山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ナンバーのイメージ

2013-04-30 21:24:10 | 車・運転・道路2013
車を運転していると、前を走る車のナンバーに目が行く。
今日、目についたのは、何やら4文字の地名のナンバーだった?
あれっなんて書いてある? 「尾張××」・・・?
最近視力が落ちたのと、知らない地名ゆえに字の形からの推測がつかないのだ。
(結局「尾張小牧」というものだったようだ。)

尾張ってどこ?名古屋のほう?
名古屋の人は運転がめちゃくちゃらしいよ。
気をつけたほうがいいぞ。

なんて話になった。
とはいえ、前の車は普通に走っていたので、
それは、失礼な話だった。

ナンバーのイメージでは、
まず怖いのは「なにわ」だ、と思っている。
東京でもときどき見かけるけど、実際、そんなめちゃくちゃな運転をしているのは見たことがない。
多くの車の中に「なにわ」ナンバーが1台居ても怖くはないけど、そんな車がいっぱい走る関西で運転するのは恐ろしそうだと思っている。

関東で要注意だと思っているのは「春日部」ナンバーだ。時々みかける。
こっちの地域は事故が多いと聞いている。運転に原因があるのか、道路に原因があるのかはよくわからないが、春日部ナンバーの車のそばを走るときはちょっと気になる。

ところで、愛知県のほうの運転は、いったいどのように滅茶苦茶なのだろうか?
名古屋走り」なるものを読んでみると、驚いた。

そういえば、前が進まないとやたらにクラクションを鳴らす車や、
車線をあっちこっち変えながらすり抜けるようにして前に進んで行く車
交差点の角に駐車する車(「しゃちほこ停め」というらしい)
信号が黄色では絶対に停まらない車
信号が青になる前に走り始める車
そんなのは東京にも時々いるけど、名古屋では普通なのだそうだ。
あれは「名古屋走り」だったのかと思った。

そうなると、私は名古屋では絶対に走れそうもない。

東京でよかった。

バス停から発車するバス

2013-04-30 00:07:23 | 車・運転・道路2013
このごろ、「バス運転士の後姿」っていうブログを愛読している。毎日こまめに更新されるので、本当に驚く。この運転士さんには休みはないのか?なんて思うくらいだ。

それを読んでいると、路線バスの運転士さんも日夜大変だな~と思い、街中を走っているバスを見る目も変わってきた。
バスってのは、停留所には止まらなきゃならないし、短距離内で車線を変更して右折したりもしなくちゃならないし、急ブレーキをかけると立ってるお客さんが転んだりするし、運行時間を守らなくちゃならないし、神経を使うよね、と思う。

今日はバスの後を走る事が多かったのだが、路上に駐車車両があると、その前のバス停には斜めに止まったりしていた。つまりアタマはバス停なのだけど、お尻部分が出っ張っていた。駐車車両の位置は、バスの長さ分は空けてあるといっても、そこにまっすぐにバスを入れるには足りない距離なのだ。道路交通法ではバス停のそば10mは車を停めてはいけないことになっていたかな?たとえ10mあけても、中型バスの車体の長さは8~9mはあるようだから、やっぱり迷惑なことだ。
バスのお尻が斜めにでっぱっているので、こちらも追い越すことができなかったりした。

車線がいっぱいあって、バス停部分が広くなっている道路でも、交通量が多くて車の流れが途切れない道路では、バスが発車するのが大変みたいだ。
私の前を走る車列が停車中のバスの脇をどんどん通過していく。バスが右ウィンカーを出したので、即座に速度を落として車間距離を開けると、運転士さんの白い手袋の手が窓から出てきた。
さらに減速を続けているとバスが合流して前に入り、それからハザードランプをピカピカと点滅させてくれた。

なんか、とても温かい気分になってしまった。

目の前で捕まっちゃった自転車

2013-04-29 23:31:51 | 車・運転・道路2013
ゴールデンウィークは本当に警察が多い。まあ、御苦労様なことです。
やはり、ちゃんと取り締まって頂けると、よいとも言えます。

先日の夕方、自転車で走っていると、ウウ~ウウ~とサイレンの音がすぐ近くで鳴り、パトカーが近づいてきました。あれっ、何か事件かな?
そこは住宅街で、クルマはほとんど走っていなかったので、ひったくりでもあったかな、と思っていました。
すると、パトカーが止まり、とある自転車を押して歩いているカップルのような人たちに向かって何か言っており、警察が降りてきて「飛びだしてきてあぶないですよ」のようなことを言っていました。
「一応、名前を教えてください」などと言われていたようです。
飛びだしたくらいでパトカーが追いかけてくるとも思えないので、もしかしたら2人乗りだったのかな?と思いましたが、現場を見ていないのでなんともいえません。
ただ、自転車も取り締まられるんだな、と思った次第です。注意だけではなく身元も聞かれるのかと驚きました。

