山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

誰だろう?

2010-11-30 23:42:14 | 日記
先日、朝通勤して会社のビルに到着。エレベーターに飛び乗ると、エレベータの中の1人の女性が「おはようございます」といって、私が下りる階のボタンを押してくれた。こちらも挨拶を返し、ボタンを押してくれた感謝を示す。しかし、見たことのない人。
ひさしのついたハンチング帽みたいなのをかぶっていて、バッグにはぬぐるみがぶら下がっている。とても会社員とは思えないラフな服装である。誰なんだ?と思っていると、うちの会社が使っている別のフロアで降りて行った。
あれっ、やっぱり同じ会社の人?そういえば、時々、下のフロアから私のいるフロアに、仕事の用事で上って来るAさんに似てるけど、Aさんはもっと小柄だし・・・、でも、他にそれらしき人はいない。それにしても、Aさんは、私よりかなり背が低いと思っていたが、今の人は同じくらいあった。
その人に、今朝もあった。今朝は私が先にエレベーターに乗っていて、その人はあとから乗って来たが、私はエレベータの奥のほうにいたので、視線を合わせることもなく、その人はやはり私の会社のフロアーで降りて行った。あ、やっぱりAさんなのか・・・。
社内にいるときは、もちろん帽子はかぶっていないし、上着も脱いでいる。バッグなども持っていないので、私服ではあるものの、それほど強烈な個性はない。しかも、靴を履き替えている人も多い。
つまり、ハイヒールを脱いで、かかとの低いサンダルやシューズに履き替えている人も多いから、なんと社内と社外では身長まで変化している。髪型も、会社の中で束ねたりする人もいるようだし、その逆もあるようだ。帽子をかぶっていると、髪の毛の特徴もわからない。
ぬいぐるみをぶら下げているなんて、若いんだな~と思う。うちの娘たちよりは年上で、仕事もバリバリの人という印象をいつも持っていたけど、ちょっとイメージが変った。

今日は、自宅のある集合住宅の駐輪場でも知らない人にあった。この人も帽子を目深にかぶっていた。同じ方向に歩いてエレベーターに向かっていく。最近引っ越してきたのですか?と聞こうかと思った。エレベーターに乗ると、その人は、寒くなりましたねえのように、親しげに話しかけてきたので、よく見ると、たまに立ち話などをしたこともある、よく知った人だった。帽子をかぶっていると本当にわからない。

そういえば、この間も、横断歩道を渡ろうとしていたら、知人に似た感じの人が道路の反対側に立っていた。その人は、もともとメガネをかけてるのだが、道路の向こうに立っている人は、帽子をかぶり、マスクまでしている。あれっ、当人なのか、当人ではないのか?私は、じっと見ていた。もし、あっちがこっちを知っているのなら、なんらかの反応があるはず。向こうもこっちを見ていたようだが、反応なし。やっぱり違うのかな?と思って通り過ぎた。でも、たぶん、当人だと思う。なぜならば、その人はその近所に住んでいる人だし、似ていたからだ。たぶん相手は、こっちが何の反応も示さなかったので、そのまま通り過ぎたのだろう。

芸能人などはよく帽子をかぶって変装しているけど、案外気がつくものだ。芸能人は、特別のオーラがあり、個性も強いから、余計に目立ったりする。
でも、やっぱり、帽子を目深にかぶると誰だかわかりにくくなるものだなあと思った。
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星がきれいだった

2010-11-30 01:24:32 | 日記
 ああ、やっと、放送大学の課題を提出した。ポストに投函してきた。そうしたら、夜空の星がきれいだった。オリオン座が見えた。それ以外にも、いっぱい見えたけど、オリオン座以外の星座はほとんど知らない。さすがに、夜中の1時くらいになると、東京でも星が見える。
 課題の締め切りは12月1日必着。ポストに郵便屋さんが取りに来るのは、明日の午前10時らしい。大丈夫か?1日で着くかな?とは思うが、それ以外の方法としては、明日の昼休みに郵便局に持って行って速達で出すしかない。もし、それをうっかり忘れてしまったら、大変なことになる。だったら、今夜のうちにポストに入れておいたほうがよさそうだ。万が一、1日に届かなかったとしても、消印が30日だったら、なんとか受け付けてくれるのでは・・・などと思っている。
よろしくお願いします。

 課題は、甘く見過ぎていた。「エネルギー学の基礎」なんだけど、2度目の履修だ。1度目に課題を出したことがあったので、今期は何も勉強してなかった。そうしたら、なんと、すっかりきれいに忘れていたのだ。何も覚えていないのだった。エントロピー? カルノーサイクル? やめてやめて。私にカタカナ語を持ってこないで。小説読んでたって、登場人物の名前がカタカナだというだけで、もう拒絶反応がおきてしまうんだから。

