山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

睡眠学習?

2012-06-30 01:52:52 | 放送大学
早くも6月が終わろうとしている。
いくらなんでも、尻に火がつかなくては困る状況になってきたのが、放送大学の勉強。
今期は、放送授業を何も登録していないのであるが、実は、前期に試験を受けないで単位を落としている科目があるのだ。それの単位認定試験を受けなくては、1つも単位が取れないことになってしまう。
通信課題は前回提出してあり、そのためもあって、今期は全く手をつけないでここまできた。そんなわけで、すべての内容を忘れ去っているのである。
そこで、今日から、放送を1つずつ視聴して行こうと考えた。
15日あれば15回分を見られるはずである。
科目は「失敗予防の住まい学」であるが、なんと教科書が見あたらない。何かの下になって埋没しているのであろう。そのうちに掘り出すつもりだ。

ということで、今日は1回目をパソコン配信で見始めたが・・・。
いつものごとく、途中で眠くなった。
机の椅子から崩れおちて、すぐわきに身を横たえ、耳で聴くことにした。
なんとなく耳から音を聞きながらスヤスヤとしていると、1回目が終わる音楽が流れてきた。そして、また始まった。

隣の部屋から夫が出てきて、「なんだ寝ているのか」という。
「寝てないよ、聴いてるじゃない」と答えた。
ほら、もう第2回が始まってるんだから、引き続き聴いてるよ。
今日は、2回目まででいいか。

あれっ????
これって、第2回ではないのか・・・?
パソコン配信の授業は、ほっとくと第2回には進まず、同じものが繰り返されているようだ。
そこで消してしまった。

まあ、1回目は半年前にも視聴したようだから、今日はこれでいいことにしよう。
それにしても、内容はどんなものだったのかな?????
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親友

2012-06-30 01:05:49 | 日記
このあいだ、高校時代の親友に会ったのだけど、この親友とは昔いっしょに演劇をやっていて、そのことで心が結ばれていた。
あれから30年もすぎて、彼女は理系の道に進み、私は文系の道に進み、まるで違う職業になってしまい、子どもの年齢や性別も違うし、夫の職業も違うし、住んでる地域も違うという、何ら共通点のない境遇となった。

そんな彼女と再会し、彼女の持っているバッグがステキだねという話から、そのバッグはアメリカ軍の基地の中で買ったという話になり、そのことから、私が横田基地の日米友好祭に行って航空機の展示を見た話をしたら、彼女は夫と息子につきあって、やっぱり別の基地の航空ショーと軍用飛行機の展示などを見た話になり、「男というものはへんてこなものが好きだから、付き合うのも面倒臭いと思ったけど、いざ行ってみると、軍の飛行機を見るのは意外に興味深いものだ」というところに行きついた。

ウンウンとうなづいているところで、ああ、やっぱり変なところで気が合ってしまうなあと驚いたしだいだ。
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「赤頭巾ちゃん気をつけて」

2012-06-28 20:35:10 | 読書
学生のときに、この本を読み、その内容をすべて忘れていて、いったい何が書いてあったのかを知りたくてたまらず、今回読んだわけだ。だから、それこそ、その内容を書いておかなくちゃならないのだけど、4日もたったところで、もうすっかり忘れそうになっている。

なんだか、すでにあやふやだけど、とりあえずは、今のうちに書いておかなくちゃと思う。

薫君は高3のとき、学生運動のせいで、東大の入試がなくなり、大学生になれなかったという状況らしい。そして、その次の年から、都立高校は学校群制度というのがあって、名門日比谷高校に優秀な学生だけが集まるという状況ではなくなるという時期だった。そう言えば、学校群制度なんていうのが昔あって、東京の人は自分の行きたい高校に行けず、勝手に割り振られてしまうらしいと思った記憶がある。その学校群制度は、今現在はなくなり、日比谷はやっぱり都内一のエリート高校である。でも、きっと昔の校風は変わったんだろうな。今の学生はそれはもう割りきっているというか、冷めているというか、悟っているというか、昔の学生とは違う感じだ。それは、世代の違いだ。
昔の高校生は、勉強だけをしているのではなく、やたらに生徒会活動とか熱心にやってたり、わけのわからないものに情熱を傾けたりしていながら、なぜか勉強もちゃんとやっているという人間像があった。私が高校に入ったばかりのころ、高3の先輩にはその残像があったように思う。もちろん私は日比谷高校なんかじゃないけど、なんかわかるような気がする。それにしても、勉強だけではなく、何でもできる人間ってのは、見方を変えると、イヤミでもある。それが実はポーズだったにしても、実際にやっている事に変わりはない。余裕なんだな。

そんな日比谷高校から、東大に何百人と進んでいき、いろいろな有益な活動や勉強が活発になされるはずのところ、学生運動で進みようがないんだ。他の大学に行き先を変えた者も、なんとなくやる気をなくしてしまい、むしろ料理の職人なんかになったほうがよかろうと思ったりしてしまうのだ。近所の主婦オバサンは、意味もわからないのに、学生運動の動向や進学先などをわかったように口走り、うっとうしいばかりである。

学生運動とは何なのか?本当にそれに一生をかける事ができるのか。人間というものは、過去の自分と、未来の自分を切り離して生きることなどできるのか?自分の行動に責任を持てるのか?と薫君は疑問に包まれる。
今まで、鬱積していた気持ちが爆発してきたのは、友人の小林がやってきて色々しゃべっていったときだ。我が事のように薫君の心に響いたからだ。小林と薫は、まるで「風の歌を聴け」のねずみと僕みたいなものだ。(村上春樹が庄司薫に影響されていたことになるか。)
小林と薫は実質、同じ人間と考えてよさそうだ。

ここで、小説を書くのも、何をするのも、世の中の中心にまっすぐに立っているのではない人たちの時代になって来てしまったようなことが書いてある。東大の法学部とかそういういかにも「まとも」なものに対しての価値観は人気がない。普通であること、普通にまともであること、普通に優秀であること、あたりまえであること、はどうなってしまうのだろうか。