その時、周囲が少し薄暗くなっており、周りを見回すと自転車もライトを点けている人が多く、私は点けていなかったので、ちょっとヤバいか?と思いました。
幸い、そっちの人への対応に注意が向けられていたので、気がつかなかったようです。
その場を通り過ぎてから、広い車道に出る時にライトをつけました。

それにしても、無灯火で捕まる場合は、どの程度の暗さになった場合かな?と疑問に思いました。
警察の取り締まりも厳しいので、ヒヤヒヤです。

目の前で捕まっちゃった車

2013-04-29 16:18:11 | 車・運転・道路2013


月に1度くらい不忍通りを走って、車で駒込に行っています。
不忍通りでは護国寺の大きな交差点を通過するのですが、西から東に向かって走ると、まず護国寺西の信号では、左折が池袋方面、右折高速入り口、その他はそのまま少し右カーブしつつ直進していきます。そこで左2車線が駒込方向へ直進、右2車線が江戸川橋方面への右折、という進行方向別の計4車線になっており、ちょっと進んだ後に、護国寺前の信号で2方向に別れて進むようになっています。
その日は道路が空いていて、なにかと交差点で先頭車となることが多く、もし知らない道だったら戸惑いかねない状況でした。幸い何度か走ったことがあるので、交差点の先がどうなっているのかは知っていました。

その4車線になっているところで、第2車線を走行していると、私のすぐ前に第3車線から車が車線変更してきました。そこは、信号の手前で黄色い線で区切られており、車線変更禁止の場所です。
あらあらあら、という感じでしたが、きっと右折専用レーンに入ってしまっていることに気がついてあわてて左の直進レーンに移動したようです。
交通量は少なく、私の前にも車間距離があったので、車線変更自体は危険な感じはまるでなかったのですが、やはり黄色いラインを跨いでの移動はまずいでしょ、と思いました。

すると、同時に前方に見えたもの。
おいおい、目の前は交番だぜ、しかも警察が数人こっちを見てるぜ、という状況。
ここは「護国寺交番」ですね。
前の車、やばいんじゃない?見られてるよね。
と思う間もなく、青信号で進んだ車は、警察のお出迎えに合って誘導され、あっけなく交番前でつかまってしまいました。
まるで飛んで火にいる夏の虫のように。

ああ、かわいそ~
罰金いくら取られるかな?

それにしても、場所が悪かったもんです。交番の真ん前で交通違反ですから。
おそらく、その場所を走るのは初めてなのでしょう。
このように、車線を間違えたとわかったときには、もうそのまま進むしかありませんね。そして、またどっかから回ってくれば、目的地に行けるものですから、遠回りするしかありません。やっぱり交通ルールだけは守らないとね。

私なんか、ここを逆方向に走ったときは、池袋方向の車線に入っちゃったことがあり、目白方向に進めず、池袋方面に進み、そのあと、雑司ヶ谷霊園の近辺の超狭いわけのわからない道を迷走してしまって大変だったんだから。
でも、車線に従って進んだおかげで、罰金は取られないで済んだわけだ。

交通違反、本当に気をつけましょう。
ゴールデンウィークは、警察があっちこっちで見張ってるみたいだよ。


「自分の失敗をごまかす」の巻

2013-04-29 00:15:45 | 日記
いつも読んでいる運転士さんのブログの内容。いつも通りのことをしているときに、何かいつもと違う出来事が起こり、それに気を奪われたことによって、なぜかいつもと違う行動をしてしまい、ミスしそうになった、というもの。

そうそう、こういうことは結構あるのだ。
私は、毎朝、社員カードを認証させて室内に入るのだが、普通はそのカードをそのまま首から下げている。ところが、先日はロッカーに入ったときに、いつもは誰もいないロッカールームに同僚がいたので、そこでちょっと立ち話をしていた。
そして、自分の部署に行ったあとで、室外に一旦出た。そして所用を済ませて再び入ろうとしたところ、社員カードがないことを発見。
あれっ?どうしたんだろう。一旦は入ったんだから家に忘れたわけではなし・・・。つまり、一旦使って入ったものの、いつものように首から下げずにどうかしてしまったらしい。
思い越せば、たぶんロッカールームで同僚と話しながら、無意識のうちに社員カードを再びカバンの中に戻してしまったらしいのだ。
わあ、はいれない、どうしよう・・・。誰か出勤してこないかな~~。
しかたなく外で待つ。でも、なかなか来ない。外部の人間みたいにチャイムを鳴らせば誰かが開けてくれるけど、それも恥ずかしい。どうしようかと思っていると、その時、運よく、中から人が出てきた。ああ、助かった。
「開けていただいてよかったです。カードを中に置き忘れて・・・」などと言おうかと思ったが、相手も急いでいるようだったので、たまたま偶然同じタイミングになったような顔をして、開いたドアから入ってしまった。