 そういえば、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は爆笑問題の太田おススメの本だった(あっ、東郷さんお薦めでもあった)けど、昔、なんであの物語を読む気になれなかったかを思い出した。読みはじめたけど、やめちゃった。ジョバンニとかカムパネルラとか、わけのわからない名前だからだ。それ以外にも、なんか、ピンとこなかった。

 今日は、課題をやるのがいやになったから、途中で、インターネット配信の天体の科目の1回目を見たりしていた。太陽系のことをやっていた。今度履修してみようかな。でも、宇宙も、重力とか天体の軌道とか質量とか、結局は物理や化学がわからないとダメなのかな。生物学がいいかな。

 1月の試験を受けるまでに、「エネルギー額の基礎」と「初歩からの化学」の勉強をちゃんとしておかなくてはならないなあ。
でも、村上春樹の「ノルウェイの森」も読みたいな。映画が公開されるようだし。時代についていかないとね。


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マイルスデイビスの“枯れ葉”

2010-11-28 20:55:14 | 日記


本日は、マイルス・デイビスの「枯れ葉」
音楽を聴きながら写真を見て頂けると嬉しいです。




村上春樹の小説「風の歌を聴け」の中に、主人公の僕が「<ギャルインキャリコ>の入ったマイルス・デイビス」のレコードを買うシーンがある。
このとき、僕は3枚のレコードを買い、あとの2枚は「ボブディランのカルフォルニア・ガールズ」「ベートーベンのピアノコンチェルト3番」であったが、これらのどの曲も私は知らなかった。そこで、YouTubeで調べたところ、ボブディランのカルフォルニアガールズがあった。ベートーベンのピアノコンチェルト3番もあったが、こちらはあまりいい演奏ではなかったのでUPしなかった。そのまま、もう1枚のマイルス・デイビスの曲を探すのを忘れていた。そこで、今日、やっと探してみたところ、すぐに見つかったが、どうも「ギャル・イン・キャリコ」っていうのは、あんまり好きじゃなかった。そして、そこで同じマイルス・デイビスの「枯れ葉」を見つけたので、これは季節もちょうどいいと思って、これを使わせていただくことにした。



写真は何日か前に写したもので、枯れ葉というには、枯れ方がちょっと足りないようだが、手元にある写真の中では一番雰囲気がよさそうなので使ってみた。
枯れ葉といえば、イヴ・モンタンの歌もあるが、それよりも、トランペットとサックスがいい感じだなと思った。そうか、トランペットがマイルス・デイビスで、サックスがキャノンボール・アダレイという人のようだ。金管楽器は結構好きです。
マイルスデイビスって、こういう人だったのか。名前はよく聞くけど、恥ずかしながら知らなかった。1つ勉強。

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一段落して、木の実掲載

2010-11-28 19:42:49 | 日記


昨夜の徹夜は、朝の5時くらいまでやった。寝ようとしたら、なんだか寒くて眠れなくなった。毛布を1枚足して、寝つきは悪いものの、そのうち眠りについた。8時ころ夫が出勤するので目を覚ましたが、夫は勝手に朝ごはんを食べて出かけていった。夫が出かけたあと、また2時間ほど寝て、10時15分に携帯の目ざましで起き、またレポートをやった。今日は夫がいなかったので、妨害されずに済んだ。
今夜も夫は泊まりで仕事なので、自分勝手にできる。家事がたまっているけど、休憩してから少しやろう。やはり、睡眠不足で調子が出ない。
まだ、課題が1科目残っているので、明日中にやらなくてはならない。
ところで、この赤い実はなんなのかな?昨日散歩して見つけたもの。

あとは、ピラカンサと柿

 

柿は、葉がほとんど落ちた木もありますが、この木はけっこう残っていますね。
ピラカンサは、浮間舟渡の放送大学の入口のものです。(もともとは小学校)。
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徹夜

