山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

私って、「不毛の多忙」?

2005-11-30 23:40:16 | 未分類過去
今日、歯医者さんに3ヶ月に一度の定期健診に行ってきました。治療はないので、クリーニングをしていただきました。

この歯医者さんに行って、いつも面白いと思うのが、待合室に置いてある「プレジデント」という雑誌です。
経営者層対象の雑誌とのことですが、すごく興味深いことが書いてあり、ここで見るたびに買って読もうかなあと思ってしまいます。

そういえば、スーパーに勤めていたとき、パートの主婦の一人が、気に入っていて定期購読していると言っていましたが、本当にそのとおりです。この人が面白い人で、影の店長と呼ばれているバイト歴5年の大学生の男の子と、マーケティングやスーパーマーケット業界の単行本を交換して読んだりしている人でした。そして女のいじめに加わらない人でした。
関心が共通しているようです。私も婦人雑誌なんかたまに買うことはあるのですが、結局何も読むところがなく、放り投げています。

ところで、本題ですが、その雑誌の中に毎日熱心に物事に取り組んでいる人で、結局は何もならない、無意味な多忙を繰り返している人が多いと書いてありました。
うろ覚えなのですが、それを「不毛の多忙」とか言うらしいです。何かやっていれば自分は有意義な時間をすごしていて、それによって何かを得ることにつながっていると信じているのですが、結局は何にもならないということです。
むしろ、サボることのほうが必要なのであり、本当に何かを成す人というのは、忙しいということだけに満足しているのではなく、さぼるときはさぼってもやるべきことはやるから、成すことが成せるのかもしれません。

そして、「今やるべきことは何か」と「やらなくてもいいが、自分がしたいことは何か」を分けて考えて見るのがいいとのことです。
わあ、これはまずい。私の場合、やるべきことはそっちのけで、誰からも求められていない自分がやりたいことばかりやっているのです。
そして、毎日を非常にやたらに忙しくしている。

たしかに、「忙しいとか大変だとか大騒ぎしている人に限って能無しだ」とは、どこかで読んだ記憶もあります。

ほんの数分で斜め読みしかできなかったのですが、耳が痛いことが書いてあるぞと思いました。
対象とされている読者ではないのですが、今度、買って読みたいと思います。

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11月30日という日

2005-11-30 22:42:37 | 未分類過去
11月30日は私が8年前、顔面麻痺になった日です。思えば、その日を境に私の顔は普通ではなくなってしまったのですが、それでも日常生活に困らない程度に治ったので、それほど深刻なものではありません。

子どもの小学校では11月の最後の土曜日にお祭りをするのが慣わしで、8年前のその日がお祭りでした。PTAが主体になって、校庭で食べ物屋やゲームなどをして子どもたちを楽しませる日でした。体育館では喫茶店やお母さんたちの手芸の展示会やコーラスなどをやっていました。
私は子どもが小学校にいる数年間、味噌おでん・カレーライス・ポップコーンなどの店をやりました。プラバン(プラスチックのシートに好きな絵を描いてオーブントースターで焼くと縮んできれいな板になる)や玉当てゲームもやりました。コーラス部だったので体育館で歌を披露したこともありました。文化部で手芸品を展示したこともありました。
毎年、花屋さんの業者も入るのですが、顔面麻痺になった日、子どもたちが私のために小さな赤いバラの鉢植えを買ってきてくれました。そのバラ、庭に植え替えておいたら、何年かはかろうじて花をつけていたのですが、私が草ぼうぼうにしているうちに、消えてなくなってしまいました。

11月30日というのは、20何年も前に、ある青年が亡くなった日でもあります。私より年上で直接の知り合いではありませんが、私はその人のことを知っています。その人は、子どもの時にお父さんを亡くしていたと思いますが、そんなこともあって、地元の高校を卒業すると東京の大手のスーパーマーケットに就職しつつ同時に大学に入ったと聞いていました。スーパーが夜働く形だということで、昼間の大学に行っていたはずです。そして、無事大学も卒業し、引き続きスーパーの社員をしていたのですが、その後お母さんも治らない病気になったとかいうことを噂に聞きました。そのあとのことは知らなかったのですが、あるとき、その人が11月30日に不慮の事故でなくなったということを知りました。

父以外の私と家族は、その人が交通事故にでもあったのかと思い、驚いたのですが、当時生きていた父は、これは普通の事故じゃなさそうだといいました。なぜならば、その日は11月の最後の日だからだと父は言いました。そんなこと関係ないだろうと言ったのですが、父の勘はあたり、その人は自殺によってなくなったということがわかりました。いろいろな不幸が続き、未来に希望がもてなくなってしまったのでしょうか。父はその人が高校生のころから苦労に耐えてよく頑張っている青年だと常日頃思っていたようで、その人の気持ちが分かったのかも知れません。

その人が無断で仕事を欠勤したために、職場の人が心配してアパートに行ってみたところ、自ら命を絶っていたのだそうです。まだ、20代でした。

それはまだ私が実家にいたころですから、高校生のころの出来事でした。

私は、それからそのことは忘れて、その後東京に出てきて、結婚して今の場所に住んでいますが、数年前から時々用があって、電車で出かけていく街があります。

そこにある、大手のスーパーマーケットが、私の地元にあるスーパーとちょっと違ったものが売っているために、私は気に入って、ついでにそこで服などを買ってくることがあります。地下には安い飲食店があり、一人でも気軽に食事ができます。たまには、何の用事もないのに、都心とは逆方向のその場所にわざわざ子どもといっしょに買い物にいくこともあります。

あるとき、ふと、そのスーパーがその亡くなった人の勤めていた会社の店と同じ名前だと思いました。同時に、その近所にその人が進学したという大学があることに気がつきました。その大学はこどもと一緒に学園祭に行ったこともあります。
昔はその名前を聞くと、たいした大学ではないという印象だったのですが、今では結構偏差値もあがり、評判も悪くないです。

そうです。その人はその店に勤め、そこから歩いて20分くらいのところにあるその大学に通っていたに違いありませんでした。

いつも行くその場所は、人の自殺なんていう悲しいイメージとは全くつながらないものでした。きっとその人にも楽しい事だってあったと思います。
でも、どうして自分で命を絶ってしまったのでしょうか。
努力家で自分で道を切り開いていく人だったのに、疲れてしまったんでしょうか。
生きていたらきっといい未来が開けていただろうにと、本当に残念に思います。

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「痔」の話です!

