山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

モチベーション

2007-07-31 22:00:07 | 未分類過去
「モチベーション(motivation)」とは“動機付け”
「ヤル気を起こさせる内的な心の動き」のこと。

村上龍は、カタカナ語を多く使う傾向があり、それが気に入らないという人がいるようです。そのカタカナ語の中に、たとえば「モチベーション」と言うことばがあり、こんなことばもどういう意味だかわらんじゃないか!とブログに書いている人がいました。
たしかに、村上氏はカタカナ語を多く使うかもしれませんね。

英語の苦手な私もカタカナ語は苦手で意味がわからないものが多いのですが、「モチベーション」ということばは、結構身近に使っている言葉です。

まず、これが自分の周りでよく使われるようになったのは、「日本語学校の学生の日本語学習のモチベーションをあげるにはどうしたらいいか?」ということで、日常茶飯事この言葉が使われていました。ヤル気のない学生っていうのはすごく多いわけで、そのひとたちにどうやったらヤル気を起こさせることができるだろうか?というものでした。

ヤル気の無い人間にヤル気を起こさせることは非常に難しいことですね。
日本人の恋人でもできれば、一生懸命日本語を話そうとするということもあるのですが、逆にアメリカ人なんかの場合、日本人の恋人ができて、その恋人が英語を話すと、とたんに日本語を習得する意味がなくなります。アメリカンスクールの先生やNOVAの先生は日本人の恋人ができると、毎日デートに行ってしまって日本語なんか習いに来なくなってしまいます。
中国人の日本語学校の学生なんかも、最初は片言しか話せず、バイトをするにも不自由なので一生懸命勉強しますが、ある程度通じるようになるともうそれ以上、上達しようとは思わなくなるわけで、学校も休みがちでバイトに専念したりしています。「先生、そんな言葉普段使わない。なんで覚えなくちゃならないの。意味ないね」という主張。「大学に行って社長になるために、もっと高度な日本語力が必要だ!」などと思って頑張る人はごく一部です。
本当に、他人のモチベーションを上げることは難しいことです。

それで、だいぶ横道にそれたのですが、今、困っていることは、他人どころではなく、自分自身のモチベーションがあがらないことなんです。
何をしてもヤル気がでない。モチベーションがあがらないとうことは、ウツ的状況ですね。
村上龍なんかは、かなりパワーのある人間で、何事に対してもモチベーションが高そうです。カンブリア宮殿では会社の社長などと対談しているようですが、こういう日本経済の中で勝ち抜いている人たちというのは、いつも元気に突進しているような人たちではありませんか。
だれもかもが、そんなふうには生きられないなと思うし、今、モチベーションを上げられなくて苦しんでいる人は、私ばかりではなく、かなり多いんじゃないかなと思います。

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また大雨

2007-07-31 00:47:51 | 未分類過去
今日は、昔の公園仲間4人で飲みに行きました。この人たち、昨年の海の日に一緒に日帰り旅行に行ったメンバーなのですが、思い返せば、桃狩りをして白樺湖に行って~という旅行で、一日中大雨で崖崩れなんかがあって、山梨では洪水の被害があったりしたのでした。
その次に会ったのは遅めの新年会だったと思いますが、今日また会ったところ、またまた大雨です。梅雨時に会うから仕方がないんでしょうかね。
その中の一人が、月曜休みの人なので、だいたい会うのは月曜日になります。それで、昨年は月曜の海の日に旅行に行ったのでした。
4人とも、一番上の子は20歳を超えました。早いものです。

ところで、今年の海の日の直前(7月14日と15日)、またまた旅行に行こうとしていたのです。今年はその仲間ではなく、夫が一泊のバスツアーに申し込んでいたのでした。我が家では、ここ6年くらい泊りがけの旅行にはいっていません。そして、子どもは高校の修学旅行や大学のゼミや同好会の旅行に行っているのですが、親のほうはどこにも行っていないのです。
それで、子供たちは何かと忙しくて4人そろうことができないので、この際、夫婦だけで出かけようという計画を立てたのでした。
ところがなんと、今年も台風がやってきたのです。しかも日本列島を縦断するような大型台風が来ることが確実で、夫はどうしようかとおおわらわでした。
私はキャンセル料をとられるのも損だし、旅館でおいしいものを食べるだけでもいいんじゃないかと思ったのですが、夫は行った先で災害に遭ったらどうしようかとか、もし道路が分断されたりして帰って来られなくなったら翌日の仕事に穴をあけてしまうので、ダメだと思ったらしいです。
それで、なんだか出発の前日に私の携帯に何度も電話をしてきたらしいのですが、私は仕事中は携帯なんか見ないので知ったことではありませんでした。仕事が終わってから着信に気がついて夫に電話をすると、夫の用件は「旅行をキャンセルするけどいいか?」ということでした。
「そんなにしたきゃ、すればいいだろう」と答えると、50%のキャンセル料覚悟で即刻旅行会社にキャンセルを入れたようです。そうしたら、意外にも台風の事情なのでキャンセル料は取らないということで助かりました。
夫はその日の夕方旅行代金を払い戻しに出かけていきました。台風はそれほどでもなかったのですが、キャンセル料がかからなかったし、天気はやはりよくなかったので、行かなくてよかったです。