2010-11-28 01:33:24 | 日記
 

徹夜してもできるかどうだか、大きな壁にぶち当たっています。今日はとてもいい天気で、午前中ちょっとだけ散歩に出ましたが、その後レポートにかかってます。
でも、考えが文章にうまくまとめられず、昼寝をして休憩したり、夕飯のあともまた夜寝をしたりして、全然はかどりません。いやだから寝てしまうのかな。そんなに寝たのにまた眠たくなる始末です。
夕飯の材料を買いに夕方また外に出ました。車が停まってます。車を見ると運転しなくちゃという反応が、条件反射のように出てきてしまう。そして、焦る。昨年、免許をとってからというもの、そのビョーキは始まった。それは、一種の強迫観念のようなものでもあります。これは、一生続くのかな。
でも、車に乗っているどころではないので、1週間くらい乗らなくたって大丈夫だよと自分で自分の気を落ち着かせるしかありません。これは絶対にビョーキです。
私にとって、車の運転は大きな挑戦だった。自動車学校の先生は皆、普通にはない「厳しさ」を持っていて、甘えやいい加減さは許さなかった。「お前のようなものに運転は許されない」というかのような空気。それを乗り越えたいという挑戦の気持ちはあったと思う。そして、それは今現在も続いている。まともなドライバーとして、その1人と認められたい。車に乗るときの一種の緊張は、ほかにはないもので、それは、なぜか、免許をとる時に刷り込まれてしまった。
夫は、車の運転をしないが、駐車場の車の運転席に座って合図確認のまねをしたりしている。そのときに、ジャージにサンダルのような格好である。いくら本当に車を運転しないからといって、そんなだらけた格好で運転席に座り、サンダルでブレーキペダルを踏むなんて私には考えられない。しかし、人の精神構造はどうにもならない。道路に痰を吐く男も信じられないが、それを何とも思うことのできない本人を、他人がどうこうすることはできないのだ。車に対して一種異様な意気込みを持ってしまっている私も、他からみるとおかしなものかもしれないが、これもどうにもならない。やらなければならない宿題は、どんどんやってしまえばいいものを、そこでぐずぐずしているのはなぜなのか、自分にもわからず、他人にはますます理解できない。
みんな、ビョーキだ。
自然は、人間をなぐさめ、安らぎを与える。でも、紅葉を眺めたからといって、やるべきことから解放されるわけではない。何を大げさなことを言っているのだろう。簡単なことじゃないか。適当に済ませることも一手かもしれない。要領が悪い。かまえるからできない。こんなことなら、初めからやらなきゃよかった。
昨日、変な夢を見た。受験までは未だ何カ月もあった。そうだ、中学1年から順に英語の勉強をしていけば、まだ間に合う、と思ってやり始めようとする夢。高校3年のはじめくらいに、中学1年からって、それは気の遠くなる作業。それでも時間はある。やる気になれば間に合う期間だ。いまだ、受験のトラウマ、英語のトラウマに取りつかれているらしい。こんな夢は昔良く見た。いつもこれから大学を受験しようとする夢ばかりだ。そして目覚めるとすでに関係ない年齢になっているのだ。
放送大学は普通の大学とは違う。それは明らかである。放送大学は生涯教育の意味合いが強い。これから職業につくための大学ではないし、専門家になるための大学でもない。教養学部だ。
また、いい加減支離滅裂になってきた。ただ、苦しみを避けるために油を売っていただけですよ~
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ウルシとハゼ

2010-11-27 10:35:28 | 日記
 

私が生まれ育ったところは、静岡県の伊豆なのだが、そっちのほうで紅葉がひときわきれいな木というと、「ウルシ」だと思っていた。
子どもの頃は、紅葉というものに関心がなかったからか、桜の紅葉がきれいだと思ったことはなく、イチョウの木も特に美しいと思ったことがない。
雑木林にはクヌギが多く、夏はカブトムシもいるが、クヌギの紅葉は茶色いだけだ。
道路わきの雑木林の中に、あざやかな赤・オレンジ系の葉をみつけると、それは「ウルシ」だった。時々道路のほうに枝が出ていたりする。あまりの美しさに、色づいた葉を集めたくなってしまう。で、小さいころ、近づこうとしたら、親に、かぶれるから近づくな、触ってはダメだ、と教えられた。それ以来、通学の時などは、ウルシの木のそばに寄らないように、少し離れて歩くようになった。「ウルシ」の成分に敏感な人は、その木にさわらなくても、そばを歩いただけでかぶれるのだそうだ。であるから、子どもころは、別名「かぶれの木」とも言っていた。「美しいものには毒がある」ってもんだ。「赤いキノコは毒キノコ」と同じように、アタマの中にインプットされていた。
そんな「ウルシ」は、当然のことながら、自然の山ではない東京の街中で遭遇することはないはずだった。でも、たま~に、民家の庭の中にそのようなものがあって、驚かされたりする。あれは、ウルシにそっくりだけど、ウルシではないのだろうか?かぶれないのだろうか?と。(写真)

