山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

雨に降られた

2007-05-31 01:09:12 | 未分類過去
今日は、雨に降られてしまいました。
天気が悪くなると知りながら、傘を持っていかなかったんですよね。いつも会社に置いてあった置き傘もちょうど今日にかぎって置いてなかったんです。昼ごろから降りだして帰りは本降りになっていました。しかたなく、ビニル傘を買ってさして帰りました。でも、百均の傘で小さかったので、かなり濡れてしまいました。

「雨に降られる」というのは、日本語独特の表現のようです。
それで、外国人に日本語を教えるときに必ず出てくる項目ですが、まさしく今日は「雨に降られた」状況だなあと思いました。

外国人に判りやすい受身は、「殴られた」「押された」「お金を取られた」など、直接何かをされた場合ですが、人が直接に自分や自分の所有物に何かをしたわけでもないのに、人がしたことで間接的に自分に悪い影響が及ぶものとなると、ちょっとなじみにくいようです。

「こんなところに物を置かれてはじゃまだ」「目をつけていた品物を先に買われてしまった」など、人がしたことで自分に被害が及ぶときの言い方を「迷惑の受身」と言って、外国人に日本語を教えるときの定番です。
これなら、まだわかりますが、「雨に降られる」などと、自然現象を受身で言うというのが外国人にとっては不思議なようです。

受身形を使わない国もあるようです。たとえば韓国人などは使わないそうで、日本語の受身表現は難しいと聞いたことがあります。
日本語で「(私は)彼に殴られて痛かった。」というところ、「彼が私を殴り、私は痛かった。」というように表現するのが普通の国があるのでしょう。
外国人から、なんでわざわざ受身で言うのかと聞かれたことがありますが、日本語はこのように主語が1つですむところが非常に便利ですね。

また、「朝早く来られると迷惑だ」「遅くまでいられて勉強ができなかった」「前の席に座られてしまって全然見えなかった」など、いやだなあという気持ちが表わせる点でも便利ですね。

日本語を教えるために、こういう分類ができるようになったのは、無意識に使っている日本語を再認識でき、頭が整理されてよかったといえます。
・・・などということを思った今日でした。

今はもう空は晴れて、月と星が出ていますよ~


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バス乗車拒否の記憶

2007-05-29 22:38:50 | 未分類過去
数日まえに北海道のほうで、電車に乗り切れない人を乗せないまま発車したという出来事があり、高校生が奥に詰めないからだという問題がありました。
今日は、とあるブログで、高校生が市営バスに乗せてもらえなかったという記事をよみました。何か、学校行事があって乗る生徒がたくさんいて乗るのにすごく時間がかかったそうです。乗り切れない生徒がまだいっぱい次のバスを待っていたところ、次に来たバスが、ドアを一瞬あけると直ぐさま閉めて、一人も乗せずに発車してしまったそうです。時間がかかってしまうので、運転手が迷惑を被りたくないと思ったのでしょう。
あとで学校の先生が抗議したところ、バス会社からお詫びの言葉があったようです。
ところで、それを読んで思い出したことがあります。
いえ、それを読まなくても、私には今でも時々思い出されるいやな思い出があります。

私は高校の時に、バスで通学していました。ある日、下校して学校の前の道路に出ると、ちょうどバスがやってきてバス停に止まったところでした。そのバスに乗るには国道を渡らないと乗れないので、急いで押しボタン式信号を押して横断歩道を渡りバスに向いました。バス停の前に信号があるため、私が渡るのに信号を赤にしたことで、バスは進むことができずに停車していました。
乗る人はもともとあまりいなかったようで、すでにドアは閉められていたのですが、私としてはこれ幸いに「すみませ~ん」とバスの乗り口のところに行きました。てっきり開けてくれると信じていたのです。
しかし、バスの運転手さんはガンとしてドアを開けてくれませんでした。
それでも、ドアをがんがん叩くか大騒ぎすればあけてくれたのかもしれませんが、一瞬にして運転手さんがわざと開けないでいるのだということを察しました。
私が信号を赤にしたことを怒っているのです。
信号が青になりバスが発車するまではけっこう長く感じ、私は乗り口のそばで呆然と立ち尽くすだけでした。どうせ止まっているのだから乗せてくれたっていいのに、どうしてこんなに意地悪なんだろうと悲しくなりました。そして、バスは信号が青になると私をおいて発車していきました。これでは、私が急いで道路を渡った意味もなく、バスが信号を待つ意味もないということになります。いやな気持ちだけがお互いに残っただけでした。
運転手さんが頭にきた気持ちもわからないではありませんが、私は意地悪でそんなことをしたわけではなく、道路を渡るときには押しボタン式信号を赤にしなければ渡れないのですから、しかたがないと思うのです。間に合いそうなバスに乗りたいと思うのはいけないことだったんでしょうか?

田舎のことなので、次のバスは1時間くらいなく、30分後くらいに別方向に行くバスが来ます。しかたなくそれに乗り、その場合は途中の分かれ道のところで降りて、さらに20分くらい歩いて帰らなくてはなりませんでした。

私はそんなに悪いことをしたのか?
私はそんなに迷惑な人間なのか?
私がしたことは間違っていたのか?
私がバスに乗りたいと思ったことは間違いであり、人の足を止めないように気を配るべきだったのだろうか?
私は悪い高校生なのだろうか?
バスに乗っていた人たちは、みんなして、私を憎んだのだろうか?
それとも少しは同情してくれたのだろうか?