2005-11-29 23:24:34 | 未分類過去
顔面麻痺のことでトラックバックしてくださった方が、「痔」だったということですが、私も痔の経験者です。
私の場合、出産でいきんでイボ痔になってしまいました。肛門の周りにイボが5個くらいできて、穴をとりまき、それはそれは痛かったです。立っていると鬱血してひどくなります。外痔核なのか、内痔核が外に出ちゃったのかよくわかりません。

痔は子どもを生むたびにひどくなります、最初の子を産んだときにその一つ一つのイボは数ミリからせいぜい1センチ弱の大きさだったのですが、二人目のときは、まるでミニトマトでした。肛門部にあの真っ赤なミニトマトが6個くらい並んでいると思ってください。そして、またまた限りなく鬱血し、二つがつながったりして、もうその痛みで、ベッドから起き上がるのも苦しい状態になってしまいました。
そんな私を救ってくれたのがキシロカインゼリーという軟膏です。皮膚表面麻酔剤です。これをたっぷり塗っておいて、座薬を差し込むとようやく生きた心地がして、しばらくもちました。

子どもを生んだあとは、幸せな気分で、特に二人目の子どもは扱いに慣れていることもあり、生んだすぐ後にも、いずれもう一人生みたいと思いました。しかし、その数時間後に痔の痛みの地獄がやってきたのです。子どもを生むためには、この痔を何とかしなければ無理だと思いました。

私の場合、痔は出産直後から10日くらいで最悪の状況を脱しますが、それでも生むたびにその状況はひどくなるとのことでしたから、3人目を生むつもりなら、手術でもして根本的に治さなければ、無理のようでした。

結局、手術はせず、3人目を生むのはやめました。
若いころは、便秘や下痢などになると、たまにその痔核がひとつくらい復活してひどい痛みを引き起こしたこともありましたが、ここ10年くらい、痔にはぜんぜんなりません。
しかし、肛門は完璧かというと、その一旦ミニトマトみたいになった痔核がしぼんでいるわけです。見るも無残なお尻ですね。

だから、顔は顔面麻痺、背中は帯状疱疹、お尻は痔の後遺症。
コレでは、浮気なんか絶対にできません。

よく、動物園で動物なんか見ていると、若い動物と年老いた動物というのは、その美しさにおいて、全然違います。年を経たものは、毛並みが荒れていたり、皮膚に傷があったりして、この動物けっこう年いってるねって一目瞭然ですが、人間も裸になったら同じだろうなと思います。

40過ぎたら、髪染めたり、化粧をしたり、体型の出ない服を着たり、ブラジャーで胸を持ち上げたりして、ごまかしているけど、動物みたいに、体中が丸見えだったらごまかしきかないですね。

人間でよかったかなあ~。
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成人式の前撮り

2005-11-27 23:29:50 | 未分類過去
今日は、娘の成人式の「前撮り」というのに行ってきました。
来年一月の成人式当日は忙しいので、前もって別の日を設け、ゆっくりと振袖姿の記念写真を撮るシステムになっているようです。それで最近は、着物一式・着付け・髪結い・写真が、前撮りと当日の2回分セットになって料金が設定されているのです。
昨年の今頃、呉服屋さんの前で振袖姿の女の子をたくさん見かけて、何事かと聞いたところ、そういうものだと知りました。
それで、うちも昨年の12月頃から様々な成人式用振袖のダイレクトメールが届き始めたのですが、その案内で初めて見に行ったところで、ちょうど気に入った着物があったので、早々と思い切ってそれに決めました。そして、ついに前撮りの日がやってきました。
着物はピンクで細かい花模様の華やかなものですが、なかなかきれいだったです。本人が気に入って決めたもので、娘にちょうど似合っているようでした。ただ、髪型は前髪だけは絶対におろすと言っていたのに、なぜか出来上がったのは横わけのようになっていて、しかもひさしのような形になっていたので、あれっ?どうしてそうなっちゃったの?と言う感じでした。なんか演歌歌手みたいな雰囲気に見えたりもしました。
写真のポーズは立ったもの・座ったもの・前横後斜め・笑ったもの・うつむいたもの・遠くを見つめたもの・上半身・全身・アップなどなど、様々なもので、最初はセットに含まれている普通の2ポースだけでいいと思っていたのですが、いざ撮影したすべての写真をパソコンで見せてもらうと、1枚5千円で少数追加するよりも10ポーズのアルバムと全写真のCDROMで3万円のほうが得だと思い、結局それにしました。商売上手ですね。
やはり一生に一度の記念ですから、奮発しました。
疲れましたが、まあ、楽しかったです。うちと似たような親子が何組か来ていました。中には、父親や家族全員が来ている気合の入った家族もいましたが、多くは母と娘の2人組でした。

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苦手なマラソン

2005-11-26 22:08:57 | 未分類過去
私はなぜか昔から持久走が弱い。小学校のときはずっとビリだった。体はいたって丈夫なのに、いかにも体が弱くてしょっちゅう熱を出しているような同級生たちにも、全然ついていけない。とにかく走り出してすぐから苦しくて人なみに走れないのである。

風邪を引けばマラソンに出なくてもいいのだと思い、風呂で水などかぶって、しばらく裸で震えていたことがあったが、全然風邪もひけないし、熱もでないのだった。皮肉にも免疫力と体調維持力は抜群らしい。だから、走る機会があれば、一度も休まず参加することになった。

毎年冬に行われるマラソン大会は気が重い行事だった。私が最後を走っていくと、ゴール近くで「これは大物だぞ、ははははは」などとよそのおじさんに言われたりした。好きで最後を走る人間なんかいないし、どんなに恥ずかしい思いで走っているのか、その人にはわからないのであろう。最後を走るのが度胸が据わっているみたいな言い方をされるのは、非常に辛いのだ。
おばさんたちは、走り終わった子にお汁粉などを用意しているのだが、「最後の子がやっときたわよ」というような感じで、お椀を手渡してくれるが、そのときにはみんなはすでに食べ終ったあとで、それもまた必死に食べなければもうみんなは帰り支度を始めているような状況である。