ここで、左足の親指の爪をはがして傷ついている薫君の痛みは、心の痛みでもあること、それだけの重傷を負っていることがわかってきた。

もう大学に行くことなんかやめるし、どうなってもいいんだというふうな気分で歩いているうち、小さな女の子に足を踏まれ、もはや致命傷のような激痛に襲われてしまうが、その女の子は、自分のしたことを謝り薫君を心配してくれるというまともな優しい心の子だった。

そして、その小さな女の子がこれから買おうとしているのはグリム童話の「赤頭巾ちゃん」であり、薫君は一緒に本屋に行って、その子のために良さそうな本を探してあげる。同じ赤頭巾ちゃんにもいろいろな訳があって、妙に教訓めいたものや救いのないものや、夢のないものがあるということを薫君は知っているので、本を1冊ずつ開いて確認し、女の子にふさわしい内容の物を選ぶ。
こんなところが、さすがは、1人の日比谷高校生であり、教養があり、気配りがあり、紳士的であり、人に親切にすることから外れることができない男の子だ。持って生まれた気質というか、育った環境というか、要するに良心に支配された正統的なおぼっちゃまだろう。

しかし、結局のところ、人はどこで落ち着くことができるか、何を心のよりどころにして生きていけるのかというと、身近な人を守ることなのではないか。そんなごくあたりまえな思いやりや信頼関係が大切なことなのではないか。
薫君は幼馴染の由美を守るだろうし、どんな困難なときにも、そういう人がいるかぎりは、頑張って歩んで行けるに違いない。

「赤頭巾ちゃん気をつけて」という題名は、赤頭巾ちゃんの本を選ぶ場面があったからだというのも、全く覚えていなかったが、この絵本を女の子のために選んでいる場面では、なんだか感動して胸がいっぱいになってしまった。
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故郷を歩いてみたら

2012-06-28 01:40:40 | 旅行・街歩き
大昔よく歩いた街に行ってみた。
それがまあ、結構さんざんだったわけだ。

まず、キャリーバックを持って駅に下りたが、改札を出てロッカーを探すと、キャリーバックの入る大きなロッカーは4個しかなく、それは全部使用中で、小さいロッカーは空いているものの、キャリーバックが縦にしても横にしても、どうしても入らない。
しかたなく、ガラガラゴロゴロと引っ張って歩くことになった。

そして、私は、デジカメのカードを家のパソコンに差し込んだまま来てしまっており、カメラを使おうとすると、カードがありませんと表示されていた。そこで、カメラ屋を探したのであるが、なんと昔、土産物屋などの並んでいた商店街はシャッター通りと化していて、日曜日の午後だというのに閉店している。
昔あったフランス料理の店はなくなり、ドラッグストアも閉まったまま、昔おいしかったパン屋もさびれたスーパーのようになっていた。
カメラがダメなら、携帯で写そうと思ったら、携帯の充電もほとんどなし。ソフトバンクがあったら充電してもらえるかと思ったら、ソフトバンクも、休業なのか閉鎖しているのかわからず、ガラスが閉まり、中にはがらくたのようなものが雑然と放置されていた。

川にそって遊歩道を歩いてみた。キャリーバックは重くはないが、石畳みの上を引くには振動が大きすぎた。車輪がぶっ壊れるのでは?と気になりつつガラガラと引いていった。



遊歩道には、妙なシダのような植物が繁殖し、大きな株になっている。向かいの旅館には、南国風の花がうっそうと茂って咲いていた。古い桜の幹や枝はアタマの上に梁のように伸びているが、そこに苔がむし、変な蘭の葉のような、セッコクっていうのかな?そんな葉っぱがいっぱいいっぱい生えているのだ。なんだかぞくぞくしてくるような、気持ちが悪いくらいだ。

どうして、こんなに熱帯みたいなへんてこな植物がはびこっているんだろう。
始終、川に温泉が流れているので、湿気がすごいようだし、冬でも暖かいからだろうか。

街路樹は、ヤシだったりするが、中央分離帯にアロエみたいなもんが繁殖していて、その伸び方や形が、なんだか気色悪いのだ。ああいう植物は植物ではなくて、なんか寄生しているような気がする。
草花っていうよりも、巨大な苔とか菌とかそういう感じか。

海に近づいた。堤防の先にはいっぱい人がいた。堤防の付け根にはいっぱい車が止めてある。それらは、横並びに並んだ車と間隔をあけて、また横並びに車が止まっている。
不思議なことに、駐車スペースを示すラインがない。
ラインは皆無だ。みんなどうやって位置を決めているのか?
そうだ、適当に置いているのだ。最初に置いた人の車の横に合わせてならべて行くのだ。その列がおおかたいっぱいになると、適当な間隔をかけて次の列を作っていくのだ。車が出入りできるくらいに、適当な間隔を開けているのだ。
もちろん、駐車料金などは取っていないのだ。

これらの不思議な駐車状況を写真に収めたいと思うが、カメラはないし、ちょっと高い所から撮らないと、全体状況は撮れない。堤防の一段高くなっているところによじ登れば、携帯で撮れそうだったが、海に落ちると怖いのでやめた。



とりあえず船を撮る。

街中にもどろうとする。
おっ、電気屋か?カメラのカードが売っているかもしれないと思った。
東芝展示会場とか書いてある。特設会場らしい。店ではなかった。
電気屋の軽トラックが何台か置いてあった。家電製品の展示をしているらしい。

カードは近くのコンビニにもなかった。
この街には、電気屋はあるのか?ソフトバンクはあるのか?わけがわからない。
とにかく、街中はすたれているようだ。
旅館に泊まる人はいるみたいだけど、だいたい車で素通りである。

今になってみると、本当に妙な街だと思う。
こんなところに暮らしていたんだな~。

あまりにお腹がすいたので、遅い昼ごはんにする。
ステーキは東京と同じ。

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地震に備える意識の違い

2012-06-26 23:35:27 | 日記
先日、故郷に行って昔の友人たちと話をしたときに、なんとなく東京の人と意識が違うなと思った。海の近くなので、津波に対する不安はあるみたいだけど、「帰宅難民」なんていう危険性はあんまり考えないようだ。
考えてみれば、東日本大震災の時の揺れは、東京と静岡ではずいぶんと違ったようである。
東京の人同士が久しぶりに会ったりすると、あの地震の時はどうだった、どうやって帰った、という話しになることが多いが、そういう話は出ない。スーパーで商品がなくなったりもしなかったのか、地震に備えて非常食を用意しておくとか、遠距離を歩いて帰ることとかもあんまり考えていないようだ。