信号が赤になったという結果は申し訳ないと思っている。
乗せてくれたら、本当に感謝したし、お詫びも言うと思う。
でも、運転手さんは、「悪い高校生」を阻止したのだ。

これは、乗車拒否ではなかったのか・・・
やはり、私が悪かったのだろうか・・・

どうも私の場合は、陰気くさい。
そして、「私は生きていても迷惑な人間なのでは・・・」などと思ってしまうわけだ。
バスで通るはずの道を帰り道を歩きつつ、この世から消えてなくなろうかなどと思ったりしてしまう。

ところが、テレビドラマなんかでは、そうではない。
ヒロインは強く明るく、度胸がすわっている。
当然のごとく、
「開けてくださ~い!乗せてくださ~い!お願い!のせて~っ!!!」
ドンドンドンドンドン、と大騒ぎ。
「運転手さん、なんか外で女子高生が騒いでますよ」とお客。
「信号を赤にしやがって、あんな高校生乗せなくていいんですよ」運転手。
(女子高生、動き始めるバスにしがみつく。)
「あぶないっ!、運転手さん、女の子がぶら下がって走っているよ!」
「まったく、もう、あきらめの悪いやつだ!」
(バスを止めてドアを開ける)
「ああ、よかった。ありがとうございます」
「あんたねえ、遅れたら次のを待ちなさい!」
「だって~、次の1時間もあとですよ。ああ、ほんとうによかった~」

この女子学生いつもこんなことをくりかえす。
「あっ、あの女子高生だ!」と他の男子校の生徒が覚えていて、そこから青春ドラマが始まる。

まあ、ドラマなんか破天荒で能天気で面白く事が進んでいくわけです。

現実とは違うんだな~

恋人が別れを惜しむあいだも延々と待っていてくれますからね、テレビドラマの運転手は。

現実世界、高校生は嫌われ者なのかな~

もし、あのとき1人じゃなかったら、
「なに、あの運転手!あったまくる~!クソったれ~!あ~かんべ~っ!!!」
と、みんなでウサを晴らし、すっきりしていたのかもしれないな、と思います。
あいにく同じバス停から乗るのは私だけだった。

孤独ってのは、悲しいですね。
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日曜の過ごし方

2007-05-28 00:01:29 | 未分類過去
特になんの予定もない日曜日というのはいい。今日は、家族もいなかったので、自由気ままな一日が過ごせた。家族がいると、どうしても食事を作るのに時間をとられてしまうし、窓際に夫が寝そべっていたりすると、べランダと部屋の出入もしにくく、掃除や洗濯の行動が制約される。

今日は、久しぶりにベランダの掃除をした。プラスチックの空の植木鉢などがたくさんあり、いつか使うことがあろうかととってあったのだが、結局何年も使わないままなので、捨てることにした。
どうもベランダにネズミが出没しているのだが、やはり物が置いてあると物陰や隙間に身を潜めやすく、ねずみが好むのではないかと思う。

昨日、風が強いので、棚の上のハイビスカスの鉢植えを低いところに下ろしておいたら、根元の土が掘られてたのだ。そして、花のつぼみみたいなのがついていたのに無くなっているのだ。つぼみではなく、葉っぱだったのか定かではないが、見間違いでなければ確かにつぼみだった。それに、サボテンの鉢植えの中の、トゲトゲがまばらについた小さな丸いサボテンが毎日のように鉢の外に放り投げられているのである。ネズミが気に入らなくて捨てているらしい。もっとトゲが密集しているサボテンはそのままだが、トゲのないサボテンは1本食われてしまったので、北側の窓辺に非難させた。放り投げられるサボテンの鉢も北側に移した。毎日のように繰り返されたら、根づくことができないだろう。
ハイビスカスは南側の日当たりのいいところに置いてやりたいので、これ以上被害があったら、いよいよ粘着捕獲シートを用意するしかない。

それから、今日は脱衣所の棚も掃除した。ダンボールに入っている古着やガラクタを思い切って捨てた。脱衣所とは言っても、実はキッチンの一角であり、棚には扉がない。だから、上のほうは油でべとべとしてきてしまうため、長期間置いておくものは全部ビニール袋などをかぶせて置きなおした。今日は、ここまでだ。

あと、ペットショップに歩いていき、ウサギのペレットとかじり板を買ってきた。
ライオン×ミニウサギっていうウチと同じ種類のがずっと売残っていて5000円くらいに値下げされているのだが、もうずいぶん大きくなってしまった。ライオンとはいうものの、毛は全然ふさふさしておらず、色は白と薄茶色の混じりだ。ライオンらしくないが、なかなかきれいな色でかわいいのになあと思う。

ついでに、コリドラスの水槽も覗いてきた。「レッドテールブラックシャーク」(どなたかのブログで同じ魚を見つけましたので参照させていただきます)というちょっと恐ろしげな名前の、体が真っ黒でシッポが赤いのが売っていた。やはりヒゲがあり水底のものを食べている。これは初めて見る種類だが、コリドラスの仲間なのかな?

一度帰宅し、それから、クリーニングを取りに行った。こっちはかなりの荷物だから自転車で行った。
その後、夕方図書館に行った。図書館からは先日ついに督促状が来ていた。著作権に関する本を読んでから返そうと一日延ばしにしていたのだが、結局全部は読めなかった。図書館も本が重いので自転車で行った。次に何を借りるかちょっと楽しみにしていたのだが、閉まっていたのでブックポストに返しただけだった。5時過ぎたので閉館したらしい。
ダイエットのためになるべく歩きたいのだが荷物が多いと無理である。そして、いっぺんに複数箇所を回れないので、いちいち家に戻ってきて荷物を置いては出直すので、時間がかかってしまう。

図書館の帰りにスーパーによって、よさそうなスカートをみつけ買おうとしたのだが、合わせて上に着るものを探したところ、適当なものがなかったので、延々迷ったあげく買うのはやめてしまった。時間の無駄だった。

図書館で本を借りられなかったので、本屋で「しゃべれどもしゃべれども」の文庫本を買ってきた。そして、夕飯の材料を買って戻ったが、夫は夜勤明けのまま野球を見に行って戻ってこないし、次女は友達と出かけたし、長女はバイトで、みんな帰宅が遅かったので、夕飯も作ることはなかった。