考えてみたら、海の日の頃はダメですね。まだ、梅雨があけていないので、毎年雨になる可能性大です。昨年の失敗をすっかり忘れていたのでした。
来年は海の日の旅行計画は立てないようにしようと思います。

そして、昨日なんですが、東京はものすごい雷雨でした。夫は夜勤でした。夫は数日前に不在者投票を済ませていたので選挙のほうは済んでいましたが、ものすごい稲光と雷鳴とどしゃぶりの中を会社に行くことになります。雷はすぐ近所に落ちたようなすごい衝撃音をたてていました。外に出ると直撃されるんじゃないかと思うほどで、こんなときに外に出る人は滅多にいないでしょう。
夫はいつも夜勤のときは3時頃家をでるのですが、この状況では電車が止まるかもしれないと言って、そんな中を、2時半ころズボンの裾をめくって傘をさして出かけていきました。
そうしたら、なんと、3時には晴れ上がって一滴の雨も降っていなかったのです。
夫というのは、いつもだいたいこういう人です。万全を期して事を行なうのですが、それにもかかわらず、よけいな苦労をするような人です。雷雨だからそんなに長くは続かないんじゃないのかな?と思ったんですけどね。楽天的な人だったら、3時に晴れ渡ってから出かけたんでしょうに・・・と思います。

今夜の雨はまだまだ止みそうもありません。
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選挙

2007-07-30 01:00:24 | 未分類過去
まだ、選挙速報の途中ですが、自民党大敗ということで、安倍さんの消沈した症状が痛々しいです。でも、最近の自民党のすることなすことを見ていると、しかたがない結果なんでしょうね。こんな状況で、今後このまま政治を続けてもうまく行くのかな~
しかし、今後民主党に政権が変わるようなことがあっても、そんなに優れた政治家がいるようには思えないし、どっちにしてもあまり期待できそうも無いというのが、なんともいえないです。

今日は、東京は午後になってすごい雷雨でした。投票率ってどのくらいだったんでしょうね。雷雨も関係しているのではないかなあ~

午前中に行ってきた人はいいのですが、午後に行こうと思っていて、この大雨に見舞われた人は、行くのをやめた人もいたかもしれません。
3時頃には晴れ間も見え、もう回復したと思ったのに6時ころまたすごい雨が降ってきました。

うちでは、近所のアパートに住む長女の選挙用紙がうちに届いていて、長女が6時までバイトだったので、そのあといっしょに投票に行ったのですが、長女の帰宅が7時半くらいで、それから雨の中をでかけることになりました。

実は、2人とも浮動票なんです。会場に行くまではっきりと投票者が決まっていなくて、娘なんかは投票用紙に書き込む段になってどうしようかと考えたりしていました。
今回は選挙活動もあまりしていなかったようで、候補者の特徴とかがよくわかりませんでした。結局、その人の細かい考え方なんかはわからないまま、経歴やポスターの顔の雰囲気なんかで選ぶことになってしまいました。
これというものがないので、ひどい雨の中、もうやめようかと思ったくらいですが、一応行ってきました。

投票所は終了間近でしたが、結構出入する人も多かったです。
雨がやむのを待っていて、タイムリミットで駆けつけた人も多かったのかもしれません。

帰宅してあとになって、ネットで毎日ボートマッチっていうのをやってみたら、なんと投票した候補者は私の考えとは全然合っていないような人だったのでショックでした。行く前にこれに気がついていたら違う人と政党に入れたでしょう。
しかし、選挙結果には関係ない状況なので、どうでもいいです。

日頃からちゃんと政治家に関心を持つようにしなければいけませんね。


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良い転機に

2007-07-29 23:39:45 | 未分類過去
このごろ、物事が結構速い速度で動いています。
だから、書くべきこともたくさんあるのですが、自分の中で消化しきれていないために、思うように書くことができません。

額に転機の相が・・と言われた日は、会社でパーティーがあった日でした。
詳しくは書けませんが、まあ、会社にとって大きな発展、転機といえます。
パートながら、その一員なので、その転機にあやかっているといえます。
そうすると、その占い師のタマゴさんの見る目はなかなかなものかもしれません。
そのときには、私は正装していて、集合の時間までまだ余裕があったので、駅ビルをうろついていたのでした。額ではなく、そういう格好からかもしだす緊張感が「転機」を感じさせたのかもしれません。
パーティーでは、会社の経営者や重役の話など聞くことができ、それは非常に興味深いことでした。また、同席した同じ会社の人たちの話なども聞けて、それも自分にとってはプラスになったし、会社の一員としての自覚をもつこともできました。
こういう場に、パートタイマーを呼んでくれる会社にも感謝します。
そして時代に遅れず、いやむしろ時代の中で率先して新しいものへと変化していく勢いのある会社というのは、将来性もあるものと思います。
だから、今の仕事の中で自分自身もできるだけ成長したいと思います。