昨日、トラックバックしていただいたブログを拝見し、「あっ、ウルシ?」と思ったものが、「山黄櫨(やまはぜ)」というものであることを知った。「漆」と「黄櫨」はどう違うのか疑問がわいてきたので、それ以来、ネットでいろんなブログやサイトを検索したりしていた。
「ハゼ」は「ウルシ」の仲間であり、私が子どもの頃「ウルシ」と呼んでいた木によく似ているように思える。一方、本当の「漆」は、ちょっと違うようだ。紅葉はぜんぜんきれいではないそうだ。「ハゼ」は漆ほど、かぶれることはないが、やはりかぶれる人もいるそうである。「黄櫨漆(はぜうるし)」とも言うのか?「○○漆」とか「○黄櫨」とか、いろいろな種類の木があるうえに、人によって呼び方もいろいろあるからわけがわからない。ウルシよりもハゼのほうが紅葉は鮮やかだと書いてあるものもあるが、「山漆」の写真ではかなり鮮やかに紅葉しているものを見つけた。「ウルシ」と「ハゼ」の区別の仕方は、葉の先が丸いのが「ウルシ」で、とがっているのが「ハゼ」だというが、例外もあるそうで、結局わけがわからない。私が故郷で「ウルシ」だと思っていた木は「山黄櫨」か「山漆」だったようだ。東京の街中にあるものはかぶれにくい「ハゼ」のほうだろう。そして、ハゼは温かい地方に分布し、ウルシは全国に分布しているらしい。


↑これは何かな?かぶれるとは思えないけど、ハゼの木のあかちゃん?

ところで、この年になるまでよくわからない木が「ナナカマド」である。「ナナカマド」というのは、小説や物語のなかによく出てくる木の名前であるが、実際どんなものか、写真では見ることができるが、実物は、それを「ナナカマド」だと認識して見たことが無い。これも赤くきれいに紅葉するらしい。あまり大きな木ではなく、ウルシやハゼと同じくらいの大きさのようであるから、「ハゼに似ている木」と書かれているものもあった。このまえ、東北のほうに旅行にいったときに、「ナナカマドがきれいですね」とバスガイドさんが言っていたが、どのことを言っているのかわからなかった。この「ナナカマド」は、「ハゼ」とは逆に寒い地域のものらしい。そのため、私の故郷にはなく、覚えることができないままこの年になったのだろう。

やっぱり地域によって生える木もかなり違うんだな~と思う。


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所有権解除

2010-11-26 23:04:47 | 運転・車・道路の事
なんか、ピンとこない言葉だけど、車のローンが終わったとき、所有権をローン会社(車の会社?)から自分のものに変更する手続きのことを「所有権解除」というようだ。
私の車、本当はローンをあと1年組んでいたのだが、あまりにも金利が高いので、貯金をはたいて繰り上げ返済した。それで、めでたく自分のものということになった。
だが、そのままにしておくと、車検証の所有者の欄が、依然として車の会社の名前になっているので、そこを書き換えてもらった。実質、それを所有権解除というようだ。
その手続きのためには、車の納税証明書のコピーが必要だった。あとは、ディーラーが全部手続きをしてくれた。
数日間は、車検証はコピーを使っていて、書き換えられた新しい車検証を受け取った。所有者の欄に自分の名前が記載されたのかと思って見ると、その上に「使用者」の欄があってもともと自分の名前が記載されているため、所有者は「使用者と同じ」というような記載に変更されていた。
この手続きを忘れていると、お金を全額払ったのにもかかわらず、車検証ではいつまでも自分のものでないような印象だから、ちゃんとやっておきたいものだ。
次の車検の時などと言っていると、ずっと先になってしまう。
車というのは、手続きが大変なものだな~と思う、他のどんな電化製品もそんな必要はないだろう。所有権といえば、土地と家くらいかな。
法的手続きみたいなものが多いので、クルマは緊張する。
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両替はできません?

2010-11-25 22:30:53 | 日記
これは昨日書いたものだが、UPしてなかったので、今載せます。

今日レジに並んでいたら、前の若い男性が、スーパーのカゴの中にマイバッグを入れ、その口を広げてあり、その中にはスーパーの売り物が入っていた。
あれっ、この人、最初からマイバッグに売り物を入れているの?と不思議に思っていた。
そうしたら、既に買ったものとレシートの内容が合わなかったので、それを清算するためにもう一度レジに並んでいたことがわかった。
この店はいつもレジに人がいっぱい並んでいて、忙しく、逆方向からは、とりつく島もないので、再度並ぶしかなかったのだろう。
ミスは、エノキダケ1個を2回打っていたことだった。そこで、返金がされたが、その金額が99円。
男性は、「小銭を100円玉にしてくれませんか?」と言った。そうしたら、店員が「エノキダケは99円ですから、100円はお返しできません」と言っている。男性の言う意味は、受け取ったじゃらじゃらの小銭と自分の持っている小銭を足して100円にするので、それを100円玉に交換してくれと言う意味だった。そしたら、店員が「両替はできません」と言った。たしかにレジには「両替はお断りします」と書いてある。しかし、これは両替というのであろうか。
そもそも99円の小銭が発生したのは、レジを打ち間違えたからではないか。
男性は「そちらが間違えたからこういうことになっているのに、おかしいんじゃないですか?それに、こっちは改めて並んで時間を使っているんですよ」と、全く正しい事を言っていたが、事はスムーズに運ばない。
男性は、「じゃあ、1円出すので100円玉でくれませんか」と言って、店員が渡そうする99円を返そうとした。そばにいたレジの他の店員から担当店員に助言があり、100円玉を渡して1円をもらうのは、両替ではないからいいのでは、ということになった。
ところが、男性は小銭をいくつも持っていたが、たまたま1円玉だけは1つも無かったようだった。それで、「じゃあ、もうそれでいいです」ということになり、99円を受け取って立ち去った。
全く埒の明かないレジですね。レジにもマニュアルがあるんでしょうけど、やれやれです。
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県木園