私は、歩数計を常備しているが、これも単に健康のためというだけではない。どのくらい歩くと、どのくらい疲れるとか、足が痛くなるなどという目安を日ごろからつけておくことができるとともに、足腰を鍛えておくことにつながる。最近私の周辺の人々も「いざというときに長距離を歩く」ということを想定して生活している。
地震の時は4時間くらいかけて歩いて帰宅した人もいた。途中までバスで行き、そこから知らない道を歩いて帰り、遠回りだった人もいたようだ。そんなこともあり、普段から、いろいろな経路で歩いてみたりしている人も多い。電車の線路に沿って歩いて行くとわかりやすいけど、非常に遠回りだったりするそうで、直線距離だったら、その半分もかからないこともあるそうだ。そのためには、実際に歩いてみて、経路を調査しておく必要があるのだ。1つではなく、いくつかのルートを経験しておくのだそうだ。

私の場合は、自宅と勤務先が近いので、歩いて帰宅するのは簡単だが、万が一、都心に出かけているときに交通が止まったら大変なことになる。新宿くらいだったら歩いて帰る道もわかりそうだが、もっと都心になったらわからないかもしれない。

それから、自宅から故郷の家に向かっていく一般道を、自動車を運転して走ったりしているのだが、これも歩いて帰る道を認識しておこうという意識が無くはないし、距離的な感覚も感じることができる。大地震などが起こって、東京が壊滅状態になったら、246号とかを歩いて静岡県に向かうことができる。何日かけても逃げて行こうと思っているのだ。
車で走るとこのくらいかかるから、歩いたらどんだけかかるかという、なんとなくの見当もつく。いや、それはもう容易なことではない。大変なことだろうと思うばかりだ。

もし、交通がマヒして、道路も分断されてしまったら、高速道路はクルマも走らないから、そこを歩いて進むことができるのかもしれないが、高架なので、崩れ落ちたりしてしまうかもしれないなどと思う。また、休憩する場所も長距離に渡ってないだろうから、災害などの時に、高速道路を歩くのは向かないだろう。そんなわけで、一般道を進んで行く。

今後は、非常持ち出し用の荷物を持って歩くとどうなるか、なども体験する必要があるかもしれない。

追記:

そういえば、地方の町で働いている人と、大都会で働いている人とは、そもそも違いがあることに気がついた。つまり、東京の都心に勤める人たちは、道路を使ってそこまで行き来する方法を全く知らないまま、いつも電車や地下鉄に任せているのだ。たぶん、そのこと自体がかなりおかしいことなのかもしれない。地方の町だったら、自分の家と勤務先を結ぶ道路を知らないで暮らすということはないだろう。
それに、私の故郷のような地方では、日ごろからクルマで通勤しているのが普通だから、道路が壊れない限りは地震の後もクルマで移動するに違いない。東京ではクルマを持っている人がそもそも少ないし、クルマで通勤もしていない。だから、いざクルマしか使えない状況になったときにも、それを利用できるひとは限られてしまう。そして、地震の後はクルマの走行が禁止されてしまうようなので、やはり自分の足で歩くことを考える以外にはないのだ。地方の人はそういうことは考える必要のない環境にいるのだから、それに備える必要もないわけだ。
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近況

2012-06-26 02:48:06 | 日記
ああ、疲れた~。いきなり週始めから疲れていて、さっきまで爆睡しておりました。
これでは、先が思いやられる。
本当は、先週の金曜に休みを取ろうと思ったのだけど、先週は健康診断で仕事時間が削られたこともあり、休む余裕がなかった。
しかし、今日出勤すると、仕事が何にもなくて、こんなことなら休めたのにと思ったけど、月曜はデータを入力して回覧板を回す仕事があるから、滅多なことでは休めないのだ。かといって、先週の金曜に休んだのでは、金曜までに終わらせる仕事があったから、どっちにしても休めないのだった。

それにしても、仕事がないのは困ったことなので、何か作業はないかと全員にメールを送ってみたところ、仕事を頼んでくれる人が次々にいて、むしろ忙しいくらいになってよかった。なんでも宣伝活動が必要だ。

先週末は、故郷の友人たちに会ってきたのだけど、みんなそれぞれに頑張っていて、なんか自分の置かれている環境がいかに生温いものであるかを感じた。
私の仕事は、正社員の補助的な仕事ということで、気楽で短時間なので、それなりに給料も超安いのは当然である。
親しい友人の1人は、ずっと正規雇用できて今は管理職だし、もう1人は経営者である。どっちも女。年収は私とは比べ物にならないはずだ。そのうちの経営者のほうが、ほとんど1人でしゃべっていて、それを聞く立場だった。
そのときは、もう圧倒されるばかりで、よく頑張ってるなと感心したけど、後になって考えると、あれってやっぱり「経営者」側の目だなと思った。

経営者は、現場を監督する中間管理職のやり方がなっていないので、平社員がちゃんと仕事をしないと思っている。例えば、現場では勝手に仕事の方法を変えているが、そこに経営者が抜き打ちでやってきて、決められた方法で作業をしろと忠告する。勝手にやり方を変えて楽をしているだけなのか、それとも本当に変えないとやっていけないのか、そのあたりは客観的に判断のしようがないだろう。現場の人たちは経営者は実際に肉体労働をしていないので、実情がわからないのだと影で不服をもらしたりするが、経営者である友人には、理想の社員像というものがあり、社員がそれから外れた行為をすることは許せないようだ。

経営者には、現場がわからないというのは、私は常日頃つくづく感じることなのであるが、時には現場よりも客観的に見る事が出来る場合もある。また、直属上司に問題がある場合は、それを飛び越えて経営者に訴えると物事が好転することもある場合もある。なかなか難しいことだ。