それから、最近、村上龍氏をナマで見る機会に恵まれました。これもすごいタイミングでした。今まで実物を見た作家は、水上勉氏、三木卓氏、くらいでしょうか。
村上龍氏はユーモアがあってすごくおもしろいし、偉そうにしていないところがいいです。
でも、やはりすごく中身の濃い人だと思います。

そのうち、いろいろと書いていこうと思います。
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22 意識の変革

2007-07-28 09:41:08 | 読書
村上龍 「ダメな女」

“別に無理して結婚しなくてもいいし
ブランド品が好きだったら、
死ぬほど買えばいい。”

概要
相変らず景気が悪い。もし景気がよくなるとは言っても高度経済成長は期待できないし、日本的な経営システムにはほころびが見える。
ありとあらゆるところで機能不全が起こっているが、こういうとき女はどうすればいいか。
女子大生の就職も大変そうだ。
こういう時に有効なのは、考えを変えてみることだ。しかし、ほとんどの人はどう変えればいいかがわからない。
経済戦略会議では「国民一人一人の意識の改革」が大事だと言い、みんなも時代が変わろうとしていることはわかっている。しかし、どう変革すればいいかわからない。
テレビなどでも、どう変わればいいかを具体的に言っている人はいない。
日本と日本人はこのままでいいと言っている人もいるが、このままとはどういう状態を示すのかもはっきりしない。大人になってから意識を変えるのは難しい。
私(村上)は、不況が悪いことだとは思っていない。不況だと言っても困っているわけではないし、作家はいつも失業しているようなものだ。日本的なシステムや考え方が機能しなくなっているのもいいことだと思う。
不況になったからといってダメな女の概念がかわるわけでもない。
「ダメな女とは経済的&精神的に自立していない女であり、誰かに頼りたがる女だ。そういう女は、大恐慌になっても、逆にこれから日本経済が奇跡的な回復を果たしても、永遠にダメな女のままだろう。」
ただ、私は説教じみたことは言いたくない。昔からああしろこうしろと言うのは好きではないが、このように先が見ない時代は特に説教は意味がない。説教をする人の言うことを信用してはいけない。
~しなければいけない、とか、~であらねばならない、などということはない。
女はしとやかであらねばならない。女は職業を持たねばならない。・・・・・・等々、そういうことは人間の真理として決まっているわけではない。
自分のやりたいようにやればいい。ただやりたいことをみつけるのは簡単ではない。好きな職業で経済的に自立したほうが生きやすい。子どもを生んでも生まなくてもいいし、結婚してもしなくてもいい。ブランド品が好きだったら死ぬほど買えばいい。
「~しなければいけない、~であらねばならない、という発想を変えてみるだけでも、充分に意識の変革になるものです。たぶん明日からでもできるでしょう。」

文面にそって書いていったらずいぶんと長くなってしまいました。要約が苦手です。

これが書かれてから7年くらいたつんでしょうか?日本は一応景気を回復させ、今年は大学生の就職状況も非常によく、女子大生も同様です。うちの娘などはラッキーです。内定もいくつかもらいました。その中から好きな会社を選ぶことができました。
日本人の意識の変革もいやおうなくされたといえます。民間企業では終身雇用、年功序列なんか完璧に崩壊したといえるでしょう。
景気は回復したとはいえ、勝ち組負け組みの二極化が起こり、裕福な層と、一方にはワーキングプアが発生してしまいました。ただ単に真面目に働いたからと言って良い結果が出るとはかぎりません。悪質なことをして儲ける人もいます。しかし、プラス思考で努力や工夫を積み重ねて成功を勝ち取る人もいる世の中ですから、不条理とはいいきれません。

そんななかで、「女性の品格」などという「こうあるべき」というふうなことが書かれた本も出ています。これも間違いではないでしょう。しかし、これに目を通すとこれは「勝ち組」の女性に向けて書かれているのではないかと思わざるを得ません。安物の服を買うなとか、路上でティッシュを受取るなとか、そんなことを指図されたくはないのです。まあ、品格のある女性になりたい人だけが読んで従えばいいことであって、それも自由にちがいありません。

人生の中で、何が大切か?ということを各自が考えないと「うつ病」になると思います。
貧乏人には貧乏人なりの誇りを持つ必要があります。ホームレスにはホームレスの生き方があります。人にはそれぞれの幸せがあります。自分で生き方を選んでいるのです。

この文を最初に読んだとき、犬井ひろしの「○○するか○○するかを決めるのは自由だ~」というのを思い出しました。サングラスをかけてギターを弾きながら「○○イズフリーダム~」と歌う人です。
あれを聞くとなんか急に心が解放されます。
この間は、「超大作のメールの返事を書いていて、やっと出来上がったと思った瞬間、それがどういうわけか一瞬にして消えてしまったとき、すごく短い返事にして済ませてしまうか、それとも電話で済ますかは自由だ~」と言っていました。