2010-11-25 21:50:56 | 日記
今日は、書くことがないので、このあいだ行った府中郷土の森博物館の「県木園」のことを書こうと思います。



ここには、日本全国の県の木があるそうです。本当にあるのでしょうか?
ゆっくり見なかったので、わかりませんでした。
この季節、やはり目を惹くのは紅葉で色づいている木です。ひときわ目立っていたのが「もみじ」。広島県の県木です。「そうか、広島と言えば、もみじまんじゅうだもんな」と思いました。こんなきれいな木は、写真に撮らないわけないですが、が~ん、夫か私が写ってるんで大きく写っているのは使えません。しかたない、遠くから写したのを掲載します。



赤いのが広島と滋賀の「もみじ」、その手前右側が静岡県の「もくせい」です。木犀とは、キンモクセイでもギンモクセイでもいいのかな?今は咲いてないけど、こんもりとした常緑樹ですね。紅葉もしませんね~。その右側は栃木県の「とちの木」。栃木県はわかりやすいですね。この木もきれいに紅葉するんですね。



それで、別の角度から撮ると、3本の大きな木は、左から「けやき」「とちのき」「いちょう」となります。ケヤキは「宮城」「福島」「埼玉」と3県。いちょうは「東京」「神奈川」「大阪」と3県。ありふれているんですね。



めずらしいのは、これです。「フェニックス」宮崎県。さすが、温かいんですね。宮崎は不思議で、ネットで調べたら「フェニックス・ヤマザクラ・オビスギ」って3つも県木があるようです。欲張り~。

それにしても、日本全国の木があるのは嬉しいですが、気候が違うからどうなんだろうな、と思いました。長野の「白樺」とか、北海道の「エゾマツ」とか、大丈夫なんでしょうか?
「フェニックス」と「白樺」が一緒ってのはね。白樺は見かけませんでしたけど、どこかにあったのかな?今度行ったら、もっとじっくり見てこよう。香川の「オリーブ」ってのもすごいな~。外国みたいですね。

意外なのは、「染井吉野」なんかが無いことです。これは、日本国の木だからかな。

それで、頑張って全部の都道府県の木を列挙してみます。(カタカナ・ひらがな・漢字が混じってますが意味はありません。)

北海道 エゾマツ
青森  ヒバ
岩手  ナンブアカマツ
宮城 ケヤキ
秋田 秋田杉
山形 サクランボ
福島 ケヤキ
茨城 ウメ
栃木 トチノキ
群馬 クロマツ
埼玉 ケヤキ
千葉 マキ
東京 いちょう
神奈川 いちょう
新潟 ユキツバキ
富山 立山杉
石川 アテ
福井 松
山梨 カエデ
長野 白樺
岐阜 イチイ
静岡 モクセイ
愛知 ハナノキ
三重 神宮杉
滋賀 もみじ
京都 北山杉
大阪 イチョウ
兵庫 クスノキ
奈良 杉
和歌山 ウバメカシ
鳥取 ダイセンキョウボク
島根 黒松
岡山 赤松
広島 もみじ
山口 赤松
徳島 山モモ
香川 オリーブ
愛媛 松
高知 ヤナセスギ
福岡 つつじ
佐賀 クス
長崎 椿・ひのき
熊本 クスノキ
大分 豊後梅
宮崎 フェニックス ヤマザクラ オビスギ
鹿児島 カイコウズ クス
沖縄 琉球松

以上 お疲れさまでした!

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11月22日

2010-11-24 19:07:00 | 日記


もう2日も過ぎてしまいましたが、11月22日は、いい夫婦の日だったそうだ。
いい夫婦・・・そんなの関係ない と言う人も多いだろう。
ま、私もあんまり興味なし。なぜならば、いい夫婦じゃないからね。どうでもいいや。
夫婦のあり方は、それぞれみんな違うから、どういう形がいい夫婦かなんてわからない。
人から見て変だと思っても、当人たちが良ければいいのかもしれないし、人から見ていい夫婦だと思っても、実は仮面夫婦かもしれない。夫婦の片方が満足していても、もう片方に不満が積っているかもしれない。だから、考えても仕方がないこと。いい夫婦でも、子どもにとっては、いい親じゃないかもしれないし、親にとってはいい子どもでもないかもしれない。夫婦揃って仲良く遊び呆けているかもしれないし、ま、いろいろあるだろう。でも、「理想の夫婦像」なんて虫唾が走る(冗談です)。そんなのありはしないさ。ま、適当なところでいいんじゃない?みんな不完全なんだ。
きりが無いから、夫婦の話題はやめておこう。