体育の時間などは初めて同じクラスになった友人が、一緒に走ろうなどと言ってくることがよくある。「私は遅いから先に行って」と言っても、「いいよ一緒に行こうよ」などと言われると、非常に困る。マラソンが遅いのは単に気力が足りないからだと思っている人も多く、励ませば走れると思っている。優しい友人は、伴走したり、先に走っていって待っていたりなどをくりかえすが、そのうちあまりにも遅い実態を悟り、あきらめてやっと先に行ってくれる。それまでは、こっちもすごく無理をしてしまい、友人と一緒に走る間、肉体的苦しさと精神的苦しさにさらされることになる。

マラソンが嫌いなのは、体が苦しいからではなく、そういう人とのかかわり、人への気兼ねも大きな原因だった。

そんな私も中学以降は、ビリでゴールすることはなくなった。中学の時に体操部で体力をつけていたせいかもしれなかった。
マラソンと言っても裏山や海岸などの7キロくらいのコースであるが、かなり走って後半にかかったころから、しだいに苦しさがなくなってくるのだ。それで、そのころは、疲れて歩いたりしている人をどんどん抜かして走っていくような状況で、150人くらいで走っても後ろに20人くらいはいるような状況だった。

しかし、相変わらず変わらないのは、とにかく走り出しからしばらくは全然人についていけないことで、前半のしばらくは一番最後を走っている。つまり、走るという状況に肺や心臓が適応するのにとても時間がかかるということらしい。なんでなんだろうと思うが、わからない。

1年くらい前、短期のテレホンオペレーターの仕事をしていたとき、勤務先に行くバスが渋滞に巻き込まれ、前に進まなくなってしまった。そのバスに同じ職場に行く40代くらいの主婦が何人も乗っていたのだが、そのままでは遅刻するのは明らかで、みんなして2つ前のバス停で降り、会社に走って行った。
そのときの、みんなの速さはすごいものだった。私よりずっと太っているようなおばさんが平気な顔してすいすいと走っていくのである。どうしたってみんな常日頃スポーツなどしているような様子ではないのに。
そのときも、いつも親しくしている人が、私が遅れているのをみて、大丈夫?と言って待ってくれた。みんなが信号が変わる前に渡りきった信号も、私は信号が変わる前にたどり着けない状況であった。一緒に私に合わせてくれる人に申し訳なくてしょうがなかった。

走ることに精神的肉体的辛さを実感したのは、高校を卒業して以来のことだった。

長時間走っていれば平気になるのだから、心臓や肺が悪いわけではないようだが、どうしてすぐに適応できないのか分からない。それが、人並み外れて劣っているわけである。
私は、生まれて一ヶ月くらいで、肺炎になって入院したそうであるが、それが原因でもないんだろうなとは思う。しかし、肺活量が人より少ないとか、何か客観的にわかる原因があるならそのほう気が楽になるような気がする。
子どものときから根性がないからだと思われるのが一番辛かったし、走るのが遅いことで、同じバスに乗っていながら遅刻することになってしまうのも悲しいことだ。
同じバスに乗ってきて、他の人が遅刻せず、私だけが遅刻したなら、「遅刻してもいいと思ってゆっくり来たに違いない、勤務に対する真剣さが足りないからだ」というレッテルを貼られてしまうわけである。

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面接授業3回目の日

2005-11-25 00:45:27 | 放送大学
またまた、面接授業の日。
もともと面接授業は、放送教材を視聴するために、無理やり足を運ばなければならない状況を作るように受講したものですが、今回はあまりにも提出課題の期限がせまっているので、もはやテープやビデオを視聴する余裕さえなくなってしまいました。
それで午前中は、家で「20世紀の中国文学」の記述問題をやっていて、当然終わるものでもなく中断し、昼近くになって出かけていきました。
時間が遅くなると、もういつもの駅周辺の駐輪場は全部満車です。路上に置いて撤去されるのもいやなので、もうひとつの反対方向にある辺鄙な駅からの、別の路線経路で学習センターまで行くことにしました。こっちは公の有料駐輪場も空いていますが、スーパーの駐輪場にただでおけます。
しかし、この路線にすると、全体の所要時間は10分くらい早いものの、電車を2~3回乗り換えなければならず、電車の中で勉強ができないし、交通費がいつもの倍かかります。
帰りも、授業が終わると真っ直ぐに帰宅しましたが、電車の中では、ずっと立ちっ放しで、行き帰りとも、ほとんど教科書を読むことなどはできませんでした。

面接授業では、学生のほうから質問や意見も出て、先生が丁寧に答えてくださり楽しかったです。みんな、知識があるなあと思います。今とっている面接授業は一般科目なのですが、専門分野と違うので、私には何もかも新しいことばかりで、質問さえも湧いてこない状況です。
それから、毎日勉強をするモードになっていないので、今、この一週間に一回だけ出かけていく授業は、エンジンがかかりきらず、前回の内容もすっかり忘れているといった感じです。
受講者の平均年齢も高いですが、毎日が勉強モードではないという雰囲気が、通学制の普通の大学生とかなり違うのではないかと思いました。

初日から出ている顔ぶれは決まっていて、遅刻もしませんが、一度も来ない人も2~3割くらいはいるんじゃないでしょうか?
そういえば、私も以前苦手な英語を申し込んでいたことがありますが、予習するのが億劫になって、最初から行かずに放棄してしまったことがあります。払った受講料はもったいないですけど、仕事の都合などで急に行けなくなったりする人もいるのでしょう。

そして、授業内容のレベルですが、先生のお話によると、今そのクラスで使っている教科書は、素人にはかなり難しいそうです。だから理解できなくてもいいとのことでした。先生が噛み砕いて教えてくださるので、面接授業は分かりやすいです。

放送授業は簡単な科目と難しい科目の落差が激しいように思いますが、最近は教科書を読んでも消化できないものが多く、とても難しいと感じることが多くなりました。
年のせいでアタマがボケてきたからかもしれないし、たまたま難しい科目を受講しているのかもしれません。
試験なしで入れる大学なので、受講生も頭のさえた人から私のように大ボケの人まで、様々なのではないかと思います。

