山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ブログタイトル変更

2009-05-17 22:35:39 | 日記
東郷さんのアドバイスに従い、タイトルを少し変えました。
「頑張らないコリドラス」ってのは、変な題名です。
最近、このブログを読み始めてくださっている方々に少々これまでの経緯を説明します。

このブログは
一番最初は
「40代の夢と現実」という題でした。
その後
「日々の奮闘」だったかな?
に変更しました。

あんまり奮闘していないので、考えた末
「頑張れコリドラス」にしました。

ここに公開されているのは、途中からのものになります。

コリドラスというのは、熱帯魚の仲間ですが、水の底で苔や藻をたべるひげの生えたナマズのような魚です。これは、観賞魚というよりも、水槽のお掃除屋さんとして、観賞用の熱帯魚と一緒に飼われることが多いようです。つまり、水槽の中の華やかな主役ではありません。その姿はなんか自分に似ていると思って、自分を励ます意味で「頑張れ、コリドラス」にしました。

しかし、昨年の暮れころから、仕事でいろいろなことがあり、なんだか頑張るのがバカらしくなってきました。
頑張っても損ばかりして報われないような気がしてきたのです。
頑張ると報いを期待してしまいます。期待が裏切られるは精神衛生上よくありません。
だから、いっそのこと、頑張らないほうが健全な精神で生きていけるように思いました。

それからは、仕事の分野では勉強するのをやめて、関係ないことをはじめました。
それが宅建や運転免許です。

結局は、何かに希望を持って頑張らなきゃいられない性質です。
ただ、見切りは早いです。鞍替えも早いです。
鞍替えばかりしているので、何もものにならないのが弱点です。
いつまでも「頑張らない」ままというのもどうかと思うし、
取り合えず、何でもいいから頑張ってみようと思い、
また、タイトルを変えました。

もっといいタイトルが見つかるまで、しばらくこれでいきたいと思います。
コメント

好きな理由

2009-05-17 22:04:15 | 運転・車・道路の事
運転のことで、アタマが埋め尽くされているこのごろ、何か他に考えることはないのかと我ながら不思議です。
もう、まるで、他のことには関心がありませんよ。それだけ、運転って面白いですね。
しかし、今まで、運転が面白いとか教習所が楽しくてしかたがないとかいう話を人から聞いたことがありません。
姉は私に対して免許なんか取っても仕方がないというようなことを言い、どちらかというと反対のような態度なのですが、私は免許を持っていない人々に、ぜひ運転免許を取ることをお薦めしたいです。べつに免許取ったからって運転しなくてもいいですよ。運転しなくても、歩行者としても絶対に、ただの人間としても絶対に人生の役に立ちますね。
運転なんか、義務教育でやってもらいたいものです。
応急救護なんかも、高校くらいでやったほうがいいですね。応急救護は人間の義務にしたほうがいいんじゃないでしょうか。成人の条件とかね。

自動車学校ってのは、ほんとうにまともな学校だと思います。
私は日本語学校で日本語教師をしていたとき、学生のマナーの悪さに泣かされました。
今から10年近く前ですが、おどろいたのは教室で帽子をかぶっていることです。でも、教師の同僚とて、それを悪いとは思っていない人が多く、ファッションだからということでそのままになっていました。また、ペットボトルなどを机の上においているのも、世の中の様々な講習などで、今では普通に行われているといっても過言ではありません。
寝ていたところで、人に迷惑をかけなければ個人の自由だという風潮です。授業を聞いていなくても、テストで合格点をとればいいということなのです。
遅刻や早退は日本語学校ではそれなりに管理されてはいますが、それでも遅刻3回で1回の欠席というふうな決まりでした。
ルーズで自由な今風のやり方は、私にはどうも受け入れがたいのです。
帽子をかぶるのは失礼じゃないのか?と、教室で帽子をかぶっている人を見ると、あってはならないものが存在するようで、非常な違和感をもつのでした。
それでも、みんながそれでいいというならば、自分がそれにあわせるしかないですね。