ま、今日は気楽で、まあまあ充実した一日を過ごせた。



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俺は、君のためにこそ死ににいく

2007-05-25 00:44:55 | テレビドラマ・映画
無料でチケットが手に入ったので、この映画を見に行きました。
戦争映画ということで、あまり乗り気ではなかったのですが、見てよかったと思いました。
戦争を描いた映画やドラマは他にも何度も見たことはありますが、ただ凄まじかった悲惨だったという印象だけが残ったことが多かったと思います。
でも、この映画は、もっと精神的な捉え方ができたように思いました。
それは、この映画の脚本・総指揮をしている石原慎太郎氏の捕らえ方なのかもしれませんが、その捕らえ方を、靖国神社参拝でもめている今だからこそ、示してくれたのはよかったと思いました。

* * *

戦争はもう負けることはわかっていた。それでも、軍の上部は負け方にこだわった。本土上陸を少しでも引き延ばし、戦えるだけ戦い、日本人の気骨を示して負けたかった。
それが、東洋の一国としてのプライドだったのだろうか。そのためには、若い特攻隊が戦闘機で自ら敵船に突っ込んでともに撃沈するという方法しかなかった。それで、たくさんの貴重な命が犠牲になってしまった。その人たちは、お国(日本政府・軍)のために死んだのだろうか、しかたなく命令に従ったのだろうか。
いや、その国に住む、家族や恋人を守るために死んだということでなければ、思い切りはつかないだろう。

戦後、あの戦争は間違いであり、特攻隊は無駄死にをしたという考え方がされた。
実際、敵に体当たりできた戦闘機は少なく、悪天候や機械の不調で途中で墜落したり、敵に打ち落とされたり、標的を外れ単に海中に突っ込んだりして命を落とした者が多かったので、戦略としてのみ考えたとしても効果は薄かった。
そのようなことに若い貴重な命を失わせたことは非常に愚かで悲しく残念なことだ。
一方、生きてもどったごくわずかな人たちは死に損ないの卑怯者のように扱われ、自らも生き残った自分を責め、戦後は苦悩を背負って生きることにもなった。

* * *

靖国神社にはA級戦犯が合祀されているために、参拝することが非難され、中国や韓国のみならず国内でも反対する人が多い。たしかに、あんなにたくさんの犠牲者を出した戦争自体が間違っていたと思うし、責任者の罪は重い。
しかし、だからといって靖国神社自体の存在も否定すべきものだろうか。
あの時代、日本を守るために罪のない兵隊が戦い、死んでいったのは確かだ。その人たちは、命をかけて日本の人々を守ろうとしたのだ。
今、平和な国があるのも、そういう人たちの犠牲が踏み台になっているのだ。
職務を全うしたら霊となって靖国に集合すると約束して出撃したことは間違いないようだ。もし、霊があるとしたら、とにかく上官の命令どおり靖国に戻っただろう。その後、解散して故郷に帰るかもしれないが、ともかくは靖国という示し合わせだったわけだ。生きて還れないことがわかっていたので、死んだ後まで職務が続いていたということだ。

靖国神社の趣旨が戦死者を「追悼する」よりも「英霊を顕彰する」という精神が強いのはなぜなのか、初めて理解できたように思う。命をかけて任務を全うし、死後もその続きで靖国に戻ってきた霊に対し、「追悼」では気持ちが足りないだろう。
そして、ずいぶんと若い青年がたくさん祀られているのだなということを再認識した。そういう犠牲の元に今の国体があるといえるだろう。
だから、小泉元総理が、断固として靖国を参拝したのはよく理解できる。A級戦犯についてはいろいろな考え方があるが、A級戦犯が合祀されているということで、他の戦死者の霊にも手を合わせることができないというのはおかしい。
国のために死んで行った者に対してその国の者が感謝や追悼することに対して、他国がとやかく言うことではない。
おそらく中国や韓国では、多くの罪のない戦死者のことは考えず、A級戦犯を崇拝しているというような極端な受け取り方で猛反対しているのではないかと思う。そして、日本の国旗を燃やしたりして抗議する多くの若者などは、靖国神社にどういう人々が祀られているかなんて深く知りはせず、単なる反日感情のみで動いていることも多いのではなかろうか。
この映画は外国の人にも見てもらいたいものである。

最後にB’zの歌が流れた。普通に聴いていると普通の歌だが、この歌詞が特攻隊の人の言葉としても受け取れるのが心にしみた。

この映画は、けっして戦争肯定でもなく、軍国主義でもない。また、単なる戦争悲観では終わっていない。特攻隊として散っていった普通の青年たちの心を焦点にした作品であり、その人たちの心を、私たちが今どうやって生かして生きていったらよいかを訴えるものだと思う。私たちは、この平和な世の中で、もっとすべてのことを大切に生きなくてはいけないと感じた。家族や身近な人を思いやり大切にするということもその1つである。

今の日本は、外国と戦争をすることはないものの、敵は自分たちの社会の内部にいる。
凶悪犯もいるし、また、環境破壊の要因や、新型のウィルス、精神力の腐敗や低下など、さまざまな「敵」と命を懸けて戦わなければならないときが来るかもしれない。
だから、少なくとも戦争のない平和に感謝し、もっと大切なことに目をむけて、しっかりと生きていかなくてはならないと感じた。
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へんなやつら

2007-05-23 01:13:06 | 未分類過去
先日、頭に来たのだが、それは法事で久しぶりに姉に会ったときのことだ。
姉はあくどい人間で、昔から私を一段下に見るところがある。
結婚してからは、日常あまり顔を合わせないので、その被害に合うことはなかったのだが、それがまた再現されたということだ。