そういうことよくあります。私は、まともな返信文を書こうとして、その文面がそれでいいのかどうか考え込んでなかなか返事が送れないことがあります。結局はものすごく遅くなり、しかもものすごく簡単な返事にしてしまうことも多いです。
だから「お礼状」というのも苦痛です。馬鹿みたいですが、お礼状のようなものをかしこまって書こうとすると気が変になりそうなのです。

しかし、確か「女性の品格」では、すぐにお礼状(郵便書面)を出すのが品格のある女性のあるべき姿のようなことが書いてありました。
「お礼状を書く」ということ、それをクリアできない人間は人間の屑になるのでしょうか?字が下手なので更に苦痛が増します。電話で済ませたらだめなんでしょうか? 
そういう価値観に縛られると、ほんとうに気が変になってしまう。

でも、縛っているのは、ほかならぬ自分なんだと思う。
鍋から直接ラーメンを食べてはいけないと決まっているわけではないのです。
掛け布団を敷布団の代わりにしてはいけないと決まっているわけでもない。
人が突然訪ねてきた時に、いつでも愛想良くにこにこして出迎えなくてはいけないわけでもない。

こうしなきゃならないということで自分を縛り付け、ストレスで気ちがいになるよりは、自由に振舞えばいいでしょう。
法律を犯さず、人に迷惑をかけないのなら問題はないはずです。
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男の会話

2007-07-27 01:32:00 | 未分類過去
男の会話ってのは非常におもしろいと思う。
村上龍のMSNビデオで、パブのようなところで男たちがサッカーのことを話しているのがある。
古いもので、ジーコのことを話している。
村上が、「ジーコってなんだったんですかね」と話題を切り出している。
帽子をとろうかどうかとか、タバコを吸ってもいいかどうかなどと考えたり、カウンターやテーブルなどてんでの方向に好きなように座っている男たちは、ジーコってなんだったのかな~という村上の話題提供をちゃんと聞いているのかな~?などと一瞬思うが、それがなんの、ふと、すごいコメントが返ってくる。
その場にいる人たちのことは私は知らないし、プロフィールなどは見たものの忘れてしまった。だから、いちいち調べてからここに書くようなことはしないが、それぞれがちゃんと見解というものを持っていて、それを語りだす。
その人たちのそれぞれの「見解」を聞いていると、だんだん分析されていろいろなものが見えてくる。
今はオシム監督がやっていて、ジーコはもう古い話になったが、村上の口からはオシムの名前も出ていた。
サッカーのことなんかまるでわからず、当時世間の人たちがジーコはだめだとばかり言っていたときに、なんで批判ばかりするのかな~と思っていた。だめだだめだという声ばかりで、何でだめなのかがわからなかった。単に負けたからという結果論でダメだというのだと思っていた。だが、これを聞いていると、なぜだめなのか、なぜ感動できなかったのか納得できる。
そして、サッカーなんかまるで興味のない私でも、こういう会話にくらいつかなくてはいられなくなるほど面白い。
そう、つまり、男の会話にはテーマがあり、それに対して個々の見解があるから面白くてたまらない。

今日、ちょっと飲み会みたいのがあって、男や女が同席していた。
男たちが、会社で意見を出すこととその受取り方や反論の仕方について、どういう反応はネガティブだとか建設的だとかいうことを話し始めた。何かを掘り下げた話になってくると非常に面白いと感じる。男が真剣に話し始めると非常におもしろい。
夏休みはどこにいくんですか?などという話よりずっといい。
ところが、どうも女性の様子がおかしくなってくる。急にトイレに立ったりする。化粧でもなおしているのかしばらくは戻ってこない。席に戻ってきても、引いているのがよくわかる。そのうち顔を見合わせる。いつまでそんなつまらないことを論じ合ってるの、ちっとも終りそうもないわね、そんなことどうでもいいじゃない、私たちにはわからないわ。関係ない話だわ、という感じである。
私としては、関係はないけど、ほお~男ってのはそういうことを考えてるんですか?と思って、ついつい身を乗り出して聞いてしまったりする。この男はそういう考え方をするんだと興味がわく。
ところがどうも、中心になって論じ合っている男たちは、女にあんまり好かれているほうではない。はっきり言ってくどいわけだ。どうでもいいことにこだわる男である。
多くの女性は、1つのテーマに深入りする男はあまり好きではないようである。
これは、男と女によるものではなく、もしかしたら掘り下げることが好きな人間と嫌いな人間にわかれるのかもしれないが、女だけの集まりでこういう話し方をすることはほとんどない。
だから、やはりこういうタイプは男に多いのだと思う。
そして、私はそういう話の雰囲気と、それを聞くのが好きである。