さて、席に戻ると別の部署の人からメールが来ていた。ある書類を変更してくれという内容なのだが、数日前に同様の別書類を変更する依頼が来ていた。それらを同時にやれば手間がかからないものであるのだが、今度の依頼が遅くなり、2度手間になってしまって申し訳ありませんという内容だった。
あれっ?あっ、前回のまだ変更してなかったぞ。そういえば、忙しくて手が回らなかったのだ。ああ、よかった、ちょうど思い出したよ。
そこで、「前回のものもまだ変更してなかったので、ちょうどよかったです。一緒にやります。」などと返信を打ちこんだ。そう書けば、相手も気がねしないだろう。
だが、待てよ、こんなことを書くと「えっ、前回のまだだったんですかあ?」(何とろとろしてんのかしら、あのおばさん)などと思われてしまうのではないか。
そして、おばさんは仕事が遅い、頼んだ事をすぐにしない、という悪い評判が流れるかもしれない。
そこで、一度うちこんだものを削除し、「了解しました」とだけ書いて返信しちゃった。

これで、私は完璧なひと。

KYな質問タイミング

2013-04-28 14:06:42 | 日記
アスペルガ―というのは空気が読めないといわれているが、空気が読めないからといってアズペルガーだとは言えない。しかし、空気が読めない人間はマズイかもしれない。

会話の中で聞いたこともない言葉がでてくると、
「ちょっと待って、それは何ですか?」と
私はすぐに聞いてしまう。

するとそこで、和気あいあいと順調に流れていたグループの会話が止まってしまうことがある。

A:○○ってそうですよね。
B:うん、そうそう、
A:それでさ~、○○が××だから◇◇でえ~~~
C:へえ~~ おかしいですね。
A:だから、わらっちゃってえ
B;まったく、△△なんかの場合は、○○は不便ですよね。
A;だから、そんなことになっちゃうんですよ。
D:へえ~~
E:それも困りものですね。
F:使わないほうがいいですよ。
私:ちょっと待って、その○○ってのはなんなんですか?
どういうものなの?
何故どうしてどういう時にどうだからどんなことになるの?

そうすると、この場合、AさんやBさんが詳しく説明してくれるんですが、

本当に驚くことには、
みんな、なんで知ってるのだろうか?ということだ。

どういう生活をしていると、あらゆる情報を取り入れることができるのだろうか?

というよりも、
本当に思うことは、
本当に全員知ってたのかな?
あんまりよく知らない人も実はいたけど、知ってるような顔をしていた人もいたんじゃないか?

ということです。

いやいや、「聞くは一時の恥」です。

読者の知りたいことと筆者の伝えることのギャップ

2013-04-28 13:04:01 | 日記
ブログでは、筆者は書きたい事を書き、省きたいことを省くという作業をしている。しかし、読む側にとっては、この部分はどうなってるんだろう?という疑問がわくことがある。その場合、コメントなどに質問を書きこむことがある。
私の場合、自分自身が質問されたこともあると思うが、質問をすることもある。

単にわかっていると思い込んで、文中に説明不足だったこともあるし、筆者にとってはどうでもいいことであって書いていなかったりする場合もあるだろう。
書いてないことは、伝えたいポイントとはずれているのだとも言えるかもしれない。

あるブログを読んでいたら、その筆者が生活上のある問題点に遭遇し、それを解決する事態にあたったというものがあった。だが、それに対する対応が、お国柄の特徴で見解が違うということだった。日本では重大トラブルとして企業が責任を持つことでも、日本以外の国ではそれはトラブルとしてさえ認められないというのだ。結論はそこで終っている。
筆者の書きたいことは、「日本の常識は世界では主流ではない」ということだった。
ところが、読者としては、それではそのトラブルはどうやって解決したのだろうか?そのままでは生活できないではないか?という疑問が大きく残ってしまった。
そこで、それはどうやって解決したのですか?などという質問をしてみたところ、まるでなしのつぶてである。おそらく、どうやって解決したのかは、伝えたくない、あるいはそれをブログ上に書くと支障があるのかもしれない。
すると、答えられないような事を質問するとは、それはKYな質問をしてしまったことになる。