姉はなにかと私のファッションにケチをつけるのだった。
もっと襟ぐりが広い服を着たほうがいいだの、スカートは太い足を目立たせないために長いほうがいいだのとうるさい。
Tシャツの襟ぐりなんてそんなに気を遣うものですか?
たまたま会社の帰りに立寄った店でバーゲンをやっていて、5000円くらいのデザインTシャツが2000円になっていたので、よさそうなものを3枚くらい買ってきて、その中の一枚を着ていたのです。襟ぐりなんかそりゃあ、多少大き目だの小さ目だのあるでしょう。そりゃあ、自分の顔の幅や首の太さとのバランスを考えれば、一番美しく見えるカットの形とか幅とかあるんでしょうが、そんなことを深く追求して、寸分の狂いがあったらもう着ないで、絶妙に格好よく見えるものだけを着るなどということをしている人がこの世にどれだけいるでしょうか?そんな人はほとんどいないでしょう。服なんて、買ったものが多少体にぴったりしない部分があっても、特に着心地が悪くないならば、着るのが普通じゃないでしょうか。

ところが、姉は暇人で金持ちなので、毎日洋服のことばかり考えて生きているらしいのです。だから、それはそれはよく吟味して、どの店のどのメーカーが一番自分の体にフィットするとか、自分の美しさを引き立たせるとかを常に考え、高級品に目をつけておいて、足繁く通い、値下げを逃さずゲットするなど、いろいろと研究して自分に最適なものを着ているということらしいです。
だから、いきあたりばったりでその場に売っていた安物を適当に買って着て歩いている私をセンスがないとか美を追求する心がないとか、軽蔑しまくるわけです。

しかし、私から見ると姉のファッションなんか変なもんです。やたらドレスのように長いスカートをはいています。髪の毛はボリュームたっぷりの明るい茶色い長髪を名古屋巻きもどきにしたりしています。顔は真っ白に壁塗りにしています。夫に言わせると何十年も前のファッションのようだと言います。一言で行って、さわやかさや軽快さが欠けているのです。娘もそのコピーで、高級で奇抜な服を着ていますが、どこか普通じゃ在りません。二人が田舎を歩いていると一般人の中の叶姉妹のような異質さがあります。

姉があまりに私の服装をバカにするので、ついに自分はそんなに恥ずかしい格好をしているのかと思い、東京に戻ってきて街行く人たちを眺めてみました。しかし、私のような人は沢山います。一方、姉とその娘のようなファッションの人は全然いませんでした。

電話で母に「私がおかしいのではなく私は普通で、姉のほうがおかしいのだ」「姉は自分の格好を私に押し付けないでもらいたい」と伝えたところ、この母が「そうでしょう。新宿なんかに○○(姉の名前)のような人はいないでしょう」(新宿なんかには普通の人しかいないだろうという意味)と言い、「あんたは○○とスタイルも違うんだから、○○が着てステキなものでも、あんたが着て似合うはずがない。○○は長いスカートをはいてもそりゃあ格好いいけど、あんたが履いたってサマになるもんじゃない。同じものを着たってしょうがいないさ」「○○が飛鳥がセンスの悪いTシャツを着ているって言ってたけど、あんたは仕事もあって買物なんかゆっくりしてられなんだから、○○のようなわけにはいかないよ」とヌカしました。
はあ~? こりゃもうだめです。
母も昔と全然変わってない。姉が一番きれいでセンスがいいと思いこんでいるようです。

私が姉に同調できない意味がまるでわかっていない。
姉よりずっとスタイルが良い人なんか沢山いるよ。そういう人でも姉みたいな格好はしないで、普通の格好をしているもんだよ。
まったく、もう・・。

自分のほうが変な趣味をしているのに、自分の価値観やセンスが最高のものだと思って、それを人に押し付けるのはどういうものなんでしょう。
本当に迷惑です。
そして、相変らず姉にぞっこんの母にはあきれます。
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「投降」という言葉

2007-05-22 20:36:43 | 未分類過去
たてこもり犯がやっと銃を置いて警察の前に出てきたときに、「トウコウした」とテレビで言っていました。
・・・犯人がトウコウしました。・・・
「はっ?トウコウって何?」
「なんだよ、トウコウも知らないの?バカじゃない?」と夫。

なんとなく、「抵抗するのをやめて出てきた」という意味だろうとはわかるが、
トウコウのコウは降参の降だろうとは思うものの、
じゃあ、トウコウのトウって何だろうか?と思った。
「何、トウコウって?どういう字を書くの?」と夫に聞くが、
「トウコウだよ。そんな言葉も知らないなんて、恥をかくぞ」
夫は、いつもそのように私に向って言うが、肝心な質問には答えたためしがないのだ。
まったく、むしゃくしゃする。

夫では話にならないので辞書を引く。
「投降」・・・敵に降参すること。やってきて降伏すること。
この場合、「投げる」とは、何かに向って物などを投げるのではなく、放棄するという意味かな? 今まで取っていた姿勢や目的を放棄するってことだろうか?
それとも自分自身を投げるってことだろうか?などと思う。
新字源で調べると、
「投」は、「なげだす」「やめる」「あきらめる」という意味もあるようだ。
とにかく、この言葉は今回の事件で初めて聞いた。

ところが、世の中の人間、マスコミの人間など若い者まで、最初からこんな言葉を知っているがごとくに使っているではないか!
ウソだろ、本当に知っていたのか?

男は戦闘的な漫画や映画でも見ていて知っているのだろうか?
夫の場合は、きっと年をとっているから、戦争の映画なんか見ていて知っていたに違いない。
あるいは、大昔のたてこもり事件などでそんな言葉が使われたのかもしれない。

今後も滅多に使わない言葉だとは思うけど、47歳にして初めて覚えた。

登校 投稿 そして、 投降

おかしなことに「投稿」と書くべきところを「投降」と誤変換されているブログ記事が非常に多い。
「記事を投降する」「携帯から投降する」などとなっている。 
この事件の影響だろう。
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お神輿に乗る人間!