ある一定量の勉強モードが続くか、または基礎知識がアタマに充填されると、脳細胞がうまく理解にむかって作動するという気がするのですが、けっこう錆び付いちゃってるようです。

でも、なんかもしかして「私の趣味って放送大学なのかしら?」などと思いました。いつかこの人文系コースが卒業できた後には、社会系や自然系の学科も受講したいなあなどと思っています。


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子どもが生まれた日のこと

2005-11-25 00:38:46 | 未分類過去
うちの子最近20歳になりました。
その前日も当日も友人が祝ってくれるとかで、家には寄り付かず、今度の日曜日に家族でおいしいものでも食べに行こうかと思ったのですが、下の子がテスト週間だから出かけないなどと言っており、外食は無理そうです。

もともと、うちではあまり誕生パーティーというほどのことはしません。何年か前までは、デコレーションケーキとちょっとしたご馳走を作るくらいのことはしましたが、子どもはあまりケーキは好きではなく、別に当日でなくてもいいと言うし、プレゼントも過去には本人の希望を聞いて用意していたのですが、そのうち、今欲しいものは特にないから現金でいいとか、そのうち欲しいものがみつかったときでいいなどと言い出して、何にもしなくなってきました。

それにしても、20才と言えばすごい節目だから、盛大に祝ってあげるべきかと思うのですが、まあ、結局のところ誕生日は過ぎ去ってしまいました。
私は放送大学の課題をするのに必死で、夫が携帯でおめでとうとメールを送ったそうです。

私は子どものときに、親は自分の誕生日なんか覚えていないのではなどと思っていたことがありましたが、親というのは、そんなことはないですね。
私の場合、自己中なので子どもが生まれた日としては忘れるかもしれませんが、自分が子どもを生んだ日としてはよく覚えていますから、その日が来るたびに何年前に生んだんだなあと思い出します。時間も思い出しますね。明け方陣痛が始まって、夫が夜勤だったから自分で荷物を持って主要道路まで歩いていって、そこでタクシーを拾って病院に行ったこと。生まれる前に夫が夜勤をあけてちょうど仕事帰りに病院についたこと。等等。

私はすごい安産です。2人子どもがいますが、最初陣痛は弱く10分~5分間隔くらいに痛みがきても、その合間には平気で歩いていられます。ですから、荷物を持って歩いていても、陣痛が来たときだけ立ち止まっておなかの張りが消えたらまた歩き出すみたいな感じで、悠々と病院に到着しました。病院についたころにはちょうど間隔が狭くなり、上の子の場合、早朝5時に陣痛らしきものを感じはじめて昼前に生まれ、下の子は7時ころに陣痛が始まって、昼過ぎに生まれました。自然分娩ですから、それなりに痛くて大変ですが、時間が短いだけ疲労もないです。上の子が生まれたときは、お昼が遅めになったので、おなかがすいて、すごくおいしかったです。

11月の今頃は小春日和の日が多いですが、その日もすごく暖かくいい天気でした。
そして、この季節は紅葉がとてもきれいです。それで、名前を「小春」か「千秋」にしようかと思いましたが、「こはちゃん」「ちいちゃん」という呼び方はあまり好きではないので、季節に関係ない別の名前にしました。

男は一生、生殖能力があるそうですが、女は15~45歳くらいまでとか、どこかに書いてありました。45歳くらいで排卵がなくなるそうです。40歳近くなったときには、生めるのは今のうちだけれど、本当に2人でいいのかなどと思ったこともありましたが、45歳ともなると、もう絶対に自分が子どもを生むことなどはありえないわけです。
50歳で生んだ人がいるそうですが、一般に卵子の状態も良くなさそうだし、子宮の機能も老化しているだろうから、子どもを生むには適しません。やはり、すでに子どもを生むには終わってる体ですね。

そうなると、今後はやはり、子ども世代が子どもを生む時代に突入です。要するに、数年後には「孫」です。自分が子どもを生めなくなったときに、自分の子どもが生んだ子どもはすごくかわいいだろうなあと思います。それもある意味、自分が生んだみたいな、いや、それ以上にかわいいんだろうと思います。
はやくも、おばあさんになったときの気持ちが予測できてしまいました。

しかし、娘にはこれからもっともっと勉強して、大学生活を楽しみ、卒業して、自分のやりたい仕事について、いろいろなことを経験して、それからいい相手とめぐり合い、結婚して、かわいい子どもを生んでほしいと思っています。



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通信課題ただいま奮闘中

2005-11-24 01:41:21 | 放送大学
12月2日必着です。あと約一週間です。
といっても、実際にまとまって時間がとれる日はもうありません。
今度の土日は用事があります。

「朱子学と陽明学」・「近世の日本文学」・「博物館資料論」・「芸術の理論と歴史」
まず、択一式マークシートの4科目をやりました。
今日、「東アジア・東南アジアの住文化」の記述式をやり終えました。
なかなか大変でした。

あと残っているのは、
「20世紀の中国文学」・「近代日本と国際社会」(共に記述式)です。
「近代日本~」のほうは、以前大体読んで大まかな答えの見当はつけたのですが、
まとめに挫折して放置状態。後回しにしました。追い込まれれば一気にできるはず。

しかし「20世紀の中国文学」のほうは、まだぜんぜん手をつけていません。
もともと一番受講したかった科目なんですけどね。
藤井省三先生は、ラジオの中国語講座でも好きだったので、
これは絶対にやり遂げたいです。

「イギリス文学」は前学期に課題は出してあるので、今期は学期末試験の再試のみです。

とにかく、あと2科目の記述をあきらめないでがんばろう!

