山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

花火見たいな~

2006-07-31 23:10:44 | 未分類過去
これは、隅田川の花火ではなくて、静岡県の地元の花火です。
誰が写したんだろう?自分で写したのかな?
携帯の古い画像の中に入っていました。
東京は人が多いから、見に行こうとは思わないのですが、
花火といえば故郷の花火しか見たことがないので、
どこか別の場所の花火も一度見てみたいなと思っています。

残念ながら、今年花火を見に行く予定はありません。

今週末くらい、東京近辺でいろいろあるようなので、
見に行く計画でもたてようかな~
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明日からまた始まる

2006-07-31 00:48:13 | 未分類過去
なんと4日間の休みが終わりました。なんかすごく長い間休んでしまったような感じがして、なんとなく明日会社に行くのが恐いような気がします。
昨日の午前中で単位認定試験その他の全ての用事が済んだので、昨日の午後昼寝をしてだれていましたが、今日も丸一日のんびりと暮らしました。
冷房をかけるほどの暑さでもなく、家の中にいてくつろぐにはちょうどよかったです。

放送大学の集中放送のことをホームページで見ていたら、人間の探求コースのテレビ授業が、毎日16時45分から18時15分まで放送されることがわかりました。
これなら、残業なしに会社からまっすぐ帰ってくれば見られるし、多少遅れても、少なくとも1コマは見られそうな感じです。

今日は家にひとりだったので、ためしに見てみようとテレビをつけて、「ヘーゲルを読む」を見ました。へーゲルってよく聞くけど哲学者ですか?そのほかにカントとかもでてきたかな?哲学って何がなんだかわかりませんね。この人たちは何を考えているんだか?やたら難しいです。それで、いつものように眠気を催してきましたが、なんとか最後まで見終わりました。う~ん、これを毎日続けるのは、なかなか忍耐だな~。

それに、これ見てたら夕飯は作れないじゃん。どうするんだろうね。
作りながら見るか?台所とテレビの間には壁があって、そんなの無理。
6時15分から作り始めたら遅いし、毎日手抜き料理にするかな~

とは言っても、私が後期に履修する科目はまだまだ9月ころにならないと始まらない。でも、習慣をつけるために、履修しない科目や履修し終わった科目も見ようかと思う。とりあえずわけの判らないヘーゲルは履修しなくてよかったな。

そういえば、夫などが在宅している場合はすでに何か別のものを見ている可能性も高いし、そう毎日見られる状況ではなさそうだ。まあ、とりあえず、やってみるしかない。
10月からは本当の放送もあるし、あせることはないのだ。

とにかくサボり魔だから、放送を視聴しないと何も勉強しないまま終わることが多いことがわかったのだ。
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ある専門学校とある大学の違い

2006-07-30 20:19:00 | 未分類過去
オープンキャンパスに行ってみて、違うなあと思ったことの一例を書く。

動物のことを学ぶ専門学校や大学では実際に生きた「犬」などを使わなければ授業にはならないわけで、これを視聴覚教材や印刷教材だけでやっているならば本当の犬について学ぶことはできないといえる。

その「犬」の取り扱いについてであるが、ある大学では学校犬は3頭くらいしかいないので、授業をする先生が自分の私物の犬を数頭使っていた。
そのうちの一匹のチワワは、授業中、台の上にプラスチックの箱をのせ、その中に入れられていた。その犬はその箱からは出ることができないから、台から落ちることはないのであろう。しかし、箱の縁に前足を乗せて立ち上がったりするのをみていると、バランスを崩して箱がひっくり返る可能性も無いわけではなさそうに思えてひやひやしてしまった。

その前に専門学校に行ったときには、学校犬のマルチーズやシーズーが6頭くらいいて、それらは看護学で体温を測ったり、毛や爪、耳の手入れをする練習に使われているとのことだった。その犬を実習で台の上に乗せた時に、指導の先生が、絶対に犬のそばから離れないで落ちないようにみているようにと実習生に何度も確認していたことが記憶にあった。
おとなしく立っているように見えても、犬はいつどのような動きをするかわからない。急に変わった動きをして台から落ちたらケガをしてしまうとのことだった。
そこには、まず最初に仕事としての意識があり「お客様の犬を預かっている責任」という神経の配り方があるように思えた。

しかし大学はそうではなかった。先生は明らかに自分の犬だからその犬がふだんどんな行動をとるか判っているし、危ないことはしないとわかっている。また万が一何かあっても自分の犬である。その大学ではのびのびと犬の習性などを勉強することができてとても楽しそうだったが、仕事とは切り離されている様な気がした。