2007-05-21 23:39:06 | 未分類過去
みこしに乗った男を逮捕 浅草神社の三社祭で(共同通信) - goo ニュース

キリスト教、仏教と来て、今日はたまたま神道のことを書きます。
神道は日本人にとって、さらに宗教というよりも、文化・風習のようなものになりますね。
宗教というのは、創始者がいて、経典などがあるもの言うそうですが、神道はそういうものがないので、宗教以前に根付いているものといえるでしょう。

それで、今日問題になったのは、「お神輿の上に乗る人間」です。
物理的に困るのは、かつぎ棒が折れるということですが、それ以前に問題なのは、神が乗るものと同じ位置に人間が乗っているということです。昨今は、他人に対する尊重も敬意も何もない世の中ですが、神に対しても同様であり、もはや神に対する畏怖、人間が近寄れない聖域などというものは無くなってしまったことを顕著に現しています。
テレビで映像を見ると、今回、警察や神社の忠告を守らず御神輿に乗っていた人は、腕や足に刺青のあるガラの悪い人たちでした。お神輿の上に乗ると目立って気持ちがいいのだなどとほざいていましたが、見ているほうは気分が悪くなります。迷惑な話です。あんな醜い刺青の男たちが乗っていたら、お祭も興ざめです。外国人にも恥ずかしくて見せられたものではありません。日本文化ももうめちゃくちゃです。あんな男たちを乗せてわっしょいわっしょいしていたら、もうバカをあげ奉っているということです。こんなことが続くようなら、もう御神輿は出さないほうがいいということになるでしょう。
おとなしく、警察に連行されていったようなので、とりあえずはおさまったようですが、日本の常識もここまで堕落したかと思います。

ところで、私が初めて疑問に思ったのは、1~2年前の別の祭での光景でした。
それは、確か吉祥寺だったと思いますが、たまたま買い物に行った時に祭をやっていてお神輿が出ていました。そのお神輿の上に小学生くらいの男の子が乗っていて、大人がお神輿をかついで動いていました。男の子はお神輿の上のまん前に立ち得意げに指揮をとるようなしぐさをしていました。
これを見たとき、非常な違和感にとらわれました。なんで、子供がお神輿に乗っているのだろう!!!と。このガキは神様じゃなかろうに・・・。
しかし、周りの大人はそれを当然のようにしていたのです。
私の感覚がおかしいのかな?と思ったのですが、今回やはりそこは神の位置であるという見解に私の感覚がおかしくなかったことを知りほっとしました。

私は信仰心があるほうでもなく、どちらかというと、神も仏も信じないほうです。
しかし、人間がそういう霊的なものに畏怖の念をなくしたらいけないと思うのです。
それは、昔から秩序を作ってきたものでしょう。悪いことをしたら罰があたるとか、人が見ていなくても神様が見ているなどということで、人間の利己心や貪欲さを抑える役割があったとも思います。

聖書の教えから行くと、天地を創造された神は唯一であり、八百万の神を認めていません。八百万の神は偽りの神ということになります。あるいは、人間が勝手に作り上げた神であるということでしょう。
しかし、そのような神・仏であっても、それを敬い教えを守るという姿勢があった昔はまだ今よりはマシだったような気がします。
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法事

2007-05-21 00:15:19 | 未分類過去
父の25回忌に行ってきました。
先日は聖書の言葉を書きましたが、私の宗教は仏教であり、曹洞宗です。
それは、父が亡くなったときにお寺の檀家になったときからのものです。
日本での仏教行事は、もはや宗教というよりも、文化や習慣というものになって生活の中に溶け込んでいるので、そういう人々が、それを捨てて急にイエス・キリストを信仰することはかなり難しいことです。やはり聖書の教えよりも仏教のほうが自然になじんで受け入れられるような気がします。

仏教でも平和を愛し、家族を大切にするような教えがあります。また、法事という機会に、家族が揃うということができるし、生命について考えることができます。
父が亡くなって24年。父の死後に生まれた孫たちも無事に大きく成長しました。
この24年間、もし父が生きていてくれたなら、母ももっと心強く楽しく暮らせたことでしょう。孫たちもおじいちゃんとすごす楽しい体験ができたことでしょう。
でも、父がいなくても、みんな元気に生きてきました。
いなきゃいないで、それなりにやってきました。
じゃあ、父はいなくても支障はなかったってことなんだろうかと、お経を聞きながらふと考えました。父はただ自分自身がこの世に居続けることができなくなり、父自身の楽しみがなくなり、父自身が60代以降の人生を経験することができなかったということは、大きな喪失でした。
一方、残された私たちには、父がいなくなっても楽しみがなくなったわけではありませんでした。でも、それはやはり生前の父の存在があったおかげに違いないと思います。
それは、亡くなった父が、安定した家庭を築き、ちゃんとした土台を据えていてくれたからだと思います。そして、父についての健全な記憶が私たちに残っているからでしょう。
おじいちゃんを知らない孫たちも、親から聞くおじいちゃん像を描いて大きくなってきたのでしょう。
母と姉と私の心の支えになっていたことは言うまでもありません。

24年間、未亡人として強く生きてきた母の苦労も労いたいし、24年間みんなの記憶の中で生き続けてきた父には、生きていた場合と同じくらい感謝したいと思います。

これからも、母を始め家族が健康で平和に暮らせるように留意したいと思います。
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テモテ第二 3:1~7

2007-05-19 01:36:55 | 未分類過去
「しかし、このことを知っておきなさい。すなわち、終りの日には対処しにくい危機の時代が来ます。
というのは、人々は自分を愛するもの、金を愛するもの、うぬぼれる者、ごう慢な者、冒とくな者、親に不従順な者、感謝しない者、忠節でない者、自然の情愛を持たない者、容易に合意しない者、中傷するもの、自制心のない者、粗暴なもの、善良さを愛さない者、裏切る者、片意地な者、誇りのために思い上がる者、神を愛するより快楽を愛するもの、敬虔な専心という形を取りながらその力において真実のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
こうした人々の中から、あちこちの家族の中にそれとなく入り込み、罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去るものが出るのです。その女たちはさまざまな欲望に引かれ、常に学びながら、けっして真理の正確な知識に達することができないのです。」