また、ブログの中に固有名詞などが出てきて、それが実在しないもの(似ているが違う)だったりする。あるいは、その名前は世間に存在するものの明らかに違うものの名前だったりするものがある。記載ミスだろうか?などと思ったりするわけだ。そのうちに気がついて本人が直すだろうと思っていたら何日たっても全然修正されない。そこで「○○の間違いではないですか?」などと聞いてみたりする。
しかしその後もまるで修正されることもなく返事もない。
つまり、そのままでよいのだということだ。

これは、なんなんだろうと、ずっとずっと考えていたのだが、もしかしたら、この人が書いているものは全部固有名詞が架空の名前なのかもしれないということに思い当った。
その人が住んでいるのは、関東ではなく私が行ったこともない地域であって、そこにそう言う地名や商店街や商業施設などが私はあるのだと思い込んでいた。聞いたこともないスーパーの名前でも、関東にはないような会社があるのだろうくらいに思っていた。しかし、もしかしたら実はないのかもしれなかった。そういえば、ずいぶんと詳細にかいているので、こんなに具体的に書いていいのかなあと思っていたが、架空の名前を使っているから特定できないようになっているのかもしれない。その近辺の圏内に住んでいる人にとっては、それらが架空の名前であることは一目瞭然なんだろうが、遠くに住んでいるバカなおばさんは実在の名前だと思いこんでいたのだ。

あるいは、ある部分では実在名で、ある部分では架空名であり、そういうものを読者はいち早く察知して読解していくべき。たとえば、ある物事について悪口のようなことを書けば、名誉棄損につながるので、それは実名を出さない。パロディーで使うような名前に変えてあったりするが、実名でも支障のないものは実名を記載などとしているのかもしれない。

そうなると、筆者がわざと実名とは変えて記載したものを、誤記や勘違いだと思いこんで指摘した人は、筆者にとっては大きな迷惑ということになってしまい、これまた超KYな行為となってしまう。

だが、誰もが意図的な記載か、誤記なのかを察知できるとは限らない。架空名なら「(仮名)」とか「○○」などとしておいてくれると分かりやすいと思う。

ブログを書くのも、読んでコメントするのも、結構注意すべき事があるなあと思うこのごろです。

テレビドラマと自分の時代検証

2013-04-28 10:59:15 | 日記
前記事に引き続き、過去のテレビの番組を、その当時視聴したかしなかったかという事について書いてみる。

よく、昔のドラマを振り返る番組があって、名場面が出てくる。例えば、101回目のプロポーズでは、武田鉄矢が車の前に立ちはだかったあと「僕は死にません」とか何とか言っている。この場面はすごい感動の場面だったらしいが、当時このドラマを見ていない人間にとっては、よくわからない。なんで、夜間の道路に飛び出して走って来るトラックの前に立ったりするのか、未だに不思議であり、感動以前に、死ぬ可能性や事故が起きた時にはどうなるのか、などと余計な心配にアタマが行ってしまうのだ。でも、ドラマの流れの中では、けっして不自然なものではなかったのだろう。
このドラマは、見ればよかったなと思う部類だ。

前記事で、このドラマが放送された時は、自分が20歳だと思っており、1人暮らしをしていて、テレビが買えたか買えなかったかの時期かと思っていたが、再度調べ直すと、1991年7月からの放送なので、すでに結婚していた。この当時は下の子が2歳だから、きっと子どもの世話で忙しくテレビどころではなかったのだろう。
(前記事の誤記述部分は変更しました。)
また、「東京ラブストーリー」も有名だが、私はほとんど記憶がない。これも1991年に放送されたそうだ。やっぱり子育て中はテレビドラマどころではなかったのかもしれない。

「岸辺のアルバム」が放送された1977年頃は、まだビデオもなかったので、放送時間に見ない限りはどうにもならなかった。これは見といてよかった。
「101回目のプロポーズ」や「東京ラブストーリー」の頃は、ビデオは家庭に普及していたと思うが、自分で録画して再生しない限りは見ないままで終った。
これらのドラマは、今ならレンタルDVDでも借りて見てみれば、全部を視聴することができるだろう。

今では、自分で録画するといっても、昔のようにいちいちビデオテープを挿入して時間設定などする必要もなく、ワンタッチで同時にいくつも録画できる。自分で録画しておかなくてもオンデマンドとかいうのでまとめてみることもできる。
だから、裏番組を見ていたから見られなかったとか、その時間帯にはテレビが見られなかった(毎週、仕事をしていた、学校に行っていた)などということもない。
現代では、実際の放送時間には見ない人も多くなっているそうだ。とりあえず録画しておき、わざと時間をずらしてCMを抜いて見れば時間の無駄がないなどという人もいる。