このような学校で学んだ学生が就職した時に、お客様の犬を預かるという意識が自然に身についているのは専門学校を卒業した学生のほうに違いないと思った。

ある専門学校ではドッグトレーニング用の大型犬なども数頭いて、その犬たちは子犬で学校に来ると2年生の実習によってトレーニングされ、翌年には訓練の出来上がった犬として1年生の実習に使われる。そして、その後は学生に引き取られ、学校ではあらたに新しい犬を買うということを繰り返す。

ある大学では同じ学校犬がずっと続けて学校で飼われるようだった。また、生徒の犬が多く活用されていたが、いつも私物の犬を提供する学生と自分の犬を持たない学生との関係などはどうなのかな?と思った。
生物である教材の確保というのは、やはり大変なことであろう。レントゲン装置などがあるが、同じ犬のレントゲンばかり撮るわけにもいかないだろう。

ある専門学校の動物美容学科では学校近隣の犬の飼い主と提携を結び、練習用の犬として提供してもらうようにしているために、各種の犬で練習することができるそうだ。
学校の犬だけではなかなか毛が伸びないし、同じ種類の犬ばかりでは練習にならない。たくさんの犬を学校で所有するのは不可能である。この方法、短大などでもやっているようである。

そのように、動物関係の学校は生きた教材の確保だけでも苦労の多いところであり、いろいろ工夫をこらしているようであるが、その確保の仕方や管理の仕方の違いが学校選びの比較対象ともなっている。

また、学校見学に行くと専門学校では体験実習に力をいれ、大学では知識を取り込むような模擬授業をすることが多い。
これは知識を取り入れることが好きな大学志向の学生と、机の上の知識詰め込み勉強はあまり好きではない専門学校進学タイプの学生に学校側があわせているともいえる。入ってしまえば理論も実習もやることになるのであろうが、その様子が見えてこない。どちらとも充実した内容の学校があったらいいなあと思う。

いきなり実習をさせられるだけでは、なんか薄っぺらい感じもしないではないし、理論ばかりでは実技が身に着くのかと不安になる。
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専門学校か大学か

2006-07-30 19:32:59 | 未分類過去
うちの子は動物の看護師になるつもりであるが、将来動物病院に就職するためには、動物の専門学校か又は動物看護の内容が含まれる大学か短大に行くという方法がある。
そのどちらに行くかを迷っている。

専門学校は都内に100以上あるとかいう話だが、いざどこにしようかと考えると、たくさんある割にはこれこそはという学校がはっきり見えてこない。そんなにたくさんあるならば「動物看護師になるならここ!」といえるようなみんなが目指す学校があっても良さそうなものだが、その世界に詳しくないせいか、あまり噂をきかない。
それで、歴史が古く長年の実績があり、動物を専門としており、内容がちゃんとしていて、動物の確保などもできている学校を探すと、ここがよさそうと思えるものは今のところ2校くらいである。
トリマーに力を入れていることろが多く、またコンピュータや簿記など様々な専攻のひとつに動物系のものを入れている学校があるが、なんでもござれのようにすべての分野を一校の中に収めて全てを充実させることなどは不可能なはずで、あまり信用はできない気がする。看護に力を入れているところとなると数は限られてくる。
すでによさそうな専門学校を見つけてはいるものの、高校の成績が平均2・6以上で、申し込めば試験も無く誰しも入れてしまうという入学基準に対しては拍子抜けしてしまう。努力をしないで入ってしまった人間のあつまりって、それでいいのかな?という疑問がのこる。入ればカリキュラムがしっかり決められており、遊んでいる暇はないらしいが、あまりにも簡単すぎるのではないだろうか?

そして、「学歴」というものを気にする。夫の考えではやはり大卒になってもらいたいようだ。高校の進路指導の先生でも、今から道を狭めないでとりあえず大学に行っておくのが無難だと勧める先生もいる。しかし、動物看護師になろうと本人が思っているのにもかかわらず、漠然と理系の大学を出たところで、絶対に動物の看護師にはなれないのであって、動物看護師になるためには、やはりそれを専門に学ぶことができる専門学校に進学することが確かな道である。将来大卒だとか大卒で無いとかで、肩身が広いとか狭いとかいうことよりも、そのときに動物の看護師として仕事ができる人間であるのかないのか、トリマーでも看護師でもドッグトレーナーでも、そういう技術が身についていることが重要なんじゃないかと私は思う。狭い選択をするとつぶしがきかないなどという人がいるが、何も選択しない人間は最初から何もできないかもしれない。したいことが見つかっているならば、そこに向って進めばいい。