このごろ、本当にいやな事件が続いています。

・妊娠している元妻を殺害し海に捨てた男
・母親を殺害し、遺体を切断した少年
・我が子を銃で撃ち負傷させ、警察官を撃ち、殺害し、元妻を人質にして立てこもる男。
・1歳の子をバイクの収納スペースに入れ殺害し遺体を捨て、再婚届けを出す女

もはや、人間の力ではどうにもならないのでしょうか?
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学習センターの花

2007-05-18 23:53:10 | 植物・花・木
昨日、放送大学の学習センターに行ったら、廊下の窓際にオレンジのハイビスカスの花が咲いていました。その花がうちのハイビスカスに似ていたので、思わず携帯で写真を撮ってきました。
ちょっと不思議な枝ぶりですが、ちゃんと冬を越して花を咲かせているのですね。

実は、うちのハイビスカスは、今葉っぱが3枚くらいしかない丸坊主状態です。
冬の間、キッチンの隅でほこりまみれになりながらも元気にしていたのですが、4月になったからと思ってベランダに出したら、意外に寒い日が多く、風も強くて、次々に葉っぱが落ちてしまいました。
最近、やっと新芽が伸びようとしてきたので、また葉を茂らせてくれるとは思いますが、花はいつ咲くことやらわかりません。早く花を咲かせてくれるといいな。

それから、この横にオリヅルランが写っているのですが、実は我が家にもオリヅルランがあります。
それは、東京に出て来た時に実家から持ってきたものなんですが、実はそれも今あんまりいい状態ではありません。
ネズミに食われてしまっているのです。オリヅルランはずつとベランダにおいてあるのですが、4月になってからネズミがベランダのシクラメンの花を食べるようになりました。
毎日4~5個くらい花がなくなり、茎の中ほどでぷっつりときれているのです。3鉢あるミニシクラメンがしだいに一鉢ずつ花を無くして行き、ついには3鉢とも葉っぱだけになってしまいました。そうしたら、今度はオリヅルランまで食べ始めたのです。
ある日、伸びてきた花茎がなくなっていたので、おどろいてよく見ると、葉っぱの端も全部食われていました。このままでは絶滅してしまいます。

それで、はっかのにおいのするネズミよけの芳香剤を買ってきました。ネズミ捕りのゴキブリホイホイみたいなのも売っているのですが、なんだかねずみを退治するのはいやです。それで、匂いで追い払うことにしました。
夜は、オリヅルランの鉢のそばに、その芳香剤をおいておくおようにしています。
効果があるのか、ねずみの気配がしなくなったようです。
こっちも早く普通の姿になってもらいたいものです。
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母親殺害事件

2007-05-17 10:14:05 | 未分類過去
会津若松の高校3年生の男の子が、母親を殺害し、頭部と右腕を切断していたという事件には衝撃をうけた。
この母親は47歳であり、私と同じ年齢(学年は1つ下)である。3人の子供はうちの子たちよりも年少であるが、この高校生の長男はうちの次女より1学年下で、母子とも同じ世代といえる。
だから、そういう点では他人事ではないのだが、普通、母親が子供に殺され切断までされてしまうという状況は、まったく考えられない。

この子は中学までは明るくスポーツも勉強もできる評判の良い子であり、家庭も普通の全く問題のない家庭だったが、遠く離れた程度の高い高校に進学してからは、性格が内気になり、友達が1人もいなくなったという。子供だけでアパートに下宿するという状況も特殊な生活形態だった。

中学まで健やかに育ってきた少年が、なぜ自然の情愛を失ってしまったのか、理解に苦しむが、人間らしい心っていうのは以前あったからその後もあり続けるというものではなく、環境や時とともに失われてしまうものなのかもしれない。
母が小さいときから手塩にかけて育て、高校生になっても遠くから下宿に足を運び掃除や洗濯などし世話をやいても、それはまごころとして少年には伝わっていなかったのかもしれない。
毎日高校で人間的な感情の行き交うことのない生活を送るうちに、あたたかい感情が消えてしまったのかもしれない。

17歳というのは、確かに危険な年齢である。私も高校生のころ母親と姉には死んでもらいたいなどと思ったことがある。そして、自分も死のうと思ったわけだが、当然ながら実行に至るようなものではなかった。ただ、そのような考えがひらめいたことがあるというのは事実だ。自分が空気のような存在であり、将来性もなく、生きていても意味がないものであるのに対して、世間で評判がよく容姿もきれいだなどともてはやされている姉、その姉といつも意気投合して私を眼中に置かない母、母と姉のパワーが強すぎるというのは、非常に生きにくいのだった。だからと言っておだやかな父と急に懇意にしたり結束を組むことも考えられない状況だった。

また、アメリカで韓国人の男子学生が同じ大学のたくさんの大学生を銃で殺害した事件があったが、それも周りが得意げに幸せに生きているだけで、その姿を見るだけで殺意が沸いてくるというその気もちも、私にはわからないではない。
母殺害の高校生は、ゲームセンターなどで知り合った他校の生徒に、自分は高校で嫌がらせを受けているとか、いじめを受けているなどと言っていたようである。
学校側ではそのような事実はけっしてなかったということだが、同級生があつまって盛り上がったり、ただ単に楽しくやっているというだけで、その中に入れない者にとっては嫌がらせだとかいじめだとか思うことも確かにありうるだろうと思う。

この母親がとてもしっかりした人で、仕事もそつなくこなし、母親としても十分にやってきたということが、この事件を考える上で、「それなのにどうして?」から次第に「だからか!」という解釈に変わってきた。

つまり、母親が強すぎていて、優秀すぎていたのだ。母親のパワーが強すぎたのだろう。
中学2年でスポーツをやめ勉強に力を入れ、遠いエリート校に進学するという道を決めたのも母親だったらしい。この家では母親が教育熱心で一方父親の影は薄い。

立派な母親の期待に沿うことができない息子の行為だったのではないだろうか。その母親の、息子にとっては迷惑な立派さは、母親のよく機能する頭部とよく働く右腕が象徴していたような気がする。

親が子供を愛していないわけがなく、そのために息子の将来なども考えて育ててきたはずであるが、その愛情のかけ方や期待の仕方が息子にどのように伝わっていたのか。残念ながらそれが悲劇をまねいたとしか考えられない。

この息子は自分の人生がすでに破滅していることを感じ、母親を殺害したのだろう。
「殺すのは誰でもよかった」と言っているそうだが、つまり、人を殺して、進む当てのない自分の今の状況にも終止符を打ちたかったということだ。
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秋のGWなんかいらない!

