23:10:53 | 植物・花・木


今日の葉ボタンの様子です。
ちょっと大きくなったような?
鉢にいっぱいになってる気がする。

買ったばかりの頃の葉ボタン


うん確かに、この頃はまだ隙間があった。

まさか、もっと大きくなるのかな?
そうすると、狭すぎるかも。



今のベランダの主役は、
葉ボタンとノボタンと観賞用トウガラシです。



勝手に生えたトウガラシ。

実が赤くなってきました。

・・・・・・・

先日の強風の日に、信じられないことが起こりました。
ベランダにあるべきものがないのですよ~。
風で飛んでっちゃったものが・・・。

地上で事件になってたら恐ろしいので、何が飛んだか言えないのですが・・・。
翌朝、近辺を探して見つけ出し、取り戻してきました。

ああ、びっくりした。北の方角に50mくらい飛んでったかな?
多分、夜だったので、誰も見てないと思いますけど・・・。

まさか、冬にあんな強い南風が吹くとは思わなかった。

今度から、ちゃんと固定しておかなくちゃだよ。

野ボタンの鉢はひっくりかえってたけど、

花たちは無事でした。



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