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額に転機の相が・・・

2007-07-27 00:20:15 | 未分類過去
今日、暇つぶしに駅ビルの中を歩いていると、1人の女性に声をかけられた。
あのう、間違っていたらすみません・・・ちょっとお聞きしたいんですが・・・
などという。
道でも聞かれるのか?それとも私を何かの関係者だと思っているのか?何かのセールスか?
とりあえず急いでいるわけではないので、足を止めると、
この1~2ヶ月で何か変わったことはありませんでしたか?額に転機の相が見えるんですけど・・・
と言う。
さあ~?何も変わったことはありませんね~
そうですか?最近何か変化は無かったですか?
(・・・何にも変わってないなあ~ 身内に不幸なんかもないし、会社を辞める気もないしな~・・・)
いいえ、ぜんぜん変わりはないです。
と、ちょっと不機嫌そうにきっぱりと答えて立ち去った。
この人、たぶん易者の卵なんだろう。
「額に転機の相」って、私の額が最近形を変えたとでもいうのだろうか?
形はぜんぜん変わりないと思うけどね。
しかも、私は前髪をたらしているのだから、額はあんまり見えないはずなんだけどな~

しかし、そんなことを言われると、転機があったのだろうか?などと考えてしまうから不思議だ。
仕事の内容も仕事に対する態度も変えているわけではない。
自分自身で、人生の方向転換をしようなどともまるで考えていない。

変わったことと言えば、車の免許をとるのを断念したくらいかな。田舎に帰って車に乗って生活するという見通しがたたない。だから、将来にわたって実家を維持する自信はないと母や姉に言った事は確かだ。そのことによって母はかなりショックを受けたかもしれなかった。
しかし、それは特に私自身の転機ではない。

転機といえば、完全に日本語教育とは縁を切ったというのはある。ボランティアの会員登録も延長してない。それは転機といえば転機かもしれない。日本語教師の亡霊とはオサラバしたってことだろう。
しかし、それも転機というほどのものではないだろう。

そのほかに転機といえば、
最近は少し村上龍さんにはまっています。

ビデオレターの「龍言飛語」を待ち遠しく見ているし、短編小説などもぼちぼち読んでいます。カンブリア宮殿も見ています。その本も買って、興味のある経営者のところを拾い読みしたりしています。
小説だけじゃないところが面白いです。この人はいろいろな分野を視野に入れて活発に活動しているところがすごいです。自分の意見を世の中に伝えるだけではなく、人の意見を聞いて共に伝えるというのは、一人の人間にはない魅力が相乗するわけです。
作家というのは、小説を書くためにいるのではなく、小説自体が手段なのです。だから、小説を通して何かを主張するという形にこだわることはないでしょう。直接に映像で語りかけてもいいわけですし、効果的な人を一緒に出演させてもいいわけです。そういうことを率先して実行している人として、貴重な人を発見することができたと思います。
こういう人の影響を受けていくと、たぶん自分も活性化されると思います。

つまり、額に転機の相が出ているのだとしたら、
それは、そういうことで脳が活性化された現われだったらいいと思いますよ。

それで、村上効果かもしれませんが、
ブログのアクセスが一日150ipを超えるようになりました。
特別多いわけじゃありませんが、100前後の数ヶ月前に比べると、自分の中では一段階上がったかなと思っています。
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ふるさと納税

2007-07-26 13:51:36 | 未分類過去
私は「ふるさと納税」に賛成である。
私の故郷は静岡だが、現在静岡には75歳の母が1人で暮らしている。私たち家族は年に数回ふるさとに帰り、その土地の道路や駅や公共施設などを無料で使い数日を過ごす。
本来ならば、誰かが実家に残り家を継がなければならないところ、みんな故郷を出てしまった。
それで、母は独居老人であるので、定期的に市の人が様子を見にきたりしてくれているようである。

市は東京と比べ物にならないくらい廃れている。
しかも、私たちが子どもの頃より廃れている。
公園のブランコや滑り台は朽ち果てて使えないものもあるし、草も伸び放題である。
昔ながらの小売店がなくなり、郊外に大型スーパーなどができた。若者は車で買出しに出かけるが、車の運転ができない老人には不便になった。
それで、ショッピングセンターまで行けるミニバスというのができたが、利用者が少なく、赤字が続くため廃止となった。
健康診断の検査項目も非常に少ない。血液検査とレントゲンくらいだが、それでも1500円だか取るのだそうだ。だから、母は受信しないという。子宮ガン検査や胃のバリウム検査もやったことがないらしい。
東京では、子宮ガン検査も無料だし、眼底検査までやってくれる。心電図も当然ある。
このような格差はすべて地方から所得のある中年や若者が東京などに出て行ってしまったからである。

故郷に帰ると海水浴などに行く。母校の小学校で海水魚の水槽などながめて楽しませてもらう。海水浴場には無料で浴びることができるシャワーもあるので利用する。
そこは、観光地であっても、地元の人しか泳がない海である。
住民対象の無料の施設は万人に解放されていて、観光客もつかうことができる。
私たちは観光地の故郷に帰っても旅館に泊まるわけでもないし、外食をするわけでもないし、有料の観光施設を使うこともめったにない。
祭など市の催しが行われるときも行って楽しむことが多いから、市が作り市が運営しているものを利用し、何もお金を使わずにその恩恵を受けているといえる。

