山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

不完全さ

2009-05-23 03:02:12 | 運転・車・道路の事
物事を教わる人間というのは、そのことについては、あまりにも不完全であり、未熟だ。
これは、運転をしたことのない人間が、教習所の先生に運転を教わる場合、当然のことである。
同様に、日本語を話せない外国人が、日本人である日本語の先生に日本語を教わる場合の状況にも非常に似ている。
運転を教わるものは、全く一人では車を動かすことはできないし、日本に来たばかりの外国人は日本語を使って意思を伝達することが全くできない。
だから、まるで赤ちゃんのように頼りない。
それで、いろいろなことを教わって成長するわけだが、それでもなかなか思うように成長できない場合がある。
すると、不完全さがどんどん続いて、次第に自信を喪失してしまうこともある。
学習者というのは、そうやって思い悩んでしまう。
また、教えるほうも、教えていることに関してだけ、その人を見ると、そのことができないゆえに無能な人間だと錯覚することもある。
しかし、ある物事について能力がないからといって、その人がすべての面で能力がないわけではない。
たとえば、日本語の話せない外国人の主婦が、ものすごく料理が上手な人だったりすることもある。そのような場合、ちょっと方向を変えてその人から料理を習ったりすると、そのひとは自信を回復する。
日本語を教えていた日本語教師が、自分の知らない言語を話す生徒の国に行った場合、そこで、生徒が出迎えるならば、立場は全く逆転する。
ものすごく運転センスのない教習生である看護師の女の子の勤める病院に、教習所の先生が急患で運び込まれ、手際のよい処置を受けたとしたら、その先生はその女の子を見る目が変わるだろう。
人間というのは、いろんな側面を持っているのだから、他人を見るときは、目の前の姿のみならず、その人の持つほかの長所や隠された能力も考慮することが大切だ。
また、自分が苦手なものがあるからといって、それにばかり劣等感を持たず、自分自身の他の長所に自信を持ち続けるべきである。

これは、当たりまえのことですね。
このあたりまえのことを忘れずに、教えたり教わったりするのがいいことだと思います。
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ドアの開け閉め

2009-05-23 01:03:44 | 運転・車・道路の事
車のドアは、一旦引き寄せて置いて細く開いた状態で止めてから閉める。
開けるときは、最初少しだけ開け、様子を見てから大きく開く。
これは、教習所で習うことだったんですね。

免許を持っていない人間は、こういうのぜんぜん知りません。
だから、私は初めて知りました。
それまでは、タクシーの前の席に乗ったときなんか、手でしめなきゃならないので、いっぱい開いているところから、思い切り勢いをつけてバ~ンとやっていました。
こんなことをしたらドアが痛んでしまうようですが、そうしないと半ドアになってしまうと思っていたので、けっこう力まかせにやってました。

このようなやり方をする人は、免許を持っていないことがバレバレですね。
今考えると恥ずかしいです。
免許とらなくてもいいですから、開け閉めの常識くらい、どこかで教えてくれるといいですね。

不動産屋さんが、お客さんを車で案内するとき、お客さんが後部座席に乗ると、ドアを一旦途中まで静かにしめ、よろしいですか?と聞いてから、残りの10cmくらいをパンと締めるやり方をします。そのやり方がステキだな~と思っていました。
不動産屋さんは、自分が乗り降りするときも、車のドアの開け閉めの仕方は、ほぼ教習所の先生と同じ感じで、非常に手際がいいです。
これは、毎日運転している人だからこそ、できる技ですね。
真似をしようと思っても、それほどかっこよくできません。
何か、違うんですよね。速さとか間とかメリハリとかが・・・。
開け閉めの仕方が、スマートで美しいのです。

最初は、このやりかたは、お客さんを乗せる運転手さんの技かと思っていたのですが、そうではなく、車の開け閉めの常識だということがわかりました。
しかし、そこまでかっこいい開け閉めの仕方をしている人は、不動産屋さんと教習所の先生以外には見たことがありません。

私も手際のいい開け閉めができるようになったらいいなと思います。
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