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おかしいんじゃないの?最近の教育。

2005-11-23 09:57:57 | 未分類過去
ニートや社会に順応しない若者が多くなっているということの対策として、子どもに小さいときから社会の仕組みや現実社会を体験させ、その苦労と面白さを実感させ興味をもたせようとする教育を始める傾向が出ているようだ。

例えば、小学校の中の空き教室に役所やコンビニ、マスコミ会社などを模擬的に作り、そこで小学生を働かせて、実際の業務の大変さや工夫すべきことを発見させるなどということをしている学校があるとテレビで紹介していた。実際にコンビニで物を売ったり、役所で税金を回収したり、放送会社が取材に当たるなどということを子供が小学校という社会のなかで擬似的に体験することによって、親が日常している仕事の煩雑さや苦労を実感できるのだそうで、小学生はインタビューに答えて、「お父さんは毎日こんなことをしているのかと驚いた。大人は大変だなあ」などと言っていた。
たしかに、このようなことで、いくらかは大人の苦労や社会の構造を具体的に想像できるかもしれないが、それで、こんなものかと分かった気がしてしまうことのほうがおそろしいような気がする。

中学校では今までも職場体験というものがされているが、それを小学生にさせるという動きもでているようである。それもテレビでやっていたのだが、そこでは小学生が店を経営するという設定で市場に行って自分が売りたい果物を仕入れたりしていた。市場では子どものために特別な人が対応し、詳しく説明などし、手取り足取りであった。本当に日常の市場にいったらどうなるのか、突き飛ばされておしまいであろう。さらに、店を経営するために仕入れをしてくるなどということを、新人にさせる職場などはない。
普通の商店で体験している子もいたが、体も小さいから、物を取り扱うのにも大人のようにはいかない。初めて接客をする小学生のために、一般のお客が突発的にそれにつき合わざるを得ない状況になり、買い物ひとつに無駄な時間を要してしまったり、戸惑っているような場面もあった。

これも、あまりにも現実離れしているとしか言いようがない。実際、一般的に行なわれている中学生の職場体験では、スーパーなんかでは、牛乳や豆腐などを並べさせたりするのが主であり、当然のことながら基本的な支障のない仕事しかさせることができないのが現実だ。

しかも、そのためには、なるべく忙しくない曜日などを選び、特別に1人多く出勤させたりなどしてその人を子ども担当に当たらせる。体験させるためには余計な手間がかかり、その分効率が下がるのである。それでも、中学生に大体の仕事の内容を知ってもらうことは有意義であるから、協力している。
しかし、働いているものは、体験者が帰った後、その子には日常の真実はわからなかっただろうという感触を拭い去ることができない。日常では、素人にかまっている時間などはなく、実際に働いている新人でも、なかなか丁寧に仕事を説明してもらえる状況ではないからである。体験者を迎えたときは、あくまでも日常とは違う様子になってしまうというわけである。

また、体験の中学生には細かいミスのすべては注意しきれないし、精密さも期待できないから、品出しひとつでも、体験の中学生が帰ったあとに、従業員がもう一度賞味期限を確認したり、あるべき位置や形に並べなおしたりすることになる。
例えば、牛乳など、最初は賞味期限が見えるようにと言われたとおりに並べていたから安心していたら、中学生が帰ったあと見ると、後で出した商品は全部裏返しに並べてあったなどということもあった。しかし、中学生は仕事は簡単だったよと思って帰っているわけである。

子どもが知るべきことは、「仕事とは、基本的なことをマスターするのも大変なんだ」ということではないかと私は思う。
「そんな人は仕入れなんかにはまだまだ手がだせる分際ではないんだよ」ということこそ知らしめるべきではないだろうか。
現在行なわれているような中学生の職場体験ならまだしも、小学生に高度な大人の仕事を体験させる必要があるとは思えない。

ところが、今の子どもにさせようとする教育体験が、いきなり「仕入れ」、「経営」、からはいるのだから気が知れない。そのようなことを企画する教員の頭がおかしいのではないかと思う。その人たちこそが現実に普通の職場で働いたことがないので、そんなことを考え付くのではないかと思ってしまう。

また、子どもに株の仕組みを教え、株を擬似的に買わせて収支を計算するなどという授業さえしているという。アメリカのように、親から100万くらいお金をもらい、子どものうちから株を買ったりして資産を増やすという家庭も増えているらしい。

このように育った子どもは、資産を運用して利益が上げられれば働く必要はないと考えるはずだし、また、働くとしてもいきなり経営をさせろなどと言い出しそうだ。

その前に、スーパーだったら、お客さんの不快感がないように、床に落ちたゴミを掃除するなどという基本的なことができることが大切ではないだろうか。

だから、小学生は落ち葉掃除や、校舎の隅々の掃除、自分の係の仕事など、そのときの自分がすべき役割をしっかりできることがまず大切であると思う。
そのような基本的なことを飛び越えて、会社や組織の大きな動きをいきなり自分が担えると勘違いすることは非常に危険であると思ってしまう。

偽もの体験をして、できたようなわかったような気になる事こそ、現実社会に出て、実社会で働く意思がそこなわれるような気もする。

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5千円が多すぎた事件(某デリバリーの店)

2005-11-22 18:23:34 | 未分類過去
お金の管理についてずさんだなと思ったもののひとつは、ずっと前のことなんですが、うちでピザのデリバリーを頼んだときのピザ屋さんのことです。

そのときは、前の日に徹夜をしたかなんかで夕飯の時間にすごく眠くて、私はもうご飯の支度をするどころではなく、眠りこけていたのです。夫と子どもは、おなかが空いたと言い出して、ピザを注文することにしました。そして、いよいよピザが届いたときに、私が寝ぼけまなこで自分の財布から5千円札をとりだし、夫に渡し、夫がそれを玄関に持っていってピザ屋さんに渡し、おつりをまた私に戻してきました。
そのおつりがなぜか、6千いくらかあったので、びっくりして夫に聞くと、夫は自分がピザ屋に払ったお札が5千円札か1万円札かもよく見なかったとのこと。ピザ屋が6千円返してきたから、1万円だったのだろうと思ったらしいです。
私はいくら寝ぼけていたとはいえ、確かに5千円だったと思うので、急いでピザ屋を呼び止めようとしましたが、すでにバイクは走り去っていました。
玄関の電気をつければ明るいのですが、夫のことなので、電気もつけなくて、ピザ屋さんにはよく見えなかったのではないかと思います。

私はもともと自分の財布の残高など把握していないし、そのお金が5千円だったという確証もなく、確信ももてなかったのですが、もし5千円でおつりを6000円もらい、ピザまでもらったとなると、ピザ屋さんは大損失です。お金が合わなかったらデリバリーの人も大変なことになるのではないかと思い、すぐに電話をしました。