ところで、数は少ないが、動物の看護師の道に進める大学がある。これならば学歴とともに専門職への道も進める。しかし、オープンキャンパスに行ってみて思うことは、たしかに広い分野で動物の習性や生息環境、人間とペット動物の関係などを学びつつ動物看護の技術も身につけることができるのであるが、やはり職業と直結していないのではなかろうかという感触は否めない。実際、最近新設された大学が多いので、卒業生の就職実績があまりないし、就職先をみると動物病院やペットショップなどではない一般企業などが多いようである。ある大学は体験授業の内容は非常に興味深いものだったが、大学の中だけの楽しみになりそうであるし、もうひとつの大学は偏差値も高く獣医系の大学で医療設備など整っているが、非常に学問的で、研究員や公務員、動物系専門学校の指導者などになる人材を育てるような雰囲気だった。こうなるとうちの子供の方向性とは違っている。
このような大学に入るために、予備校に通って血の出るような受験勉強をするという価値が見えてこないというのも正直なところだ。出費も莫大となる。

子供も、大学については情熱が下がってしまい、今のところ、専門学校探しをもっとしっかりやろうと思うようになってきた。

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動物を飼うということ

2006-07-30 12:57:56 | 未分類過去
うちの高3の子供は将来動物の看護師になろうとしている。
そのため、最近は進学先を決めるために専門学校や大学を見学しており、私もそれに同行している。そして、そこで体験授業を受けることが多い。

犬や猫については、身近な動物だからよくわかっていると思いこんでいるが、実は知らないことが多いことに気づかされる。そして、動物を飼うにはかなりの覚悟を要すると思う。その動物の一生を通して責任が持てるかどうか、人と動物が幸せに暮らせるか、そのための生活習慣・居住環境などを動物にとってふさわしいものとすることができるか、適切な世話としつけができるかどうか、ということはとても重要なことだと思う。

飼い主が毎日留守にしていて、犬にさびしい思いをさせ続けたり、運動不足にさせたり、甘やかしたり叱ったりなど不適切なしつけをしたら、犬は必ずストレスをためて飼い主に不都合な行動を起こすようになってしまう。そして飼い主も動物も不幸になる。
飼い方を普通に気遣って育てれば普通に育つかというとそうではない。
イヌには社会性を身につける時期があり、そこでの育ち方が大きく影響するそうだ。
それが生後3週間から3ヶ月の間といわれているが、この間に、多くの犬仲間と接触することが大切であり、また各種の人間に接することが重要だそうだ。そうしないと他との接触の仕方が身に着かないし、人に対しては子供嫌いな犬や赤ちゃん嫌いな犬などになってしまうことがある。郵便屋さんや宅急便屋さんにほえかかる犬にしないためには、通りかかる業者の人や訪問してくる人の様子に小さいときから慣れさせる必要もある。玄関のチャイムや電話に必ず吠える犬も飼い主は困るわけで、それにも小さい頃から慣れさせる必要がある。町の中にあるさまざまなものや状況に小さい時に慣れさせておかないと、臆病になって、それが逆に凶暴性となって現れることもあるそうだ。
現在、その貴重な時期をペットショップのケージの中で過ごす犬が多いから、飼い主の努力にも限界があるのが事実らしい。

また、種類によってもかなりの差があるから、散歩や運動量にしても、走り回ることが大好きな大型犬や牧羊犬を飼うには、その要求に飼い主が応えてあげられることが必須条件ともなる。

同じように育てても、従順な犬とそうではない犬がいる。これは環境もあるが、遺伝子の問題である。日本犬種は原種に近く、遺伝子が狼に似ているそうで、あまり人間に従順には育ちにくいそうだ。逆にシェパードは一見狼に似ているように思うが、実は狼とは遺伝子がぜんぜんかけ離れているのだそうで、しつけしやすい。それで、秋田犬の警察犬や盲導犬なんかはあり得ない状況だが、シェパードは言いつけどおりよく働く。

うちでは昔実家で柴犬の雑種を飼っていたが、その犬は人を噛んだ。芝犬はそういう性質が遺伝子的に強いそうだ。土佐犬なども人を噛んで事件になることが多いが、やはり狼に近いからだそうだ。
それだから、飼うとすれば洋犬のほうがしつけやすいとのことだ。しかし、テリアはいけない。うちの実家でも昔ホワイトテリアを飼ったことがある。この犬は捨て犬だったが、非常にプライドが高く、下手に体になれなれしく障るとうなって威嚇するようなところがあった。そんな性格だったから捨てられたのであろう。見た目は非常にいい犬だったが致命的な欠陥だ。テリアにはそういう要素があるらしい。最近なんとかシュナウザーとかいう口のまわりにヒゲのあるテリアが流行りだしているらしいが、要注意だそうで、飼い主の手に負えなくなって保健所にあふれる可能性もあるという。