もう1つは、経営者というのは、「社員を働かせてやっている」「給料を払ってやっている」という意識が強いようだと感じた。自分が作った会社だから当然かもしれないが、会社というのは、社員1人1人が働いていることによって成り立っているのであるから、「雇ってやってるから、給料がもらえるんでしょ」というよりも、「社員が毎日汗水流して働いているから、顧客から請け負った仕事もこなすことができ、収益を得て会社が継続している」と思えないのだろうか?
故郷のほうでは、仕事があまりないので、正規の仕事だけでは食べていけず、その他に、休日などを利用して短時間の労働をし、副収入を得ている人が多いらしい。そうなると、何でもいいから働かせてくださいということになるようだ。友人の会社は仕事があるので、そういう人を多く雇っているようだ。地域全体としては、仕事よりも労働者が余っているということで、結局、経営者が強気になる。

これは、都会でもそうだけど、「気に入らなければやめなさい、あなたの代わりはいくらでもいるんだから」という意識である。

経営者である友人の悩みや主張には、うなずきながら聞いていたけれど、下っぱ労働者の私としては、なんとも、複雑な気分だ。

それから、業界の違いってのもあるんだけど、友人たちは、施設サービスや人間を相手にした仕事をしているので、話は非常に具体的でわかりやすいが、こちらは技術や情報を取り扱っているので、まるで分野が違う。こっちの仕事の説明をするのはえらく大変なことなので、結局は何も話せない。
そうなると、まるで毎日何もしていないバカのように思えてしまうわけだ。そして、こちらが無知で何も知らない人のようになってしまい、自分自身もそんな気分になって帰ってきたが、いったい本当にそうなのだろうか?と考えた。
いや、それは違うだろう。結局、しゃべり続けた人は、偉そうに自分の自慢や苦労話をする人だったんじゃないかな?そして、自分をさらけ出しただけで、自分自身は人からは何も聞かない人なんだから、その人にとってはなんらプラスにはならなかった。いや、当人は自分自身を再認識したのかもしれない。

私は、そこで、労働者としての意見を述べればよかったのか、他の業界の話をすればよかたのか?まあ、そんな面倒臭いことはする気にもなれないけど、なんとなく割り切れない気持ちが残っているのだ。

自分は自分なりに頑張っているのか、それとも頑張りが足りないのかもわからないし、自分は愚かなのか愚かでないのかもわからない。そもそも、人と比べて自分はまともなのかまともでないのか、優れているのか劣っているのか、なんてことを考える事自体が間違っていることなのかもしれない。
社会への貢献度が年収に比例し、それが人間の価値を決めるとすれば、私は自分の頑張りが足りないから、社会にも貢献していないし、その結果として、年収も微々たるものであることになるのかな。
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故郷の本屋

2012-06-26 01:25:23 | 読書
週末は、また所用があって、静岡県に行ってきました。今年は、5月6月は2回ずつ頻繁に実家に帰っていますが、今回は母には関係のない用事だったので、あんまり度重なると、母としてはちょっと迷惑そうでもあります。7月は行かないので、次はお盆かな?

帰省する電車の中で、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読み終えました。
それについては、改めて書くとして、あとは「白鳥~」を持ち歩いてもいたため、それを読み始めました。なるほど、みんな薫君と由美が登場しているのか。

さて、それで、帰り際に故郷の街中をぶらついてきました。
もう、全く浦島太郎でした。すごく変わっていました。

その中で、高校時代によく入っていた本屋にも入ってみました。その店はあまり大きくはなく、店内は、記憶以上に物も人も閑散としているように感じました。

文庫本は、出版社に関係なく作家別にアイウエオ順で、現代のものと過去のものが棚の裏表に分けて配置されており、何を基準に新しいものと古いものを仕分けしているのかよくわかりません。ためしに庄司薫の本を探してみると、この本の場合は、志賀直哉等と同じ棚で、古いほうに入っていました。

しかし、驚いたことに、赤・白・黒・青とちゃんと4冊そろっているのです。さすがは、この街に一軒しかない本屋だけのことはあるもんだ、と関心しました。この街の人は、すべてをこの本屋の本支店だけでまかなっているのですから。そういえば、どんな人が経営しているのか?今では、代も代わったのでしょうね。

せっかくなので、「僕の大好きな青髭」を買ってきました。どんなカバーをつけてもらえるか楽しみでした。昔とおなじなのでしょうか?初めて見たようなデザインでしたが、覚えていないだけかもしれません。東京にはないデザインで、やっぱり記念になってよかったです。


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カブトムシがやってきた

2012-06-22 00:03:30 | 日記


台風が過ぎて1日たった今朝、夫がゴミを出しに行って戻ってきたとき、玄関側の外廊下で「カブトムシ」をみつけたそうだ。
このへんには、カナブンがいやというほど飛んでくるので、カブトムシがいても不思議ではないが、バンバアかと思ったら、ちゃんと角のあるオスのカブトムシだったのだ。
それはさすがに驚く。野生のカブトムシなのか、どこかの男の子が飼っていたのを逃がしてしまったものなのかわからない。しかし、カブトムシというものは、羽があるくせに、全然飛んで逃げようなんてしないのだから、虫かごから逃げてきたとは思えない。
近隣の大きめの公園にはクヌギの木などもありそうなので、生息しているのかもしれない。

そう言えば、昨夜は大きな虫がベランダから飛び込んできて、夫がゴキブリだと思い込み、物陰に入ったところに殺虫剤を噴霧したところ、なんとゴキブリではなく、大きなバッタだったそうだ。バッタとわかった後も、殺虫剤をかけて殺してしまった。かわいそうなので見ないで、かかわらないでおいた。止めればよかったな。

どうも、あの台風の影響のような気がする。あの強風で、いつもの居場所から思わぬ方向に移動してしまったのかもしれない。

カブトムシは、夫に逃がしてこいと言ったのだが、夫は飼うと言ってきかず、飼育セットを買ってきてしまった。ケース・餌のゼリー、木、枯れ葉、おがくず、などである。結構な値段がしたらしく、カブ一匹のためにとんだ出費だ。

朝は、とりあえずの入れ物に入れて、スイカなどもないので、ためしにトマトをやってみたら、さっそく抱きついて吸いついていた。お腹がすいていたか、喉が渇いていたかな。そういえば、逃がしてやったところで、生まれた場所に戻れるとも思えず、きっと迷子のまま飢え死にしてしまうだろう。家におけば、こうやって一人ぼっちで狭いところだけど、ひと夏は食料に困らず生きられるというものだ。

