山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

50の手習い

2009-05-29 01:55:14 | 運転・車・道路の事
ふと、この言葉が浮かんできた。
私は、まだ50じゃないけど、50が近いことは確かだ。
だから、今頃自動車の運転を習うのは「50の手習い」と同じことだろう。

だいたい、「50の手習い」とはどういう意味か?
何がいいたいのかな?
つまり、年を取ってから初めて習うことであって、その様子はなかなかおぼつかないようなものだろうと思う。
しかし、それが「必ずうまくいかない」という意味はないし、「うまくいく」という意味もない。
とにかく、あまりにも年を取ってから、何かを1から習い始めるってことだけだ。
この「50」っていうのは、昔の感覚だから、今になったら「65歳」くらいかもしれないな、そう思いたいな、と思う。

「遅きに失した挑戦」という意味には取りたくないよね。

以前から書いているんだけど、私の姉はいやなやつで、私が運転免許を取ることに否定的なのである。50に近くなって免許を取ったからって運転なんかそうそうできるようになるもんじゃないと言いたいらしい。
そりゃあそうだろう。何でも経験が重要だから、20代で免許を取って30年間も経験のある人に比べたら、恐ろしく稚拙な運転しかできないのはあたりまえだ。
でも、だからって絶望的って決め付けるのもどうかと思うよ。

確かに50の手習いは50の手習いだから、20歳で身につけたこととは違うし、その年で身につけるのには苦労があるのは当然だ。それを承知でやろうとしているだけのことだよ。

私はちょうど10年前くらいに日本語教師になりたいと思って養成講座に通い始め、40歳で日本語教師の職に就いたけど、やっぱりこれも「遅きに失した」感があった。経験を積むというのは、やっぱり若いときからやったに越したことはないよ。年齢の割りに経験不足で、やっぱりうまくいかないこともあったのだ。仕事っていうのは、人の成長を待ってはくれない。人材を育てないし、育つのを待つこともない。完成された人材を雇うというのが現実だ。

私は、今の仕事では、そんなに苦労しないで働いているが、求められるものが自分の能力を上回っていないからだ。なんでやっていけるかというと、やっぱり新卒で就職して叩き込まれた仕事だったからだろう。やはり若い時に身につけたものは違うと思う。

日本語教師というのは人気があって、日本語教師になりたい人はたくさんいる。しかし、誰もが適するものでもないし、ある程度適していて教師になったところで、私のように長続きしない人が大部分であることも知っている。総合的に見て、中高年になってから日本語教師を職業とすることは、自分の経験からあんまりお薦めできないと思う。でも、日本語教師の楽しさも知ってはいるから、なりたいと情熱を持っている人に反対をしようとは思わない。

それは、いったん運転免許を持って、しばらく車に乗ったけどやっぱりあんまり運転はしたくなくて、だいたいは夫の運転する車に乗るばかり、というような人と同じことかもしれない。
運転免許持っているけど運転は何年もしていないぺーパードライバー。
日本語教育能力試験に受かり、日本語教師を数年したけど、今じゃ全く教えていないので、もうすっかり教え方さえ忘れてしまった元日本語教師。
似たようなもんだよね。

40で始めたこともダメだったのなら、50ではじめたことはもっとだめかもしれない。

だけど、一度日本語教師になってみたことは自分にとってよかったと思うから、やっぱり運転もしてみればいいと思う。それで、向いてないと思ったらそのときやめればいいさ。

そして、60歳になるときも、70歳になるときも、その後も、自分にとって何か大きなことに挑戦したいなと思っている。


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2 コメント

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20才をすぎて習うことは (YOSHI)
2009-05-29 10:47:43
『30~(それ以降)の手習い』とか、「お恥ずかしいながら、ちょっと遅目だけど、めげずにボチボチがんばります!がんばってます!」という意味で言いますよね。前向きな言葉だと思いますが。40才でチェロを習い始めた方の本で『Never to Late』というのがあります。知り合いは定年後、日本語教師をしていて楽しいそうです。学校に通った元はとれないと言うことでしたが、そういうことで善し悪しが決まらないですよね。姉上は、次から次に挑戦する飛鳥さんが、案外羨ましいのかも・・・だいたい、人は自分にできないことをやってる人間は妬ましいと・・・。やりたいことは、どんなレイト スターターでも始めないより絶対いいです。
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Unknown (飛鳥)
2009-05-30 00:16:17
姉にとっては、自分に運転免許があり、私に運転免許がないということで、今までは自分だけがもつ領域であったのに、ここにきてそこに侵入されるというのが、受け入れがたいのかもしれません。

日本語教師は、定年後などの年を取ってからなる人は、やはりそういう特質を生かした授業を担当させられることが多く、日本語教育を専攻して若い頃から続けている教師等とは違って、オールマイティーの教師にはなかなかなれないケースが多いかと思います。

年を取ってもいろんなことに挑戦できるけど、やはり現実として限界があることは確かですね。
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