また、人気種は急いで繁殖するために、遺伝的な問題が出てくる。腰の骨の異常や目が見えない異常など、それぞれの犬種に特有の異常があるから、人気の犬は避けたほうが無難だ。異常があったからと言ってすぐに手放したりできないから、一生面倒をみる覚悟がひつようである。

そのようないろいろな知識を得ると、犬を飼うにはすごいたくさんの心得が必要だと感じる。

犬は人間の心を癒してくれて、これからもさらに人の生活には欠かせないものとなるだろうが、犬を代表とするペット動物の精神衛生面の管理は非常に重要であり、難しいものだ。
犬だけでなく、猫やその他の小動物もそれぞれに特質があるから、それを理解してそれにふさわしい育て方をしなければいけない。

うちではウサギを飼っているが、ウサギはまた犬猫とは違うから、同じようにかわいがればいいというようなものではない。
ウサギが何を求めているかを理解する必要がある。

ペットをまともに飼うことを考えると、まさしく、気が引きしまる思いである。
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後期科目登録

2006-07-30 01:28:30 | 放送大学
試験が終わったところで、ほっとして、次の履修科目を決定しました。
3年次に編入してから今年度で6年が満ちるために、自動的に籍がなくなってしまいます。
それで、なんとしても「卒業」にこぎつけなければいけません。
17年度が終わった時点で、不足単位は21単位でした。
今回5科目試験を受け、面接授業を2科目受けたので、全部合格すれば12単位取得ということになるので、のこり不足分は9単位です。
しかし、今回の試験でいくつか単位を落とした可能性もあるので、一応あらたに6科目(12単位)と面接授業2科目(2単位)を申し込むことにしました。あんまりぎりぎりというのも不安です。
苦手な世界史関係は避けて、自分にとって安全圏と思えるような科目を選んでおきました。

・日本の古典ー江戸文学編
・近代の日本文学
 (比較的新しい時代の日本文学はわかりやすいです。)

・文化人類学
 (人間探究コースの主要な科目という感じ)

・博物館概論
・博物館経営・情報論
 (博物館資料論がおもしろかったので、興味をもったついでにこれらも取ろう)

・基礎化学
 (仕事で化学系の文章を校正することが多いので基礎知識を身につけるために・・・)

・芸術の理論と歴史
 (単位を落としたときに備えて)

以上、単位認定試験の日程の配分なども考えて決めました。

いよいよ気を引き締めてやらなきゃいけません。
いつも試験を受けてから反省するので、今度こそ少しずつでもいいから毎日勉強するようにしたいと思います。
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単位認定試験終了

2006-07-29 20:21:03 | 放送大学
今日は「芸術の理論と歴史('02)」」の試験を受けた。実はもうひとつ「朱子学と陽明学」があったのだが受けなかった。両方とも2005年後期に取った科目であり、前回試験を受けなかったので、今回が単位をとる最後のチャンスだった。

相変わらず勉強をほとんどしていないので、もともと2科目を一夜漬けでやるのは無理だ。今日はちょうど次女の第一志望の大学のオープンキャンパスがあり、次女が一人で行く勇気がないというのでそれに付き合うことにしていた。

今日、次女の高校では3年部活の引退に関して下級生企画の全体の集まりが午前から午後にかけて開かれ、その後3年のみの集まりがあるそうで、次女は遅刻しても全体の集まりをやっているうちにそれに出席しなければならなかった。
また、本当は午前中は予備校の一つ目の夏季講座の最終日だった。
ところが、そこに第一志望大学のオープンキャンパスが重なって、3個の日程がぶつかり合ってしまった。オープンキャンパスは3週間後にもあるが、第一志望校だけに一日も早く様子を知りたい。そこで、予備校は休んで補講をお願いし、午前中のみオープンキャンパスに行き、学校説明会に出て過去の入試問題と入試要項をもらい、昼から部活のほうに顔を出すという日程にした。午後の体験授業などは次回に回した。

私はといえば、9時15分から単位認定試験を受け、退出できる30分経過後には試験会場を飛び出す、そして、現地の駅で娘と待ち合わせ10時半からのオープンキャンパスの説明会に駆けつけるという強行計画をたてた。それで、10時25分からの「朱子学と陽明学」は没。記述式で、勉強していなければ絶対にできそうもないような内容でもあるだけに、棄権するにはちょうど良い口実になったともいえる。