2007-05-16 19:05:23 | 未分類過去
秋のGW「文化の日」前後に…与党検討へ(読売新聞) - goo ニュース

自民党で、秋に大型連休を作るという提案が出ているそうだ。
11月3日の文化の日の前後に、10月第二月曜の体育の日、11月23日の勤労感謝の日をまとめて、ゴールデンウィークのような連休をつくれば、その休暇に行楽などして経済効果があがるという考えらしい。
街中のアンケートでは、連休ができると嬉しいという人が半数を超えているようであるが、私は反対だ。
毎日会社に通っていると、大型連休よりも、たびたびある一日だけの休みが一番休息になり、ほっとする。そういうときは、のんびりしたり、家のなかのこまごまとしたことができたりする。
それが、連休になってしまうと、世の中の人間が同時に行楽地などにどっと出かけることになり、落ち着かないったらない。
また、給料ではなく時給や日給で働いている場合、土日祝日が休みの会社では、働く日数が減れば受取る給料が減るばかりだ。貧乏人は大型連休なんていっても泊りがけの旅行なんかに行くお金はないから、長すぎる休みをもてあましてしまうだけである。そして、さんざん楽な日々を送ったあと、その後は休みのない日々が続き、仕事や勉強がいやになり、五月病のようなものを発症するだろう。人ごみと11月病を秋にまで作るつもりなんだろうか?
5月のGWはその後7月の海の日まで1日も休みがないのが苦しいのだが、10月の体育の日を11月のGWに移動すると、10月に祝日が1日もないということになり、きつくなりそうだ。

単に長い休みが増えれば楽だとか楽しいとか思う人もたしかにいる。学校に通っている子供などはそうだろう。でも、街中の人の反対意見で、休みはその日に意味があって休みになっているのだから、便宜的にまとめてしまうのはよくないというのもあった。
文化の日は明治天皇の誕生日だったか。23日は新嘗祭であり、勤労感謝の日ということで意味がある。このぐらいばらばらに休みがあるのが一番ちょうどいいではないか。
体育の日はもともと10月10日で、それでよかったと思うのに、第二月曜ということになってしまっている。それで、土日月と3日間の休みということだが、3連休でさえ私はいらない。飛び石のほうがよほどいい。
何も、国民が一緒に休暇を取る必要などはなく、休みたい人が休みを取って旅行にいけばいいのであって、そのほうが集中して行楽地や交通機関が混み込み合ったりはしないだろう。

自民党はこんなものを選挙の人気取りにしようとしているらしいが、姑息な考えだ。
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もし男だったら

2007-05-15 23:50:45 | 未分類過去
もし、男だったらどんな職業についていただろうか?とふと考える。
長女が就職活動を終えたが、今は男女平等で女子も総合職などを目指すようになっているものの、職業によって男女比の特徴があるようである。
ホテル・観光・旅行・サービスなどを志望する人は、どうも女子が多いらしい。そして、大学の経済学部の男子学生などは、旅行などが好きだとは言っても、そういう職業を本当に選ぶのはごく一部で、大部分が銀行・証券会社・保険会社、安定した大手の会社を選ぶ人が多いようだ。
今、テレビドラマで「ホテリア」をやっているが、ホテルの仕事も楽しそうだなと思うものの、男性となればシェフなどの職人以外は、支配人・総支配人などと出世していくほかにあまり道は開けないというかんじである。やはりホテルマンというのは若いうちが華という風で、フロントなどにも中年のおじさんが並んでいるなどということはないのだから、熟年になってからの活躍は保証できない。旅行会社の添乗員などもそう長くはつづくものではなく、やはり30代までという感がある。その後は管理職になる人もいるだろうが、転職する人も多そうである。将来の生活の安定などを置いといて本当に好きというだけで旅行会社やホテルなどを選ぶ男性は少ないといえるだろう。ある方向からみると、そういう人は将来をちゃんと考えていないのではないかとさえ思われてしまう。
一般的に、週休二日制で労働条件がよく、安定した収入が得られ、福利厚生も行き届いているという職業が選ばれるわけだ。
一方、女性の場合、男女平等とは言っても、やはり自分が一生働いて家庭を支えていくという男子ほどの覚悟はない。だから、数年間好きな仕事について好奇心を満たし、その後のことはその時に考えようという気分で就職する人も多そうだ。

私自身、自分を考えると、女子だから選んだ道だったことに間違いはない。短大で文学を勉強したい。特に仕事との直結は考えていないが、卒業したらどこかに勤める。できれば図書館司書になりたいが、好きな出版関係の会社に勤めたい。そんな考えは、男性だったら絶対にしなかっただろう。男性で「文学部」に進むということはかなり抵抗がありそうだ。

じゃあ、何になっていたかなあ?