ところが、私の常識にぴったりのところがありました。それが自動車学校です。教室では脱帽すること、ペットボトルなどを机の上に置かないこと、もちろん飲食禁止、寝たら欠席扱い、遅刻も早退も欠席扱い、ということです。
それで、みんな普通にやってるじゃないですか。見た目暴走族みたいな人だって、ちゃんとまじめに授業を受けています。やれば当然のようにできるわけです。

自動車学校の好きなところというのは、こういうきちんとした空気がすべてに渡って流れているということです。
コメント

運転と算数

2009-05-17 19:02:26 | 運転・車・道路の事
教習所に通うようになって、普段しない足しや引き算をするようになった。
もともとどんぶり勘定の人間なので、数字の計算なんか何十年もしたことがない。だから、なるべく山勘で運転したいのだが、そうもいかないし、学科試験の内容も覚えにくい。

自動車学校の中の道路は片側4メートルもある。これは、路上に出た今となっては恐ろしく広い。だいたい、住宅基準法上の道路幅は最低4メートルであるから、世の中に4メートルで双方向すれ違わなければならない道路もけっこうあるはずだ。しかも、実際には昔ながらの3.6メートルという2間道路も多いから、両側の家が20センチずつセットバックしなければならないが、家を建て直さないかぎりそのままになっている。
自動車学校で使っている普通自動車の幅は1・7メートルくらいらしいから、もし道路の幅が3・6メートルだったら、ものすごいぎりぎりの技で、すれ違えるかもしれない。しかし、かなり無理である。やはりどう考えても普通車がなんとかすれ違うには最低4メートルは必要だろう。道路法ではなく住宅基準法の道路の幅であっても、車の幅から考えて矛盾が無い。

あっ、自動車学校の道路の話だった。片側4メートルの道路をキープレフトで走る場合は、自分を道路の中央に持っていけばいいという。なぜならば、車の左に縁石まで80センチ間を空ける。そして、車の幅は前述したとおり1・7メートルくらいらしいが、車の左端から運転席の左端までが1・2メートルなのだそうだ。そうするとちょうど道路の左端から運転する自分までが2メートルだから、自分を道路の真ん中へんにもっていけば、車は左に80センチ空けて走ることになるそうだ。そのほかには、ボンネットのマスコットを利用する方法もある。運転席から見えるボンネットの前端の中心が左車輪の位置であるとのことだ。しかし、これは直線でしか使えない。
最初は自分が中央にいると、車の左端がどのあたりなのかよくわからず怖かったのだが、道路が4メートルもあり、車の幅は1・7しかないすれば、右側がかなり空いていても大丈夫だということが、感覚ではなく算数でわかる。
また、S字やクランクも道路幅は3・5メートルもあり、車の倍の幅もあることがわかる。自分が運転していると何がなんだかわからないが、人が通っているのを見ると、ずいぶんと余裕があるものだ。内輪差があったところで、このようなところを走れないわけがない。

そして、学科試験対策としては、路上に駐車する場合の条件として、車の右側に3・5メートルの通路を開けなければいけないということをおぼえなければならない。
車は路肩から50cm空けて通行しなければいけないことになっている。車の車幅はどんなに大きくても最高2・5メートルである。そして静止しているもののそばを通るときは50cm以上空けて走らなければならないという決まりがある。だから、これらを足すと3・5メートルあれば、どのような車も通れることになるわけだ。

そのほかにも、運転免許を取るためには、スピードや距離や時間など、ずっと使っていなかった数字がいろいろでてきて、老化している私の頭にとっては、ボケ防止になりそうだ。

コメント

気配りと意思表示

2009-05-17 15:16:44 | 運転・車・道路の事
車の運転には、この2つも大切なようです。
人に迷惑をかけない、人の流れを妨害しない、交通の流れがスムーズに行くようにする。
そのためには、自分が何をしようとしているのか、的確に意思表示をするということです。