故郷の出身者が定年退職などを迎えて年老いた親の元に戻ろうと考えること多々あると思う。しかし、交通機関も少なく、様々な公共サービスが衰退してしまっている故郷の状況では、帰って暮らすのもためらわれてしまうだろう。若者もどんどん減っていき、悪循環である。

もし、ふるさと納税というものがあれば、自分が恩恵を受けた土地や思い入れのある土地に税金を納められ、それがそこで役立てられればいいことだと思う。

ただし、徴収の方法などは煩雑にならないようシステムを考えるべきだろう。
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まねきネコやさん

2007-07-26 00:42:14 | 日記
まねきネコ屋をみつけた。
道路に向っていろんな招き猫がいっぱい飾られている。

縁起動物なんとかとか書いてあったようだ。
売ったり展示したりしているらしい。

中もちょっと見てみたいな、と思ったが、
ひと気がないので、やめた。

人はあまり招き寄せられていないようだった。

このちょっとなまめかしいネコはあまり見ない形ですね。

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まねきネコ

2007-07-26 00:35:58 | 日記
何かおもしろい画像はないかな~と探したのですが、
マイピクチャには、こんなものしかありません。

いや、“こんなもの”なんて言ったらバチがあたりますね。

このネコは、お金を招き寄せるのかな?

あっ、“ネコに小判”ですね。

このネコ、小判の価値はわかっているのだろうか?

まねきネコなんだから、判ってるんだろうな。


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私の中の恐ろしい空想

2007-07-25 23:10:56 | 未分類過去
「エホバの証人」というのは、敬虔なるクリスチャンで、善良な人たちであると言っていいと思いますが、信じられないような言動もあります。

ハルマゲドンが来ると、地球上の人は、生き残るものと滅ぼされるものがいるとのことです。生き残るものはイエスキリストを正しく信仰する者であり、滅びるものはそうでない人たちとのことです。

となると、一般のカトリックとかプロテスタントなどは実際には聖書の教えを守ってはいない偽りの信仰であるという考えですから、生き残るのは「エホバの証人」だけということになります。それでも、かなりの人数ですが地球上のすべての人間から考えたら割合は少ないでしょう。
何ら法律を犯していない人たちも、親切な人たちも、エホバの証人で無ければダメだそうです。だから、すごくたくさんの人が死んでしまうということらしいです。
そういう人を少なくするように、みんなが救われるようにということで、エホバの証人は伝道活動をしているのだそうです。

それでも、最終的に多くの人が滅びるというのは、予言されていることなのだそうです。
どのような形で滅びるのかわかりませんが、滅びたあとは、やはり片付けたりきれいにしたりしなければならないはずだとのことです。
そうやって初めて、地球上に悪がなくなり、神に従う善良な人間と美しい地が生まれるのだそうです。

そんな話を聞いていると、じゃあ、この近所に住んでいるひともみんな死んじゃうのかと思ったりします。自分自身もその中に入るわけですけど、仮に生きていると想像して考えて見ます。あそこの豪邸に住んでいる人もいなくなっちゃうのか、などと思います。
空き家ばっかりになるのかな?それは大変だろうな。人がすまなくなると、家ってのはどんどん朽ち果ててしまうものだし、庭にも草がはびこるだろうし・・・などと思います。
道路工事とか建設業に携る人も、生き残った人のなかにどれだけいることだか。そんな社会がなりたつんでしょうか。
まあ、楽園になった後には、過去に亡くなった人が復活してくるという預言もあるので、人は減るばかりではないようですが・・・。

多くの人が滅びたあとどうなるのか、ふと空想してしまいました。
この人口密度の高い東京のひとたちが大部分いなくなったら、もう家なんか選びほうだいですよ。生き残った人間は、その辺にある他人の家の中から気に入った家を選んで住むこともできるんじゃないですか?

でも、そんな変なことを考えると、ひと気のなくなった町のなかで、私は好き放題に立派な家を選ぶでしょうか?
・・・これは恐ろしい空想です。こんなこと考えてはいけないでしょう。

ハルマゲドンとは関係なしに、たとえばの話、「どの家を選んで住んでもいいよ」なんてことがあったとしても、私が立派な家を選ぶのはやはり分不相応だと思います。
私はやはりこの公営住宅に住んでいるかもしれません。
それでも強いて選ぶなら、小さくてあまり新しくない控えめな家を選ぶことでしょう。

それにしても、早くハルマゲドンが来て地球が楽園になってほしいと思うエホバの証人には同意できません。そういう人は、自分は生き残ることが保証されていると思っているから、そんな考えをするのではないでしょうか。

私はやはりみんな生きていたほうがいいと思います。だから、永遠の命なんかいらないし地球は完全な楽園になんかならなくていいと思います。

お金持ちは豪邸に住み、貧乏人は狭い家に住めばいいのです。
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人の家にはあまり行かない

2007-07-25 22:37:35 | 未分類過去
「家見学大好き」と言っても、それは売家に限ります。知人が実際に暮らしている家にはあまり行きたくないのです。
行ったら、今度は呼ばなくてはならないというのも困るわけです。