こうなると、何十年もあとになって、過去を振り返ったときに、テレビ番組の放送期間や放送時間を基準にして、そのとき自分が何をしていたか、ということを思い起こす方法が単純にはいかない。

これからは、自分がいつどのようにしてそのドラマや映画を初めて見たのか、そこまで思い出さないと、自分についての過去の検証はできなくなりそうだ。

人生を変えないラジオ

2013-04-28 00:27:39 | 日記
今日は、FMさがみでかぜさんの「人生を変えないラジオ」があったので聴いた。
毎月、最終土曜日夜11時から1時間の放送だ。聴き逃さなくてよかった。

やっぱりいいなあ。今日は、かぜさんが、おたよりをいくつも読んだのだけど、いろんな内容で面白かった。
娘の初任給、歯磨き、SNS(ライン・フェイスブック)、有料放送、岸辺のアルバム、犬の予防注射、ピアの時代、コーラスライン、など、一般の人からのおたよりを紹介して、かぜさんがそれについて語るというものだ。
昔の「たむたむたいむ」みたいだけど、お便りを書いている人間が中年(おそらく50代くらい)なのでおかしい。放送の中で、かぜさんが「はがき」と言って「メール」と言い換えていたが、そうか、今の「お便り」は、ハガキを送っているのではなく、Eメールを送ってるってことだ。いちいち切手を貼ってポストに入れたりしなくていいのだ。時代は変わったなあ。

話題の中に出てきた「岸辺のアルバム」(you tubeより)

岸辺のアルハ?ム オープニング


岸辺のアルバムは、1977年6月から放送された、山田太一の作品だ。
このドラマは有名で、今でもよく話題になる。
ジャニス・イアンの歌もこのドラマで知るきっかけとなった。

お便りを送ってくれた人は、最近有料放送の視聴登録をしたのをきっかけに、このドラマを再度見ているとのことだった。昔は、高校生の男の子(国広富之)の視線で見ていたけど、今では、母親(八千草薫)の視線で見ているという。私もきっと同じだと思う。全く年月が経ったものだ。私はこのころ高校2年だったということになる。

かぜさんは、このドラマを全く見ていなかったそうだ。単行本の編集などの仕事で忙しくてそれどころではなかったようだ。

あるドラマを見たか見なかったかというのは、あとになってみると、結構影響があるもんだと思う。そのドラマとともに当時を懐かしく思い出すことは当然できないし、それだけのインパクトのあるドラマだったら、やっぱり見ておいた方が良かったように思うわけだ。でも、終了してからでないとドラマの価値はわからないから、見逃さないためには、片っぱしから見るということになってしまう。貴重なドラマを見過ごすのは惜しい。でも、どうでもいいドラマを見るのに無駄な時間を費やすのも避けたいところだ。
私が、有名だけど見てなかったというドラマでは「101回目のプロポーズ」がある。名場面だけが再現されたりするが、私にはまるでピンとこない。裏番組を見ていたのか、子育てで忙しくてそれどころではなかったのか。
なんで見なかったか、というのを思い返すのも、自分の時代検証にはなるものだ。

「ピアの時代」の話に関しては、東京キッドブラザースや劇団四季がすごい人気だったころ、私は短大の演劇部だったけど、同じ部員がみんな歌と踊りにかぶれていてちょっとついて行けなかった。東京キッドブラザースの演劇は付き合いで見に行ったけど、柴田恭兵や純アリスが出ていた記憶がある。私は、文学座や民藝の劇を見ることが多かったので、正直、ちょっと安っぽい感じがした。
今日の放送で、かぜさんがコーラスラインに深くかかわっていたらしいということがわかった。

ところで、岸辺のアルバムの多摩川は、1977年当時の私にとっては、まるで遠くの知らない川だったけど、今ではずいぶんと身近な存在だ。川と言えば多摩川だし、登戸あたりも車で時々通るものとなった。過去に関係のないものが、今は自分と密接になったり、また逆に密接だったものが無縁になる場合もあり、不思議な気分だ。

それから、他の話題で、犬の予防注射の話では、私もウサギの通院などしているので、身近な内容だった。年を取るとやっぱりペットが生活の一部になってくる。

「人生を変えないラジオ」は私にとっては「人生を振り返るきっかけ」になる。
このごろは、年のせいか人生を振り返ってばかりいるけど、振り返って初めてわかることがある。なんでも復習しないとわからないものだ。
振り返ったことと、現在のことをミックスして、より充実したものになればいい。