こういうのって、チャリンコを走らせているときには、ほとんど関係ないわけです。どんな速さで走ろうとそんなのは個人の勝手で、だいたいぼんやり走っていても、ゆっくりトロトロ進んでいれば大方のものはよけることができるし、事故などは発生しません。
だから、私の場合、自転車は漫然運転の常習でした。
また、B型人間というのは、本来マイペースな生き物なので、なかなか人に気を配るということができません。あっ、これはB型などと書くと、全員がそうではないと怒られそうですね。私だけかもしれませんが、とにかく自己中心というか、基本的に人に迷惑をかけるほどわがままではないけれど、個人主義の傾向が強いです。
だから、運転って勝手に道路走ってたらいけないの?そんなに周囲の人たちに気を使わなきゃいけないの?と驚いたしだいです。
ブレーキ1つ踏むのにも後続車に気を配るのかよって感じです。
これは、マイペースの性格を変えなくちゃいけない。少なくとも運転のときはね。

自分が歩行者で、横断歩道を渡ろうかなって思っていたときに、そこに車が来たら、なんとなく止まってもらうのが悪いので目をそらしたり、渡るのか渡らないのかわからないような態度を示す私でした。だから、基本的に運転手さんと目を合わせませんでした。私はもともとどっちかというと、知らない人とのかかわりを持ちたくないんです。子どものときはちょっと自閉症ぽかったかな。

これが運転者になってみると、渡ってもらうように横断歩道の前に停止しているのに、その人がぜんぜん渡らないことがあります。どうぞって手で示してもなんか視線がどこ見てるの?って感じ。教習中、こういう人がいると、その人が渡ってくれるまでずっと待ってなきゃならないのだよ。
「あの~渡るんですか渡らないんですか、渡らないなら横断歩道から離れて行ってくれませんか」などと思ってしまいます。
教官も、「あれ、渡らないのかな~」などといいながら、手で示したりしたあげく「やっぱり渡らないみたいだな、じゃ、行きましょう」などと決断し、車を走らせようとすると、急に渡って来たりするんです。その人、渡らない振りをして車を行かせてから渡らせようと思ってたらしいですが、あまりにも車が通りすぎないので、痺れを切らして渡ることにしたんでしょうね。私みたいな人ですね。

車と車にしても、車と歩行者にしても、意思の伝達ができないとなかなか不便なものだなと思うので、このごろは自分が歩行者で横断歩道を渡るときは「止まってくれます?」みたいな顔で運転手とアイコンアクトをとるようになりました。
ところが、来る車来る車、何台も全然止まってくれないじゃないですか。
「おい、横断歩道の近辺に人間がいたら停止しなくちゃいけないんだぞ。なに考えてるの?」と思いますが、どれもこれも止まる気配ないですよ。そんなもんだね。
これも後続車がいるからなんでしょうね。急に止まると追突されるかもしれないですからね。意外に、空いている道で止まってくれる車が多いですよね。
1台過ぎればすぐ渡れるから止まってくれなくてもいいときに限ってとまってくれるもので、いっぱい続いていて全然渡れないときに限ってどれも止まってくれませんね。

横断歩道で待っている人に、自分が車を停止させて、どうぞって示しているのに、その人が躊躇している場合があります。その人はぜったいに渡りたがっているし、こっちが譲っていることも理解しています。でも、なんで渡らないんだ?と思ったら、対向車線の車が止まってくれないから、渡りようがないのでした。自分だけ譲っても意味ないし、むしろそれで反対側を確かめずに渡って轢かれちゃったら危ないですから、どうぞと横断を促すのも判断が難しいですね。
確かに、自分が歩行者になったときも、片方の人が止まってくれてるのに、反対側から来る車が止まらなくて結局渡れないって経験ありました。
そういうの、判断が難しいですね。