今配達の人が帰ったところだが、先ほどのお札は5千円ではないかと思うので、帰ったら電話をしてくれと伝言を頼みましたが、結局電話はかかってきませんでした。
忙しくて確認する暇もなかったのかもしれませんが、翌日になっても何の連絡もなく、ついにそのままとなりました。
もしかしたら、当人に伝言が伝わらなかったのかとも思いますが、お金が合わない様子を見れば、そんな電話があったことくらい思い出して伝えるはずだと思います。
じゃあ、やはり私の勘違いだったのかもしれないとも思いますが、確かに1万円でしたという返事もありませんでした。さらにこっちからかけるのも面倒なのでそのまま放置しました。

ところで、ピザ屋さんなどの飲食関係の店は、多くはアルバイトに任せており、けっこういい加減なことになっているようです。ある店では、店に乱雑に放置してあるポイントシールを、アルバイトが拾い集めて、友達に上げたりして、その友達がそのポイントシールで無料で料理を頼んだりしていることもあるらしいです。管理の目が届かずさまざまなことをバイトに任せっぱなしにしているので、そういうことになるのでしょう。

それにしても、いくらこっちが得をしたと言っても、その店はそんなやり方でいいのかなあと、すっきりしない気分です。

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続・続・スーパーのレジの話

2005-11-21 19:19:54 | 未分類過去
私は仕事でお金を扱ったことはあまりなく、唯一、週一回、数十分程度入る補助レジのみがお金を扱った経験です。レジに入るときは、必ず自分のコード番号をレジの機械に入力します。これによって、コード番号のない人がいじったりすることはできず、また誰が担当したかが記録に残るわけです。自分の担当時間が終わると、お金の入ったトレーをとりだして、奥の事務所にもって行き残金を計算します。最初に入っていた金額と売ったものの金額がコンピューターで入力されているので、残額も計算されます。機械に自分のコード番号とレジ番号を入れてスイッチを入れると、それが一瞬のうちに出てきます。同時に、レジの引き出しの中の残金のお札や硬貨も機械に入れるといくらあるか全部計算してくれます。

これで、計算による残額と実際の残額が一致すればそれで問題なしということになります。
ときどき1円たりなかったりすると、そこらじゅうを探します。機械のどこかに引っかかっていたりすることが多く、見つかるとほっとします。だいたい曲がったコインが除外される引き出しなどに入っていることが多いです。それでも1円から数円多かったり、どうしても足りなかったりすることがあります。これは預かり金を間違えて打ち込んだり、おつりを間違えて渡したりしたということです。1円多くても少なくても、その結果を書くところがあります。完璧に一致するのが当然なので、1円でも合わないと落ち着きません。器械の計算が出る一瞬は緊張します。残金と計算上の残額が一致してプラスマイナス0と出るとほっとします。

その差額が何百円以上だかになると、始末書だか報告書だかを書類に書くことになるらしいですが、その経験はありません。たまに、長時間レジをしているレジ専門の人などがそんなことになっているときがあります。
その日の最後に全体の締めをする人などはもっと大変だと思います。

ところで、レジに入る人は、あらかじめ自分の財布は金庫に預けておきます。そして、残高の計算をするときは必ず一人ではやらず、別の人も立ち会います。そして、すべての計算が終わった後に自分の財布を返してもらいます。それから、次にレジを使うために、レジにお金の入ったトレーを戻しにいくのは別の人がします。

これは、自分のお金とお店のお金をごちゃ混ぜにしないためだと思われます。計算が合わなくて残金が足りなくなったからといって自分のお金で補充するなどということをさけるためでしょう。また、金額を合わせた後、お金の入ったトレーをレジに戻しに行くときに、もしお金を閉めた本人が持っていき、途中でお金を紛失するようなことがあったら、その人のせいにもかかわらず、次の人が責任を負うことになってしまいますから、そのようなことを避けるためであると思われます。
あくまでも、計算し終わるまでが、当人の責任で、その先はお金にかかわらないという決まりです。

そのほかにも、レジのマニュアルはいろいろありました。お札を受け取ったときはすぐに引き出しにはいれず、いったん見えるところに挟んでおく。重なっていないかどうか指でムギュムギュする。おつりのお札はお客さんの目の前で見えるようにして数える。一時的に置いたお札や硬貨は必ず全部所定の場所に片付けてから次のお客さんのレジを始める。などです。

スーパーっていうのは、本当に1円単位の戦いですね。原価と売上の関係で一品につきいくらの儲けがあるかなども、ちょっとしたことで、原価割れをおこしたりしますから、仕入れの量と売れる量などの関係にぴりぴりします。原価を割らないと言って楽観できません。人件費や光熱費などもそこから出るわけです。売れなくて値引きしたり廃棄したりしたら、大損失です。100円の品物を売るのに、純利益は1~2円くらいだとか聞いたことがあります。ですから、もしレジで500円足りなくなったりしたら、大きな損失ですし、また、500円多いなどということになったらこれもまたお客様にたいしての信用問題になるでしょう。万引きも深刻です。お金をはらわないで何品か持ち去られた場合は大損害です。万引きなんかする人は、スーパーで働いてみるべきです。内部事情を知る人間がコンビニ強盗をしたりすることもたまにあるようですが、働く人の苦労を知っている人がそのような犯罪をするのは信じられません。

さいきん、お金にずさんな場にふれて、すごくおどろいたことがあるんです。そのことはいずれ書きますが、その余談として、私がスーパーの仕事で培ってきた金銭感覚はこんな感じであるということをお知らせします。


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マイルール

2005-11-21 18:21:09 | 未分類過去
マイルールは、
人の意思ではなく、自分の意思で判断するということかな。
単なる、自己中心・わがままですね。
でも、自分が納得できないことは、絶対に曲げられません。

どうでもいいことはいいですよ。
どこのレストランに入るとか、どこに行って何して遊ぶとか、
そんなことは相手に合わせます。

でも、不条理なことは許せません。
まず、うそを言う人間は嫌いです。
事実を隠して、その場だけうまく納めようなんていう考え方が一番いやです。
そして、自分の意見を言わないで、誰に対してもいい顔をしている人が嫌いです。