「芸術の理論と歴史('02)」は選択マークシート方式とのことで、この形式なら30分程度で一通り終わることが多い。まして、あまり勉強していない場合はどんなに考えたところで、もともと覚えていないものを思い出すことはない。
きっと早く終わるはずだと思っていたら、教科書の内容の長文の穴あき箇所にふさわしい語句を入れるという形の問題だった。こういうのは、教科書を読んだときのわずかな記憶を紐解いたり思考したりすれば、正解が導き出せる可能性もあった。
もう少し時間をかけたいなとは思ったが、予定通り30分で退出した。
もともと記憶が鮮明でない場合は直感で決めた答と悩んだ末に決めた答えの正解率は大して変わらない。逆によく考えて選択を変更したがために間違ってしまうことさえ多い。今日のも退出1分前に変更した答えは、後で確認すると、最初の答えのほうが合っていてがっかりした。もう一回悩む時間があれば、元の答えに戻したかもしれなかったが、直さなかったかも知れず、さらに他の部分に手を加えて点を上げたり下げたり、まあキリがないわけで、要するにちゃんと勉強していないのだから、どっちにしても正解を導くのは難しいわけだ。悪あがきはやめよう。

  *  *  *

そんなわけで、とリあえずは試験は終了しました。
単位を落としたら、もう一回とります。今は2006年版の教科書に改訂されています。

「芸術の理論と歴史」は、とても内容の充実したものです。私は再受講なので2002年版の古い教科書でしたが、他の科目の教科書の1、5倍くらいの厚さがあって、一夜漬けで読み通すのは無理でした。
昨日は12課から15課がやっとで、その中にも印象的な記述が多々ありましたが、残念ながらその範囲からの問題は出ていないようでした。
教科書は単に重要な知識をひろって暗記するということはできないようなもので、著者の情熱と研究の結晶である濃厚な解説が延々と書き連ねられているのです。
それはものすごい発見と充実感が得られるものです。
そして、この教科書とあわせて視聴覚教材を是非見る必要がありました。
だから、点数がたりなくて単位がとれなかったとしたら、もう一回今度こそちゃんと受講したいと思います。
一応、単位を落としたときのために、後期の履修科目登録に入れておくつもりです。
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単位認定試験2日目

2006-07-28 17:42:54 | 放送大学
今日「著作権法概論」「20世紀の中国文学」「芸術・文化・社会」の単位認定試験でした。
どれもこれもいい加減な勉強の仕方だったので、あまりいい結果は出せそうもありませんが、まあ、とにかく勉強不足のまま受けるだけ受けてみました。

一番やばそうなのは「芸術・文化・社会」です。通信課題とパターンの違う問題があり、人名と関係する語句の組み合わせから間違いを選ぶというのは、まったく記憶にないような内容ばかりでした。この科目はテレビなのに放送教材を一度も見たことがなかったのも大きな落ち度です。放送を見ていればきっと記憶が焼き付けられた場面が多かったと思います。単位を落としたらもう一回受けるしかありません。

「著作権法概論」は知的財産検定のようなつもりで、持ち込みはできないものだと思い込んでいたら、なんと教科書と六法の持ち込みが可能でした。とは言え、問題は20問で、それぞれ4つ(5つ?)の文から正しいものを1つを選ぶものですから、1問を2分半でやるとなるとそんなにひとつひとつ教科書を開いているわけにもいきません。とりあえず一通り回答したのちに、不明な問題だけ教科書の中を探しました。持込ができないと思っていたのがかえってよかったかもしれません。

20世紀の中国文学は、村上春樹と中国についての記述が出たので、そこはちょうど関心が深かったところで、よかったのですが、5・4期の新しい文学と北京大学の関係というのはすっかり忘れていて、その場で教科書を読み直して、あせってとりあえず目に入ったことを書き写し、もうめちゃくちゃ状態でした。後は天にまかせるのみです。

今日は、本当は仕事だったのですが、有給休暇をとりました。
「20世紀の中国文学」を前回挫折していて、今回再受講になっており、試験が金曜だとわかっていたので、どうせ休みをとるならと思って、同じ日に試験がある科目をあと2科目入れました。時間帯は3科目続いていて、夕方前には終わったのでちょうどよかったです。

卒業するためには、後期はあとどれだけとる必要があるかなあ?
早くもそれが気になるところです。
明日、もう一科目受けますが、選択科目の放送授業はあと10単位くらいかなあと思っています。



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エスティバレの絵

2006-07-27 21:37:20 | 未分類過去
ELISABETH ESTIVALET

この画家は日本ではあまり人気がないのか、日本語でネット検索してもなかなか出てきません。読み方がちがっているのかな?
この人の絵がうちにあります。
私が気に入って買ったものです。

なんで、今その話かというと、前回のケーキセットの写真の色合いがこの人の絵に似ているなあと思ったからです。
うちは、額縁がちょうど下の写真のテーブルのような色です。
その額縁に田園風景の絵(題名不明)が入っています。
エスティバレというひとは、フランス人なのですね。
私は、田園風景が好きです。
印象派だったらコローが好きです。
人が暮らしている場所の自然の風景が好きで、心が落ち着きます。
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料理とお皿

2006-07-27 11:50:44 | 放送大学
ある日のおやつ。・・・ケーキセット

緑のキウイに緑のお皿ってなんか変じゃないですか?
白いお皿のほうがケーキが引き立っておいしく感じるのではないでしょうか?