で、11月22日といえば、「ジョン・F・ケネディー暗殺の日」だ。それは、1963年の出来事で、もう47年も前になる。私は生まれてはいたが、当然記憶はない。
ケネディーの暗殺については、いまだに謎が多く、解明されないままになっている。概要を調べても、誰が何のために暗殺したのかよくわからない。オズワルドという青年が暗殺者として捕まったが、別の人間に射殺されてしまったそうだ。科学的に検証すると、ケネディーの頭部に当たった銃弾は、どうやらオズワルドが打ったものではないようだ。そのオズワルドを打った人間ももうすでに他界している。

他国の大統領が何十年も前に暗殺されたことは、現代の日本人には、あまり関係がない。それでも、結構関心は深いようだ。ケネディーの暗殺は、世界中の多くの人に衝撃だったようだ。通信衛星によって初めて伝送されたニュースの内容が、このケネディ暗殺事件だったことも驚きだったそうだ。

ケネディ暗殺の謎については、先日テレビでも取り上げていた。私自身、今年はいつもよりこのことに関心がある。
それは、最近このブログで時々取り上げている村上春樹の処女作「風の歌を聴け」のなかに、ジョン・F・ケネディの名前が何度か出てくるからである。主人公はたぶん1970年ころの大学生だ。
この小説は人の生と死について、何か言いたげなのであるが、ケネディの突然の死も、何がどうだとは書かれていないものの、主人公の心の中に大きな出来事として残っているようなのだ。主人公の年齢から考えると、ケネディの暗殺は中学1~2年のころであろう。それならば、いろいろと物事が見えてくる年齢なのかもしれない。
この作品では、人間は14歳くらいまでが無邪気に暮らせる年齢の上限のようなことも書いてある。20歳くらいになると人生の「不毛」さに気がつくのだろうか?ケネディは何のために死んだのだろうか?その死に意味があるのか?

Wikiを読んでみたら、オープンカーでのパレードは最初から危ないとされていたそうだ。防弾の透明カバーをつけた方がいいという周囲の意見に反して、本人の意向で無防備なままのパレードとなったそうだ。あらかじめ危険が予知されていたにも関わらず、どうして?とも思う。しかし、もう終わったことだ。時間は元に戻らない。人間はそんなに簡単に死んでいいものだろうか?でも、簡単に死んでしまうことがあるのが事実だ。

25年前の11月22日。それは私が最初に生む子供の出産予定日だった。実際には、その翌日の23日に生まれた。
夫の父親は、昭和38年10月22日に、仕事に行く途中の電車の中で、突然脳溢血で倒れて亡くなったそうだ。それは、ケネディ暗殺の1か月前である。東京オリンピックの開催は、翌年10月。楽しみにしていたのに、見ることなく死んでしまったそうだ。夫は、父親の月命日である22日に娘が生まれるのはいやだったようだ。それで、娘が生まれたのが23日でよかったと言った。
夫の父が亡くなった時、夫の家では、月賦でテレビを買ったばかりだったようだが、父親が亡くなったとたんに、電気屋が来て、夫の家からテレビを持ち帰ってしまったそうだ。一家の主が居なくなった以上、月賦が払えなくなると踏んだのであろうか。それまでに払った金額はどうなったのだろう。昔の田舎の出来事。父が死に、母子家庭になりテレビも無くなる。ひどい話だ。
夫の父の死方は、その突然さにおいては、暗殺と変わらない。ケネディ享年46歳、夫の父43歳。
夫の貧乏は当時に始まり現在に至る。

47年前、アメリカから日本に通信衛星を介して初めて送られてきた映像は、砂漠のサボテンだったそうだ。そして、それは日本時間では、11月23日の朝だった。その直後に、ケネディ大統領の暗殺事件の映像が映し出され、それを見た人々が大きな衝撃を受けたという。

生と死。宇宙と人間。

なんか、内容がめちゃくちゃになってきました。
どうやって、まとめようか???
ジャクリーン夫人は、夫ケネディが撃たれたとき、オープンカーの隣の席に乗っていた。
もうひと組の夫婦、テキサス州知事コナリーとその妻も同じ車に乗っていた。
コナリーにも銃弾が当たり、重傷を負ったが一命は取りとめたそうだ。

いつどうなるかわからないから、夫婦はお互いを大切にしよう。
あっ、夫婦の話にもどっちゃった。終わり。

(最初に書いた記事の期日の内容に誤りがあったため、一部書き直しました。)
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府中最高!