私の友人は似たもの同士で、偏屈が多いです。
人に嫌われても、本心を言う人が好きです。
私の友人には、あんまり、人からいい人だって評判の人はいません。
でも、深く付き合うと心根はいい人だと分かる人が多いです。

表面上ではなく、
本心で付き合える人を友人にするというのも私のルールです。


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「野ブタ。をプロデュース」の中に見た商業戦略の法則

2005-11-20 00:39:30 | テレビドラマ・映画
最近私は、知的財産に関することに関心をもち、毎週講座などを受けているのですが、今日の「野ブタ。をプロデュース」では、発明品とその知的所有権、それから、どのように売り込むかという戦略について考えさせられ、非常に面白かったです。
このドラマの本筋とは外れますが、そこに焦点をあてて書いてみます。

まず、ドラマですが、
何気なく彰(山下智久)が作った野ブタのマスコットがかわいくて、それを修二が持ち歩いていると、それを見た他の女の子が欲しがり、人気が出たために、3人はそれをたくさん作って売ろうと考え出す。そして、それは爆発的に売れる。
ところが、そのうち模造品が出回り、そちらのほうが安いために本物が売れなくなってしまう。
ということが起きます。

このようなことは、現実社会にもよく起こっていることですね。実社会では、オリジナル商品を売り出す場合は、その発明品の形やデザインの意匠登録、「野ブタ」などの名前があれば商標登録をして、自分の所有権をはっきりさせておく必要があるでしょう。そうしておけば、それを侵害された場合は、訴えることができ、損害賠償も請求できるということになります。
しかし、小さい企業や商店が商標登録などする場合、そのための経費が非常にかかるので、ついついそれをしないということがあります。そうすると、後で真似をしたほうが先に登録してしまったりすると所有権はそっちのものになってしまって、本当の発明者が逆に販売停止にされたりしてしまうことになります。

ドラマでは、偽造品と同じデザインをあきらめ、今度は別の新しいデザインを考えればいいのだということになり、新商品を発明し、いきなりこれを売り出します。しかし、誰も買おうとはしない。すでに飽きてしまっているのでした。

こんなことも現実社会にもよくあるようです。零細企業や個人は商標登録や意匠登録をするのに費用がかかるために登録しないで、人から真似をされてしまう。その場合は、新しいものを考えればいいんだと泣き寝入りしてしまうことも多いようです。また、自分の発明を登録してあったとしても、それが他者とぶつかった場合、どちらが本物か、どちらに権利があるかの係争になったときに、くりかえし行なわれる裁判費用をかけ続けることができないため、結局はあきらめて、権利を他者のものにさせてしまうことも多いようです。

ところで、発明品(オリジナル商品)を売り出すには、やはり方法があるようです。ただ、いきなり店に並べれば買っていくというものではないようです。
例えば、何かの景品にするなどという方法もよくとられるようです。まずは、無料で配布されるような方法をとる。保険会社の加入者にプレゼントするとか、預金した人に渡すとか、何かの会員に限って上げたりすることが多いようです。ある高価な品物を買った人にその商品に関連付随する安価な新発明品をつけてさしあげるということもあるでしょう。
そうすると、それらを使っている人や置いている所の様子を人々が見て、関心をもち、その後、購入したいと思ったりし、そのタイミングに合わせて、店頭に売り出すと、爆発的に売れることになる。

テレビドラマで、最初の野ブタのマスコットが成功したのはそれと同じですね。
そして、二つ目の商品が意図に反して売れなかった場合、やはりさっさとあきらめるのも次への道であり、信子の判断は適切と言えます。

テレビドラマの中で、もうひとつの面白かった現象は、教師が誰も読み手のない自分の文集を段ボール箱に大切にしまってあったことですが、これを捨てたことによって人の目に触れて人気が出たということです。
知的財産は隠し持っていても意味がないのですね。誰かがそれを発見し、その価値が判る人に活用されることによって、世のなかに出まわるようになり、多くの人の役に立つものです。誰かがたのしそうに読んでいるのを見て、他の人も読んでみると面白いということで、多くの人に活用されるようになります。

そして、その後、公園の土の中に埋められていた宝箱の中に野ブタの最初のマスコットが入っているのを信子は発見しました。ひと時の人気も落ちて、人に偽造もされて、自分たちには何も残らなかったかのように思えたマスコットですが、信子は「誰かの宝物になったんだからそれでいい」という結論をだします。

そうです。発明にはそのような考えかたもあります。何もかも自分だけの知的所有権を主張して、儲けようとするのではなく、無料で発明を世の中に提供するということも、発明者の判断です。儲けがあったとか誰の権利だとかいうことではなく、ある人によってそのものが発明され、世の中の人のためになったというその事実は、変わりようがありません。
発明者にとっては、自分の発明品を宝物にしたり、自分の著作物を愛読してくれる人が世のなかにいることが一番の幸せです。

そして、最後に彰が「野ブタ(信子)をプロデュースすることがいやになった」と言っていました。人の人気者にするのではなく、自分のものにしたいと言い出したのです。これこそが、本当の価値を見出したことです。自分が買いたくもないものを人に売ろうとしたところで、売れるはずがないのです。ある人が自分のものにしたいと思うものこそ、人もそのように思うものでしょう。

本当に良くできているドラマだなあと思いました。


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茶川竜之介の毛玉

2005-11-19 10:21:10 | テレビドラマ・映画
ALWAYS 3丁目の夕日」で、すごく印象に残っているものがあります。
それは、茶川竜之介(吉岡秀隆)が着ていた毛玉の着いた汚なっちいカーディガンです。
その毛玉がすごくリアルでした。毎日のように長年着ているとそうなるわけです。
そうそう昭和30年代には、こんなものを着ていた人が多かったなあと思いました。
貧しい茶川はその着古した毛玉だらけのカーディガンに防寒されて、風邪もひかず、安全に暮らしているわけで、その姿をみると、いじらしいというか、妙な感動を覚えてしまいました。