おととい、博物館資料論の勉強をしていましたが、「ホワイトキューブ」という言葉がでてきました。

「最近の美術館の展示室では無機質な白を貴重とした展示壁で囲まれた空間をよく目にする。これは、展示物をいかなる制約や規則から取り放すことで、展示物そのものの芸術性を見出したいとの理念で作られている。このホワイトキューブという展示方法は、資料と対話する手段としての必要な展示技術でもあり、多くの美術館で採用されているが、逆に言うと、全国どこの美術館も同じようなものとなる危険性も有している。」(博物館資料論 石森秀三著)

ケーキが芸術品であるなら、白いお皿の上に置くことが、お皿の色に影響されず、このケーキの美しさを純粋に感じることができるのかもしれません。
しかし、白いケーキ皿はありふれているといえば、ありふれており~

今日は明日の試験のために「芸術・文化・社会」を読んでいますが、「料理は芸術だあ~!」という筆者の熱い情熱のもと、白いお皿に料理を盛るフランス料理のことなど読んでいます。
日本では、器の色や形にも凝る文化がありますね。

上の写真は、「なんで皿がミドリなんだよ!」とぶつくさいいながら携帯画像に収めましたが、
緑と黄色の食器に茶色のテーブルということで、このお店は暖色系の全体の色調に食器を合わせていたようですね。
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博物館資料論

2006-07-26 23:50:21 | 放送大学
今日は、仕事のあと、放送大学の単位認定試験に行ってきました。
5時55分からなので、仕事が5時くらいに終わっても大丈夫です。
この日程を見て、前回試験を受けずに今期に回してしまったということもあります。

今期は、通信課題を出す必要がなかったので、すっかりサボってしまい、完全なる1夜漬けでした。
しかも、前回の前半にやったことはすっかり忘れてしまっていたのですが、時間も無いので、復習する暇もなく、昨日一気に9課から15課まで読んで寝ました。

意外におもしろかったです。こんなことならちゃんと勉強しておけばよかったです。
いろんな博物館に行ってみたいし、自分が運営に関わってもみたいなあと思いました。

試験は、持ち込み禁止の記述式で、あまりちゃんとした回答は書けませんでしたが、まあ、完全正解とはいえなくても、近いところは書けた部分が多かったのではないかと思います。

語句の説明で、「博学連携」「参加型展示」「博物学」「博物館倫理」「博物館資料のワイズユース」が出ました。
あとは、社会の共有財産としての図書館資料に関する自分の考え(?)だったでしょうか。
「ワイズユース」については教科書に何度も出てきていたので、大切なことだという印象がありましたが、あまり正確に書けなかったのが残念です。

試験にはまったく出ませんでしたが、9章の保存科学については、日頃仕事で読んでいる科学技術系の文書の内容のようで、意外な発見でした。資料の保存環境として、光や温度湿度の関係、虫の害から守るための薬について、火事や災害時に供えての対策など、意外にも先日面接授業で勉強した「日常の物理」にも通じるものがあり、こういうのを深く研究するのもおもしろそうです。

それから、博物館というのは本当にすごい情報源ですね。この前、川越に行ったときも博物館で説明を聞く前は、町を歩いても全然捕らえるものはありませんでしたが、博物館での学芸員の方の説明が非常にわかりやすくおもしろかったので、それをきっかけにいろいろなことがわかり、川越が好きになりました。

教科書で紹介されていた博物館としては、岩手県遠野にある博物館群というのに行ってみたいと思います。柳田国男の「遠野物語」の町だそうで、昔の造りの民家で昔話なども聞け、木工細工などの実演も見られるそうです。
このあいだ行ったような土産物屋ばかり回るような安っぽい団体旅行じゃなくて、こういうところをじっくりと時間をかけて見学したいものです。

後期は「博物館経営・情報論」「博物館概論」をとるつもりです。あと関連が深いところで、「文化人類学」をとる予定です。

仕事とは関係ないということで、興味をなくしかけていた放送大学ですが、仕事とは関係ない部分でこそ知識を深めたいという気持ちも出てきました。
単位をとって卒業することばかり考えないで、少しずつでもいいので、関心を持ってしっかり勉強して行きたいと思います。
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金欠性鬱病