2010-11-24 01:11:49 | 日記


またまた、府中に行ってしまった。紅葉が最高だった。素晴らしい!!!
往きの甲州街道もケヤキ並木がとてもきれいだったけど、府中郷土の森博物館はもうたまらない。本当に府中って、いいところだな~
最初の写真は、郷土の森博物館前の道路のイチョウ並木。

今日は、朝はまだ雨が降っていたが、だんだん晴れるという天気予報だったので、やみそうになったところで、出発した。めずらしく夫も一緒。
博物館のプラネタリウムで、11時からの宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を見た。星の説明もあった。プラネタリウムのスクリーンはドーム型で大きいので、ダイナミックだ。プラネタリウムも良かったが、それ以上に、今日は博物館周辺の予期せぬ紅葉の美しさに目をみはってしまった。



郷土の森博物館の前の通路。
雨がやんですぐの時間、ちょうど落ち葉の掃除を初めていたが、まだケヤキの下は落ち葉のじゅうたんだった。

そのそばにあったお蕎麦屋がなぜかなくなってしまっていたので、奥のほうにあるラーメン屋さんでチャーシューメンを食べた。600円と安い。お蕎麦屋さんがなくなってしまったからか、ものすごい混みよう。おばさんが一人で注文をとったり、ラーメンを作ったりして奮闘していた。私たちが食べ終わる頃、ラーメンの玉がなくなってしまったそうで、一時注文を中断していた。おばさん、御苦労さま。

そのあと、木々の美しさに見とれ、歓声をあげながら園内を散歩。今日は、全部で70枚くらい写真をとった。でも、夫が一緒だったので、お互いの人間入りの画像が多く、UPできないものも多い。



県木園には、色々な県の木が植えられていた。(これはいつか改めて紹介しますね)
とりあえず、栃木県の栃の木と東京の銀杏。この画像気に入った。

紅葉と言えば、やっぱり「もみじ」だ。まっかっかで驚く。



郷土の森博物館から出て、是政橋へ。夫は、線路(鉄橋)の手前まででいいと言っていたが、鉄橋を越えないことには美しい橋の姿は見えないから、無理やり決行。



今日は、府中多摩川マラソンをやっていた。ここは、来るたびに何か新しい光景が見えるので、面白い。みんな頑張って走っている。



橋の上で撮った写真。後で写真を見てきがついたが、青い空に白い雲がすごい。

今日は、長女の誕生日だった。勤労感謝の日は、ここ25年雨が降ったことがない。
今日もまた、朝は降っていたけど見事に晴れた。
昨年の今日は、こわごわと運転していたが、今日は行き先も慣れていたので、難無くドライブができた。走行距離は48キロくらい。

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28歳村上春樹のトルストイ観

2010-11-23 00:03:46 | 読書
今年はトルストイ没後100年だそうですね。いつも読んでいるブログ記事で知りました。
トルストイが亡くなったのは100年前の11月20日だそうです。それで新聞記事などに取り上げられたようです。

「トルストイ」と聞いて、はたと思い起こしたのが、村上春樹の「風の歌を聴け」のなかに書いてあったことです。

「風の歌を聴け」で、この物語の語り手である僕(村上春樹)は「デレク・ハートフィールド」という作家を文章の師として仰いでいます。ハートフィールドは、架空の人物のようですが、「僕」はハートフィールドについて「文章を武器として戦うことができる数少ない非凡な作家の1人」だと言っています。
そのハートフィールドが気に入っている作品はロマンロランの「ジャン・クリストフ」です。その理由は、単にそれが一人の人間の誕生から死までを実に丹念に順序どおり描いてある点と、しかもそれが恐ろしく長い小説である点にあるそうです。
それに対して、トルストイの『戦争と平和』については、ハートフィールドは常々批判的であり、その量については問題ないが、そこには宇宙の観念が欠如しており、そのために作品は実にちぐはぐな印象を与える、と述べています。
ハートフィールドが「宇宙の観念」というときには、それは大抵「不毛さ」を意味したそうです。ハートフィールドが一番好きなのは「フランダースの犬」です。

ハートフィールドの考えと僕の考えは同じと考えてよいといえそうですので、村上春樹もそのように思っていたと受け取っていいでしょう。

で、私はロマンロランの「ジャン・クリストフ」もトルストイの「戦争と平和」も読んだことはなく、感想さえも言えない立場ですが、どっちも長~い小説なんだろうなと思い、さらに、読むのは大変そうだな~と思うばかりでした。

そこで、とりあえず、これらの作家の概要だけでも調査。
トルストイ
1828年9月9日~1910年11月20日。
帝政ロシアの小説家。思想家。

ロマンロラン
1866年1月29日~1944年12月30日
フランス 理想主義的ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムの作家