子役のセーターもそうですが、当時の子どもは服を一枚くらいしか持っていないから洗濯もしないで、毎日のように同じものを着て遊んでいます。そのようにして着ていることによって出てくる妙な風合いというか、貧乏くさくて汚くて生活にまみれたような雰囲気が、なんかたまらない変な魅力をかもし出していました。
そして、茶色くて襟のついたセーターを着ている子が淳之介だ、というように、一枚の服とその子が一体となってひとつの個性を作っています。その服とその子は運命的に結ばれているようでさえあります。

私が小さいころも同じで、昔の写真を見ると、子どもたちはみなそれぞれに自分なりのセーターを着て写っています。私は昭和35年生まれですが、そんな汚い服を着ていたのは、幼稚園くらいまでのようです。小学校に入ってからの写真は、もう少し身ぎれいな感じがします。

私の母は編み物が得意で、その当時、編み機というものを使って、よくカーディガンやセーターを編んでくれました。
私が小さいころ、母は、内職で近所の人から注文を受けて、いろいろなものを編んでいました。私はよく、買ってきた新しい毛糸の束を、編み機にスムーズにかけられるように一本に引っ張り出してふんわりと毛糸の山にする手伝いをしていました。
母は、自分の家族用には新しい毛糸を買わず、古いセーターをほどいて何度も編みなおして使いました。たまに染め直したりなどもしました。

ところで、今私はセーターの山にうずもれて困り果てています。皆店で買った既製品ですが、1~2年着ると、ちょっと型が崩れたり、なんとなく着ざらした感じがしたりして、外には来ていけないなあというようなものがたくさんあります。しかし、シミもなくほころびもなく、毛玉もないわけです。それは仕事などに来ていけないけれど、自宅で着る分には構わないという程度のものです。
一方、外出に耐える服がないと、外出用の新しい服を毎年何枚か買うことになります。そして、毎年のようにセーターが増えていってしまいます。だめになったら捨てようと思っていると、それらは、何年たっても痛まないので、増える一方なのです。

それはそうです、本当は茶川竜之介が着ているくらい、何年間も毎日着続けても耐え切れるようにすべての服ができているのですから、ひとつを着つぶすのも容易ではありません。それぞれのセーターがそのセーターの寿命を全うするまでなんか、とても着ることはできないのです。

それで、人間に喩えると40歳くらいの老朽化状態で、ゴミにするしかなくなります。中には、30歳くらいでも、美しさが衰えたということで、捨ててしまうものさえあります。
まだ充分使えるのにもったいないですねえ。
そう思って捨てられないでいると、我が家のようにガラクタに埋もれて苦しむことになります。

今は、安物でも新しいものを買ってどんどん捨てていくほうが、合理的で楽しいようです。

あれっ、何か、人間と同じでしょうか?
まだまだ使える人間が不要にされて、若者がもてはやされているような気もしますね。
そして、人との付き合いも、縁あって出合ったら、一生付き合うというのではなく、次々に適当な人材や自分の都合のいい伴侶に取り替えてしまうような気がします。

毛玉のセーターを大切に着ていた時代がなつかしいです。


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今週も、苦難の放送大学

2005-11-19 00:19:57 | 放送大学
放送大学の学習センターに行くときというのは、どうしてか、物事がスムーズに運びません。気が緩んでいるからでしょうか?よく夢の中で、次々に障害が起きて、何時間もたってしまい、学校に大遅刻したりとか、一生懸命歩こうとしても体が重くて前に進まないという状況があるのですが、それに似ています。
今回は、午前中に一本ビデオを見てもお昼を食べる時間がとれるくらいの時間に着く予定で家をでたのですが、自転車で10分くらい進んだところで、授業で使う重要参考図書を忘れたことに気づき、家に取りにもどりました。そして、授業で使う教科書を出版元に買いに行ったのですが、場所がわからなくてうろうろしてしまい、やっとそのビルを見つけると、入り口がわからず、またビルの周りをぐるぐる回ってしまいました。
そんなことをしていたら、学習センターについたのが、面接授業の45分前で、ビデオを見ていたらまたお昼を抜くことになるため、とにかく昼ごはんをたべようとファミレスに入りました。サラダ・デザートつきのパスタのセットをたのんで、コーヒーも飲んでおかなきゃ眠くなるなどと思い、ドリンクバーまでつけると1100円もして、食べるのに45分かかりました。いったい、勉強をしにいったのか、外食をしにいったのか、わけがわかりません。

面接授業の途中でちょっと眠くなりました。また、なんか椅子に座っている体勢が苦しいと感じました。
そのあと、視聴覚教室でビデオを見たのですが、授業中に感じた体勢の苦しさがますますひどくなってきました。足のやり場がないというのでしょうか?組んでも普通にしてもだるいような、どこに足を置いたらいいかわからない感じなのです。いすがすわりにくいっていうことかもしれません。今日に限ってそう感じるのは、はいているスカートの布地がすべるとかそういう影響かもしれません。また、席のテレビが近すぎるような気がして、目の前の画面を見るのが苦痛になってきて、斜めに座ったりしてみましたが、どうにも落ち着かず、そのうちまた眠気に襲われてつっぷして寝てしまいました。2本目のビデオもまたちょっと見たら寝てしまいました。それで、5時をすぎたころ、もう家に帰ることにしました。

帰りの電車の切符をかうときに、手がぶれて隣のボタンを押してしまい、40円も高い切符が出てきてしまいました。駅員さんに言って払い戻してもらおうかと思ったのですが、面倒くさいのでそのまま電車にのりました。あとで精算するともどってくるのかなあと思ったのですが、降りた駅で精算機に入れてみると、「不足金額はありません」と表示がでて戻ってきました。多すぎた分は戻って来ないものなのですね。40円損するんだったら、添削課題を20円切手で5円よけいにつけて送っちゃっても同じことだったなあなどと思いました。

まったく、食事と昼寝に行ったようなもんです。前夜に夜更しをしていたのが悪かったと思います。

でも、面接授業はいいです。ときどき入る先生の余談・雑談が楽しいです。時々内容が授業からそれたりして、先生が私情を語ったりするのが面白くて、そういう時に目が覚めます。ビデオはそういう余計なものがないから、寝てしまうんだと思います。
ということで、授業の内容は先生の雑談だけはよ~く覚えている私です。

来週こそは、3度目の正直。ちゃんと勉強しよう!

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