立派な家に住んでいる人は、とかく呼びたがるのです。
何年も会っていない友人なども、すぐに遊びに来いとか言います。
かわいい血統賞つきの犬猫がいるから見に来いなどといいます。
べつにそんなの見に行きたいとは思わないんですけどね。
何時間もかけて見に行くほどの価値があるものだと思っているのは飼い主だけでしょう。
そして、きっと見たいにちがいないと思って疑わないところがあきれてしまいます。
しばらくぶりに会いましょうなどというと必ず、まだうちを見てなかったでしょうとか、一度しか来てないでしょうとか、うちのペットを見てなかったでしょうとか、そういう話になります。
いや、休みの日に遠出すると疲れるから・・・などと言うと、じゃあこっちから行こうかなどと言います。
(いや、来ないでくれ~)
どこかで、会うんじゃだめなんですかね。
私が日頃親しくしている借家住まいの友人たちは、会うとなると必ずどこかにでかけます。おいしいものを食べにいったり、街をほっつき歩いたり、酒を飲んだりします。
でも、なんか家のある人ってお互いの家に行きたがる傾向があるような気がします。
人の家に行って、貴重な休日をつぶしたくはないのですよ。

そして、だいたい、立派な家に行くと落ち込むわけです。
すっきり広々とした家で高級なカップでコーヒーなどいただいたあと、自宅に帰ってきて、急に片付けなんかしてみても、狭いキッチンはやっぱり狭いし、ちゃぶ台の上にきれいなコーヒーカップのセットなんか置いたって全然サマにならないわけです。
そこで、格差を感じるわけです。

でも、高級レストランで飲んだり食べたりするのなら、そういう落ち込みはないのです。
それは、非日常の純粋な楽しみであって、日常生活を比較することにはならないからですね。

だから、今現在、人の住んでいない売家を見学して住んだらのことを空想する。ここを誰の部屋にし、ここに何を置いて・・・などとあり得ないことを仮想するなら楽しいのです。
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世帯主と住宅手当

2007-07-25 01:14:29 | 未分類過去
今日、会社で話題になったことに「世帯主」というものがあります。
この「世帯主」には給料の中に“住宅手当”がつくのだそうです。

じゃあ、共稼ぎの夫婦であって共同名義で家を買い、ローンを同じだけ分担して払っているときはどうなるのか?
住宅手当、妻も欲しいですよね。借家だって家賃の足しに欲しいです。
しかし、こういう場合も住民票の世帯主だけが世帯主であって、2人が同等だからと2人を世帯主とすることはできないのだそうです。
会社はあくまでも「世帯主」に対して住宅手当を出すのだそうです。
これは一般的にそうなのか、私の勤めている会社がそうなのかよくわかりませんが・・・。

住宅手当なんか無い会社もたくさんあります。うちの夫の場合、今現在も過去に勤めた会社にもありませんでした。
じゃあ、妻が住宅手当がつくような一流会社の正社員で、夫が住宅手当のない会社に勤めている場合、妻を世帯主にしたほうがいいのではないでしょうか?
世帯主というのは戸籍の筆頭者ではないそうです。社会通念上ふさわしいと判断できるような人を世帯主とするもので、住民票の便宜上の問題だそうです。
たぶんおそらく夫が世帯主になっているのが普通でしょうね。

住宅手当を世帯主にだけ出すというのはなんか変なんじゃないかと思います。
世帯主でなくても出すべきではないかなと思います。

これなら、「住宅手当は特に設けていませんが給料の中に入っています」という会社のほうが問題がないような気もしますが、それはそれで結局住宅手当は無いってことです。
「住宅手当」とは、住宅にかかっている経費に応じてそれぞれに算出されるもので、一律いくらというのは本当は違うそうです。

何がなんだかわかりませんが、私はパートタイマーで当然のごとく住宅手当はないし、夫も契約社員でそんなものはないので、関係ないです。
関係ないけど・・・、世帯主だけってのは変なもんだな~と思ったので書いておきます。
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21バックボーンで男を選ぶ女

2007-07-25 00:42:41 | 未分類過去
村上龍 「ダメな女」

この本に関して、2日間書いていませんでした。
この本は文庫本のエッセイ集ですが、考えてみれば、女性月刊誌に毎月連載された過去の記事です。そういう記事に今さらひとつづつコメントをつけていく人もあまりいないのではないのかなと思いますが、まあ、乗りかかった船なので最後まで書こうと思います。
でも、まだ半分も行ってないんですね。がんばろう!