運転とは違いますが、このごろエレベーターで、途中の階で自分だけが降りる時に、ドアの「閉」ボタンを押して出て行く人が多くなっています。つまり、そうすればドアが直ぐ閉まるので、余計な時間のロスがなく、乗っている人に迷惑をかけないということでしょう。
こういう気配りも運転のときに共通するような気がします。
私も気のきいたことしようと思い、あるとき、中に人がいて、その人が上の階まで行き、自分が途中で降りるときに「閉」のボタンを押して降りました。エレベーターは私が降りると同時に閉まりましたよ。「うん、うまく行った」と思ったのですが、なんと、降りた階に、エレベーターに乗って上に行こうとしている人が待っていたのでした。
「ありゃ、閉まっちゃったよ」と思いましたが後の祭りでした。乗ろうとした人は乗れずにおいてきぼりです。普通、その階から上に行く人は滅多にいないんですけどね。被害者は同じ会社の人で知らない人ではなく、屋上にタバコを吸いに行くつもりだったらしいので、「まあいいや」なんて思ってしまいましたが、外部の人だったら大変失礼なことをしてしまいました。
気配りも間違っちゃうと逆効果ですね。
瞬時に状況を判断し、乗る人がいるかいないかによって行動を決めること、それができないならやらないほうがいいということもあります。
エレベーターの「閉」ボタンは乗っている人に任せてもいいかもしれませんね。

瞬時の判断と適切な気配りは私の課題ですね。
コメント

ショートカット走行

2009-05-17 14:11:26 | 運転・車・道路の事
これは、右折時に交差点を右に寄って短距離に走行する間違ったやりかたで、二輪車がよくやることのようです。右側の角によって視界がさえぎられ、死角が増えるし、右方向から来る車との距離が近いので事故も置きやすいということです。

しかし、こういうのは、自転車でも日常茶飯事です。自転車の場合は、中央を走ると危ないと思っているのでさらに右側を走る人が多いです。つまり、右折するまえに道路の右側にあらかじめ渡っておく人なども多くいます。
すると、当然のことながら、前方の角を曲がってきた自転車と正面衝突するし、角では対向車に対しても危ないです。その角を基点にして今度は反対側に斜めに渡るという最短距離を走る人も多いです。自転車の人もマナーを守ってほしいですね。

ところで、私は自転車でキープレフト走行の練習をしていたと以前書いたことがあるのですが、いつも走っている狭い道が、途中で何十メートルかの距離だけ、倍くらいの広さになっているようなところがあります。こういう道は大昔の道路計画で拡張の予定があったものの、一部分だけが広くなり、そのまま進行が止まっているらしく、たぶん今後も狭い部分の拡張はされない見通しのようです。
それで、その何十メートルかの間は、大体の車や自転車はそのまま狭い道路の延長線、つまり道路の中央寄りを走り抜けています。道路は少しカーブしていて左端を走るとそれだけ距離も長くなるので、わざわざ外側を走る人はいません。

ところが、私はキープレフトの練習をしていたので、左端を走っていました。
そしたら、あるとき、目の前の路地を右折してきたバイクと正面衝突しそうになりました。
そのバイクは完全右側走行といえますね。自転車みたいなことをする奴です。
でもやっぱり自転車より速いし重いし、衝突したら自転車同士の事故よりも大きなものになってしまうでしょう。
そのバイク、実は郵便配達でした。つまり、右側の家のポストに郵便を配りながら走ろうという魂胆だったようです。いや、いつもそんなやり方をしているのでしょう。
私のようなキープレフトの練習をしている自転車なんか普通は存在しないはずですから。
でも、想定外のことって起きるんですよね。やっぱり交通ルールはいつでも守らなくちゃいけないですね。この郵便屋さん、反対から走って配れば問題ないのにねえ。

教習中、交差点で信号待ちをしているとき、左側からもろ斜めに右折してくるバイクがいました。
私の車の鼻先をすごいスピードでかすめていきます。距離近すぎるよ、と思います。
やっぱり危険ですね、ショートカットっていうのは。