夫は、カブトムシを飼ったことがないという。私も40年ぶりくらいだ。
昼間動かないので心配していたから、カブトムシは夜行性だと言ったら、驚いていた。
日が暮れると、今度は餌のゼリーにかぶりついてびくともしない。
夫は、カブトムシなんて面白いもんじゃないなと言いだした。

カブトムシなんて、ケースから出して、その辺を歩かせたり、オス同士で決闘をさせたりしないとね。あとは、角に紐をつけてマッチ箱を引っ張らせるとかだろう。
そういえば、今時「マッチ箱」もないか。
夫は、へえ~と言っている。昔の子供なのにそんなこともしたことがないとは、驚きである。

だんだん、動物だらけになっていく家。
でも、昨日の朝、メダカが一匹死んでしまった。このあいだ買ったばかりのやつで、なぜか背骨が湾曲してしまい、水面近くに動かなくなってきたと思ったら、翌日にはそのまま浮いて死んでいたのだ。
なかなか、長生きさせられない。

カブトムシ君は、ゴキブリでなくて本当によかった。
手厚く保護させていただきます。







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台風がやってきた

2012-06-19 23:28:55 | 日記


午後2時頃には雨が降りはじめ、夕方になると風も強まり、夜の8時頃には暴風雨状態。

今日は、健康診断だったのだが、昼受付の午後一という時間帯なので、朝と昼食を抜いてでかけていった。午後は有給休暇を取っていたので、職場に戻る必要がなかったが、結局自宅の最寄り駅に着いたのが3時半であり、それからサイゼリヤで昼ご飯を食べて帰宅すると、すっかり夕方になっていた。
衣類などの買いものでもしようと思っていたが、結局食品を買って帰るだけとなり、そのころは、雨も降っていて風も強まってきた。
帰宅したら、なんだかどっと疲れて眠ってしまった。
健康診断とは、どうしてこんなに疲れるのだろう。

はっと目を覚まし、起き上がって時計を見ると8時だった。「わっ、もうこんな時間、今朝は寝坊した、ウサギに餌をやらなくては」と思い、ふと外を見ると暗い。
あれっ?今は朝じゃないの?
いったい、自分はいつ寝たんだっけ???と思い出す。
時計を見たときには、朝の8時だと思ったのだが、夜8時だということがわかった。

外は次第に暴風雨になってきた。ベランダの植物を隅のほうに片付けた。ゴーヤの棚とプランターのセットは、もう動かせない。チェリーセージもそのままで、強風にあおられている。幸福の木は、いつもの隅に置いてあり、今夜も白い花を咲かせているが、風が吹き付けている。壁際なので倒れる心配はなさそうだ。朝顔はプランターと鉢に分けて植えてあるが、支柱をつけた2鉢を玄関に避難させた。

娘2人にメールし、実家の母に電話をした。とりあえず問題なさそうだった。夫は夜勤。

食事を中途半端にとったので、夜になってもあまりお腹がすかない。それでも、10時をすぎたら空いてきたので、炊飯器に残っていたご飯と、レンジで温めるだけのシュウマイと、惣菜売り場で買った中華サラダを食べた。健康診断が終わったので、少々太っても大丈夫だ。

午後11時半現在、相変わらずの暴風雨。
台風、早く通過してほしい。


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「幸福の木」の花

2012-06-18 21:01:39 | 植物・花・木
昨日の夕方、家の中にユリのようなプルメリアのようなジャスミンのような匂いがしてきた。
どうも、窓の外から匂ってくるようだが、うちのベランダには匂うような花はない。仏壇の花かと思ったが、仏壇にあげるのは菊がほとんどで、そんなにいいにおいが漂うことはない。
しかし、遠くから匂ってくるにしてはあまりにも強いので、ベランダに出てみた。今咲いているのは、ナスタチウムは1輪くらいで匂いはないし、あとは、チェリーセージだが、花に鼻をつけてもほとんど匂いはない。いったいなんだろうと思って、匂いをたよりにその方向に進んでいった。すると、「幸福の木」の前にたどり着いた。

そういえば、この木には、妙なネギ坊主の花みたいな茶色いものが連なってできていたのを、数日前に発見していた。どうやら花らしいが、いつのまにかすでに咲き終わって枯れたものらしいと思っていた。大した花ではないと思っていた。
鼻を近づけてみると、なんとそこから、とても強い香水のような花の香りが発散されているのだった。
暗くてよく見えないので、明るくしてみると、なんと茶色い枯れた花だと思っていたのが、真っ白になっている。枯れた後ではなく、つぼみだったらしい。

今日になって写真を写した。



それにしても、これは大した匂い、香りである。幸福の木とは、この匂いのことを示しているのではないかとさえ思える。この観葉植物を育てていると、ある日、突然、すばらしい「幸福の匂い」に包まれることがあるということかもしれない。
実際は、丈夫でよく育つ木であり、ハワイの代表樹でもあるそうだ。ハワイでは「家の前にドラセナを置いておくと良いことがある」という言い伝えがあって「幸福を呼ぶ木」というらしい。本当の名前は「ドラセナ」というようだ。

この木は、昨年の夏、玄関に置くために買ったが、その後どんどん成長した。冬の間は、南側の部屋の窓際に置いてあったが、すでに玄関には置けないほど、葉が茂って横にも大きくなってしまった。部屋の中も当然狭苦しくなるので、春になってベランダに出しておいたのだ。一周り大きな鉢に植え替えた。外に出したら、葉やけしたか、水不足だったか、葉っぱがちょっと黄ばんできてしまった。それ以前から、部屋の中でほこりまみれになっていたので、見栄えもいいとは言えなくなった。それで、ベランダの隅のほうに追いやられて、かろうじて水だけを与えていたようなもんだ。

そんな粗末にされながらも、こんなにいいにおいの花を咲かせてくれて嬉しい限りだが、現在は葉が延び過ぎてごらんのとおりお化けみたい。



ところで、今日の朝、改めてみてみると、花はまた茶色になっていて見苦しく、ほとんど匂いもなくなっていた。1日しか咲かないものだったのか、と思った。
ところが、夕方が近づくにつれ、匂いがまたどんどん強くなってきた。
夜になると匂いが増すのかと思ったら、今夜の9時現在では、あまり匂わない。風向きのせいかな?