2006-07-25 20:20:29 | 未分類過去
憂鬱になるのは、やはりお金がないことが原因かもしれません。
最近はいつも2000円程度のお金が財布に入っていることが多いです。
夫が銀行から下ろしてきたお金を1万円もらっても、子供のお昼ご飯だとか交通費だとか渡すと、財布には微々たるお金しか残りません。
それでも、子供はバイトをしているので、衣類などは全部自分のお金で買っていますから、少しは助かっているはずなのです。
しかし、この間は次女の予備校と長女のリクルートスーツを私のパート収入から出したし、夫のほうからは電子辞書や除湿機などがカードで引き落とされるので、夫の普通預金は絶対に足りなくなるため、いよいよ定期預金を解約するしかありません。

もう1つパートを増やさないと、私の給料から、こどものアパートの家賃が払えなくなりそうです。
今のパートに掛け持ちするとなると、駅付近のディスカウントショップで夜9時から夜中1時なんてのがあります。夜どうせテレビを見ているくらいなら、働いたほうがいいかもしれません。でも、次の朝疲れが残りそうですし、自転車で15分くらいかかるので、どうせ働くならもっと近くがいいなあと思います。
しかし、こんなのは、結局買食などが多くなって不経済になりそうですから、働くよりも節約生活をしたほうがいいかもしれません。

今日は安い牛肉こま切れと糸三つ葉とエノキを買って、卵とじにしようと思い、あと牛乳と麦茶くらいで、買物は1000円以内に収めました。
帰ってきたら、新聞屋さんが集金に来たのですが、私は500円しかもっていないので、夫に払わせると、夫も持ち金がなくなり、銀行におろしに出かけていきました。

帰りに、夫は発泡酒のつまみに刺身を買ってきたのですが、それがマグロの赤身の切り落としとイカで、けっこうたくさんの量でした。見るからにまずそうです。
というのも、私は海の近くで育ったので魚の鮮度にはうるさい上に、もともと赤身とイカはあまり好きではないのです。私が好きなのは、ぶり・かんぱち・ほたて・甘エビ・サーモンあたりですね。マグロなら中とろでなければ・・・。中トロは高いからネギトロでいいです。ところが、夫は赤味とか中落ちが好きなのです。
握り寿司のパックを買ったときは、嫌いなものを交換するとちょうどいいのですが、刺身となると困ります。2パックとも私がきらいなものを買うなんて。
そういえば、海鮮丼などを買ってくるようにいうと、夫は各種あるなかからわざわざ「鉄火丼」を買ってきてしまうのです。私は、イクラ・カニ・ホタテ・甘えびなどいろいろ入ったのがいいのデスヨ。もう鉄火丼なんか買ってこられたらがっかりです。

そんなわけで、今日夫が買ってきた刺身は夫がひとりで責任を持って食べることになりました。
娘はバイトでまだ帰ってきません。

まったくもう、どうせ無い金を使うんなら、もっといいもの買ってきてくれよ~

お金がないと、本当に精神衛生上よくないです。

お金のことで、放送大学の試験勉強どころではない。

なんとか、金を稼がなくてはいけない。

いい仕事はないかな~

店の品出しなんかでいいかな~と思うこのごろです。
深夜まで開店している店なんてよくない、人間は日がくれたら寝るもんだ、と思いつつ、お金のためには、そのような店で働ければいいなあと思ってしまう今日このごろです。

やっぱりボーナスがあったら、このくらいの出費は大丈夫だったんですけどね。
貯金がどんどん消えていくのは本当に心細いものです。
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何かおかしい・・・

2006-07-25 17:34:50 | 未分類過去
元気を取り戻したと思ったら、やっぱり憂鬱にもどってしまう。
なんか、田舎でのんびりくらしたいな~
畑でも作ってさ。
日曜日だったかな、テレビで田舎暮らしをしている人たちの番組をやっていた。
自給自足のような生活をしているわけだが、お金はかからないし、人と競争することもないし、あれが人間の原点かもしれないと思った。
このごろ、うつ病になる人も多いし、文明はもう行き詰っているように思う。
石油がなくなったら、生きていけないし、自分の手でものを作り出すことができない人ばかりになってしまっている。
だから、もう文明の利器に頼るのはやめたほうがいい。
耕運機はガソリンがないと動かないけど、馬なら草を食べさせていればちゃんと働いてくれるんだ。究極のエネルギーはやっぱり生物なのかな?
今の生活なんか間違ってる。

そういいながらも、毎日テレビを見て、パソコンに向わなければ生きていけない習性になってしまった。こういうのをいっさいやらないようにしたらどうなるかな?
現実の人と人とのつながりが深まるのだろうか?
時間があまるから、手料理などに力をいれるようになるのだろうか?