こんなことで、何もわかるわけではありませんが、まず国が違い、ロマンロランの方が30~40年新しい人であることだけわかりました。

結局、結論は何かって?
村上春樹はトルストイはあまり好きじゃなかったいらしい、ということかな。

くだらない結論ですみません。
トルストイの小説、1個くらい読んでみようかな。
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身近な紅葉

2010-11-22 20:59:34 | 日記
今日は、また雨です。桜の葉が落ちる頃って雨が多い。
積った葉っぱが濡れている光景が印象にあります。
まさしく「ぬれ落ち葉」。

ところで、「ぬれ落ち葉」って、何かの比喩のようだけど、何かな?と思って調べてみたら、定年退職後の夫のことなのだそうだ。ぬれ落ち葉は、払っても払っても湿っているのでくっついちゃって払い落せない。それが、定年後自宅にいつもいて、妻がでかけようとすると、どこにでもくっついてきてしまう夫の姿と似ているのだという。
この比喩はどうやら新しいものらしいが、その前は夫の喩えといえば「粗大ごみ」だった。粗大ごみよりぬれ落ち葉のほうが風情があるなんて言う人もいるようだが、どちらかというと「粗大ごみ」のほうがまだ利用価値があるような気がする。再利用できそうだし、拾って行く人もいそうだ。型は古いが、修理すればまだ使えるかもしれない。しかし、ぬれ落ち葉はどうなの?堆肥になるくらいかな?写真画像にもならないよな~。

またまた、前置きが長くなりました。ぬれ落ち葉の写真は問題外として、土曜日にもう1カ所行った紅葉スポットの写真をのせます。
まだ、紅葉には早いようですが、いくらか色づいていました。毎年、勤労感謝の日には銀杏の紅葉が見頃ですが、今年は紅葉が遅いようです。やはり暑かったからでしょうか。

イチョウはこんな感じです。



和風庭園のもみじ






帰宅すると、東の空に月が出ていました。

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Everybody Getting High

2010-11-22 00:38:02 | 運転・車・道路の事
このごろ、フィットのCMのインパクトの強さに、たまらない魅力を感じています。




この歌はいったい何? 
強くて、おおらかで、何物もものともしないっていうか、ごきげんです。たまりません。
確かに聴いたことはあるけど、誰のなんという歌なの?知りたい!!!
それに、このCMの車作りに取り組むホンダの人々の姿がまたすごい!
いいなあ~~

なぜか、技術者に憧れるこのごろです。
ホンダは、フィットの試乗に行った時に、セールスの人の言動にも感じられたんですが、ホンダの誇りっていうかな?
開発精神の強さと言うか?
ホンダは、車だけを作っている会社じゃない。飛行機やロボットも作っている会社だ。
セールスの人がそんなことを言ったわけじゃないけど、それが感じられたんですよね。

車がカッコよく走っているCMではなく、クルマを作っている場面っていうのが、いいなあと惚れこんでしまいます。
そして、この歌です。
世事に疎い私でも、ミックジャガーと言う人は、知っていましたが、この歌を歌っているのがこの人とは知りませんでした。
おお~~




フィットのCMと、この歌を取り上げているブログは、すでにたくさんあることがわかりました。
みんな感じることは同じようですね。
あらためて私が取り上げるまでもないことですが、やっぱりぜひ自分のブログに載せたいな思って載せてみました。
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このごろ思うこと

2010-11-21 09:46:55 | 日記
 このごろ、手軽に写真が載せられることから、ついつい画像を載せてしまう。そのほうが手っ取り早く内容を伝えられ、わかりやすいと思えるからだ。でも、それでいいのかな?と疑問に思うこともある。安易な方法をとっているからであって、書く方は画像の情報に頼り、読むほうは、時には画像の情報に囚われることがある。
 画像は過不足なく情報を伝えるわけではない。画像の中に含まれる別の情報が独り歩きするとも限らない。画像に目を奪われて文章の内容が正確に頭に入らないこともあろう。そんなわけで、なんでもかんでも画像を載せればいいというものではなさそうだ。

 でも、やっぱり“紅葉”などは、画像を載せたくなるものですね
昨日は、近隣に紅葉を探しにでかけました。今週を逃したら、来週はもう落ち葉になってしまいそうです。観光地に行くヒマがないので、街中で間に合わせましたよ。

川辺の遊歩道

 

運動場

  

桜の落ち葉

 

イチョウは、まだ緑ですが、桜は色づいて、かなり落ちちゃってます。
なんか、単なる観察日記になっちゃいました。

今日は、ドライブに行きたいところですが、放送大学の課題もあるし、午後から友人とも会うので、自宅で掃除でもしようと思います。
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