コメント

信号待ち車列からの飛び出し

2009-05-17 13:22:54 | 運転・車・道路の事
怖いなあと思います。
いつも狭い道路(車と車のすれ違いがやっとの道)を自転車で走っていて、交差点で信号待ちをしている車の列に追いつくと、車が左によっているので、電柱などの障害物により左端を前に進めなくなります。
そこで、多くの自転車がすることは、並んでいる車の前後間を通り抜けて道路の右側に渡り、道路の右側を進むということです。対向車線は比較的すいています。
その交差点を右折するつもりなら、本来は左端を前に進んで横断歩道を渡るわけで、そのとき歩行者信号は当然に青になっているわけですから、本当ならラッキーです。しかし、この場合、車が通せんぼしていて横断歩道までもいけません。
また、左折するつもりの自転車は本来信号とは関係なく左に曲がっていけるはずなのに、やはり車に通せんぼされていけなくなっています。そのような場合、同様に一旦は右にわたって進むか、止まっている車の右側(道路の中央側)を追い越して、横断歩道の中央から左に渡るというやり方をする人もいます。
実際、私もそんな無謀なことをしたこともあります。

しかし、あぶないことには、たまに右左折してくる対向自動車がいるのです。
いつも必ず来るのなら誰もが注意するでしょうが、たまに来るというのがよけいに危ないです。
そして、車の間から出てきたり、道路の真ん中を走ってくる自転車とぶつかりそうになるわけです。
また、右側に渡りきった自転車は、対行してくる自転車と正面衝突しそうになったりもします。そこに対向車が来ていると、当然のことながらすれ違う余地もありません。

自転車よ、そんなに急いでどこへ行く・・・と思い、私はじっと自動車の後ろについて車用の信号が青になるのを待ち、後から車がきていれば、それが通り過ぎてから自分も走り出すようになりました。そこの信号は待ち時間は長いのですが進める信号の時間がとても短いので、車が3台も並んでいると、すぐに赤になってしまいます。それで、もう1回信号を待つことになります。

このようなことをしている人間はバカに思えるかもしれませんが、これが一番危険がないし、誰にも迷惑をかけないやり方です。
車の間を注意深く右側に渡って、右側では自転車を押して歩くという方法も間違いではないと思いますが、自転車を押してあるく歩行者というのも幅をとって迷惑です。
安全のためなら、信号を1回よけいに待つくらい、どうということはないと思うようになりました。

ところで、路上教習を受けるようになって、今度は車の立場になりました。自分が右左折したあと、対向車線に信号待ちしている車が並んでいる場合、自分は信号を通り抜けたあとでほっとしているし、以降直進なのですが、徐行したほうがいいと先生がいいました。
そうだ、あの場面だなあと実感です。
その場面で、横断歩道から離れた場所を渡ってくる自転車は多いはずです。

車の立場になってみると、歩行者や自転車が車に注意して渡ろうとしているにしても、そこに存在するだけで、運転に注意して徐行しなければなりません。
だから、歩行者は車にそういう心配さえかけないほうがいいでしょう。道路を渡るときも、駐車車両の間を進んで道路上でころあいを見図るより、見通しがよければ歩道の上に立って左右を確認して渡るほうが運転者にとっては安心ですね。だから自分が歩行者や自転車であるときも、運転する人に危険を感じさせないような動きをしたいと思うようになりました。

コメント

アドレナリン

2009-05-17 12:01:05 | 運転・車・道路の事
このごろちょっと困ることは、頭が冴え渡って寝つきが悪いということだ。
しかも、それは、夜間に自動車の路上教習を受けたあとに起こる。
夕方まで仕事をしたあと、教習を受け、帰宅して夕飯を食べビールをコップ1杯くらい飲むと疲れがどっと出て2時間くらい爆睡。その後、目を覚ますと、今度は頭が冴え渡って、再び布団に入っても明け方まで眠れない。そのときには、路上教習の走行しているときの場面などがどんどんと頭の中で再現され、思い出されていく。
運転は私にとってけっして悪いストレスではない。その緊張感は苦痛ではない。
しかし、かなりの興奮状態になっているものと思われ、交感神経が活発化しているようである。そして、大量のアドレナリンを放出しているらしい。
こういうのも、慣れればおさまるものなのだろうか。
所内の教習ではこんなことは全くなかったな、と思う。