会社の仕事ももろ都会的、人口的なものである。
会社の中にある自然物は、せいぜい観葉植物くらいなもんで、後は機械に囲まれている。
人間も1つの歯車になっている。

なんだか、生きる力が湧いてこないんですよね。

東京は近い将来ゴミを捨てる場所がなくなる。
それに、原子力発電所は放射性廃棄物をどこに捨てるつもりだろう。
安定した地層なんか存在するのだろうか?
恐怖で気が狂うっていうのは、聖書の言うとおりだ。

夢とか希望とか将来の見通しがあれば、人は元気になれるけど、
自分の将来も不安ながら、孫子の世代はもっと心配だ。

コメント

村上春樹か

2006-07-25 00:49:15 | 未分類過去
今さらになって、放送大学の試験のために教科書の一気読みを始めました。
最低限どこに何が書いてあるか読んでおかなくちゃならないのが、記述式の「20世紀の中国文学」です。通信課題をなんとか乗り切ったので、試験で落とすのも惜しいです。
だから、がんばらなくちゃなりません。

取っ付きが悪いときによくやることは、教科書の最後の章から読むことです。
それで、その最後の章に書いてあったのが、村上春樹の作品と中国との関係でした。
なんでも、すごい人気なんだそうです。
最初台湾、香港から始まって、上海、北京にも及び、日本文学といえば村上春樹なんだそうです。

へえ~~~~~~~

ところで、私は村上春樹の作品は・・・・読んだことがありません。
でも、本の背表紙によく見るような・・・
名前は知ってるんですが・・・

村上龍とか、角川春樹とか似たような名前の別人はよく知っていますが・・・
村上春樹は知っているようで全然知りませんでした。

試験が終わったら、村上春樹の作品を読んでみようと思います。
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気を取り直して

2006-07-24 20:43:07 | 未分類過去
出社前はなんとなく憂鬱な週始めでしたが、その割には平和な一日でありました。

憂鬱の原因は、ひとつにはクールビズによる職場の高温不快感であり、もう1つは、パートタイマーが二人やめたことによって、一人でお昼を食べる日があり、そういう日は昼休みに仲間同士でしゃべって気晴らしをすることができないため、単調な一日を過ごさなければならないということです。

しかし、今日の職場は先日と同じ25℃に設定されていたのですが、快適にすごすことができました。下着を着ないで袖のかなり短い服を着ていったこともありますが、湿度の関係かもしれません。別の部署でもやはりクールビズ以来暑いという話で、温度よりも湿度が問題なのではないかという意見が出たそうで、それが改善されたのかもしれません。
今日は男性陣は長袖ワイシャツにネクタイ姿で、ぜんぜんクールビズじゃありませんでしたけど、適温っていうのは着ても着なくてもちょうどいいっていう温度があるような気がします。

仕事は忙しくはありませんでしたが、本来の仕事の合間に参考文献の印刷など頼まれて、資料の検索に間違いがないかなどちょっと気を遣いつつ、単調ながら眠くならない程度の仕事でした。まあ、快適に仕事ができた感じです。
昼休みも今日はもうひとり同年代のパートタイマーの同僚がいたので、子どもの話などして楽しく過ごすことができました。

先日書いた熱帯魚の水槽の喩えですが、考えてみれば自分からエンゼルフィッシュやネオンテトラに応募したわけではなく、最初から水槽のお掃除屋の「コリドラス」になるべく応募したんだから、待遇の差は仕方がないですね。
それがいやなら、パートタイマーをやめて、別の会社の正社員に応募するべきでしょう。でも、私はコリドラスだから、エンゼルフィッシュにはなれないし、今の水槽の中でこまめに藻でも食べていれば重宝がられて平和に生きていくことができるかもしれません。
今のところ、排水に流される心配もないようです。
適温の住み心地のいい水槽の隅にいて、他の魚たちとうまくやっていけるなら、今の環境に感謝しなくちゃいけないかもしれないです。

今の業界のことは自分ですこしずつ勉強すること。
社員には近々仕事に関連する法律改正の話などがあるらしいですが、パートタイマーにはその情報は不必要なので、私たちがそれに参加することはありません。
でも、自分で調べておこうと思います。

それから、今後「日本語文章能力検定」を受けようと思います。
私はもともと、そっちの専門能力を買われて雇われているはずだからです。
しかし、実際はビジネス系の文書の知識などはぜんぜんありません。
自分には理系の知識が不足していると思ってそっちを強化しようと思っていたのですが、本来の分野を延ばす必要もありそうです。
また、中国語もやらないでいると、どんどん忘れるばかりなので、また中国語検定3級に挑戦しようかと思っています。
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