私は国語と理科・数学が得意なほうで、社会と英語が苦手だったので、総合的に文系理系のかたよりがなかった。どちらかというと国立大向きだった。もし男だったら、趣味や好みは排除して、おそらく国立大学を目指していただろうと思う。実際、高校のときは公立大学の受験を検討したこともあった。
特に、なりたい職業もなかったが、男だったらどんな職業があるかもっと真剣に調べていただろうと思う。誰かにアドバイスされれば全然別の道に目を向けていたかもしれない。

今、思うに、私は男だったら理系の大学を出て「弁理士」になればよかったのではないかと思っている。でも、若い頃は理系に進むことは考えたこともなかったし、弁理士などという職業があることさえ知らなかった。今のように知財立国などということが話題にもなっていなかったし、田舎ではそんな仕事が注目されることはなかった。
まあ、もし目指していたとしても、苦手な英語と法律の勉強には悩まされたことだろう。同様に、「弁護士」などもあこがれるが自分自身の現実とは結びつかない雲の上の職業のようだった。でも、男だったら中学のころから気合を入れて勉強していたかもしれない。

現実的なところでは公務員くらいだろうか。
やはり男でも自分の好きな文学系の大学に進んだとしたら、出版社や新聞社をいくつか受験していただろうと思う。
結局のところ、私が入社した出版社の男性社員になり、今もそこに勤め続けていたと考えるのが、私の男版人生かなと思う。
新聞記者とかジャーナリストってのもあったかな?
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ボツリヌス療法?

2007-05-15 00:40:28 | 未分類過去
テリー伊藤さんが、治らないと思っていた怪我の後遺症である斜視が治るとのことでこのたび手術したそうである。テリーさんがサンジャポで言っていたことには、左目は外側に55度も向いていて、しかも何十年もたち大人になってからの手術なので、完全には治らない可能性が高いそうだが、ある程度はよくなる見込みだそうだ。右目だけが見える眼帯のテリーさんはいつになく優しい表情に見えた。

確かに、生まれつきの斜視は、私が子どもの頃の時代には治らないものだったが、今の子はみな治せるようになっている。様々な怪我の後遺症なども形成外科などでかなり治せるようになり治療法が発達した。

「治らないと思っていたものが医学の進歩によって治るようになっていた」

ふ~ん、そんなこともあるのか、と思った。

それでは、私の顔はどうだろうか。
私の顔面神経麻痺の後遺症は目と口の共同運動である。目と口への神経は根元が一緒で非常に近いところにあるために、麻痺した神経が再生する時に混線してつながってしまい、口をあけると目が閉じるというような動きをするようになってしまう。
こんな後遺症になってしまったのは、がんばって無理に筋肉を動かしリハビリをしすぎたせいかもしれないし、針治療をしたのも悪かったのかもしれない。そんなこともこの10年くらいのうちに判ってきたことらしい。

この共同運動を止めるには、混線した神経を切り離す方法があるが、これは外科的手術で専門医のかなり高度な技術を要するものらしく、あまり勧められるものではないようだ。

ネットでいろいろ検索していたら、注射1本で症状を3~4か月とめることができる「ボツリヌス療法」というのがあることがわかった。
ボツリヌス菌というのは食中毒を起こすと死に至るような猛毒の菌で有名だが、これをほんの少量注射すると緊張している筋肉の緊張が止まり、痙攣や共同運動が止まるのだという。
3~4ヶ月すると効力が消えるので、繰り返し注射をすればよいそうである。これならば、外来でできるし、安全で簡単で効果のあるお勧めの方法らしい。

この治療を行っている病院を探し始めると、そうたくさんはなさそうだったが、高田馬場にある眼科クリニックが見つかった。目の痙攣の人の治療によく使われてているそうである。
いってみようかな~などと思った。

ところで、別のサイトで調べてみると、なんとこの治療の費用であるが、注射1本3万円なのだそうだ。これで3~4ヶ月の効力となると、1ヶ月あたり1万円ということになる。
注射は保険で150円くらいだそうだが、ボツリヌス菌の注射液が3万なんだそうだ。

や~めた!

顔はこのままで、おいしいものでも食べたほうがいいや。
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過去をやり直すことができたら

2007-05-14 22:56:06 | 未分類過去
月曜9時からの「プロポーズ大作戦」は面白い。
もし、自分が過去をやり直せたら、どこに戻って何をどのようにしたいだろうか?と考えてみる。
べつに昔好きだった人と結婚したいとは思わないので、その辺はどうでもいい。
高校時代に戻っても、もう一回ちゃんと勉強しなおすような気力はないような気がする。英語塾にでもかよって落ちこぼれにならないよう頑張り、ちゃんと受験勉強に力を入れておけば、志望校に入れたかな?
でも、当時4年制大学を出ても女子は就職できないような状況だったので、短大でよかったのかもしれないとも思う。それとも短大でもっと頑張ってどこかの大学に編入するようにやっておけばよかったかもしれないが、どっちみち学費がないからできないことだった。

そうなると、短大卒で就職したのはいいとして、2年後に今の夫と結婚するのはやめたほうが良かったか、もっとちゃんと働き続ければよかったのかとも思うが、私が退職し結婚した直後に父が病気になって入院して翌年には亡くなってしまったから、仕事はどっちにしてもやめていたかもしれない。結婚していたので、お金の心配もなく時間もあり、父の看病にも行くことができたから、それはそれでよかったのかもしれない。父にも結婚相手を見せられたし、それはそれでよかったといえるだろう。

やりなおすとしたら、結婚後だろうな。まず、もっと頑張って仕事をし、貯金をし、家を建てる計画をたて、それにもとづいて準備する。海外旅行などにはあまり行かず頭金をためることだ。
それから、顔面神経麻痺にはなりたくなかったから、上を見ながら外を歩きまわるような仕事は程々にしておいたほうがよかった。

そう考えると、変えたい過去は、「家を建てる」ことと、「顔面神経麻痺にならない」こと。
そんなもんだろう。

自分以外のことに関しては、父と夫の兄が病死しているので、予防や早期発見や適切な治療などができればよかった。夫の母についてもそうだ。少なくとも亡くなる直前に老人ホームを訪問していたらよかったし、母の日にはプレゼントでもすればよかったなと思う。

これからは、後悔しないようにいろいろやって行きたいと思うが、なかなか実際には行動できないものだ。
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