最後に、かぜさんは大学で非常勤講師をされているそうだが、かぜさんの講義が聴いてみたいものだ。



コンビニ高すぎ

2013-04-27 17:53:10 | 日記
このごろ、昼休みには、一番近くのコンビニに入ってお弁当を買うことが多いのだが、入ってみても、結局買わないで出てくることがある。
そんなことをしているのは、私だけではなく、他にも時々みかける。
どうも、適当な値段の適当なお弁当がないのである。

コンビニ業界は、社員の給料やボーナスがいち早く上がるとのことだが、どこからそのお金が出てくるのか? つまりは、各お店の売上から出るっていうわけだろうけど、そのせいなのか、最近新発売になったお弁当各種では、500円前後のものが多いのである。
はっきりいって、お昼に400円以上かける気はないので、300円台のお弁当がない以上は、高い弁当は買う気はない。
300円台のお弁当は数が少ないのですぐに品切れになってしまう。
もし高いお弁当しかない場合は、おにぎり2つやパンなどにするしかない。
そんなに弁当の単価を引き上げるのは、いったいどういうつもりなんだろう。
しかも、おにぎりが1個200円以上するっていうのもあって、びっくりである。おにぎりに200円なんかかけますか?信じられません。

どういう金銭感覚をしてるんだろう。
スナック菓子やカップラーメンなんかもスーパーに比べるとかなり高い。

コンビニ社員の給料はあがっても、客の給料は上がらないのだぞ。
こんなことをしていたら、客が離れるぞ。

アベノミクスに踊らされている社会。どうなることやら。


自宅でくすぶってます

2013-04-27 13:29:25 | 日記
ゴールデンウィークだから、どこかにでかけなくちゃ、と思いつつも、家でくすぶっています。

高速道路渋滞、なんていうニュースが流れるかな?と思っていたら、そんなもんぜんぜんやってません。
そういえば、結局のところただの土曜日なのだよ。明日もただの日曜日。
そして月曜が祝日だ。土日についた1日の祝日。まあ、3連休ってのは時々ありますね。
そうするとやっぱり行楽地は混むようですね。

今日は、暖かくてなかなかいい天気だ。こういうときこそ、ドライブに出かけようと思っていたのだけど、なんだか、めんどくさいな~。
道路は渋滞してたっていいんですよ。別にどこに行くにも急ぐわけではないので。
でも、行き先がないのだ。小金井公園・神代植物公園、駐車場混んでるだろうな~、と思ってやめちゃう。府中市美術館・世田谷美術館もね。
本当は昨夜は、八王子にでもいこうかと思ってたんだけど、ここでも出そびれました。
車じゃなければ、電車で行くところは色々あるんだけど、車もたまには運転しなくちゃなあ~、などと思ううちに時間ばかりが過ぎていき、ついに午後になってしまった。

今日は、大型連休じゃない人もいっぱいいるのかな。土曜日とすれば、業者さんだって仕事してるだろうし、運送のトラックとかも結構走ってるかな。

ま、天気がいいからって出かけるばかりが能じゃない。天気の良い日は、家の中にいても気もちがいいのだ。ベランダからジャスミンのいい匂いがしてくる。

それにしても、せっかくのゴールデンウィークになにしてるんだろう。

いや、ただの3連休でしょ。

う~ん、ゴールデンウィークとは、なんなんだ?
27・28はただの土日だよ。4・5もただの土日だ。
29と3と6が余計に足されてるだけだ。
ただの土日には、ただの土日にやるべきことがあるのだから、これはないのも同然だ。
あとは、ゴールデンウィークの後半は、実家に帰る予定だけど、結局移動だのなんだので時間が取られるのだから、ゴールデンウィークだからって、いっぱい時間があると思うのは間違いなのだ。

今日も、どうも気合いが出ないと思ったら、ただの土曜日なんだから、1週間の疲れを取らねばってところだ。チンタラしたくなるのも当然だ。

ああ、なんだか夢のない大型連休だな~。

髪の毛も切りたいんだけどね、
パーマなんかかけに行ったら1日つぶれちゃうから、カットだけしようかとおもったけど、
それも面倒臭いな~

困ったことだ・・・


このごろの行動

2013-04-27 01:44:05 | 日記
全然体重が減らないので、週に3回筋トレに行こうと思っているのだけど、なかなかできなくて、週に2回がいいところだ。
やっぱり3回はむずかしいなあと思っていたら、週に2回の同じ内容でも、もっと激しく動けばそれだけ脂肪が燃焼すると教えてもらった。
そうか、同じ時間内でも、激しく動けばそれだけ効果が上がるわけだ。チンタラやっていると体力も使わないのだ。これはなかなか効率的なことですね。
激しく動くと、いつもより脈拍数が上がり、汗もかくので代謝があがって脂肪が燃焼するらしい。頑張ろう。