また、不思議なことには、今年は全くゴールデンウィークボケというものがなかった。
つまり、会社の仕事より、教習所のほうがよほど心身ともにハードだということだ。
仕事以上に神経を使い、仕事以上に体力を使っていた。
特に、ゴールデンウィークは、みきわめや仮免試験で必死だった。
だから、日常の仕事に戻るのはなんら苦ではなく、むしろ楽なほうに戻るという感じだった。
これが、いつものゴールデンウィークだと、故郷の実家に帰るのが普通であり、周りの景色から生活習慣から、すべてがのんびりとしたものとなり、日常の生活を忘れてしまう。
だから、帰ってくると仕事生活に戻るのが苦痛になるのが通例だった。
今年は休みボケから脱出するための苦がないのは良いことだった。

今の緊張状態はしばらく続きそうであるが、
幸いにして、それに耐えられるだけの元気は、今のところ充分にあるようだ。
眠れないときはあるものの、それは夜間教習に限るので、他の日は熟睡している。

しばらくアドレナリンの作用を受けて暮らすことになりそうです。




コメント

路上教習

2009-05-17 10:24:35 | 運転・車・道路の事
路上に出てから1週間がたち、6回の講習をしました。
最初の2回くらいまでは、なんということもなく車を走らせましたが、4回・5回となんだか恐ろしさが増してきて、運転というのはだんだん恐ろしくなるものなのかと思っていました。
ところが、今週末になり、また路上教習を受けたところ、気の抜けるような平和な運転がやってきました。
これはいったいなんなんでしょうか??
と思ったところ、そうです、同じ道でありながら交通量が時間帯によって全然違うのでした。

つまり、最初の3回は休日、4回目と5回目は平日の夕方、6回目は休日、というわけだったのです。運転の恐ろしさは、「平日の夕方」に起因するものでした。
休日は車が少なく平日の夕方は多いということですね。

平日の夕方の幹線道路は、渋滞しているわけじゃなくて交通量が多いので、その流れにのって機敏に運転しなきゃならないのが大変です。ちょっとゆっくりしていると、隣の車線から車が前に入ってきたり、バイクが次々に追い越して斜めに走り抜けていったりします。
だからあんまり間隔を空けられないし、自分の勝手な都合でブレーキを踏んだりすると後ろの車に迷惑がかかります。人と同じ速度で同じように走らないといけないのですが、自分の運転技術がそこまで行ってないということもあって、必死の状態になります。

昨日は、幹線道路にでるとすぐ前に車がいませんでした。平日だと、前が空いているのは自分が遅いからだという意識があります。それで、いつも幹線道路は他の車の流れに乗って速く走れと注意されているので、気合を入れてアクセルを踏んでいると、スピード出しすぎといわれてしまいました。
確かにそこは同じ道路ですが、なだらかにカーブしている所で、そんなにスピードを出すべきところではありませんでした。60キロ道路だからとやみくもにスピードを出すのもバカだったなと思います。
昨日の場合、道路が空いていたので、ルームミラーで後を見てもすぐ後に車がいなことが多かったです。このようなときは、自分の都合でブレーキをかけても、自分の都合でゆっくり走っても、誰に迷惑がかかるわけでもないのですね。同じ道路でありながらこんなにも違うんだな~と驚きます。
さらに昨日は、狭い道のほうに、歩行者や自転車が少ないというのが楽でした。
先週の土日はまだゴールデンウィークの残りということもあり、住宅街の狭い道などは、自転車に乗った家族連れ集団なども多く、それはそれなりに気を遣って走る必要がありました。横断歩道なども、驚くほどたくさんの人や自転車が渡るのでした。
しかし、昨日は歩行者や自転車もそれほど多くはなく、横断歩道もすいすいと進みました。

そんなわけで、あまりの平和な走行に、私運転がうまくなったかなと思ったのですが、そうではなく、単なる交通状況の違いだったことが判明。
でも、こんな楽なことをしていると自分のためにならないので、あえて平日の時間帯に教習を受けなくてはとも思います。

しかし、卒業検定は絶対休日にしよう!!!
コメント