“バックボーンで男を選ぶ女は
ダメな女なのかどうか”

という記事。

概要。
著者村上は、愛があれば結婚生活は幸福かどうかという話を友人としていた。
山一證券に勤めていた男が、倒産を理由に女性から婚約を破棄されたという例がある。
同席していた女性が、そんなのはおかしいと言った。バックボーンで男を選ぶべきではないということだ。女性は村上も同じ考えであると思っていたらしい。
確かに私(村上)はエッセイにそのようなことを書いてきた。(「これまで男は大企業や官庁に、女は大企業や官庁に勤める男に、それぞれ庇護を受けてきたのだが、そういう考え方は古いのでやめたほうがいいのではないか、みたいなことだ。」)
私(村上)はその女性の意見も理解できる。
しかし、友人はある体験談を話し出した。それは病院の会計で幼児をつれた母親が治療費を払えずに困っていたのを見たことだった。こういう状況や、解雇されてローンも払えなくなったような家庭を愛で救うことはできない。
その友人の話では、官僚が地方の有権者の娘と政略結婚をすることが多いという話もした。
そんな話を聞いていて、同席していた女性は結婚が何なのかわからなくなったようだった。
「将来の生活設計」という言葉に、人はどんなイメージをもつだろうか。
村上の意見
「自立すること、個人として生きていけるような経済的・精神的基盤を準備すること、それが大切だという私の意見は変わらない。そういう女性だけが男から選ばれるのを待つのではなく、男を選ぶことができる、という考えも変わらない。だが、生き延びていこうとするとき、愛さえあればその他には何も要らない、という考え方は安易だと思う。」
山一證券に勤めていた男との婚約を破棄した女がダメな女かはわからないが、村上自身はそういう女とは縁がない。
とのこと。

婚約を破棄した女というのは、相手が山一證券という一流会社に勤めているからつきあっていたのだろうか、それならば、倒産したら当然のごとく別れるだろう。
そういう女は、結婚後に相手がリストラにあったり病気になって働けなくなってもやはり別れるんだろうな、と思う。
だが、もし好きになった男がたまたまいい会社に勤めていたのならどうだろうか?
優秀な男、勤勉な男は、いい会社に勤めていることが多いかもしれない。それならば、たとえ倒産して一旦は無職となっても、また別の仕事について能力を発揮できるといえる。
このような場合、婚約は破棄しなくても、結婚を延期することはあるかもしれないと思う。
バックボーンで男を選ぶべきではないと言っても、まともな人間にはまともなバックボーンがある場合も多い。賭け事や道楽で怠けている男は結局いい仕事についていないのは当然である。
だが、たまにバックボーンとその人物の能力とが一致しない場合もある。生まれつき金持ちの家に生まれて後を継いでいるだけのバカ息子とか、逆に能力はあるのにそれを発揮できない逆境にあるひともいるだろう。

いずれにしても、女性が相手の男性の庇護を受ける生き方ではなく、自分個人として自立していることが重要である、ということだ。
まあ、それもそうなのだが、子どもを生む女性はその間は働けないしどうしても庇護が必要だ。結婚相手によって人生が変わることは確かであるなあと思う。
バックボーンだけで相手を選ぶのは愚かだが、それは全く無視するということはできない要素でもあるだろう。
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人生の中の家購入

2007-07-24 19:58:24 | 未分類過去
私くらいの年代になると、多くの人が一戸建てを買ったリ、マンションを買ったリしています。30代の奥さんでも家を持っている人が多いです。
だいたい、子供がまだ小さい時にローンを組んで家を購入する人が多いのですね。
だから、そういう人たちは、夫婦で家を見学して歩き、将来設計をたて、ローンを組んで家を買ったわけです。
私は、家を買ったか買わないかで、「人間の器」が違うと思います。家のような大きな買物をするときは、それなりの覚悟を決めて買うわけでしょう。結局、自分自身がしっかりしていて、将来の見通しがたつほど自信がなくちゃできないことだと思います。そしてちゃんと収入を得てやりくりをして支払いをしているのです。
そういう点で、家を買えなかった自分はちょっと肩身が狭い感じがするのは否めません。
10歳以上も若い奥さんの前で、人生の先を歩いている先輩として偉そうなことを言えないわけです。20代の夫婦で共同名義で家を買っている人も少なくないようです。
家を持って車も持って人並みの生活をしているということは、人並みの能力があるってことです。いくら生まれや育ちにハンデがあっても、そんなこと関係なしに頑張って働いてそれなりの収入を得て、親の援助など受けずに自分たち力で家を持つに至った人もいるのです。

このあいだ、夫の定時制高校のときの友人から、家を新築して引越したというはがきが届きました。その人だって定時制ですから、夫と同様もともと裕福な人ではなかったわけです。
でもその人は以前から土地だけ買ってあったそうです。そして、ようやくこのたびその土地に家を建てたそうです。
ところで、もうお子さんは大学を卒業するような年齢になってしまいました。
家族でいったいあと何年いっしょに暮らせるのか、もうちょっと早く建てられたらよかったのでしょうが、でも、数年でも暮らせるし、それに都内ではないものの都心まで通える距離ですからいずれはお子さんの代が住むこともできるでしょう。
そうやって、遅くても親が土台を築いておけば、子どもがまたゼロから出発するという悪循環から解放されるかもしれません。

不動産という財産を残せなかった親としてせめて家の頭金となる現金だけでも子どもに残してやりたいです。そうすれば子供は若いうちに家を手に入れることができるかもしれません。そして、家族団らんの家で暮らせるかもしれません。
しかし、それも完全無理な状況の私たちです。

今から、人生の巻き返しは無理だな~
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