買ったころの「幸福の木」。 形が整っていました。
あれっ、葉の中央に黄緑の線が入ってますね。今は全体緑色になっちゃってます。

追記:
幸福の木の花についてしらべてみると、木の状態が悪いときに咲くという情報がありました。
確かに、鉢が小さすぎたように思いますが、1カ月くらい前に大きな鉢に植えかえています。
おそらく、その時にはすでに花芽ができていたのかもしれません。
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本日の運転

2012-06-18 00:12:21 | 運転・車・道路の事
いつか静岡県の実家まで車で行きたいと思っているのだが、一般道を行くと4時間以上かかるらしい。それで、とりあえず、途中まででも行く練習をしておこうと思っている。
人の話では、国道1号を使うということだが、環八から行くと、まずは瀬田で246号に右折する。以前は町田まで行ったことがあるが、今日は、夕方の4時に家を出たので、青葉区あたりまで行って戻ってきた。道路はところどころ渋滞していて片道1時間半、往復3時間かかり、帰宅は7時。走行距離は約50kmだった。

まず、ナビの行き先を青葉区役所というのに設定した。市ヶ尾というところで側道に下りて右折すると、横浜上麻生道路という道を走り、ほどなく左側に青葉区役所があった。
地図で見ると、その道は鶴見川に沿って北西に進んで行くが、走っているとき川は見えなかった。両側に畑や田んぼがあった。
途中でナビを自宅に帰るにすると、下麻生というところで、左折するように指示された。このあたりは、ナビ任せだったが、後で地図を見ると、この道は「麻生通り」といい、川は麻生川に沿っている。そのまま進んでいくと、麻生病院という大きな病院が右側にあり、その先の上麻生という交差点で津久井道につき当たる。このあたり、長い行列になって渋滞していたが、今地図を見ると「渋滞」と赤字で書いてある。

右に曲がると、近くに柿生駅があり、道路は小田急線に沿って進んで行く、この道に出てからは渋滞はしていなかった。
新百合ヶ丘のあたりは、道路が広くて新しく整備されている感じだった。
百合ヶ丘・よみうりランド前・生田・・このへんは反対方向から走ったことがあった。

このあたりを、小田急線に乗っていると、道路を走る車が見えて、あの道を走ることができるだろうか、と思ったりするのだが、今日は走ることができた。ちょうどロマンスカーが走っていたので、嬉しくなってしまった。

登戸を過ぎると、多摩水道橋を渡って東京都狛江市に入る。道路は世田谷通りになる。
そのままずっと東に進んで、環八の三本杉陸橋を左折、以後、北上。
今日は無難に走った。

環八で、第一車線から第二車線に移ろうと考えながら走っていて、第二車線後方に車が全然いなくなったことを確認し、ウィンカーを出して移動しようとしたところ、いないはずの右車線直後に車を発見したため、ウィンカーを中止して移動も中止した。
その車は、なんと、私の後の車が第二車線に移動したものであった。それを行き過ごさせてから移動したら、その車はなんとすぐに第一車線に戻っていった。
つまり、私を追い越したかったということだ。
以前にも、けっこうそういうことがあるのだが、おそらく、私が車線を変更するタイミングを考えながら、のそのそしていたので、遅いと思って、一旦第二車線に移動して追い抜いたようである。今度からは、第二車線後方のみならず、直後の車が移動しようとしていないかも確認する必要があるのかもしれない。

これは、自分が後ろを走っていても、前の車がやけにのろのろしていることがあるが、他の車線に移動するタイミングをはかっていることが多い。行き先に合わない車線を走っていて、交差点がせまっているときなどもよくある。

同じ方向に走っている車が、ほぼ同時に移動を始める可能性もあるので、注意が必要だ。

・ ・ ・ ・ ・

今日は、午前中は涼しかったが、午後になってかなり暑くなったようだ。
クルマの窓を開けて運転していたが、汗が出てきて、拭きながら運転していた。
他の車を見ると、みんな窓を閉めているので、エアコンをつけているのであろう。
私は、省エネのため、エアコンをつけていないが、背中にも汗をかき、背もたれが汗臭くなりそうだった。
夏用の井草を用意しよう。

駐車場では、多くの人が最近、頭から突っ込んで駐車している。
なぜならば、バックで入れると、方向的に運転席が日に当たるからである。私も真似して頭から突っ込んでみたが、どうにもやはり出るときに恐ろしいので、またすぐに戻してしまった。
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アンネのバラ(読書の森公園)

2012-06-17 00:08:34 | 植物・花・木


いつも読ませていただいている玉川のセレブーさんのブログ(「しんわの丘ローズガーデン」)に、「アンネのバラ」のことが載っていて驚いた。
そういえば私も、6月の初旬に、アンネのバラの写真を撮ってあったのだ。花は、ピンクに黄色がかった色が混じって、なかなかきれいな種類のようだが、私が見たのは、あまりにもこじんまりとしていて、サマにならないものだったので、そのままにしていた。
この地面の藁も、画像にすると残念な感じだが、木を守るためにはしかたがないのかな?



花はともかく、重要な経緯をもつものらしきこの名前。その由来を書いてある表示板も記念に撮影してきた。



こんなことが書いてある

「 アンネフランクはユダヤ人として迫害を受ける中で、平和を願う気持ちを日記に書きました。この日記は「アンネの日記」として出版され、世界中の人々に親しまれています。この日記に感銘したベルギーの園芸家が、アンネのバラを作り、アンネの父親のオットー・フランク氏に贈りました。

昭和50(1975年)、「アンネの日記」を学んだ高井戸中学校の生徒たちが、感想文集をオットー氏に贈り、翌年、オットー氏からアンネのバラが贈られました。このバラは高井戸中学校の生徒たちを中心に多くの人たちの協力により大切に育てられています。

杉並区は、アンネのバラに平和と人権尊重への願いを込めています。

平成18年3月 杉並区 」

これは、杉並区の中央図書館の隣にある「読書の森公園」にあるアンネのバラである。
もともとは、ここに書いてあるように「杉並区立高井戸中学校」にアンネの父、オットー氏から贈られたものだそうだ。