ところで、筋トレに2日続けては行かないようにしているので、筋トレに行かない日は、仕事のあと、なんとなくスーパーやショッピングビルをぶらぶら歩きまわってしまう。それが、息抜きでもあるのだ。それで、なんとなく服を試着などすると、どうしても買ってしまったりする。

しかし、最近感じることは、どうもいいかげんな形の服が多いということだ。作りがルーズというか、ゆったりふんわり作られている服が多い。女性の柔らかな魅力を引き出そうとしているのかとも思うが、これを小太りの中年おばさんが着るとどうなるかというと、なにかと膨張して型が崩れたような印象を受けるのである。太った体をゆったり包んで太さを感じさせない、のではなく、ますます太くたるんだ形状を呈するのである。
それで、何を着ても、なんかだらしないし、中年の体型崩ればかりが感じられるのであった。どうも気に入らない。
ハイウエストとか、ゴムのウエストのワンピースとかやめてくれないかな。もっときちんとした服が欲しいんだけどな。

いろいろ着ていたら、ちょっと気に入ったカーディガンがあったので買うことにした。試着をしても、これは身体にきれいにフィットしていい感じだった。
ところがレジに持って行って会計をするときに、店員さんが、その服の裏糸がほずれていることを発見した。同じ服は他に売っていなかったので、それを買うのはあきらめた。せっかく気に入ったのがあったのに残念だ。

その時、その服に合わせてスカーフを一緒に買おうとしていた。中年になると首回りにも年齢を感じるようになってくるので、襟ぐりが広めにあいた服は、スカーフを巻くのがよいと思った。寒いときの温度調節もできる。

しかし、服がほずれていたので、咄嗟に服を買うのをやめたから、その結果スカーフだけ買うことになった。
買ったあとになって、あれ、何やってんの???あの服に合わせてスカーフを選んだのに、意味ないじゃん、と気づいた。バカだね。

まあ、他の服にも合わせられないことはないからいいけど・・・。

それにしても、服がほずれていたおかげで、衝動買いをしないで、お金の節約ができたのかもしれない。

でも、春物の服、やっぱり欲しいなあ~


「不良のススメ」から「復活の日」

2013-04-26 00:07:58 | 読書
「不良のススメ」を読み終えた。終わりのほうは萩原健一の文(大麻事件の服役後に瀬戸内さんの計らいで、お寺で修行をしたときのこと)と瀬戸内さんの文で終っていた。
前半の対談の内容に関連したことを、それぞれに書き記したという形だ。
ショーケンは以前から、なんともいえない味がある人だと思っていたけど、これを読んでそのひととなりが見えてきた。若い時にやんちゃな人は、年を取るといい具合になるものだ。それは優等生の比ではない。そもそも外れるには、普通の人間にはないような面があるからだろうが、その外れた分だけ苦労するし、外れた分を取り戻したときには、もっともっと器に磨きがかかるからだろう。
瀬戸内さんはそんな萩原さんを買っていて、苦境にあるときにも大きな心で包んでいるようだ。その温かさは先日テレビで感じたとおりだった。

さて、これを読んでいたら、萩原さんが天竜寺から東光寺に引っ越す場面があった。マスコミが天竜寺にいることを嗅ぎつけてしまったからであり、2人の僧侶に送られて、萩原さんは車で東光寺に向かう。(まったくマスコミというのは本当に迷惑なしろものだ。)
その車の中で、しばらくぶりに音楽を聴かせてもらうのだが、1曲目はスケーターズワルツであり、2曲目は意外にもローリングストーンズの「ブラウン・シュガー」だったそうだ。これはミックジャガーが歌ってるそうだ。

私は「ブラウン・シュガー」という曲を知らないので、例によってyou tubeで聴いてみた。
あんまりいい歌だとも思えなかったけど、とりあえずわかった。

ところで、you tubeの同じ場所に、ジャニス・イアンの歌があった。ジャニス・イアンは知っているので、ちょっと聴いてみる気になった。
そうしたら、その中に、「復活の日」の主題歌が入っていた。
「復活の日」は1980年の角川映画で、当時私も見たのだが、かなりの話題作だった。
小松左京の原作で、生物兵器の細菌が地球に蔓延して人類が滅亡の危機にさらされるというものだ。You tubeではその映画も見ることができ、細切れになっているのをいくつか見てみた。南極と潜水艦にいた人だけが生き残ったというような内容だ。(草刈正雄、オリビアハッセー主演。千葉県知事の森田健作も出ているようだ。渡瀬恒彦が若い。)

これを見ていたら、まるで絵空事ではなく、恐ろしくなってしまった。
小松左京は「日本沈没」なども書いているが、これもまるで絵空事ではなく、どちらも現実に起こりうることであると感じる。「復活の日」は1964年に書かれ、「日本沈没」は1973年に書かれたそうだ。それが今になって、身近な恐怖として迫って来るのだ。

今、中国では鳥インフルエンザの感染者が増えているが、いったい大丈夫なのだろうか。
楽観はできない。人類が全滅するわけがないにしても、多くの感染被害を出しかねないのだ。鳥インフルエンザは自然に発生したものであるが、いつ誰が生物兵器を作っていないとも限らない。オウム真理教は化学兵器を作り、サリンも恐ろしい威力のあるものだったが、生物兵器なんかが本当にあったら、それこそ収拾がつかないことになる。

地震も日本のみならず世界中で起きているし、恐ろしいことばかりだ。

そんなことで恐怖におののいていてはいけないのだが・・・。

というわけで、you tubeにより、「不良のススメ」→「ローリング・ストーンズ」→「ジャニス・イアン」→「復活の日」へと行きついたという結論です。
小松左京の小説を読もうかと思ったのと、改めてもう一度映画を見てみたいと思った。




野村宏伸

2013-04-25 01:07:05 | 日記
今日は、水曜ミステリー9で松本清張のドラマを見ていた。
刑事役の寺尾聰と柄本佑などが事件を解決する話で、犯人は、浮気をした妻を殺した夫だった。
その夫の役を演じたのが、この間までやっていた日曜ドラマ「とんび」の旭のお父さんの親友である照雲の役をやった人だった。
「とんび」のとき、この人なかなかいいなあと思ったのだが、どこかで見た事があるような気がするものの、初めて見る人だと思っていた。
今夜のドラマでは、あの和尚の役で坊主にした髪型が、ほんの少し伸びた程度だった。
今度は犯人役とは驚きだが、人物像としては、妻を愛する真面目な夫だった。
顔は小さくて丸く、端整な顔をしている。
「とんび」では、内野聖陽のインパクトが強く、これも当たり役だったけど、幼なじみの照雲役もまた別のタイプで存在感があり、なかなかいい俳優だなと思った。
それで、今日もまた、いい役者だなと思って見終わった。

それからしばらくして・・・あれっ?あの顔見たことある?もしかして・・・。
と、何やら脳裏に浮かんできた。

もしかして、昔トシちゃんと共演していた人?
そう「エノモト」?
田原俊彦が先輩教師で、その後輩の教師「榎本」ではないか?!

そういえば、「エノモトっていたよね。あの人どうなったかな、最近見ないね」と、何年か前に娘たちと話したことがあった。
ドラマ「教師びんびん物語」は、子どもが小学生のときに見ていたドラマだ。
今調べると、1987年と書いてあるので、うちではちょうど上の子が6年で、下の子が3年くらいだったようだ。

そうなのだ、あの「えのもと」の役の「野村宏伸」だった。
あのころは、なんかひょうひょうとした頼りなげな後輩を演じていたけど、今はいい中年になったものだ。

俳優を続けていたんだね。
これから、さらにいい役者になりそうだ。
これからの活躍を期待したい。


携帯がストレス

2013-04-24 23:35:13 | 日記
私は携帯を常時確認するということをしない人間だ。いつもマナーモードにしたままカバンの中に入れたままになっているので、着信があっても全然気がつかないことが多い。
それで、寝る前にメールが入っていることに気が付いたりするわけだが、寝るのが深夜なので、もう相手は寝ていて、起こしてしまうから、返信を送ることができないのだ。
それで、翌朝返信しようと思って寝るのだが、朝はぎりぎりに起きて、急いで支度をして出勤してしまうので、ついメールのことを忘れてしまう。
また、覚えていたとしても、私は携帯のメールを打つのが非常に遅いので、とてもではないが朝の忙しい時間帯にメールを返信している暇はない。
それで、そのまま会社で午前中の仕事を終える。昼休みに思い出せばまだいいけど、それも昼ご飯を買いに行ったり食べたりしていてすっかり忘れてしまう。そして、その日の仕事を終え、夕飯の買い物をし、夕飯を作り、テレビを見たりパソコンをやったりして、そして夜中の2時頃寝るのだが、そこで翌朝の目ざましアラームをセットしようと携帯電話を取りだしたときに、前夜のメールの返事をしていないことを思い出し、しかしまた深夜になっているのでメールを送るわけにはいかず、そんなことを繰り返して結局放置状態になってしまうのだ。

どうも携帯は面倒臭い。
それで、携帯で何かをしろと強制されるともうすごいストレスになってしまう。
だいたい、文字を打つのが不便すぎると思う。

私に急ぎの用事があるときは、家の電話かパソコンに連絡をください。