実は、このちょっと前に、どこか行くところないかな~と花の名所を探していたところ、高井戸中学校で「アンネのバラ」が一般公開されるというのを知って、行って見ようと思ったら、ちょうどその日の午前中に、公開期間が終了していたということがあった。

それで、アンネのバラは来年まで見られないと思っていたら、この公園にもあることを知った。この公園には、花らしきものが見当たらず、本当にあるのかと思ったら、確かにあった。一角にいくつか並んで花を咲かせているが、どの苗もまだ小さかった。

実は、神代植物公園にもあるらしいが、全然気がつかなかった。
高井戸中学校のサイトのアンネのバラのページを見ると、杉並区の中小学校や、長野県の学校などに贈られたそうである。神代植物公園にもここから行ったようである。
(「アンネのバラ・サポーターズ」のHP

高井戸中学校よりも先に、どこかの教会に贈られたらしいが、そこから分けてもらうほどはなかったそうで、直接オットー氏が中学に贈ってくれたそうである。
今現在は、この教会などから全国に分けられて、たくさんの場所で見ることができるようだ。

さて、「アンネの日記」は、誰でも知っているものであるが、改めてアンネがどういう一生をおくったかを確認してみた。

1929年6月12日  ドイツのフランクフルトに生まれる。今から83年前。(生きていれば83歳ということだ。)
この年は、世界恐慌の年。このころ、ヒトラーの率いるナチスも登場。

小学生時代には、ユダヤ人迫害が始まり、ドイツで3万人のユダヤ人が強制収容所に入れられた。1939年には、ヒトラーがポーランドを攻撃し、第二次世界大戦が始まった。
一家は、アンネが4歳のころから、迫害をのがれてオランダのアムステルダムに暮らしていた。

1941年 6月12日 13歳の誕生日に父から日記帳を贈られて日記を書く。
このころ隠れ家に住むようになり、その間、3冊の日記を書く。

1944年 8月4日 ナチスにつかまる。
9月3日 アウシュビッツ収容所に収容される。

10月30日 アンネと姉はドイツのベルゲン・べルゼン強制収容所に移送される。

1945年1月6日 母はアウシュビッツ収容所で亡くなる。

1月27日  アウシュビッツ収容所はソ連とポーランドによって解放され、父は釈放される。

2月 姉マルゴットが亡くなる。

3月 アンネ 15歳と9カ月で亡くなる。

5月8日 ドイツ降伏。8月、第二次世界大戦終わる。

1945年6月 1人だけ生き残った父オットー氏がアムステルダムの隠れ家にあった日記を受け取る。

1947年  アンネの日記が出版される。

(もう少し生きていたら、戦争が終わっていたのに、本当に残念です。)


ベルギの園芸家デルフォルゲ氏は、アンネ没後の15年目1960年に新種のバラを作り、「アンネの形見」と命名してオットー氏に贈った。
つぼみは赤で、開花するとオレンジ・黄色・ピンクと色が変化する。

オットー・フランク氏は1980年91歳で亡くなったそうだ。

(以上「アンネのバラ物語」などを参考にさせていただきました。)


これらの歴史を見ると、アンネフランクは、私の母の年代であり、ベルギーの園芸家が「アンネのバラ」を作ったのがちょうど私の生まれた年である。
オットー氏に手紙を書いた高井戸中学校の生徒たちの年齢が、ちょうど私の年齢と同じくらいであり、オットー氏は私が20歳のときに亡くなっている。


「読書の森公園」にはこんな池もありました。



図書館のそばにはガンジーの像もありました。(ガンジーって何した人だっけ???)



バラはだんだん大きくなるのでしょうか。来年も行ってみましょう。

追記:

神代植物公園に行ったときの写真の中に似たものがありましたが、
これはどうなのかな?




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さよなら怪傑黒頭巾(庄司薫)

2012-06-16 09:56:42 | 読書
「さよなら怪傑黒頭巾」を読んだ。後半はかなり感動した。

兄の友人の披露宴での妙な空気については、学生運動が行われていた時代のそれぞれの立場、立ち位置、その表明のし方、世の渡り方、そこから発生するうやむやな態度が、なんとなく理解でき、その場面が想像できるような気がした。
実際、私は学生運動の時代よりずっと後の世代なので、その頃のことはよくわからないのであるが、あの時代はいったい何だったのだろう。
しかし、紛争のただなかで活動していた人たちも、結局のところ、普通に家庭を持ち、生計をたてるため、あるいは普通に世間に役に立つ仕事を持ち、平凡な生活をして行かなくちゃならない。そういう人が、一種の裏切り者のように受け取られてしまう状況。
時代は過ぎ、年もとって、裏切りものは次々に増えていく。

そんな政治的な社会問題的なことではなくても、大人の男が生きて行くには、いろいろと複雑なことがあって、結局日常は「まいったまいった」ということで、受け流しながら日々を対処していく。
男たちは、いつどこにいても兵士のように戦い続け、大きな流れに押し流されて行くのだ。

まだ、これから大学生になるという段階の薫君は、そういう世界を垣間見て、自分がまだ幼いことを感じつつも、すでにその世界に足を踏みれようとし、自分の未来の姿を悟っている。
それは、女の子と付き合い、女性の想いや悩みにもつきあっていくことも同時進行であることを意味する。

一言で言えば、大人になることはそういうことで、人生とはそういうことだということだ。
「そういうこと」とはどういうことか。それが、この作品に描かれていて、それを一言で言えるくらいなら、小説はいらない。

この小説を読んで、そうなんだ、そういういうことなんだ、と昔を振り返り、納得し、そして、若者も大人も男も女も、いろいろと複雑で疲れるし大変なんだけど、それでも楽しいこともあって、東京の街のように、ごたごたといろんなものがひしめいているけど、それでもものすごく美しく見えることがあるのと同じように、人間も人生もそうなんだ、となんだか泣けてしまった。

一言で言えば、「いい作品だった」。カタルシスだ。
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買うばっかで溜まる本

2012-06-16 00:27:31 | 読書
18歳のときに読んだはずの庄司薫の本をもう一度読もうとしている最近。
ところが、どうも食いっちらかしっぱなし。
まず、実家にあった「狼なんか怖くない」を読み始めたら、以前の著書を読んでないと意味がわからないことがわかり、たまたま1冊だけ売っていた「さよなら怪傑黒頭巾」を買って読み始めた。軽くて読みやすく、薫君が披露宴に出席のあと、2人の女の子と神社にお参りに行ったところまでは読んだ。

さて、明日は雨らしいということがわかり、それでは自宅で読書三昧にしようと思いたち、かねてから気になっていた「赤頭巾ちゃん気をつけて」を本屋で探してみた。
「さよなら怪傑黒頭巾」を買った店では、最初からそれだけしかなかったので、その後入荷されることもなく、庄司薫の文庫本はなかった。
もう1軒行ってみると、新潮文庫の棚には、やっぱり1冊もなかった。平置きになっている新刊のところにも無かった。
これらの本屋は、カードで5%引きになる店と、ポイントカードがつく店であった。
しかたなく、何の割引もないが、3冊がそろっている店に向かった。本は以前から売れた形跡もなく並んでいた。
「白鳥の歌なんか聞えない」はちょっと厚い。思えば、どうして送り仮名が「聞こえない」ではないのだろうか?さらには「聴こえない」と書くべきでは?等と思う。
「赤頭巾ちゃん~」と2冊をまとめて買った。
この本屋は、しょっちゅう立ち寄っているのだが、1度も買ったことがない。なんとなく、店の人に悪いな~という気がしていた。せっかく読みたい本が揃ってるんだから、たまには買ってあげよう。というわけだ。

帰宅して「赤頭巾ちゃん~」を読み始めた。こんなの全く読んだ記憶がなかった。薫君がテニスコートに行ったところまで読んだけど、思い出す場面はなかった。
そして、なんか、この薫君口調の軽い文体にちょっといらだってきた。もしかして「飽きる?」
しかし、こんなにまとめて買っちゃったんだから、読まないとダメだ。あとは、「ぼくの大好きな青髭」だけがないだけだ。

それにしても、日比谷高校の男の子なんて、今読むとムカつくやつである。なんか純粋無垢みたいなおぼっちゃま風で、「悪名高き日比谷」なんて言ってるけど、所詮は超エリートではないか。かなり鼻につくけど、本代もったいないし、まあ、とりあえず読むしかないわ。
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みまもりケイタイ

2012-06-15 02:57:01 | 日記
固定電話で実家に電話をすることが多く、電話代がバカにならない。
最近、ソフトバンクで「みまもりケイタイ」というのがあるのを知って、それを購入した。
基本料金が月々580円であり、これを実家の母に渡しておくと、いつでも無料で通話ができるというものだ。母からは、あらかじめ設定した3人の人にだけ電話ができるようになっている。
この3人とは相互に無料で通話ができ、あとはあらかじめ設定した20人の人から母に対して電話をすることができる。この場合は通話料はかけた人が払うが、ソフトバンク同士であれば、午前1時から午後9時までは無料である。

これは、固定電話で月々何千円も電話料を払うことを考えると、絶対に得だ。
ところが、実際に契約にいたると、最初に手数料が3000円程かかり、2年ごとの契約なので、中途半端な時期に解約すると9000円くらい解約料がかかり、そのほかに保険料とか本体料(これは2年間はなし)とか、結局のところ、月たったの580円だけというわけにはいかなかった。でも、溜まっているポイントなどを使い、当面の出費は、最初の手数料とわずかな使用料で済むため、固定電話を使うよりは安いことになる。

また、「みまもり」というだけあって、緊急ブザーもついているし、それを当人が操作すると、こっちにメールが入るとか、居場所が地図で表されるとか、いろいろと便利な機能がついているので、1人暮らしの年寄りや子供が持っていると安心である。

で、それを先週末に実家に帰ったときに、母に渡してきたのであるが、なにぶんケイタイなど持ったことのない年寄りなので、母自身は、使いこなす自信がないといって、ちょっと腑に落ちない様子だった。
とにかく、固定電話で話す代わりにこれを使うだけでもメリットがあるからと言ったら、納得して使う気になっていた。だが、母からはかけ方がわからないといって、昨日は固定電話でかけてきた。

それで、本日となったわけであるが、今日の夕方、帰宅して私の携帯を見ると、ソフトバンクからメールが入っていて、昼ごろには母の携帯の充電が少なくなっているという連絡があり、3時過ぎには、充電が完全に切れたという連絡が入っていた。親機には、身守り携帯の充電状況までが連絡されるというすごい至りようなのだ。
それにしても、買ってから3日間くらいのうちに、いきなり充電を切らしてしまうとは驚きである。

しかたなく、固定電話で母に電話をして充電をするように言うと、今充電しているとのことだった。その後今度は母の固定電話からうちの固定電話に連絡があり、充電はしたが使えないとのこと。そういえば、一度充電が切れると、再起動しなければ使用できないということを思い出した。説明書は母のところに置いて来たが、母は読む気がしないし、読んでもわからないとのことだ。私が、固定電話でソフトバンクの販売店に電話して対処の仕方を聞き、機械のよこを開いて細い棒で穴を押すことを伝えたが、母はよくわからないので、自分では下手にいじりたくないと言うから、後日対処することになった。

なんか、前途多難。結局のところ、今日は固定電話同士でやり取りをし、そのついでに10分くらい雑談もしている。さらに、充電しても使えないという母からの電話のときには、ちょうど夕飯の魚を焼いていたのだが、あと1~2分と思っていたところを5分くらい放置してしまったので、まっ黒けの炭にしてしまった。

さらに、母が言うには、こんなに早く充電が切れるとは、どんだけ電気代がかかるのかと言う感じだ。電気料としては、そんな大したことはないと思うのだが、普段から最低限の電気しかつけず、雨の日の昼間、居間の電気をつけると怒るような人だし、電子レンジなどの電源も常にコンセントから抜いているような人なので、携帯の充電にはかなりの抵抗がありそうである。なんで、全然使わないのに充電がなくなってしまうのかと言っていた。

充電が一旦切れると、使用できないというのもかなり不便であるが、こういう人だと、切れても大丈夫なら切らしたままにしてしまいそうだ。充電を切らさないということが、ちゃんと元気でくらしている目安にもなるから、それはそれでいいのかもしれない。

それにしても、昭和一桁の人が携帯を使うのは、かなり難しそうだが、なんとか慣れてもらいたいものだ。
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